受肉転生 ~宿儺と一緒に本気出す~   作:てとらとりす

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五十一話

 

一週間が過ぎ、俺たちはついにミリシオンを発つことになった。

街の整然とした空気にも、人の流れにも慣れ、

ようやく落ち着いて周囲を見渡せる余裕が生まれた頃だったが、滞在はここまでだ。

 

ノコパラとブレイズの二人は、

最初の三日間こそ冒険者ギルドの依頼を受けていたが、ミリスの治安の良さが裏目に出たのか、内容は軽作業ばかりで、報酬も控えめだったらしく、四日目からは完全に切り替え、捜索団の手伝いに回っていた。

 

アイシャは、この一週間を師匠のもとで過ごしていた。

最初は、距離感を決めかねていたようだが、

日を追うごとに緊張が解け、多少のぎこちなさはあるが、甘えるようになっていた。

会うたびに、どんな話をしたとか、どんなことを教わったとかを楽しそうに話してくれた。

 

ノルンちゃんとの関係も、少しずつ形になっていった。

小さな衝突はあったが、どれも長引くことはなく、

気がつけば二人で行動する時間が増えていた。

何度か揃って俺にお菓子をねだりに来たこともある。

今では誰が見ても、仲のいい姉妹だろう。

 

俺自身は、捜索団の補助をしたり、街を歩いたり、剣を振ったり、手入れをしたりしながら、比較的穏やかな時間を過ごしていた。

忙しさに追われることもなく、焦る必要もなく、

久しぶりに、自分の内側を整理する余白があった。

 

 

 

―――

 

 

 

出立の朝、門前には馬車が置かれていた。

目的地はウェストポート。

中央大陸を横断し、フィットア領へ向かうための第一歩だ。

 

荷袋の口を締め直していると、

アイシャがこちらを見上げてきた。

 

 

「お兄ちゃん、忘れ物ない?」

 

 

「大丈夫だ。そっちは?」

 

 

「うん。ちゃんと確認した」

 

 

そう答えたあと、アイシャは荷物から視線を外し、ちらりと、師匠の方を見る。

 

 

「……師匠のところに残っててもいいんだぞ?」

 

 

「ううん……ちょっと名残惜しかっただけ。お兄ちゃんについていきたい気持ちは、変わってないよ」

 

 

「そうか。じゃあ、師匠とノルンちゃんに別れの挨拶をしてこい」

 

 

「うん!」

 

 

アイシャは即答し、

軽い足取りで二人のもとへ駆けていった。

 

その背中を見送りながら、俺はふと馬車の積み具合に目を向ける。

俺は、ノコパラの荷物を持ち上げ、顔をしかめた。

 

 

「なあ、なんでノコパラの荷物は毎回こんなに重くなるんだ?」

 

 

「無駄な物を入れてるからだろうな」

 

 

ブレイズが即答する。

 

 

「はぁ? どれが無駄だって言うんだよ」

 

 

「じゃあ確認するか」

 

 

ブレイズは淡々とそう言って、許可も取らずに袋の口を開いた。

中を覗き、無言で手を突っ込む。

 

まず出てきたのは、短剣。

 

 

「それは必要だろ」

 

 

次に、また短剣。

 

 

「予備だ」

 

 

さらに、もう一本。

 

 

「予備の予備」

 

 

ブレイズは一瞬だけ動きを止め、無言でノコパラを見る。

そのまま、もう一度手を入れる。

 

がしゃ、と金属音。

 

 

「予備の予備の予備だ」

 

 

「はぁ……お前は、武器屋を開くつもりか?」

 

 

「いざって時に困らねぇだろ」

 

 

ノコパラは悪びれもせず、肩をすくめた。

俺は地面に並んだ短剣を見下ろしながら、静かに言う。

 

 

「……ノコパラ。必要なのは予備までだ。予備の予備の予備はいらないんじゃないか?」

 

 

「う……」

 

 

言い返そうとして、ノコパラは一度口を開き、閉じた。

短剣と、俺と、ブレイズを順番に見て、観念したように頭を掻く。

 

 

「……わーったよ! 置いてきゃいいんだろ、置いてきゃ!」

 

 

そう言いながら、ノコパラは一本一本名残惜しそうに見つめ、最終的に必要最低限だけを袋に戻す。

しぶしぶではあるが、納得はしたらしい。

 

袋の口を縛り、肩に担ぎ直す。

 

 

「……軽い」

 

 

「「ほらな」」

 

 

俺とブレイズの声が、きれいに重なった。

そのとき、背後から足音が近づいてきた。

 

 

「何やってんだ、お前ら」

 

 

振り返ると、そこに師匠が立っていた。

腕を組み、どこか呆れたような表情だ。

 

 

「荷の整理です」

 

 

「大方、ノコパラが予備の予備まで持っていこうとしてたんだろ?」

 

 

「なんで分かんだよ!」

 

 

「昔な、知り合いに似たようなことやってた奴がいたんだよ」

 

 

「ほう?」

 

 

「俺もその時は無駄だと思ってたが……意外と使う時がくるかもしれないぞ?」

 

 

その言葉に、ノコパラの目が輝く。

 

 

「ほら見ろ! もっと言ってくれ!」

 

 

「そうかもしれませんけど、予備の予備の予備はさすがにやりすぎでしょう」

 

 

一瞬、場が静まる。

 

師匠は顎に手を当て、しばらく考え込んだあと、

苦笑しながら頷いた。

 

 

「……予備の予備の予備は、さすがにやりすぎだな」

 

 

「なんだよ……」

 

 

ノコパラは拗ねたように言い捨てると、袋を担いで馬車へ向かった。

そのまま荷台に乗り込み、奥へと引っ込む。

 

ブレイズもノコパラの後に続いて馬車へ乗り込む。

二人が馬車に乗り込むのを見届けてから、俺は改めて師匠の前に立った。

 

 

「……それじゃ、行ってきます」

 

 

「おう。アイシャのこと、任せたぞ」

 

 

「はい」

 

 

当然のように受け取ったが、

その言葉の少なさに、思わず眉を上げる。

 

 

「……もっと、いろいろ言ってくるかと思ってました」

 

 

「お前は、俺のことなんだと思ってるんだ?」

 

 

「女性にだらしなくて、すぐにへこむ人です」

 

 

「おまえなぁ……」

 

 

「でも……家族思いで、やるときはやる人です」

 

 

その一言に、師匠は一瞬だけ動きを止め、

視線を逸らしたまま、頭の後ろを掻いた。

 

 

「……まあな」

 

 

全部、本音だ。

 

からかっているわけでも、

持ち上げているわけでもない。

長く一緒に過ごしてきたからこそ見えた、

良いところも、どうしようもないところも、

全部ひっくるめた評価だ。

 

師匠は逸らした視線を俺に戻し、

思い出したように口を開いた。

 

 

「ノルンにも、ちゃんと挨拶しとけよ」

 

 

「ノルンちゃんにですか?」

 

 

「ああ。あいつ、結構お前に懐いてたからな」

 

 

「え、そうだったんですか……? てっきり、避けられてるとばかり思ってましたが」

 

 

「人見知りなのは確かだが……ありゃ、お前のお菓子が効いたな」

 

 

「なるほど……」

 

 

言われてみれば、思い当たる節はある。

何度か、アイシャと二人で並んで、

お菓子をねだりに来たこともあった。

少し考えてから、俺は内ポケットに手を伸ばした。

中から、折り畳まれた紙を一枚取り出す。

 

 

「なら、これをどうぞ」

 

 

「なんだ、この紙は?」

 

 

「いろんなお菓子の作り方が書いてあります」

 

 

「なんでそんなもの……というか、いいのか?」

 

 

「大丈夫です。アイシャが、もしここに残る選択肢を取った時のために、事前に書いておいたものなので」

 

 

師匠は紙を持ったまま、しばらく黙っていた。

そして、少し困ったように頭を掻く。

 

 

「……こんなものもらっておいてなんだが、俺は菓子なんか作れねぇぞ?」

 

 

その言い方があまりにも師匠らしくて、

俺は思わず小さく笑ってしまった。

 

 

「だったら、作れそうな人に頼ってくださいよ。捜索団の人たちとか」

 

 

「いや……でも、忙しいだろ」

 

 

「捜索団の方たちが言ってましたよ。『団長には恩があるから、もっと俺たちを頼ってほしい』って」

 

 

「だとしても……菓子作りってのはなぁ」

 

 

「まあ、詳細な作り方も書いてあるので、師匠でもできると思いますけどね」

 

 

煮え切らない様子の師匠をその場に残し、

俺は踵を返して、ノルンちゃんとアイシャの方へ向かった。

 

途中、ちょうど向こうからアイシャが歩いてくるのが見えた。

表情を見る限り、どうやらもう話は終わったらしい。

 

すれ違いざま、俺は声をかける。

 

 

「ノルンちゃんに挨拶は済ませたか?」

 

 

「うん。ちゃんと済ませたよ!」

 

 

「それは良かった」

 

 

それだけ言って、俺はそのままノルンちゃんの方へ向かう。

背後で、アイシャがくるりと振り返り、明るい声を上げた。

 

 

「またね、ノルン姉!」

 

 

「……またね、アイシャ」

 

 

アイシャは満足そうに手を振り、

そのまま小走りで馬車の方へ向かっていく。

 

……さて。

 

何を話せばいい?

胸の奥で、変に身構えている自分に気づく。

考えてみれば、俺とノルンちゃんの関係は少し曖昧だ。

ノルンちゃんから見れば、

俺はせいぜい友達の友達、または、親戚のおじさん。

そんな感じの微妙な距離感だろう。

 

仲が悪いわけじゃない。

でも、いざ別れの挨拶となると、

何をどう言えばいいのか分からなくなる。

 

……難しいな。

 

そんなことを考えている間に、

沈黙が少しだけ長くなってしまった。

 

すると――

 

 

「この前のケーキ、美味しかった……です」

 

 

……しまった。

子供に、気を遣わせてしまったか。

 

こういう時は、普通でいい。

特別なことを言おうとしなくていいのだ。

 

 

「それなら、よかった。師匠に作り方は渡してあるから。これからは、いつでも作ってもらえるぞ」

 

 

「っ! ほんとに?」

 

 

「ああ。あとは、師匠のやる気次第だけど……」

 

 

「がんばって、お願いしてみます」

 

 

「それがいい」

 

 

娘に言われるなら、大丈夫だろう。

あの師匠が、ノルンちゃんに首を振るなんて、

あるわけないからな。

 

 

「あの、お仕事がんばってください」

 

 

仕事……か。

まあ、ノルンちゃんから見れば、

俺たちの旅も仕事に見えるんだろう。

冒険者だの捜索だの、よく分からないことをして、

父親と同じように外へ出ていく。

そう見えるのも、無理はない。

 

 

「ありがとう。ノルンちゃんも、クレアさんに礼儀作法を習うの大変だと思うけど、頑張ってね」

 

 

「私、あの人嫌いです……すぐ怒られるし」

 

 

「ははっ。あの人は確かに厳しいけどさ、根っこは家族思いのいい人だよ。なんなら、ちょっと甘えてみたら、意外と優しくしてくれるんじゃないかな?」

 

 

そう言った瞬間、ノルンちゃんが怪訝そうな顔になる。

 

……自分で言っておいてなんだが。

クレアさんが優しく笑っている姿は、正直あまり想像できない。

 

 

「ほんとに?」

 

 

「たぶん」

 

 

「……やってみます」

 

 

ノルンちゃんはそう言って、こくりと頷いた。

俺はそれ以上言葉を重ねず、軽く手を振った。

 

ノルンちゃんも、少し遅れて、同じように手を振り返してくれた。

 

俺は踵を返し、馬車へと向かう。

馬車に上がって腰を下ろすと、すぐ隣からアイシャが覗き込んできた。

 

 

「……なんか、長くなかった~?」

 

 

「そうか?」

 

 

「うん。けっこう話してた気がする」

 

 

「まあ、別れの挨拶だしな」

 

 

そう答えると、アイシャは「ふーん」とだけ言って、それ以上は何も聞いてこなかった。

 

俺は玉犬へ視線を向け、軽く合図を送った。

 

白と黒の玉犬が低く唸り、次の瞬間、地面を蹴る。

石畳の音がリズムを刻み、ミリシオンの街並みがゆっくりと後ろへ流れていった。

 

 

 

―――

 

 

 

馬車の中。

 

揺れが一定になった頃、向かいに座るアイシャが、

ふと思い出したようにこちらを見た。

 

 

「ねえ、お兄ちゃん」

 

 

「ん?」

 

 

「……私のお兄さんって、どんな人なの?」

 

 

一瞬、何のことか分からず、問い返す。

 

 

「それは……ルーデウスのことか?」

 

 

「うん。お父さんも、お兄ちゃんも、その人の話をよくするから。気になって」

 

 

……その人。

 

ずいぶん他人行儀な言い方だな、と思ってしまう。

だが、それも仕方ない。

 

アイシャが物心つく前から、

ルーデウスはブエナ村を離れていた。

記憶の中にほとんど姿がない相手なら、

そう呼ぶのも自然だろう。

 

 

「そうだな……ルーデウスは、一言で言うとすごい奴だ」

 

 

俺はそう前置きしてから、言葉を続けた。

 

 

「子供のころから、やたら礼儀正しくてな。五歳の時点で、水聖級の魔術を使えてた。しかも無詠唱でだ。頭の回転も速いし、新しいことを覚えるのが異常に早かった。理屈を理解するのも、応用するのもな」

 

 

揺れる馬車の中で、俺は記憶を辿る。

 

 

「剣術も、ある程度はできてたぞ。稽古じゃあ……何回か負けかけたな」

 

 

「えっ!? お兄ちゃんが負けたの!?」

 

 

「ちがう、負けかけた、だ。負けたわけじゃない」

 

 

「……ふーん」

 

 

アイシャは腕を組み、しばらく考えるように唸った。

 

 

「お父さんもそう言って褒めてたけど……なんか、できすぎじゃない?」

 

 

「そうか?」

 

 

「うん。だって、魔術もすごくて、剣もできて、頭もいいんでしょ?」

 

 

「アイシャだって、かなりできすぎた子供だと思うぞ?」

 

 

「え?」

 

 

「この前、クレアさんに言われて学力をはかるためにノルンちゃんと一緒に受けたミリス学校の入学試験、満点だったって言ってたじゃないか」

 

 

そう言うと、アイシャは胸を張って、得意げに笑った。

 

 

「ふふーん。まあね、ちょっと本気出しただけ」

 

 

「さすがだな。ノルンちゃんは、どうだったんだ?」

 

 

「ギリギリで合格してたよ」

 

 

何気ない調子だった。

だが、ほんの小さな不安が頭をよぎる。

 

アイシャ……ノルンちゃんを、無意識に傷つけてないだろうな。

 

最近はもうそんなことはないが、

少し前までのアイシャは、自分にできることを他人ができないと、それを努力不足だと決めつけてしまうところがあった。

 

だから、念のため聞いてみる。

 

 

「……アイシャはそれを聞いて、どう思った?」

 

 

「え? 頑張ってるなぁって思っただけだけど」

 

 

「それだけか?」

 

 

「うん。私は簡単だったけど、ノルン姉からしたら、結構難しい問題ばっかりだったからね」

 

 

その言葉を聞いて俺は安堵する。

 

……前なら、

「こんなの簡単じゃん」

「なんで分からないの?」

と、無意識に言っていたかもしれない。

 

でも今のアイシャは違う。

「自分は簡単だった」

「相手にとっては難しかった」

その二つを、きちんと切り分けて考えている。

基準を相手側に置いて、想像している。

……気にし過ぎたな。

いや、俺はアイシャの親代わりなんだ。

責任もって育てなければ。

 

そう考えていると、アイシャから視線を感じた。

 

 

「ていうかさ」

 

 

「ん?」

 

 

「お兄ちゃん、なんでそんなにノルン姉のこと気にするの?」

 

 

「いや、別に。アイシャがノルンちゃんのこと、どう思ってるか気になっただけだ」

 

 

「私が?」

 

 

「ああ。アイシャが、どう考えて、どう感じてるか。それを知りたかった」

 

 

「……ふーん。じゃあ、いいや」

 

 

……なんだ、その反応。

 

だが深く突っ込むほどのことでもないだろう。

俺は咳払いを一つして、話を戻す。

 

 

「それで、ルーデウスの話だったな」

 

 

「そう! たしかに、私もそれなりに色んなことはできるけどさ……それでも、やっぱりできすぎだと思う。お兄ちゃんから言われてなかったら、信じてなかったと思う」

 

 

「まあ……実際に見たら、もっと驚くと思うぞ」

 

 

「それは、ちょっと怖いんだけど……」

 

 

その反応を見て、俺は小さく反省する。

 

……ちょっと持ち上げすぎたか。

ただでさえアイシャはルーデウスのことを何にも知らないのだ。

そこへ俺の主観ばかりを重ねて、変に評価を盛りすぎたら、身構えてしまう。

それは良くない。兄妹なんだ。

親しみがある方がいい。

 

 

「……いや、もちろん欠点も山ほどある」

 

 

「へぇー。どんな?」

 

 

「ロキシーさん、覚えてるか?」

 

 

「うん。ウェンポートで会った、お兄ちゃんの知り合いでしょ?」

 

 

「そうだ。あの人は、ルーデウスの魔術の師匠でな。ルーデウスはよくロキシーさんの水浴びを覗いてたんだ」

 

 

「え……なにそれ。変態じゃん……」

 

 

「まあな」

 

 

「……はっ! もしかして、お兄ちゃんも覗いてたの?」

 

 

「ち、違う! 俺は覗いてない! 俺は止めてた側だ。巻き込むな」

 

 

「怪しい……」

 

 

しまった。

これじゃあ、親近感どころか、

変な方向に評価が下がるだけだ。

 

どうにか挽回しなければと、

俺は慌てて話を切り替える。

 

 

「……ルーデウスは、努力家だ」

 

 

「露骨に話をすり替えてんじゃねぇか」

 

 

向かいの席から、ノコパラが茶々を入れてくる。

 

 

「うるさい、ノコパラ」

 

 

――キンッ

 

 

「あッ! たてがみを切りやがったな!」

 

 

「あははっ、変な髪形!」

 

 

「お前、その方が似合ってるぞ」

 

 

馬車の端から、ノコパラの声が飛んできたが、

このくらいのやり取りは日常茶飯事で、

アイシャも特に気にした様子はない。

 

俺は話を続けた。

 

 

「たしかに、ルーデウスに負けかけたことがあるとは言ったが……最初からそうだったわけじゃないぞ」

 

 

「そうなんだ」

 

 

「剣の腕はいいと言っても、俺とか師匠ほどじゃないし、なんなら闘気すら纏えない」

 

 

「え? じゃあ、なんでお兄ちゃんが負けたの?」

 

 

「負けかけた、な……俺との差を、魔術で埋めたんだ」

 

 

俺は指で、宙に線を引くようにして説明する。

 

 

「例えば……そうだな。俺より動きが遅い分、魔術で自分の動きを補助したりしてたな。足元に風を纏って加速したり、瞬間的に踏み込みを伸ばしたり」

 

 

馬車の揺れに合わせて、記憶が蘇る。

 

「地面を泥に変えて、俺の踏み込みを潰したり」

 

「風で剣の軌道を、ほんのわずかに逸らしたり」

 

「土で煙幕を張って視界を奪ったり」

 

「足元に水をばらまいて凍らせて、滑らせたり」

 

「砂を混ぜた風を顔に当てて、目を開けられなくしたり」

 

「背後に土壁を立てて逃げ道を制限したり」

 

あくまで訓練だったから、

直接攻撃の魔術を使ってきたのは最後の一戦だけだったが、とにかく、ありとあらゆる手段で“自分に有利な状況”を作り続けた。

 

 

「お兄ちゃん、よく見てるんだね」

 

 

「え、ああ……まあな」

 

 

言われてから、はっとする。

少し話しすぎたかもしれない。

 

俺がそこまでルーデウスの動きを鮮明に覚えている理由は、ルーデウスに負けたくなかったからだ。

 

だから、あの一挙一動を必死に見ていた。

どんな意図で、どこを潰しにきているのか。

どうやって、俺との差を埋めようとしているのか。

 

それを理解しなければ、

次は本当に負けると思ったから。

ただ、それだけの理由だ。

 

俺は少し視線を逸らした。

 

 

「だからまあ、ルーデウスは才能だけの奴ってわけじゃない。自分の弱さを分かっていて、それを補う努力ができる。そういう人間だ」

 

 

俺がそう締めると、アイシャは少し考え込んでから、ぽつりと呟いた。

 

 

「……なんか、お兄ちゃんみたいだね」

 

 

「ん? おお、よく分かったな!」

 

 

「え?」

 

 

「俺が戦うとき、一気に加速するだろ? あれは元々ルーデウスがやってたものだ」

 

 

実際には、呪力を圧縮して足元で小さな爆発みたいに放出してるから、

厳密には魔術とは違うんだが。そこに気づくとは、さすがアイシャだ……

 

 

「そういう意味じゃなかったんだけど……」

 

 

「何か言ったか?」

 

 

アイシャはじっと俺を見て、

そして、ふっと小さく息を吐いた。

 

 

「ううん。なんでもない……ちょっとその人に興味がわいてきたかも」

 

 

「それはよかったけど……」

 

 

「けど?」

 

 

俺は一度、言うかどうか迷ってから、正直に口にした。

 

 

「いや……ルーデウスはアイシャの兄なんだから、「その人」って呼ぶの、そろそろやめないか?」

 

 

「えー」

 

 

「兄でもない俺のことを「お兄ちゃん」なんて呼ぶのも、冷静に考えたら変な話だろ? 正直、分かりづらいし……」

 

 

……そうだ、これ、前にも話したな。

転移する前にも、同じやり取りをした記憶がある。

 

あの時、一度は、お兄ちゃん呼びをやめさせたはずなのに、結局そのまま有耶無耶になってしまっていた。

 

そんなことを考えていると、

アイシャが少し首を傾げて、様子を窺うように口を開いた。

 

 

「じゃあ……カインお兄ちゃん?」

 

 

「うーん、兄って付いてると、やっぱりややこしくなるな……」

 

 

するとアイシャは、わざとらしく少し身を乗り出して、上目遣いでこちらを見てきた。

 

 

「お兄ちゃんはさ、私に「お兄ちゃん」って呼ばれるの……嫌?」

 

 

……完全に分かってやってる。

 

俺がその呼び方をややこしいと思っていることも、

それでも強く拒まないことも、

全部分かった上でのこの上目遣いだ。

 

 

「俺が嫌がってないの、分かってやってるだろ……」

 

 

「えへへー、バレた?」

 

 

「……まあ、いいか。無理して矯正するもんでもないしな」

 

 

「だよね!」

 

 

「アイシャは……妹みたいなもんだしな」

 

 

俺はそう独り言のように呟いた。

 

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