いつかこの手に雷光を   作:直崎ゆきふり

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11 届将研想

 当たり前のように享受していた平穏は、魔物の群れによって瓦礫に変わった。

 息をしていない母上になお庇われながら、翼を広げた大きな背中を見上げる事しか出来なかった。

 

「――街の魔物は全て私が倒そう。だから、これより後には誰も死なせない」

 

 ああ、ヒーローになれる人間というのはすごいな。俺とは大違いだ。

 雷光に照らされながら、そっと母上の目を瞑らせた。

 

「――ごめんなさい、ははうえ」

 

 もう声が届かないとわかっていても、謝らずにはいられなかった。

 護るだけ護られて、誰一人護れない自身が許せなかった。

 俺も、彼女のように強ければよかったのに。

 

 

 

「ケーキ、本当に良いのかい?」

「はい、まだまだ大変な時です。俺だけ楽しむわけにはいきませんから」

「……そうかい。では、行ってくるよ、研想(けんそう)」

「お気をつけて、父上」

 

 大氾濫から一年が経っても、街は元通りとはいかない。朝早くから街へと出る父上を見送り、木剣を手に取った。

 庭に出て、教わった通りに木剣を振るう。まだまだ冴えない剣筋だが、いつかは一迅(いっしゅん)様のように容易く魔物を両断出来るようになる筈だ。そう信じて、ひたすら日課の鍛錬へ打ち込む。

 

「あいかわらず早起きだね、ケンちゃん」

「竜太郎(りんたろう)の方こそ。今日も走ってきたのか?」

「そうだよ。修行だから!」

 

 この屋敷と竜太郎の暮らす養育施設の間には、そこそこの距離がある。月に一度屋敷を訪れる養育施設の管理人は、門の前でハンカチを片手に息を整える事に苦労しているというのに。ほとんど毎日やってくる幼馴染は、少し息を弾ませるだけで平気そうにしていた。

 

「すごい体力だよな。俺も、もう少し走る距離を増やすか」

「へぇ~、体力? そっか、大事だよね体力! ならさケンちゃん、今日はあの丘に登らない? 道をふさいでた倒木が撤去されたって、先生が言ってたんだよね!」

 

 丘の頂上に辿り着くと、街をよく見下ろせた。大氾濫が起こる前とは違う景色だ。魔物の群れに破壊された痕跡は未だ大きく残りつつも、少しづつ復興に向けて進んでいる。瓦礫に塞がれて通れない街路も数を減らしてきていた。数年もすれば、痛々しい爪痕は目を凝らなさければ分からないまでに薄れていくだろう。

 けれども、街が大氾濫以前に戻る事は決してない。決壊し、魔物の侵入を許してしまった街の外壁は、より堅牢に。そして街の中央には、大氾濫で身寄りを亡くした者たちが生活する為の施設が新たに建てられていた。竜太郎の暮らす、養育施設もこの丘から見通せた。

 

「あ、ケンちゃんの屋敷だ。やっぱりここ、見晴らしがいいねー」

「ああ、そうだな」

 

 倒木を積み上げて作られた簡易的なベンチに腰掛けながら、二人で風に吹かれた。

 

「これ、誕生日プレゼント」

 

 突きつけられた手には、ドラゴンのストラップが揺れている。青い瞳の白いドラゴン。一迅(いっしゅん)様をイメージして作られたものだろう。

 太陽の光を浴びるストラップは、ひどく輝かしく見えた。無意識に手を伸ばしそうになって自制する。

 

「……いらない。俺は、君に用意していない」

「そうだね、今までお互いに渡したことはなかったし」

「なら、今後もそれで行こう。そのストラップは君に似合うだろう」

「たしかに、僕も気に入ってるよ」

 

 竜太郎は笑った。そうして、ポケットからもうひとつ同じものを取り出して見せた。

 

「この通り、僕の分はもうあるんだ。だから、こっちは君が貰ってよ」

「……だが、俺は君に……」

「なら、なおさら受け取ってくれると嬉しいな。実はさ、僕がこうしてプレゼントを用意したのは、僕も欲しかったからなんだ」

「……何が欲しいんだ?」

 

 後悔の念に腹を焦がされながら、揺れるストラップに手を伸ばした。そうだ、彼に誕生日プレゼントを渡してくれる両親はもういないんだ

 俺が代わりになる事なんて出来ない。それでも用意しておけばよかった。

 

「物というか……ケンちゃんに聞いてほしくて」

「ああ」

「証人になってよ。僕の誓いの証人に」

「……証人?」

 

 竜太郎は、伏し目がちに街を見下ろしていた。

 

「僕、何にもできなかったんだ。父さんと母さんとははぐれて逃げて、ずっと物陰に隠れていただけ。一迅様が次々と魔物を倒すところを、ただ見ていることしかできなかったんだ」

 

 その言葉は棘のように、俺の心に刺さった。何も出来なかったのは、俺も一緒だったからだ。

 

「だからね、ケンちゃん。僕は必ず――誰かを救える魔道士(ヒーロー)になるよ」

 

 ぎゅっと、渡されたストラップを両手で握り締めた。

 喉が、唇が、息が震える。

 

「わかった、なる。証人になる。けど、俺もっ……俺も君に、誓いを聞いて欲しい」

「もちろんだよ」

 

 竜太郎が柔らかく目を細めて笑う。

 

「俺もなりたいんだ。誰かを救える人間に――ヒーローになりたいんだっ。護られるだけなんて、もう嫌だっ!」

「うん……うんっ、僕も覚えておく……っ」

 

 それから街を見ながら幾らか語り合い、竜太郎と共に屋敷へと戻った。しばらく二人で剣の打ち合いをしていると、珍しく日が暮れる前に父上が帰ってきた。

 

「おお、竜太郎君! 良かった、間に合ったようだ」

 

 門を潜る父上に挨拶をすると、肩を震わせて手に持っていた箱を背中に隠した。竜太郎と二人でその様子を見ていると、やがて観念したように父上は持ち手の付いた白い箱を見せた。

 

「……その、私がどうしても、食べたくてね? ケーキを買ってきたのだけれど、良ければ二人も一緒にどう……だろう?」

「そうですね、頂きましょう」

「本当かい!?」

 

 俺が頷くと、父上は心底嬉しそうに顔を輝かせた。そして、竜太郎の方を見る。

 

「では、竜太郎君はどうだろうか!?」

「……僕も……いいんですか……?」

「もちろんだよ! 今日は君も誕生日じゃないか!」

「では、あのっ……お言葉に甘えて……!」

 

 顔を綻ばせる竜太郎に、流石は父上だと思った。

 手洗いと着替えを済ませていつもより豪華な食事を取ると、食後のダイニングテーブルにホールケーキが運ばれてきた。

 大皿に乗せられたケーキには、俺と竜太郎の名前の書かれたチョコプレートが刺さっている。父上が手ずから切り分けたケーキを屋敷のみんなで食べながら、俺は一年ぶりに笑顔の溢れる夕餉の時間を過ごした。

 そうして竜太郎が帰る前に、俺と竜太郎と父上の三人で写真を撮った。『またひとつ宝物が出来たよ』と笑う父上に、俺と竜太郎も笑った。

 

 

 

 

 ああ、夢を見ていたのか。倒木を切って作った簡易机から上体を起こしながら、俺は浅い眠りから目醒めた。最小まで絞った携行ライトが洞穴を薄く照らしている。

 まだ空は薄暗い。寝過ごした訳ではない事実に安堵しつつ、書き掛けの手紙の続きを書く為にペンを握った。

 

 ハナチシサラ。彼女を相手に、魔法を発動させる為の条件を満たせたのは偶然だ。満たした事に気づいたのは、この島へ降り立った直後だった。

 だが当初、彼女に魔法を使うつもりは無かった。たとえどれ程、彼女の勇敢さに胸を打たれ、かの雷光の騎士と重ねようとも。彼女は受験生……今はまだ魔道士でも何でもない、只の中学生なのだ。俺の都合で危険に巻き込む気には到底成れなかった。

 だから、声を掛けてくれた彼女を冷たく突き放したのだが……きっと、それも失敗であったのだろう。

 

 そう、ここ数日の俺は失敗続きだった。最後になるからと、船上で竜太郎(りんたろう)への態度を軟化させた事もそうであるし、涼見(すずみ)沙夜(さよ)殿下に警戒されて握手が出来なかった事もそうだ。

 その失敗故に、竜太郎を俺から引き剥がす為にシサラには多大な迷惑を掛ける事になってしまったし、殿下に魔法で手紙を届ける事は叶わなくなった。まぁ、手紙は呪いの所為で書きたい内容を書く事は叶わないのだから、仮に握手をする事が出来ていたとして今より状況が良くなっていたのか甚だ疑問ではあるが。

 

 だが、俺は致命的な失敗は犯していない。その筈だ。

 現にあの魔族は、今も俺を信頼している。こうして、多少の自由が存在しているのだから。

 俺が魔法に目醒めていないという嘘も、偽った魔法の発動条件も。そして、今日の試験会場についても、奴は俺の言葉を鵜呑みにした。この一年で積み上げた、魔族の駒としての信頼の成果だ。

 

「頼んだぞ、ハナチシサラ」

 

 掌の上の便箋が一人でに浮き上がり、そして虚空へと消えた。発動した魔法の成功を見届けると、携行ライトの灯りを消して俺は洞穴から出た。

 

 今日だけは、失敗する訳にはいかない。竜太郎、君だけはどうか誓いを果たしてくれ。

 

 

 

 

 平穏は、又しても前触れ無く壊れた。

 一年前の今日、突如として父上に化けた魔族が俺の目の間に現れたのだ。

 

 父上と領民の命を人質に、その魔族は俺に服従を迫った。首を横に振る事は出来なかった。屋敷の使用人も、屋敷を訪れた竜太郎も、奴は俺に見せつけるように呪って見せたのだから。俺が抵抗すれば、この街の人間は残らず死んでしまうのかもしれない。

 

「契約だ。俺様に不利になる情報を漏らせば、貴様も含めて呪いが全てを平らげよう。だが、貴様が従順である限り、俺様はこの街の人間を誰も殺しはしない。どうだ、俺様の温情に伏して礼を言うがいい!」

 

 屈辱だった。だが、感情だけで状況を打破出来る訳も無く。無様に頭を垂れる俺を見下ろし、魔族は愉しげに嗤った。

 

「魔法には目醒めたか?」

 

 魔族は夜毎、そう問うてきた。俺が魔法に目醒めていないと誤認している上、確認された魔法の発動条件も異なっている。最初こそ動揺したが、即座に父上が嘘を教え込んだのだと理解し、動揺を押し殺して話を合わせた。

 俺が首を横に振る度、魔族は不機嫌に鼻を鳴らす。月日が経つにつれ魔族の苛立ちは深まっていった。

 

「あのガキは帰ったか?」

 

 どうやら魔族は人目に付く事を避けている。屋敷の使用人を即座に解雇したのも、領主代行を執事に任せて屋敷に籠っているのも正体の露見を恐れての様だった。

 これ幸いと、俺は竜太郎(りんたろう)が門前に通っているのを、『養育施設に多額の寄付をする男爵様が病床に伏せていると聞き付け、祈りを捧げている為』なのだと魔族に吹き込んだ。疑う事もせず魔族はそれを信じ、竜太郎が居る間は窓にすら近寄らなくなった。

 楽観は出来ないが、これで魔法について発覚する可能性は低くなっただろう。俺が届将の魔法に目醒めている事を知っているのは、竜太郎と父上だけだ。父上は魔呪によって、ずっと眠りに就いたままである為、一番の不確定要素は竜太郎だった。俺の行動が監視されている以上、俺の魔法について誰にも話すなと伝える事も出来ないからだ。

 それに、そんな事を言おうものならば、竜太郎は原因を探ろうとするだろう。竜太郎の命は既に奴の手中にある。伝える隙があろうとも、伝えられる筈が無かった。

 

「クッ……狂帝《さき》の時代までであれば、これ程慎重になる必要は無かったのだがな!」

 

 ある日、魔族が新聞を破り捨てていた。最近の魔族は、協力者を使って情報操作を試みていた。だが、すぐに情報の流れに紛れ込んだ違和は察知され、奴が協力者と呼んでいた魔族崇拝者が御用となったらしい。末端であるその男は大した情報を渡されておらず、残念ながらこの魔族の元まで捜査の手が及ぶ事はなかった。

 

「まっこと忌々しき異鏡の小娘(たいよう)よ……! その身一つで何も為せぬ愚者なぞ、我らに都合良く踊って居れば良いものを……身分不相応に夢なぞ見おって……身の程を弁えよッ!」

 

 魔族は皇帝陛下に大層恨みを募らせている様だった。破られ床に落ちる新聞の紙片を、奴は執拗に踏み付けていた。眉間に皺を寄らせないよう必死に耐えながら、俺は魔族から目を背けた。

 

 幼い頃、俺は一度だけ陛下にお会いした事があった。彼女は即位後、数年を掛けて帝国中の貴族の屋敷へと御身自ら巡幸されていたからだ。

 

「こんにちはー、朕が会いにきたよっ。それっ、いい感じのドラゴンだね、とってもいいよ、すっごくねっ。白と青でらいっ、一迅(いっしゅん)みたいっ! あっ、一迅っていうのはね、この背のすごく高いお姉さんのことだよっ。まぁ、お姉さんっていってもね? わた、こほん……朕のほうが、ふたつもお姉さんなんだけどねっ。あれっ、きみたち一迅と知り合いなの?」

 

 お会いした陛下は噂に聞こえる通りの無邪気なお方で、とてもではないが実父である先帝を牢獄へと叩き込んで帝冠を取り上げた御仁であるとは信じ難かった。

 けれども、その首に着けた帝冠も、身に纏うドレスも、傅く雷光の騎士も本物だった。彼女こそが、この陽照(ひでらし)を束ね上げる皇帝陛下そのお方であるのだ。

 

「私は、陽照を平和な国にしたいんだ。だから……朕に、きみたちの力を貸してほしい」

 

 彼女はただ一度、それまでとは違う静かな声で父上と俺に仰った。その時の、どこか翳りのある瞳が妙に記憶に残っている。そして、そんな陛下を見る一迅様のお顔も。

 お力になりたいと思った。より一層、強くなろうという決意が漲った。この街を任せると仰ってくれた彼女の信頼に応えたいと思ったのだ。陛下を見送った父上と俺は、二人で頷き合った。

 

 陛下の写る新聞の紙片を踏み付ける魔族に、腑が煮え繰り返りそうだった。握り締めた拳で、今すぐにでも殴り掛かってやりたかった。

 だが、それを耐えた甲斐はあった。協力者を失った魔族は、魔法以外にも俺に利用価値を見出したのだ。チャンスだと思った。奴の企みが分かれば、契約の穴をついてそれを阻止出来るかもしれない。

 けれどもこの魔族は臆病なまでに慎重で、その時得られた情報は俺の年齢を重要視している事のみだった。

 

「お願いします……! 父上だけはどうか……どうかお助けください……!」

 

 そう媚び諂うのは何度目になるだろう。屈辱に身を焦がされながら、それを内心に押し込めて無様を演じ続けた。

 届将(かいはた)家の当主代理として、俺がパーティーに出席せざるを得ない事があった。その時、随分と魔族が渋ったのだ。

 魔族は、パーティーの開催場所が街から離れている事のみを甚く気にしていた。出席予定者の中に、帝国随一の呪い祓いの名手たる氷室家のご当主の名が有ったにも拘らずだ。実際、臆病な奴の魔呪隠匿技術は、容易く彼女の呪力感知を掻い潜ってしまい、俺は深く絶望するに終わったのだが。

 だが、冷静になると疑念が強まってくる。何故、魔族はそれ程までに距離を気にしていたのか、と。重要度を少しばかり偽りながら、俺は幾度も街から遠く離れた場所に招かれたと招待状を見せた。その度に奴は酷く渋り、そして八度目にしてようやく口を滑らせたのだ。魔呪には限りがあるのだと。

 俺は気取られないように、奴が魔呪について口にするよう仕向けた。そうして奴の魔呪の欠点を探っていった。誰も彼もを呪える訳でなく、瞬時に命を奪う程に強い呪いを掛けられるのは、多くて数人であるのだと。加えて、距離が離れる程にその人数は減っていくのだという。

 魔族は、俺と父上の二人に掛けた呪いを最重要視していた。故に、俺が街から離れれば離れる程に、奴の魔呪は俺たち以外から剥がれていく。

 以降、俺は少しずつ父上への依存を深めていった。これまで通りに毎日父上の顔を見に行き、その手を握り、時折涙を流した。奴の機嫌を損ねぬ程度に取り乱し、呪いを解けとみっともなく仇敵の足元へ這いつくばって見せたりもした。その度に魔族は愉しげに鼻を鳴らした。

 

「なぁ、小僧よ。俺様の計画に協力すれば、父親と話をさせてやろうではないか。無論、嘘ではない。これは契約である。分かるな? 少しでも反抗した態度を取ってみろ、貴様の父親は二度と目覚める事はない」

 

 そうして幾らかの月日が過ぎた頃。俺にとっての父上の重要度を理解した魔族は、そんな話を持ち掛けてきた。

 数秒程悩んだ後に、俺は頷く事にした。断ろうとも、どうせ魔呪を振り翳されるだけだ。魔族が好むように調整しながら承諾すると、奴は機嫌良さげに喉を鳴らした。

 そして告げられた計画に、眩暈を覚える程血の気が引いた。魔族が企んでいた計画、それは数日後に迫った魔道学園合同試験の――受験生大量殺戮計画であったのだ。

 

 

 

 

 

「うむ、誰も居らぬな。貴様の話通りだ」

「はい。海に面するこの辺りは警備が手薄で、試験が開始する九時までは誰もやっては来ません。カタプテ様のお姿を見られる心配は無いかと」

 

 砂浜で合流した魔族を手引きし、生い茂る草木を掻き分けて近場の少し開けた地へと共に歩く。

 

「随分と荒れているな」

 

 薙ぎ倒された周囲の木々を見て、魔族が言った。俺はそれに神妙な顔をして頷いた。

 

「人手が足りて居ないのでしょうね、戦闘痕がそのままになっている場所も多い様です。ですが……」

「ああ、好都合だ。手を加えようとも、これでは解らぬ」

 

 興奮が抑えきれない様子の魔族に、心臓が暴れる。静かに息を吐いて、腕時計を確認した。

 後数分もしない内に、シサラに手紙が届く。大丈夫だ、竜太郎(りんたろう)はシサラと共に居る。竜太郎が、受験票探しを手伝わない筈が無いのだから。俺が下手を打ちさえしなければ、危険が及ぶ事は無い。

 昨日、路地裏でこの魔族と会っている所を目撃された時は、本当に肝を冷やした。あれを魔族に気取られていれば、終わっていた。

 

「ああ、ようやくだ……ようやく結実の時が来た……!」

 

 この魔族は、功を焦っている。計画が露見した際に何を仕出かすか分かった物ではなかった。

 こいつの魔呪だけならば、まだ被害は抑えられるだろう。だが、奴の手には闇を閉じ込めた小瓶があった。今回の計画の肝とも言える、最悪の魔呪が。

 破れかぶれに小瓶の中の呪いを振り撒かれようものなら、甚大な被害を齎す。帝国でも有数の魔道士である学園長たちですら、命を落とす事態に成りかねなかった。

 

「レドゥガル様から授かりしこの魔呪があれば、如何な魔道士であろうと息の根を止められよう。人間である限り、この呪いから逃れる事は出来ぬのだ!」

 

かの“呪殺卿”、レドゥガルの呪いを解呪出来た事例は未だ存在しない。故にこそ、俺はこうして奴に付き従って見せるしか無かった。

 

「カタプテ様、例の物は此方に運んでおります」

「うむ、では手早く仕上げをせねばな。全く、貴様が魔族であればこの俺様自ら出向かずとも……」

「申し訳御座いません」

 

 周辺の茂みに隠していた十三個の爆弾を取り出しながら、心にも無い謝罪を口にする。魔族は俺から奪う様に爆弾を受け取り、爆弾に内蔵されたボトルへと魔呪を注ぎ始めた。

 魔呪は、直接人間を呪う以外にも物体に付与する事が出来る。一度役割を果たしてしまえば効力を急速に失うデメリットはあれど、魔呪を付与した物体で殺傷する事により遠隔で人間を呪えると云うのは、魔族にとって大きなメリットである。

 “呪殺卿”の魔呪が付与された爆弾など、仮に爆弾の破片一つでも掠めて傷を負おうものならば死は免れない。並外れた……魔道士でも上澄み中の上澄みクラスの魔呪耐性でも無い限りは即死だ。標的である、未だ魔道士見習い候補でしかない数多の受験生が耐えられる筈もなかった。このまま計画が成就すれば、大勢の犠牲者が出る事は必至だ。

 そうして、魔族の計画を未然に防ぐ事の出来ずに多くの犠牲者を出した魔道学園、引いては魔道士育成法を発令した皇帝陛下への信頼を失墜させ、未来の魔道士の誕生を抑制する……それこそが、この受験生大量殺戮計画の目的だった。

 

「これでレドゥガル様もお認めになられるだろう! ようやく正当な評価をされる時が来たのだ!」

 

 臙脂色のスーツを着た魔族は、父上の皮を被っているというのに醜悪で仕方が無かった。一年もの間この魔族の側に居たが、魔族が世界の敵と呼ばれる所以を今この時程痛感した事は無い。

 魔族から魔呪で汚染し終えた爆弾から順に受け取り、森の中へと設置しながら起爆トラップを作動させていった。爆弾を一往復につき一つ受け取り、呑気に配置していく時間が切実に惜しい。全部汚染してから纏めて寄越せと詰め寄ってやりたかったが、そんな事が出来る筈も無い。歯噛みしながら、俺は数分を掛けて十三往復を終えた。

 

「クハハハハッ! 魔道士の卵を殺れば、次は三騎士だ! 自らを護る騎士を失った無能の皇帝は、震えて泣き声を上げる事しか出来ぬだろうよ。夢見がちな思想に、どれ程辛酸を舐めさせられた事かッ。二度と無邪気に笑む事なぞ許さぬっ、永遠の牢獄でその無様を嘲笑ってやるのだ! そして思い知らせてやろう、この国に平和など訪れる事は無いのだとなぁ! 奴が持つ唯一たる、人望を失わせてやる」

 

 爆弾の設置を終えて空き地へと戻ると、魔族が低俗な高笑いを上げていた。その足元には、空っぽの小瓶が転がっている。口元が歪みそうになるのを、ストラップを握り締める事でどうにか耐える。戻った俺の姿を認め、父上と同じ形をした魔族は愉しげに嗤った。

 

「うむ、ご苦労であったな」

「いえ」

 

 どうにか恭しい顔を作って首を振る。後ろ手に組んで、腕時計を触った。微かな振動が、刻一刻と試験開始までの時間を刻んでいる。息が乱れそうになるのを堪えるのに必死だった。

 

「貴様の働きは、実に見事であった。その忠誠に報い、貴様の父親を目覚めさせてやろうではないか。帰還を待ち望め、俺様は契約を守る魔族なのだ!」

「有難きっ……心よりっお礼を申し上げますっ! カタプテ・ガブジャック様っ!」

 

 やっと、やっとだ。遂にこの時が来た。俺は興奮のままに声を弾ませ、初めてこの魔族の前で心からの笑みを浮かべた。

 それから、燥ぐ魔族と幾つかの言葉を交わした後、俺は遠慮がちに口を開いた。

 

「カタプテ様……刻限が迫っております」

「うむ、では俺様は先に退却しよう。人間共に見つかっては……ン?」

 

 ところで、届将(かいはた)家が受け継ぐ魔法の発動条件は五つである。

 一つ、魔法の発動には三十秒の時間を要する事。二つ、発動前に合計三分間直接相手を視認している事。三つ、五日以内に対象と右手同士で触れ合っている事。四つ、飛ばせる物は十分以内に直接触れた非生物である事。そして、五つ目が――魔法の発動時に対象の姓名を口にする事だった。

 

「……おい、どういう事だ。もう九時に成るというのに、微塵も人間の気配がせぬではないか。まさかっ、時刻が変わりおったのか……!?」

「いいえ、開始時間の変更の通知はありませんでした。試験開始は九時のままです」

「む、そうなのか? では、何の気配もせぬのは何故だ」

 

 その問いに、すぐには答えなかった。腰に差していた剣を鞘ごと引き抜き、近場の木へと立て掛ける。そして、腕時計の秒針が真上を指すのを待ってから、俺はようやく口を開いた。

 

「簡単な話です。此処は、今日の試験会場ではない。それだけの事ですよ、カタプテ様」

 

 そう言い捨てると、俺は木々を縫うように全速力で走り出した。僅かでも遠く、この魔族から距離を取らなければならない。そして同時に、一帯に仕掛けていた防音結界も発動した。音で異変を察知され、駆け付けられては折角の苦労が台無しだ。察知まで数分、遅延させる必要があった。

 

「は……? 貴様は何を――グハァっっ!?」

 

 本当に長かった。こうして反逆の狼煙を上げるまで、一年も掛かってしまったのだから。爆風に背を押されて吹き飛ばされながら、俺は小さく唇を動かした。

 

「――ごめんなさい、父上」

 

 声が届かないとわかっていても、謝らずにはいられなかった。

 俺は、強くなる事なんて出来ませんでした。不出来な息子でごめんなさい。

 これまで幾度となく胸中で紡いだ言葉を、最後にようやく口に出来た。けれども、こう遠くては……結局届きはしない。

 

「きさっ……貴様ァ! 何をした!? 自分が何をしたのか、理解しているのかぁっ!? 俺様の完璧な計画を……ッッ!」

 

 響いた怒鳴り声に、上体を起こしながら振り返ると、臙脂色の腕が身体を覆う煙を薙いでいた。怒りの形相で此方を睨め付ける魔族は、服を焦がし、皮膚が焼き爛れて所々に赤が覗いていた。けれどもその二本の足は、しっかりと地面を踏み締めている。

 

「カタプテ……ガブジャック……!」

 

 やはり魔族に、魔呪の効果は見込めないか。人間であれば、“呪殺卿(レドゥガル)”の魔呪に汚染された爆弾の欠片を掠めただけで致命傷であろうに。

 

「無論ッ……理解、しているとも……ッ! その上で、俺も……父上もっ、務めを果たすまでッ! 俺たちは、皇帝陛下より護国の任を賜ったのだ……雷光の騎士(かのじょ)の仕える、かの皇帝から……ッ!」

「……ああ、そうか! そうか、貴様! 裏切ったのだな、手駒の分際でこの俺様を裏切りおったのだなァ!? その滑稽な覚悟の代価、今すぐ支払わせてやるッッ!!」

 

 禍々しい闇が奴の手を取り巻くと、胸に鋭い胸痛が走った。俺に仕込まれていた魔呪が、俺の命を喰らおうと牙を食い込ませている。今頃、屋敷の地下室で眠る父上にも同様の事が起こっているだろう。

 奴の魔呪には限りがあり、この島は街の屋敷から遠く離れている。故に俺と父上以外から、奴は魔呪を引き払った。父上だけで、俺の人質として事足りると信じたのだ。だから、この苦しみを味わうのは俺と父上だけだ。他の者の命が脅かされる事は無い。

 

「っ、はぁ……っ!」

 

 痛みに息が漏れる。だが、耐えられない程じゃない。魔呪の発動直後に、即死するか否かの賭けには勝てた様だ。俺は膝に手を当て立ち上がり、震える足に力を込めて地面を蹴り上げた。早く、離れなければ。

 

「何故まだ動ける!? 俺様は間違いなく……くっ、上手く魔力が練れん……! 何故だ……!?」

 

 後方から狼狽が聞こえる。俺が即死を免れたのは、奴にとって想定外であったらしい。

 魔族相手に魔呪の効果は無いと思っていたが……流石は、あの“呪殺卿”の魔呪だ。同族である魔族にすら影響を齎すのか。実に好都合だ。

 

「待て、何処へい――グボぁッっ!? ……ッ、はぁッ……クッ、まただ! 一体、っ何処から攻撃を……まさか、“伝達”の魔法か……ッ!?」

 

 後方から再び、爆発音が響いた。今度は、奴の足に着弾した筈だ。降り注ぐ枝葉から頭を庇いながら、前へと急ぐ。

 

「はぁっ……はァ……はっ……ッ!」

 

 熱風で焼けた背中が痛みを訴える。蝕む魔呪が足を鈍らせる。だが、立ち止まる訳にはいかない、まだ殺されてやる訳にはいかないのだ。

 先程爆弾を纏めて触れなかった所為で、魔法を十三回に分割して発動せざるを得なかった。その為に、一回の発動毎に三十秒のタイムラグが発生してしまっている。

 故に、後数分を生き延びなければならない。俺が死ねば、魔法が発動出来ない。爆弾は、後十一個も残っているのだ。魔法を完遂しろ、爆弾の魔呪を全て使い切れ。駆け付けてくる魔道士たちが誰も犠牲とならないように。俺に出来る最善を尽くすんだ。

 

「カタ、プテ……ガブジャック……!」

 

 三回目の魔法発動の為に奴の名を唱えながら、全てが終わるまでどうか誰も来ないでくれと祈った。

 

 

 

「――ようやくっ……ようやく追いつめたぞ!」

 

 ひたすら走り続けて、気づけば砂浜に出ていた。足を取ろうとする砂が酷く重い。前方には少し波の荒い海、後方には魔族が迫っていた。

 

「……っ、ぁ……は……!」

 

 ぼたぼたと鼻から血が垂れ、呼吸さえままならない。連続爆撃の影響か、魔族の足が想定よりも遅いお陰でこれまで持ち堪えてこられたが、もう逃げ場は何処にも無い。だが、絶望的な状況では断じて無かった。

 

「はぁ、はっ……がッ……!?」

 

 右足首に衝撃が走った。つんのめって砂へと倒れ込む。すぐに身体を起こしたが、右足に上手く力が入らない。また斬撃でも飛ばされたのか、深く裂傷していた。

 もうこの程度では痛みを感じなくなっていたのが救いだった。無理矢理に足を前へと踏み出し、魔族から距離を取る。右足から流れ落ちる血で、砂が黒く固まった。

 次の魔法の発動まで、後十五秒。それまでは何としてでも、耐え凌がなければ。

 

「まだ逃げるか……滑稽よな。良い加減っ、魔法を解けッ!」

「ッ!?」

 

 真横で蛮声がした。反射的にそちらを向こうとして、脇腹に煤けた臙脂色の足が突き刺さった。

 

「ゴッ――!? ごほっ……げほ……っ!」

 

 大きな水音を立てて背中から落ちた。吸い込んだ海水が気道に入り込み、塩辛い咳が何度も出た。

 

「魔法を解けッッ!!」

「がはっ――」

 

 焦げた革靴の爪先が心窩に減り込み、再び、身体が宙を跳ねる。体勢を整える事すら出来ずに、着地点にあった岩に背中から衝突した。衝撃に肺から空気が押し出される。喉から笛の音に似た音が漏れた。

 無駄な事だ。いくら俺を攻撃した所で、一度発動した魔法は止まらない。寧ろ、蹴り飛ばされて奴との間に距離が生まれた事は、今の俺にとっては幸運でしかなかった。

 

「魔法を――ガァぁあッッ!?」

 

 力を振り絞って岩陰へと転げ落ちた直後、爆発音が轟く。身を隠す岩に、爆風で吹き払われた破片が降り注いだ。衝撃で生み出された波に流されない様、岩の窪みを痙攣する手で力一杯握った。

 これで、十二回目の爆発。残る爆弾は、後一つ。後一回だけ、魔法を発動すればいい。それで――終いだ。

 

「かた、ふ……ッごほ……っ」

 

 鉄臭さが込み上げ、口から血が溢れた。無理な魔法の連続発動の所為で魔核が軋む。ぱきりと何かが罅割れるような幻聴さえ聞こえた。

 あまりの激痛に視界が点滅し、生命の危機に身体が勝手に魔法を取り止めようとする。それに、勝手な事をするな、と腹を押さえ付けた。まだ魔核は壊れちゃいない。魔法の発動には、何の問題も無いだろ。

 

「……――カタプテ・ガブジャック」

 

 防衛反応を気合いで押し切って、俺は強引に最後の魔法を発動した。

 

「……ははっ」

 

 身体から力が抜ける。水飛沫を上げながら、浅瀬に背中から倒れ込んだ。海水が傷に染みるが、そんな痛み以上の悦びが胸を締めた。

 たった十分にも満たない奮闘だったというのに、人生に於いてこれ程の達成感を味わった事は無かった。一度発動した魔法は、俺の手から離れる。異空間に放たれた爆弾が再び現出するのは、わずか三十秒後だ。

 この砂浜には、俺と奴の姿しか無い。最悪の魔呪を振り撒く十三個の爆弾に、無辜の命が奪われる事はもう無いのだ。

 

「届将研想ぅうううッッ!!」

 

 激昂した奴が此方へ向かって来る。生存本能で身体が勝手に逃げようとしたが、立ち上がれる力はもう残っていなかった。

 胸ぐらを掴み上げられ、岩へと押し付けられる。焦げ臭さが鼻を突けば、焦爛した顔が射殺さんばかりに俺を見下ろしていた。

 

「よくもよくもよくも!! これで何度目だ、今すぐ魔法を解除しろ! 俺様の計画が……俺様の成果がッッ!」

「でき、ないな」

「何だと!? 貴様、何と言ったァ!」

 

 顔を掴まれ、岩へと打たれる。白んだ光が弾け、景色が歪曲する。身体を置いて、意識だけが浮遊する錯覚に落ちた。

 

「――ガッ!? ごほっ、げほっ……!」

「呑気に寝る気か!? 何処までも侮りおって……!」

 

 殴られて強制的に覚醒させられると、乱雑に胸倉を掴み上げられていた。足が水面に揺られる。

 

「チッ……残りの爆弾が一つな以上、計画は破棄するしかあるまいか。おい、魔法の標的を俺様から、学園長共に変えろ! この際一人でもいい、奴らの内の誰かを殺せたならば大手柄だ。問題は無い……俺様はまだ、失敗などしておらぬのだから……!」

 

 俺を見上げる魔族の眼には、怒りに混じって焦りが滲んでいた。此奴はレドゥガルに認められる事に大層執着している。計画の失敗によって、レドゥガルに失望される事を恐れているのだろう。

 だが、今更何を言われようと無駄だ。魔法は一度発動すれば解除する事も、届ける対象を変える事も出来ない。俺にはそんな技量は無いからだ。もし魔族に邪魔される事が無く、この一年を鍛錬に費やせていれば話は違ったかもしれないが。

 とはいえ、そんな事を教えてやる通りは無い。今から到底間に合うとも思わないが、この魔族が自暴自棄になって本当の試験会場にでも突撃されては敵わない。だから、その怒りに油を注いでやる事にした。

 

「ど、した……そんなに、こえを、ふるわせて……飼い主に、失望されるのが……怖いのか……?」

「貴様ッ! 今、この俺様が『飼われている』と言ったか!? 人間如きが、侮辱するのも大概にせよっ!」

「ッぁあ……っ!? ……は、なせ……ッ!」

 

 喉に爪が食い込み、締め上げられる。魔族の腕に力の入らない手を掛けながら、霞んだ視界で腕時計を盗み見た。

 この至近距離では、爆弾の魔呪の破片は俺に直撃するだろう。でも、もうそれを回避する必要は無い。運良く回避出来たとして、俺は既にこの魔族に呪われている。遅いか早いかの違いでしか無いのだから。

 残り数秒で、この魔族の目論見は完全に破綻する。呪殺卿の魔呪を失ったこの魔族など、この島に居る魔道士たちの敵では無い。俺は、犠牲を最小にまで押し留める事に成功したのだ。

 

「貴様……何を笑っているッ!?」

 

 ああ、良かった。竜太郎、せめて君だけでも生き延びてくれて良かった。

 だからどうか……君は、誰かを救えるヒーローになってくれ。君だけは、誓いを果たしてくれ。

 

「さあ……なぜ、だろうな……?」

 

 時計の秒針が時を刻む。最後の意地で不敵に笑みながら、無声のカウントダウンをする。

 一を数えたタイミングで爆弾が異空間より現れ、魔力を感知した爆弾が暴威を振るう――直前。

 

「――ケンちゃんっ!」

 

――大きな波が俺を呑み込んだ。

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