受肉転生 ~宿儺と一緒に本気出す~   作:てとらとりす

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ルーデウス視点です。


七十二話

 

真っ白で、何もない空間。

 

……またか。

今回はペースが早いな。

 

 

「いやかい?」

 

 

いやに決まってるだろ。

ここにいるとクソニートの頃の感覚が戻って、あのくそったれな情動が沸いてくるんだ。

せっかくこっちで多少まともになってきたのに、わざわざ泥を塗り直すな。

 

 

「いきなりクソなんて、相変わらず下品だね、君は」

 

 

お前最近よく現れるよな。

昨日に続いて今日もかよ。

たまたま夢に出る条件が重なったのか?

 

 

「ん……? ああ、そうさ。たまたまだよ」

 

 

条件が重なったとしても、二日連続で呼ぶ必要はないだろ。

呼ぶ側が自重すればいいだけだ。

呼ぶなら一回で済ませろ。

何度も顔を出すな。

 

 

「いいじゃないか。熱は熱いうちにって言うだろ?」

 

 

何の話だよ。

 

 

「こっちの話さ、君の話でもあるけどね」

 

 

胡散臭いな。

まあ、お前が胡散臭いのは今に始まったことじゃないか。

で、カインはどうなったんだよ。

 

 

「昨日の続きが気になるかい?」

 

 

当たり前だ。

昨日は「死にはしない」ことと、「シーローン王国方面に逃げる」ことを聞かされたが。

あの後オルステッドから逃げきれたのか?

ちゃんと生きてるのか?

 

 

「うん、何とかね。彼をちょっと覗いてみたけど、当分君たちのところに戻る気は無さそうだ」

 

 

……当分戻る気がない?

どういうことだよ。

オルステッドを撒けたなら、戻ってこれるだろ。

戻ってきて、合流して、それで――

 

 

「君の想像通りにはいかないってことさ」

 

 

いや、そこまで都合よくいかないのは分かってる。

でも、アイシャはどうするんだ?

お兄ちゃんに死んでほしくないって泣いてたんだぞ。

一言でも“生きてる”って言いにくればいいだろ。

 

 

「アイシャにも、自立するときが来たってことじゃないかな?」

 

 

茶化すなよ。

 

 

「茶化してなんかないさ。本当にそう思ってる。彼女が彼に寄りかけていたのは、君の目にも見えていたはずだろう?」

 

 

依存かどうかは、俺には断言できない。

でも、大切に思ってるのは伝わった。

俺じゃなくてカインを「お兄ちゃん」って呼ぶぐらいにはな。

 

 

「君が本当の兄だろう? 呼ばれたかったかい?「お兄ちゃん」って」

 

 

そりゃあ、ちょっとはな。

アニメとか、ラノベとかで憧れた呼ばれ方だし。

ノルンの方には「お兄さん」って呼ばれてたからな。

あれはあれで嬉しかったけど、なんていうか……ちょっと違う。

「お兄ちゃん」って、甘えが入ってるし、ちょっといいなって思うだろ。

 

 

「共感はしてはやれないけど……もしかして、取られちゃって悔しかったりする?」

 

 

悔しいって言うと語弊がある。

もし相手が適当な奴だったら、嫌だったと思う。

ただ、カインに取られるなら別にいい。

むしろ納得しかない。

 

 

「どうしてだい? 血の繋がりは、大事なはずだろう?」

 

 

大事だよ、でも“血”だけで埋まらないものもある。

あいつも俺と同じで魔大陸に飛ばされたのに、ルイジェルドみたいな強い護衛がいたわけでもない。

それでも当時三歳だったアイシャを連れて無事に旅をした。

しかも他の転移者のことまで気にして回ってたんだろ。

俺が聞いた話だけでも、納得できる理由なんていくらでも出てくる。

 

 

「そこまでされると、普通は劣等感とか抱えそうなもんだけどねえ」

 

 

俺だって考えなかったわけじゃない。

前世の年齢まで含めれば、俺の方がずっと年上なのに、とか。

同じ状況でもカインの方が上手くやってた、とか。

そういう比較が頭の隅に刺さる。

 

 

「刺さってるんだ?」

 

 

ああ……でも、刺さりっぱなしにはならない。

なんていうか……勝手に抜けてくんだよな、あいつのことだと。

 

 

「……何か特別な理由でもあるのかい?」

 

 

特別っていうか……俺は、カインが“ただすごい奴”じゃないのを知ってるだけだ。

あいつにも怖いものがあって、できない側の気持ちもちゃんと持ってる。

だからあの結果は、あいつがあいつなりに頑張った結果だって分かる。

俺も俺なりに足掻いてきたし、内容は違っても足掻いたって意味では同じだ。

同じ人間が、同じように踏ん張って、その上で俺より上手くやった。

だったら、先に来るのは劣等感じゃなくて尊敬だ。

 

 

「ふーん。随分と仲がいいんだね」

 

 

まあな。

……ただ、お前とこの話を深掘りしたくない。

気になるなら、俺の記憶でも勝手に覗いて満足してろよ。

今さら隠す努力も面倒だ。

 

 

「ふむふむ……へー、そんなことがあったんだね」

 

 

……やっぱり見んなよ。

 

 

「照れてるの?」

 

 

照れてねえよ。

ていうか、お前が話を逸らすからこっちも逸れるんだろ、俺は本題を聞きたいんだよ。

アイシャが自立するとき、って言ったけど、本当にそれが理由なのか?

それだけで、カインが戻らないってのは流石に変だろ。

 

 

「依存も理由の一つではあるよ。だけど、それは本命を後押しする程度のものにすぎない」

 

 

じゃあ本命は何だ。

 

 

「オルステッドを撒けてないんだ。だから彼はオルステッドが、君たちに向かわないように“引き付ける役”を選んだ」

 

 

……クソッ。

結局そこに戻るのか。

目をつけられてるのはお前だろ。

なのに、なんでカインがお前の尻ぬぐいみたいなことをさせられてんだ。

 

 

「それはボクも悪いと思ってるよ。けど、昨日も言った通りオルステッドは“呪い”のせいで、ボクが直接干渉するのは難しいんだ」

 

 

呪い、ね便利な言い訳だな。

カインが全部引き受けてる事実は変わらないだろ。

 

 

「だからこそ、ボクはせめてもの埋め合わせとして、昨日から彼のことは何の打算もなしに色々と君に教えているだろう?」

 

 

なるほど。

それが理由で、いつもみたいな神気取りのもったいぶった言い方をしてないのか。

気味悪くはあるが……納得はした。

 

 

「納得したなら、次の話に進もうか」

 

 

ああ。

結局俺に何をしろって言うんだ。

 

 

「今の君にできることはカインの覚悟を無駄にせず、ちゃんと生かしてやることだ」

 

 

無駄ってのは、つまり……

 

 

「そう、君たちが彼を追ってくるかもしれないことさ。彼は君たちを逃がすために、自分だけが追われる役を選んだ。なのに、君たちが追ってきたら元も子もないだろう?」

 

 

それは分かってるが、俺はあの人たちに何て伝えればいいんだよ。

リーリャ以外は初対面なんだ、名前も知らない。

神に聞きました、って馬鹿正直に言えばいいのか?

 

 

「それをすると君は確実に変人扱いだし、警戒されるだけだから、その言い方だけは絶対にやめた方がいいと思うよ」

 

 

……急に真面目な声になるなよ、本気で言うわけないだろ。

俺だってそこまで空気が読めないわけじゃないし、カインの覚悟を無駄にさせたくはないって気持ちも本物だ。

ただ、何の関係値もない俺が全員を納得させるのって難しいだろ。

 

 

「安心しなよ。全員を説得する必要はないんだ。彼らは皆、自分たちが戦いに関してはカインの足手まといにしかならないって気づいているからね。だから誰も追おうとはしてないし、君が変に熱弁しなくても流れは大きくは変わらない」

 

 

いや、アイシャはどうなんだ?

昨日は、馬車の中で泣いたんだぞ?

最終的に落ち着きはしたけど、あの勢いなら飛び出してもおかしくないだろ。

 

 

「彼女も理屈ではわかってるよ。ただ、今は揺れているんだ。感情の方が先に走って、理屈が追いかける形になってるから、このまま放置していると追おうとする可能性が出てくるかもしれないね」

 

 

じゃあ、俺が説得するべきなのはアイシャ、ってことになるけど。

アイシャに嫌われたばっかなんだよな……

 

 

「それは君がエリスに抱き着くからじゃないか。彼の命が危ないかもしれない時に、君は膝枕して抱きついて、ニヤけてた。あれは嫌われても仕方ない」

 

 

あれは……生存本能みたいなもんだ。

死ぬかもしれないって思った反動なのか、体が“生きてる”って確かようとして勝手に動いたんだ。

俺も反省してる。

 

 

「言い訳に聞こえるけど、まぁいいよ、重要なのはそこじゃない。君がアイシャに嫌われていようといまいと、アイシャがカインを信じたがってることは変わらないからね。だから君がやるべきは“信じて待つ”という選択肢を彼女に取らせることだ。そうすれば少なくとも無理に追おうとはしなくなるはずさ」

 

 

……なんかお前、さっきから歯切れが悪くないか?

「可能性」とか、「少なくとも」とか、なんで言い切らないんだ?

未来が見えてるんだから俺が何を言えばいいかぐらい分かるだろ。

 

 

「んー……確かに見えるけど、それを言っちゃうと面白くないだろ? ボクは君の過程もちゃんと見たいんだよ……何を考えて、何を迷って、何を選んだのか、とかね。ボクは神様だからそれを全て見ることができる」

 

 

なんの打算もないんじゃなかったのか? 

協力する気があるならもっと具体的に教えろよ。

俺だって、言葉を間違えたら取り返しがつかないって分かってるし、カインが命張ってるのに、俺の失言で全部台無しとか笑えないんだよ。

 

 

「あれ? 君はボクの言いなりになりたくないんじゃなかったのかい?」

 

 

それは……いや、確かにそうだ。

いまのは忘れてくれ。

俺は俺の言葉でアイシャを説得する。

お前の言葉は必要ない。

……必要ないって言い切るのは、正直ちょっと強がりだけど、でも、少なくとも“お前の台本”を借りて喋るのは違う。

 

 

「そうかい。さて、君はアイシャを説得できるかどうか、見ものだね」

 

 

ハッ! 結局いつもみたいに神を気取った言い方するのかよ。

 

 

「そこはお約束ってやつさ。こほん、それではルーデウスよ。彼らがカインを追わないように説得を頑張りなさい……」

 

 

なさい……なさい……なさい……。

エコーを聞きながら、俺の意識は沈んでいった。

 

 

 

―――アイシャ視点―――

 

 

 

目を覚ました。

外はまだ少し暗くて、窓の向こうの空が夜と朝の間みたいな色をしている。

 

……眠れなかった。

眠れたはずの時間はあったのに、身体は横になっても頭だけがずっと起きていた。

 

どうしても不安が消えてくれない。

昨日泣いたからって、今日になって急に大丈夫になるわけがない。

 

部屋を見渡すと、お母さんはもう起きていた。

布団の中で丸くなったまま、私は小さく声を出した。

 

 

「おはよう、お母さん」

 

 

「……はい、おはようございます」

 

 

いつもなら、お母さんが私を起こす。

なのに今日は、起こしてこなかった。

起きるまで待ってくれていた。

たぶん昨日私が泣いてしまったせいで、余計な刺激をしないようにしてくれたんだと思う。

 

……迷惑かけてる、って思うのに謝る言葉が出てこない。

謝ったらまた泣きそうで、泣いたらもっと面倒を増やしそうで、そういう考えがぐるぐる回って、私は結局布団の端を指で握って黙ってしまった。

 

その時、部屋がノックされた。

お母さんがすぐに立って扉の方へ行く。

 

 

「おはようございます、リーリャさん」

 

 

ルーデウスさんの声だった。

聞こえた瞬間、私は反射で背筋が固くなる。

 

 

「おはようございます、ルーデウス様。お身体の具合はいかがでございますか」

 

 

「はい! 元気ピn……いや、何でもないです」

 

 

ルーデウスさんが変なところで止まって、誤魔化すように小さく咳払いをした。

 

 

「皆さんを呼んで、今後のことで少し話をしたいのですが……」

 

 

「承知いたしました。では、私が皆様をお呼びいたします」

 

 

お母さんがそう答えると、ルーデウスさんは「ありがとうございます」と軽く会釈だけして部屋を出ていった。

 

その時、ルーデウスさんと目が合いそうになって、私は慌てて顔を背けた。

見たくない、っていうより見たら何か言ってしまいそうだった。

昨日みたいな嫌な言い方を。

 

お母さんが扉を閉めて、私に振り返る。

そして、いつもの落ち着いた声で言った。

 

 

「そういうことですので、アイシャは身支度をしておいてください」

 

 

「……うん」

 

 

お母さんは「お二方を呼んでまいります」と言って、隣の部屋へ向かった。

部屋に残された私は、ゆっくり身なりを整え始めた。

顔を洗って、髪を結んで、服の皺を伸ばして着替える。

 

でも、あんまりやる気が出なかった。

鏡を見ても「整えたところで何になるの」って気持ちが先に立つ。

 

……たぶん、見せる相手がいないからだ。

ここに、お兄ちゃんがいたら私はもっとちゃんとする。

ちゃんとするっていうか、したくなる。

可愛いって思われたいし、褒められたいし、頭を撫でられたい。

そういうのが、私の“元気”のスイッチだったんだって、今さら気づく。

 

――今ここにお兄ちゃんはいない。

 

そう思った瞬間、胸の奥がまた熱くなって、目がじわっとして、私は慌てて瞬きをした。

泣きたくない。

泣いたら、昨日みたいに止まらなくなる。

止まらなくなると、また迷惑をかける。

もう、迷惑はかけたくない。

 

しばらくして、廊下が騒がしくなった。

扉の外に人が集まってる気配。

 

部屋を出ると、ノコパラがいた。

まだ麻袋を頭にかぶってる。

意味が分からない。

 

私はブレイズさんの袖を小さく引いた。

 

 

「ねえ、ブレイズさん。ノコパラはなんでずっとあれなの?」

 

 

ブレイズさんは、困ったように眉を寄せて肩をすくめた。

 

 

「分からん。昨日から聞いてはいるんだが、何も答えようとしない」

 

 

「そっか……」

 

 

私たちとルーデウスさんたちは、宿のすぐ近くにあった定食屋に入った。

朝の店内はまだ空いている。

 

席に座ると、私の隣の席にはお母さんとノコパラが座った。

ノコパラは相変わらず麻袋をかぶったままで、あれで本当にご飯を食べるつもりなのかなって思ったけど、聞く元気も出なかった。

 

だって、いつもなら隣にお兄ちゃんがいた。

「美味しいか?」って、こっちを見て聞いてくる。

私が頷いたら「よかった」って小さく笑う。

 

今日はその声がない。

空席じゃないのに、空いてるみたいに感じる。

 

私は箸を握って、ご飯を口に運んだ。

食べなきゃいけないって分かってるから。

でも味があんまり分からなくて、少し薄く感じる。

 

そのとき。

ふと視線を上げたらルーデウスさんと目が合った。

 

昨日の言い合いが一瞬で頭の中をよぎる。

私、嫌われたかな。

嫌われてなくても、面倒な子どもだって思われただろうなあ。

 

そう思ったのに、ルーデウスさんは怒った顔でも困った顔でもなくて、

なんだか妙に真面目な顔で、私の手元を見て言った。

 

 

「それは……箸ですか?」

 

 

私は、こくりと小さく頷いた。

 

転移して間もないころ。

お兄ちゃんが知らない形の道具でご飯を食べていて、私はそれをじっと見ていた。

そしたらお兄ちゃんが「使ってみるか?」って言って、私のためにこの箸を作ってくれた。

私がそれをすぐに使いこなして得意げになったら、お兄ちゃんは笑って頭を撫でてくれた。

 

あの時の手の温かさを思い出した瞬間、胸がきゅっとなる。

嬉しい思い出なのに、今思い出すと苦しい。

 

私は箸を握り直して視線を落とした。

何か話が続くのかと思ったけど、ルーデウスさんは顎に手を当てて、それきり黙ってしまった。

 

……なんだろう。

私に気を使ってるのかな。

それとも、どう声をかければいいか分からないのかな。

 

私はまた黙ってご飯を食べた。

 

朝食を食べ終える頃には、店の中も少しずつ人が増えていた。

ルーデウスさんが姿勢を正して、みんなを見回した。

 

 

「えーと……改めて自己紹介をしましょうか。昨日は、状況が状況で落ち着いて話せませんでしたから」

 

 

みんなの視線が自然とルーデウスさんに集まる。

私は椅子の上で聞く姿勢だけは保った。

 

 

「まずは僕から。ルーデウス・グレイラットと申します。カインとは……そうですね。お互いに初めての友達みたいなものです。少なくとも僕はそう思っています」

 

 

ルーデウスさんは、少しだけ照れくさそうに言った。

 

 

「ほら、エリスも」

 

 

「エリス・ボレアス・グレイラットよ!」

 

 

エリスさんはそれだけ言って、腕を組んだまま胸を張った。

すごく偉そうなのに、妙に似合ってる。

 

ルーデウスさんは苦笑しながら、今度はルイジェルドさんの方を見る。

 

 

「ルイジェルドさんも、お願いします」

 

 

「ん、承知した。俺はルイジェルド・スペルディアだ」

 

 

その言葉を言ったあと、ルイジェルドさんの視線が、すっとノコパラに向いた。

ノコパラは、麻袋の下で分かりやすく体を強張らせて、肩がびくっと跳ねた。

 

ルイジェルドさんがノコパラの目の前に向かう。

 

そして、あっという間に手が伸びて、麻袋が取られた。

ノコパラは反応すらできていなかった。

私の目にも、動きが追えないくらい早かった。

 

 

「あっ……!!」

 

 

ルーデウスさんが驚いた声を上げて、ノコパラを指差した。

指をさしたまま、口が半開きになっている。

 

ルイジェルドさんは、ノコパラを正面から見下ろした。

 

 

「なぜお前がここにいる?」

 

 

「いや、その、なんというかだな……」

 

 

言い淀んだあと、ノコパラは勢いよく頭を下げた。

机に額がつきそうな勢いだ。

 

 

「すまん!! まさかカインのダチがあんただとは知らなかったんだ!!」

 

 

意味が分からない。

ノコパラは、ルーデウスさんたちと知り合いなの?

でも、今の反応はただの知り合いって感じじゃなかった。

 

 

「ノコパラ、どういうことだ」

 

 

ブレイズさんが聞いた。

怒ってるというより、呆れてるというより、疲れてる声。

 

ノコパラは顔を上げて、視線をキョロキョロさせてから口を開いた。

 

魔大陸のリカリスの町で、私たちと会うちょっと前に、ルーデウスさんたちと会っていたこと。

そこで、ノコパラが難癖をつけて結果的にルーデウスさんたちを町から追い出してしまったこと。

 

 

「気づいたのは昨日だ……本当にすまん」

 

 

……そんなに近くにいたんだ。

 

あ、だからノコパラは顔を隠してたのか。

恥ずかしかったのか。

怒られるのが怖かったのか。

どっちにしても麻袋の理由が分かって、私は少しスッキリした。

 

ルイジェルドさんがノコパラをじっと見て、眉を寄せた。

 

 

「子どもはどうした?」

 

 

「子ども……?」

 

 

「はぁ……嘘か」

 

 

ルイジェルドさんが低く呟いた。

何の話?

私は分からなくて、ルーデウスさんを見る。

 

ルーデウスさんは、困ったように目を細めてでもちょっとだけ笑ってしまいそうな顔をして言った。

 

 

「父様から、カインの仲間は馬面だと聞かされていましたが……まさか、本当に馬だとは思いませんでしたよ……」

 

 

「誰よ? こいつ」

 

 

エリスさんが口をへの字にして言った。

 

 

「リカリスの町で、俺たちにちょっかいをかけてきた人ですよ」

 

 

その言葉で、エリスさんの目が細くなった。

まじまじとノコパラを見て、ハッと息を吸う。

 

 

「ッ……あの時の奴ね! あんた! 一発ぶん殴らせなさいよ!」

 

 

椅子ががたっと鳴って、エリスさんが立ち上がった。

それを見たルーデウスさんが慌てて腕を伸ばした。

 

 

「エリス! ハウス!」

 

 

「はぁ!? なによそれ!」

 

 

「とにかく座ってください!」

 

 

「なんでよ! こいつのせいでルーデウスは泣いてたじゃない!」

 

 

……泣いてた?

この人が泣いてたの?

昨日はあんなに落ち着いてたのに?

 

 

「そ、そういうことは言わないでいいんですよ!」

 

 

ルーデウスさんの顔が赤くなって、エリスさんの肩を押さえる。

 

 

「それに、あれは僕たちもルール違反をしてたんですし……おあいこです! おあいこ!」

 

 

「ふん! 分かったわよ!」

 

 

エリスさんが、まだ納得してない顔のまま、椅子にドスンと座った。

ノコパラは、殴られるのを想像したのか、顔を引きつらせている。

ルイジェルドさんは腕を組んで、怖い顔のまま黙って見ている。

ブレイズさんは頭を抱えそうな顔をして、お母さんは静かに目を伏せている。

 

……なにこれ。

 

状況はめちゃくちゃなのに。

このめちゃくちゃが、ちょっとだけ――可笑しかった。

可笑しいって思ってしまった瞬間、私の口から勝手に音が漏れた。

 

 

「ふっ……あははっ」

 

 

……しまった。

 

私はハッとして口を手でふさいだ。

でも、もう遅かった。

笑い声は出たあとで、出たものは戻らない。

 

みんなの視線がぱっと私に集まった。

視線が刺さって頬が熱くなる。

恥ずかしいのもあるけど、それ以上に“こんな時に笑った自分”が怖くて息が詰まった。

 

そのとき、お母さんがそっと私の頭に手を置いた。

指先が髪を撫でて、ゆっくり落ち着かせるみたいに梳いてくれる。

 

 

「大丈夫です……笑うことは決して悪いことではありませんよ」

 

 

「でも、お兄ちゃんが危ないかもしれないのに……私だけ笑っちゃったら……」

 

 

笑った瞬間、私の中の不安がほんの少しだけ緩んだ気がした。

緩んだのが、すごく嫌だった。

 

笑うことは、お兄ちゃんのことを本気で大事に思ってないみたいで、裏切りみたいで。

お兄ちゃんが危ないのに、私だけ楽になったら絶対にだめだって、勝手に思ってしまう。

 

 

私がそんな風に黙り込んだ瞬間、ルーデウスさんが少しだけ真面目な顔になって、はっきりとした声で言った。

 

 

「カインは僕たちを守るために危険を引き受けたんです。だから僕たちには、笑っていてくれた方が、きっとカインも嬉しいだろうなって、僕は思います」

 

 

「嬉しい」

その言葉が、耳の奥で反響した。

 

……そうなのかな。

 

私はすぐに頷けなかった。

なんでルーデウスさんは、そんなことが言えるんだろう。

なんで、お兄ちゃんが“嬉しい”って分かるんだろう。

お兄ちゃんのそばにいたのは私なのに。

私のほうが、お兄ちゃんのことをたくさん見てきたはずなのに。

 

その疑問が形になるより早く、ブレイズさんが私を見た。

 

 

「アイシャ……お前に一つ聞くが、カインのやつはお前が笑って不機嫌になった時があったか?」

 

 

その質問は、怒ってるわけでも、責めてるわけでもなかった。

ただ、当たり前のことを当たり前に確認しているようだった。

 

私は、頭の中で必死に探した。

私が笑ったときのお兄ちゃんの顔を必死に探した。

でも探し始めたら、勝手に思い出が溢れてきた。

 

お兄ちゃんの作ってくれたご飯が美味しくて笑った時。

寝る前にくだらない話をして、声を抑えながら笑った時。

旅の途中に疲れて足が痛かったけど、強がりで笑った時。

 

……不機嫌。

不機嫌になった顔。

 

たくさん探した。

本当にたくさん探した。

笑った時。

笑わせてもらった時。

笑い返した時。

 

何度も、何度も、頭の中をめくって、引っ張って、探した。

 

でも――

 

 

「……ない」

 

 

やっと出た声は、小さかった。

でも確かだった。

 

そう、無いんだ。

 

私が笑ってる時のお兄ちゃんの顔は、いつだって優しかった。

不機嫌になったことなんて、一度もなかった。

むしろ、お兄ちゃんは私が笑ってる時のほうが嬉しそうだった。

嬉しいって、口に出して言わなくても顔がそう言ってた。

目がそう言ってた。

肩の力が抜ける感じがそう言ってた。

 

それを思い出した瞬間、さっきまでの“笑うのは裏切り”って感覚が薄れた。

 

ブレイズさんは、私の答えを聞いてから短く頷いた。

 

 

「なら、笑ってもいい。無理して我慢する必要はないだろ」

 

 

「……うん」

 

 

私がそう答えたあと、場の空気は少しだけ落ち着き、みんなの視線が私から外れてようやく「これからどうするか」の話になった。

 

最初に決まったのは、ルーデウスさんたちの目的を優先して、まずフィットア領の難民キャンプまでエリスさんを送ることだった。

それを、ルーデウスさんたちと私たちのパーティーで一緒にやる。

今いる人たちで、しばらくは同行することになった。

 

エリスさんはフィットア領の領主様の孫娘で、いわゆる令嬢だと聞かされた。

言われた瞬間、私はエリスさんを見たけど正直そんな風には全然見えなかった。

さっきからずっと腕を組んでるし、言葉遣いも椅子の座り方も乱暴だったし。

貴族のお嬢様ってもっと、ふわふわして、ニコニコしてるイメージだった。

でも、そう言われたからそうなんだろうと思うことにした。

 

次に決まったのは、エリスさんと別れたあとの私たちの行き先だった。

私たちとルーデウスさんたちは、王竜王国のイーストポートに向かう。

そこにはお父さんたちが待っている予定で、そこで合流するという流れになった。

 

ノルン姉は、お父さんについて行くつもりだと言う話もでた。

ミリシオンから出る時には、ラトレイア家に置いていくって話だった。

でも、たぶんあの家にいるのが嫌だったんだと思う。

私も嫌だったから、理由は説明されなくても分かった。

あそこは息が詰まる。

言葉を選ばないと怒られるし、選んでも怒られるときは怒られるから。

 

ブレイズさんがお父さんたちと合流する話に補足をした。

自分たちがミリシオンを出てからの経ってる日数からすると、お父さんのところにエリナリーゼさんたちが合流していてもおかしくない、という話だった。

その流れでノコパラが、もし合流が済んでいるならイーストポートには魔大陸で助けた転移者たちが集まっている可能性もある、と付け足した。

 

そこから、話はもう少し先まで伸びた。

お父さんたちは、そのまま危険なベガリット大陸に向かうことになってる。

だから私とノルン姉はイーストポートでお父さんと別れて、誰かと一緒に転移者たちを連れてフィットア領まで護衛される側になるかもしれない、という話になった。

 

その「誰か」がお父さん側の誰かになるのか、今ここにいる誰かになるのかはまだ分からない。

転移者の人数や状態も、その時の状況も、お父さんの判断も、いろいろ分からないところがあって断定はできない。

でも、可能性としては高いという感じに話がまとまった。

 

その流れの中で、ルイジェルドさんが私たちの護衛をすると言い出した。

ルイジェルドさんは本来、エリスさんをフィットア領まで送るだけのはずだったらしい。

 

ルーデウスさんが、「ノルンとアイシャがいるからですか」と聞くと。

ルイジェルドさんは、「そうだ」と当然のように頷いた。

 

ただ、ルイジェルドさんは護衛が自分ひとりになるわけじゃないとも言った。

転移者はたくさんいるし、移動も長い。

自分には、全員をまとめて面倒を見るようなことはできない、と言い切った。

 

フィットア領までの護衛なら捜索団の人たちもいるから大丈夫じゃないか、という意見も出た。

でも、捜索団の人たちも元をたどれば転移者で構成された団体で、旅に慣れていない人も多い。

だから何人かは旅慣れた経験者が付いてくる必要がある、という話になった。

誰が付くか、何人付くか、そこまでは決まらなかった。

結局これも、イーストポートでお父さんたちと合流してから状況を見て決める、という結論になった。

 

そして……お兄ちゃん。

お兄ちゃんのことは、いったんお兄ちゃんに任せる。

その結論も静かに決まった。

 

理由は簡単で、分かりやすすぎた。

私たちが追いかけても、結局は足手まといになるから。

みんな分かってる。

私も分かってる。

分かってるのに、胸の奥が「でも」って言い続けていてうるさかった。

 

 

「カインを信じて、僕たちは僕たちでできることを、本気でやりましょう」

 

 

ルーデウスさんがそう言って私を見た。

 

 

「えーっと……アイシャもそれでいいですかね?」

 

 

なんで私にだけ確認を取るんだろう。

そう思いかけたけど、すぐに答えが出た。

 

昨日私が泣いたからだ。

取り乱して、感情のままに喋って、勝手なことを言ったから。

だから、ルーデウスさんは私が勝手な行動をするんじゃないかって、思ってる。

 

……そう思われても仕方ない。

だって私は、お兄ちゃんを信じきれてない。

信じたいのに、怖さが邪魔をして勝手に「もしも」を積み上げてしまう。

だから、本当に勝手な行動をするかもしれない。

 

でも、そんなことはしたくない。

お兄ちゃんの邪魔になりたくない。

お兄ちゃんが引き受けたことを、私のせいで無駄にしたくない。

 

だから、私は思い切って口を開いた。

ちゃんと聞いて、ちゃんと分かって、ちゃんと止まれるようになりたかった。

 

 

「ねえ……ルーデウスさんは、どうしてお兄ちゃんのことを信じきれるの?」

 

 

昨日からずっと気になってたことだ。

聞けば、私もできる気がした。

理由が分かれば、同じ形で信じられる気がした。

私は容量がいいから、真似できると思った。

 

すると、隣からエリスさんの声が飛んできた。

 

 

「私も、ルーデウスがそいつをそんなに信じてる理由が聞きたいわ」

 

 

話がそっちに飛ぶと思わなくて、私は一瞬だけ目を瞬いた。

 

 

「エリスもですか?」

 

 

「だって、ルーデウスったらいっつも変な顔するくせに、そいつの話をするときだけは、ちゃんとした顔になるじゃない」

 

 

ルーデウスさんの“いつもの顔”は分からない。

でも、確かに、お兄ちゃんの話をするときのルーデウスさんの顔はまっすぐだ。

ふざけた感じが消えて目がちゃんと前を見る。

私が今ほしいのは多分それだ。

 

 

「そんな変な顔してますかね……?」

 

 

ルーデウスさんが自分の頬を軽く触って、気にするように眉を寄せた。

 

 

「べ、別に嫌ってわけじゃないわよ……」

 

 

エリスさんが急に声を小さくして、視線を逸らした。

 

もしかして……

 

その瞬間、ルーデウスさんがエリスさんを見て、にやっとした。

……なんか、急に気持ち悪い顔になった。

でも、見たことある顔だった。

お兄ちゃんのことを思い出してニヤニヤしてる私の顔に似ていた。

 

 

「そういう顔……よッ!」

 

 

エリスさんも気持ち悪いと思ったのか、ルーデウスさんの頭を容赦なく叩いた。

乾いた音がして、ルーデウスさんが「痛い」と声を漏らす。

 

隣にいるお母さんが、ほんの少しだけムッとした顔をした。

 

 

「ニヤけてないで、早く教えなさいよ」

 

 

エリスさんはぷいっとそっぽを向いたまま、強い口調で言った。

照れ隠しだって分かるけど、勢いがすごい。

 

ルーデウスさんは頭をさすりながら、ため息をひとつついて。

それから視線が、エリスさんから私に移った。

 

その顔はやっぱり、まっすぐだった。

この人は、お兄ちゃんを信じてる。

それだけは、見ていて分かる。

 

だから私は、答えを待った。

真似できる形の答えが欲しかった。

 

 

「僕は、カインを信じきれてるわけじゃないんです……」

 

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