いつかこの手に雷光を   作:直崎ゆきふり

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4 試験開始

「ええと……ここか」

 

 案内表を頼りに、おれは三階建の宿泊施設の前へ辿り着いた。ここが試験が終わるまで期間限定の住処となる宿だ。

 チェックインを済ませ、バッグを置いて窓を開けると海が一望できた。なかなかに良い部屋が割り当てられたな。波音を聞くと心が静められるはずだ。

 そう、さっきのことだって……今は過去のことにしてしまわなければ。

 

『――……気安く話しかけるなよ、ヒーロー気取りが』

 

 思い出すだけで胸が締め付けられる拒絶。その理由を問いただすことなんて、おれにはできなかった。

 恐ろしかったのだ。理由を尋ねる以前の会話すら拒絶されてしまうことが。

 

 ……おれ、ケンくんに何かしちゃったのかな。

 そう思い返してみたところで心当たりはなかった。

 

 船内での最後の会話。

 タオルで自身の髪を拭くケンくんは柔らかな眼差しで微笑みかけてくれていた。

 ……なのに、いったいどうして。どんな心境の変化があったというんだ。

 

 と、そこで(かぶり)を振る。

 

「だめだ。試験は明日からだぞ、余計なことに気を……取られるな」

 

 本当に、余計なこと?

 

「……ケンくんのお友達なら、何か知ってるかな」

 

 確か名前は……竜太郎(りんたろう)くんだ。そう呼ばれていた。サスペンダーパンツを履いた茶髪の少年を思い浮かべる。

 ケンくん本人に確かめられるような度胸を持ち合わせていない。それなら彼と最も近しい彼に、何か事情を聞いていないかと尋ねてみればいい。

 そうだ。そうしてみよう。

 

「とはいえ、おれは彼らの宿の場所なんて知らないんだよな」

 

 一縷の望みを賭けて港に戻ってみたが、やはり彼らの姿は見つからなかった。すでにどこかへ移動してしまったようだ。まあ、当然か。

 

 試験前にどうにかしたかったが、見つからないのだからどうにもならない。

 明日の試験終わりに彼らを探してみよう。もし明日見つからなくても次がある。試験は三日間だ。

 帰りの船は違う便が割り当てられている可能性もあるし、リミットは試験最終日と考えておこう。

 

「……ん? 何の臭いだ」

 

 海へ視線を向けてみると、船から大きな荷を下ろしている最中だった。台車の上にいくつもの麻袋が乗せられ運ばれている。袋には紫色の液体が滲み出ていた。

 臭いの発生源は間違いなくあれらだ。

 

「おい、あれ大烏賊或蛸(クラーケン)だってよ」

「マジ? 実在してんだね、驚きだわ。そんなん、なんで出てきたんだよ」

「さあ? 海底にヤバいのでもいんじゃね?」

大烏賊或蛸(クラーケン)よりもかよ。ヤバ過ぎんな」

 

 袋の中身は、どうやら大烏賊或蛸(クラーケン)らしい。

 倒せば魔力の粒子となって消える迷宮(ダンジョン)の魔物とは違い、迷宮(ダンジョン)外で生まれた魔物は死した後も形を遺す。死体が残るのだ。そういった魔物の亡骸は、主に魔道具や武具などの素材として利用されている。

 眺めていたところで、ふと疑問に思った。大烏賊或蛸(クラーケン)は、どんな素材として使えるんだろう。墨汁とか……? まあ、考えても仕方がないか。

 

 それよりもこれからどうしよう。

 水月(みづき)さんの魔法のおかげか疲労だってほとんど感じていない。おれは退屈を持て余していた。暇を潰すにしても本の一冊も持ってきていないし、食事は船で食べたばかりだ。

 まあ試験前だし、普通に考えれば勉強するべきなのだろうが、どうしてもそんな気分にはなれなかった。まだ昼の興奮が燻っている。集中できる気がしない。この熱を明日の試験まで残すわけにはいかないな。どうにかして発散しておきたい。

 

 よし、会場の下見も兼ねて散歩でもするか。一日目と三日目は同じ会場だったよな。どんなところかな。

 おれは海に背を向け、舗装された道を進んだ。

 

 

 踏みしめる煉瓦から長い影が伸びる。

 島を探索していると、いつの間にか空がオレンジ色に染まっていた。

 

「お腹空いたな……どうするか……」

 

 おれの手元にあるのは一万円。

 沙夜ちゃんグッズ購入を鋼の理性でもって抑え、養育施設の手伝いに励んでなんとか貯めたなけなしの一万円だ。この予算で試験中の出費を賄わなければならない。

 なかなか持てない一万円という大金に、数時間前まではそんなの余裕だと涼しい顔をしていたのだが、今となっては財布越しにその一枚を見つめて頬に汗を伝わせている。辺りを見渡せば、飲食店の看板が所狭しと並んでいた。

 

 そう、美味しそうな店が多いのだ。

 帝都でも評判の良いと雑誌に書いてあった店や、おれの住む街でも見かけるファストフード店。それらが魔道学園の受験生のためだけに出張出店し、格安で食事を提供している。

 こんな機会は二度とない。おれは選択を迫られていた。

 

「うぐぐ……どの店にしよう……」

 

 お腹を摩れば、元気よく返事が来た。早く食べさせろとのことだ。

 おれの胃の容量はそれほど大きいわけではないから、メニューを知っている店にするのが無難かな。お残しなんてしたくないし。でもせっかくだから特別感は欲しい。入ったことない店にしたいなぁ。

 ……よし決めたぞ、ワクドガにしよう。迷いに迷った結果、そう結論づけた。

 

 ワクワクドットバーガー。

 言わずと知れた陽照全域に展開するハンバーガーチェーン店だ。ワグドガの店舗は二種類に分けられる。

 速攻タイプは立ち食いスタイルで『安い・早い・そこそこ美味い』がキャッチコピー。十五分のタイムリミット付きではあるが、百円でハンバーガ単品、三百円でハンバーガーセットを注文できるから、速攻タイプの店舗にはおれもよくお世話になっている。成長期の強い味方だ。修行帰りにワクドガに寄ると、晩御飯の量がちょうどいい。

 そしてもう一つは……

 

上質(こっち)は初めて入るなぁ」

 

 入り口に掲げられたメニュー表には、『セット ¥1,000~』と書かれていた。決して安くはないが、通学路にある店舗がこの五倍の額を掲示していたことを思えば実に破格である。

 

 レジカウンターに並んだおれは意気揚々と一番安いセットを注文し、一枚差し出した紙幣が九枚になって返ってくる。いきなり資金の十分の一をロストしたが、まあ、なるようになるだろう。あと十食だけだし。

 なんと出来上がった料理をテーブルまで運んでくれるとのことで、おれは木剣を下ろしてふかふかなソファへ腰を下ろした。なんて座り心地の良さ……このまま人椅子一体となって人生を共にしてくれそうなフィット感だ。おれはソファ。

 

 待つこと暫し。

 運ばれてきたトレーの上には、グラスと大皿が乗っていた。大皿には、紙に包まれたバーガーとポテトがある。良い匂いだ。ボリュームについても言うことがない。

 

 まずは喉を潤したい。

 コースターの敷かれたアイスミルクコアムを持ち上げるとカラコロと音を立てる。オプション料金がかかっていないというのに、コアムには氷が浮かんでいた。良質タイプともなればデフォルトで氷が入っているようだ。

 そっとストローを吸うと、ほんのりと苦さを伴った甘味が走り抜けた。濃厚だ、速攻タイプの店と比べてコアムの実を多く使っているらしい。おれの飲み慣れているミルクコアムよりもビターではあれどミルクとの比率が完璧で、あとに残るのはすっきりとした甘さだけだ。

 ストローから唇を離した時には、すでにグラスに残っている量は半分になっていた。危ない危ない、お代わりするような余裕はないんだ。でも、明日以降のどこかでコアムだけをテイクアウトするのは良い選択肢かも。

 

 バーガーとポテト、どちらから手をつけるか実に悩ましい。

 うろうろと大皿へと手を伸ばしたおれはバーガーを持ち上げた。ポテトよりデカくて掴みやすかったから。迷うなら、適当な理由をでっち上げれば良いのだ。

 手に持ったバーガーは上裸だっ……あ、いや、お上品言い換え。そう、クロップドコーデバーガーだった(たぶん)! 包み紙が切り取られていて、実に食べやすい形をしている。包み紙を捲らずに食べられるバーガーがこの世に存在していたとはね……ハンバーガーの新たな一面を垣間見たおれはバーガーへとかぶりついた。

 

 視界がぼやけ、手に持ったバーガーだけが鮮やかに映る。

 焼き目の美しいバンズ、マヨソースの乗ったレタス、歯切れのいいスライストマト、味を調和させるとろけたチーズ、そして噛み締めるたびに笑みの浮かぶ特製ソースを纏ったローパーパティ。

 その断面を見ながら、そして再びかぶりつきながら、自身の味覚への理解をより深く咀嚼する。おれの好物はハンバーガーだったらしい。

 

 包み紙をぐしゃりと握り潰したところで、ハッと意識を取り戻した。

 最初に飲んだコアムも、今食べ切ってしまったバーガーも、途中で切り上げて他の品へと移ることが困難だった。これが上質タイプのワクワクドットバーガーの威力……凄まじいものだ。

 

 コアムで喉を潤した後、皿の上のポテトを摘み損ねる。

 後回しにされたはずのそれは、親指と人差し指に痛いほどの熱を伝えた。すでに冷めてしまったものだと思っていたが、出来立てのように熱い。このポテトの乗ってる大皿、もしかして魔道具なのかな。何にせよ、熱々の状態で食べられるのは嬉しい。

 冷たいグラスで右手を冷まし、もう片方の手で今度は慎重にポテトを持ち上げた。振られた塩が照明で輝く。ひとくち、ふたくち、みくち……次々とポテトを口に運ぶ。

 サクサクとした揚げたての食感がホクホクとしたじゃがいもを包んでいる。程よい塩気が最高のアクセントだ。手が止まらない。

 時々ストローを吸って水分を補いながら、名残惜しくもポテトを完食した。指先に付いた塩を紙ナプキンで拭い、グラスに残ったコアムも余さず飲み干してお腹をさする。

 

 食後の余韻を楽しんだ後、ソファに立てかけていた木剣を背負い退店する。すっかり星の見えるようになった空を見上げれば鼻唄が漏れた。

 とても良い時間を過ごせたな。明日の夕食もここにしよう。

 

 

 帰路で朝食を調達し、預けていた鍵をフロントで受け取り部屋に戻る。ドアを開けてすぐのスイッチを押せば、真っ黒だった室内に色が灯った。

 窓際に置かれた椅子に腰を下ろして息を()く。暗くなった今では窓硝子が室内の光を反射し、せっかくのオーシャンビューも見渡せない。それでも、今はそれが心地よかった。

 

 いよいよ、明日から試験開始だ。

 大氾濫で一迅さんに助けられてから早数年。魔道士に、恐れを知らない勇者のような彼女に憧れ続けて今日まで生きてこられた。

 

 おれは、魔道士になりたい。

 だれかを助けられるような勇者に。おれ自身を助けられる強い人間に。

 そうすればきっと、おれは……一人で死ぬことなんてないだろうから。

 

 窓に映る自身に手を伸ばせば、夜の色彩を纏ったおれも手を伸ばした。冷たい硝子がおれを拒絶する。

 手を引っ込めて、自身の手を撫で掴む。何もない手のひらに照明の光が白く反射して目に痛かった。

 

 いつか、おれと手を繋いでくれるだれかが、おれの目の前に現れてくれますように。その手を離さなくともいい、そう言ってくれるだれかが。

 

 それから二時間ほど勉強をし、夕食が魔力と水へと変換された頃に就寝の準備を始めた。明日からの試験で十全に能力を発揮するためには、充分な睡眠時間を取らねばならない。

 お風呂に入り髪を乾かして歯を磨く。トイレを済ませ、明日着ていく服を用意しようとしたところで、バックをまさぐる指先に何かが当たった。引っ張り出してみると、それは封筒だった。片白穢祢(ねえちゃん)の同意書だ。御守り、か……。

 

「迷信なのは、わかってるけど」

 

 枕の下に滑り込ませる。子供っぽいと笑われるかもしれない。

 もう中三だっていうのにこんなことしてるって知られたら、ねえちゃんは安心できないだろう。ねえちゃんは優しいから、おれを一人にしておくことができなくなってしまう。ねえちゃんはずっと独り立ちしたがってた。ようやく大人になれたんだ、足を引っ張ることはしたくない。だから小学校の卒業と同時に、おれは一人で寝られるようになった。

 

 明日の準備を終え照明のスイッチを切る。おれは枕に添い寝し、ぽむぽむと両手で枕を撫でた。

 夢の中のねえちゃんになら甘え倒したってバレない。天才的な閃きだった。

 こんばんはしよう。おいでおいで、おれの夢の中へ。かーもん。

 疲れが溜まっていたようで珍しくすんなりと、おれはマットレスへと溶けていく。

 

 意識が途切れる直前、ふと何かが聞こえた。

 

〈……か、……れか〉

 

 気になって重たい目蓋を薄らと持ち上げると、窓硝子の向こうに星々が輝いていた。

 ちがう。空じゃなくて……もっと、下だ……。

 

〈……きこえ……いたら……〉

 

 あ……これ声だ……。

 どこかで、聞いたような……。

 

〈わたしを、むかえにきて〉

 

 ……海、が……おれを……よ……ん、で……る……――

 

 

 

「んーっ、よく寝たーっ」

 

 マットレスから上体を起こし、伸びをする。疲労だけを除外して存在が再構築されたかのような気分だ。清々しい。

 サイドテーブルに置かれた時計の短針は四を指していた。早く寝た分だけ早く起きる、いつものことだ。おれの身体は六時間睡眠を最長としていた。

 魔核に負担を掛けないギリギリまで魔力を使い果たそうとも、六時間寝てしまえば完全に回復できる。ねえちゃんが手放しで褒めてくれる、おれの強みのひとつだ。ねえちゃんと違いおれの魔力量はそう多いわけではないが、寝れば完全回復できるという安心感は修行の一助となってくれている。

 

「これなら今日の試験、全力を尽くせそうだ」

 

 髪をざっとまとめて歯を磨き顔を洗って、備え付けの保存庫から昨夕買っておいたコアムと袋を取り出す。

 パンの魔女ハク・シヤクサンドの愛したサンド料理は、手軽に食べられて朝食に最適だ。保存庫に入れておけばレタスだってシャキシャキのままだし、トマトがパンをべちゃべちゃにすることもない。紙袋から慎重に取り出せば、目に楽しい彩りの断面がいくつも顔を出した。

 紙コップ入りのコアムで口内を潤し、サンドウィッチにかぶりつこうと大口を開けたところで立ったままだと気づく。いけないいけない、こういうのが試験中に出ちゃったら試験官の印象を損ねてしまうかもしれない。椅子に座っていただこう。いただきます。

 窓際の椅子の背に手をかけて、ふと海が目に入った。

 

「あれ……?」

 

 なんだろう……。何かが頭に引っかかるような……。

 

「あ、声」

 

 そう、海がおれを呼んでいたのだ。椅子に座り、サンドウィッチを取り出しながら思い出す。シャキリとレタスを噛みちぎる。あ、このサンドウィッチどこのお店だっけ、覚えとかないと……。

 海さんには日頃からたいへんお世話になっている。もし意思のようなものが存在しているのだとしたら、菓子折りとか持って行ったほうが良さそうだ。昨日も助けてもらったし。

 とはいえ海が話せるのなら、おれに話しかけないことなんてあるだろうか。この世界に来てから今日まで、毎日と言っていいほど海で泳いでいるが、今まで海が言葉を発したことはない。声が聞こえてきたのは、本当に海からなのか。そもそもどうしておれは、海が話したと思ったんだ。

 サンドウィッチを食べ終わるまで考えてみても、答えは見つからからなかった。それなら……考えるのはやめよう。入学試験は今日からだ、あれもこれもと考えごとを増やすわけにはいかない。ケンくんのことだって今日の試験が終わってから。切り替えよう。

 丸めた紙袋を紙コップの中に詰め、部屋の隅に置かれたゴミ箱へと捨てる。

 

「試験会場には九時に集合」

 

 再度受験案内表を確認し、万が一にも間違えないよう口に出す。

 一日目と三日目の試験会場は同じ場所だ。二日目は事前に筆記試験だと案内表に書かれているが、その前後日の試験内容は発表されていなかった。当日に知らされるらしい。

 昨日の散策がてら下見をしてみれば会場は森だった。門越しに木や草が生い茂っているのを確認できた。いったい何をするんだろうか。

 もしかしてバトルロイヤルかな? あれ、バトルロワイヤルだっけ? 受験生同士で地で血を洗う大抗争が繰り広げられたり……とかいうのは、入学後にお互い気まずくなりそうだな。

 まあ、なんであれ高得点を目指して全力を尽くさなければ。試験の内容が大抗争であっても。あ、でも血のシャワーはR15になりそうだから違うか。八月の夏休み真っ只中、十四歳の受験生だって多い。

 

 八時半から会場の門が開くそうだから、あと三時間半もある。

 もう三時間半しかないと思うべきなのかもしれないが、時計を何度も何度も確認するたびに、ぞわぞわと熱いような寒いような感覚が胸を渦巻いて手汗が止まらなかった。夏だっていうのにちょっと震えてきちゃった。テキストを広げようにもじっとしていられず、部屋の中をぐるぐると短く往復する。

 ああ、ダメだな。この調子だと会場に行く前に疲れ切ってしまいそうだ。

 もう着替えてしまおう。机の上に用意していたシャツを広げ、襟口に頭を通した。シャツにはドラゴンがプリントされている。電撃を纏うとっておきだ。爆発的に力が漲る。おれが! 勇者だ!!

 

 新聞を買いに行くついでに、少し体を動かそう。試験までの準備運動だ。

 髪をいつものおさげにくくり直したおれは宿を出て砂浜に向かった。

 

 

 

 モニターに映し出された少女が微笑む。

 

「皆さんには、この森を探索していただきます」

 

 良かった。デスゲームじゃなくて。

 なんかこう、デスゲームっぽい導入だよね。モニターに映る人から説明される感じって。前にそんなシチュエーションの物語を読んだことがある。

 何はともあれ、バトルロイヤルでないようで一安心。

 

 モニターの少女は……いや、おれより歳は上なんだろうけども、年下の少女にしか見えない。

 肩で切り揃えた白髪の彼女が、あの白宮原(しらみやはら)伊織(いおり)さんらしい。“境界”の家系が当主にして、船に結界を張り大烏賊或蛸(クラーケン)の脅威からおれたちを遠ざけてくれた大恩人。

 本試験の司会を担当する彼女はなんと、魔道学園のひとつである白宮原学園の学園長を務めているそうだ。

 

「森を探索し、探索ポイントを集める。それが今回の試験の概要です」

 

 探索ポイント?

 首を傾げるおれたちに彼女は詳細を説明してくれた。

 

 ざっくりまとめるとこうだ。

 ・配られた冊子に載っているものを探す

 ・それの一部を採取し、冊子の空白ページに挟む

 ・試験終了時刻までにそれを提出

 

 なるほど。頷きながら受け取った冊子をパラパラと(めく)る。

 白黒で印刷された文字と挿絵が並び、そしてそれぞれに数字が振られていた。この数字が探索ポイントなのだろう。

 

「ご覧の通り、獲得できる探索ポイントは採取アイテムによって変化します。珍しい薬草など採取が困難なものは高く、反対に、探せばすぐに見つかるもの、採取が容易なものについては低くポイントが設定されています。その冊子を参考に、限られた時間の中でどういった探索を行うのかよく考えてくださいね」

 

 よく考えずに高ポイントだけを狙いすぎると、かえって合計ポイントが低くなるかも……ってことか。

 空白ページは全部で10ページ。提出するまでは、採取アイテムの切り替えは自由らしい。

 試験中は何があるのかわからない。とりあえずは見つけたものを片っ端から採取して、後から高ポイントのものへ入れ替える、って感じが無難だろう。おれは緊張している、通常通りじゃない。難しいこと考えず、シンプルに行こう。

 

「試験内容の説明終了後、試験開始まで十分ほどの猶予が設けられます。冊子冒頭の注意事項にはすべて目を通してください。例えば、『試験終了時刻までに冊子が提出されない場合は0ポイント』、『ひとつのアイテムからの採取は二回まで』、『同冊子に於いて、ひとつのアイテムからのポイントの獲得は一度のみ』など。これまで説明したことも含めて、本試験のルールがすべて記載されています」

 

 ルール……読み飛ばさないように気をつけないと。

 なにか違反でもして、失格になんてなったら堪ったものじゃない。

 

「いいですか、試験時間は三時間です。終了時刻である、十二時三十分までに冊子を提出してください。必ず、ですよ。本試験終了後の提出は一律ゼロポイントとして扱います。いかなる例外も認めません」

 

 白宮原学園長は、最後に念を押すようにそう言った。

 

 

 

 冊子を熟読していると、いつの間にか時刻は九時三十分前。

 長針が六を指そうかというタイミングで、おれは腕時計をポケットへとしまった。

 予備の時計はない。うっかり壊してしまって翌日以降に響かせるわけにはいかない。特に明日の筆記試験は時間配分が重要なのだ。

 それにこの腕時計は、ねえちゃんのくれたお下がりだから大切にしたい。転んで潰さないように気をつけないと。

 

「――では、これより魔道学園合同入学試験一日目“探索演習”を開始します」

 

 スタートを告げる声に背中を押され、おれは広場を出発した。

 さあ、魔道士になるために全力を尽くそう!

 

 

 広場を中心として、六方向に別れたうちの一つのアーチを潜り抜け、森に足を踏み入れる。

 薫る木と土と草の混じった匂い。降り注ぐ穏やかな日差しに顔をあげれば、空で何かが動いた気がした。

 

「179?」

 

 指と指の間から覗くその数字に首を傾げる。

 何の数字だろうか。空に浮かんでいるというわけではなく、森を覆う結界の上部に『179』のテクスチャーが貼られているかのようだ。

 ポイントを得ようと周囲を探索していると、いつの間にかその数字が『176』に変わっていることに気がついた。

 これは……カウントダウンだ。さっき空で動いていた気がしたのは、『180』から『179』に変わる瞬間だったからだろう。試験時間は三時間、分に直すと『180』分だ。

 今は『176』が浮かんでいるから、残り時間は176分。実にわかりやすい。

 わざわざ腕時計を取り出さずに済むし、これならばうっかり試験終了時刻に間に合わない、なんてことはなさそうだ。

 こまめに空を確認して、残り十分くらいには広場近くに戻って来られるようにしよう。

 

「あっ……魔物……!」

 

 早速とばかりに木の葉が揺れる音に目を凝らすと、鶏のような魔道生物がコケコケと歩き回っていた。木陰に隠れ、背負った木剣に手を添える。背後を取るには回り込む必要があるな。

 この試験には当然のように魔物が登場する。魔物にもポイントが割り当てられていて、弱い魔物でも比較的高ポイントだ。あの鶏も、採取できれば5ポイント獲得できるらしい。実に美味しい。

 だが攻撃を仕掛ける前に、冊子に小さな文字で『鶏冠(トサカ)に猛毒を持つ』と書かれていることに気づき、おれはそっと木剣から手を離した。シャツが背中に張り付く。いやぁ、改めて見ると、とてもカラフルなお体ですね~!

 足音を立てないよう注意しつつ、そそくさと退散する。猛毒って何……こわ……。

 

 と、その時、後ろから地面を叩く連続音……足音が聞こえてきた。

 音からして鶏のものじゃない、何だろう。

 

「お命頂戴致します! 5ポイントさん!」

 

 身を伏せ茂みに隠れながら様子を窺うと、一人の少女が剣を片手に鶏へと飛び掛かる場面だった。

 ちょっ、声を張り上げた上に正面からって……かなりまずくない!?

 

「コケェえええええええええ!」

「ふごぉっ!?」

 

 おれの懸念は当たり、青筋を浮かべた鶏は鶏冠をフルスイングした。少女の顔面に直撃する。見事なまでの返り討ちだ。

 

 地面にベシャリと落ちた少女は、途端に顔を押さえてもがき出した。

 おそらくは皮膚、あるいは眼球から鶏冠の毒を取り込んでしまったのだろう。

 血の噴き出る指の間から覗く表情は苦悶に満ち、口からは水音で濁った絶叫が放たれる。片手に剣を持ったままなのは、単に手放すだけの余裕がないからだ。

 そうして数秒ほど悶え苦しんだ後、彼女はぴくりとも動かなくなった。体が魔力の粒子と化し、跡形もなく空へと消える。

 あ……死んじゃった……。

 

 

「い、挑まなくてよかったぁ……!」

 

 毒々しい色合いの鶏が立ち去った後、おれは胸を撫で下ろした。

 あんな苦しみ方ある? さすがは猛毒……単なる毒とは一線を画す……!

 というか、あれがたったの5ポイントってどうなってるんだよ! 助けようか迷う暇もなく死んじゃったんだけど!

 

 これからは何を見つけても、まずは冊子を読んで毒の有無を絶対に確認しよう。そうしよう。固く誓う。

 あんな死に方だけはしたくない。だってめちゃくちゃ苦しそうだったもの。一人寂しく絶望の果てに息絶えるなんて嫌だよ、おれ。

 いやぁ、復活後の彼女の活躍を祈らずにはいられませんよ……。あんな苦しみを味わったんだし、どうにか報われてほしいよね。

 そう、復活後。先ほど死亡したあの少女は、まだこの“探索演習”に現在進行形で参加中なのだ。

 おれとしては未だ半信半疑ではあるのだけど、さすがにあんな嘘は書かないだろう。

 

 冊子曰く、『探索演習中に死亡した場合、必要甦生(そせい)時間の経過後に会場内のリスポーン地点で甦る』、そうだ。甦生時間はなんと、たったの三十分!

 しかも、だ。魔物を相手に死亡した場合であっても、甦ることが可能なのだ。もう一度言う、魔物に殺されても甦ることができる。

 ……まさかの星脈還しより高性能。いったいどういう仕組みなんだろうか。こんなの聞いたことがない。

 穴が開くほど冊子を読み込んだのだが、『夢のコラボによって実現した期間限定特別ステージです(※本試験終了後の死亡にはご注意ください。星脈還しor死です)』としか説明されていなかった。というより説明になっていなかった。

 本当にどういうことなんだ。夢のコラボとは、具体的には何のコラボなんだ。もうちょっとわかるように記載して欲しい。もしかして秘匿されし魔術だとかで、わざとこんなふうに書かれているのか……? 偉い人の考えることはわからない。

 

 と、理解できないことは置いておいて。

 そんなわけで時間をロスするデメリットはあれど、死亡=失格ということではないのだ。とても親切設計。試験前に読んだ時はそう思った。

 でもあの鶏を知った今は違う。これ、脅威度の設定の調節が単に面倒だっただけなんじゃないだろうか。ほら受験生って、おれみたいな毛が生えた程度の素人から帝国上位層の実力者までピンキリだしさあ!

 だってあの鶏、殺意高すぎるでしょ! あんなのアリなんですか!?

 

 あー、ダメだダメだ。ショッキングな殺害現場を目撃してしまったせいか、気が動転してしまっている。

 深呼吸をしながら見上げた空には『169』と書かれていた。

 

 

 

「これで……10!」

 

 葉をナイフで切り取ると、すぐに薬草は魔力の粒子となって消えた。

 これは……この採取で二回目だったということかな。二回採取すると消えてしまうから、『ひとつのアイテムからの採取は二回まで』ということなのか。

 十度目のアイテム採取を終え、おれは人差し指と親指で顎を撫でた。

 

 空には『120』。

 あれからというもの、探索は順調そのものだった。空白だったページはいったん全て埋まったし、魔物に遭遇することもなかった。

 慎重に慎重を期した甲斐があったというものだ。これまで一度だって木の枝を踏んでいないほど、周囲を警戒して採取してきた。

 

 とはいえ、これからは多少の冒険が必要だ。

 現在の手持ちの合計は10ポイント。採取したものはどれも1ポイントのアイテムと、まったくもって心許ない。他の受験生たちは、もっと多くのポイントを集めてくるはずだ。

 すでに幾らかの魔道の心得がある貴族には及ばなくとも、平民の中では上を目指さなくてはならない。魔道学園の入学試験は、貴族の合格率はほぼ100%。そして残った枠に入ろうと、おれたち平民が優劣を競うのだ。

 昨今の魔道学園の増設や拡張に伴い、年々募集人数は増えてはいる。今年の募集は千を超えているという噂だって耳にした。千人……大きな数字だ。持てる力を十全に発揮できたなら、おれにも充分に合格を目指せる倍率。

 合格したい。魔道士になりたい。一迅さんのようになれたら、おれは……。

 

「……魔物を狩ってみよう」

 

 決意を胸に、おれは森の奥へと歩みを進めた。

 

 この森は広い。

 昨日下見で外周をぐるりと周った時よりも、何倍にも面積が膨れ上がっている。原理はわからないが、これも夢コラボとやらの影響なのかもしれない。

 

「ちょっと南に……三日月の形をした岩」

 

 冊子の空いた箇所に、簡易的な地図を描きながら進む。

 あまり入り組んだ場所にはいかないようにしないと。迷子になって広場に戻れなくなれば0ポイントだ。

 地図が役に立たなくなった場合に備えて、木に印をつけたり、傷をつけた石を撒いたりもしているが不安は拭えない。大きな戦闘でもあれば、どれも消えてしまうかもしれない。

 ここが海であれば迷ったりしないのに。そう思いはするが、思ったところで海水が湧き出てくるわけでもない。

 地道にマッピングを進めていった。

 

「……いた」

 

 それから数分歩き、木々の少し開けた場所にその兎を見つけた。

 角の生えた茶色の兎は野草を啄んでは跳ね、新たな野草の元へと向かう。この辺りの野草はどれも一部が欠けている。野草の美味しいところだけを食んでいるのだろう。実にグルメな大食漢兎だ。

 

 『103』を確認した後、冊子を捲る。

 名前は跳逃兎角(イチゲキウサギ)。『優れたジャンプ力で突進し、額から生えた角で獲物を貫く。臆病で、一度でも攻撃に失敗すると逃走する』。4ポイント。

 説明文を読む限り、初心者向けっぽい魔物だ。毒も持っていないし(最重要)。おれよりあの兎が強かったとしても、一撃さえ凌げば向こうから逃げてくれるのなら好都合。三十分のロスは痛い。

 よし、あの兎にしよう。

 

 木陰を縫うように、兎との距離を詰めていく。

 足音にはもちろん、風向きにも常に意識を向けた。兎は聴覚だけでなく、嗅覚も鋭いとねえちゃんが前に言っていた。

 残り二メートルまで距離を詰めたところで、一気に地面を蹴った。

 

「っ、……!」

「キュイッ!?」

 

 くっ、掠っただけか……!

 直前で攻撃を察知した跳逃兎角(イチゲキウサギ)は、前に跳ぶことで木剣の直撃を免れた。

 ふわふわと兎毛が舞う。

 

「キュビビィッ!」

 

 剥き出しになった歯が軋み、高音が鳴り響く。

 黒い瞳が赤く染まり、額の角に魔力が集まる。

 尻尾が風船のようにみるみると膨らんでいく。

 

 来る……!

 

「雷撃――」

 

 真正面から木剣を振りかぶろうとしたところで、脳裏に大烏賊或蛸(クラーケン)がフラッシュバックした。

 絶対的な悪寒。当たれば――死ぬ。

 

「ぁあッ!」

 

 破裂音が響いた瞬間、咄嗟に木剣の腹で顔を庇いつつ、地面に倒れ転がる。

 刺突をどうにか受け流し無傷で避けられたが、地面に強打した背中を摩りながら上体を起こす頃には、跳逃兎角(イチゲキウサギ)はすでに逃走を完了させた後だった。

 夏風におれだけが揺られる。

 

「……失敗したッ」

 

 死の気配に怖気づいたせいだ。

 あれだけ勢いづいていたならば、上手く木剣の切先を当てるだけで跳逃兎角(イチゲキウサギ)を貫き倒せたはずなのに。

 いつもそうだ。おれは肝心な時に覚悟が足りない。勇気がない。

 

「あー、反省会は宿に戻った後っ。次の魔物を探しに……ん?」

 

 背負い直そうとした木剣、その紐に何かが絡んでいるのを見つけた。

 摘みとり、なんとなしにそれを見つめる。

 それは、茶色くふわふわと風に揺れる毛だった。

 

「これって、まさか……!?」

 

 その正体に思い至り、おれは慌てて冊子を開いた。

 冊子に挟んでいた薬草の切れ端と、今手に入れたそれを交換する。

 

 跳逃兎角(イチゲキウサギ)に逃げられた、というのはおれの勘違いだった。

 あの兎の姿がなくなったのは……二度目の採取に成功したからだったのだ。

 

 一度目の採取は、初撃の後に兎毛が舞っていたからその時。そして二度目の採取は、攻撃を受け流そうと眼前に掲げた木剣の紐に毛が絡んで。

 つまり、おれは跳逃兎角(イチゲキウサギ)との戦いに勝利していたのだ。この試験中でなければまんまと逃げられていた、かなり不格好な形ではあるけれども。

 とはいえ対魔物戦はこれが初めてだから、素直に喜ぼうと思う。勝利は勝利だから。こういう時にブチ上がることだって、きっと大切なはずだ。

 

「4ポイントゲットだぁー!」

 

 現時点での合計ポイントは13。

 おれは清々しい気分で『92』を見上げた。

 

 

 

 倒すのではなく採取。

 魔物を倒してから素材を剥ぎ取るという固定観念は、この試験においては不要なのだと気づけたことは大きな収穫だった。

 

「えーと、これで……19ポイントか」

 

 跳逃兎角(イチゲキウサギ)戦の後、おれは四体の魔物からの採取を成功させていた。

 ターゲットとなる魔物を見かけては、背後に忍び寄り採取する。それを四度繰り返したわけだ。上手く行ったのは内二回だけど。

 まあ、気配を消す修行なんてしてこなかったのだから仕方がない。そもそも修行相手になってくれる人もいなかったし。

 

「ハサミとか持ってくればよかったかなぁ。試験内容を知った今だから言えることなんだけどね」

 

 切れ味の鋭い自決用ナイフ様様だ。まさか試験で活躍してくれるとは思いもしなかった。

 宿に戻ったら手入れをして労ろう。首から下げた鞘越しに刀身を撫でた。

 

 高ポイントを目指し改めて冊子を読んでみると、魔物を含めても3ポイントを超える項目は豊富とはいえなかった。5ポイントともなれば、両手足の指で足りるほどに少ない。

 開始早々、あいつに遭遇してしまったのはたいへんな不運だったと言える。直感であのアーチを選んでしまったのがダメだったのかもしれない。おれ、昔から運が悪いし。いつの間にか騒動に巻き込まれていたりとか……。まあ、あの女の子ほどじゃないか。

 耳にこびり付く断末魔を落とすように、おれは頭を振った。

 

「あいつ、やらないのか?」

 

 不意に話しかけられて肩が跳ねるが、すぐにその意を汲む。

 おれも先程同様の問いをしたことがあった。

 

「いいよ。さっき採取済ませたから」

 

 広い試験会場ではあるが、受験生だって多い。

 移動中にすれ違うこともあれば、狙う獲物がブッキングすることだってある。そして利害が一致して、一時的な協力関係となることも。

 

「そうか、そんなら貰うわ。あいつ、どうだった?」

「石投げてくるから注意。右手で投げる時は二連続、けどその後三秒くらい硬直してた」

 

 こういう時、おれは素直に情報を渡すことにしていた。

 

「サンキュ。代わりにオレからもひとつ。さっきの咆吼は聞こえたか?」

 

 大抵の場合、対価として情報を貰えるからだ。

 それが有用であるのかは、自身で吟味しなければならないが。

 

「咆哮?」

 

 言われてみれば聞こえたような気もするが、採取に夢中になっていたから気にも止めていなかった。

 

「東の方から聞こえてきたんだ、距離としてはここから二百メートルって辺りだな。オレは耳が良いからな、何人かが交戦したのもわかったんだが……数秒間やべえ叫び声を上げて、その後はみんなダンマリだ」

「あっ」

 

 毒じゃん、絶対。猛毒じゃん。5ポイントだよ、そいつ。

 おれは彼にとても深く感謝した後、そそくさと西へ向かった。

 

 

「こっちの方は魔物がいないのかな……」

 

 東から距離を取ろうとして真反対の西に来たのは安直だったか。いくらか探してみたが、一体も魔物を見つけることができなかった。

 それどころか、休息を取っている受験生も周囲にちらほらと見かけるほどの平和的な時間が流れている。

 だが、ちょうどよかったかもしれない。ずっと気を張っていたからか、思っていたよりも汗をかいてしまっていた。体力の消耗が激しい。

 

「川とかあれば、水分補給できるんだけどなぁ」

 

 海だともっと良い。浸かってると回復できるから。喉も勝手に潤うし。けれども海の匂いがするのは東からだ。おのれ、5ポイントめ……。

 木陰で幹に背を預けながら空を見上げると『58』だった。早いもので、もう残り一時間を切っている。

 魔物を後二、三体倒したら、広場へ向かおう。終了時刻ギリギリの提出なんて狙うものじゃない。

 汗も引いてきたことだし、そろそろ魔物を探しに行こう。

 

「ん? あれ、もしかして……」

 

 そうして探索を再開して数分も経たないうちに、十数メートル先にある木に目が止まる。

 なんの変哲もない、ただの木のようにも思えるが。

 

「あの特徴的な模様、間違いない……おれでなきゃ見逃しちゃうね」

 

 冊子と見比べると、記された模様と瓜二つだ。

 かなりレアな木であるらしい。魔物でもないのに、4ポイントも割り振られている。毒もない。

 よし、採取しよう。4ポイントはかなり大きい。

 

 すれ違う受験生たちに気取られぬよう、おれはなんでもない様子で木に近づいていく。

 

「……っ」

 

 高鳴る胸の鼓動だけが聞こえる。いっそ魔物を相手取るより緊張しているかもしれない。

 もしかしたら、おれ以外にもあの木に気づいている受験生がいるんじゃないか?

 先を越されてしまって、すんでのところであの木は粒子と化してしまうんじゃないか?

 

「……、……!」

 

 頭がおかしくなりそうだ。

 早く、早く行かないと。

 木だけを見る。

 

「……っ!」

 

 そうして木の元へと辿り着き、ナイフで素早く樹皮を採取して冊子を開き――

 

「――ぐふ!?」

「あ、ごめん、苦しかった?」

 

 突然襟口を後ろへ引っ張られた混乱よりも先に、その綺麗な声に聞き惚れた。

 

「き、君は……?」

 

 息苦しさから視界がぼやけ、咳混じりに問いかける。

 

「あ、それ4ポイント?」

「え、うん」

「早く挟んだ方がいいね。なくしちゃうよ」

「あ、うん」

 

 少女に促されるまま樹皮を冊子に挟む。

 採取の妨害をしたかったわけではないようだ。

 

「えーと、君も……あれ?」

 

 首を傾げながら樹皮の採取を彼女にも勧めようとして、木が無くなっていることに気づいた。今の採取、二回目だったのか。

あれ、でも樹皮を取った直後には粒子になってなかったような……

 

「って、なにこれ!?」

 

 どうして今の今まで気づかなかったのか。

 無くなっていたのは、あの木だけではなかった。

 あの木の周辺、ここら一帯の木すべてが抉れたように薙ぎ倒されていたのだ。

 

「気づいてなかった? やっぱり集中力がすごいタイプだったんだ」

 

 オレンジがかった黄色、帝黄色(ていおうしょく)と呼ばれる色合いのフードを被った少女が抑揚に乏しい声で呟く。

 その背後には――うねうねとした触手の群れが絶賛元気に蠢いていた。

 ……間違いなく、憬肉触玉手(ローパー)だ。6ポイント。

 

「助けてくれてありがとう!!」

 

 ようやく事態を理解したおれは、全力で頭を下げた。

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