俺たちの馬車は何事もなく進んでいた。
情報通り、聖剣街道付近には魔物の姿が一切現れなかった。
だが、脅威が魔物だけとは限らない。
森は深く、木々は視界を遮り、何が潜んでいるか分からない。
ノコパラの調べた情報によると、ここ数年で何件か被害があったらしい。
というわけで、警戒は引き続きやっている。
透視眼にも少しずつ慣れてきた。
最初はどう使うか迷っていたが、この大森林のように視界が悪い場所では、すごく便利だ。
それと、最近気づいた応用技がある。
「『解』」
軽く、空を切るように指を払う。
森の向こうに隠れている、一本の木に傷がつく。
なんと、壁越しでも、透視眼で視えさえすればどこへでも届くのだ。
使い道はかなり限られそうだけど、暗殺者とかには喉から手が出るほど欲しい能力だろう。
特殊な武器もいらないし、証拠も残りづらい。
完全犯罪を量産し放題だ。
別に、暗殺者になる予定はないけど。
玉犬が引く馬車は、俺の呪力が尽きない限り、疲れることなく走り続けてくれる。
速度が一定だから、おおよその距離を計算しやすい。
聖剣街道には、一定距離ごとに野宿ポイントのような場所がある。
粗末な木の標識と、ちょっと整えられた平地。
自分がどの辺にいるのかがなんとなくわかるようになっている。
このペースでいけば、雨季が来る前には大森林を越えることができるだろう。
馬車での移動は暇だ。
魔物も盗賊もいないので、揺れに身を任せていたら、眠気が襲ってくる。
もちろん見張りは欠かさない。
俺とブレイズとノコパラ。
そしてたまに、アイシャも一緒に見張りにつく。
……ただ、アイシャとの見張りは見張りというより、景色を眺めて雑談しているだけの時間になる。
たまに風で揺れる髪を押さえたり、何かを見つけるたびに、小声で俺の腕をつつきながら囁いたりする。
……いや、これは今は置いておくとして。
見張りの合間に、
俺はあるものを作っている。
「いてっ……」
また針が指に刺さってしまった。
針先が指をかすめて、細い血の粒が滲む。
慣れない作業だ。
刺す位置を間違えては縫い直し、また刺しては痛みに顔をしかめる。
俺が今作っているのは、財布。
俺のではない、アイシャへ贈る、誕生日プレゼントだ。
財布にした理由は単純。
アイシャに、お金を持たせようと思ったからだ。
魔大陸での依頼で、アイシャは何度も手伝ってくれた。
素材を集めたり、ギルドで書類を持ってきてくれたり、本当にいろいろとやってくれた。
なのに俺は、一度も報酬を渡していなかった。
アイシャは一度も要求してこなかったし、物欲を見せることもほとんどなかった。
だから俺は、すっかり忘れてしまっていた。
アイシャなら、お金の使い方も知ってるだろうし、我慢させたくないって決めたからな。
アイシャは、もうすぐ五歳の誕生日を迎える……はず。
転移してからは、日数を正確に数えていない。
だが、冒険者カードの年齢が四歳になったのが、ちょうど一年前ぐらいだから、多分、この聖剣街道を移動している一ヶ月のどこかで、アイシャの誕生日が来ると踏んでいる。
正確な日に渡すことはできない。
というわけで、完成次第すぐ渡すつもりだ。
ザントポートで買った布とボタン、それと裁縫道具で、財布を仕上げていく。
アイシャは花や動物が好きだから、財布にはその刺繍を入れる。
小さな熊とか、猫とか、ヒマワリとか、あとは……アイシャの好きな玉犬も。
サプライズで渡すつもりなので、アイシャにバレないように作っている。
だが、アイシャは、俺のそばを離れている時間のほうが少ない
常に隣にいて、腕に寄りかかっていたり、背中にくっついていたりする。
……いや、嬉しい、嬉しいんだけど、これはこれで困る。
だから制作時間は限られている。
アイシャが寝ている時。
料理を作っている隙間時間。
夜の見張りの間。
そういう時間に少しずつ少しずつ、針を進めている。
「……いっ」
そんなことを考えていたら、また針が指に刺さった。
器用な方だと自負していたが、裁縫の才能はどうやら無いらしい。
血が滲んだ指先を見つめる。
反転術式を使えば一瞬で治せる。
いや、この程度なら治癒魔術でも充分だ。
だけど、その痛みを消してしまうのは、何か大切なものまで薄めてしまいそうな気がして、やめた。
―――
ある日の昼。
晴れていたけど、森の影は濃い。
木漏れ日が馬車の上で踊って、少し眠気を誘う。
「……ふわぁ」
隣でアイシャが大きなあくびをした。
小さな手で目をこすったかと思ったら、そのまま俺の膝へ、こてん、と倒れ込んできた。
声をかけようとしたけど、アイシャはもうすやすやと寝息を立てていた。
まあ、せっかく眠ってくれたんだ。
この隙に、作業を進めるチャンス。
そう思った俺は、そっと影の中から裁縫道具を取り出す。
アイシャの頭を揺らさないように気をつけながら、針に糸を通して、ゆっくりと刺繍を入れていく。
お、これ……わりと可愛いんじゃないか?
思っていたより上手くいって、ちょっと自信が湧いてきた。
思わずニヤけそうになる。
調子に乗って、玉犬の横に小さな肉球マークなんかも入れてみたり。
うんうん、良い感じだ……
「……なにしてるの?」
「わっ!? あ、いや違っ、これは――」
気づけば、アイシャが目をぱっちり開けていた。
俺は条件反射のように財布を背中に隠した。
絶対見せない。今見せたらサプライズが台無しだ。
「お兄ちゃん、何隠したの?」
「な、なんでもない。気にするな」
「見せて」
「絶対嫌だ」
「なんで?」
「嫌だからだ」
俺の語彙力がどんどん貧弱になっていく。
人間、追い込まれるとここまで言葉が出てこないものか。
アイシャは腕を伸ばして背後へ回そうとする。
俺は思いっきり身体をひねり、それを避ける。
水神流の受け流し、まさかこんな使い方をする日が来るとは。
「なんで隠すの!?」
「別に隠してない!」
「隠してるじゃん! 見せて!」
「それはだめだ!」
言ってる俺も意味が分からない。
アイシャは膨れっ面から一転、むっと睨んでくる。
「お兄ちゃんって、いっつもそうだよね、私に隠し事ばっかり」
ドキッとした。
……そりゃあ、俺には宿儺のこととか、前世のこととか、話していない秘密がたくさんある。
だけどこの財布は違う。
これはただのサプライズだ。
アイシャを喜ばせたいだけだ。
それなのに、なんでこんなに責められなきゃいけないんだ?
そう思ったら、頭より先に口が動いていた。
売り言葉に買い言葉で最悪の返しをしてしまった。
「俺にだって秘密の一つや二つある、全部を教えられるわけじゃない」
言った瞬間、アイシャの表情が曇った。
自分でも「ああ、これまずいな」と自覚した。
謝ろうと口を開きかけたところで、アイシャが先に言葉を投げる。
「そんなに、私のことが頼りないの?」
違う。
絶対に違う。
そんなことあるはずがない。
頼りないなんて思ったこと、一度もない。
むしろ、どれだけ助けられてきたことか。
アイシャがいなかったら、俺の心は、何度も折れたまま立ち上がれていなかった。
だから、すぐ否定しないといけなかった。
本当は言葉を重ねてでも伝えなきゃいけなかった。
でも――言葉が遅れた。
「たしかにお兄ちゃんは、私と違って強いし、いろんなことを知ってるし……私が知らないところで、すごいこといっぱいしてるんだと思う」
「それは……」
俺の言葉を遮るように、アイシャは続けた。
「でも……全部ひとりでやっちゃうじゃん」
俺は言葉を飲み込むしかなかった。
「なんで全部黙って一人でやっちゃうの? 私がいたら邪魔だから? 足手まといだから? だから隠すの?」
「それは違う。アイシャがいなくていいなんて……そんなこと、あるわけない」
ようやく絞り出した声は、自分でも情けないほど弱々しかった。
アイシャは視線をそらし、拳を握りながら、ぽつりと呟いた。
「じゃあなんで隠すの? なんで私に、何にも言ってくれないの?」
その言葉が、俺の頭の中で何度も反復する。
俺は何のために秘密にしていたんだ?
守りたいから?
巻き込みたくないから?
アイシャがまだ子どもだから?
沈黙が、最悪の肯定になってしまう。
「……ちょっとくらい頼ってよ。私だってお兄ちゃんの役に立ちたいのに。隠されたら、何もできないじゃん……」
その声は、震えていて。
怒っているはずなのに、どこか泣きそうで。
言い返す言葉が見つからない。
何を言っても、言い訳にしかならない気がした。
俺は、守るつもりだった。
子どもだから、危ないから、巻き込みたくないから。
そう自分に言い聞かせて、全部一人で抱えてきた。
だけどそれは結局、俺の自己満足だったんだ。
アイシャはずっと俺の隣で、できることを探してきたのに。
俺の役に立とうとしてくれていたのに。
アイシャは、俺を信頼してくれていた。
なのに俺は、信じ切れていなかった。
期待されないことの苦しさなんて、俺が一番よく知っているはずなのに。
それなのに俺は、自分が守りたい相手に同じ痛みを与えていた。
最悪だ。
謝ろうとしても、声にならなかった。
その間にアイシャはぷいっと顔を背け、少し距離を置くように座り直してしまった。
それから先は、まともな会話はなかった。
気まずい沈黙だけが、長く続いた。
―――アイシャ視点―――
物心ついた頃から、私はいつもお母さんに――
「あなたはいつか、ルーデウス様に仕える子になるのです」
そう言われながら、掃除、洗濯、料理の手伝い、言葉遣い、礼儀作法。
たくさんのことを教わってきた。
私は器用だった。
一度教われば、だいたいのことはすぐに覚えられる。
でも、嬉しいかって言われたら、そうでもなかった。
だって全部、顔も見たこともない兄に仕えるための努力だから。
でも、その代わりよく褒めてくれる人がいた、
それは、お母さんではなくお兄ちゃんだった。
血の繋がった本当の兄じゃない。
でも、私が物心つく前からずっとそばにいて、気づけば当たり前のように一緒にいた人。
泣いたら頭を優しく撫でてくれた。
転んだら手を差し伸べてくれた。
分からないことがあったら、「一緒に考えよう」って言ってくれた。
たいしたことじゃなくても、ほんの少し頑張っただけでも、たくさん褒めてくれた。
どうしてか分からないけど――
あんまり褒めてくれないお母さんに褒められるより、いつも褒めてくれるお兄ちゃんに褒められる方が、ずっと嬉しかった。
お父さんも優しかった。
けれど私は「妾の子」で、いつの間にか、自分で線を引いていた。
だからこそ、私はお兄ちゃんに懐いていたと思う。
将来仕える人が本当の兄ではなく、お兄ちゃんだったらいいのに、と。
何回も思ったくらいには。
そして、あの日。
急に世界が白くなって。
気づいたら知らない場所で、お兄ちゃんが気絶していた。
お兄ちゃんを起こそうとしたら、ごつごつした大きな手に腕を掴まれた。
怖くなって叫んだら、視界が揺れて、
――次に目を覚ましたら、檻の中だった。
外には鎧を着た魔族の人がいて、冷たい目で私を見下ろしていた。
檻の先には、広い広間があって、そこでお兄ちゃんが戦っていた。
檻の向こうの広間で、お兄ちゃんが戦ってた。
周りの兵士たちは、その相手を「アトーフェ」って呼んでた。
お兄ちゃんは殴られて、蹴られて、床に叩きつけられて。
見ていられないくらい、ボロボロだった。
あの時のお兄ちゃんの顔は、こわばっていて、息が荒くて……
今にも、泣き出しそうなほどに、追いつめられていた。
やがて、魔王がゆっくりと剣を構えた。
お兄ちゃんが死ぬ、そう理解した途端、頭が真っ白になって、気づいたら叫んでいた。
「お兄ちゃん!!」
自分でも聞いたことがないほど必死な声。
その叫びに、お兄ちゃんがわずかに目を向けた。
次の瞬間には、お兄ちゃんの右腕から、血が噴き出していた。
骨が見えるほどの傷。
私に気を取られたから。
私が注意を逸らしたから。
私が足を引っ張ったから。
地面に崩れるお兄ちゃん。
その顔は見るからに苦しそうだった。
視線が、ふいに私とぶつかった。
責められると思った。
怒られると思った。
「邪魔だ」「お前のせいだ」って言われると思った。
でもお兄ちゃんは、責めなかった。
血を拭って、傷を治して、ゆっくり立ち上がって――
「アイシャだけは、助けないとだからな……」
そう言ってくれた。
私は言いようもない気持ちで胸がいっぱいになった。
戦いがいつ終わったのかは、よく覚えてない。
気づいたら、お兄ちゃんは勝ってて、檻を壊して、私を抱き上げてくれた。
あの瞬間から私は、お兄ちゃんに命を救われた恩を返さなきゃいけないと思った。
だから私は、できることを全部やった。
バグラー様の城では、魔神語を覚えるために、人間語が分かる親衛隊の人に頼み込んで、必死に勉強した。
ブレイズさんとノコパラとパーティーを組んでからは、二人からいろんなことを学んだ。
ブレイズさんは不器用だから、教えるのは上手じゃなかった。
だから私は、ブレイズさんの行動を見て、勝手に覚えた。
ノコパラは単純だった。
少しおだてたら、すぐ得意げに喋ってくれる。
そのおかげで、交渉術や人の使い方まで自然と身についた。
お兄ちゃんからは、もっと大切なことを学んだ。
私はなんでもすぐできた。
みんなが苦労して覚えていることを、私は簡単にできてしまうことが多かった。
だから、初めの頃は思っていた。
――できないのは、その人の努力不足だって。
ある時、それでぶつかったことがあった。
私は間違っていないと思っていたし、相手が悩んでいる理由も理解できなかった。
そんなとき、お兄ちゃんは言った。
「アイシャが考えてることや、できることが、みんなも同じようにできるわけじゃないんだ。相手の立場になって考えてみてごらん」
……考えてみた。でも、分からなかった。
どうやって“相手の気持ち”になればいいのか分からなかった。
困ってる私に、お兄ちゃんは言った。
「まずは、アイシャが知ってる人の気持ちから考えてみようか」
そう言って、干し肉を取り出した。
「これをノコパラの前に置くと、次に何が起きるでしょう?」
「ん~……食べる?」
ノコパラは、むっとした。
「おい、俺はそんな単純じゃねぇぞ!」
お兄ちゃんは、ノコパラを完全に無視して続けた。
「じゃあ、俺の前に置いたらどうなると思う?」
私は考えた。
いくつもの答えがパッと浮かんだ。
「食べずに取っておくかも」
「料理に使うかも」
「私にくれるかも」
答えながら気づく。
ノコパラとお兄ちゃん。同じものを前にしても、その後の行動も、気持ちも、まるで違う。
お兄ちゃんは、優しく笑って言った。
「そう。それが、人の気持ちを理解しようとするってことだ」
その日から私は、相手の気持ちを考えてみようと思えた。
完璧じゃないし、間違えることもあるけど。
ちょっとずつ、できるようになってきた。
最適ではなく最善を求めるようになった。
お兄ちゃんは、人に物を教えるのが本当に上手い。
きっと相手の心に寄り添いながら、伝えられるから。
そんなお兄ちゃんは、嘘が下手だ。
隠しごとをしているのがすぐ分かる。
ブレイズさんもノコパラも気づいている。
でも、深くは聞かない。
私も最初は気にしてなかった。
役に立ててたら、そのうちお兄ちゃんの方から言ってくれるって思ってたから。
幸い、私は何でもすぐに覚えられた。
だから焦る必要なんてないと、そう思ってた。
でも――
お兄ちゃんは一向に何も話してくれない。
むしろ私を、大事なところから遠ざけている気がした。
胸の中に、ちいさい不安が、少しずつ溜まっていった。
そして今日、その不安があふれてしまった。
最初は、ただの好奇心だった。
お兄ちゃんが何をしているのか知りたかっただけ。
でも隠されて、誤魔化されて、背を向けられそうになったその時。
胸がちくりと痛んだ。
気づいたら、私はムキになってた。
喉に詰まっていた言葉が、一気に噴き出した。
「なんで全部黙って一人でやっちゃうの? 私がいたら邪魔だから? 足手まといだから? だから隠すの?」
言いたくなかったのに。
言ってしまった。
私は怖かった。
お兄ちゃんが、私を必要としていない。
そんな答えが返ってくるのが怖かった。
でも……お兄ちゃんは言ってくれた。
「違う! アイシャがいなくていいなんて……そんなわけないだろ!」
その言葉が、嬉しかった。
すごく、すごく嬉しかった。
でも、同時に苦しくなった。
だって本当にそうなら、なんで、頼ってくれないの?
そう……思ってしまった。
馬車のすみで丸まって寝たふりをしてるけど、さっきからずっと、お兄ちゃんの声が、言葉が、表情が、頭の中でぐるぐる回って私を眠らせてくれない。
「……寝てるのか?」
不意に聞こえた声。
聞き慣れた、少ししゃがれた大人の声。
ブレイズさんだ。
「まあ、寝てんならそれでもいいけどよ……」
そう言うと、ブレイズさんは少しだけ息を吐く。
「……俺は、カインを尊敬してる。だから、あいつの役に立ちたいって思ってるし、実際そうしてるつもりだ」
ブレイズさんみたいな人に、そんなふうに言わせるほど。
お兄ちゃんはすごい人なのだと、あらためて思う。
「アイシャもそうなんだろ? だからカインに遠ざけられて、怒った」
ドキッとして、肩がわずかに強張った。
寝てるふりをしているのに、反応してしまう。
その言葉は、全部図星だった。
「分かってると思うが……カインはお前のことを大事に思っている。だからお前を遠ざけたんだ」
それは……うん。
私だって、薄々は分かってる。
お兄ちゃんは、自分が傷つくことなんていくらでも平気なのに、誰かを巻き込むことだけは極端に拒むから。
だから私のことを巻き込みたくない。
その気持ちが、嬉しくなかったわけじゃない。
でも――
「でも、役に立ちたいんだよな?」
その声には、責める色はなかった。
ただ、私の気持ちをそのまま言葉にしただけ。
「これだけは言っとく。アイシャ、お前はちゃんと役に立ってる。俺は、お前がいたから助かったことが何度もある。カインだって、何度も助けられてきたはずだ」
喉がぎゅっと詰まる。
嬉しいのに、泣きたくなるのはなんでだろう。
「そんなお前をカインは遠ざけて、何かを隠してる。そりゃあ、ムカつくし……怖いよな」
……そう、私は今怖いんだ。
そんな私の心を見透かしたように、ブレイズさんは静かに言った。
「けど……俺は秘密があることが悪いなんて思ったことはない」
え……?
意外な言葉に、顔を上げそうになって、慌てて止める。
私は何も返さず、寝たふりを続けたまま耳だけを向けた。
「ノコパラがそれとなく聞いてたが……あいつ、そうとう迷ってたそうだぞ。秘密を話すかどうか、俺たちにも言ったほうがいいのかって」
お兄ちゃんが……迷ってた?
それは、話そうとしてくれていたということで……
「その時の顔がよ……今まで見た中で、一番苦しそうだったんだわ」
息が止まる。
頭の中に、魔王と戦っていた時の、お兄ちゃんの顔が浮かんだ。
腕を斬られても、倒れても、それでも立ち上がって、私を見て、苦しいのに笑ってくれた顔。
「……あんなに苦しそうにして言わなきゃならないなんて、そんな義務はないだろ」
返す言葉がなかった。
分かっていた。
本当は分かっていたんだ。
言葉にすれば、簡単なのに。
でもその一歩が踏み出せないときがあること。
怖くて黙っちゃうことがあること。
ついさっき、私自身がそうだったのだから。
「それともなんだ? 秘密があったらカインのことを嫌いになるか?」
その言い方は……ずるい。
だって、そんなわけない。
そんなわけ、あるはずがない。
私がお兄ちゃんのことを嫌いになるわけなんてない。
どれだけ隠しごとをされても、嘘をつかれても、嫌いになれるわけないのに。
言い返せず、私は唇を結んだまま視線を落とす。
すると、ブレイズさんはふっと笑った。
「まあ、それでもだ、カインの役に立ちたいってんなら、勝手に役に立てばいいって俺は思う」
ブレイズさんは小さく笑った。
「だってよ、おせっかいを焼くのに、許可なんざいらねぇだろ」
……そっか。
頼られるのを待つだけじゃなくていいんだ。
私から勝手に頼られに行けばいいんだ。
お兄ちゃんの隣に、今まで通り立てばいいんだ。
そう思った瞬間。
胸のつかえが、少しだけ溶けた気がした。
「……ま、聞いてねぇなら、それでいいけどな。独り言だ、独り言」
わざとらしくそっぽを向いて、
ブレイズさんはぼそっとそう言った。
Q、馬車の中は狭いけどこの会話は、聞こえてないの?
A、カインは玉犬に乗っているので聞こえていません。