いつかこの手に雷光を   作:直崎ゆきふり

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5(後) 森の中の出会い

 広場の前にはすぐについた。

 元々残り時間が少ないことに気づいていた那谷(なたに)が、狗握(くにぎ)君が広場の付近にいると考えて向かってくれていたからだ。

 本当、彼女へ同行を申し出てよかった。おかげで残り時間を誤認して、ただ彼女との談笑を楽しんでいただけだったおれも、こうして戻ってくることができているのだから。

 

 これであとは、広場のアーチをくぐって冊子の提出を済ませるだけ……の、はずなのだが、そう簡単にはいかなさそうだ。

 広場へと続く道が倒された木々によって塞がってしまっていたのだ。人為的に作られたバリケードだと一目でわかる。

 その木のバリケードを挟むようにして、いくつもの気配を感じる。言葉こそ聞き取れないが、耳を澄ませれば囁き合う声も聞こえてくる。

 

「睨み合ってんな」

「冊子を提出しに来た受験生と、冊子を強奪しようとする受験生、か」

「なるほど?」

 

 バリケードを境として、こちら側にいるのが、おれたちと同じく冊子を提出しようとしている受験生たち。

 そして、このバリケードの向こうにいるのが、狗握君が言っていたやつらだろう。……多いな、数十人いるかもしれない。

 

「残り時間も無いし、もっと減ってるモンだと思ってたんだがな」

「何もこんな時間ギリギリまで、他人の妨害しなくたって……」

 

 冊子の提出に間に合わなくなるかもしれない、という不安はないんだろうか。

 いくら提出数の母数を減らせるからといって、おれならこんなに危ない橋は渡らない。期限まであと十三分しかないのに。

 

「かなりメンタル強いよね。そんなにメンタルポイント余ってるなら、強い魔物にチャレンジすればよかったのに。恨みポイント集めたって、学園デビューに失敗するだけだと思うんだけど」

 

 隣を見ると、那谷が首を傾げていた。わざわざリスクを冒してまで他の受験生の妨害をする行為を心底不思議がっている様子だ。

 おれの視線に気づいてかフード越しにこちらを見てくれたので、うんうんと頷いておく。まったくもってふてえやつらだ! 那谷はさらに首を傾げた。

 

「なにかいいことあったの?」

「那谷が隣にいるよ」

「そっか。よかったね」

 

 試しに倒木のバリケードを越える素振りを見せてみれば、前方から火の玉が飛んできた。微妙に逸れてるし、避けなくていいな。頭サイズの火が、おれの十数センチ横を、憬肉触玉手(ローパー)の突きよりずっと遅い速度で通り過ぎていく。

 歪な火球は後方の草地に着弾したというのに、燃え広がる様子もなく消えた。制御が甘い上に低火力。仮に当たったところで熱さを感じるだけだろう。当たりたいとは思わないけど。

 もっかい攻撃されたら嫌だね、ということでバリケードからちょっと距離を取った。

 

「どうする? おれとしては、今みたいな攻撃なら強引に突破できなくもないとは思うけど……でも、やっぱりあの数だからなぁ。中には、精度の高い攻撃を放てる人間がいるかもしれない。かといって、慎重になるあまり手を拱いているとタイムアップだし……やっぱり強行突破するしかないのかもね」

「ああ、僕も同意見だ。だが、もう一つ……学園デビューの為に、ここで恩を売っておくのも悪くないだろ? 間違ってはいない、筈だから」

「それは、どういう……?」

 

 最後の言葉が妙に気になって狗握君を見れば、彼は眉間に皺を寄せて上着のポケットを撫でていた。ずいぶんと難しげな顔だ。

 狗握君の考えを詳しく尋ねようとしたところで、すぐ後ろの茂みがガサゴソと音を立てた。背中の木剣を握ろうすれば、おれたちの前に出た狗握君に『問題ない』と手で制される。

 なので軽く逃走経路だけ確認しながら見守っていると、草木の隙間からぴょこりと少年の顔だけが出てくる。視線に強く込められた警戒心は、狗握君を捉えた瞬間に霧散した。

 

「狗握さん……ですよね? やっぱりそうだ、狗握さんだ」

 

 少年の目が、暗闇の中に一筋の光明を見出したように輝く。

 

「さっきの今ですみません。狗握さん、と、そのお連れの方々……どうか、また俺たちに力を貸してはくれないでしょうか? お願いします……!」

「『また』って事は、あいつらやっぱり、さっきと同じ奴らなのか? 懲りないな」

「はい。リスポーンしてからまた徒党を組んだみたいで……もう試験も終了間近で、先程協力していただいた他の貴族の方々はすでに提出を終えているんです。それでアイツら調子付いてしまって……! 悔しいんですが、俺たちだけでは魔法持ち相手に歯が立ちませんっ。もう一度、狗握さんの力をお借りしたいんです……ッ」

 

 そう言って、少年は深く頭を下げた。狗握君から視線を送られたので、頷く。

 おれに反対意見はないし、それに、狗握君が彼を助けたそうだと思った。よくよく目を凝らさないとわからないが、狗握君の頭に乗った犬耳がピクピクとわずかに震えている。

 

「僕も連れも、構わない」

「本当ですかッ」

「ああ。時間が惜しい。仲間がいるんだろう? 案内してくれ」

「はいっ。こっちです!」

 

 茂みの奥へと消えていく少年と狗握君の後を、火球の着弾跡をしゃがんで見ていた那谷を引っこ抜いてついていく。

 

「お前、冊子は見つかったか?」

「いえ、まだです」

 

 上着のポケットを摩る狗握君が先導する少年の背中に問うと、彼は振り返ることなく首を横に振った。その声は落ち着き払っている。

 

「ですが、大丈夫です。今ここで狗握さんたちに出会うことができました。だから、諦められます。俺は彼らと狗握さんを引き合わせるために、冊子を探すことを諦めたのだと、そう自身を納得させられる理由を見つけられましたから。俺は、俺も、彼らを助けたんです。今日ここで、俺は何もできないまま終わるんじゃない。それで……充分なんですよ」

 

 少年は指先の丸まった手のひらで太陽を遮りながら、ぼんやりと空を見上げて笑った。

 歩くたびに揺れていた狗握君の尻尾の動きが固まる。彼の右手が強く上着のポケットの生地を掴む。ああ、そういうことか。

 

「どういうこと? よくわからない」

「はい。俺もわかりません。でも、もういいんです。俺はもう、間に合いませんから」

 

 那谷の指がおれの袖を掴む。おれにこっそり尋ねたつもりだったのに、本人からの返答が来てしまって慌てている。『どうしよう、だめなこと言っちゃった……』、か細く耳打ちしてくる那谷の背中を撫でながら、『大丈夫だと思うよ』、と伝える。

 たぶん、彼はこれから別のことに気を取られるだろうから。上着のポケットから、それを取り出す狗握君を見ながら、おれはそう思った。

 

「悪い、迂遠が過ぎた。さっき名前、聞き損ねたから……もし間違ってたら、って思っちまったんだ。言い直す。これが君の物なのか、確認したい」

 

 差し出された狗握君の手。その手が掴むのは、ひとつの冊子だ。

 少年の目が大きく見開かれる。震える指先で、冊子を指す。

 

「……そっ、それ……狗握さん……っ、それは……!」

跳逃兎角(イチゲキウサギ)を採取した、って言ってただろ? だから、この冊子がそうなんじゃないかと思ったんだ。これ、君の名前で合ってるか?」

 

 そう言いながら、狗握君は表を向いていた冊子をひっくり返す。裏表紙の隅には、だれかの名前が書かれていた。

 文字をなぞった少年の目が大きく見開かれる。そろそろと、震える指先で冊子に手を伸ばす。

 

「……俺の……俺のです、これ、俺のですっ! 俺の名前……! なんで、狗握さん、……ッ取り返してくれたんですか!?」

「別に。落ちたのを拾っただけだ。そいつがお前のだったのは偶然だっての。嘘じゃないぞ、だって向こうから仕掛けて来たんだからな」

「ありがとう……本当にありがとうございます……!」

「あ……いや、僕に礼とか……」

 

 眉尻を下げて頬を掻く狗握君の様子に、那谷と顔を見合わせる。

 

「品行方正だ」

「ね」

「そこ、うるさいぞ」

 

 こそこそと囁き合ったつもりだったのだが普通にバレた。

 狗握君は耳が良いんだなぁ。ぴょこぴょこと黒髪の上で犬耳が動いていた。

 

「話はこれで終わりだっ。おら、もう走るぞッ。残りはたったの十一分なんだ、モタモタしてる時間は無い!」

 

 狗握君に急かされながら、おれたちは茂みの奥へと素直に走った。

 

 

 大規模な戦闘跡の残る開けた場所に、二十人ほどの受験生たちが身を寄せ合っていた。

 中には、先ほど別れた少女もいたが、時間が押しているので互いに会釈だけで挨拶を済ませる。

 

「改めてお願いします。どうか、俺たちに力を貸してください!」

 

 受験生たちに囲まれながら、彼らに頭を下げられる。

 わっ、わぁ……こんな経験初めてだ……頼りにされてるなぁ、狗握君。魔物を一瞬のうちに凍らせちゃったり、すごく強いもんなぁ。

 気圧されたおれが一歩二歩と後退していくと、トコトコと那谷がそれについてきた。三歩四歩五歩……。

 

「タダとは言いません。俺たちの採取したアイテム……その一番高いアイテムを、それぞれ報酬としてお渡しします!」

「なので、どうかっ!」

「お願いします!」

 

 それらの言葉に顔を歪めた狗握君が、グシャリと髪を掻き上げた。犬耳ではない耳が、髪と髪の間から覗く。

 

「いらねぇよ、そんなモン。舐めんなよ、僕が自力で高ポイントを集めてないとでも思ってんのか。“七玉”の、この僕が。……つうか、協力するって言ってんだろうが」

「それは、そうなんですが……!」

「殿下に助けていただくのに、何もしないのは気が引けると言いますか……っ」

「んな事、言ってる場合かよ」

 

 狗握君は大きく溜息を吐くと、唇の前に人差し指を立てた。青い瞳が陽光を反射する。

 

「まあいい。だったら一つ、報酬を要求してやる。呑むなら、僕が全部ブチのめしてやってもいい。拒否なんてしないよな?」

「本当ですか……!?」

「何をすればっ!?」

 

 不敵に笑む狗握君に受験生たちが沸き立つ。

 手に汗を握り言葉を待つ彼らの中心で、狗握君は那谷を指差した。

 

「最優先でこいつに提出させろ。それが条件だ」

 

 那谷が振り返って背後を確認するが、当然だれもいない。君だからね。

 状況を把握できていない那谷は、とりあえずとばかりに、近場に立っていたおれに向けて小さく拍手を送ってきた。だから君だって。『おめでとう』って何に対する祝福なのかな? まぁ、那谷に祝われるなら、意味がなくたっておれは喜んじゃうんだけどさっ。いやぁ、素晴らしい拍手をありがとう!

 

「え、それが条件ですか……? たったそれだけ……?」

 

 狗握君が突きつけた条件に困惑する受験生の一人が言う。

 

「じゃあ追加だ。二番目はこいつな」

 

 肩を竦めた狗握君は、那谷の隣にいたおれを雑に指名した。キョロキョロと辺りを見渡してみるが、那谷の隣にはやっぱりおれしかいない。

 え、おれもなの? なんで?

 

「僕が欲しいのは、オーケーだけだ。とっとと呑まないと増やしてくからな。次は何にしようか、君らに払える対価だと良いな」

「えっ」

「あ……」

「のっ、呑みます!」

 

 承諾の声が聞こえた途端、狗握君は間髪入れずに声を張り上げる。

 

「よし、なら整列だ! 腕っぷしに自信のある奴は前に並べ! 今から一分後に強行突破を開始するからな、残り三分までには全員が広場に到着していると思え!」

 

 青い瞳が周囲を見渡し、『それと』と続いた。

 

「余力がある奴だけでいい、走れない怪我人を手伝ってやってくれ。そんで、怪我は無いが足や体力に自信の無いって奴は僕の近くに来い、一番後ろだ。いざとなったら僕が広場までブン投げてやる。受け身くらい取れんだろ? そんだけを頭に入れて一分で並べ! いいなっ?」

「はっ、はい!」

 

 元気良く返事をした受験生たちは、大慌ててで広場強行突破作戦の陣形を組んでいく。それぞれが木や金属で出来た自身の武器を手にする。

 おれも背中から木剣を取り、狗握君の元へと歩いた。

 

 おそらく狗握君は、開幕と同時に、猛毒の魔物を凍らせた時と同じ魔法を発動させて、強引に道を作り上げるつもりだ。

 話を聞く限り、相手勢力は多少魔法が使えるだけの素人の寄せ集めみたいだし、突然の氷の大魔法に動揺せずにはいられないだろう。こちらが強行突破に出たと察したとして、すぐには攻撃に移れない。魔法は魔術と違い必ずしも訓練を必須としないが、だからといって魔法は、ろくに訓練を受けていない人間が心を大きく乱した状態で放てるほど扱いやすいものでもない。まぁ、余程の才能があるのであれば、その限りではないが。

 そういうわけで、この強行突破作戦は、相手が混乱している間に道を走り抜けられる前方組は、警戒さえ怠らなければ問題なく広場に辿り着ける。

 

 問題は後方組だ。走り抜ける前方組を見て、混乱から立ち直った相手勢力が一斉に妨害を開始することは、おれでも簡単に予測できた。

 

「おい、聞いてただろ。シサラは二番目だ。玖遠(くおん)と一緒に前に行け」

「おれも戦うよ。狗握君一人で、後方組を護るなんて大変でしょ。……確かに、おれは訓練を受けてない平民だけどさ。できるだけ、君の足を引っ張らないように頑張るから」

「違うシサラ、君を見縊ってる訳じゃない。逆だ。僕は、シサラを頼りたいんだ」

「……おれを、頼りたい?」

 

 みんなに、こんなにも頼りにされてる狗握君が……おれを?

 

 狗握君と共に、準備体操をしている那谷の元へと戻ると、こちらに気づいた那谷が振り向いて、とりあえずとばかりに親指を立てた。あら可愛らしい。準備体操で上体を反らしたせいでフードが取れかかって、お顔がよく見える。個人的に、那谷のお顔はブルーベリーよりも目に効くとおれは確信していた。なんか那谷と出会う前と比べて視力が良くなってる気がする。対象は那谷限定だけど。

 

「二人とも、がんばろうね。難しいこと考えなくて大丈夫だよ、敵の数多いってなったら森ごと焼いちゃえばいいんだから。ほら、森ってよく燃えるでしょ? すぐだよ、すぐ」

「おい、品行方正はどうした」

「え、だめ……? じゃあ、人だけ燃やす感じにする……? それならいいでしょ?」

「良くねえよ、燃やすなって言ってんだよ」

 

 那谷はわりと過激なところがあるのかな。友達の新たな一面が見られて嬉しい。こうやって相手のことを知っていって、友情を深めてくんだね、友達って。

 

「えぇー……私はほのおタイプだよ、燃やさなかったら何すればいいの? どくタイプも掛け持ちして5ポイントの流布とか?」

「何もしなくていい、明日以降に備えて温存してろ。お前、何かあったらどうするんだよ? 識姉さんの魔法の効果は試験終了と同時に消えんだぞ」

「魅青くんは心配しすぎだって。主治医の先生も笑顔でゴーサイン出してたって、お姉ちゃん言ってたんだよ」

 

 ……主治医の先生? 那谷は、どこか不調なのか?

 それで狗握君は、那谷に魔力を温存するように言ってたの……?

 

「……お前の主治医を疑っちゃいない。けど、魔力を使い過ぎると眠くなるんだろ?」

「うん」

「だったら、やっぱり温存しとけ。僕は試験中にお前が居眠りしないか見張るよう、沙……姉さんに頼まれてんだよ。それに、僕は“七玉”が青。あんな奴ら、僕一人で充分だ」

 

 落ちかかった那谷のフードを被らせ直して、狗握君は笑みを浮かべる。

 

「でも、何があるかわからないし……」

 

 なおも納得しない様子の那谷に、狗握君はそっとその手にお菓子を握らせる。

 目を輝かせた那谷が狗握くんを見上げるが、それに構わず、狗握君はおれに視線を走らせた。

 

「シサラには、玖遠を連れて先に提出に向かって欲しい。玖遠は強さだけならトップレベルだが、嘆かわしいまでに持久力が無い。だから、君に頼みたいんだ。この短時間でここまでこいつと打ち解けた、君を見込んで」

「それはいいけど……ごめんね、狗握君一人に任せちゃって」

 

 狗握君の頼みを断って、那谷をこのまま解き放っても森火事になりかねない。

 それに、おれも那谷が心配だ。たぶん那谷は、目を離した隙に自己判断で魔法を普通に使ってしまう……そんな雰囲気を漂わせている。だから、これが最良の判断ではあるんだろうけど……。

 

「だから気にすんなって、お互い様ってやつだ。玖遠がぶっ倒れようものなら、姉さんが悲しむんだよ。だから試験が終わるまでは、一時たりとも目を離さないでくれると助かる。本当に、こいつは……一瞬で消えやがるんだよっ!」

 

 押し殺したような叫びには、万感の思いが込められていた。

 そうだよね、那谷とはぐれてずっと探してたんだもんね……。

 

「そういうことなら任せてよ。年上のお姉さんを悲しませてはならないのは、世界の真理だからね。全力を尽くすと約束するよ」

「……あー、おう、任せたぞ」

 

 胸をドンっと叩いて頼もしさを演出したのに、狗握君からの受けは悪いようだった。那谷みたいに親指立てた方がよかったのかな。

 そう思って那谷の方を見てみると、彼女は狗握君から貰ったお菓子を大事そうに両手で握って、左右に揺れながらおれたちの様子を伺っていた。

 

「ねえ、お話し済んだ? これ、食べていいんだよね? くれたんだもんね? おいしいよ?」

「僕に構わず、先に提出しろよ。提出が終わるまで、シサラから離れるな」

「うん」

「提出が済んだら、医務室に向かえ。僕の事は待たなくていい」

「うん」

「なら、食ってよし」

「ありがとう、いただきます」

 

 パッケージを剥いて大事そうにクッキーを嚙る那谷の上着を握り、おれは最前列に並んだ。

 さぁ、提出に向けて強行突破開始だ!

 

 

 

 空を見上げる。青い花と荊棘が、その下の数字を覆い隠すように大きな『8』を咲かせていた。

 その『8』が『7』に切り替わり――冬はもうそこにいる。

 

眠り姫(フローズ)

 

 狗握君のたった四文字の魔法詠唱。彼の線の細い体から膨大な魔力が溢れ出す一文字目。それがスタートの合図だった。おれたちは一斉に駆け出した。

 走り出してすぐ、前方にバリケードが迫る。だがバリケードはおれたちが到達する前に凍りつき、そして勢いよく床に叩きつけられた硝子細工のように粉々に砕け散った。

 

「何だ!? 何の音だ!?」

「おい、なんか寒くないか……!?」

 

 どよめく声が周囲から聞こえる。それに構うことなく、両脇を氷で舗装された道を突き進む。提出の妨害を目論む彼らが混乱から立ち直る前に、少しでも多く、前へ行かなければ。

 白く煙る冷気が視界を制限するが、先頭を走るのは帝黄色の可愛いフード。魔本持ちの彼女に、地図はいらない。水枝の中身を見通したように、白い霧の中の道を見通せる。那谷が前にいる限り、おれたちは道に迷わない。

 

「……いちばん前、なんかやだ。志更くん、前走って。私、ついてく担当、ついて玖遠」

 

 いくらか走ったところで、那谷がごねた。所在なさげに後ろを振り返る様子から、本当にただ単に先頭を走っているこの状況が落ち着かないのだろう。初めて一人でお出かけをすることになった子供のようだ。

 那谷の希望は聞いてあげたいところだが、あいにくとおれは道がわからない。なので、このまま走ってもらわなければ、おれたちは広場に辿り着けなくなってしまう。

 いきなり強行突破作戦に暗雲が立ち込めたように思えるが、問題ない。我らが青玉、狗握君はこれを予見していた。

 

「狗握君から、お菓子預かってるよ。提出を済ませたら食べていいんだって」

 

 そう言うと、蜜のように甘やかな金色の瞳が、フード越しにおれのポケットに釘付けになるのがわかった。

 

「んー、おいしいね。もうちょっと速度上げていい? いいよね?」

「うん、あっ、待ってそれだと速すぎっ、もうちょい遅くして……! ええと、後ろの人と一メートルくらいの距離を保つ感じで!」

「なるほど、このくらいだね」

 

 走る速度を落としてくれた那谷に安堵する。冷気で白く霞む森を抜けるための道標は、自身の前を走る背中だけだ。

 足音のないその背中を見失わないよう視界に入れ続けると、不意に黒い袖口が持ち上がった。整えられた爪先が前を指す。

 

「広場、そこだよ。この感じだと一分しないくらいかな」

「ホントっ? じゃあ、このままみんなで走り抜けよう!」

「うん。お菓子、なくしたらだめだよ。志更くんなら大丈夫だよね?」

「任せてよ」

 

 

 しばらく走ると氷の舗装が途切れ、白い霧が晴れた。

 十数メートル続く蔦の絡まったアーチ、その先に開け放たれた門がある。広場はすぐ目の前だ。

 しかし、

 

「……待ち伏せか」

「あ、これもそうだったの? そんなに戦うの好きなんだ。血気盛り上がってるね」

 

 生唾を飲み込んだおれに、那谷はのほほんとした様子で『どうする? 燃やす?』と訊いてきた。なので否定の言葉を返そう、としたところで攻撃が飛んできた。

 

「丸いノコギリ? 見た感じ、回転している物をまっすぐ飛ばす魔法っぽい」

 

 最前を走る那谷に迫る、幾つもの円盤。

 那谷なら簡単に避けられる、が、那谷は避けないだろう。この状況で避けたところで、後ろの人に当たってしまうから。

 それならば那谷はどうするのか。簡単だ、魔法を使う。彼女の右手には魔力が集まっていた。灼熱の魔力に景色が揺らめく。

 それを見て、すぐさまおれは帝黄色の背中に叫んだ。

 

「那谷! おれが対処するからそのまま走って!」

「え……わかった」

 

 おれは狗握君に、那谷を任されたんだ!

 だから、おれが那谷を無傷で連れて行く!

 

「行くぞ……やってやる!」

 

 足の回転を速め、那谷の前に出る。背中から木剣を取り出して構えた。

 向かってきているのは回転する金属の刃。こっちは木だけど、上手く側面に当てれば弾けるだろう。タイミングを間違えれば、おれに直撃する……けど、そんなの憬肉触玉手(ローパー)の時と一緒だ。毒もない。だったら、おれはできる。できると信じろ。

 

「……」

 

 向かってくる刃をよく見る。回転する刃は全部で四つ。それをタイミング良く弾けばいいだけ。ほら、ねえちゃんが遊ばせてくれたリズムゲームと同じようなものじゃないか。

 怖がるな、恐れる必要はない。必要以上に力むな、脱力しろ。いるのは力じゃない、的確に狙いを定める集中力だ。

 

「いちっ、にっ、さんっ……しっ!」

 

 甲高い音が続けて四度響く。成功だ!

 おれの弾いた回転刃が、軌道を変えて飛んでいく。これなら、だれにも当たらない。

 思っていたより、簡単にできてしまった。もしかしておれ、そんなに弱くない……?

 広場の入り口に立ち塞がる彼らの動きを問題なく追えている。これなら他の攻撃にだって対処できそうだ。

 

「おー、お見事」

 

 木剣を握って今後の算段をつけていると、那谷が小さく拍手をしながら隣に並んできた。

 褒めてくれた那谷に笑って礼を言い、彼女へ『おれが先頭に行くよ』と伝えて少しだけ走る速度を上げた。そして前に向き直ると、おれは叫んだ。

 

「怖がらなくていい、前にはおれがいる! だから、このまま走り続けるんだ! 行くぞーっ!」

 

 意識的に大口を叩くのは、生まれて初めてかもしれない。高鳴る鼓動を、走っているからだと言い聞かせる。攻撃をおれより後ろには通さない。この大口を本当にするんだ、だれもが立ち止まらないように。

 木剣を掲げて走るおれの後ろで、鬨の声が大きく轟いた。

 

 強行突破組の先頭。集団から先行し、目立つ位置で木剣を構えるおれに、前方の妨害組の攻撃が殺到する。

 だが、元々狗握君の魔法に意表を突かれたことに加え、今の強行突破組の突然の士気高揚。彼らの中に貴族はいない、彼らは魔法を持って生まれたことで歪んだ特権意識を膨らませただけの平民だ。戦闘訓練など受けたことがない。

 この瞬間に向かってくる攻撃のすべてが、ひどく精細に欠けていた。

 

「はッ!」

 

 飛んでくる歪な火球を、勢いづけた木剣の腹で叩き魔力を霧散させる。

 

「……だあッ!」

 

 投擲された石ころをまとめて薙ぎ払う。石に何らかの魔法を掛けようとしていたみたいだが、発動者が動揺から立ち直れていなかったために失敗していた。

 

「はぁーッ!」

 

 そうやって攻撃に対処していると、いつの間にか木剣の刃をより多くの魔力で覆えるようになっていた。

 木剣の硬度が上がって刃物とも正面から打ち合えるようになり、攻撃の対処が楽になった。

 

 おれたちは、そのままの勢いでアーチを進んでいく。

 焦った妨害組は慣れない魔法での抗戦を諦め、それぞれ武器を手に取って迎え撃ってきた。だが、彼らが恐れられていたのは魔法を使えるからだ。

 

「ここまで世話になった!」

「本当にッ、ありがとうね!」

「後は俺たちに任せて、お二人は提出に向かってくださいっ!」

 

 前方組がおれの両脇を抜いて駆けていく。そして、それぞれが手にした武器を力強く振り下ろし、妨害組を押し除けるように攻勢に出た。

 広場への道が切り開かれる。

 

「おれの方こそありがとう! 行ってくるね!」

「ありがとう、ありがとう、そしてありがとう」

 

 左右に向けて手を上げて挨拶する那谷のもう片方の手を取り、全速力で前方組が作ってくれた道を突き進んだ。

 こうしておれと那谷は、無事に広場へと到着したのだ。

 

 

 

 『提出はこちら』と書かれた看板。その後ろには、十個以上並ぶ長机。那谷と別れ、それぞれ別の長机へと向かう。

 

 長机の上には、空っぽのデスクトレーのような魔道具が置かれていた。試験開始前に説明された通りに、まず受験票をポケットから取り出して識別コードを読み取らせる。そして、トレーの底面におれの名前が浮かび上がったのを確認した後、冊子をトレーへと入れた。手を離すと、すぐさま冊子が消えて、再びトレーの底面が見える。これで提出は完了だ。

 これからたくさんやってくる強行突破組の邪魔になってしまわないよう、おれは急いでその場から離れた。提出後は自由解散だ。

 

 残り時間は五分。最後尾の狗握君が気になったが、ここに留まって待つのは彼の望むところではない。

 同じく提出を済ませた那谷とともに、おれは試験会場の外に繋がるアーチを潜った。

 

「じゃあ、那谷。これ、さっき言ってたお菓子だよ。食べながら医務室に向かおうか」

「やった」

「他の人とぶつかったり、転んじゃったりしないように気をつけてね」

「ん、気をつける」

 

 医務室へと向かう道すがら、狗握君から預かっていたお菓子を那谷に渡す。袋のリボンを解いて那谷は中の……えっ、タルト……!? 出てきたフルーツタルトにかぶりついた。彩りの良い果実はどれも旬のものだろう、実にみずみずしく高級感が漂っている。

 重量感のある小袋だとは思っていたけど、中身はまさかの生もの。那谷の持つ袋をよく見てみれば、リボンには保存系のものと思わしき魔術が施されていた。狗握君、事前に教えてよ〜! 潰さなくてよかったぁ……っ!

 

「那谷、美味しい?」

「おいしい」

「よかったねぇ」

 

 まあ、那谷が喜んでくれてるなら、細かいことはいいや。ナイスチョイスだよ、狗握君。

 それにしても“春曙KTT”か、聞いたことのないお店だ。皇室御用達ってやつかな。美味しそうだし、お店の名前だけ覚えておこう。

 魔道士になってお金を稼いで、いつかおれもこのお店に行ってみたい。それで那谷への手土産を買うんだ。

 

「そういえば、まだ言えてなかった」

 

 人の通りの緩やかな歩道。フルーツタルトを食べ終わった那谷がふと立ち止まった。

 甘やかな金色の瞳におれが映り、形の良い唇がほんの少し持ち上がった気がした。

 

「さっきは護ってくれてありがとう、志更くん」

「……えへへっ」

 

 なんだこれ。すごく、嬉しいな。ああ、すごい、落ち着かないや。

 これが、だれかを助けるってことなのか。助けられたら、こんなに嬉しいものなのか。

 

「どっ、どういたしまして……!」

 

 あっちへこっちへと動かしてしまう視線。小刻みに震える喉。早まる血流。

 どうにか絞り出した声はひどく上擦っていた。

 

 ここ二日、いろいろなことがあって、おれはいろんな人に感謝されてきた。

 でも海の中だったり、試験中だったり、あまり落ち着いてその感謝を噛み締めることができていなかったみたいだ。

 真正面から受け止めるお礼は、逃げ出したいほどの照れくささと、泣き出したくなるほどの喜びで、おれの心を満たした。

 

 もっと強くなれば、いろんな人の役に立てるだろうか。

 おれは、おれ自身以外にも……だれかを護りたいと思える人間になりたい。

 それが、おれの理想とする勇者だと思うから。

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