二週間の滞在は、想像以上にあっという間だった。
バグラーハグラーの城での生活は、だいぶ体力を使った気がする。
何せ、あのバグラーは一日に五回の食事を取る。
しかもどれも宴のような規模だ。
料理人たちが交代で手伝ってくれたとはいえ、
毎食ごとに十数皿を作るのは地獄の修行だった。
それでも、バグラーがいい反応をしてくれるので手は抜けない。
食事以外の時間には、魔大陸の地理や種族、習慣など、
旅に必要な知識を徹底的に教わった。
一方で、アイシャにも変化があった。
最初のうちは、俺とバグラーが魔神語で話しているのを聞きながら、
ぽつんと黙っていたのだが。
言葉がわからない会話の輪の中で、
あの子なりに疎外感を覚えていたんだと思う。
三日目の夜、食後に唐突に言った。
「私も……魔神語、覚えたい」
それからは毎晩の勉強が日課になった。
単語帳を作り、発音を繰り返し、俺が書いた文字を指でなぞりながら覚えていく。
覚えた単語を使って、ぎこちない挨拶をするたびに嬉しそうに笑っていた。
吸収が早く、この調子なら魔大陸を出るころには完璧に話せるだろう。
――そして、出立の日の早朝。
バグラーは最後まで気前がよく、
「移動用の魔獣を用意してやろう」と言ってくれたが、
ミリス大陸に渡るときには結局置いていくことになるので、丁重に断った。
式神のほうが早いし、何より別れる時に悲しくなりそうだ。
それと、食料も詰めてくれた。
とはいえ、持ち運べるのは日持ちするものばかりだ。
干し肉、乾燥果実、固いパン。
その代わり、調味料は大量にもらった。
影に入れることもできたが、あまり詰めすぎると戦闘時の動きに支障が出る。
結局、重さを分散させながらリュックにぎっしり詰めた。
―――
――城門前。
仲良くしていた料理人たちが揃って見送りに来てくれていた。
「もう行くのか、カイン殿!」
「もっと料理を教えてほしかったのに!」
「戻ることがあったら、また作りに来てくださいね!」
それぞれが思い思いの言葉をかけてくれる。
「さらばだ、カイン。道中で面倒があれば言え。わしの名を出せば、だいたいは片付く」
「頼りにしていますよ、バグラー様」
「こんな状況だからこそ、存分に旅を楽しめ若者よ」
「はい!」
……よし、行くか。
玉犬を呼び出す。
いつもの倍近い大きさだが、
荷物の重さを考えればこのぐらいでちょうどいい。
アイシャを抱えて乗り込むと、玉犬の首元にぎゅっとしがみついた。
「バグラー様! ありがとー」
魔神語はまだ全部覚えてないから、ところどころ変だ。
バグラーは愉快そうに笑ってたけど。
俺も軽く手を挙げて応える。
玉犬が一歩踏み出すと、景色がゆっくりと動き出す。
前に進む感覚が心地いい。
向かう先は、リカリスの町というところだ。
―――
一時間もすれば城は、見えなくなっていた。
移動のあいだに出る魔物は、ほとんど『鵺』に任せている。
見張りも、追撃も、後始末も逐一命令してないといけないが。
俺はたまに気分転換で「解」の練習をする。
細かい制御を意識しながら、空気を媒介にした斬撃を飛ばす。
なんと、アトーフェとの戦いで宿儺の呪力を全て引き出したせいか、
俺の呪力出力はかなり上がっていた。
思えば、アトーフェには無詠唱の『解』じゃあ、
かすり傷しか与えられなかった。
けど今なら、同じ条件でも切断くらいはできるはずだと思いたい。
切っても再生されるだろうけど、ハメ殺しぐらいはできる。
……まあ、アトーフェのところに自分から行くつもりもないから、
考えるだけ無駄か……
そしてもう一つ、分かったことがある。
宿儺の呪力を100%供給している間は――
「あ! またお兄ちゃんに変な模様がでてる!」
そう、体に黒い模様が浮かぶ。
宿儺みたいな、線が皮膚の上に滲むように広がる。
自分で見ると、なんか強そうに見えるし、
正直ちょっとかっこいいと思わなくもない。
まあ、厨二っぽいと言われれば否定できないが。
だがアイシャからの評価は「こわいからやだ」らしい。
100%を引き出したときにしか模様はでないし、
アイシャがいるところでは、あまり見せないようにしよう。
ちょっと寂しい気もするが、仕方ない。
気に入ってるのはどうやら俺だけのようだからな。
――
数日が経ち、移動も順調。
昼は進んで、夜までに小さな町に、
そこの宿で休み、また進む。
この繰り返しだ。
そこまで快適じゃないけど、文句を言うほどでもない。
宿では夜遅くまで周囲を警戒するために起きているので、
多少寝不足だが、体も慣れてきた。
信用のできる仲間を作りたいな。
一度、アトーフェの城が視界に入ったときは胃がキュッとなったが、
何も起きずに通り過ぎた。
あそこでまた何かあったら、さすがに心が折れそうになる。
だが、俺に執着するほど、
あの魔王もそんなに暇じゃない……と思いたい。
このまま何事もなくリカリスまで――と考えていた矢先。
嫌な音が後ろから聞こえた。
地面をえぐるような衝撃、風を切る鈍い音、そして近づいてくる足音。
めちゃくちゃデカい何かが、こっちに突っ込んでくる気配。
振り返る。
……なんだあれ。
後ろから土煙を巻き上げて突っ込んでくる影。
近づくにつれ輪郭がはっきりしてきて、思わず二度見した。
灰紫の肌。常識外れの筋肉。
そして、腕が六本。
見た目だけならアトーフェとかバグラーの親戚。
魔王ってそんなに道ばたで湧くものなのか? 勘弁してほしい。
そいつは俺たちを視界に捉えると、
ニタッと口を裂かせて、速度をさらに上げてきた。
俺たちを追い越し、目の前に立つ。
六本の腕をぐいっと組み、胸を張る。
近くで見るとさらにデカい。
「フハハハハハ!!」
腹の底から響く爆発みたいな笑い声。
アイシャがビックリしている。
「我が名は魔王バーディガーディ!」
やっぱり魔王かよ。
魔王ってこんなスライム感覚で出てくる存在じゃないだろ。
「貴様がカイン・アルネスか! 我が姉アトーフェ、そして我が友バグラーより話は聞いておる!」
「魔王様が何をしに俺のところへ?」
「見物だ。人族の子供が、アトーフェを倒し! バグラーの知らぬ美食を作ったのだ、見に行かぬ理由がなかろう! ほかに理由はない!」
この魔王……純粋に、ただ見に来ただけなのか。
興味本位で魔王が高速ダッシュしてくるのは、ほんとやめてほしい。
「いや、一つ聞いておこう。」
バーディガーディの声色が、少しだけ低くなる。
その瞬間、背筋が反射的に強張った。警戒度が勝手に上がる。
思わずアイシャを抱き寄せ、玉犬に意識を向けた。
呪力を回し、戦闘態勢に入る。
来るなら来い。相手が魔王だろうが、やってやる。
魔王もこれで三人目だ。もう怖くなんかない。
ただし、アトーフェは例外とする。
俺の視線が鋭くなると、バーディガーディは手をひらひらさせた。
「待て。我輩に戦う気はない。見に来ただけと言っておる。」
「そういって、気が変わったとか言いませんよね?」
「ああ、もっとも、そちらがその気なら構わんがな」
少し息を吐いて、力を抜く。
必要以上に力んで殴り合うのは馬鹿だ。
「では聞こう。なぜ、そこまで強くあろうとする? まだ子供ではないか」
む。急にまっすぐ来るなこの人。
てっきり「戦いだ!」みたいな感じだと思ってたのだが……
少し姿勢を正す。こっちも茶化せる雰囲気じゃない。
「我輩は強さと名声を追い求めすぎた男を何人か知っておるが、ロクなものではなかったぞ。そんなものより、大切なものはいくらでもあるというのに」
……妙に重い言葉だ。
こういう重さは、年季がないと出せない。
不死魔族は長い時間を生きる。
バーディガーディも例外じゃない。
この人は、きっといろいろな人を見てきたのだろう。
「……バーディ様にとって“大切なもの”ってなんですか?」
「婚約者であるな! 貴様も一人見つければわかろうものだ!」
……即答か。
迷いゼロの言い切り。しかも全力で誇って言う感じ。
なんというか……うらやましい。
誰かひとり、迷いなく胸を張って大切だと言える相手。
そういうの、少し憧れる部分はある。
だが、人間不信の俺には絶対に無理な願いだ。
でも、守りたい人なら沢山いる。
父さん、母さん、ルーデウス、シルフィ、アイシャ……ほかに何人も。
その人たちを守りたい。
だから強くなろうとしている。
結局、わがままなんだ。
「誰かを守りたい」も、「強くなりたい」って願いも全て。
でも、そのわがままを貫くには――力がいる。
力がなきゃ、自分の選択すら守れない。
理不尽に踏み潰されて、後悔して終わる。
そんなのは、もう嫌なんだ。
だから、俺は強くなりたい。
――そう伝えた。
「ふむ……なるほどな。わがまま、か」
俺の言葉を聞いたバーディガーディは、少し目を細めて、顎をさすった。
表情は穏やかだったが、どこか納得したような笑みを浮かべている。
そして、ぽん、と手をひとつ打つ。
「良いぞ。己を貫くには、確かに力が要る。言葉だけで理不尽が退くほど、世は優しくないからな」
バーディガーディは静かに頷き、六本の腕をぐいっと組み替えた。
そして、ぽん、と手をひとつ打つ。
「よし、褒美をやろう」
「褒美?」
「うむ。知恵にせよ知識にせよ、力にせよ、望むなら授けよう」
知恵……?
さっきまで筋肉の塊みたいに思ってたけど、実はインテリ枠なのか。
いや、六本腕のインテリってなんだ。
何でも……って言われると逆に困る。
今の自分に足りないものはいくらでもある。
「あっ! じゃあ、人探しってできますか?」
「できんな、それは我が婚約者の領分だ。名を告げれば、どんな場所にいようと見つける。今度会ったときにでも聞いておこう、他の願いで頼む」
名前をバーディガーディに伝えておく。
無理と言い切られなかっただけで、十分すぎる。
どの道、俺は今、手段が少なすぎる。
頼れるなら、なんだって頼る。
さて……他に、何かあるか?
頭の中でぐるぐる回す。
欲しいもの。必要なもの。
けど、すぐには出てこない。
だいたいの知識はバグラーの城で聞いてるしな。
地図、主要都市、魔大陸の生態……etc
バーディガーディに聞くまでもない話ばかりだ。
じゃあ……俺が今知ってはいるが、理解してはいないことを聞こう。
――闘気だ。
この世界の剣士、いや体を鍛えていれば誰しもが日常的に纏っているというもの。
師匠も、アトーフェでさえ当然のように使っていた。
俺はうっすら纏えているようだが、いまだにコツは掴めておらず、
意識していないと、定着しないのだ。
呪力で誤魔化しているせいなのだろうか?
呪力強化も便利だが、あれを日常的に使い続けるのは、正直しんどい。
燃料を無限に吐き出せるわけじゃないし、集中が切れれば破綻する。
それに、もしもというときにガス欠になったら困る。
呪力と闘気がどう違うのか。
もし両方を扱えたら、どうなるのか気になるし……よし!
「闘気について教えてください」
「なんと! 闘気も使えんというのに、我が姉を倒したというのか!」
「いや、まあ……そこは裏技っていうか、なんというか……」
別に呪力を隠す理由はない。
ただ、説明するとややこしくなる気がしただけだ。
「ほう、裏技とな……うむ、よい! 人には言えん秘密の一つや二つあるだろう」
ありがたい。話のわかる魔王で助かる。
アトーフェとは違うな、アトーフェとは。
バーディガーディは腕を組み、
わざとらしくうんうんと頷いたあと、声を張り上げた。
「闘気とはすなわち、魔力である!」
「えーっとつまり……体内の魔力を使って、肉体を強化するってことですか?」
「うむ、概ねその認識で合っておる。イメージとしては、体を作る肉片の一つ一つを魔力で覆い、押し固める感じだな!」
「肉片の一つ一つ……」
つまり、身体の隅々まで魔力を浸透させて、押し固める。
俺の呪力強化は“巡らせる”イメージだから、そこが違うのかもしれない。
ちょっとやってみるか。
全身の細かい部分、筋繊維の一本一本まで魔力を浸透させ、押し固める。
集中が必要だな。
……なら。
アトーフェと戦ったときの感覚を思い出すか。
全身が燃え上がるような、高揚と緊張と、理性の境界が細くなる感覚。
世界を見る目が研ぎ澄まされ、何もかもが手の中にあるような錯覚。
あの“全能感”は無理でも、確かに覚えてる。
あのときの体の隅々まで血が巡り、熱が走るような感覚。
その記憶を思い出しながら、
魔力を指先へ、足先へ、筋肉へ、骨へ──押し固める。
流すんじゃない。
染み込ませる。
埋め込む。
押し固める。
「……ん。なんか、しっかり纏えてる気がする」
「焦らずともよい。生き急ぐでないぞ。走り抜ければ見落とす景色もあるからな!」
……そうだな。まあ、あとは慣れだろう。
「……コツはつかめました。ありがとうございます」
「ふむ。役に立てたのならばよい」
なんというか……豪放磊落な見た目に似合わず、案外丁寧だ。
バーディガーディは興味深そうに俺を覗き込み、顎を撫でる。
「して、貴様はどこに向かっておるのだ?」
「リカリスの町です。魔大陸の主要な町を回って、人探しをしているので」
「ほう! リカリスか! なるほど、ならば我輩が案内してやろう!」
「……え、いいんですか?」
「よいとも! 何を隠そう、リカリスは吾輩の統べる町でもあるからな!」
至れり尽くせりだな。
地図はもらっているけど、
やっぱり現地を知る人が横にいるのとじゃ安心感が違う。
これ以上の保険はないだろう。
ありがたすぎて逆に怖いレベルだ。
「……また、魔王さま?」
声がちょっと震えてる。
まあ、六本腕で筋肉ムキムキで声デカくて、姉がアトーフェなら、そりゃ怖い。
若干雰囲気似てるしな。あっちはもうちょっと鬼みたいだったけど。
俺はアイシャの頭を軽く撫でる。
「ああ。魔王だけど……いい魔王だと思うぞ」
「怖がらずともよい! 娘よ、笑え! フハハハハ!!」
アイシャはビクッとしたあと、ぎこちなく真似した。
「……フ、フハハハハハ!」
その様子があまりにも微笑ましくて、つい俺も吹き出した。
「……ぷっ。ハハハハ……!」
「良いぞ、良いぞ! 我輩の婚約者も言っていた、どんな時にもとにかく笑えとな! フハハハハ!」
アイシャは、俺が笑ったのを見て安心したのか、今度は自然と笑った。
なんだか、魔王と子供の笑いが混ざるこの空間は、妙に平和で、
さっきまで身構えてた自分が馬鹿みたいに思えた。