あの後、俺たちはバグラーハグラーの厚意で部屋をもらった。
正直、初めは少し身構えていた。
てっきり「そのまま厨房で年中無休コース」だと思っていたからだ。
そうバグラーハグラーに伝えると、
「アトーフェの奴と一緒にするではない! あやつは力で支配するが、わしは食で支配するのじゃ!」
と、言われてしまった。
……言葉の意味はよくわからないが、
少なくとも強制労働はされなさそうだった。
それにしても、「アトーフェ」という名前を聞いただけで、動悸が止まらない。
あの戦いが、まだ意識の底で傷のように残っているのを感じた。
部屋は驚くほど快適だった。
広く、ふかふかのベッドが一つと、高そうな椅子が二つ。
まるで高級宿のようだ。
魔王の趣味が反映されているのか、
部屋の隅には果実の香り袋まで置いてある。
その部屋に荷物を置き、厨房向かう。
アイシャには「部屋で休んでていいぞ」と言ったのだが――
「やだ。お兄ちゃんが行くなら私も行く」
そう言いながら、しっかり俺の服を掴んだまま離れない。
まあ、知らない場所だしな。
不安になるのも無理はない。
そんなわけで、アイシャを連れて再び厨房へ戻ることになった。
―――
料理人たちはそれぞれの持ち場で作業をしており、
包丁の音や鍋の煮える音が絶え間なく響く。
そんな中、バグラーハグラーが大声で俺を呼んだ。
「カインよ、今夜の料理、お前に任せたぞ!」
言い終わるのと同時に、後ろからぞろぞろと足音が続く。
振り返ると、魔族の料理人たちが行列を作って立っていた。
どうやら、俺の料理を城の料理人全員に学ばせる気らしい。
「それでは、楽しみに待っておるぞ!」
バグラーハグラーは鼻息荒く、満足そうに笑い去っていった。
料理人たちの視線が刺さる。
「さあ、やってみろ」と言わんばかりの期待と興味。
「お兄ちゃん……なんか、見られてるんだけど……」
「大丈夫だ敵意はない、試されてるだけだ」
厨房を見回しながら、まずは食材棚を覗いた。
そこには、果物、肉、香草、
そして大量の調味料が整然と並んでいる。
見慣れない食材ばかりだが、どれも手入れが行き届いている。
その奥で、白く輝く粒が目に留まった。
――米だ。
「……なんでもあるな、ここ」
バグラーの言っていた“世界中から集めた食材”
というのは誇張でもなんでもないようだ。
(どうせなら、醤油を使った料理を作りたいな……)
頭の中で食材の組み合わせを考える。
せっかくなら、バグラーをもう一度驚かせたい。
ふと視線を横にずらすと、氷の台に並ぶ魚が目に入った。
鱗がきらりと光る。
どれも見たことのない魚ばかりで、
細長いもの、平たいもの、甲殻類みたいなやつまで様々だ。
「そっか、海が近いんだもんな」
一匹ずつ見ているうちに、ふと目が止まる。
細長く、黒光りしていて、ぬめりのある体。
まるで、前世でよく見た“あの魚”そっくりだった。
「……うなぎ、か?」
思わず声が漏れる。
触れてみると、ぬるっとした感触が指に絡む。
間違いない。骨格も形も、完全にウナギだ。
「お兄ちゃん、それヘビ?」
「似てるけど、これは……すごく美味しいやつだ」
「ほんとに……?」
半信半疑の目。まあ、見た目がこれじゃ無理もない。
「楽しみにしてろ。絶対にびっくりするから」
そう言って、俺はウナギをまな板に乗せる。
俺は袖を少しまくり、ウナギにそっと手を置いた。
指先にぬるっとした感触が伝わる。
「よしやるか……『捌』」
ウナギの身がスッと割れた。
皮が裂け、骨が外れ、肉がふわりと開く。
まな板に乗っているのは美しく開かれたウナギの身だけ。
血はほとんど出ていない。骨も、するりと外れている。
仕上がりは、どう見ても熟練職人の仕事だ。
一人で料理を作るときは、いつもこれで手早く仕上げてる。
横で見ていたアイシャが、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、俺の手とウナギを交互に見た。
「……お兄ちゃん、それ前も使ってたけど……なに?」
「魔法だ」
「えー……でも……」
「魔法だ」
俺が真顔で繰り返すと、アイシャはほっぺをぷくっと膨らませた。
やがて、渋々という言葉をそのまま形にしたように、肩を落とした。
さて、次はタレだ。
異世界だろうが何だろうが、作り方は変わらない。
料理の良いところは、才能なんてなくても、だれが作っても、
同じ作り方ならちゃんと美味しく作れるところだ。
俺は小鍋に、みりんっぽいものと酒を注ぐ。
中火で温めると、ふつふつと泡が立ち、甘い香りが溶け出していく。
次に、砂糖をスプーンで数杯、さらさらと落としていく。
それを木べらでくるくる混ぜると、液体が少しとろりとしてきた。
最後に醤油を鍋の中に落とす。
瞬間、香りが一段跳ね上がった。
混ぜながら、さらに数分。
液体はじわじわと水分を飛ばし、元の半分ほどの量に濃縮されていく。
つやつや、ぴかぴか。
見るだけで白米三杯いけそうな色になってきた。
「よし、完成。あとは焼くだけだな」
捌いたウナギを炭火の上に乗せると、脂が音を立ててはぜた。
ジュワッ――という音が厨房に響き、香ばしい匂いが一気に広がる。
さっき作ったタレを刷毛でひと塗り。
照りがついた瞬間、まるで金色の油膜を張ったように、ウナギの皮が艶を放った。
火加減を調整しながら、さらにもう一度タレを塗る。
甘辛い香りが鼻をくすぐり、隣で「ぐぅ」とお腹の音が盛大に鳴く。
横を見やると、アイシャがゴクリと喉を鳴らしていた。
いい感じの焼き具合になったところで火を消し、ウナギを移す。
隣では鍋で炊いていた米が、ちょうどいい具合に蒸気を上げていた。
蓋を開けると、白い湯気の向こうで粒が立っている。
木しゃもじでごはんをほぐし、箱っぽい器の中に並々に盛る。
その上に、つやつやと輝くウナギをそっと乗せ、
最後に、タレを少し垂らす。
「……完成」
フォークとスプーンしかなかったが、まあいい。
食べることに道具は関係ない。
―――
「おお! もうできたのか!」
「はい。お待たせしました」
魔王バグラーハグラーは椅子をきしませながら身を乗り出し、
興味津々に皿を覗き込んでいた。
その隣で、アイシャと俺も席に着く。
皿から立つ湯気がふわりと鼻をくすぐる。
照りのあるウナギ、白くてつやつやの米、
見ているだけで腹が鳴りそうだ。
「よし……いただきます」
小さく呟いてから、フォークでウナギをおさえ、そっとひと口食べる。
甘いタレが舌に触れた瞬間、ふわりとした身がほどける。
香ばしさと濃厚な旨味、そこにわずかな甘み。
噛むたび、じんわり広がっていく。
「……っ、うまい……」
思わず声が漏れる。懐かしすぎて、胸の奥がじんとする。
「お兄ちゃん! すっごく美味しいよ、この料理!」
「うんうん、それはよかった」
アイシャのスプーンを持つ小さな手が止まらない。
対面では、バグラーが勢いよくフォークを動かしていた。
「うおぉぉ……これは……うまい! うますぎるぞぉぉぉ!!」
食堂中に響く魔王の咆哮。
使用人たちが驚いて顔を覗かせるが、
バグラーは全く気にしていない。
「何という柔らかさ! 皮の香ばしさとこのタレの濃さ、まさに神の配合! これは罪の味じゃあああ!」
食堂に響き渡る魔王の歓喜の咆哮。
「決めたぞ! 給料も住まいも、修行場も用意してやる! ワシと共に世界の味を征服しようぞ! カインッ! この魔王バグラーハグラーの右腕となるのじゃあ!!」
「ありがたいお話です。でも……俺には、帰らなきゃいけない場所がありますので」
その言葉に、バグラーはぴたりと動きを止めた。
一瞬、空気が静まる。
「そうか……帰る場所があるか。それは良いことじゃ」
意外とすんなり受け入れてくれたようだ。
「ならば、いつでも良い。いつか、また食を共に究めたくなったとき、この城に戻ってくればいい」
―――
食事を終え、温かい茶が配られたころ。
ようやく、俺は自分たちの事情を切り出した。
「実は……俺たち、突然中央大陸から転移させられたんです」
「転移、とな?」
「はい、白い光に飲まれて目覚めたら、アトーフェの城まで転移してたんです」
その名を出すと、バグラーの顔が一瞬だけ硬くなった。
「……アトーフェは、どうしたのだ?」
「アイシャを囚えていたので……倒して、再生している間に逃げました」
次の瞬間、食堂の空気が凍りついた。
従者たちが「ヒッ」と息を呑み、遠くで皿を落とす音がした。
バグラーの手がぴたりと止まり、目が見開かれる。
「な……なんじゃと……!? おぬし……アトーフェを、倒したと言ったか?」
「倒したと言っても、首を落としただけですよ?」
「……あ、アトーフェの……首を……?」
バグラーの声が裏返る。食堂の温度がさらに数度下がった気がした。
従者たちは全員、石像のように動きを止め、
目だけがぎょろぎょろと俺を見る。
まるで、化け物を見るような目だ。
「……わし、てっきりおぬしは食に興味を持つだけの若者かと思っておったが……」
「合ってますよ?」
「……カイン殿、と呼ばせてもらおう。それほどの存在を“おぬし”呼ばわりなど、わしの命が惜しい!」
バグラーは椅子から立ち上がり、腹を張って言った。
「何かワシに手伝えることはないか? いや、させてくれ! そうじゃ、中央大陸に帰りたいのであったな? ならば、船を出そう!」
「船……?」
「うむ! 海を使えば中央大陸まで一直線じゃ! 陸を彷徨うより遥かに早い!」
「でも……確か海って、海族が仕切ってるんじゃないんですか? 勝手に船出したら……攻撃される、みたいな」
「心配いらぬ! ワシとあそこの王は旧友じゃ! 一緒に世界中の酒を飲み明かす仲よ! それくらい造作もないわい!」
どうしよう。
バグラーの提案は魅力的だ。
いや、魅力的どころか、現状考えうる最適解だ。
海路で一気に中央大陸に向かう。
安全、迅速、魔王保証つき。普通なら即決だ。
……けど。
転移させられたのは、きっと俺一人じゃない。
父さんや母さんだって……どこかで同じように迷ってるかもしれない。
もし俺だけ先に帰ってしまったら?
もし誰かが魔大陸に居て、俺たちとすれ違ったら?
それって、最悪じゃないか。
「まずは、足跡を残したい。俺たちが生きてるって、知ってもらわないと……」
「ふむ……なるほど、他にも転移者がいると?」
「はい」
「ワシの部下に、頼めば、各地に伝言を残すこともできよう」
「本当ですか!」
「まあ、そんなことせずとも“不死魔王を二度殺した男”として広まるじゃろうがな」
「広まらなくていいです……」
落ち着いて考える。
帰れるとわかったからこそ、焦らなくていい気がした。
俺の知り合い全員が安全な場所に転移したなんて、
希望的観測は捨てよう。常に最悪を想定して動くべきだ。
魔大陸にいきなり飛ばされたら、生き残れない人のほうが多い。
何が起きたかわからず、言葉も通じず、魔物に囲まれて――
受け身でいるわけにはいかない。
アイシャだって、母親と一刻も早く会いたいはずだ。
転移者の捜索をした方がいいか……
焦って走り抜けてしまえば、誰かとすれ違うかもしれない。
転移した知り合い、あるいは俺たちを探しに来る誰かと。
「俺たちは歩いて、帰ります」
「ならば、魔大陸の情報網はワシが請け負おう! カイン殿は安心して歩くがよい! 伝令も、張り紙も、噂流しも任せい!」
……噂流しは頼んでない。
「それと……もう一つ、お願いがあるんですが」
「ほう、申してみよ。カイン殿の頼みとあらば、可能な限り叶えよう」
「張り紙を見た転移者がいたら、あなたのところに避難させることってできますかね?」
自分でも、かなり厚かましいお願いだとわかっていた。
この世界で、見知らぬ人間を保護するなんて、普通じゃない。
ただでさえ命の価値が軽い土地だ。
弱者を抱え込むメリットなんてない。
ここが日本なら、困っている人を助けるのが当たり前かもしれないが。
でも、この世界では違う。
助ければ自分の身が危ない。それが常識だ。
だから、これはわがままに近い願いだった。
しかし、バグラーハグラーは、胸を叩いて笑う。
「もちろんじゃ! アトーフェ以外の……各地の魔王に知らせよう! 転移者とわかればここまで護衛させ、できる限り船で故郷に送り返してやる!」
「……っ、本当に、ありがとうございます」
深々と頭を下げる。
「礼はいい! その代わり、また旨いものを作れ! わしは期待しておるぞ!」
食事を終え、バグラーの従者が紙と書くものを持ってくる。
アイシャは、隣で満腹になって少し眠そうにしている。
俺は、文字を走らせた
見つけたい人の名前と特徴。
俺とアイシャは、生きていること。
フィットア領に帰るつもりでいること。
そして、この紙を見た転移者は、クラスマの町にいる魔王を頼ること。
そこに行けば、助けが得られること。
怪しいと感じる人もいるだろう。
だが、それでも信じてほしい。
そう願いながら、最後に一息ついて手を止める
封を閉じ、バグラーハグラーに差し出す。
「任せよ。ワシの名にかけて、魔大陸中に行き渡らせてみせよう」
本当に頼もしい魔王だ。
……なんで最初に会った魔王がこの人じゃなかったんだろう。
「助かります。本当に……」
俺が頭を下げると、バグラーは手を振って笑った。
「さっきも言ったが、礼は不要じゃ。あれほどの料理を食べさせてもらって何もしないでは不死魔王の名がすたる。それにのう――」
バグラーの声が、少しだけ低く落ちた。
「おぬしのような若者が、あのアトーフェを打ち倒したと聞いてな……久々に胸が熱くなったのじゃ」
「俺は俺のやりたいことをやっただけです」
「ならば、ワシはその道の石ころをどけてやるだけよ。若者の旅路を邪魔するほど、老いたつもりはないでな」
「……ありがとうございます」
「礼は――」
「――不要、でしたね」
「そうじゃ! わかってきたではないか、カインよ! ……いや、カイン殿!」
「カインでいいですよ」
「そうか? ならワシもバグラーでよいぞ!」
……ああ、やっぱり思う。
もし最初に出会った魔王がこの人だったら、
少し世界の見え方も違っていたのかもしれない。
だが――
最初がアトーフェだったから、今ここに来れてるんだろう。
不条理に揉まれて、傷ついて、それでも前に進んだから。
だから、今のこの瞬間がある。
バグラーが、ふっと鼻を鳴らした。
「よし、カインよ十四日間はここで料理を作ってくれ。あれほどの願いをワシにしたのだ、嫌とは言わせぬぞ?」
……そう来たか。
思わず少し口元が緩む。
力を貸した代わりに見返りを求める。
魔族の城、魔王の名、魔大陸全土の情報網を動かす引き受け、転移者の保護。
それに対して“料理を作れ”なんて――
「安すぎますよ」
俺がそう言うと、バグラーは、まるで心の底から愉快そうに笑った。
その笑いは豪快で、どこか誇らしげでもあった。
「ワシにとって「食」とは、何者にも代えがたいものなのじゃ」
「なら、十四日間全力で作りますんで、覚悟しといてくださいよ」
「その意気じゃ! ワシはおぬしがどんな料理を出すか、楽しみでたまらんわ!」
そう言って去っていくバグラーの背中を見送り、
俺たちも静かな廊下を抜けて部屋へ戻った。
アイシャはベッドに腰を下ろすなり、
ふわぁ、と小さくあくびをして俺の袖を掴む。
「お兄ちゃん……私、お兄ちゃんの犬と寝たい」
「わかった、出てこい『玉犬』」
影の中から出てきた玉犬は、鼻先をひくひくさせ、
部屋の匂いを確かめると、すぐにアイシャの膝へ頭を擦りつける。
「ふふ……あったかい、お兄ちゃんも……寝よ?」
「ああ、明日から忙しくなるからな」
きっと大丈夫だ。
俺たちの旅は、いい方向へ転がり始めている。
そう信じられる夜だった。
「……おやすみ」