俺たちは、短い船旅を終え、
ミリス大陸の港町――ザントポートへ到着した。
坂の多い町並みは、ウェンポートと似ている。
カラフルな外壁、風に揺れる街路樹。
遠くには濃い緑の森が見える。
道行く人々の姿には獣族と人族、長耳族や炭鉱族、小人族といった、
人に近い見た目をした種族ばかりだ。
『うえっ……地面が揺れてる気がする……もう船には乗りたくねぇな』
「残念だが、あと一回船に乗る機会があるぞ。それとこっからは人間語でしゃべれよ」
「……わざわざ言われなくてもわかってるよ」
「ずいぶんカタコトだな」
「ブレイズ、お前は黙ってろ」
ブレイズは、鼻で笑っている。
こいつらは、相変わらずだな。
ノコパラとブレイズは、どちらかが息をすれば喧嘩になる。
魔大陸を共に旅してきて、絆が深まったのかと思えば、またこれだ。
まあ、喧嘩するほど仲がいいということなのだろう。
「ノコパラ、大丈夫?」
「だ、大丈夫に決まってんだろ!」
アイシャの一言でノコパラは慌てて背筋を伸ばす。
胸を張り、平静を装いながらも、顔色はまだ悪いままだ。
さすがアイシャ……ノコパラの扱いをよくわかっている。
「よし、さっさと大森林を抜けて、ミリスにいる師匠に会いに行くぞ」
大森林の方向は、鬱蒼とした緑の壁みたいになっている。
あれを抜ければ、ミリシオンにいる師匠は目前だ。
「なんだお前さん、大森林に行きたいのか? ならやめとけ。あそこにはそろそろ、雨季が来るからな」
不意に、横から声がかかった。
見ると、少し汚れた革鎧に身を包んだ、猿のような顔つきの男。
装備から判断するに、冒険者だろう。
というか雨季?
この世界にも季節はあるが、そういう軽い話ではなさそうだ。
わざわざ止めてくる時点で、普通じゃないと察せられる。
「普通の雨季とは違うんですか?」
「知らねぇのか? 大森林の雨季ってのはなあ……まず、期間が三ヶ月以上続く。そのせいで森が沈んじまうんだ」
「無理やり進むってのは……」
「おすすめしねぇなぁ。なんたって船が必要になるぐらい沈むんだぜ?」
そこまでか、とんでもないな。
ノコパラは船の話題だけで苦しそうだ。
視界の端で震えてる。
「ここからミリス神聖国に行くにはどれくらいかかりますかね?」
「そうだな……二ヶ月ぐらいで大森林は抜けれるんじゃねぇのか? 悪いことは言わねぇ、大森林を渡るのは雨季が終わってからにしとけ」
「忠告ありがとうございます」
礼儀として、換金したばかりのミリス大銅貨を数枚取り出した。
こういう時は謝礼を渡すのが魔大陸では当たり前だった。
恩を受けたらお金で返す。
逆に、それをしないと後で面倒な請求が来る場合すらある。
だから、反射的にお金を差し出したのだが――
「金はいらねぇよ。俺は俺のジンクスに従っただけだ」
そう言って、猿顔の男は俺たちに背を向けると、冒険者らしい軽い足取りで去っていった。
港の喧騒の中にすぐ紛れてしまった背中をぼんやり眺める。
いい人だったな。
名前ぐらい聞いておけばよかったかもしれない。
「ジンクスに従った」か。
どんなジンクスだったんだろう。
それはさておき問題は、大森林だ。
このまま突っ切るか、雨季が終わるのを待つか。
今は特別急いでいるわけじゃない。
俺の目的は、帰ることであって急ぐことじゃない。
とはいえ、急ぎたい理由がないわけじゃない。
両親が生きていることも分かったし、ゼニスさんの居場所だって早く伝えたい。
それに、ルーデウスやシルフィのことだって気にかかる。
でも、雨季の大森林に入って全滅しました、なんて笑えないし。
……こういうときは、俺一人で決めるより、仲間の意見を聞くべきだろう。
「どうする? 雨季明けまで待つか、それともこのまま渡るか?」
「私は、待った方がいいと思うな」
「アイシャがそう言うのは珍しいな。どうしてだ?」
「無理に進むより、ここで準備を整えてから向かった方がいいと思ったからです。もしくは、遠回りでも、安全なルートを選ぶべきだと思います」
敬語。
仕事モードの時のアイシャだ。
アイシャの言うこと自体は正しい。
雨季の大森林は危険だし、リスクを避ける選択に理屈がないわけじゃない。
でも、いつものアイシャなら。
効率を最優先するアイシャなら。
「リスクを承知で進むべき」とでも言うはずだ。
一年間一緒に旅してきて、
俺はアイシャのことなら、他の誰より分かっているつもりだ。
アイシャが敬語を使うときは二つ。
真面目な話のときと、何かを隠しているとき。
今は……後者だ。
「アイシャ。何か、別の理由があるんじゃないか?」
アイシャは、俺が気づいたと悟ったんだろう。
言葉を選んでいるのか、短い沈黙が落ちる。
「……ミリスに行けばお父さんに会えます」
「そうだな」
「でも、お兄ちゃんと離れ離れになるかもしれません」
「それは、師匠が許可しなかったらの話だろ?」
「たしかに、そうだけど……そうなる確率は、あるじゃん」
敬語が崩れた。
いつもの、年相応のアイシャの口調だ。
というか、確率って……最近俺が教えたやつじゃないか
まさかこんなところで使ってくるとは。
……いや、今はそれよりアイシャ自身のことだ。
魔大陸では、「師匠を説得してみせる」と強気なことを言っていた。
でも、本音はやっぱり不安だったのだろう。
年齢なんて関係なく、身近な人が遠ざかるのは怖い。
俺だってそうだ。
置いて行かれたら、取り残されたら……
その不安がどれほど心を締めつけるかを知ってる。
「アイシャは、俺と一緒にいたいか?」
「……いや、やっぱり大丈夫です。ワガママ言ってごめんなさい」
敬語に戻った。
子どものアイシャにとって敬語は、自分を取り繕い、隠すための鎧のようなものなのだろう。
ワガママか……
思えばこの一年は、アイシャには我慢させっぱなしだった。
親もいなくて、不安でたまらなかっただろうに。
母親に甘えたい年頃だというのに。
それを一切見せず、取り繕って、耐えてきた。
それなのに、ようやく口にした小さな「ワガママ」を否定してどうする。
子どものワガママは、受け止めるのが大人の責任だ。
「謝らないでいい。そのワガママは、俺が何とかしよう」
「……迷惑じゃない?」
「迷惑なわけあるか。魔大陸ではアイシャに我慢させてばっかだったからな、俺の方がアイシャに迷惑かけっぱなしだ」
そう答えながら、自分でも苦笑してしまう。
子どもに気を遣わせてどうする。
今さらながら、自分の未熟さを突きつけられた気分だった。
「おい、ちょっといいか」
声をかけてきたのはノコパラだった。
妙に真剣な顔だ。
「ん? どうした」
「こっち来いって」
「……何だよ」
強引に腕を引っ張られる。
アイシャはブレイズのほうに任せて、俺はノコパラの元へ寄る。
渋々近づくと、ノコパラは周囲を確認してから、俺の耳元でそっと囁いた。
「船に乗る前に、『雨季が過ぎるのを待て』ってヒトガミ様……じゃなくて、ヒトガミに言われたんだけど。どう思うよ」
「バッカ、お前! そういうのは早めに言えよ!」
声が少し大きくなってしまった。
アイシャとブレイズがこちらをちらりと見る。
慌てて誤魔化すように咳払いした。
「す、すまん。言おうと思ってたんだが、船酔いでそれどころじゃなかったんだよ」
「聞かなかった俺も悪い。で、助言に従ったらどうなるんだ?」
「『待ち人来たる』つってたな……」
おみくじかな?
「後でヒトガミからどんな助言を受けたか全部聞くからな」
「おう」
俺は考える。
ヒトガミは、『雨季が過ぎるのを待て』とノコパラに助言をした。
待ったら俺に不利なことが起きるのか?
それとも雨季を無視して進むことで、ヒトガミの方に不利なことが起きるのか……
考えても答えが出るわけじゃない。
あいつは未来が見える。
読み合いで勝てる相手じゃない。
未来を読むヤツ相手に正面から挑めば、どうしたって後手に回る。
だがヒトガミも、俺一人に二つの魂があるせいで未来が読みづらいと言っていた。
実際、あいつの想定とは反して、俺はアトーフェに勝ち、アイシャを連れて逃げ切ったのだ。
“絶対”なんてものは存在しない。
未来が見えていたって関係ない、未来を変える権利は皆平等にあるのだ。
それに、あいつ自身がこの世界に干渉できない。
手足がないからこそ、ノコパラを使って俺を誘導し、監視させていた。
んー……
考えれば考えるほど、沼から抜け出せない。
進めばいいのか、待てばいいのか。
……いや、考えすぎても意味がないな。
“未来がどうなるか”じゃなくて、俺がどうしたいかだ。
だったら、答えは一つ。
「雨季は待たずに、大森林を突っ切るか……」
そう俺が独り言のように呟くと、
隣にいる、アイシャの表情が、すっと曇った。
「雨季が終わるまで待つんじゃ、ないの……?」
アイシャが不安を隠しきれない声でそう言った。
そりゃそうだ。
俺がさっき「ワガママを聞く」とか言ったもんだから、
雨季を待ってから出発するという選択肢を取ったと考えたのだろう。
「アイシャのワガママもちゃんと叶えるさ」
「じゃあ、もし、お父さんが私とお兄ちゃんで一緒に行くことに反対したらどうするの?」
「その時は、師匠を倒してでもアイシャを連れていけばいい」
「……なにそれ」
俺がそう言うと、アイシャはぽかんと口を開けて固まった。
今までで一番綺麗に呆れた顔だった。
「やっぱり、父親がぶっ飛ばされるのは嫌か?」
「そうじゃなくて……あはっ!」
「なんで笑うんだよ……」
「べっつにー。ただ、お兄ちゃんらしいなって思ってさ~」
笑われてしまった。
いや、笑顔になってくれたのなら本望だが。
というか「らしい」とはなんだ、俺ってそんなに脳筋に見えるのか?
やっぱり、師匠を倒していくという案は強引すぎたか……
俺はわざとらしく咳払いをする。
「まあ……一番は、師匠を説得することだな」
「うん!」
アイシャに笑顔が戻った。
よしよし、やっぱり笑ってるアイシャが一番かわいい。
「ブレイズもそれでいいか?」
ブレイズは少し離れた場所で腕を組んで、この話をずっと黙って聞いている。
「ああ、俺はお前の後ろについていくだけだ」
「よし、そうと決まればさっそく準備だ!」
―――
大森林の雨季は一ヶ月よりも後に来るとのこと。
そのために一週間で、必要なものを片っ端から揃えた。
まずは食料。
栄養は微妙だが腐りにくいものを中心に選んだ。
途中からは森に居る生き物から食材を調達することになる。
魔大陸の生き物はどれも肉が硬かったり、臭みが抜けずらかったが、ミリス大陸ではそうでないことを願いたい。
次に移動手段。
大森林は馬車を使えば一ヶ月も掛からずに抜けることが出来るという。
それ自体はいい、雨季と被るかもしれないが森が沈む前には大森林を越えれそうだ。
ということで、馬車を持っているという男のところに向かったのだが、値段を聞いて、俺は頭を抱えた。
完全に予算オーバーだったのだ。
馬とセットで売っていたのだが、馬はいい。
馬に引かせるより、『玉犬』に引かせた方が早いし、体力面も考えないでいいからな。
魔大陸でたくさん稼いできたお金も、ミリス大陸では価値がガクッと落ち、十分の一になってしまったので、消耗品の補充にお金を使った俺達では手の届かない値段になってしまった。
ここで稼ぐことも考えたが、そうすれば雨季が来てしまうかもしれない。
とにかく時間がない。
とはいえ、手持ちの金じゃ足りない。
ヒトガミのように人の弱みに付け込むみたいで、嫌だったが、俺には切り札があった。
馬車を所有している男。
落ち着いた表情だが、彼の腕は肩から先がなかった。
昔に失った物らしく、本人はもう慣れたと言っていたが、動きはぎこちなく、生活に支障が出ているのは明らかだった。
俺は提案した。
「その腕を治す代わりに馬車を安くしてほしい」と。
男は笑ったわけでも怒ったわけでもなく、ただ呆れたように眉を動かした。
彼が言うには、上級治癒魔術でも四肢は戻らないらしく、
それを可能にするには聖級以上の治癒魔術師が必要で、それを雇うには、普通の人間が一生かけても払えないほどの金が必要だという。
俺は笑われ、呆れられた。
この世界の常識からしたら、当然だろう。
というか地球の常識からしても笑われて当然だ、馬鹿にされたと感じて怒られなかっただけまだありがたい。
だが、俺にはできる。
百聞は一見に如かず。
何を言っても信用は得られない。
ならば、見せるしかない。
俺は男に触れ、反転術式を使用する。
塞がっている断面を突き破り、骨が伸び、筋肉が張り、皮膚が覆う。
そして、二度と戻らないはずの腕が戻った。
治した後に気づいたが、これがしらばっくれられる可能性は十分にある。
というか、普通に考えれば俺がバカだ。
先払いほどリスクのある取引はない。
だが今さら取り消すこともできない。
俺はただ黙って、男の反応を見守った。
男は自分の腕を見下ろし、言葉を失っていた。
視線が震えている。
沈黙。
その空白が数秒続いたあと、
男は崩れ落ちるように膝をつき、肩を震わせながら涙を流した。
「ありがとう」「ありがとう」と、何度も何度も。
声が掠れて、涙と嗚咽が混ざり、まともに言葉にならないほどに。
どんな過去があったのかは知らない。
ただ、この男がどんな想いを抱えて生きてきたのか、少しだけ想像できた。
結果、馬車を修繕してもらったうえで、ただ同然の値段で馬車を買うことができた。
―――
最初に馬車を提案されたときは、森の中を馬車で進むのは無理だと思った。
だが、ノコパラの集めてきた情報によると問題ないのだという。
ウェンポートとミリス神聖国の首都の間には、荒唐無稽とも言える一本の道が存在しているのだ。
その名も「聖剣街道」
魔物が一切出ない、一直線の道。
この街道を切り拓いたのは、世界最大宗教・ミリス教団の開祖、聖ミリス。
その逸話の一つに、一太刀振るっただけで、山と森を真っ二つに切り裂き、魔大陸の魔王をも一刀両断したという逸話がある。
その傷跡が今なお残り、聖ミリスの魔力が満ちているため、魔物が一切近づけないとのことだ。
作り話にもほどがあるだろう。
常識的に考えれば信じられない。
まあ、通ってみればわかる事である。
それに、警戒するに越したことはないからな。
準備が整い、俺たちは馬車へ向かう。
馬車に『玉犬』の白と黒に繋ぐ。
彼らは尻尾を振り、出発の合図を待っているようだった。
馬車の荷台は修繕され、俺たちの旅の道具がぎっしりと積まれている。
アイシャは後ろで荷物の固定を見て、ブレイズは周囲の安全を確認していた。
その姿を見て、アイシャの目がぱあっと輝いた。
「シロとクロが引っ張るの?」
「ああ、こいつらは力もあるからな。馬より速い……かもしれない」
自信満々とは言えない。
だが、馬よりタフなのは間違いないし、何より俺たちの意図を理解して動いてくれる。
出発と同時に、馬車がガタガタと揺れ始めた。
馬車の中ではブレイズとノコパラが喧嘩していた。
「お前ら、うるせぇぞ……揺れるんだよこの馬車は……」
「また吐くなよ、お前の看病は御免だ」
「ブレイズ、お前は看病してなかっただろ!」
「なんだったら、お前が馬車引けばいいんじゃねぇか?」
「テメェ今なんつった!!」
……平常運転すぎて逆に安心する。
横でアイシャが深いため息をついた。
「また、喧嘩してるよ……」
「喧嘩するほど仲がいいってやつだよ」
「でも、あれ」
俺が軽口で返すと、アイシャは首を傾げたまま俺の袖を引っ張る。
指さす方向へ視線を向けると、
二人はすでに立ち上がり、取っ組み合っていた。
これはよくないな。
止めなければ。
「こういう時はなアイシャ……ごにょごにょ」
「わっ……ほうほう」
アイシャが肩をびくっと震わせ、目を丸くする
アイシャの表情が一瞬きょとんとしたあと、
ふっと悪戯っぽい笑みに変わる。
「いいね、それ」
アイシャは軽い足取りで、喧嘩中の二人の前へと進み出る。
取っ組み合う寸前だった二人が、意外な乱入者に気づき動きを止めた。
アイシャは腕を組み、偉そうに胸を張る。
「二人とも! お兄ちゃんがね、喧嘩するならごはん抜きだって!」
効果は、絶大だった。
振り上げられていた拳がぴたりと止まり、
ブレイズは固まり、ノコパラは絶望の顔に変わった。
そして次の瞬間、二人は咳払いして、
互いに視線を逸らしながらぎこちなく肩を叩き合った。
「……まあ、ちょっとしたじゃれ合いだよな」
「お、おう。仲間だしな」
急に仲直りフリを始める二人。
ぎこちない。ぎこちなさすぎる。
そんな茶番を気にすることなく、アイシャは満足げにくるりと振り返り、にぱっと笑う。
チャームポイントの八重歯をちらりと覗かせてた。
そして、俺に向かって元気よくピースを突き出した。