いつかこの手に雷光を   作:直崎ゆきふり

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3 その光は眩くて

 どこだ……どこにいる……!

 その場に留まり、海に落ちたはずの彼を目を皿にして探すがその姿を見つけることができない。

 泳ぎやすいようにと、パーカーを脱ぎ捨てる。途端に法則性が欠片もないような軌道でパーカーは激流に流されていった。数秒もしないうちに見失う、再び袖を通すことは不可能だろう。

 あの黒髪の少年も、このめちゃくちゃな潮に遠くへ流されていってしまったのか……!?

 

 死した人間が(よみがえ)る、星脈還(せいみゃくがえ)しの条件は不安定だ。

 生命の根源であり星の遺志や管理者とも呼ばれる世界樹、星樹(せいじゅ)としては厳格に定めているのかもしれないが、おれの受けた講習では“明確な基準はない”として扱われていた。甦らないと思われた者が甦ることもあれば、その逆が起きることもあったからだ。

 だから緊急時以外の星脈還し、並びに法に則らない殺人は身柄を拘束され裁判にかけられる……というのは今は余談か。

 今この状況で重要なのは、不安定な挙動で有名な星脈還しは、人が人を殺した場合以外にも起こり得るということ。

 

 ざっくり言うなれば、ミステリー小説だ。

 ……これだと何が何やらって感じだな。どうやらおれは自覚しているよりずっと焦っているらしい。人ひとりの命がかかっているのだから、当然といえば当然なのだが。

 けれど、焦りすぎては彼の姿を見落としてしまいかねない。

 気持ちを落ち着けるためにも思考を整理しよう。もちろん、周囲の捜索をしながらだ。

 

 人が人を殺す方法として、代表的なものを挙げる。刺殺・撲殺・絞殺・斬殺、そのあたりがパッと思いつく。

 刺殺での例だ。たとえば人を刺し殺すとして、直接その手で相手を刺さなければ殺人とは認定されず無罪放免となるだろうか。ならない。

 ナイフを投げて通りかかった相手の脳天に突き刺ささればそれは殺人であるし、柄を固定したナイフの切先に突き飛ばして、相手がショック死でもすればそれもまた殺人だ。

 さらにいえばナイフの上に転んで心臓を貫かれても殺人、だって事故といえども人が殺されたから。この場合、犯人は自分自身になるのか。裁判は開かれない。おそらく。

 殺人とは刺殺だけを例にとっても、こんなにも多様なのだ。そこに故意や未必が存在するか、それが他者か自身によって齎された結果であるのか。そんなのは些細なことだ、地核で生い茂る星樹にとっては。いちいち細かな判別などしていられない。葉が落ちたか落ちまいか、迷うならば落ちなかったことにしてしまえばいい。

 つまり星脈還しの判定は、人間側の視点から見るとそれなりにガバガバであるといえた。

 

 彼はおれのように海で呼吸できない。

 また大烏賊或蛸(クラーケン)がすぐ近くにいる海面に浮上して、息継ぎをすることは叶わない。見つかれば捕食されるからだ。

 頭上の巨大軟体生物が、船があるであろう辺り以外にその触腕を伸ばした兆候はなかった。だから大烏賊或蛸(クラーケン)は、海に落ちた彼の存在を知覚していないと考えていい。

 やはり潮流で流されたと見るべきだ。

 

 おそらく溺死であれば、星脈還しは起こり得る。確実とはいえないが、可能性は高い。

 酒に酔って池に落ちた人間が星脈で甦った事例をおれは知っている。

 だからおれが彼を探し出すことができなかったとしても、彼が生還する術は一応は残されている。

 だが、それでも楽観視する気にはなれなかった。

 

 ここは魔物の跋扈する、列島遠海。

 溺れ死ぬ前に魔物に殺されてしまったり、溺死後に身体が魔力の粒子となる前に魔物に喰べられてしまえば、星樹の力では甦らせることができない。

 訪れるのは本当の死だ。そこで人生が終わる。終わってしまう。

 

「――な、なんだ?」

 

 突然、轟音が響いた。

 おれを避けながら、海が衝撃を伝播させていく。

 

 頭上を見上げれば、水泡が立ち込め見通すことができなかった。

 大烏賊或蛸(クラーケン)がまた墨吐き(ブレス)を……いや、違う!

 

「魔道士が来てくれたんだ……!」

 

 長い、長い五分だった。

 

 これで船はもう大丈夫。

 あとは、おれが彼を見つけるだけ。

 

「……焦っちゃだめだ。あれから五分ってことは、彼が落ちてからまだ時間は経っていない。大丈夫、魔物に見つかる前に……おれが、彼を見つけ出すんだ」

 

 考える。考える。

 そしてひとつの思考を拾い上げた。

 

 大烏賊或蛸(クラーケン)には潮を操る力がある。だから、こんなにも潮流が乱れている。

 ……だけど。

 無軌道だと思えた激流は、本当は違うんじゃないか。

 

 頭上で留まり、魔道士を迎撃する大烏賊或蛸(クラーケン)を見やる。

 

「一、二、三、四、五……」

 

 両手を広げ、海を感じた。

 その間、潮流に変化はなかった。

 

 ……当たりだ。

 あの大烏賊或蛸(クラーケン)は、いちいちどんなふうに潮の流れを操るのか考えちゃいない。

 潮の流れは常に決まっている。大烏賊或蛸(クラーケン)の周りを常に決まった潮が、決まった通りに流れている。

 不規則だと思えたのは、これまで大烏賊或蛸(クラーケン)が海を泳ぎ、わずかながら移動し続けていたからだ。付随して潮も動いていた。

 

 思い出せ。

 おれは彼が落ちた地点の程近くに飛び込んだはずだ。

 その時に大烏賊或蛸(クラーケン)は、動いていなかった。

 つまり、そうだ。あの時の潮の流れ……さっき脱いだパーカーはどこへ流れていった!?

 

 おれは記憶を頼りに、パーカーの描いた流線を辿った。

 

 

「……この後は……ッそうだ、岩山の陰に呑まれて見えなくなったんだ」

 

 望みを懸けて岩山を隈なく探すが、彼どころかパーカーひとつさえ探知できない。

 下唇を噛み締め岩山を抜けると、潮の流れが幾分か緩やかになった。

 

 ……もし彼がすでに溺れ死んでいて星脈に還ったのだとしたら、この探索に終わりはない。

 星脈還しは、身につけている衣服ごと星脈へと還るのだ。一部の例外はあるが、それは星片と呼ばれる星の力を閉じ込めた特殊な魔道具だけ。彼がそれを持っている可能性は低いし、持っていたとしてもおれはそれを認知していない。彼の手がかりにはなり得ない。

 

「それでも諦めない。おれは彼に言ったんだ……おれが行くって」

 

 彼が今も生きている可能性があるのなら、おれが彼を迎えに行く。必ずだ。

 彼への宣言を反故にするなんて、おれにはできない。見捨てられる寂しさを彼に味わってほしくない。

 

 ……一迅(いっしゅん)さんなら、こんな時あっという間に見つけちゃうんだろうな。

 あの時もそうだった。ヒャクジョウザメの胃袋の中にいたはずなのに、気づいたら一人陽照の地に立っていたあの日……大氾濫の起きた日。

 

 わけもわからず魔物に囲まれて。悲しくて苦しくて、寂しくて、涙すら枯れ果てそうだったあの日。

 か細い嗚咽を聞きつけて空から舞い降りた、騎士となる前の彼女。

 

 

『――なあ……生きて、くれないか』

 

 おれを映す、碧落の瞳を思い出す。

 

『――近くの街まで送り届けてやるから心配すんなって。雷ってのはあれだ、強いんだぞ。ほら、手を伸ばせ』

 

 その人は、本の挿絵から飛び出てきたような耀く笑顔で、うずくまるおれに手を差し伸べた。

 背中から生えた翼を広げ雷光を纏い、おれを片腕に抱いたまま飛翔する彼女は、おとぎ話の勇者さまだった。

 

 おれも、こんなふうになれたらな。

 どんな絶望だって照らしてしまう、勇者のように。

 他なんて目に入らないほどに眩い雷光を纏いたい。

 生まれて初めて、手を伸ばしたいと思う憧れができた。夢ができた。

 

『――今日、西(ここ)で……誰も死ななければいいのにな』

 

 彼女の腕の中で髪を揺らし、微睡む耳に届いた呟き。

 意識を手放す寸前に見上げた金碧輝煌(きんぺききこう)の龍人は、物悲しげに眉を寄せていた。

 

 

 ――ああ、そうだ、だれも死ななければいい。

 

 でも、どうしよう。

 どうやって、彼を見つければいいんだ。手がかりは何もないというのに。

 

 ……音。

 そうだ、音。

 一迅さんが啜り泣くおれに気づいてくれたように、彼も何かを発しているかもしれない。

 水面で溺れる時と違って、派手な音はしていないだろう。けれども、ほんのかすかであろうとも、生きた人間が水中にいるのなら音が発生するはずだ。

 

 聞き分けろ、海の音を。

 おれなら、おれにだけは……できるはずだ。

 何年この世界で暮らそうとも、結局おれは海の世界からやって来た宿賦(すくふ)なのだから。

 

「おーい! どこにいるんだー!?」

 

 大声を出すのは不安ではあったが、悩んでいる時間はもう残されていなかった。

 幸い大烏賊或蛸(クラーケン)からはすでに距離が離れているし、そもそもあいつは魔道士のお相手を務めるので今は手一杯なはずだ。

 他の魔物については……大烏賊或蛸(クラーケン)を恐れて、この近辺にいないことを祈るしかない。不思議なくらい魚の類も見かけないし、魔物だってきっと避難しているはずだ。

 そうであってくれ。そうであれば、彼だってきっとまだ喰べられていないから。

 

「……」

 

 腕を抱え、目を瞑り、感覚を研ぎ澄ませる。

 おれの呼びかけに反応するものを探せ。

 

 こうして意識を向けてみれば、海はたくさんの音で溢れていた。

 それらをひとつひとつ選別していく。

 彼の発する音を探すのだ。

 

〈……か……れか……〉

 

 ――声だ!

 確かに今聞こえた……!

 どこだ、どこから聞こえてきた。

 

「あっちだ……あっちから聞こえた。間違いない……あれ?」

 

 遠くで何か、うっすらと光ってる? 声のした方角だ。

 もしかして彼は携帯端末を……いや、受験生の中であんな高価なものを持っていそうなのは、あの仕立ての良い服を着た少年くらいだろう。

 だとすると携行魔灯(ライト)の光かもしれない。

 あくまで可能性に過ぎないが、他に手がかりもない。光源を確かめる以外の選択肢はなかった。

 

 

 思ったより遠い。

 おれは走るよりも、うんと速く泳げるはずなのだが一向にあの光に辿り着けない。

 数十秒も泳いだのに、最初に見た時から光の大きさがさほど変わっていない。

 果たして、あんなにも遠くへ流されるものだろうか。

 

「……こっちじゃなかったのかッ」

 

 判断を間違えた。

 慌てて引き返そうとした――その時。

 ごぽりと水泡が小さく海を揺らす音がした。

 

 見つけた! 生きてる!

 

「待たせたね! 今そっちに行く!」

 

 驚くべきことに、海底に沈む少年はまだ意識を保っていた。海に落ちる前からひどく消耗していたのに、なんて精神力だろう。

 彼はぐったりと脱力した体で、力なく片手だけを水に浮かばせていた。違う、あれは浮かんでるんじゃない。

 おれに、手を伸ばしているんだ。

 彼は、おれを信じて待っていてくれていた。

 

「すぐに上に運ぶ。ごめんね、もう少しだけ頑張ってほしい」

 

 薄目を開けた少年が小さく頷き、短い黒髪が水に揺蕩う。

 絡む海藻を手早くナイフで切ってから、仰向けに伏せる少年の頭部を持ち上げ、おれの体を滑り込ませる。

 彼の体に背後から手を回すと、海底を蹴った。海水が砂で白く濁り、彼とおれの体が浮上していく。

 

 海、おれの味方。

 どうか彼も護ってほしい。お願いだ。

 海底から急浮上する負荷から、体温を奪う水の冷たさから、命を奪おうとするすべてから。

 どうか、彼を遠ざけてほしい。

 

 強く願えば、頭上の角が熱を持ち始めた。

 星樹に魔法と認定された天賦が、魔力によって強化されていく。

 おれは彼を魔法で包みながら海面へと急いだ。

 

 

 海面へと顔を出してしばらく。

 

「……ぃが、と……き、ぇ……く、て……」

「大丈夫だよ、君の気持ちはすごく伝わっているから。無理に話さなくていい、今は息を整えることに専念して」

 

 彼が不安にならないようにと、しっかりと後ろから支えながら顔色を窺う。

 最初よりもいくらか血色が戻ってきているように思うが、おれに医療の知識はない。一刻も早くお医者さんに診てもらうべきだ。

 

 数キロメートル先に島が見える。記憶の中の船の進路と一致するから、おそらくは試験会場の島だろう。

 心情としては陸地を目指したいところだが、この距離を泳ぐには相当な時間がかかる。彼にかかる負担が大きすぎるし、今まで遭遇していないが他の魔物に捕捉される可能性もある。

 

「あっちに島が見えるけど……救援の魔道士の中には治癒術師もいるだろうし、船に戻るよ。船までは数百メートル、おれには海の魔法があるからゆっくり泳いだって十分もしないで着く。必ず君を連れて戻るから、それまでおれに体を預けてくれるかな?」

「……た、のむ……ありが、と……」

「うん、任せて。魔物に見つからないように、ちゃんと静かに泳ぐからさ」

 

 船が大きく移動している可能性はあるにはあるが、おそらくは大丈夫だ。

 純白のドラゴンのストラップを思い出す。

 

『――ちゃんと近くまで戻ってこないと引っ張り上げられないぞ! わかったな!?』

 

 そう言っていた“ケンちゃん”がいるのだ。他に根拠などいらない、彼が言ったのなら信じられる。

 きっと彼は、救援に駆けつけた魔道士にどうにか事情の説明を済ませている。対大烏賊或蛸(クラーケン)戦の渦中であろうと問題ない、案内表に記載されていた通り救援チームは精鋭だ。

 

 肩越しに少年の顎に手を添える。その体が脱力し水に浮いていることを確認してから、おれは船の方角へと向き直った。

 さあ、もうひと泳ぎといこう。

 

 

「なっ……沈んで……っ!?」

 

 船まで辿り着くと、船は沈みかけていた。

 ぎょっとして甲板を覗くが大烏賊或蛸(クラーケン)どころか、人の気配もない。どうやらみんな沈没を予期して脱出したようだ。

 周辺を見渡すが、この船の他には影も形もなかった。

 

「……ごめん、おれ」

「いや……君はよく、やってくれてる……俺は、俺なんだ……謝るのは……大烏賊或蛸(クラーケン)にビビってロープから手を離した、俺だ……」

「わわっ、やっぱなし! 今のなしだっ、おれも君も何も悪くないっ。ええと……おれたちなら、もうひと頑張りだってできるはずだよっ。一緒にあの島を目指そう!」

 

 遠くに見えるシルエットを指差して、おれは目的地を更新する。

 甲板の床板から光は失われている。結界が剥がれた今、ここにいても意味がなさそうだった。

 

「って、なんか白い!?」

 

 前兆なくあたりに濃い霧が立ち込めた。

 どうして、今の今まで澄み渡ってたのに……!

 これだと島までの距離が……

 

「――おい、沈む船に近づくやつがあるか。沈没に巻き込まれるぞ、早くこっちに来い!」

 

 聞き覚えのある声に心臓が跳ねる。

 

 濃霧と海上の水を切り割くようにしてそれは現れた。

 大烏賊或蛸(クラーケン)よりも大きな船だった。船縁の高さは見上げると首が痛くなるほどだ。

 その巨大な建造物の中でひとつの色彩に目が止まる。船縁の中央、船首に立つのは髪を金色に染め上げた少年だった。

 

 黒髪の少年と顔を見合わせる。朦朧とする彼の顔は確かに歓喜に染まっていた。

 沈没する船から離れ、現れた船へと泳ぎ近づく。

 すると船上の制止の声を振り切り、金髪の少年が降ってきた。水飛沫が大きく上がる。『来い』って言ったくせに、飛び降りてきた!?

 

「ちょっ、プールとは違うんだよ!? おれ、二人は無理だから戻った戻ったっ!」

「海中水泳の経験ならある、心配は不要だ。脱力した人間を抱えて船に上がるのは大変だろう、ここは俺に任せてくれ」

「し、紳士だ、じぇんとるまん……これが……貴族……!?」

 

 衝撃だ。おれの通う中学には、こんなにも気遣いのできる男子は存在しなかった。……修行三昧で、同級生とはあんまり会話してないから断言はできないけど。

 絶対モテるなこの少年。おれも男子に興味があったなら、今ごろ胸をときめかせていたかもしれない。

 

 海にはおれの方が慣れている。そういうわけで、二人には先に船に上がってもらうことにした。早くお医者さんに診てもらわないと。

 船上から投げられたロープを、“ケンちゃん”は自身と黒髪の少年に巻きつける。しっかりと結ばれていることを確認した後、彼は船縁から新たに降りてきたロープを二、三度引っ張り、これから登るという意思を船上に伝えた。

 

「縄が体に食い込んで痛いと思うが、耐えてくれ。一分もかけない、君を上まで連れて行く」

「もうちょっとの辛抱だからね」

「ありがとう……君たち……本当に……」

 

 “ケンちゃん”は背負った彼に一言断りを入れると、二人分の体重を両腕で支えロープを登っていった。難なく、どころか極力揺らさないようにと気遣う余裕さえあるようだった。

 腰に佩く剣は伊達じゃない。剣士として、日々トレーニングに励んでいるのだろう。同じ人間に憧れる者同士、おれは彼が誇らしかった。

 あの染めた金髪は一迅さんを真似たものだ。おれにはわかる。

 

 残ったおれもロープを辿り船縁を登る。

 頭頂へと近づくと腕が伸びてくる。厚意に甘えて、おれは手摺りの下から顔を出した。

 甲板に手をつき顔を上げれば、担架に乗せられた黒髪の少年が運ばれていく最中だった。

 よかった……これでもう安心だ……。

 

 胸を撫で下ろしていると、バスタオルを肩に掛けられた。

 おれを引き上げてくれた人だ。何から何までありがたい。

 

「お二人とも生きておられて何よりです、よくがんばりましたね。頭にもタオルを被せますよ」

「あ、どう……」

 

 言葉を続けられず、まじまじとその人を見る。

 

 綺麗な人だ。すごく綺麗な人だ。生まれてきて良かった。

 おれがこれまで出会った人たちの中で、或いはこれまでに見たどんな情景よりもなお、その人は綺麗だった。すごい。

 そう、とにかく綺麗なのだ。こんなの顔の天才大会のチャンピオンだ、大天才。世界に顔を馳せている。サインの販売はしているのだろうか。

 

 白金髪の彼女はうずくまるおれの前に膝をつくと、手に持ったフェイスタオルを優しく被せてくれた。

 おれの毛先から落ちる水滴を丁寧にタオルを吸わせながら、その口元を柔らかく持ち上げる。

 

 笑った……!

 おれに笑いかけてくれた……!

 

「痛いところはありませんか?」

「だいっ……大丈夫ですっ」

「そうですか。では先に濡れた衣服を着替えてしまいましょう、風邪の予防です。着替えた後には、医務室で検査をします。気づいていないだけで、怪我をしている可能性もありますからね。着替え終えたら、もう一度甲板へ出てきてください」

「ハイッ、わかりました!」

 

 心踊るひとときはあっという間だった。

 彼女は更衣室の場所を伝えると、おれの元から去っていってしまった。

 光陰矢の如しとはいうが、おれが光であれば永遠であったのかもしれない。矢より早いから。何故、おれは光ではないのだろう。眩く光りたい。

 胸を襲う切なさに、更衣室への道すがら、おれはその姿を脳内に投映させる。

 

 腰からは純白の翼が生え、彼女の体をゆるく覆っていた。何よりも特徴的であるはずの一対のそれは、翼の持ち主たる彼女自身の美しさの前には、彼女を構成する一要素に過ぎなかった。

 満月を糸にしたような艶やかな白金の髪は顎下の辺りで切られ、しゅるりと束ねた襟足だけが長く伸びる。少し長めの前髪から覗く目元は、繊細な金糸で彩られた瞼を閉ざし、神秘的なまでの静謐さを湛えていた。その下には整った鼻に形の良い唇が奇跡的なバランスで、思わずなぞりたくなるような美しい曲線を描く輪郭に収められている。

 薄紫色のシャツの上に薄手のブルゾンを羽織り、生地の良いジャージパンツとハイカットスニーカーを履きこなした姿は、スポーティな雰囲気漂う都会のお姉さんといった出立ちだった。全体的に色が良い感じに調和していて、なんだかすごくお洒落な感じがしていた。

 人間はひとりひとりが星樹によって設計されている、という説を耳にしたことがある。その話が真実だとするならば、星樹さんあの人のモデリング頑張りすぎだろ。そう思わずにはいられない。ありがとう……。

 

「綺麗だったなぁ……」

 

 更衣室で着替え終えたおれは、改めてしみじみと呟いた。

 何回言うんだって気もするが、余韻が抜けないのだから仕方がない。おれはおれを許す。

 

 何を隠そう、おれは顔の綺麗な女性や女の子が大好きだ。

 昔、ねえちゃんをしつこく褒め過ぎて叱られて以来、露骨な言動をしないように気をつけてはいるつもりではあるけれど。

 それでも挨拶する際に無意識に真正面に回ってしまって、『どういう動線を描いてんだよ』という目で美人なお姉さんに見られてしまうことがままある。

 ……さっきの人、医務室まで送ってくれるそうだから、失礼のないように気をつけねば。

 

 気を引き締めて甲板へと戻る途中の手洗い場で、見覚えのある少年を見かけた。髪を水で濯いでいる。

 ラフなTシャツ姿ではあったが間違いない。この染色特有の金髪は彼だ。

 

「君も無事で良かったよ。えっと……ケンくん?」

 

 声を掛けると、彼は上体を起こし蛇口を閉めた。

 片手に持っていたフェイスタオルを髪に当てながら振り返る。

 

「ああ、魔道士というのは本当に恰好良いな……そして、君も。名前を教えてくれるか、ヒーロー?」

「もちろんだよ、ヒーロー」

 

 遅い自己紹介だ。

 顔を見合わせて笑い合う。

 

「おれは英地志更。シサラって呼んでよ」

「わかった、ハナチシサラだな。俺は届将(かいはた)研想(けんそう)だ。……これから数日、よろしく頼むぞシサラ」

 

 おれたちはどちらからともなく右手を差し出して握手した。

 

「何処かへ向かう途中か?」

「医務室だよ。念のために検査しとこうって」

「試験前だからな、細やかな違和でも余さず報告するんだぞ」

「そうするよ」

「客室にあった荷物は全回収してあるそうだ。検査が終わったら、受け取るといい」

「ホント!?」

 

 嬉しい知らせだ。

 ねえちゃんのプレゼントしてくれたバッグが戻ってくる。とても喜ばしい。

 

「ケンくんはお友達のところに戻るんだよね? 彼にもよろしく伝えておいて」

「……ああ、わかった」

 

 両手で髪を拭き、ドラゴンのストラップを揺らしながらケンくんは去っていった。

 

 

「……打ち身」

「へ?」

 

 甲板へと戻った途端、目を瞑ったままの彼女は言った。

 

「先ほどは気づけませんでしたが……肩です、ぶつけた覚えはありませんか? (わたくし)の目には庇っているように見えるのですが」

「肩……ですか」

 

 記憶を辿る。

 ……うーん、海で何かにぶつけた覚えはない。

 黒髪の少年を見つけるのには苦労したが、それ以外は驚くほどに何も起こらなかった。幸いなことだ。

 

「いえ特に……!? イッ、いたたっ、なにこれ急に左肩が痛く……!?」

 

 お、思い出した……! 大烏賊或蛸(クラーケン)が出現した時に客室の壁に……!

 こっちはバッグを抱えてた方の肩だ。あの時は気づかなかったけど、バッグのクッションの範囲外で思い切り打ちつけてたんだ……!

 

「その状態でよくぞ、貴女自身も連れて無事に帰ってこられたものです。心より賞賛いたしましょう」

「ど、どうして急に……っ!」

「無意識に魔力で痛覚を遮断していたんでしょうね。魔道学園に入れば習いますよ」

「……そ、それってすごいですかぁ!?」

 

 お腹から声を出して尋ねると、彼女は首を傾げた。

 

「どう、なのかな」

「お、お願いします嘘でもいいんで褒めてください! 自己陶酔してこの痛みを紛らわせてみせる……!」

「どうしてそんなことを……致し方ありません、認識阻害をプレゼントしますよ、どうぞ」

 

 額に添えられた指から魔力で描かれた紋様が出現する。魔陣術式……というものだったはずだ。

 術式が光を帯びた途端、痛みがスッと引いた。消え失せたと言っていいほど、完全に。

 

「い、痛くない……いったいどういう……!?」

「認識阻害魔術です、耳にしたことはあるでしょう? ここ最近は、認識阻害を麻酔の代用にするのが魔道士界の趨勢なのですよ。(わたくし)たち魔道士は、通常の薬や毒が効きづらいですからね。魔道士の卵である貴女も、すでにお心当たりがあるのではないですか?」

「確かに、急に効きづらく……!」

 

 数ヶ月前、熱で寝込んだことがあったが、処方された解熱薬を飲んでも一向に効果を発揮しなかった。

 今回、酔い止めを飲み薬ではなく軟膏にしたのだって同様の理由だ。試行時に効果がなかったのだ。あの時は本当、ねえちゃんの新車を汚してしまうかと冷や冷やした。

 魔道士に毒が効きづらいというのは本で読んで知ってはいたけれど、おれの体質もすでに魔道士に近づいていたとは……感慨深い。

 

「今の術式は治療補助用に改良済みのものですので、この程度では問題ありませんが、認識阻害は万能ではなく副作用も存在しています。立ち話はここで切り上げ、早めに治癒術師に診てもらいましょう。医務室まで案内します」

「はいっ、よろしくお願いします……ええと」

 

 口ごもると、意図を察した彼女が恭しく片手を胸に当てた。

 

「申し遅れましたね。(わたくし)月影(つきかげ)という名前で生きております。覚えても覚えなくとも、どちらでも構いませんよ。受験生の記憶領域はたいへん貴重ですからね」

「おれはシサラです。医務室までよろしくお願いします、月影さん」

「ええ、お任せください、少女シサラ」

 

 月影さんと二人、内廊下を進む。

 着替えて甲板に出るまで月影さんの美貌に思考を割いていて気づかなかったが、この船は随分と作りが良い。お金がかかっているというか、この船の外と比べて時代が十年単位で進んでいるような先進的な内装をしていた。

 

「すごい、ですね」

「『近未来をコンセプトにしてみたんだ』、らしいですよ」

「何やら光っていますが、あれはどのような意味が……?」

「ああ、設計者の趣味ですね。光らせたかったから光らせてみた、それ以上の意味はないとのこと」

「な、なるほど……! とてもよくわかります! こう……それ以外目に入らなくなるような、眩い感じが最高ですよね!」

「……それは何より。設計者に伝えておきましょう、きっと喜びますよ」

 

 そうこう話しているうちに、ある部屋の前にたどり着いた。ルームプレートには『医務室』と書かれている。

 月影さんがつるりとした素材の扉の縁に手を翳すと、扉はひとりでに開いた。

 堂々たる足取りで室内に踏み入っていく月影さんに、自身のシャツの裾を握ったおれも続いた。

 

「負傷者の少女を連れて戻りましたよ。水月ちゃん、もう一仕事に取りかかる用意をしてください」

「し、失礼します……」

 

 机に向き合って書き物をしていた女性が、腰掛ける椅子をぐるりと回転させた。

 緩く髪を巻いた綺麗なお姉さんの前に月影さんが立ち止まる。

 

「こちら琴瀬(ことせ)水月(みづき)ちゃん、優秀な治癒術師です。そしてこちらが少女シサラ、負傷者。というわけで治癒をよろしくお願いしますね。認識阻害については五分もすれば勝手に剥がれますからご安心を。では、それでは」

「えっ、ちょっ……」

 

 月影さんはあまりにもスムーズに、片手を上げて後ろ歩きに去っていく。引き止めようと思った時には遅かった。

 部屋にはおれと治癒術師の女性、水月さんだけが取り残される。

 どうしてですか月影さん……確かに『医務室まで案内します』としか言ってなかったけども! もっと一緒にいてくれるものとばかり……!

 

「相変わらずね、月影さんは。ご紹介に与った、琴瀬水月よ。負傷者、ね……貴女が海に飛び込んだっていう?」

「は、はい……!」

 

 年上の女性と突然二人きりになって声が上擦る。

 バチバチに初対面だ、出会って一分も経っていない。どうして二人きりなんだ……!

 さっきまで月影さんとも二人きりではあったけど、あの人はなんか話し方がはちゃめちゃな敬語であったし、一緒にいてあまり緊張するタイプではなかった。とんでもなく綺麗な人だから目を合わせられる気はしなかったけど、そもそもあの人ずっと目を瞑ってる、はちゃめちゃ敬語系金髪目瞑り有翼お姉さんだったし……!

 ど、どうしよう……天気の話とかすればいいんだっけ、こういう時って!

 

「あら、そんなに固くならないで。怒っている訳じゃないのよ? 確かに、治癒術師としては自ら危険に飛び込んだことは手放しに褒めてはあげられないけど、それはやむに止まれなかったから……そう、月影さんから聞いてるわ。貴女のおかげで、あの子はこうして此処に生きて運び込まれた」

 

 そうだ、そうだった。

 締め切られたカーテンを見る。あの向こうにはベッドに、黒髪の少年が横たわっているのだ。

 

「彼の具合は……!?」

「安心してちょうだい、命に別状はないわ」

 

 ……よかった。

 

「数分間、海底に沈んでいたとは思えないくらいに状態は良好よ。順調に回復すれば明日からの試験にも挑めるでしょうね」

「本当ですか!?」

「ええ、本当よ。驚異的な事だわ、いったいどんな魔法を……いえ、これは訊くべきではないわね」

 

 水月さんは(かぶり)を振ると、言葉を続ける。

 

「そういう訳で、貴女はもう貴女自身の心配をしてあげなさい。負傷は肩だけのようね」

「……月影さんもそうでしたけど、そんなにわかるものなんですか?」

 

 おれは何も言っていないのに、どこを怪我したのかすぐに見抜かれた。

 一つの隙が致命打になり得る魔道士は、観察眼にも優れているらしい。ブルーベリーをたくさん食べたら、おれもできるようになるだろうか。

 

「月影さんの方は……まあ、月影さんだからでしょうね、鼻が効く人なのよ。私については、魔眼の効果ね」

「あ、すみませんっ」

 

 おれの魔法についての疑問を取り下げてもらったばかりだというのに、今度はおれが彼女の魔眼について訊いてしまった。

 魔眼は“体質”とも言われるが、魔法について訊くのと同じことだ。

 必要な場面での開示は推奨されるが、それ以外では不必要に知ろうとするべきではない。

 

「気にしなくて良いわよ。“琴瀬”についてちょっと調べれば分かる事だもの。私たち琴瀬は代々治癒術師を生業とする家系で、治癒の魔法と身体の不調を見抜く魔眼を代々継承しているの。だから大抵の場合、視るだけで相手が何処を怪我しているのかわかるのよ」

「なるほど」

 

 治癒術師はいつの時代も希少とされる。

 適性を持って生まれる人間が少ないからだ。適性があると判明すれば、出自に関係なく最高級の教育を受ける権利が与えられるほどに。

 その治癒術師を代々、か。ひょっとしなくても、目の前にいるこの人は……とんでもなくすごい家のご出身なのでは?

 背に汗が伝う。上級貴族相手に何か粗相をしてしまってはいないだろうか……!?

 

「二度目よ。固くならないでちょうだい」

「はいっ!」

 

 元気よくおれは頷いた。

 年上のお姉さんを悲しませてはならない。

 

「……私としてはもう少し詳しく話してもいいけど、月影さんに受験生相手の長話は避けるように言われているのよね。だから説明は終わり。さあ、診せてちょうだい。貴女の不調は、私が責任を持って治療するわ」

「よろしくお願いします!」

 

 水月さんは戸棚からコップを取り出すと、机に置いてあった水差しを傾けた。

 彼女の両手がコップを覆う。

 

「“清水薬聖(せいすいやくせい)”……じゃあ、ぐいっと一杯飲み干しちゃって」

 

 中程まで水の注がれたコップを差し出された。

 

 

「そういえば、あの大烏賊或蛸(クラーケン)はもしかして弱い個体だったりしました? 訊いておいてなんですが、おれとしてはそうは思えないですけど……」

 

 医務室までの道は月影さんと話すのに夢中だったので記憶していなかった。

 一人で船内を歩こうとも迷子になることが必至なおれは、船が島に到着するまでは医務室から離れられない水月さんとお茶をしていた。

 ベッドの上で眠る黒髪の少年への影響は心配いらない。カーテンには防音の魔術がかかっているそうだ。

 

 肩については全快だ。シャツをめくって元患部を確認してみたって、普段通りの皮膚があるだけ。

 水月さんの魔法は、軽傷であれば数分も経たずに完治してしまうようだ。すごい。

 

「貴女の思う通り、あの個体は強い部類だったはずよ。甲板の結界を発動する状況なんてそうそうない想定だったもの。現に、魔物と遭遇したという報告は何件かあったけれど、救援信号まで受信したのは現時点では貴女たちが乗ってた船が初めて」

「相当運が悪かったんですね、おれたち……でも、強い個体だったならこの短時間でどう対処したんですか? 前に読んだ新聞には、討伐まで数時間はかかったって書いてあったんですが」

 

 見出しはこうだった。『討伐隊、八時間に及ぶ激闘の末……勝利!』

 その記事の印象が強く残っていて、沈没寸前のあの船を見た時は正直、人がいないことよりも大烏賊或蛸(クラーケン)がいなかったことに驚いたものだ。

 

「さっき貴女を此処に連れてきた、月影さんいるでしょ?」

「はい。あのお綺麗な……」

「そう、あの顔は良い金髪の人はね、星見(ほしみ)の塔の護衛騎士なの」

 

 “星見の塔”、その単語を耳にした瞬間に脳裏にある人物が思い浮かぶ。

 テレビの向こう側、緑黒髪(りょっこくがみ)たなびく火属性の使い手。

 

「もしかして沙夜ちゃんの騎士ですか!?」

 

 涼見(すずみ)沙夜(さよ)

 全戦無敗、魔道戦の世界大会を三連覇した絶対王者。“世界最強”と呼ばれた、だれもが知る彼女だ。説明は不要だろう。

 

 沙夜ちゃんの実家は“星見の塔”なのだとプロフィールに書いてあった。

 星見の塔が何かはプロフィールには書いていなかった。

 まあ、塔だろう。星見の塔という名前の。星がよく見えるんだろうな、名前的に。

 

「いえ、塔主(とうしゅ)の方ね」

「ええと、塔主というと沙夜ちゃんの従姉(いとこ)の……御造(みつくり)(しき)皇妹(おうまい)殿下、でしたっけ?」

 

 詳しいことは調べてもわからなかったが、星見の塔には主がいるらしい。塔の主と書くのだからきっとそういうことだ。

 識殿下は“創界遊戯(そうかいゆうぎ)”という、何やらカッコいい名前の魔法を使う家系の末裔ということで、おれの記憶に強力に根付いている。それがどんな魔法かは公表されておらず、わからなかったが。

 なんでも御造家は“星霊(ホシノカミ)に最も近い”と云われた家系……だとかなんとか。

 御造って美味しそうな名字だな、とか別に思ってないからねそんな不敬なこと。ホントだよ。

 

 ちなみに、陽照では皇帝の妹君を皇妹(おうまい)、弟君を皇弟(おうてい)と呼称するのが一般的だ。

 今上陛下にお子さんはいらっしゃらないので、陛下の妹君や弟君が公務をなさることが多い。皇弟を“こうてい”と発音するのはややこしいのだ。

 そういうわけで、ここ数年で強く定着したそうだ。

 

「そう、識さんの護衛騎士よ。月影さん、あの人護衛騎士なだけあってとっても強いのよ。仕事中の言動はちょっと胡散臭い騎士してるけど。最近は特に。……それで、大烏賊或蛸(クラーケン)相手にポンポン強力な魔術をぶつけて、ものの数分であれを倒してしまったのよ。お陰様で救援チームの負傷者はゼロ、率直に言って理解が追いつかなかったわ」

「すごいんですね、月影さんって……」

 

 護衛騎士とは、皇族といちばん仲の良い騎士のこと……うーん、この理解で合ってるのか不安だな。読んだ物語では、だいたいそういうポジションではあったけど。

 護衛騎士というのは、とにかくめちゃくちゃ強いらしい。

 柔らかな微笑みを浮かべる月影さんとはいまいち結びつかなかった。

 あの、はちゃめちゃ敬語系金髪目瞑り有翼お姉さんがまさか、はちゃめちゃ敬語系金髪目瞑り有翼騎士お姉さんだったなんて……! 良いな。

 

 護衛騎士といえば、一迅さんもそうだ。皇帝陛下の護衛騎士。

 数年前の戴冠式の新聞記事に、大氾濫でおれを助けてくれた雷光のお姉さんが載っていて、めちゃくちゃびっくりしたのを覚えている。お姉さんの名前を知ったのもその時だ。以来、毎日唱えている。

 

「それにしても沙夜()()()、ねぇ」

「あ、いやっ、沙夜殿下のっ」

「別に不敬だって言いたい訳じゃないわよ、当人がファンにそう呼べって言っているんだから。けど、仮にも皇族をちゃん付けするなんて、相当なファンよね……って事。どういうところが好きなの? お姉さんに教えてちょうだい」

「それはもう、火属性をこよなく愛しているところですよ! おれも雷属性が大好きなので、その気持ちが痛いほどわかって……あ、いや、こんなこと言うのは烏滸がましいんですけどもね、おれは雷属性使えないですし……まだ」

 

 余談だが、ケンくんが黒髪の少年の首を切ろうと詠唱していた、火炎術式“掻火爪(かきひづめ)”は沙夜ちゃんの生み出した火属性魔術のひとつである。

 沙夜ちゃんの詠唱には“星”と“月”がよく出てくる。星見の塔に住んでるくらいだし、天体観測とか好きなのかな? プロフィールには載ってなかったから、違うかな。

 

「え、あれがわかるの? だってあの子、好きすぎるでしょ。火属性というか火が」

「そこが良いんですよっ……うぅ、どうして引退なんて……沙夜ちゃん、まだ十七歳のお姉さんなのに……っ!」

 

 ハンカチを片手に涙ぐむおれに、水月さんは肩をすくめてお代わりの緑茶を注いでくれた。

 すごく美味しい……すごくお高い感じの味がして美味しいよぅ、うぅ……ずずず。

 

 そんな調子で雑談を続けていると、月影さんが二人分の食事を持って戻ってきた。

 お礼とともに受け取り、とても美味しいそれを食べて一息ついた頃、試験会場の島への到着を告げるアナウンスが流れた。

 

「少女シサラのバッグに相違はございませんか?」

「はい、間違いありません! ありがとうございます!」

「じゃ、元気でね」

「水月さん、お世話になりました! ありがとうございました!」

 

 月影さんからバッグを受け取ったおれは、彼女ともに医務室を出て下船した。まだ仕事があるとのことで、名残惜しくもそこで月影さんとも別れを告げる。

 

 

 うぅ……孤独だぁ……。

 久しぶりにだれかと一緒に食事をするという暖かさを味わった後だと、なお寂しさがおれを蝕む。

 一人でいることなんて慣れているはずなのに。こんなの、いつも通りのはずなのに。海にいるのに一人じゃないなんて、そんなのそっちの方がおかしかったのに。

 いくら自身に言い聞かせても、内側から湧き起こる震えは治らなかった。

 

 そんな時だ。

 人通りもまばらになった港に、金髪の少年の後ろ姿を見つけたのは。

 

 お友達の姿はない。どうやらケンくん一人のようだ。

 おれの願望が入っているのかもしれないが、彼の後ろ姿はどこか寂しそうに思えた。お友達が戻るのを待っているのだろうか。

 仲間を見つけた気になったおれは、意気揚々と彼に話しかけ……

 

 そして――

 

「……気安く話しかけるなよ、ヒーロー気取りが」

 

――忌々しそうに歪められた赤い瞳がおれを射抜いた。

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