玉犬の背は安定していて、歩くよりずっと速い。
その上で、俺とアイシャは揺られ、
前方ではバーディガーディが堂々と歩いている。
六本の腕を組んだり、振ったり、
時折こちらを振り返ったりしながら、道を先導してくれていた。
……ふと、思った。
バーディガーディは魔王だ。
しかもリカリスを統べる立場、と本人が言っていた。
つまり、町を持つレベルの権力者なのだ。
そんな相手が徒歩で、俺たちだけ玉犬の背に乗って移動。
冷静に考えると、どうなんだそれ。
本人は気にしてなさそうだけど、
だからといって甘えていいわけでもない。
こういうところで調子に乗ると、
ろくなことにならない。
……というわけで、俺は玉犬からすっと降りた。
バーディガーディが振り返り、不思議そうに首をかしげる。
というか首をかしげながら六本の腕が全部別の動きをしてる。
相変わらず視覚情報が多い魔王だ。
「なぜ降りた?」
「いや、魔王様が歩いているのに俺たちだけ玉犬に乗るのも失礼かなと思いまして」
別に媚びるつもりはない。
ただ、俺の中の礼儀のラインがこれだっただけだ。
バーディガーディは一瞬きょとんとしたあと、豪快に笑った。
「気にせずともよい。昔の我輩ならまだしも、このガタイでは大概の生物に乗れんからなぁ」
……なるほど、そういう事情か。
「それと、バーディでよいぞ。笑えと言われて笑った者には、名前で呼ぶことを許しておるのだ」
笑ったからか、なんか変なルールだけど、嫌いじゃない。
それにしても……
バーディの「乗れない」って話、少しだけ寂しそうだった気がする。
「バーディ様は、生き物に乗りたいんですか?」
「うむ、乗りたいな! 風を切り、広い大地を駆ける……あれこそ男のロマンよ」
分かる気がする。
そう思い玉犬をちらっと見ると、
まるで「やめてくれ」と言いたげな目で俺を見返してきた。
耳がわずかに後ろへ倒れているあたり、本気で嫌そうだ。
だが、ふと思い出す。
そういえば、いた。使いどころが難しくて、存在を半分忘れていたが。
バーディを乗せられるかもしれない式神。
「『満象』」
影が地面を盛り上げ、そこから巨体がずるりとせり上がる。
堂々とした四肢。ゆっくりと揺れる長い鼻。
満象の脚が土を踏みしめ、重さで地面がわずかに沈む。
バーディはその巨体を見上げ、目を輝かせた。
筋肉と筋肉の塊みたいな体でさえ、
満象の前では少し小さく見える。
「……これなら、乗れますかね?」
「ほう……前々から聞こうとは思っていたが、こやつらはなんだ? 貴様の使い魔なのだろうが、我輩は長く生きてきたがこんな生物は見たこともないぞ?」
来たな――その質問。
今まで何度かほかの魔族に同じようなことを聞かれ、
そのたびに曖昧な言葉で誤魔化してきた。
けど、どれも説得力がなかった。
まして相手は、長命で博識な魔王だ。
下手な嘘はすぐに見抜かれるだろう。
だからバグラーの城で観た本にあった、
あれを使わせてもらおう。
「実は、俺……神子なんです」
神子、生まれながらにして、異常な魔力を宿す子供たちの総称。
その子供は、生まれつき特殊な能力を持っている。
たとえば――
口から炎を吐く者。
指先から毒をにじませる者。
短い距離を一瞬で移動する者。
目から光線を放つ者さえいたという。
なら俺の「式神」も、そこから来たと説明すれば、
きっと納得されるはずだ。
「なんというか……生まれつき、こういうのを呼べるっぽくて」
言ってみたものの、我ながら説得力が薄い。
語尾が曖昧だし……
だが言ってしまったものはしょうがない。
バーディの片眉がぴくりと動いた。
鋭い眼光――あ、やばい、完全に見抜かれてる。
魔王だ。生きてる時間も経験も、ケタが違う。
俺の嘘なんて、すぐわかってしまうのだろう。
だが、追及はしてこなかった。
ただ、にやりと笑うだけ。
なんとも言えない空気が流れた瞬間、
袖を引っ張られた。
振り向くと、アイシャがじっと俺を見つめていた。
「……お兄ちゃんって、嘘が下手くそだよね」
……どうやら、俺は嘘が下手らしい。
おかしいな、前世ではうまかったはずなのだが。
「フハハハハ! 真実を語れぬ時もある。嘘をつくのが下手な者は、裏がなくてよいではないか」
満象がゆっくりとその巨体を沈ませる。
バーディガーディは満象の横へ歩み寄り、
巨大な鼻をぽん、と叩いた。
「では、遠慮なく!」
バーディはひざを曲げ、どすん、と満象の背に跳び乗った。
地面がわずかに震える。
満象はびくともせず、鼻を鳴らした。
バーディは満象の背の上でふんぞり返り、満足げに胸を張る。
「乗り心地はどうですか?」
「うむ! 悪くない! いざリカリスへ!」
――
バーディと出会って数日がたった。
道中は想像以上に賑やかで、
静かな時間のほうが珍しいくらいだ。
この魔王、本当に豪快で、
よく笑って、よく喋る。
けど、どこか子どもっぽいところもあって、
一緒にいるとどうにも気が抜ける。
最初は警戒していたアイシャも、
今では暇さえあればバーディの肩や腕にちょこんと乗っている。
六本のうち空いた腕に器用に抱えられて、楽しそうにしている。
あの子は順応力が高いな。
俺が作る食事もよく食べてくれる。
「バグラーの奴が絶賛するのもうなずける!」
と笑いながら、豪快に皿を空にしていく。
夜は交代制……のはずだったが、
バーディが大体見張りを引き受けてくれる。
魔族の体力ってのはどうなってるんだろうな。
おかげで俺とアイシャはちゃんと眠れる。
ありがたい話だ。
やがて、前方に薄暗い森が見えてきた。
遠くまで木々が続き、空気がひんやりしてくる。
バーディが満象の背から立ち上がり、森を指差した。
「石化の森だ。あれを越えれば、一日もすればリカリスに着く。危険な魔物がうろついているが、貴様らなら大丈夫だろう」
「……ということは、ここでお別れですか?」
「うむ。我輩は別の用があるでな。ここからは貴様らだけで行くがよい!」
「えっ……バーディさま、もういっちゃうの……?」
「フハハハハ! 案ずるな、娘よ。生きていればいずれまた会う時が来る!」
「わかった! また、あそんでね!」
「もちろんだとも! カインも次に会う時は、もっと面白い料理を期待しておるぞ!」
「期待に応えられるようにしときます」
「よし! では行くぞ満象! さらばだ、わが友らよ!」
満象の背で胸を張り、豪快に手を振る。
俺とアイシャも手を振り返す。
「まんぞうー! バイバーイ!!」
……アイシャ、満象は、まんぞうじゃないけどな。
かわいいから訂正しない。
「……てか、なんで当たり前みたいに満象連れてってんだよあの魔王」
満象の巨大な背中が、ゆっくり遠ざかっていく。
堂々と、当然のように。
「満象もなんで当たり前のように従ってんだよ……」
まあ、範囲外に出れば勝手に影に戻るからいいか。
好きにさせておこう。
さて、気持ちを切り替えて森に――
と思ったところで、足が止まった。
視界の奥で何かが動いた。
ずし、ずし、と震える足音。
茂みをかき分けてでかい人影が飛び出してきた。
豚……?
いや、あれはロキシーさんの教科書に載ってた豚の魔族か。
太い体を必死に揺らしてこっちに突っ込んでくる。
焦っている。というか泣きそうだ。
何かに追われてるのだろうか?
次の瞬間、木々が大きく揺れて――
赤い巨蛇が這い出してきた。
身体は俺の胴体より太く、目が血のように赤い。
蛇皮が陽光を反射してぬらりと光る。
……すぐ追いつかれそうだな。
目は焦点が合ってなくて、ただ必死に前だけ見てる。
あのままだと追いつかれて、飲み込まれて終わりだ。
「『解』」
音もなく、蛇の胴体が横に裂けた。
切断面から黒い液体が噴き出し、
上半身と下半身がずれ、
巨体が地面に倒れ込む。
足が縺れるように力を失い、
その豚の魔族は地面に膝をついた。
肩が上下に震えて、呼吸がうまくできていない。
そっと距離を詰め、無理に近づきすぎないように魔神語で声をかける。
「大丈夫か」
返事はなかった。
代わりに、かすれた声が漏れる。
「……また、死んだ……ケニーもガルドも、みんな……みんな死んだ……!」
ケニーにガルド……さっきの蛇に仲間を殺されたのだろうか。
視線は宙を彷徨い、今もどこか別の場所を見ている。
……とにかく、今は会話できる余裕はなさそうだ。
このまま森にいれば、また魔物が出てくるかもしれない。
いったん、ここから離れるか。
俺はそっと手を伸ばし、彼の腕を支える。
触れられた衝撃で、彼はびくりと肩を震わせた。
だが抵抗する力はなく、ただ身体だけが頼りなく揺れた。
―――
俺たちは、森から少し離れた岩陰に腰を下ろした。
岩肌に背を預けた豚の魔族は、
まだ肩を細かく震わせていた。
「……みんな……置いてきた……俺しか……残れなかったんだ……」
さっきから、うつろな目のまま、
何があったのかを断片的に呟いている。
これは……しばらく動かせないな。
無理に聞き出しても壊れるだけだろう。
「今日は、ここで夜を過ごそう」
森からは距離を取った。
岩陰は風を軽く防いでくれるし、
周囲の見通しも悪くない。
アイシャは黙って俺のそばに座り、
時折、不安げにちらりと魔族を見ていた。
俺は火を起こし、鍋を置く。
水を張り、刻んだ野菜と、干し肉をほぐして入れる。
ゆっくり火が通るように、弱火で煮込む。
野菜が柔らかくなり、スープが白く濁りはじめる。
ほんのり甘い匂い、肉の旨味、柔らかく溶けた芋。
――ポトフのいい香りが漂ってくる。
コト、コト、と静かに煮える音。
煙が空へと細く昇る。
その匂いが漂い始めた頃。
岩に寄りかかっていた豚の魔族の鼻が、ぴくりと動いた。
それに伴って、焦点の合わなかった視線が、
ゆっくりとこちらへ向く。
虚ろだった瞳に、わずかに色が戻った。
「……助けてくれたのか? 俺を」
「まあ、たまたま通りかかっただけだ……余計だったか?」
「……いや、助かった、すまない。仲間が死んで気が動転していた。それに……」
言葉が喉で途切れる。
言いたくなかったのか、言えなかったのか。
たぶん、どっちもだろう。
「腹、減ってるだろ。食えるか?」
「確かに腹は減ってるが……いいのか? 今手持ちの金はないぞ」
「お金は大丈夫だ。その代わり……俺の料理の感想、教えてくれよ」
「そ、そんなことでいいのか……?」
「俺にとっては大事なことだ、名前は?」
「ブレイズだ」
「そっか。俺はカイン。こっちはアイシャ。よろしくな、ブレイズ」
鍋の蓋を少しずらすと、ほわりと湯気があがる。
肉と野菜が柔らかく溶け込んだジャガイモ。
器にポトフをよそう。
「ほら」
器を差し出すと、ブレイズはゆっくりと手を伸ばした。
まだ指先は震えていたけど……受け取る力は残っていた。
ブレイズは器を見つめ、湯気を鼻先で吸い込み、小さく息を吐いた。
スプーンでそっと具をすくい口に運ぶ。
一瞬、目を閉じる。
咀嚼。
喉が上下する。
「……うまいな」
「だろ? 死にかけた後の飯はうまいんだ」
「そんなの……わかりたくないってば」
「ははっ……ごめん、ごめん」
「……仲がいいんだな」
「まあね!」
ブレイズはかすかに笑った。
その笑みは弱々しかったが、
さっきの顔よりだいぶましになっていた。
器の底が見える頃ぽつりぽつりと話し始めた。
どうやらブレイズの依頼は
「石化の森に出現した白牙大蛇の討伐」というもので、
ブレイズのパーティーなら十分討伐可能な魔物だったらしい。
白牙大蛇。たしかバグラーの書庫で見たことがある。
Bランクの魔物。
つまり、ブレイズたちは少なくとも、
Bランク以上のパーティーということになる。
「白牙大蛇……って、さっきの蛇のことじゃないよな? 赤かったし」
「あれは……赤喰大蛇だ。白牙大蛇ぐらいなら倒せるはずだったんだ。だが……まさか上位種が出るとはな。クソッ……」
基本、魔物の危険度は群れの規模や出現条件で変動する。
赤喰大蛇は単体でAランク指定。
つまり、純粋に強さだけでランクが決まっているということだ。
焚き火の火がぱちりと弾け、
赤い光が揺れながらブレイズの横顔を照らす。
悔しさ、無力感、そして、生き残ってしまった後ろめたさ。
全部が入りこんで、崩れそうなほど脆い表情だった。
「あんた、何者なんだ? 一人で赤喰大蛇を倒すなんて、並みの子供にできることじゃない……いや、大人だって、そうそうできる奴はいない」
「あー……俺は、神子なんだよ」
「神子? なんだそれは?」
あれ? 知らないのか。
バーディには通じてたが、
魔大陸ではあまり馴染みがないのかもしれない。
「えーっとな……生まれつき、ちょっと変な力を持って生まれてくる人間のことをそう呼ぶんだ」
「変な力?」
「そう。たとえば、身体が異常に軽かったり、毒が効かなかったり」
「……なるほど。そういう力があるのか」
焚き火がぱちりと弾けた。
俺は、少し息を吐いて話題を切り替える。
「ブレイズは、これからどうするんだ?」
「そうだな……パーティーも俺以外、全滅しちまったしな」
「……また、仲間を探すのか?」
ブレイズの肩がほんの少し震えたように見えた。
失言だったか、と心の中で冷や汗をかいた。
「いや、もう冒険者はやめようと思ってる」
せっかくBランクまで行ったんだろ?
思わずそう口に出しかけて、飲み込んだ。
ただ、どうしても、あっさり消えていくには惜しいと思っただけだ。
積み上げたものが、理不尽に崩れていく。
それがどれだけ残酷か、俺は知ってる。
引き止めたいわけじゃない。
俺にそんな資格も立場もない。
生き方は、自分で決めるものだ。
それは俺自身、散々噛み砕いてきた信条だ。
ただ……怒りがある。
世界に対して、理不尽に対して。
「やめる」という選択すら、
追い詰められた結果だなんて……
そんなのは、やるせなさしか残らない。
ブレイズは火を見つめながら、小さく吐き出す。
「また……誰かを失うのは怖いんだ」
また……つまり、これが初めてじゃない。
過去にも、同じように失ってきたんだ。
それでも立ち上がって、
また仲間を得て、そしてまた……失った。
どんな覚悟があっても、
心は何度も壊れないようにはできていない。
いや、過去を詮索するのはやめよう
過去を聞くのは簡単だけど、
その痛みは他人に掘り返されていいものじゃない。
「今日はもう休んだ方がいい、見張りは俺がする」
「……そうか、助かる」
ブレイズは毛布を肩に掛け、ゆっくりと横になる。
疲れた身体が地面に沈み込むようだった。
俺は焚き火に薪を足し、背中を預ける岩に軽く触れた。
視界の端で、アイシャも静かに眠りにつき、
玉犬が寄り添うように体を丸めている。
ふと考える。
俺もいつか、誰かを失うときが来るのだろうか。
その可能性から目を背けても仕方がない。
現実はいつだって、何も言わずに襲いかかってくる。
守るために必要なのは、力だけではない。
判断、準備、諦めない意志、
そして時には誰かに頼る勇気も必要だ。
だが力はその基礎だ。
自分の選択を形にして守れるだけの力は、
やっぱり必要だと思う。
アイシャの頭を軽く撫でる。
寝汗で髪が額に貼りついている。
守りたいと思う対象がここにいる、だから俺は強くなりたい。
理不尽に踏み潰されないよう、選んだ道を堂々と進めるように。
「おやすみ、アイシャ」
小さな声で囁くと、彼女はふにゃりと笑った。