やっぱり痛いのは慣れないな。
落石で肩が抉れた瞬間、
さすがに声が出そうになった。
いや、実際ちょっと出た。
出たけど、必死に飲み込んだ。
アイシャを心配させたくなかったからな。
俺が長男じゃなければ我慢できなかっただろう。
一人っ子だけど。
結局のところ、我慢した意味はなかった。
俺の肩がごっそり抉れたのを見た瞬間、
アイシャに大泣きされてしまった。
ノコパラは苦笑いしていたし、
ブレイズは遠くから何か言いたそうにしていた。
あいつらにも心配かけてしまった。
気づけば、身体が勝手に動いていた。
そういうところは父さんに似たのかもしれない。
……いや、父さんはもっと雑だからちょっと違うな。
とにかく、皆に心配はさせたくはない。
次からはもっとスマートに助けなければ。
あの後のアイシャは本当に俺から離れようとしなかった。
結果、おんぶでの移動だ。
離そうとして説得を試みても――
「お兄ちゃん、目を離したらすぐ怪我しちゃうからやだ」
いや、その理屈だとおんぶされてるアイシャも危ないんじゃないか?
俺がもし転んだりしたら、アイシャも巻き添えになると思うんだが。
そう言ってみたら――
「お兄ちゃんが守ってくれるから大丈夫」
……ここまで真っ直ぐに言われたら、
守る以外の選択肢がなくなる。
言われなくても守るけどさ。
そんなアイシャは泣き疲れて、
今は俺の膝でぐっすり眠っている。
手はまだ俺の服をつまんだまま離さない。
癖になっているからなのか、安心するからなのか。
どっちにしても可愛いからまぁ良しとしよう。
それにしても、最近のアイシャの成長は本当にすごい。
言語も魔術も交渉術も吸収が早いし、
この年で人の動かし方まで理解している。
この前なんて、バグラーのとこの親衛隊をうまく動かして、転移被害者を見つけてくれた。
いくら転移者の位置を俺が
『脱兎』の多重視界共有で見つけたとはいえ、
もしあの時、アイシャの采配がなければ、
あの転移者は間違いなく死んでいた。
発見時点で魔物に包囲されていたし、
到着が数分遅れていれば、遺体回収になっていたはずだ。
俺にはできないことができるすごい子だ。
四歳の子供とは思えない。
これが、ギフテッドと言うやつだろうか……
ただ、最近思うことがある。
アイシャは最善ではなく最適を求める節がある。
目的達成のために、必要な要素を最速かつ最短距離で積み上げる。
無駄を嫌い、効率を徹底していくやり方。
それ自体は悪いわけじゃない。
むしろ、この魔大陸みたいな環境じゃ必須の考えなのだろう。
ただひとつ問題がある。
アイシャは“人の気持ち”を度外視する。
俺には遠慮なくそれを使ってくるし、俺も別に嫌じゃない。
それでも……俺以外にも同じことをやると、ついていけない人が出てくる。
それともうひとつ。
最適解を追いすぎるせいで、
アイシャ自身がその判断についていけていない時がある。
賢すぎるがゆえに、自分の感情より合理を優先してしまう。
その性格のせいで後々取り返しのつかないことが起きそうで怖い。
だが、まあ……その辺は俺がなんとかするしかない。
リーリャさんの代わりが務まるとは思えないけど、
料理とか、礼儀作法だって俺が教えてるし、
出来るだけのことはしよう。
いやーそれにしても、アイシャが寝ていてくれて助かった。
「ああっ! イイ! イイですわ! もっと、もっと!」
「…………………………………」
……さっきから隣の部屋がうるさい。
ナニをしているのかはわからないが……
いや、ナニをしているのだろう。
真昼間から盛るのはやめてほしい、
子供が寝てるんだぞ、ほんとに。
アイシャが寝ていてくれて、本当に助かった。
起きていたら絶対こう言われていた。
『お兄ちゃん、この変な声はなんなの……?』
……うん。
こうなることは、全力で避けたい。
俺はどう返せばいいんだ。
“親代わり”とは言いだしたものの、
そんな方面まで教育する覚悟はない。
注意しに行くか……?
いや、それはそれで完全にとばっちりだし、
声を聴く限りかなりテンションが上がっている、
そんなところに注意しに行っても喧嘩になりそうだ。
……まあ、少しの辛抱か。
ここは大人として、静かに耐えるべきだろう。
この調子ならもうすぐ静かになるだろ。
なるよな? 頼むからなってくれ。
―――三時間後―――
まだ続いていた。
なんでだよ。
どういう体力してんだよ。
さすが異世界と言ったところか。
ていうか、さっきより声が増えてないか?
えーと……1,2,3……
いやいや、数えてどうする俺。
そんなこと知りたくもない。
アイシャはまだ寝てるけど、
この声量じゃいつ起きてもおかしくない。
もしこの騒音の原因を聞かれたら、
俺はどう答えればいいんだ。
「魔物の鳴き声」とでも言うか?
完全に無理がある。
てか、ノコパラとブレイズ、あいつらどこ行ったんだよ。
俺の代わりに注意しに行って欲しい、心の底から。
……でも、それじゃダメなんだよな。
最近、俺はアイシャの親代わりみたいなことをしているわけで。
責任ある立場を自分から放り投げるのは違う。
ノコパラやブレイズに押しつけて逃げるのは、
なんか違う気がする。
覚悟を決めるか……。
俺はゆっくりとアイシャの頭を撫で、
そっと布団に寝かせ直した。
「……よし。さすがに何か一言、言いに行こう」
部屋の扉を静かに閉め、廊下へ出る。
聞こえる。
問題の部屋から、相変わらず元気いっぱいの声が。
俺があきれていると、廊下の奥から青髪の子供が、
拳を握りしめながら問題の部屋へ一直線に歩いていくのが見えた。
身長は……俺と同じくらいか?
いや、俺の方が少し低いか。
ぷんすこ怒っているのは分かるが、
サイズ感のせいで全然怖くない。
それにしてもあの子、ロキシーさんに似ているな。
青い髪に、魔術師のローブ、それにあのとんがり帽子。
……いや、似ているどころじゃない。
あれ、完全にロキシーさんだな。
なんで魔大陸にいるんだ?
いや待て、ロキシーさんは魔大陸出身だったはずだし、居てもおかしくは無いのか。
もしかすると転移者を探しに来てくれたのかもしれない。
船で戻っているとすれ違いになってたかもしれないな。
そんなことを考えている間に、ロキシーさんは、
問題の部屋へと進んでいき、扉を蹴り破った。
中をのぞき込んだ瞬間、ロキシーさんの時が止まった。
「……え、あ?」
目が泳ぎ、顔が真っ赤になり、口がぱくぱくしている。
完全に脳が処理落ちしているのだろう。
「うわあああぁぁぁぁ!!」
ロキシーさんは全力で叫びながら、廊下を引き返し、
隣の部屋へダイブするように飛び込んでいった。
子供には刺激が強い光景だったか。
……いや、忘れていたけど、
ロキシーさんは見た目こそ子供っぽいが中身は立派な大人だった。
甘いものが好きで、身長が低くて、表情がころころ変わるという情報が
俺の脳内でロキシーさんを勝手に子供と誤認していた。
まあ、それはいいとして――
「雄大なる水の精霊にして、天に上がりし雷帝の王子よ――!」
……なんで詠唱してるんだ?
ていうか、なんの状況でその詠唱が必要なんだ?
「勇壮なる氷の剣を――」
いやいやいやいや。
宿ごと吹き飛ぶ未来しか見えない。
さすがに脅しだよな? 警告のための詠唱だよな?
本気で打つつもりじゃないよな!?
俺の疑問をよそに、ロキシーさんはどんどん詠唱していく。
「彼の者に叩き落せ!」
この人全然止まる気ないんだけど!!
なんで!? 誰と戦ってるの!?
てか、やめてくれ! アイシャが寝てるんだよ!!
このクソ騒音の隣で三時間寝続けたアイシャの睡眠を守らせてくれ!!
「『氷霜撃』」
あ、詠唱終わっちゃった!
いや、気持ちはわかるけど!
俺も何百回あの部屋に『解』を放とうか考えたけどさあ!
しょうがない。
こうなったら、アイシャの寝顔を守ろう。
魔術は解き放たれて、
一直線に騒音源へ突進していく。
俺はロキシーさんの前に踏み出し、
飛んでくる氷の槍に向かって手を振り抜いた。
「『解』!!」
氷の槍はまるで見えない線で切り刻まれたかのように、空中でバラバラに砕け散った。
砕片は勢いを完全に失い、
ぱらぱらと床に落ちるだけの無害な氷に変わった。
ロキシーさんは、砕け散った氷片を見つめたまま完全に固まっていた。
杖を前に出した姿勢のまま、瞬きすら忘れている。
あ、ルーデウスの作った人形のポーズに似てるな……
じゃ、なくて――
「あー……久しぶりですね、ロキシーさん?」
その声でようやく意識が戻ったのか、
ロキシーさんはびくっと肩を揺らし、
ぎこちない動きでこちらを向いてきた。
「お、お久しぶりです?」
まるで自分がやったことを脳が理解するのを拒んでいるような顔だ。
そこに―――
「ん……お兄ちゃん……? なにこの音ー……」
寝癖を直さないまま、アイシャがとことこ部屋から出てきた。
目をこすりながら不機嫌そうに眉を寄せている。
……本当にごめん。
―――
あのあと、アイシャに“あの部屋”を見せないように全力で視線誘導し、
半ば抱えて廊下を撤退した俺の奮闘は割愛する。
そして今、俺たちは酒場に場所を移していた。
木のテーブルを挟み、座っているのは、
俺とアイシャとロキシーさん。そしてもう一人。
「初めまして。わたくしエリナリーゼ・ドラゴンロードと申します。先ほどはウチのロキシーがご迷惑をおかけいたしましたわ」
今日の騒音の主犯が、優雅に自己紹介してきた。
……迷惑かけたのは、主にあなたです。
そう言いたい気持ちを全力で飲み込み、
俺は話を進めることにした。
「……お二人は、ここで何を?」
「転移者の捜索です」
それがなぜあんなことを?
と、言いたい気持ちをまたまた押し込む。
「ロキシーさんは……転移しなかったんですか?」
「転移したのはフィットア領の方々だけのようです」
やっぱりか。
俺たちが今まで助けてきた転移者は、
例外なくフィットア領の住人だった。
だから予想はついていたが、
確証が持てると話が整理しやすい。
「それでは、ロキシーさんが探しているのは……ルーデウス達ってことですか?」
「はい、そうです……あ、もちろんカイン君も捜索対象ですよ」
「ありがとうございます。ロキシーさんは……誰か見つけましたか?」
「いえ。カイン君とアイシャちゃん以外にはまだ誰も……」
「そうですか……」
会えると思っていたわけじゃないけど……やっぱり心配だ。
しかし、ロキシーさんは「あ……」と小さく声を漏らし、続けた。
「いや、パウロさんとノルンちゃんは生きてますよ。そもそもパウロさんの張り紙を見てここに来ましたし。ミリシオンの冒険者ギルドにいるという話です」
胸をなで下ろしそうになったが、ひっかかる言い方があった。
「……よかったです。でも、「という話」ってどういう事ですか? ミリシオンならここに来る途中で会える気がしますけど?」
ロキシーさんがどこか気まずそうに視線を逸らす。
「え、ええと……それは……」
「私が嫌だからですわ」
「ん……理由を聞いても?」
「わたくし、パウロの奴が大っ嫌いですの」
即答だった。
あまりにも鋭い言い切りに、俺は思わず姿勢を正す。
「えっと……師匠。パウロさんとはどんな関係だったんですか?」
「元パーティーメンバーですわね……何があったかなんて、言いたくもありませんわ」
その顔は本当に嫌そうで、
冗談でも誇張でもない、心の底からの拒絶だった。
「その先は地獄だぞ」と、もう1人の俺が告げてくる。
なので、深追いはやめた。
ロキシーさんが空気を切り替えるように、
ぱっと俺のほうへ向き直った。
「そ、そういえば……カイン君。あなた、まさかとは思いますが、魔大陸に転移したんですか?」
「はい。実は―――」
どこから話せばいいのか少し迷いながら、
俺はこの一年で起こったことを順番に話し始めた。
“ヒトガミ”のことだけは抜いて。
あいつの言ってることはどこまでが本当かわかったもんじゃない、
あれは……俺の中だけで処理すべき問題だ。
だから――そこだけを丁寧に抜いて、話した。
アトーフェの城に転移したこと。
牢に放り込まれ、不死魔王本人と戦わされたこと。
瀕死になりながら、なんとか脱走してアイシャを連れて逃げたこと。
魔大陸の北端、クラスマで魔王バグラーハグラーと妙に仲良くなったこと。
料理を作ったりしていたら、
結果として、転移者の保護に協力してくれるようになったこと。
リカリスの町で俺とアイシャともう二人でパーティーを組んだこと。
最初はバラバラだったが、今では互いに信頼できる仲間になっていること。
そして、転移者を見つけるたびにクラスマへ送り、
バグラーの庇護下で一時的に避難させていること。
だが、一緒に転移したアイシャ以外の知人は、
まだひとりも見つかっていないこと。
話を終えると。エリナリーゼさんが、
まるで珍獣を見るような目で俺を見つめてきた。
「あなた……一年で二人もの魔王に会ったんですの……?」
「あ、いや……正確には三人ですかね? バーディ様とも会ったので……」
「一年で、魔王三名……カイン君、普通は冒険者人生三周してもそんな経験しませんよ……」
「偶然ですよ。転移した場所に居たり、料理の匂いにつられたり、向こうから来たり……」
「それにしても、よく十三歳の子供が魔大陸で旅なんてできましたね。水神流上級の剣士とはいえ……並のことじゃありませんよ。本当に」
「魔王とも戦って生き残って……あなた、本当に子供なんですの?」
そういう反応になるのは分かる。
でも、説明するにも限界がある。
宿儺のことも、呪力のことも……そう簡単に信じてもらえるもんじゃない。
――となれば。
「……実は俺、神子なんです」
ロキシーさんが固まり、
エリナリーゼさんが目を細め、
そしてアイシャは……「また始まった」みたいな顔で俺を見てきた。
だが、こうでも言わないと説明できない部分が多すぎる。
嘘ではない。嘘ではないが……まあ、半分ぐらいは方便だ。
術式の詳細なんて言えるわけないから、これくらいが丁度いい。
俺はロキシーさんとエリナリーゼさんに、
“神子の力”ということにして御廚子や十種影法術、
反転術式の治癒について話した。
ロキシーさんは真剣な表情で聞き込み、
ゆっくりと確認するように呟いた。
「……十の使い魔。見えない斬撃。それに……四肢の欠損すら治す回復魔術、ですか」
「ずいぶんと贅沢な力ですわね?」
ロキシーさんは、驚きこそあれど、完全に信じてくれたらしい。
問題はその横のエリナリーゼさんだ。
彼女は腕を組み、じーっと俺を上から下まで眺めてくる。
なんというか……目つきが妙に色っぽい。
怖いのでやめて欲しい。
「まあ、神子と言われれば、確かに説明はつきますわねぇ……」
あ、これ完全にばれてるな。
この一年で、嘘もだいぶ上手くなったと思ってたんだけどなぁ……
エリナリーゼさんの前じゃ全部無意味らしい。
とはいえ、話題はすぐ別の方向に向かった。
「それにしても……カイン君。あなた自身も転移者なのに、転移者を捜索してくれているんですね」
「ええ。普通は自分のことで精いっぱいになるものですわよ? 詳しく聞かせてもらっても?」
「身内を探すついでですから……だから大したことじゃないですよ」
そう前置きして――
俺は一年間でやってきた転移者の捜索を話し始めた。
助けた人数。
名前、出身、家族構成……言える範囲の個人情報。
そしてクラスマでの一時保護、バグラーの庇護の状況。
それから、助けられなかった者たちの名前も。
できるだけ淡々と話そうとしたのに、
最後のほうは、自然と声が少しだけ低くなっていた。
「……気に病む必要なんてありませんわ、助けた人のほうが圧倒的に多いんですもの」
「本来こういうのは、大人が責任を持つべきなんです。子供に背負わせることじゃありません」
大人の責任。
なら、俺が背負うべきなんだろう。
俺の中身は生まれた時から大人だ。
けれど、それを口に出すわけにもいかなくて、
俺はほんの少しだけ視線を落とした。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、
エリナリーゼさんがふわりと微笑む。
「あなたが“救おうとした”だけで、もう十分に価値がありますわ。結果はどうであれ、その選択ができる人間は……なかなかいませんもの」
……優しい人だな。
あの件がなければ素直にそう思えたかもしれない。
そこで、ロキシーさんがぱん、と手を叩いた。
「エリナリーゼさん? カイン君に手を出すのはやめてくださいね」
「ちょっ……え、俺、今狙われてたんですか? 子供ですけど」
「エリナリーゼさんには……その……呪いがあるんです。定期的にその……性行為をしないと、本当に命に関わる呪いで」
とんでもない呪いだ。
俺がそんな呪いにかかったらすぐにお陀仏だ。
「呪いとはうまく付き合えてますし、今この状態でその子を襲うほど、節操なしじゃありませんわよ?」
「……ならなんで五人としてたんですかね?」
……しまった。
今まで我慢していた言葉を、つい口に出してしまった。
エリナリーゼさんの眉がぴくりと跳ね、
ゆっくりと俺に視線を向ける。
「わたくしのように“美しく強い冒険者”が、あんなチンピラ五人に為す術もなくおもちゃにされる……そう考えただけで」
「も、もう大丈夫です。そのは話ここで止めましょう。アイシャもいるので」
振り向くと、アイシャがぽかんとした顔で俺たちを見ていた
「あの……えっと……お兄ちゃん、むずかしい話してる……?」
よかった。
内容は理解していない。
理解してない……よな?
「アイシャ、お菓子やるから向こうで食べてなさい」
「ほんと!?」
影からクッキーを数枚と注文したミルクを渡す。
アイシャは、ぱぁっと顔を明るくして
椅子からピョンと降りて行った。
……で、その後ろ姿を、
ものすごく羨ましそうな目でクッキーを見つめていた。
そういえばロキシーさん、甘いもの好きだったな、
あとでスイーツでも作るか。
アイシャが離れたのを確認してから、
俺は咳払いを一つしてエリナリーゼさんに向き直った。
「そもそも。呪いのためだとしても……俺はお相手できませんよ」
「まぁ、子供ですものね? まだ、初経験も――」
「だって俺、勃ちませんし」