最近、日課が一つ増えた。
シルフィに算術を教えることだ。
もともとルーデウスに教わっていた内容の復習に加えて、
日常生活で使う文も教えている。
お金の計算など、生きていく上で必要最低限の知識だ。
ただ、グレイラット家で勉強している都合上、
もちろん、ノルンとアイシャの二人もいるわけで、
ゼニスさんとリーリャさんの手がふさがっているとき、
シルフィは当たり前のように世話に回る。
泣いたらあやすし、ミルクを持ってくるし、おしめだって替える。
それどころか、二人の手が空いている時でも自分から動く。
その日も、シルフィはノルンのおしめと格闘していた。
真剣な目をして両手を忙しく動かす。
別に手伝わない理由はなかったが、
俺は横でその様子を眺めていた。
そんな時、ゼニスさんがふと俺の方を見て、微笑みながら言った。
「カイン君もやってみる?」
「え、俺ですか?」
「なんでカインがやる必要があるんだよ?」
(うわ、地雷を踏みに行ったな、師匠)
「旦那様、家事を女に任せるのは、時代遅れの考えですよ」
どうやらこの世界にも、そういう考えがあるらしい。
……いや、たぶんどこの世界でも同じだろう。
「そうよ。家事を妻とメイドだけに任せてたら、あの人みたいになるわよ?」
その一言で、師匠の動きが完全に止まる。
雲行きが怪しくなってきた。
だから俺はとりあえず、ゼニスさんの味方をすることに決めた。
「それは良くないですね。俺は……あの人みたいにならないようにがんばります」
「おい待て、今のどういう意味だ!」
「いい心がけね、カイン君」
師匠の抗議を背中で聞き流しながら、俺は視線を横に逸らした。
シルフィは、相変わらず落ち着いた手つきでノルンをあやしている。
―――
子供の世話に加えて、最近のシルフィは、
俺とリーリャさんに、料理も習っている。
火加減を確かめる仕草も、包丁を握る手つきも、
最初の頃に比べればずいぶん板についてきた。
だいぶ早めの花嫁修業だな。
そんなことを思う瞬間が、最近は増えた気がする。
といっても、俺が教える料理は地球の料理だけだ。
この世界ではどれも慣れない味らしく、
最初の頃はリーリャさんが「これはどこの地方の料理ですか」と首を傾げていた。
今ではすっかり俺の料理に興味を持ち、
二人で並んで味見をする光景が日常になっており、
気づけば、二人が俺の料理を学ぶ感じになってしまっている。
自分の作った料理を、美味しそうに食べてもらえるのは嬉しいのだが、
同時に悩みもあった。それは前々からの課題である、
この村の中だけで手に入る食材には、限りがあることだ。
みんなは「うまい」と言って食べてくれるが、
俺の本気はまだそんなものじゃない。
頭の中には、もっと多くの料理の記憶がある。
再現できないのがもどかしかった。
そんな思いもあって、最近は日に数回しか通らない馬車に朝から乗り、
片道六時間、往復で半日かける買い出しをすることが多い。
その日も、食材を買いにロアの町まできていた。
馬車を降りると、すれ違った行商人が、
何やら見覚えのある石像を持っているのが見えた。
「それ、見せてもらってもいいですか?」
「なんだ、坊主この石像に興味があるのか」
「はい、見覚えがあったので」
俺は行商人のおじさんから石像を見せてもらう。
とんでもなくクオリティの高い、子供の魔術師の石像だ。
……てかこれ、ロキシーさんだな。
なんでこんなものがあるのかとは思わない。
理由はだいたい察しがつく。
恐らく、ルーデウスが小遣い稼ぎのためにでも売ったのだろう。
それにしてもできがいい。
ルーデウスの作る人形は何度か見せてもらったことはあるが、
あの頃よりも格段にうまくなっている。
ちなみに誕生日プレゼントにもらったロキシー人形は、
大事に保管してある。というか、影の中に入れてある。
ルーデウスのやつ、人形作りの巨匠としても成功しそうだな。
もし、そうなったらファン一号として威張らせてもらおう。
あ、ローブが取り外せるぞこの人形、すごい作りこみだな。
……パンツを履いてる以外、殆ど全裸じゃねぇか。
ホクロも付いてるけど……イメージだよな?
実際に確かめて付けたホクロじゃないよな……?
いやぁ、何かとんでもない人形に対する執念を感じる作品だった。
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
「なんだ買わねぇのか?」
「はい、作った人を知っているだけですので。これからどこに行くんですか?」
「なんでそんなこと聞くんだ? まあ、減るもんじゃねぇしいいか……シーローン王国だ」
シーローン王国か、今は確かロキシーさんがそこにいたはず。
本人に見つかったらまずいか?
まずいに決まってるな、自分にそっくりの人形があるとロキシーさんが知ったら、
気がきじゃないだろう。
「そこで、その人形は見せないほうがいいですよ。そこの王子はとんでもない人形嫌いという噂ですから……」
俺は、含みのありそうな顔でそう告げる。
根も葉もない嘘だけど。
「な、なんか知ってそうだな坊主……深い理由は、聞かねぇほうがよさそうだ」
どうやら、俺の意味ありげな顔でうまいこと勘違いしてくれたらしい。
さて、気を取り直して食材を探すか。
その後は調味料や食材を買い込む。
野菜の種とかを使って修行場の森で栽培するのもいいかもな……
植物の栽培なんて、小学校の時に育てたアサガオ以外やったことないけど。
まあ、何事も挑戦か。
―――
あらかた欲しい食材を買い終え家に戻る。
荷物は十種影法術の影の中に入れて運んでいる。
便利といえば便利だが、影に入れたぶんの重量は俺の体に返ってくる。
だが、大して重くはない。
なぜなら普段から、この特性を利用して、
あえて重めの石を影に詰めて持ち歩いているからだ。
日常生活の中で負荷を掛ける修行法。
悟空やロック・リーも同じようなことをやって強くなってたし、
効果はあるはず……と信じたい。
そうだな。将来は、地球の料理を再現するために、
世界を回るのもいいかもしれない。
もっと広い世界を見て、いろんな食材や料理を探し歩いて、
いつか、こっちでも地球の味を再現できたらいいと思う。
……でも、世界を回るってことは、いろんな国に行くってことだ。
つまり、いろんな言語を覚えなきゃいけない。
家の本棚にあった歴史書によると、
この世界には複数の言語が存在するらしい。
中央大陸で使われている「人間語」
ミリス大陸の「獣神語」
ベガリット大陸の「闘神語」
天大陸の「天神語」
魔大陸の「魔神語」
そして海で使われる「海神語」
ざっと六種類。
物理的に行けそうにない天大陸や海中はひとまず除外するとして、
やっぱり気になるのは魔大陸――魔神語だ。
あそこの地域は文化が独特で、
多種多様な種族が存在しているとロキシーさんからも聞いた、
ならば、それだけ食材も豊富そうだ。
それに、獣神語も覚えておきたい。
ギレーヌの尻尾を見て以来、ほかの獣族の尻尾も、
正直ちょっと気になっている。
感情に左右され、自由自在に動く尻尾。
あれに、どうしても視線を持っていかれてしまう。
……と、俺の趣味は置いておくとして、
言語を覚えようにも教えてくれる人がいないのだ。
以前ロアの町に行ったとき、本屋で魔神語の本を見つけたことはあったが、
最初の一ページで心が折れた。
発音記号のような文字がびっしりで、翻訳表もない。
獣神語に至っては、本すら置いてなかった。
需要がないのか、そもそも流通すらしていないのか。
どうしたものかと考えていると、ふと宿儺が口を開いた。
『あの青髪の女。あれは魔族だと言っていたな。なら、魔神語も知っているのではないか?』
言われて、ようやく気づく。
あの人は確かミグルド族の魔族だ。
ロキシーさんは魔大陸から旅をしてこの土地に来たと聞いている。
なら魔神語も知っているはずだ。
「思い立ったが吉日、その日以降はすべて凶日」
と美食家四天王も言っていたので、俺はすぐに手紙をしたためた。
今どこにいるかは、以前ルーデウスが受け取っていた手紙で覚えている。
たしか、シーローン王国だったか。
迷宮を踏破したことで名を上げ、その国の王子の家庭教師をしている、と。
近況報告のあとに、率直に「魔神語を学びたい」という旨を添える。
ついでに、彼女の好きそうな話題も忘れずに。
ロキシーさんが甘いものに目がないのは、家にいたころから知っている。
ということで俺は、最近試作していた簡単なスイーツの作り方を紙に書き、
封筒の中に入れた。最後に――
「もしよければ、ロキシーさんの知る魔大陸の料理についても教えてください」
と一言添えて。
―――
返事が来たのは、それから一年後のことだった。
この世界では手紙の配達ができないことがよくあり、何通か送っていたが、
なかなか返事が来ず少し心配していたところだ。
だが、どうやらちゃんと届いていたようだ。
机に置かれた包みの中には木箱が入っており、思ったよりもずっしりとしていた。
中には二通の手紙と、分厚い本が一冊入っていた。
一枚の封筒には俺の名が、
もう一枚にはルーデウスの名が丁寧に書かれている。
俺宛の手紙を開く。
手紙の半分は焼き菓子のレシピへの賛辞で埋め尽くされていた。
「香りがよく、甘さが上品で、王子にも好評でした」
そんな言葉が並んでいて、読んでいるうちに少しだけ顔が緩む。
どうやら喜んでもらえたようだ。
後半には、魔神語の件が書かれていた。
「ルディとカインくんがもうすぐ十歳になる祝いも兼ねて、教科書を自作しました」
と書かれていた。
教科書を一から作るのに相当時間がかかったらしく、
その労力を思うと頭が下がる。
さらに、途中でルーデウスからも同じようなお願いの手紙が届いたらしい。
「二人はよく似ていますね」と書かれていて、少し照れくさくなった。
教科書は、俺が使い終えたらルーデウスに渡してほしいとのことだった。
だが、ルーデウスは、今文通を禁止されている。
などとお堅いことを考えてみたが、
あれはシルフィとの文通を禁止しただけだし、
こっちから一方的に送る分には、何の問題もないだろう。
勉強用だし。
魔大陸の料理についても触れられていた――
「味は中央大陸に比べれば、正直食べられたものではありません」
どうやら、食文化のレベルはあまり高くないらしい。
とはいえ、それはそれで興味をそそられる。
地球の食材だって、食べられたものじゃないものから、
誰かが工夫して、今の味を作り上げたのだ。
魔大陸にもそういう食材があってもおかしくない。
最後の一文には、力強い筆跡でこう書かれていた。
「他にもスイーツのレシピがあるなら、ぜひすべて教えてください」
本気でスイーツがお気に召したらしい。
肝心の本はというと、動物の革で丁寧に覆われており、
タイトルは書かれていない本だった。
読み進めるうちに、返事に一年という時間がかかった理由が分かった。
あらゆる魔神語が人間語に翻訳されており、
単語や文法はもちろん、細かな言い回し、発音の仕方、
会話での使い分けまで丁寧に記されている。
ページの端にはメモがあり
「この単語は喉を鳴らすように発音すること」
「ここで舌を巻くと意味が変わるので注意」
など、教師らしい丁寧な補足がびっしり書かれていた。
後半に進むと、内容はさらに濃くなる。
魔大陸に住むさまざまな部族の文化や風習が、挿絵付きで描かれていた。
「馬のような顔をした魔族はプライドが高く、豚のような姿の魔族とは相性が悪い」
など、ところどころに少しロキシーさんの偏見が入っている気もするが。
これがあれば、宿儺の助けがなくてもすぐに覚えられそうだ。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
魔神語を覚え終え、ルーデウスに教科書を譲るころには、
俺は十歳になっていた。
剣の腕も順調に伸びている。
水神流の修行は続き、師匠のもとでついに「上級」に到達した。
師匠曰く、上級までは基礎と応用の範囲なのだという。
構え、呼吸、足さばき、間合いの取り方、
それらを状況に応じて使い分け、完璧に身につけることができて、
ようやく「上級」であり、その先は、努力と才能の領域らしい。
その基礎の中には「闘気」というこの世界独自の力を使う必要があったが、
師匠の教え方が下手なのか、はたまた、
俺が転生者な事が関係しているのかは分からないが、
完全に習得することは出来なかった。
うっすら纏えている気がする程度の出来だ。
だから、そこは、呪力強化で誤魔化している。
効果はほぼ一緒だし大丈夫なはず……
上級に昇格してからは、時々森の奥に出没する魔物の討伐隊に、
参加させてくれるようになった。
見学ではなく、実際に戦いに加わる側として。
父さんも討伐隊に加わっていて、
参加を伝えたときは目を真っ赤にして喜んでいた。
「俺の息子が戦場に立つ日が来たか!」
と叫んで、酒を開け、最後は母さんに怒られていた。
―――
魔物退治当日、森の奥は想像以上に深く、
昼だというのに薄暗かった。
討伐隊は十数名。
だが、実際に戦えるのは師匠と父さんと俺、
シルフィの父親のロールズさんぐらいだ。
あとは、村を守るために適当に選ばれた普通の村民たちが集められている。
森を進みながら出てくる魔物を倒していく。
最初に現れたのは、黒毛の狼の群れだった。
影のように木々の間を走り抜け、牙を剥く。
そのあとには、腰ほどの背丈のゴブリンたちが現れ、
粗雑な棍棒を振り上げるが、
師匠の剣が首を落とし、父さんの斧が胴を両断する。
血の臭いが鼻を刺すが、不思議と心は静かだった。
戦闘というより、作業に近かった。
息を合わせ、動きを読み、ただ淡々と斬り伏せる。
討伐はあっけなく終わった。
地に倒れた魔物の数は多いが、
誰ひとり傷つくことなく帰還の準備をしている。
師匠は満足げに頷き、父さんは「よくやった」と言って何度も俺の肩を叩いた。
そのあと、父さんは師匠と久しぶりに話すと言って残った。
そうして、俺だけが帰路についた。
『小僧は、人を殺せるか』
唐突に、宿儺の声が頭の奥で響いた。
「これまた急だな……」
『……人間の造形をした魔物を殺したときにふと疑問に思ってな』
「ああ、ゴブリンのことか」
少し考えてから、俺は答えた。
「殺せるか、殺せないかでいえば、たぶん……いや、曖昧な言い方はやめよう。俺は、人を殺せる」
自分の声が、思ったよりも静かだった。
「だからって、進んで殺したいわけじゃない。躊躇がないわけでもない。ただ……選択肢の中に「殺す」って選択を入れてるだけだ」
『殺すことが小僧の選択肢の中にあることが、怖くないのか?』
「意外だな、宿儺もそういうこと気にしたりするんだ……それとも、知り合いがそのことで悩んでたか?」
『ああ。俺は、殺すという選択肢を取ることに、最後まで迷い続けた人間を知っている』
「そっか……なあ、宿儺。俺が死んだ理由って、知ってたっけ?」
『知らんな』
「俺はさ、殺されたんだ。夜道で、ぶつぶつ独り言を言ってる奴がいてさ。心配になって声を掛けたら……いきなり包丁を出して、刺されたんだ」
宿儺は俺の話を黙って聞いている。
「俺を刺した後、そいつは周りに俺しかいないはずなのに、俺以外の何かに向かって言い訳を続けてたんだ。『俺は悪くない』『仕方がなかったんだ』『だって』『でも』ってね」
『滑稽だな』
「滑稽か。そうだな、でもそいつを見て俺は思ったね、あれは「未来の俺」なんだって。何も選ばず、逃げ続けた果てに、残った選択肢が一つだけに見えてしまって、「これしかない」って錯覚に溺れていく。ほんとは他にも選択肢はあったはずなのに、手を伸ばす勇気も、意思もだんだん削れていって、最後には選ぶことすらできなくなる」
「だから俺は、そうなる前に選びたいんだ。その中に人を殺す選択が含まれていても、目を逸らさない。本当に怖いのは、人を殺すことじゃない。選択から逃げ続けて、何もかも他人事にして、自分自身を見失うことだ」
『それが小僧が人を殺せる理由か。言っていることは立派だな……実現できればの話だが』
「確かに、俺は人なんて殺したことないし、殺したいなんて思っちゃいない。だけど、もしそれで俺の信念が貫けるのなら、迷わずそうする」
『小僧の意志とは別の行動をとる……その生き方は、不自由ではないか』
「そうだな、不自由かもしれない。でも、俺はそれでもいいと思ってる。なんたって、自分で決めた道を最後まで貫ける奴が、カッコイイからな」
『クハッ……カッコイイからだと? 理屈を並べた結果、結局かっこつけたいだけとはな』
「分かってないなぁ宿儺は、カッコイイって思ったことを、全力でかっこつけてやるのが一番カッコイイんだよ」
『フン……俺はそうは思わんな』
「じゃあ、俺を見てそう思ってもらうように頑張るさ」