森の奥。午前の陽光が木々の合間を縫って差し込む中、俺は集中していた。
掌を重ね、手印を結ぶ。手影は犬のかたち――玉犬。
何度も試みては、影は形を結ばず、気配が掠れるだけだった式神。
けれど、今日は違った。
影の中に、確かな重みが走る。
影が形を結び、手のひらの奥で何かが生まれようとしていた。
全身に汗がにじむ。心臓の鼓動が妙に早い。
呼吸を整えて、もう一度、呪力を込める。
「玉犬」
呟いた瞬間、影が波打つように揺れ、
黒い液体のような質感を持って地面から盛り上がる。
そしてそれは、牙を持つ黒い獣の姿をとって――
白と黒――対を成す2体の式神が、俺の目の前に顕現した。
「出た……!」
俺は思わず呟いた。
ただの呪力の塊ではない。
意思を持った式神が、確かに俺の影から生まれていた。
『ようやくか、何度も失敗を繰り返していたが……やはり原因は、術式を自覚しないまま、知識だけで式神を引き出そうとしたことだろうな』
(……自覚?)
『そうだ、術式というのは、本来「学ぶ」ものではなく初めから「理解している」ものだからな』
『まあ、無理やり引っ張り出した割には、悪くない出来だ。式神の挙動も安定していた。今後も使えるよう訓練しておけ』
「おう……ありがとな、宿儺」
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
森での訓練を終え、玉犬を影に戻す。
初めて成功した余韻はあったが、腹は減るし汗もかいた。
昼までにはグレイラット家に行く約束だ。
昼飯を済ませ、グレイラット家に着くと、
庭に小柄な女性がルーデウスと立っていた。
青髪に三つ編み、背は低いが背筋はシュッと伸びている。
(あれが前言ってた家庭教師か…)
どうやらルーデウスに魔術を教えている最中らしい、
そのとき、彼女の視線がふとこちらと合った
「あなたは?」
青髪の少女は、少し怪訝そうな目でこちらを見つめてきた。
「初めまして、俺はルーデウスの友達のカイン・アルネスです。今日は師匠……パウロさんから剣術を教えてもらうために来ました」
「そうですか。私はロキシー・ミグルディア。ルディの家庭教師として、この家に雇われています。剣術を学んでいるなら、わたしと直接関わることは多くないかもしれませんが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
気づけばルーデウスが隣で頷き、俺を見て言う。
「僕、今日が初めての授業なんです」
「へえ、そうなのか。それは大事な日だな」
「よければ、見ていきますか?」
「もちろん。せっかくだし、見学させてもらうことにするよ」
俺が頷くと、ルーデウスは笑みを浮かべ、
ロキシーさんのところへ戻っていった。
俺は木陰に身を寄せながら、授業風景をじっと見つめた。
「では、授業を始めましょう、まずはお手本です。汝の求める所に大いなる水の加護あらん、清涼なるせせらぎの流れを今ここに、ウォーターボール」
その言葉と同時に、彼女の手のひらに水の玉が出現し、
庭木の一つに向かって高速で飛んでいった。
水の玉に当たった木の幹が、あっけなくへし折れ、
勢い余った水は庭をびしゃびしゃに濡らしていた。
(……詠唱とかあるんだな、てか、お手本の簡単そうな魔術でもこんな威力出るのか)
俺は思わず目を丸くした。
単なる水の塊だと思っていたが、こうも簡単に木が折れるとは。
俺が感心している横で、ルーデウスは落ち着いた顔で木の残骸を見つめていた。
ロキシーさんが振り返り、問いかける。
「どうですか?」
「はい。その木は母さまが大事に育ててきたものですので……母さまが怒ると思います」
「え?そうなんですか!?」
この人、意外とドジなのか?
ロキシーさんはうろたえながら木に駆け寄った。
「それはまずいですね、なんとかしないと……!」
幹を立て直し、顔を真っ赤にしながら両手で支える。
そのまま、息を整えて詠唱を始めた。
「神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん、ヒーリング」
じわじわと、木の幹が折れる前の形へ戻っていく。
『呪術で言えば、反転術式に近いか』
(なんだ反転術式って?)
『呪力、負のエネルギーを掛け合わせ、正のエネルギーへと転じ肉体を修復する術だ』
(宿儺から見たらどっちが便利なんだ?)
『反転術式だな』
(理由は?)
『魔術がどれ程の治癒力か知らんが、せいぜい骨折や深い傷を治す程度だろう、いちいち詠唱が必要な所も不便だな』
(ふむ……)
『だが反転術式は違う、才能が無ければ一生使えんが、詠唱も不要、呪力を多く込めれば四肢欠損すら元通りにできる。術者本人が即座に自分を治せるという点では、魔術よりもはるかに実戦的だろうな』
(才能がなければ一生使えないか、その反転術式って……俺でも覚えられるのか?)
『……才能があるならな。もっとも、多くの術者は生涯習得できん』
(じゃあ俺に、反転術式を教えてくれよ)
『聞いてたか? 才能がなければどんな努力も無駄になると』
(いいんだ、ただやる前から諦めるなんてことは、したくないだけだから)
『……自己満だな、だが道は長いぞ。反転術式は一朝一夕で身につくものではない』
(わかってる。でも、できることは全部やる。それが今の俺だ)
宿儺は何も返さず、ただ鼻で笑った。
だが、その笑いはどこか愉快そうでもあった。
俺が考え事をしている間にも、庭では授業が進んでいた。
ロキシーさんはルーデウスに視線を向け、手で合図する。
「では、ルディ。やってみてください」
「はい」
ルーデウスは小さな手を前に出し、呪文を唱え始めた。
―――と思ったら、途中で急に省略して詠唱を終える。
次の瞬間、ロキシーさんのものより少し小さい水弾が、
音を立てて庭木に直撃し、また、木が折れた。
すごいなルーデウスのやつ、一回見ただけでもう使えるのか、
それに、詠唱省略してたけどあれでいいのだろうか?
疑問が浮かんだその時、ロキシーさんが少し驚いた顔を見せた。
その反応で、少なくとも普通ではないことだけはわかった。
「詠唱を端折りましたね?」
「はい」
ルーデウスが素直に頷くと、
ロキシーさんは興味深そうに彼を見つめ、何やら考え込んでいた。
(やっぱり、詠唱はないと失敗したりするものなのだろうか……それを初見でやってのけるってことはルーデウスにそれだけ才能があるってことなのか……)
ロキシーさんはやがて軽く息をつき、口元に微笑を浮かべた。
「水弾の大きさ、威力共に申し分ないです」
「ありがとうございます」
一瞬だけ見せたロキシーさんの笑みは、どこか含みを持っていた。
次の瞬間、小さく呟く。
「……これは鍛えがいがありそうですね」
(そういうのは、声に出さないものじゃないか?)
『鍛えがい、か……まあ事実だろうな。あの年で普通ではないであろう詠唱の省略。凡百の術者とは別物だ、才ある生徒を見つけた師は、往々にしてこういう顔をする』
ロキシーは手を軽く叩き、次の課題へと進める合図を出した。
ルーデウスはやる気に満ちた顔でうなずき、再び構えを取る。
そのとき―――
「あなたたち! 庭で何してるの!」
家のほうからゼニスさんの怒声が飛んできた。
視線の先には、魔術の的となった木が、まだちょっとだけ傾いている。
ロキシーさんは固まり、ルーデウスは目を逸らし、
俺はなぜか関係ないのに背筋が伸びた。
こうして、授業は一時中断となった。