受肉転生 ~宿儺と一緒に本気出す~   作:てとらとりす

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二十六話

 

体が動かない。

いや、動かす気力がなかった。

 

宿儺に見限られた。

その事実が、頭の中で何度も反響して、

思考のすべてを塗り潰していた。

 

 

「おい、立て」

 

 

その声にも、もう何も感じなかった。

俺が動かないのを見て、アトーフェはゆっくりと歩み寄る。

剣は手にしているのに、刃を向けようともしない。

 

拳が振るわれた。頬が砕けるような衝撃。

立つ間もなく、二撃目が腹にめり込む。

空気が抜け、膝が勝手に落ちた。

 

痛い。それでも、死ねない。

アトーフェは、俺をわざと殺さないように殴っている。

 

 

「もう、いいんだ……早く……殺してくれよ」

 

 

自分の声が、自分のものに聞こえなかった。

 

アトーフェが、俺を見下ろしている。

紅い瞳は、怒りでも敵意でもなく……退屈。

ただ、退屈そうに。

 

 

「……貴様も、勇者ではなかったか」

 

 

アトーフェは剣を構える。

今度こそ終わりだ。

鋭い金属音が響き、刃が空気を裂く。

 

――ああ、これでいい。

 

そう思った瞬間だった。

 

 

「お兄ちゃん!!!」

 

 

その声が響いた瞬間、体が勝手に動いた。

考えるよりも先に、目の前で振り下ろされる刃を、反射的に避ける。

 

だが、遅かった。

 

鋭い痛みが左腕を貫いた。

切断まではいかないが、

肉が裂け、血が勢いよく噴き出す。

ちぎれかけた腕が、ぶらりと垂れ下がった。

 

 

「――ッ、がああああっ!」

 

 

痛い。ただ痛い。

生きることを諦め、

死を受け入れたときには、、

もう感じなくなっていたはずの痛みが、

今になって取り戻したように、全身を駆け巡る。

 

アトーフェが一歩、俺の前に立つ。

 

 

「……なぜよけた? 当たっていれば、貴様の思い通りに死ねたはずだ」

 

 

そうだ。なぜ、避けた? 

あと少しで楽になれたのに。

自分でも分からない。震える手を押さえながら、息を吸う。

 

……怖い。

死ぬのが、怖い。生きるのも、怖い。

どちらも選べないまま、俺はただ立ち尽くしていた。

 

檻の中でアイシャが立ち上がっていた。

小さな手で鉄格子を掴み、全身を震わせている。

涙で濡れた頬。

それでも、まっすぐに俺を見ていた。

 

そして、その目は――俺に期待していた。

 

恐怖に震えながらも、俺を信じようとしている。

アイシャの視線が、命綱のように俺を繋ぎ止めていた。

 

その瞬間、死の恐怖を、別の恐怖が上書きしていく。

 

宿儺に見限られたときの、あの冷たい痛みが蘇る。

あの目を、あの想いを、裏切るのが怖かった。

失うのが怖かった。

 

それは、確かに恐怖だった。

だが不思議と――体は動いた。

こわばるどころか、むしろ熱が走る。

 

今の俺は、誰がどう見たって死ぬ寸前だ。

血を流しすぎて、片腕はほとんど使えない。

立っているのも奇跡みたいなもんだ。

 

だが、そんな俺にアイシャは、まだ期待している。

 

頼る人が、他にいないだけかもしれない。

必死にしがみつくように、俺を見ているのかもしれない。

それでも、いい。

 

シルフィのように無詠唱とはいかないが、

詠唱の一部を省略する程度ならできる。

魔力を指先に集中させ、傷口に触れる。

ちぎれかけた左腕が、ゆっくりと、神経の糸で縫い合わされていく。

 

アトーフェが、剣を肩に担いだまま、

眉をわずかに上げ、鼻で笑う。

 

 

「……なんだ、まだやるのか?」

 

 

「ああ……俺は死ぬとしてもアイシャだけは、助けないとだからな……」

 

 

その言葉を口にした瞬間、

心の奥でうっすらと何かが定まった気がした。

宿儺の言葉が脳裏をよぎる――目標。

俺に足りなかったもの。

とってつけたようなものかもしれない。

だが、何も持たないよりはましだ。

 

 

「……『鵺』」

 

 

羽ばたきと共に電流が弾け、青白い光が走る。

鵺が鳴き声を上げてアトーフェへと突撃する。

 

 

「フンッ! そんなもので――」

 

 

言いかけたアトーフェの身体が、電流で一瞬だけ硬直した。

 

そのわずかな隙を逃さず、俺は踏み込む。

視界がぶれるほどの速さで、剣を振り抜いた。

狙いは首筋。

 

剣は確かに当たった。

だが、切れない。首に当たった瞬間、弾かれた。

金属のように硬い感触。

 

 

「チッ! ……闘気か」

 

 

「オラァ!」

 

 

電撃の痺れが切れ、アトーフェが反撃し、剣を振るう。

 

 

「『蝦蟇』」

 

 

地面から伸びた巨大な舌が、俺の胴を包み込む。

そのまま後ろ引かれ、アトーフェの一撃を紙一重で回避した。

 

 

「ほう……なぜかは知らんが、戦う気になったようだな!」

 

 

アトーフェが笑った。

怒鳴るでもなく、嘲るでもなく純粋に愉快そうに。

 

 

「勝てぬと分かっていながら挑む! いいぞ、勇者ではないが……親衛隊に入れてやってもいいかもしれん」

 

 

……それもいいかもな。

 

そんな考えが、ほんの一瞬、脳裏をよぎった。

そして、自分でも気づかないうちに、

わずかに口角が上がっていた。

 

気づいた瞬間、吐き気がした。

何考えてんだ、俺は。

そんなことだから、宿儺に見限られるのだ。

 

 

「……冗談じゃない」

 

 

俺は吐き捨てるように言った。

 

 

「ならば! その意地貫き通してみせろ!」

 

 

俺は息を吸い、考えを一つに絞る。

――アイシャを連れて、逃げる。それだけだ。

 

 

「……『玉犬』」

 

 

影が波打ち、黒と白、二匹の獣が姿を現す。

牙をむき出しにしてアトーフェの足元へ突っ込み、左右から噛みついた。

 

 

「フハハッ! 犬っころ風情が、このオレに牙を立てるか!」

 

 

玉犬が噛み付くが、アトーフェの闘気は岩よりも硬く、

文字どおり、歯が立たない。

それでも、動きを止めるには十分だ。

 

アトーフェを足止めしている隙に駆け抜ける。

アイシャのいる檻へ――玉座の前にある階段を上ればすぐだ。

 

 

「っ……はぁ、はぁ……!」

 

 

息が切れる。体の奥で、焼けるような痛みが続く。

それでも足を止めない。

アトーフェが玉犬を振りほどき、向かってくる。

 

 

「『大蛇』」

 

 

影の中から『大蛇』が飛び出し、アトーフェに食らいつこうとするが。

剣を振るわれ、『大蛇』は弾け飛んで影になって消える。

 

だが、それでもいい。少しでも時間を稼げれば。

 

 

「いいぞ……このまま……」

 

 

「この程度じゃあ、俺は止まらねぇ!!」

 

 

「……っ、『脱兎』!」

 

 

「さっきから、奇妙な技ばかり使うなぁ貴様は! もしや神子か?」

 

 

影が裂け、雪崩のように無数の兎が床を駆けた。

音を立てて弾けるように跳ね、

脱兎はアトーフェに向かって雪崩のように押し寄せる。

 

俺はその雪崩を背に、アイシャへと駆けた。

距離はあとわずか。

鉄格子の向こう、泣き腫らしたアイシャの目が見える。

 

 

「お兄ちゃんっ!」

 

 

「待ってろ!」

 

 

腕を伸ばす。あと数歩。あと少し――

 

 

「だが!! 甘ぁい!!」

 

 

アトーフェが突っ込んできた。

脱兎たちをものともせず、

まるで本能で道を読んだように一直線に俺へ向かったのだ。

避ける暇もなかった。

 

 

「な――っ!」

 

 

重い衝撃。視界が反転する。

何かが砕け、地面を転がった。

息ができない。体が言うことを聞かない。

 

床に叩きつけられた俺の目の前でアトーフェが立っていた。

アトーフェは、喜んでいた。

 

 

「いい目をしてきたな、貴様。勇者ではなかったが……戦士ではあったようだな」

 

 

俺は床に倒れたまま、その言葉を聞いていた。

息をするたび、肺の奥が焼けるように痛む。

 

アトーフェが剣を構え直し、目を細める。

 

 

「カイン・アルネス……貴様の名前、覚えておこう」

 

 

アトーフェは、ゆっくりと剣を持ち上げる。

刀身が光を反射し、赤い炎のように輝いた。

薄れていく意識の中で、遠くから声が聞こえた。

 

 

「やめてぇぇッ!!!」

 

 

アイシャの声だ。必死で鉄格子を叩きながら、泣き叫んでいる。

それでもアトーフェは止まらない。

 

彼女の影が、ゆっくりと俺の上に伸びていく。

――が、突然、別の声が割り込んだ。

 

 

「話が違いますぞ、アトーフェ様!」

 

 

低く、焦りを帯びていた。俺は目だけを動かし、その方向を見た。

声の主は、俺によくしてくれた親衛隊の隊長、ムーアだった。

 

 

「アトーフェ様が気に入ったら、殺さずに親衛隊にするという約束だったはずです!」

 

 

「うるっせぇ! こいつはさっき、それを断った! 戦士なら一度決めたことは貫き通すもんだろうが!!」

 

 

「はぁ……はぁ……そう、だよな」

 

 

一度決めたことは、貫き通さないとだよな。

アイシャを助けて、アトーフェから逃げる。

宿儺にも言われたじゃないか。

進む道を決めた人間は強い、って。

 

 

(頼ってばっかで悪いな、宿儺……)

 

 

俺はゆっくりと目を閉じ、内側へ意識を沈めた。

そこには、未だに残っている宿儺の呪力があった。

それを手繰る。掴む。引きずり出す。

 

俺が宿儺の呪力供給を制御できるのは、せいぜい四割程度。

だが――今は関係ない。

 

 

(……全部、使わせてもらうぞ)

 

 

心の奥でそう呟いた瞬間、世界が裏返るような熱が走った。

内側から血が沸騰するような圧が、筋肉を、神経を、骨を焼く。

全身の筋肉が悲鳴を上げているのに、力が溢れて止まらない。

呪力が制御できずに暴れている。

 

 

(今はただ、アトーフェをぶっ飛ばすことだけを考えろ)

 

 

暴れる呪力を拳に集める。

骨が軋み、皮膚の下で血管が爆ぜる。

痛みも恐怖も、熱に溶かされて消えていく。

 

視線を上げると、アトーフェはまだムーアと向かい合っていた。

意識は俺から逸れている。

完全に油断している。今しかない。

 

「一発入れる」と、自分にそう言い聞かせる。

たった一発で倒せるとは思っていない。

だが、やめる理由にもならない。

 

膝を沈める。腹に力を込める。

抑えきれない呪力が溢れ出し、拳の周囲で空気が歪む。

そのまま立ち上がり、

油断しているアトーフェに全力の拳をぶち込む。

 

 

 

 

 

 

――――その時、拳から黒い火花が走った。

 

 

錆びた夜のような黒い閃きが拳を伝い、空気ごと裂けた。

拳はみぞおちに喰い込み、

アトーフェの体が一気に後方へ吹き飛んだ。

鎧が裂け、火花が舞う。

 

俺は何が起きたのか分からなかった。

ただ、殴った瞬間――世界が、静まり返ったように感じた。

 

胸の奥がざわつく。何かが、確かに違った。

拳を振るった後も、体の中で呪力が暴れない。

さっきまで暴走していたはずの力が、

まるで呼吸するように自然に流れている。

 

指先ひとつ、意識を向けるだけで呪力がついてくる。

まるでずっと昔からこれを使っていたみたいに。

研ぎ澄まされていく感覚。

視界がくっきりと浮かび上がる。

 

全能感――そんな言葉が頭をよぎった。

こんな感覚は、久しぶりだ……

 

 

「ん? 久しぶり……?」

 

 

俺の思考をよそに、

目の前で、アトーフェが壁を砕いて立ち上がる。

砕けた石片が音を立てて落ちる中、

アトーフェは口角を吊り上げた。

 

 

「なんだ今のは!」

 

 

アトーフェの怒声が響く。

だが、俺の耳にはもう届かない。

頭の中で何かが静かに回り始めていた。

 

全能感――それは確かにあった。

だが同時に、胸の奥が空洞のように感じる。

何かが欠けている。

感覚が研ぎ澄まされればされるほど、

逆にその「穴」がはっきりと見えてくる。

 

足りない。

この状態でも、まだ“届かない”何かがある。

体は完璧に動く。呪力の流れも理想通り。

なのに、どこか……核心に触れられない。

 

 

(なんだ……この違和感……)

 

 

今まで、自分のことなんてどうでもよかった。

強くなれればそれでよかった。

でも今は違う。

初めて俺は俺という存在に興味を持った。

 

 

「おもしろいッ!! 何度倒れても立ち、そのたびに強くなる! 俺は知りたくなったぞ! お前がどこまで強くなれるのかをな!!」

 

 

アトーフェが床を蹴る。

砕けた石が跳ね上がり、赤黒い残光を残して巨体が迫る。

 

剣が振るわれる。空気が裂け、衝撃波が床を抉った。

アトーフェの力任せの剣なら、

軌道を読めば避けられるそう踏んでいた。

だが、体が勝手に反応する。

皮膚の下がざわつくような危険信号。

考えるよりも先に、体が横へ滑った。

 

刃が頬をかすめ、髪が宙に舞う。

アトーフェの目が見開かれた。

 

 

「今のをよけるか!!」

 

 

……さっきまでの戦いは遊びだったってことか。

今の一太刀。あれは、明確に剣術だった。

流れるような動き、無駄のない踏み込み。

北神流か。それもかなり高いレベル。

 

視線の端で、自分の落とした剣が見えた。

拾って戦うこともできる。けどそれじゃあ意味がない。

今の俺が必要なのはあの打撃だ。

 

 

「『鵺』」

 

 

『鵺』に体当たりを命じる。

紫電を撒き散らしてアトーフェに突っ込んでいく。

 

 

「何度も同じ手が通じるオレではないぞ!!」

 

 

アトーフェの拳が、鵺を上から叩く。

床に叩きつけられた鵺は、ギリギリで形を保っている。

アトーフェは痺れているが明らかにさっきよりも効きが悪い。

 

無理だったか……そう思った。

しかし、それ以上に、

もう一度あの一撃を決めたかった。

 

初めてなんだ。

俺が、俺自身に期待したのは。

あれをもう一度出せば、たどり着ける気がする。

俺という……人間の本質に。

 

そのためだったら……

 

呪力を拳に込め、アトーフェへ走る。

床が砕け、空気が震えた。

 

 

「おそいわぁっ!!」

 

 

──左腕を切り落とされた。

金属の冷たさと同時に、断絶するような、

生々しい痛みが腕を走った。

血が吹き出し、世界が暗くなりかける。

叫びを上げそうになるのを堪えて、

俺はただその刃と視線を見据えた。

 

アトーフェは勝ち誇ったように笑った。

 

 

「とったぁ!!!」

 

 

左腕を切った剣をそのまま反転させ、

アトーフェは、トドメの構えを取る。

 

同時に、俺の口から小さな声が漏れた。

 

 

「……とった」

 

 

その一言を言い終えるか終えないかの瞬間、

アトーフェの足元で黒い影が生まれた。

踏み込みが、影に沈む。

 

アトーフェの足が、影に飲み込まれる。

重心が奪われ、床を蹴る力が一瞬で吸い取られたように感じたのか、

踏み込みはそのまま影の中に沈んでいった。

アトーフェの体が、よろめき、

剣が、空を斬る。

 

残った右の拳に、全てを込める。

左腕に残る痛みを脳裏の隅に追いやり、足に力を沈める。

息を吸って、吐いて、視界がギリギリまで濃縮される。

周りの音が遠ざかり、心臓の鼓動だけが太鼓のように響いた。

さっきの感覚だ、あの違和感がまた来る。

指先から小さな電流が走るような感覚。

 

体勢を崩したアトーフェの顔面を目がけて拳を振り抜く。

 

 

 

――――再び黒い火花が散った。

 

世界が一瞬だけ白く光る。

音が割れ、空気が裂け、アトーフェの体が吹き飛んだ。

 

俺はその光景を、ただ見ていた。

拳の痺れと、胸の奥の熱だけを感じながら。

火花が散った瞬間、俺は確かに掴んだ。

俺の……本質を。

 

 

「……そうか、俺はずっと……怒ってたんだ」

 

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