受肉転生 ~宿儺と一緒に本気出す~   作:てとらとりす

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息抜き回です。


四十七話

 

俺は今、ミリシオンの街をひとりで歩いている。

大国らしい規則正しさを持った街並みが、きっちりと並んだ建物越しに続いている。

地図を見なくても迷わない。

そんな整然とした街だ。

 

ルーデウスの家にあった本ではたしか……

 

『尊厳と調和。二つを併せ持つ、この世界で最も美しい都市』

 

だったかな。

 

ミリシオンは四つの地区に分かれている。

北側には一般市民や貴族が暮らす「居住区」

西側には教会関係者が多く住まう「神聖区」

東側には大手の商会が広がる「商業区」

そして、俺がいま歩いているのは南側「冒険者区」

 

と言っても冒険者ギルドへ向かっているわけじゃない。

ノコパラとブレイズは依頼を受けに行ったが、俺は断った。

まあ、今行く場所を考えればノコパラあたりは連れて行ってもよさそうだったが。

 

そんなことを考えながら歩いていると、

いつのまにか周囲の景色が変わっていた。

 

石畳はひび割れ、

建物の壁は煤けてひしゃげている。

ただの裏路地……と呼ぶには、あまりに陰鬱な空気が漂っていた。

 

 

「ここがスラム街か」

 

 

目的地ではないが、

視界の端の光景が目に留まった。

 

奴隷市場だ。

 

檻の並ぶ広場には、奴隷商がじろじろと値踏みする声。

目の虚ろな人族や獣族たちが、繋がれた鎖の先で座り込んでいる。

 

転移事件以降、

突然見知らぬ土地へ飛ばされた人間が

奴隷にされる例は少なくなかった。

特に身分を証明できない子供や、

言葉の通じない者は狙われる。

 

しばらく鉄格子越しに市場を眺め、

知っている顔が見つからなかったことに少し安堵して、俺はスラム街を進んでいく。

 

透視眼を発動する。

あちこちの建物の壁越しに、中の様子が透けて見える。

人の影、飲み食いの姿、取引らしき動き。

そのほとんどが、日陰の世界の空気を纏っていた。

 

少し進んだ先、

透視に映ったのは数人の男たちが机を囲む姿。

テーブルの上にはカード。

硬貨とこの国の通貨である札が無造作に積まれている。

 

そう、今日俺がここに来た理由は、

ギャンブルだ。

 

理由はふたつ。

 

ひとつは、単純に金が減っていること。

魔大陸での旅を経て、生活費はいくらあっても足りない。

今後の捜索や移動を考えれば、資金はいくらあっても困らない。

 

そしてもうひとつは「嘘」と「読み」

この二つを鍛えておきたかった。

 

相手の視線、呼吸、声色。

微細な感情の揺れを読み取る。

逆に自分の本心は悟らせない。

戦いでも大事なことだ。

 

と、それっぽいことを言ってみたが、

要するに遊びたいだけだ。

 

だれでも気軽に入れるような賭博場。

実力者が潜んでいる可能性はあるが、

せいぜい悪徳商人や運任せの冒険者たちぐらいだろう。

 

ただし、どうせ遊ぶなら勝って帰る。

 

 

 

―――数時間後―――

 

 

 

 

「いやー……だいぶ稼げたな」

 

 

スラムの外れ、人通りの少ない路地で、

俺は腰の袋を軽く持ち上げてみる。

 

じゃらり、と心地いい音がした。

重みが、指先からずっしり伝わってくる。

 

ていうか、大半の相手は透視眼を使うまでもなかったな。

カードの柄なんて覗かずとも、簡単に勝てた。

 

相手は大体同じパターンで負けていく。

強気な時は喉仏が少し動く。

弱気な時は視線が揺れる。

嘘を吐くときは一瞬だけまばたきが増える。

 

透視眼なんて出番がない。

前世で身についた、他人の顔色を伺う悪癖が存分に活きた。

 

……でも、最後の勝負はちょっと楽しかったかな?

 

最後の相手は妙に余裕があった。

カードを切る手は滑らかで、場に座る姿勢も崩れない。

なにより、不自然なほど自信に満ちた笑み、

あれは、何かに裏付けされた自信だった。

 

実際、彼はイカサマを使っていた。

俺の背後に紛れた共犯者と微細な合図を送り合い、

俺の手を逐一把握して立ち回っていた。

 

で、俺はわざと何度か大きく負けてみせた。

悔しがる素振りまで全力で演じてやった。

イカサマ師はそれで完全に調子に乗り、

「こいつはチョロい」と思ったらしい。

 

イカサマ師の自尊心が大きく膨れ上がったところで、次の勝負、俺は大きく張った。

もちろん、イカサマ師は勝利を確信して、同じく大きく賭け金を積む。

 

背後の仲間が俺のカードを確認し、合図を出した。

「リスクの少ない選択肢を選べ」と。

 

イカサマ師はそれに従い、負けた。

 

俺は影でカードの数字を細工した。

影を操って、別の数字に見せたのだ。

ここで負けさせることで、仲間の示す答えが正しいという前提を、土台から崩した。

 

イカサマ師の表情から血の気が引く。

額に汗が滲み、呼吸が浅くなる。

 

イカサマ師が席を立とうとした瞬間、俺はその肩を軽く叩き、勝った分の貨幣を無造作に卓上へ放った。

大量の貨幣が鳴り響き、空気が一変する。

 

イカサマ師は、一瞬だけ迷った。

だが最後には、大量のコインを俺と同じ高さまで積み上げた。

逃げてもよかったが、自尊心がそれを許さなかったのだろう。

 

次の勝負。

イカサマ師は、迷っていた。

わずかに震える指先が、彼の葛藤を物語っている。

 

先ほどまでの彼は絶対の自信に満ちていた。

共犯者と視線を交わし、合図を送り合い、

こちらのカードをすべて把握しているという絶対的な余裕。

 

だが、一度の敗北がそれを崩した。

 

人は、勝っているときの自信より、負けた直後に感じる恐怖の方が強い。

その恐怖が、「さっきまでの自分」をもう一度取り戻そうとして、判断を鈍らせる。

 

だから俺は、あえて簡単な道を用意した。

「さっきまでの自分を取り戻すための選択肢」を。

 

自分に言い訳が必要なのだ。

 

「たまたま負けただけだ」

「まだ俺はやれる」

「本当は強いんだ」

 

その自己正当化のために、

彼は“大きく賭ける理由”を探している。

 

弱った人間は、

一度の勝利で失った全てを取り戻そうとする。

プライドも金も、虚勢も、存在価値も。

 

気づけば彼は、

リスクの大きい選択肢へと手を伸ばしていた。

 

共犯者が、目を見開き、

「違う」と首を振る。

それでも、彼の手は止まらない。

 

なぜなら、理由を得た人間は、どれだけ愚かでも突き進むからだ。

「みじめな今の自分」を超えるためなら、

飛び込む先が地獄の底でも、構わず足を踏み出してしまう。

 

だからそれが明らかに間違った選択肢だとしても、

彼は迷いなくリスクの大きい方を掴み取った。

 

そして、もちろん外れる。

 

イカサマ師は唇を震わせたまま固まっていた。

怒りも悲しみも湧かず、

ただ現実を受け止められずにいるような。

負けを理解するまで時間がかかりそうな表情だった。

 

……ちょっと可哀想だったかもしれない。

 

けど、イカサマ師には、だいぶ稼がせてもらったな。

これだけあれば、向こう三年は遊んで暮らせる。

まあ、遊ぶ気はないけど。

 

結局ここまで来ると、

ギャンブルも鍛錬の一つだ。

勝つための読み、嘘、駆け引き。

戦闘とはまた違う神経の使い方がある。

 

気づけば、日が落ち始めていた。

石畳が夕焼け色に染まり、

少し肌寒い夜風が吹き抜ける。

 

 

「さて、帰るか……」

 

 

軽く伸びをしながら、

俺は宿へ戻る道を歩き始めた。

 

財布は膨らみ、

少しだけ心にも余裕ができた気がする。

 

……路地裏に入るか。

 

薄暗い通りの奥へ足を向けた瞬間、

背後から声が飛んだ。

 

 

「おい、待てよガキ」

 

 

……やっぱりか。

 

つけられていたのは最初から気づいていた。

ただ、相手の狙いを計りたくて無視していただけだ。

てっきりさっきのイカサマ師たちかと思っていたが、声の主は別人。

 

路地裏の出口を塞ぐように、

三人ほどの男が立ちはだかる。

冒険者風だが、装備は汚れ、柄も悪い。

賭場の客……といったところか。

 

金を持ってる奴をカモにする。

定番のやつだ。

 

 

「気前よく勝ってたよな、坊主」

 

 

「懐を見せてもらおうか?」

 

 

露骨な笑い声。

裏路地の湿った空気が、より一層濁って見える。

どうしようか。

ここで派手にやり合えば、余計な騒ぎになる。

ミリシオンで問題起こして、師匠に迷惑をかけるのは避けたい。

 

 

「や、やめてください……!」

 

 

俺は一度だけ大げさに肩を震わせて、

驚いたフリをしてみせた。

その瞬間、男たちの口角がぐいっと上がった。

あきらかな油断。

 

今だ──

 

俺の体は最小限の重心移動で前に滑り込み、

一番近い男の懐へ潜る。

狙うは頸動脈の真横、手刀が真横に走り、

男は目を見開いたまま、音もなく崩れ落ちる。

 

 

「……っ、なんだ!?」

 

 

後ろの二人が遅れて気づく。

 

振り返りざま、

二人目の鳩尾に手刀を叩き込み気絶させる。

 

最後の一人が短剣を抜いた。

が、焦りで足が乱れているし、踏み込みも浅い。

 

刃が届く前に俺の腕が首元へ伸びる。

一拍、いや半拍も要らなかった。

 

チョップ一閃。

ゴツン、と鈍い音。

目が白くひっくり返り、地面へと倒れ込んだ。

 

……うん。騒ぎにはなっていない。

静かすぎるくらいだ。

すぐに意識を取り戻すだろうが、今はしばらく動けまい。

 

 

「まだ、賭け事での勝負の方が勝ち目あったんじゃないか?」

 

 

ぼそりと独り言をこぼし、俺は何事もなかったかのように踵を返した。

 

路地裏を抜けた瞬間、空気がガラリと変わる。

 

整った石畳。

清潔で、規則正しく並んだ建物。

淡い光を反射させる白壁が眩しい。

 

振り返れば、ついさっきいた場所は影と湿気と悪意が渦巻く裏路地。

ほんの数歩の違いで、世界はこんなにも違う。

 

……いや、本当に別の世界じゃないか?

 

少し歩いて気づく。

さっきより明らかに街並みが違うし、歩く人々の服装もどこか格式ばっている。

 

視線を上げると、巨大な建造物が見えた。

金色の屋根が夕陽を受けて、

誇らしげに輝いている。

 

 

「あ、神聖区に来ちゃったのか……」

 

 

まぁいいか。

せっかくだし、見学しながら帰るとしよう。

普段なら絶対に近寄らない場所だ。

ミリシオンの街並みは規則正しい。

地図さえあれば迷わない街だ。

すぐに帰れるだろう。

 

財布の中身がジャラジャラと自己主張してくるたび、

胸の奥がむず痒くなる。

 

いや、この世界じゃ賭け事は犯罪じゃない。

悪いことじゃない。

 

……それでも、なんだろうな、この罪悪感は。

 

欲深い手段で得たわけじゃないし、

誰かを泣かせたわけでも――いや、泣かせたか。

共犯者までまとめて。

 

んー……なんか、こういうお金を持ってたら、

罰が当たりそうな気がする。

 

別に神を信じてるわけでもないのに、そう思ってしまうのは、前世の刷り込みか、宗教国家の雰囲気に引っ張られてるのか。

 

そんな自己嫌悪を誤魔化すように歩いていると、視界に孤児院が映った。

 

――寄付でもするか。

 

衝動的に思った。

罪悪感の帳尻合わせ、みたいな行動だと自覚しつつも、誰かの役に立つなら悪い話ではない。

 

俺は中に入り、院長らしき女性に声をかけた。

 

 

「よければ、これを――」

 

 

財布から王札を数枚取り出し差し出すと、

女性は優しく微笑み、首を横に振った。

 

 

「お気持ちだけ、ありがたく受け取ります。ここは神聖区ですから、教会がしっかり援助を受けていますので。どうか、そのお金はご自身のために」

 

 

……余計なことをした。

 

あからさまに「善行してます」みたいな顔して訪れた俺。

自己満足だけ持って突っ込んだ俺。

穴があったら入りたい。

 

恥ずかしさで頭を抱え、

心の中で地面を叩いていた、その時。

 

 

「あれ? お兄ちゃんじゃん! 奇遇~!」

 

 

……聞き慣れた声。

 

顔を上げると、アイシャが少し遠くから走ってきていた。

師匠とノルンちゃんが横にいる。

ノルンちゃんは相変わらず、ぎゅっと師匠の足にくっついている。

 

俺が、問いかける間もなく、

アイシャは勢いよく俺の胸に飛びついてきた。

 

 

「おっと。アイシャ……なんでここに?」

 

 

「アイシャをゼニスの両親のところに挨拶させにいってたんだよ」

 

 

「私あの人嫌い」

 

 

即答だった。ノルンちゃんも同じように眉を寄せて、

 

 

「わたしもー……」

 

 

「……なにかあったんですか?」

 

 

「ちょっとな……」

 

 

師匠によれば、ゼニスさんの実家はミリスでも有数の名門らしく、今回の捜索団にも多額の援助をしているらしい。

まあ、そこは置いといて。

 

その家で、アイシャとノルンちゃんは、ゼニスさんの母親、クレアという女性に会う。

そして二人は、がみがみと言われたらしい。

メイドの娘。妾の子。

その手の言葉を、躊躇なく。

子どもに向ける言葉じゃない。

 

それでも、今すぐ扉を蹴破って文句を言いに行くわけにはいかない。

俺は当事者じゃないし、

感情だけで突っ走っていい場面と悪い場面がある。

 

俺にできることと言えば……ねぎらってあげることだけだ。

 

 

「よく頑張ったな、アイシャ。ご褒美にお菓子でも作るか!」

 

 

「ほんと!? やったぁ!!」

 

 

「わ、私もたべたい……」

 

 

ノルンがもじもじしながら服を握り、ちらっとこちらを見上げてくる。

小さな声だが、その眼差しはしっかりと期待に満ちている。

 

 

「もちろん」

 

 

俺がそう言うと、

彼女はぱっと表情を明るくして微笑んだ。

 

そこへ、後ろから肩を叩いてくる男がいる。

 

 

「お、じゃあ俺の分も作ってくれよ?」

 

 

「言われなくても、師匠の分も作りますよ」

 

 

「さすが俺の弟子、気が利くぜ」

 

 

「何のお菓子つくるの?」

 

 

アイシャがぱたぱたと俺の前に回り込むようにして尋ねてくる。

その顔はもう、期待と楽しみでいっぱいだった。

 

 

「うーん、何にしようか……」

 

 

少し考える。

甘いものなら何でも喜ぶだろう。

ふと、胸に引っかかるものがあった。

 

……そういえば

アイシャには誕生日ケーキを作ってやれてなかったな

 

誕生日そのものは祝った。

けれど、旅の最中でとてもケーキなんて用意できる状況じゃなかった。

幸いアイシャとノルンは同い年だ。

誕生日ケーキ。

お菓子じゃなくなったけど、結構いい案じゃないか?

 

だが、この世界に生クリームはない。

すぐに作れるもんでもないしなぁ……

少し顎に手を当てて考え、答えを出した。

 

 

「じゃあ……チーズケーキ、かな」

 

 

「ケーキ?!」

 

 

「おいおい、ケーキってそんな高いもん作れるのか?」

 

 

「材料はあらかたありますし、ない分もここで買えそうですしね。誕生日ぐらいは贅沢しましょう」

 

 

「……あ」

 

 

ん? 師匠?

なんだそのリアクションは。

 

俺はゆっくりと目を細め、

師匠の無言の背に問いをぶつける。

 

 

「……もしかして師匠、ノルンちゃんの誕生日祝ってないんですか?」

 

 

「し、してない……わけじゃ……その……な?」

 

 

「してないんですね」

 

 

「えぇ!? ダメだよお父さん! 誕生日は大事なんだよ!」

 

 

「……いい。私、別に気にしてないし」

 

 

「娘にこんなこと言わして恥ずかしくないんですか?」

 

 

「うぐっ……! 俺は何をすれば……」

 

 

「まずは、財布の紐を緩めるところからじゃないですか?」

 

 

「お、おう……! なんでも買ってやるからなノルン!」

 

 

「うん!」

 

 

「ア、アイシャも何か買うか?」

 

 

「私はいいかな、お兄ちゃんにもらったし!」

 

 

そう言ってアイシャは、胸を張って自慢げに、

俺が誕生日に渡したばかりの財布を、

これでもかというほど誇らしげに、財布を掲げてみせた。

俺はつい、アイシャの頭に手を伸ばす。

 

 

「えへへー」

 

 

アイシャは気持ちよさそうに目を細め、俺の手に頭を預けてくる。

どれだけ撫でても、アイシャは飽きずに嬉しそうにしてくれる。

だから俺もつい撫でてしまうのだ。

 

 

 

――

 

 

 

フワッ、と甘く香ばしい匂いが広がる。

アイシャとノルンちゃんは、椅子に並んで腰かけ、

アイシャはそわそわと足を揺らし、

ノルンちゃんは逆に、緊張したように手を膝の上で固く組んでいた。

 

切り分けて、いざ皿に盛り付ける。

二人は皿の上の黄金色のチーズケーキを凝視していた。

 

 

「はい、どうぞ」

 

 

一言声をかけると、

二人は同時にフォークを手に取った。

 

アイシャはフォークを握った瞬間、勢いよくケーキに飛びついた。

ふわりと切れたチーズケーキをぱくり。

 

 

「っ! うーん、おいしい! お兄ちゃんこのケーキお店だせるよ!!」

 

 

なんでアイシャは、ことあるごとに俺に店を出させようとするんだろうか。

料理を褒めたい気持ちは嬉しいが、

いきなり職業斡旋しないでほしい。

 

一方で、ノルンちゃんはというと

そっとフォークを入れ、

小さく切った一口を口に運んだ瞬間……固まった。

 

 

「チーズ、苦手だったか?」

 

 

心配になって声をかけると、

ノルンちゃんは首をぶんぶん横に振った。

そのまま、言葉ひとつなく、

カチャカチャと音を立てながら、

ただ淡々と、夢中でケーキを口へ運び続けていた。

 

満足そうでなによりだ。

すると背後から、妙に切羽詰まった声が飛んできた。

 

 

「お、おい……俺の分は?」

 

 

振り向けば、師匠が皿を持って待機している。

まるで“餌待ちの大型犬”みたいな顔だ。

 

 

「主役の二人が先なんですからちょっと待ってくださいよ」

 

 

俺はケーキを丁寧に切り分け、

師匠の皿にそっと載せて渡した。

 

 

「おお……! お前、こういうの本当に得意だよな」

 

 

師匠は嬉しそうにフォークを刺し、

ふわりとしたケーキを口へ運ぼうとしている。

そこで、ふと俺は思い出したことが口をついた。

 

 

「そういえば師匠。ゼニスさんのお母さんに、アイシャを俺の旅に連れてくことを伝えましたか?」

 

 

「あー……あ」

 

 

フォークが空中で固まった。

さっきまで笑っていた表情がスッ……と消え、

今にも胃痛で倒れそうな顔になっていく。

 

 

「言ってないんですね」

 

 

「……す、すまん。緊張して……すっかり抜け落ちてた」

 

 

言い訳にもならない言い訳をしながら、

師匠は額を押さえてため息をついた。

 

 

「その様子だと……ゼニスさんの生存も伝えてないんじゃ……」

 

 

「…………」

 

 

俺が続けると、師匠は視線を皿へ落としたまま、

罪を認める子どものように小さく肩をすくめた。

 

やっぱり言ってないのか。

 

ゼニスさんのお母さん。

クレアさん。

 

自分の娘は行方不明。

その不安を押しつぶしながら、待ち続けている。

そんな中、唯一頼れる“娘の捜索者”がこの師匠だ。

 

もちろん俺は知っている。

師匠はやるときは本気でやるし、誰よりも家族のことを想っている。

だが、クレアさんから見ればどうだ。

剣士としての腕前? その目で確認していない。

性格? 第一印象で悪い方に転びやすい。

言葉遣い? 最悪だ。

 

……そりゃあ、不安も募るわけだ。

そして、不安の行き場がなければ、弱いところへ向かう。

今回の場合、それがアイシャとノルンだった。

 

もちろん子どもを傷つけるような物言いを肯定する気はない。

だが、不安が暴走して矛先を間違えること、それ自体は理解できなくもない。

 

問題は、それを師匠が放置したせいで悪化していることだ。

 

 

「……明日、俺と師匠でクレアさんのところに報告しに行きましょう」

 

 

「か、カイン一人で行くってのは……その……」

 

 

「ぶっ飛ばしますよ」

 

 

「……だよなぁ」

 

 

「ということで、師匠。ケーキはお預けですね」

 

 

「お、おい! なんでだよ!?」

 

 

「報告を済ませてから一緒に食べましょう。逃げたらダメですからね?」

 

 

「お父さん! ちゃんと謝るんだよ!」

 

 

「……お父さん、がんばってください」

 

 

二人の声援に、

パウロは頭を抱え、椅子の上でぐったりとした。

 

ケーキの甘い香りがまだ漂っているのに、

師匠の背中だけは、妙に苦味で満ちていた。

 

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