いつかこの手に雷光を   作:直崎ゆきふり

5 / 7
5(前) 森の中の出会い

「本当にありがとう!」

 

 憬肉触玉手(ローパー)を警戒しながら、おれは改めて隣に立つ少女にお礼を言った。

 彼女に助けられなければ、木々を纏めて薙ぎ倒すような攻撃が直撃していた。そうなれば確実におれは死んでいる。

 試験中は三十分で復活できるとはいえ、大幅な時間のロスとなる。特に、試験終了まで一時間を切った今だと尚のこと。あと単純に死にたくない。怖いし。

 

「品行方正っぽい?」

「えっ?」

 

 想定外の言葉をかけられたものだから、思わず憬肉触玉手(ローパー)から視線を切ってしまう。

 

「最近、心がけることにしたんだ。どう?」

 

 その顔を窺い知ることはできない。確認できるのはオレンジがっかた黄色のフードと、そこから覗く端整な口元だけだ。

 その唇から発せられる少女のものでありながら少年のようでもある声音は、抑揚に乏しく、憬肉触玉手(ローパー)を前にしてなお淡々と話す様子から、落ち着いた子という印象を抱いていたのだが……ちょっと変わった子なのかな。

 

「そうだね……とても助かったよ」

「そっか、助かったんだ。よかった」

 

 少々面を食らってしまったが、感謝しているのは本心からだ。

 なので、そう伝えると、彼女の形の良い唇がほんの少し持ち上がった気がした。

 

 少女は憬肉触玉手(ローパー)と対峙しているというのに、自分のペースを保っている。

 手足は力まず程よく脱力し、まるで街中で信号待ちをしているかのような自然体。場馴れしている、のかな。

 

「戦うの?」

 

 憬肉触玉手(ローパー)へと向き直って木剣を握ったおれに、少女は問うた。

 意外そう、というよりは、言葉通りにおれの意思を確認しようとしている。

 

「君が良ければだけど。優先権は君にあると思ってる」

「そう。山分けだね」

 

 二つ返事でパーティーへの参加申請を許諾してくれた少女は、半袖のパーカーの懐から抜き身のナイフを取り出した。

 白い意匠のナイフで、刃渡りは十五センチほど。鏡面のブレードが陽の光を受けて輝く。

 

「勝利条件は、二回採取。いけるいける。いい感じにがんばってこう」

 

 

 憬肉触玉手(ローパー)。それは、家畜化された魔物の代表例のひとつ。

 おれが昨日食べたワクドガのハンバーガーも、パティにはローパー肉が使用されていた。当然だ。陽照で流通する食用肉の99パーセントが憬肉触玉手(ローパー)のものなのだから。ローパー肉を口にしたことがない陽照人を探すのは困難を極めるだろう。

 優れた繁殖能力を持つ上に基本的に雑食で、病気にだって強い。おまけに、痛覚のない触手は切断しても数時間で再生するから、屠殺する必要もないときた。飼養管理基準を遵守していれば、憬肉触玉手(ローパー)は安定した供給速度で高品質の畜産物が見込める、優秀な家畜なのだ。

 

 参考にしようと冊子を再確認してみたが、『食卓に並ぶ肉に憧れた触手は、美味しく頂かれるために全てを喰らった』……としか書かれていない。ふざけた文言だとは思うが、事実ではあるために批判はしづらい。もっと採取に役立つ情報を載せて欲しかったが。

 まあ、毒持ちであれば明記されているはずだから、その記述がないのは大きな情報か。そもそも有毒化した憬肉触玉手(ローパー)は所持は禁じられていたんだっけ。何百年か前の、特殊な教育を施した憬肉触玉手(ローパー)に違法薬物を学習させて人を襲わせ、憬肉触玉手(ローパー)中毒にさせるという事件をきっかけに法が整備されたのだとか。そんなことを理科の授業で先生が雑談してた気がする。

 そう考えると、6ポイントというのはレアリティ込みでの数字なのかもしれないな。5ポイントの猛毒持ちのように、一撃=死ではないのは嬉しい。

 とはいえ、『憬肉触玉手(ローパー)牧場へは絶対に近づくな』と口を酸っぱくして言われてきた相手だ。油断はできない。

 

 食べらたがりやの憬肉触玉手(ローパー)は、食べたがりでもあるのだ。

 生きる限り、常に自身の味を追求している。だから他の肉を取り込み、その味を、その食感を、味を向上させるためのすべてを学習し、再現しようとする。

 捕食者と化した憬肉触玉手(ローパー)は厄介だ。牧場へ不用意に入ってしまった人間が捕食される事件は年に数度起きている。家畜を狙う野生の魔物からも自衛できる戦闘力を持つ憬肉触玉手(ローパー)に、戦闘訓練を受けていない一般人が抵抗できるはずもない。その最期は、どの新聞の記事も言葉を濁していた。

 

 魔道士にのみ取り扱うことが許された家畜(まもの)

 今から挑むのは、そんな相手だ。

 

 

 

「くっ……はあ!」

 

 憬肉触玉手(ローパー)が次々に伸ばしてくる触手を時に木剣で弾き、時に地面に転がって避ける。

 何度目かの攻防でようやく目と体が追いつくようになって、木剣で攻撃を凌げる回数が増えてきた。

 僅かばかりできた余裕で、同じく触手の雨に降られる少女に目を向ける。もし追い詰められているようならば助けに入ろう、そう考えてのことだったのだが、杞憂であったようだ。

 

「はぁ、はぁ……すごいな……」

 

 死角からの攻撃も、彼女は見えているとばかりに難なく避けている。空を蹴るような身軽さに、絡め取ろうとする触手の方が翻弄されていた。

 けれども少女が優位なのかといえば、そうでもなかった。触手を避けるすれ違いざま、彼女は幾度もナイフを振っているのだが、そのどれもが表層に傷をつけるだけの結果に終わっている。

 他の魔物であればそれでもダメージを蓄積できたのであろうが、相手は高い回復能力を保持する憬肉触玉手(ローパー)だ。浅い傷はたちまちに消滅させてしまう。

 

 互いに無傷の状況での膠着。6ポイントの魔物相手に喰らい付けていることを喜ぶ気持ちもあるが、それよりも遥かに焦りが心を占めていた。

 たった数分間の攻防で木剣を握る手が痛み、すでに肩で呼吸してしまっている。あと何本の触手を凌げるのかと考えれば、心臓が暴れて仕方なかった。

 体力が尽きる前に倒さなければ。防ぐだけではダメだ。おれからも仕掛けないと……!

 

 粘液を纏う触手を木剣で斬り落とすには、斬撃の方向が重要だ。削った木の刃が最も触手に食い込む角度で、体重を乗せて振りかぶる必要がある。

 そのためには触手が静止していることが最も望ましいのだが、それは難しいだろう。赤く光る眼は闘志に満ちている。一度捕食者のスイッチが入った憬肉触玉手(ローパー)は、獲物を捕食するか、こてんぱんに懲らしめない限りは止まらない。

 ではどうするのかと考えて、思いついたのはシンプルな答えだ。動く触手に合わせて、おれも動けばいい。同じ方向へ同じ速度で足を動かしたなら、それは止まっているも同然だ。

 そう結論づけたところで、憬肉触玉手(ローパー)はおれ目掛けて三本の触手を伸ばしてきた。

 ちょうどいい。おれにも出せる速さ(タイム)だ。

 

「いち……っ!」

 

 まず一本目。

 これは木剣で弾き、軌道を逸らす。

 

「にっ」

 

 迫る二本目は大きな横薙ぎ。避ければ勝手にどこかへ行ってくれる。

 というわけで、二本目の触手は地面に片手を突きながら転がって回避。そして、そのまま斜め後方へと走る。速度は出さない。

 真っ直ぐとおれを追ってくる三本目にわざと追いつかせ、触手がおれを巻き取ろうとするのを横ステップで躱す。

 足を止めないまま、真横に並んだ触手へと思い切り両腕を振りかぶった。

 

「雷撃剣! ……浅いか!」

 

 距離を取る。

 傷が浅い。採取は失敗だ。

 

「はぁっ……はぁ……っ」

 

 呼吸を整えながら、憬肉触玉手(ローパー)を見る。すぐに追撃してくることはなさそうだ。触手を大きく蠢かせ、憬肉触玉手(ローパー)もまたおれを見ていた。

 やらないよりはマシだろうと、木剣を憬肉触玉手(ローパー)に向けて威嚇しながら、横目に先程攻撃を仕掛けた触手の状態を確認する。

 中程まで斬ったはずのそれは、わずか数秒の間にすでに再生を終えていた。傷跡すら残っていない触手がてらてらと透明の粘液に濡れている。血色が混じる様子はない。血抜きを必要としない、あまりにも人間にとって都合良く進化したその生態が今は憎らしかった。

 やはり採取するためには、触手を完全に斬り落とす他ない。目に入ろうとする汗を拭い、木剣を右手に握り締める。

 

「……ッ」

 

 今度はおれから仕掛けた。

 恐怖に竦もうとする足が勝手に止まらないようにと回転させる。間合いを詰めた今、足を止めれば絡め取られるだけだ。

 剣を弾こうとする触手を逆に弾き返し、バランスを崩させようと足払いをかけてくる触手をジャンプして避け、挟み撃ちにして捕まえようとする触手の片方を踏みつけて跳び、空振ったもう片方の触手を追いかける。

 横に並んだところで、一度減速。そして再び、強く踏み込んだ。

 

「雷撃剣! ……くっ、またか!」

 

 数メートル先の触手。たった今斬りつけた傷も、先の攻撃と同じく中程までだった。

 斬り落とせなければ採取はできない。二度目の失敗だ。慌てて距離を取る。

 

「……上手くいかないな。何が、ダメなんだ……ッ」

 

 一度目も、二度目だって、タイミングは間違えなかったはずなのに。

 やっぱり……おれが6ポイントの魔物を倒そうなんて、烏滸がましかったのかな。

 

「振りかぶる前に、後ろに跳んでる」

「え?」

 

 下唇を噛んでいると、いつの間にか隣に帝黄色の少女が立っていた。

 戦闘中だというのに、おれは木剣を構えることも忘れて彼女を見た。予感がしたのだ。なんの予感なのかはわからない。

 けれども、何を置いても彼女の言葉を聞かなくてはならない。そんな不思議な確信があった。

 

「剣を当てる前に、すでに退避を開始してる。そのせいで切先が浅くしか届いていないから、斬り落とせなかった」

「確かに……そうかもしれない」

 

 思い返してみれば、攻撃の成否を判断する時には、すでに触手との間には数メートルの距離ができていた。

 そんなの、彼女の言う通り……攻撃する前から逃げていないとできない距離じゃないか。おれは振りかぶると無防備になることを恐れすぎて、逃げの攻撃を繰り返していたんだ。

 どうして気づかなかったんだ。こんな体たらくで、よく悔しがれたものだ。失敗して当然だ。……臆病者め。

 

「だから、ちゃんと当たったら一撃で斬り落とせる。速度は出てたし。ねぇ、私の朝暮(あさぐれ)だとちょっと短いみたいだから、私の分の採取もお願いしていい?」

「えっ!?」

 

 俯いていた顔をガバリと少女に向けた。彼女もまた、陽に照らされるナイフを片手にこちらへ顔を向けていた。

 フードに隠れていてわからないはずなのに、その目が真っ直ぐとおれを見ていると何故だが確信できた。

 

「ちゃんとその分の援護はするよ」

 

 数秒見つめ合っていると、彼女にそう捕捉された。

 ご、誤解されてる……!? おれは取り分について不満で驚いたわけではなくて……っ!

 

「いやっ、ええと……おれがさ、斬り落とせるって……ホントなの?」

 

 おれができるって、逃げないって……君は信じてくれるの?

 憬肉触玉手(ローパー)に向かっていった時よりも高鳴る心臓を押さえて、おれは少女に尋ねた。

 すると、彼女は首をこてりと傾げてこう答えた。

 

「本当もなにも、当たったところは斬れてたでしょ?」

 

 どこからどう見ても、なんでもない様子で彼女はそう言ったのだ。

 おれにとって、その言葉がどれほど嬉しいものであるのかさえも気づかずに。

 

「そう、だね……そうだ。よしっ、おれに任せて!」

「うん」

 

 彼女は当然のように、おれができると信じてくれているんだ。その期待を裏切りたくない。

 だから、どんなに怖くたって……全力で、この剣を振るおう。

 

 

 避ける。避ける。避ける。

 十数本の触手が少女を捕らえようと伸びるが、少女の纏う衣服にすら掠らない。ショートパンツから伸びる足は軽やかにステップを踏み続ける。

 憬肉触玉手(ローパー)が伸ばす触手を減らそうとすれば、両手を広げて(いざな)い決して舞台から降りることを許さない。半袖のパーカーが揺れ、(まく)られた黒い袖口が憬肉触玉手(ローパー)の視線を閉じ込める。

 憬肉触玉手(ローパー)は最早おれなど眼中にない。少女の白く美しい指先を貪ろうと、いっそう眼を赤く光らせていた。

 

「……っ」

 

 音を立てないように息を吐いた。

 なんて絶好の機会だろう。そう思えば、心が軋みそうだった。ここまでお膳立てしてもらいながら失敗したら、きっと今度こそ彼女に失望されてしまうだろうから。

 それは嫌だ。絶対に。何があっても嫌だ。おれは、おれを信じてくれる人を裏切りたくない。

 だから大丈夫。おれは逃げない。今度こそ。だって、今のおれは、憬肉触玉手(ローパー)に殺されることよりも、彼女の期待に応えられないことの方が怖いから。

 

 憬肉触玉手(ローパー)の目は三つある。けれど、そのどれもが正面に付いていて、顔の肉に埋もれているから視野角度は常に百八十にも満たない。それが今は帝黄色の少女によって、さらに制限されている。

 おれは死角ギリギリまで素早く距離を詰め、そこからは少女に向けて伸ばされる触手の群れの影を転々としながら、やがて一本の触手へと辿りついた。

 動く触手に足を合わせ、木剣を振り上げれば、少女に夢中になっていた憬肉触玉手(ローパー)もさすがにおれの存在に気がついた。憬肉触玉手(ローパー)は獲物と認識した相手に、肉を奪われることを嫌う。

 不届者を排除しようと真っ赤な眼を剥く憬肉触玉手(ローパー)を無視して、おれは眼前の触手へと跳び掛かる。そうして触手との距離がゼロになる寸前、木剣を力の限り振り下ろした。

 

「雷撃剣!」

 

 木剣が肉に食い込み、触手を断っていく。

 今度は逃げなかった。逃げられないように、地面を蹴って跳んだから。

 

「……ッ、ぁああ!」

 

 木製の刃の切れ味がひどく焦れったい。けど、もう少し。残りはたったの数センチだ。あと三秒。

 おれは斬りたい。おれに採取を任せると、次は逃げないのだと信じてくれた彼女に応えたい。

 だから、二秒後におれの腹を貫こうと迫る触手なんて見なくていい。ただ斬り落とすことだけに集中すればいい。

 それに、おれだって信じているんだ。

 

「よいしょ」

 

 聞こえてきた声に思わず笑ってしまう。やっぱり、援護(たす)けに来てくれた。木剣を握る手にさらに力が入る。

 煌めくナイフがおれのすぐ側を横切る。薄く魔力を纏うそれは、一直線に憬肉触玉手(ローパー)本体の赤い眼へと向かっていく。

 驚く憬肉触玉手(ローパー)の喚声が耳を(つんざ)く。三つの眼には痛覚がある。だれだって痛いのは嫌いだ。魔物も例外じゃない。

 ナイフへの対処に慌てた憬肉触玉手(ローパー)はなりふり構わず、ナイフに最も近い位置にある触手を振るった。おれの腹に迫っていた触手が離れていく。

 そして、その一秒後。

 

「はあっ!」

 

 一本の触手が空を舞った。採取は成功だ。

 おれの足が土を踏む。数歩前進して勢いを殺し、すぐさまバックステップで距離を取った。

 

「まずは一本!」

 

 弾かれたナイフを回収する少女に届くように声を張り上げれば、彼女はたった今拾い上げたナイフを振った。ペンライトみたい。

 

「いえい」

 

 あの子は、まだまだ余裕そうだな。おれも、へばっちゃいられない。

 木剣を振って付着した粘液を落とし、再び構え直す。真っ直ぐと正中線に沿って構えた木剣は、疲労で震える筋肉によって不安定に揺れている。

 でも大丈夫、次だって成功させてみせる。あと一回だ。

 このまま、おれの分の6ポイントもゲットしてしまおう。

 

「もう一度、援護をお願いしたい。次で最後だ!」

「うん。まかされよー」

 

 頷く少女は憬肉触玉手(ローパー)の前に無防備に歩み出た。彼女に向かって触手が伸びる。

 けれども憬肉触玉手(ローパー)の赤眼はおれを捉えたままだ。今し方、自身の腕の一本を飛ばされた不本意に、おれを警戒している。いくつかの触手を温存したままだ。

 これは、まずいか。先程のように忍び寄ることができないし、強引に一本の触手へ駆け寄ったとしても、斬り落とす前に残った他の触手に対処されてしまう。

 このまま少女に前に立たせても、無駄に体力を消耗させてしまうだけだ。おれは彼女に声を掛けようと口を開き、そして、おれが声を出すより早く彼女の呟きが耳に届いた。

 

「ちょっとだけなら、いっか」

 

 ため息混じりの独白だった。

 なんだろう。彼女が何かをしようとしているとだけ察することができた。

 警戒心溢れる憬肉触玉手(ローパー)の意識を掬い取る手札を持ち合わせているのだろうか。

 おれは、いつでも走り出せるように両足を前後に起き、右足に体重を置いて前傾姿勢を作った。

 

「……千熱万火(せんねつばんか)

 

 そっと囁くようなそれは、妙に耳が心地いい。これまで何千何百とその唇に詠み上げられたであろう、彼女の声によく馴染んだ魔法詠唱だ。

 その短い詠唱を終えるよりも早く彼女の右手から火が燈り、そして詠唱を終える頃にはナイフの表層だけを覆うように薄く火が揺らめいていた。

 

「綺麗……」

 

 火。彼女の魔法。

 ゆらゆらと宿るそれに目が吸い込まれる。その火から目が離せない。

 とても綺麗だと思った。きっとこの世のどんなものよりも、彼女の魔法は綺麗なのだと。

 だから、その火に触れてみたくなった。彼女にこちらを見て欲しいと強く願った。

 

「あ」

 

 思いが通じたのか、おれの方にチラリと視線を送ってくれた彼女は、スッと右手を下げた。ナイフが少女の背中に隠れて見えなくなる。

 

「――……ハッ!」

 

 そうだった、攻撃! 戦闘中にぼーっとするなんて、何を考えてるんだおれは!

 慌てて憬肉触玉手(ローパー)を見やると、口から何十もの細い繊維のような歯をビチビチと剥いて、帝黄色の少女を捕まえんと前のめりになっていた。赤い眼はいっそう血走り、口からは大きな涎が何本も地面に垂れて染みを作る。

 

「うわぁ……!」

 

 突然の豹変にぎょっとするが、すぐに今がチャンスだと思い直す。

 憬肉触玉手(ローパー)はすべての触手を少女に向けて伸ばしていた。おれのことなど、最早お構いなしだ。彼女に夢中になるあまり忘れられている。それならば、早く採取を終わらせなければ。

 今は軽々とすべての触手を避けている彼女にだって限界はある。それは体力かもしれないし、気力かもしれない。足をもつれさせた彼女が憬肉触玉手(ローパー)の魔の手に落ちるところなんて絶対に見たくはない。

 真っ直ぐと彼女を囲む触手の一つに全速力で駆け寄り、そしてそのまま全体重を乗せて踏み込んだ。

 

「雷撃剣!」

 

 木剣がスルリと吸い込まれるように触手を裂いていく。だというのに、憬肉触玉手(ローパー)は未だに少女しか見えていない。

 結局、切断された触手が宙を舞おうとも、それに気づくことすらなく憬肉触玉手(ローパー)は魔力の粒となって溶けていった。最後まで少女に焦がれながら。

 びっくりするほど呆気ない幕引きだ。

 

「……二本目!」

 

 声を張り上げるのと同時、慌てて少女の様子を伺った。

 彼女の魔法の誘引効果は、凄まじいものだった。きっとあれがあれば、端から苦戦していなかっただろう。だというのに彼女が魔法を使わなかったのは、デメリットが大きかったからじゃないのか。

 

「お疲れさま、ないす剣撃。ぐっど腕橈骨筋。やっぱり、一人より二人が強いね」

 

 慎重に観察してみるが、特に不調は無さそうだ。彼女は平然とした様子で、雑に親指を立てている。

 杞憂か。ほっと胸を撫で下ろす。

 

「援護、すごく助かったよ! ありがとう! すごいねっ、あんなの避けられちゃうなんて。おれだったら、すぐ捕まっちゃってたよ!」

「よく鬼ごっこしてるから。避けるのは得意」

 

 空いていたもう片方の手も親指を立てて、少女は顔の前へと……顔、の……

 

「そ、そうなんだね、鬼ごっこをよくしてるんだ、そうなんだ」

「? ……うん」

 

 真正面に立つ少女は首を傾げ、二、三度瞬きをした。動いた首の動きに従い、緑黒髪(りょっこくがみ)がさらりと揺れる。

 あ、真正面に立っているのは、おれが彼女の真正面に来てしまったせいか。不審がられてるかも、ちょっと距離を取ろう。さりげなく数歩後退する。少女の全身が視界に収まる。視神経を通して、おれの脳が幸福で満たされた。

 そう、フードに隠されていた彼女の花貌が露わになっていたのだ。

 

 手入れの行き届いた緑黒髪は肩よりも短く切られ、さらさらと夏風に揺れている。今まさに夏の日差しの下に立っているというのに、陽光を浴びたことがないと錯覚させる日焼け知らずの白い肌とのコントラストが目を引いて離さない。

 幼さを残した面立ちは怜悧な印象を抱かせるが、長い睫毛に彩られるのは蜜のように甘やかな金色の瞳だ。そのちぐはぐさが、その瞳にずっと捉えられていたいと願わせる。

 もしも感情の伺えないその顔に、極小の微笑みのひとつでも乗ったのなら。だれもがその瞬間に、残りの人生すべてを彼女に振り向いてもらうことだけに費やすだろう。そう思ってしまうほど、彼女のすべては美しく整っていた。

 今まで出会った人の中で、いちばん綺麗な顔をしているかもしれない。こんなの顔の大天才大会の世界チャンピオンだ。世界に顔を馳せて……あれ、昨日もこんなことを言った気がするな。

 いやでも実際にすごく可愛いんだから仕方がない。ボキャブラリーってのは一朝一夕で増えないから苦しいんだ。綺麗なお姉さんや可愛い女の子との遭遇率が異様に高い入学試験が全部悪い。どうなってるんだ、魔道士界。おれの頭が辞書だったなら……。

 

 それにしても……だれかに似ている気がする。……(しき)殿下か?

 緑黒髪に金色の瞳。どちらの色も、崇高三彩(すうこうさんさい)――緑黒の髪、金色の瞳、陽色の瞳。陽照で貴ばれる三つの色彩――に数えられるものだ。

 その珍しい色彩の組み合わせは、沙夜ちゃんの従姉である星見の塔の塔主と一致しているが……いや、まあ、違うか。

 恩光に照らされる甘やかな瞳は、皇妹(おうまい)殿下の光の無い眼差しとは大きく異なる。権謀術数とは無縁だろう。そもそも学園を卒業済みの識殿下が、入学試験を受けているはずがない。十中八九別人だ。

 とはいえ、不安は拭えない。ひょっとして、識殿下のご親戚という可能性が微粒子レベルで存在しているのではないだろうか。だって、すごく可愛い。こんなに可愛い一般人が存在し得るのか……? そんなの人類の奇跡じゃないか。

 金眼の発現は、遺伝由来ではなく魔法由来と知ってはいたが、おれは確かめずにはいられなかった。

 

「ごめんね、藪から棒に訊いちゃうんだけど……君はもしかして、おやんごとなきお家柄であったりする?」

 

 ちなみに、ここで頷かれるとまずい。小学校でも中学校でも、貴族との会話講座なんて実施されていなかった。船上ではノリで乗り切ったが、またノれるとは限らない。

 おれが心拍数を五つほど上げて返答を待っていると、彼女はこてりと首を傾げた。心拍数が百上がる。まずい、鼓動のビートがうるさい……! おれは彼女の言葉を聞きたいのに! 治まれビートビート、落ち着けハートビート。

 

「おやんごとなき……? ううん、我が家は由緒ない家柄だって聞いてるけど」

「そっか!」

 

 一般のご家庭の出身……つまりは野生の可愛い子だ!!!

 

 

「ところで、おれは……あ、採取っ」

 

 すっかり忘れてた。せっかく憬肉触玉手(ローパー)を倒したんだから、ちゃんと挟まないと。触手を拾う少女に倣い、おれも冊子を開いた。

 すごい! 冊子より明らかに大きいのに、吸い込まれるように入ってっちゃった……!

 

「あれ、しまわないの?」

 

 驚きを共有しようとしたが、彼女は触手を両手に抱えてしゃがみ込んだままだ。

 まさか、どこか痛むのだろうか。彼女の側に歩み寄ると、彼女は静かにおれを見上げた。右手には、小さな小枝を持っている。

 

「……憬肉触玉手(ローパー)は、これがあるとランクが高い(おいしい)らしい」

 

 ガリガリと小枝の先が、地面に模様を描く。『これ』とは、この模様のことだろう。

 描き終わった彼女がまた見上げてきたので、同様にしゃがみ込んで頷く。

 

「そうだね。そう聞くね」

「この模様、さっきの憬肉触玉手(ローパー)にもあったよね? 私の勘違いじゃなくて」

「そうだね、あったね。って、まさか……!」

 

 地面に向けて下げていた顔を、ガバリと少女の方に向ける。

 彼女は抱え込んだ触手だけを真剣な眼差しで見つめていた。

 

「これって……ここから切り分けたらどうなると思う? 消えちゃうかな?」

「えっ……えええ!?」

 

 告げられたのは予想した言葉ではあったが、実際に言われてしまうと想定よりも驚いてしまう。心のどこかで、『まさか実際に言ったりしないだろう』と高を括っていたのかもしれない。

 

「いやいやいや、そういう賭けに出るのはやめた方がいいと、おれは思うなぁ~!」

「食べられたいって思うのが、この世界のローパーなんでしょ? だったら、チャレンジしてみるのもひとつの道……!」

 

 この世界……?

 もしかして、この子も……いや、今はそれは置いておこう。

 

「立派な心掛けだとは思うけどさぁ! ええと、そう……品行方正! 心掛けてるんだよね!? 試験用に用意された魔物を触手のは……こほん、食すのは、それはちょっとどうなのかなって思わないっ?」

「思うものなの?」

 

 正直、おれも二回の採取で消えてなくなるのでなければ、切り分けて食べている。だって、昨日のワクドガ……めちゃくちゃ美味しかった! ローパーパティ100%!

 けど、ここで制止しないわけにはいかない。

 火を通すところまではいけるかもしれないが、高確率で噛みちぎった瞬間にローパー肉は粒子となって消えてしまうだろう。そして食べられないのに、肉を焼いた匂いだけが辺りに残って……お腹だけが空くんだ……。

 なんとしても、そんな悲しみを彼女に味わせちゃダメだ……!

 

「……ほらっ、ポイントがもったいないじゃん! 6ポイントだよ、6ポイント!」

「そうかもしれないけど……」

 

 数度の問答の末、おれは食欲に支配された可愛い少女をなんとか説得し、冊子へと触手を納めさせた。『受験生(にんげん)を喰べているかもしれない』という言葉が効いたのもあるが、他に気を逸らすことに成功したのが大きい。本当、近場に水枝(みずえだ)が生えててよかった……!

 空を見上げれば『49』。憬肉触玉手(ローパー)と遭遇してから、たったの十分ほどしか経っていないというのに、どっと疲労が溜まっていた。ちょっと休憩!

 

 

 

「水枝の木がこんなにたくさん! いやぁ、ラッキーだねっ!」

「りんご、みかん、ぶどう、ツナマヨ、もも、いちご……よりどりみどり。どれにする?」

「味わかるの? すごいねぇ! うーん、そうだな、りんごにしようかな」

 

 ……ん? 今ツナマヨって言った? うーん、気のせいだよね、きっと。ツナマヨは飲み物じゃないし。

 味がわかるのは、魔眼の効果か。“星樹の虚像”の保有者、俗に魔本(まぼん)持ちと呼ばれる人間特有の金色の眼は、千里眼もどきであったり透視もどきであったり、個人差で特殊能力が使えると聞く。それ専用の魔眼の能力には敵わないそうだが。

 彼女は透視っぽいことができるのかな、なんて詮索はここまでにしておこう。

 

 木々から伸びる枝葉がいい塩梅に日陰を作り、一休みするにはちょうどいい場所。木漏れ日がいくつか差すそこに、水枝の木は生えていた。

 水枝(みずえだ)と呼ばれる木は、枝が竹のように空洞になっていて、そこに蜜が溜まる。つまりは森の作るジュース。森汁100%が飲めるのだ。

 

「あ、ストロー草も生えてる」

「ここ、ドリンクバー付きのセーブポイント?」

 

 確かに、至れり尽くせりだ。ぺりぺりとストロー草の茎を剥いて、おれはプラスチックストローを少女に手渡されたりんご味の水枝に差す。

 んー、美味しい。酸味が少なくて、ほどよく甘い。この水枝、当たりだな。

 それにやっぱり、ストロー草の飲み心地はいい。数十年前の宿賦、ドクトル・プラスティック博士(ひろし)。彼女は長年の品種改良の末にストロー草を開発した。ドクトルのオレンジパインジュース愛に感謝だ。

 

「ねえ……その、よかったらなんだけど。この後もさ、おれと一緒にどう……かな?」

「この後?」

 

 意味もなくストローをいじりながら、彼女を窺う。

 

「この“探索演習”の残り、おれと組まない?」

 

 合点がいった彼女が『ああ』と納得した声を出し、そして、こう言った。

 

「私はいいけど、魅青くんに訊いてみないとわかんないかな」

「みさお、くん?」

「今ちょっとはぐれ中なんだけど、組んでる人」

 

 衝撃を受けて繰り返したおれに、彼女が補足してくれる。

 

「あ、そうなんだね……それなら仕方ないか……みさお、くん?」

「魅青くんがどうしたの? 知り合い?」

「違うよ、聞き覚えがありそうな感じはするけど……その、羨ましくて」

「なにが?」

 

 君と、すごく……仲が良さそうで。

 そんなことを初対面の人間に言われたら、気味が悪いだろうか。

 

「おれも、その……シサラくんって呼んでほしいなって!」

 

 だからつい、そんなことを口走ってしまった。

 

「……え、シサラ、くん?」

 

 彼女が困惑している。おれも混乱している。

 やってしまった……! もうこのまま勢いで乗り切るしかない!

 

「呼んでくれるの!?」

「なんで『くん』なの?」

「理由がないと呼んでくれないの……!? ま、待ってね、今考えるから……!」

「別にいいけど。どう書くの、『シサラ』って」

「ちょ、ちょっと、いきなり呼び捨てなんて……星脈行っちゃうよっ」

「せ……星脈……?」

 

 び、びっくりしたぁ……! 心臓止まるかと思っちゃった!

 勢いで言っちゃっただけだけど、くん付けしてもらうのがちょうどいいのかもしれない。

 呼び捨てにされるのは心臓が保たないけど、名前で呼んでもらえたら嬉しいし……。

 

「あー、お姉ちゃんタイプ?」

「え?」

 

 しまった。心臓の音がうるさすぎて、声を聞き逃してしまった。不覚。

 なんて言ったんだろう、今。もう一回言ってほしい、とお願いする前に彼女はしゃがみ込んだ。ちょいちょい、とおれを手招きしてくれたので、すぐさま招かれる。

 

「はい、名前書いてみて」

「は、はいっ」

 

 渡されるまま、木の枝を受け取る。

 右手に持った木の枝を動かし、地面に『志更』と書いた。

 するとそれを視線でなぞった彼女が、おれの持った枝に手を添える。重なった右手と、地面に刻まれていく文字に、彼女の顔。どれを見ていいのかわからなかった。

 あっという間に、いや、ようやくというべきなのか。合計十四画の二文字を書き終えて、彼女の金眼におれが映った。

 

「よろしくね、志更くん。私は那谷(なたに)

「よ、よろしくっ、那谷さん……!」

「那谷でいい」

「わ、わかったよ……な、なた……那谷……」

 

 なたに、那谷、那谷。何度も口の中で転がした。その度に、言い表せない温もりが背筋を震わせる。

 それが後に大親友となる彼女、那谷との出会いだった。(あらかじめ)(いっておく)。……友達になれるといいな。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。