ロキシーさんはグレイラット家を出ることになった。
家庭教師としての役目を終えた彼女は、次の土地へ旅立つのだ。
俺も別れ際に少しだけ言葉を交わした。
「ルディのこと、これからも頼みますね。あなたがあの子の隣にいてくれるなら、きっと迷わずに済むはずです」
「はい、任せてください」
そう返すと、ロキシーさんは一瞬だけ小さく微笑んだ。
別れ際にロキシーさんはお守りだと言ってペンダントをルーデウスへと渡し、
深々と一礼して去っていった。
―――
ロキシーさんが去って数日が過ぎたある日のこと。
昼下がり、師匠の稽古を終えて木陰で休んでいると、声がした。
「ちょっと、いいですか?」
声のほうを向けば、先ほどまで一緒に剣術の稽古をしていたルーデウスが立っていた。
「ん、どうしたんだ?」
「よければ……一緒に、外に出ませんか?」
「俺はいいけどルーデウスは……もう大丈夫なのか?」
問いは自然に出た。ルーデウスが外に出られるようになったのは知っている。
それでも、確かめたかった。無理をしていないか、恐怖で固くなっていないか。
「はい。先生のおかげで、今は全然怖くありません……それに、前にカインが外で遊ぼうって誘ってくれたとき、怖くて出られなかったのが、ずっと心残りで。だから今度は、僕から誘いたかったんです」
「そういうことなら喜んで付き合うよ。案内は任せる」
「はい、では父様に許可を取ってきますね」
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「父様。外で遊んできてもいいですか?」
「外? 庭じゃなくてか?」
「はい。カインも一緒にです」
「お、おお。もちろんだ」
師匠は少し驚いたような反応をし、許可を出した。
「思えば、お前には自由な時間を与えていなかったな。親の勝手で魔術と剣術を同時に習わせたが、子供には遊ぶことも必要だ」
「いい先生に巡り会わせて頂いて感謝しています」
「俺もそう思います。俺から見ても、ロキシーさんと過ごしている時のルディは、どんどん前に進んでいくのがわかりました」
「お前にとっては剣が中心だろうが、魔術を学ぶ友が隣にいるというのは悪くないはずだ。互いに高め合えるだろう」
「はい、確かにルーデウスから学ぶことは多いですから」
『ほう、殊勝な物言いだな、小僧。だが内心では「置いていかれたくない」と焦っているのだろう?』
(……まぁな。けど、それを認めるくらいでちょうどいいんだ。認めたうえで、置いて行かれたくないと頑張るんだ)
そんなことを考えていると師匠がしみじみとした表情をしながら腕を組んだ。
「それにしても……お前が外に、か。身体の弱い子だと思っていたが、時が経つのはあっという間だな」
「身体が弱いなんて思ってたんですか?」
「全然泣かなかったからな」
「そうですか。まあ、今が大丈夫ならいいじゃないですか。丈夫で愛嬌のある息子に育っていますよ」
ルーデウスが自分の頬を引っ張って変顔をしてみせる。
「そういう子供らしくないところが逆に心配なんだがな」
「長男がしっかりしている事の何が不満なんですか」
「いや、不満は無いんだが」
「だったら、そんな顔しなくていいじゃないですか」
ルーデウスの言葉に、師匠は気まずそうに頭を掻いた。俺は思わず口を挟む。
「自慢じゃないが、父さんがお前ぐらいの頃は女の子のスカートをめくる事に夢中な悪ガキだった」
「スカートめくりですか」
「確かに師匠ならしてたって聞いても驚かないですけど……」
「俺は、弟子にそんな風に思われてたのか……だが、そういう悪さも子供の内だ。今みたいにやけに大人びた顔をしているお前たちの方が、俺からすると心配なんだよ」
師匠は肩をすくめながら続ける。
「グレイラット家に相応しい人間になりたいなら、ガールフレンドの一人でも連れてきなさい。お前もだぞ、カイン」
ルーデウスは苦笑して、「じゃあ探してきます」と軽口を叩いた。俺はそこで堪えきれずに口を挟む。
「さすがに五歳でガールフレンドは早いんじゃないですか?」
「早いに越したことはない」
「……弟子にそんなこと教えるより、剣の型を一つでも多く仕込んでくださいよ」
「違うぞ、カイン。強さを求めるからこそ、支えてくれる相手が必要になるんだ。男は一人じゃ長続きしないもんだからな」
師匠はどこか遠い目をして語った。まるで自分の経験を重ねているようだ。
(……師匠なりに真剣なんだろうけど、五歳の子供相手に言うことじゃないだろ)
「あ、女の子には優しくするんだぞ。それに、剣や魔術が使えるからっていばっちゃだめだ。男の強さは威張るためにあるんじゃないからな」
師匠の言葉に、ルーデウスが胸を張って答える。
「わかっていますよ父様。強さとは、女の子にいい格好を見せる時のためにあるんですよね」
「……いや、そうじゃなくてな」
俺は思わず笑って口をはさんだ。
「おいおい、それじゃまるで師匠が女の子にいい顔するために剣を振ってるみたいじゃないか」
「まあ、否定はせん!」
「えぇ...」
俺が呆れた声を漏らしていると、ルーデウスは咳払いして表情を改めた。
「冗談です。弱い者を守るためにあるんですよね?」
師匠は一瞬きょとんとした後、満足げに頷いた。
「うむ、そのとおりだ」
「ああそうだ、父様。これからもちょくちょく外出すると思いますが、出かける時は必ず家の誰かに言いますし、剣術と魔術の鍛錬は毎日欠かさずやります。日が落ちて暗くなる前には帰りますし、危ない所には近づきません」
「……やっぱり子供らしくないな、お前は」
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
屋敷の門を出たところで、俺は歩幅を合わせながらルーデウスに尋ねた。
「で、ルーデウスは外で何がしたいんだ?」
「誕生日にもらった植物辞典で、村に生えてる植物とかを調べてみたいです。それとこの辺りの地理も覚えておきたいです」
「ずいぶん勉強熱心だな、じゃあこの辺りの植物がありそうな場所まで案内しよう」
「はい!」
屋敷を背に歩き出すと、村道はまだ昼下がりの陽光に照らされて、
どこか穏やかな気配を纏っていた。
両脇に広がる畑からは、麦の匂いが風に乗って漂ってくる。
時折、農作業中の村人が鍬を止めてこちらに目を向け、にこやかに手を振ってくれた。
ルーデウスも慣れた調子で挨拶を返す。
その姿に、ほんの数週間前まで外に出ることすら怖がっていた少年の面影はなかった。
俺はといえば、ルーデウスが夢中になる姿を見守りつつ、
周囲を警戒する役目を担っていたつもりだ。
もっとも、この村で魔物が出ることなどほとんどない。
だから俺がしていたのは、半分以上ただの付き添いだ。
そうして何度か外に出るようになってからある日、
俺たちは村はずれの丘へと足を運んだ。
この辺りで一番高い場所で、村全体を見渡せる見晴らしのいい丘だ。
「わぁ、やっぱり高い所から見ると全然違いますね」
「だろ? 村の地理を覚えるにはここが一番だと思ってな」
二人で並んで村を見下ろしていると、ふいに風に混じって叫び声が届いた。
(魔族は村に入んなよなー!)
「……ルーデウス、聞こえたか?」
「は、はい」
ルーデウスの顔が少し強張っている、
最近は見せなくなった、外を怖がっていた頃と同じ顔だった。
俺は一歩前に出て、丘の下を探る。
畑の隅にできた泥の水たまり、そこに陣取る三人組。
道の真ん中には少女が胸に籠を抱え、
泥玉から荷物だけを守ろうと縮こまっていた。
「あいつらはたしか……」
「知ってるんですか?」
「ああ、前みかけたんだがロキシーさんに対して『魔族退治だ』なんて騒いで、ちょっかいかけてたやつらだな」
「っ! それで先生はどうしたんですか?」
「大丈夫だ、軽くあしらってたぞ、適当に追い返したり、やられたふりをしたり。多分ロキシーさんが居なくなったから標的を変えたんだろ……まあそれは置いといてだ。師匠に言われたこと覚えてるか?」
「『弱い者を守る』ですよね?」
「女の子には優しくするんだぞ」ってセリフの方だったんだが、
まあいいか。どっちでもいい、止める理由は十分だ。
俺はルーデウスの返答に頷き、木の下に落ちている木の棒を適当に拾いながら、
土を蹴り、斜面を一気に駆け降りる。
「おい、お前らなにしてんだ」
俺がそう言い終えたとたんに、ルーデウスが無詠唱で泥団子を放った。
泥団子が一直線に飛び、いちばん体の大きい奴の額にぶつかって、
べしゃりと音を立てる。
「うわっぶ!」
「なんだよお前!」
「関係ねえやつが入ってくんな!」
標的がこちらに向く。三人分の泥玉が、ばらけた間合いから次々飛ぶ。
俺は木の棒を水平に構え、当たりそうな泥団子だけをはらいながら進んでいく。
横目でルーデウスを見ると、
掌の先で土と水が一瞬でまとまり、泥団子となっていじめっ子達に飛んでいく。
「魔族の味方かよ!」
いじめっ子が口々に罵声を飛ばす。
ルーデウスは一瞬だけ息を整え、胸を張って言い返した。
「魔族の味方じゃありません。弱い者の味方なんです」
「かっこつけてんじゃねぇ!」
「おまえ、騎士んところのヤツだな!」
何故か、ルーデウスの身元がばれていた。
だが俺はそんなものお構いなしに、一歩、また一歩といじめっ子たちに近づく。
「てめぇもまとめてやっつけてやる!」
そう叫ぶのと同時に、3人は俺に狙いを定めたらしく泥玉が一斉に飛んでくる。
(あいつがリーダーだな……)
俺は棒を軽く振って泥団子を左右に弾き、時には身体を半歩ずらすだけで避ける。
「な、なんだよ……当たらねぇ!」
わめく声を無視して、そのまま歩を進める。足取りは揺らがない。
そしてリーダー格の一際大きな子供の目の前に立った。
「ひっ……!」
木の棒を大きく振りかぶる。いじめっ子の顔が青ざめるのが見えた。
そして、額すれすれで止める。
鼻先をかすめた木の棒に怖気づいたのか、
いじめっ子は尻餅をつき、泥にまみれてしまった。
「師匠に弱い者いじめはするなって言われてるからな」
三人は互いに押し合いながら畑の奥へ駆けていった。
泥に足を取られ、転びそうになりながらも振り返ることはしない。
俺はふぅと息を吐いて棒を下ろし、ルーデウスの方へ目をやった。
ルーデウスは、泥をかぶった小さな子供の前にしゃがみ込んでいた。
心配そうに顔を覗き込み、落ち着いた声で言葉をかけている。
「君、大丈夫? 荷物は無事?」
少女は籠を胸に抱きしめたまま、まだ怯えた目をしていた。
それでも、ルーデウスの声に少しずつ頷き、か細い声で答える。
「……うん、だいじょうぶ」
ルーデウスはすぐに次の行動に移った。用水路を指さし、穏やかな声で促す。
「ちょっとこっちに来て、膝をついてみて。泥を落とすから」
少女は戸惑いながらも素直に従った。逆らう気力もないのだろう。
四つん這いになり、用水路を覗き込む。
ルーデウスの指先から、水がふわりと浮き上がった。
そこに熱を重ね、湯気の立つお湯となって少女の頭に降り注ぐ。
「わぁっ!」と声を上げて逃げようとするが、
ルーデウスが少女の服をつかみ、逃がさずに泥を洗い流す。
しばらくすると少女の髪から泥が流れ落ち、瑞々しい緑色が顔を覗かせた。
陽の光に照らされたそれは、鮮やかなエメラルドグリーンだった。
「……へえ、きれいな色だな」
思わず声が漏れる。俺には珍しくてきれいな色にしか見えなかった。
だが、その横でルーデウスの目つきが変わった。
彼はそっと身を乗り出し、少女の額に視線を向ける。
まるで何かを確かめるかのように。
「ルーデウス?」
呼びかけると、彼ははっとしたように顔を上げ、顔を振った。
「緑色の髪は凶暴なスペルド族の可能性があると、先生が言っていたので……一応、確認です」
少女は不安げに俺達を見比べながら、小さな声で呟いた。
「……ありがとう」
少女の小さな「ありがとう」が耳に残った。
(感謝されるってのは気持ちいいもんだな……)
『フン……まさか、弱者を助け悦に浸っているわけではあるまいな?』
(……わかってる。俺が強いからじゃない。たまたま隣にいて、たまたま手を伸ばせただけだ)
目の前の現実に戻ると、ルーデウスが少女と話していた。
「君ね。ああいう奴らはやり返さないと付け上がるよ」
「……勝てないよ」
「抵抗する意思が大事なんだ」
「だって、いつもはもっとおっきな子もいるんだもん……痛いのは嫌だよ……」
そのやりとりを聞きながら、俺は黙って少女の肩にそっと手を置く。
「痛いのが嫌なのは当たり前だ。俺だって殴られるのは嫌だよ。でも――逃げ続けてばかりじゃ、ああいうやつらは、君をいじめてもいい相手だと思っちゃうから、ルーデウスの言う通り、抵抗する意思を見せるだけでも違うと思うんだ」
少女は唇をかみしめていた。怯えと迷いの狭間で、どうにか答えを探しているように。
「君も大変だね。髪の色がスペルド族に似てるってだけでイジメられて」
「き、きみ達は、平気……なの?」
「俺は別に気にしたことはないかな」
「僕も先生が魔族だったからね。君はなんていう種族なの?」
少女は小さく首を振る。
「……わかんない」
「お父さんの種族は?」
「半分だけ長耳族。もう半分は人間だって」
「お母さんは?」
「人間だけど、ちょっとだけ獣人族が混じってるって……」
「そっか。でもそれで君がいじめられていい理由にはならないよ……君の名前は? 俺の名前はカイン」
「僕は、ルーデウス」
「シル…フ…―――」
小声で呟いたせいで後半は聞き取りにくかったが、『シルフ』という名前らしい。
「まるで風の精霊みたいだ」
ルーデウスの一言に、少女――シルフは驚いたように顔を上げ、
ほんのりと頬を赤く染めた。
これまで怯えで固まっていた表情が、わずかにほぐれていく。
俺は立ち上がり、手を差し伸べる。
「シルフはどこへ行くつもりだったんだ?」
シルフは少し戸惑ったように視線を泳がせ、胸に抱えた籠をぎゅっと抱きしめた。
「お弁当……お父さんに、届けに……」
「そうか、なら俺たちもついていこうか? さっきの連中がまた出てこないとも限らないし」
「……でも……迷惑じゃない?」
シルフは不安そうにルーデウスを見た。
「弱い者の味方をしろと父様に言われてるんだ」
(師匠に、女の子には優しくしろっていわれたからな…)
ルーデウスが笑って答える。
「でも……他の子に、仲間はずれにされるかも……」
「他の子ってより、俺の友達はルーデウスだけだからな」
「もしそうなっても、その時は君が遊んでくれよ。今日から僕たちが友達さ」
シルフは小さく頷き、俺たちは並んで村道を歩き出した。