受肉転生 ~宿儺と一緒に本気出す~   作:てとらとりす

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痛いのって痛いよね。


二十四話

 

目を覚ますと、冷たい石の感触が頬にあった。

重い鉄格子、湿った空気、そして錆びた血の匂い。

牢屋か。

 

 

『起きたか、小僧』

 

 

(こっちのセリフだよ、宿儺……)

 

 

『……何かあったようだな』

 

 

俺はぼんやりした頭を押さえながら、

ヒトガミのこと、あの白い空間で起きたことを宿儺に説明した。

 

 

『フン……くだらん神もいたもんだな』

 

 

「それな」

 

 

「……起きたか」

 

 

牢屋の外。

黒い甲冑をまとった兵士が、立っていた。

 

 

「……あなたは?」

 

 

「私はガスロー地方が不死魔王アトーフェラトーフェ様の親衛隊隊長、ムーアだ。貴様らは何者だ? なぜ人族の子供がこんなところにいる?」

 

 

流暢な人間語だ。

 

 

「俺はカイン・アルネスといいます。気づいたら、ここに転移していました」

 

 

「転移だと?」

 

 

「はい。俺はあなた方に危害を加える気はありません。ただ、帰る方法を探しているだけです」

 

 

「本当ならば……解放してもよいのだが……アトーフェ様が、直々に捕らえたのだ、勝手には動けん。いや、あの方のことだ。もう忘れている可能性は……今回に限ってはさすがにないか……」

 

 

俺は一瞬ためらい、すぐに尋ねた。

 

 

「……アイシャを知りませんか?」

 

 

「アイシャ? 貴様と一緒にいた娘か。あの娘なら、アトーフェ様のところにいる」

 

 

「なっ! なんで――」

 

 

その直後だった。

 

 

「ムーーーアアァァァ!!!」

 

 

上のほうから、耳をつんざくような怒号が響き渡った。

壁がビリビリと震え、埃が舞う。

 

 

「……しばしお待ちください」

 

 

そう言って、足早に牢の外へと去っていった。

数分も経たないうちに、重い足音が再び響きはじめる。

ムーアが戻ってきた。

 

 

「アトーフェ様がお呼びです」

 

 

俺は無言で頷き、ゆっくりと立ち上がった。

俺はムーアの後ろについて、湿った石の階段を上がっていく。

 

階段を上り切ると、巨大な両開きの扉が立ちはだかっていた。

ムーアは扉の前で立ち止まり、こちらを振り返った。

 

 

「ひとつだけ忠告をしておきます」

 

 

「……なんですか?」

 

 

「アトーフェ様は、あなたを自分に挑みに来た「勇者」だと勘違いしておいでです。」

 

 

「勇者だと、何かまずいんですか?」

 

 

「まず戦闘は避けられないでしょうね。あの方は「勇者」という存在に強い憧れを抱いておられますから」

 

 

「でも……アトーフェ様って、魔王なんですよね?」

 

 

「正確に言えば「勇者に打ち倒される魔王」に憧れておられるのです」

 

 

「……打ち倒される魔王ですか……アトーフェ様の勇者の定義って、何かわかりますか? それによっては……勘違いも解消できるかもしれません」

 

 

「それは、物語に出てくるような勇者、そのままですよ。魔王の城に乗り込み、姫を救い、最後には魔王を討ち果たす……そんな、誰もが知る英雄譚の勇者です」

 

 

なるほど、そういうことか。

アイシャを自分のところに置いてるのは、

「お姫様」だからってことか。

 

つまり、俺は「勇者」

アイシャは「さらわれた姫」

そして、アトーフェは「魔王」

 

ムーアが低く息を吐いた。

 

 

「アトーフェ様の誤解を解くことは難しいでしょう。ですが――」

 

 

「ですが?」

 

 

「あの方は強者を好まれる。見たところ、あなたはそれなりに戦えるご様子。勇者のように、堂々と立ち向かう者をアトーフェ様は気に入られます。もし認められたのならば……殺されることはありません」

 

 

「……殺されない代わりに気に入られるってわけですね?」

 

 

「その通りです。気に入られれば我々の親衛隊に加えられるでしょうな」

 

 

親衛隊――ヒトガミの言ってたやつか。

十年戦って、二年の休暇。

そしてまた十年の繰り返し。

そんな人生、まっぴらごめんだ。

 

 

「勝つしかなさそうだな……」

 

 

つぶやいた俺に、ムーアがわずかに眉を上げた。

 

 

「ほう、勝てると。この五千年の間、北神カールマン様と魔神ラプラス様以外、誰ひとり勝ち得ぬ我らが王に、勝てると?」

 

 

「そのぐらいの心意気ってことです」

 

 

嘘だ。心意気なんかじゃない。

 

 

「そういえばどうしてムーアさんは、俺にこんなに良くしてくれるんですか? アトーフェ様の部下なんでしょう?」

 

 

「いいえ、ただ……昔の知人に雰囲気が似ていたもので……」

 

 

「そうでしたか」

 

 

「……それでは、ご武運を」

 

 

重厚な扉が軋む音を立てて開かれる。

 

その向こうは、まさしく「魔王の玉座」にふさわしい空間だった。

高い天井。紅黒の絨毯。

左右には炎を宿した燭台が並んでいる。

まさに魔王城って感じだ。

奥へと続く一本道の両端には、

ムーアと同じ黒い鎧を着た兵士たちが、ずらりと整列していた。

噂の親衛隊だろう。

 

全員が無言。

だが、兜の隙間から覗く瞳だけが、

まるで獲物を前にした獣のようにこちらを睨んでいる。

その視線を正面から受けながら、奥へと歩みを進めた。

 

玉座の上。そこに座していたのは、一人の女。

あいつが、アトーフェか。

 

白い髪。青い肌。赤い瞳。

背からはコウモリのような翼が広がり、額には一本の角が生えている。

鎧はムーアと同じものだが、刃傷と裂け目だらけで、戦いの記録が刻まれていた。

そして、アトーフェの隣。

 

鉄格子の檻の中に、小さな影があった。

 

 

「……アイシャ!」

 

 

思わず声が漏れた。

しかし、返事はない。

ぐったりと項垂れたまま、かすかに胸が上下している。

意識は――ない。

 

 

「来たか! ずいぶんと遅かったな貴様!」

 

 

魔神語だ。ムーアは人間語だったが、こいつは喋れないのか?

だが、長く生きているらしいのに喋れないってことはないだろう。

単にめんどくさがってるだけかもしれない。

アトーフェがゆっくりと玉座から立ち上がる。

その手には、一振りの剣。刃は赤黒く、血を吸ったように光っている。

 

 

「オレは不死魔王、アトーフェラトーフェ・ライバックだ!」

 

 

広間が震えた。

その声に込められた覇気は、まるで咆哮のようだ。

そして何よりその表情。

 

満足そうに、誇らしげに、

まるで長年の夢が叶ったかのように笑っていた。

 

無理だろうけど一応魔神語で聞いておくか……

 

 

「……アイシャを返してくれ!」

 

 

俺の声が広間に響いた。だが、返ってきたのは、笑い声だった。

 

 

「ふははは! 返してほしければ、このオレを倒してみろ!」

 

 

やっぱり、説得は無理そうだ。

あの目を見れば分かる。言葉が届く相手じゃない。

……ヒトガミの言ってた通り、戦うしかなさそうだ。

 

 

「アトーフェ、俺も全力で行きたいから、少し待ってくれないか?」

 

 

「いいだろう。準備ができるまで、存分に整えるがいい。だが、時間をかけすぎるなよ? オレは待つのが嫌いだからな」

 

 

口調とは裏腹に、あいつは素直に頷いた。

待ってくれるらしい。魔王のくせに律儀なやつだ、いや魔王だからこそかな?

 

許可が下りたので、俺は影の中に沈めていた岩を取り出す。

一つ、二つと岩の落ちる音が石床に響く。

 

肩を回し、腕を伸ばし、腰をひねる。

筋肉が軽く悲鳴を上げたが、それもすぐに消える。

軽い……いや、軽すぎるくらいだ。

少しのだるさは残るが、誤差の範囲だ。戦える。

 

岩をすべて出し終え影を閉じた。

アトーフェが玉座から、じっとこちらを見下ろしている。

 

 

「準備は終わったか!」

 

 

「まだだ、あとちょっとだけ待ってくれ」

 

 

俺がそう言うと、アトーフェの眉が露骨に動いた。

あからさまに不機嫌そうな顔だ。

それでも構わない。こっちにはやるべきことがある。

 

俺は掌を胸の前で組み、影絵を結ぶ。影が静かに揺れ、形を変え始めた。

 

 

「出てこい『鵺』」

 

 

影が膨らみ、黒煙のように広がった。

そこから現れたのは、顔に髑髏を模した仮面をつけた鳥。

その羽が一度だけはためくと、バチバチと電流が走る。

 

 

「終わったか」

 

 

「ああ」

 

 

「そうか。ならば名を名乗れ!」

 

 

「カイン・アルネス」

 

 

「カイン・アルネス!! 魔王アトーフェラトーフェ・ライバックが、貴様の相手をしてやる!!」

 

 

言葉と同時に、アトーフェは剣を俺に向け、仁王立ちになった。

動かない。攻めてくる気はない。

あくまで俺が挑戦者ということなのだろう。

 

俺は影に手を入れ、一本の剣を取り出す。

師匠からもらった、どこにでもある普通の剣。

だが、長年呪力を込め続けているのでそうそう折れることはない。

 

息を整え、呪力を体にながす。

呪力を流すのは、もう身体が覚えている動作だ。

身体の隅々まで満たされ、感覚が研ぎ澄まされていく。

強化された脚で床を蹴り、一直線にアトーフェへと向かう。

 

間合いに踏み込み、剣を振り抜いた。

全身の力を一点に集め、刃の軌道を最短で。

重さを乗せた、全力の一撃。

体幹、腕の角度、踏み込み、

すべてが噛み合った、今までで最高の一撃だった。

 

だが。

 

甲高い金属音が鳴った。

アトーフェはわずかに手首を返しただけだった。

まるで蚊でも払うような、無造作な動き。

次の瞬間、俺の剣はあっさりと弾き飛ばされ、

剣での一撃が腹に刺さった。

 

嫌な音がして、呼吸が止まる。

世界が回り、視界が跳ねた。

意識が飛びかける。

 

 

「ぐああぁっ!」

 

 

「この程度か?! 技を使うまでもないわぁ!!」

 

 

床を滑り、壁際まで吹き飛ばされた俺の体がようやく止まる。

視界の奥で、アトーフェがゆっくりと玉座を降りる。

 

 

『まだまだ、これからだ!』

 

 

――そう言うつもりだった

 

だが、

 

痛い。

 

痛い。

 

痛い。

 

今まで受けた痛みのどれとも違う痛みに、体がこわばった。

まるで自分の肉体が、俺という存在を拒絶しているようだった。

 

焼けつくような痛みが腹の奥から這い上がってくる。

呼吸をしようとしても、喉の奥で空気が絡まる。

息が、うまく吸えない。

肺が動かない。いや、動かそうとしても痛みが邪魔をする。

指先が震える。足が動かない。

視界が歪んで、黒と赤が交互に点滅していく。

 

 

「がっ……は、ぁ……」

 

 

喉から漏れるのは声にもならない嗚咽。

口の中に広がる鉄の味。

歯を食いしばることもできず、ただ、血の味が舌を染めた。

 

腹の奥で何かが壊れている。

骨か、内臓か、もはや判別もつかない。

ただ、壊れていることだけは、はっきりと分かった。

痛みが、波のように押し寄せては引き、また押し寄せる。

そのたびに視界が暗転し、意識が揺らぐ。

けれど、完全には落ちない。

痛みが、俺を無理やりこの現実に繋ぎ止めている。

 

痛い。

 

痛い。

 

痛い。

 

俺は床に倒れ込みながら、何とか自分を動かそうとした。

けれど、腕に力が入らない。動けない。

 

倒れたまま、何度も息を吸おうとした。

だが、そのたびに激痛が喉を締めつけ、

声にもならない音が漏れるだけだった。

 

修行で痛みなんて、何度も味わってきた。

死ぬときには、胸を貫かれたことだってある。

あの時も痛かった。だが、意識が遠のく瞬間には、

どこか冷静な自分がいた。

あれは生きようとする意志が薄かったから、痛くなかったのだ。

 

強烈な痛みの中で俺はあることに気づいた。

 

このままでは――死ぬ。

 

その理解が、遅れてやってきた。

 

気づいた瞬間、

言葉にできない恐怖が体を覆った。

 

怖い。

 

ただ、それだけだった。

理屈も覚悟も消え、

残ったのは生きたいという本能だけ。

 

そして、俺は単純なことを思い出す。

修行すれば、強くなれると思っていた。

この世界は、前の世界とは違って、

努力が報われる場所だと信じていた。

日々の積み重ねが、

いつか必ず自分を守ってくれると、

この世界は裏切らないと、

そう、疑いもなく信じていた。

 

でも、それは幻想だった。

 

強くなったとしても、どんな世界にも理不尽はある。

努力も祈りも、意味を持たない。

ただ、踏みにじられるだけの現実が、確かに存在する。

 

なぜ俺は、戦う前まであんなに楽観的だった?

まさか本当に自分を勇者だと勘違いしていたのか?

宿儺の力を得たからといって、俺が宿儺になったわけじゃない。

あの圧倒的な怪物のように、すべてを薙ぎ払えるわけじゃない。

 

俺はただの人間だ。

痛みに苦しみ、死ぬことに恐怖する、

どこにでもいる人間。

 

なにが、自分を貫き通すだ。

何が、選択から逃げないだ。

そんなものは、力を持つ者だけが言える台詞だ。

何も持たない俺のようなガキが、

自分に酔って吐いていい言葉じゃなかった。

 

……ようやく、わかった。

 

自分の思考を俯瞰して、冷めた目で見てみれば一目瞭然だった。

俺の信念も、理想も、口にしてきた言葉も――

 

たった一発で、崩れ去るほど脆い幻想だったのだと。

 




翼は陽に灼かれ
地に付した痛みが空想を焦がし
イカロスは現実という大地を知る
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