受肉転生 ~宿儺と一緒に本気出す~   作:てとらとりす

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かなり納得のいく形でカインが転生してきた理由を考えついてしまった。
この小説を最後まで書ききったら出します。
これで、またこの二次小説を最後まで書く理由が増えました。

あと、無職転生世界に一週間と言う概念はないのを思い出しました。
ですので、前話を一部修正しました。
バグラーの所で使っただけなのですっかり忘れてました。


七十七話

 

「アホ王子!」

 

 

「ニセルーデウス!」

 

 

声が正面から激突した。

 

最悪だよ。

 

向こうも俺とまったく同じ反応をしていた。

目をひん剥いて、顔を引きつらせて、まるで道端で踏みたくもないものを素足で踏んだみたいな顔をしている。

いや、俺も似たような顔をしてる自覚はある。

あるけど、鏡みたいに同じ反応を返されると、余計に腹が立つなこれ。

 

アホ王子、もとい……えーっと、なんだっけ。

たしかリーリャさんから聞いた話だと名前は……なんだったかな。

名前………名前は…………………ああ、そうだ、パックスだ。

パックス・シーローン。

 

こいつの名前がどうでもいい情報すぎて、頭のゴミ箱に突っ込んでいた。

いや、名前だけ見ればそうでもないはずなんだけど、あまりにも「アホ王子」の印象が強すぎて、個人名のほうが記憶から押し出されていた。

やっぱり第一印象って大事なんだな。

少なくともこいつは、王子としてより、アホとして先に認識されている。

 

しかし、なんでこいつがここにいるんだ……

いや、待て。

冷静に考えれば別におかしくはないのか。

 

この離宮は、王竜王国の属国の王子や王女が留学という名目として押し込められている場所だ。

留学なんて綺麗な名前はついているが、実態としてはほとんど人質だろう。

となれば、国にとって「最重要戦力」とか「絶対に失いたくない有能株」みたいなのを送るわけがない。

むしろ、いてもいなくても困り具合が比較的マシで、しかも放っておくと面倒を起こしそうな奴が優先的に送り込まれるに決まっている。

 

おお、そう考えるとものすごく妥当な人選だ。

 

パックスは、短い脚では威厳を出しきれないまま、それでも全力で王族の圧を出そうとしているような顔で怒鳴った。

 

 

「なぜ貴様がここにいる、ニセルーデウス!」

 

 

「なんだよ、ニセルーデウスって……俺をルーデウスと勘違いしたのはお前だろ」

 

 

「き、貴様ァ! 余に向かってその口の利き方はなんだ!」

 

 

口調がお気に召さなかったか。

じゃあ、合わせてやろう。

俺は一度だけ咳払いをして、それから姿勢をほんの少しだけ正した。

どうせ第一印象はもう大惨事なんだから、せめて別方向に振り切ったほうがマシだ。

 

 

「これは失礼いたしました、パックス殿下。先ほどの無礼、平にご容赦くださいませ。まさかこのような高貴なるお方が、かつてのあの場におられた第七王子殿下その人であらせられるとは露ほども思い至らず、つい驚きのあまり粗相を……」

 

 

「おちょくっているのか、貴様ァ!」

 

 

うん。

いまのはおちょくったな、俺。

かなりおちょくった自覚はある。

 

けど、しょうがないだろ。

礼を尽くせと言うから尽くしたんだ。

問題があるとすれば、俺の礼儀の中に棘が混じっていたことくらいで、形式そのものはだいぶ美しかったはずだ。

 

パックスの顔がみるみる赤くなる。

熟れたトマトみたいだな、と一瞬思ってしまったのは、たぶんさっきまでランドルフさんとケチャップの話をしていたせいだ。

 

そんな俺たちの間に挟まれる形で、ランドルフさんが本当に静かに瞬きをした。

この人、たぶん今までの流れを全部見ていたのに、まるで「鍋が吹いた」くらいのテンションでしか反応しない。

さすが死神。

いや、関係あるかは知らないけど。

 

 

「おや、お知り合いでしたか」

 

 

「「違う!!」」

 

 

声がまた重なった。

今度はさっきより息ぴったりだった。

最悪だ。

まるで仲がいいみたいじゃないか。

 

向こうも同じことを思ったんだろう、返事の直後に顔をしかめ、俺も俺で眉間にしわが寄った。

そのまま、ほぼ反射で睨み合う。

さっきまでの礼儀なんて、もうどこにも残っていなかった。

 

パックスが先に睨みを切って、ランドルフさんのほうへぶつけるように口を開いた。

 

 

「ランドルフ! 条件が違うではないか!」

 

 

「いえいえ、条件にはぴったりですよ」

 

 

「どこがだ! どこをどう見ればそうなるのだ! 余が求めたのは、賢くて、教えるのが上手くて、熱心に話を聞いてくれて、絶対に見捨てなくて、見た目がよくて、小さい子だぞ!」

 

 

その条件。

言いながら自分でも何か変だと思わなかったのか。

いや、思わなかったんだろうな。

全部を本気で条件として並べてしまうあたりが、こいつがアホ王子だということを補強してくれる。

 

 

「ですから、全て揃っております」

 

 

「どこがだと言っておる!」

 

 

「まず、賢い。これは問題ありません。学校の入試試験を満点で合格するくらいには賢いそうです」

 

 

「うむ……?」

 

 

ランドルフさんは、こちらをちらりと見てから、穏やかな声で続けた。

 

 

「次に、教えるのが上手い。これも問題ありません。私に料理を教えてくださる際、とても分かりやすかったですし、相手の理解に合わせて言葉を選ぶのも上手でした」

 

 

パックスはまだ不満そうだったが、さっきほどの勢いはない。

 

 

「そして、熱心に話を聞いてくれる。これも問題ありません。以前、私の話をまっすぐ聞いてくださったことがありましてねえ」

 

 

いや、あるけども……

あの時のことを、こんな場所で条件の一つに数えられるとは思わなかった。

なんか妙にこそばゆい。

 

 

「絶対に見捨てない、という条件も大丈夫です」

 

 

ランドルフさんはまったく間を乱さず、にこやかに言った。

 

 

「契約書がありますので、七日間は絶対に見捨てませんよ」

 

 

「…………………………」

 

 

いや、言い方。

言い方に問題があるだろ。

たしかに事実だ。

契約書はある。

報酬も決まっている。

一週間は、少なくとも俺の一存で「やっぱやーめた」とはしづらい。

だから“絶対に見捨てない”に嘘はない。

ないんだが、そこをそんな法的拘束力みたいなノリで説明するな。

人の情じゃなく契約で担保された不離脱。

それはもう、家庭教師というより人質に近い。

 

 

「容姿もそれなりに整っていますし」

 

 

「は?」

 

 

思わず出た。

さっきも出たが、今度は前よりちょっと低い声で出た。

やめろって。

そういうのは本人の前でわざわざ言うことじゃないだろ。

しかも“それなり”って何だよ。

褒めるなら褒めるで中途半端だし、逃がすなら逃がすでもっとぼかしてくれ。

 

だが、死神は止まらなかった。

むしろ、今の「は?」を、単なる確認の相槌くらいにしか受け取っていないような自然さで続ける。

 

 

「殿下より小柄ですので、小さい子という条件も達成していますので、殿下のおっしゃっていた条件にぴったりではありませんか」

 

 

「違うわ! 余が言いたかったのは『小さい子』ではない! 『小さい女』だ!」

 

 

声を張り上げた勢いで、最後の方がちょっと裏返っていた。

そのせいで威厳が増すどころか、余計に必死さだけが浮き彫りになっている。

というか、修正したことで余計にダメになってるじゃないか。

最初はまだ「妙な条件の家庭教師」で済んでいたのに、今ので完全に趣味の方向が明言されたぞ。

 

だがこればかりは、俺に責める資格はない。

そんなことを思ってしまった自分が嫌だった。

いや、ほんとに嫌なんだが事実としてそうだろう。

俺だって、そういうものを完全に他人事として否定できる立場ではない。

 

……いや、これはいい。

今はそれどころじゃない。

ただでさえ目の前には、アホ王子がいて、死神がイかれた家庭教師の条件を真顔で整理していて、俺はその王子の家庭教師として契約してしまっているんだから、これ以上内面までややこしくしてどうする。

 

 

「とにかく、この契約は破棄だ! 破棄! 余は認めぬぞ! こんな、こんなニセルーデウスに教えを請うなど、あまりに屈辱ではないか!」

 

 

よく言った。

いいぞ、アホ王子。

今日この場で初めて、お前と意見が一致した。

その勢いのまま全部ひっくり返してくれ。

俺は心の底からそれに乗る準備がある。

というか、口にも出た。

 

 

「そうだそうだ!」

 

 

思った以上に元気よく出た。

出てから、しまったと思ったが、でも思ってることは本当にそれだったから仕方ない。

こんな出会いで一週間も一緒とか、正気の沙汰じゃない。

向こうは向こうで嫌だろうし、こっちはこっちで嫌だ。

そこに利害の一致があるなら、今すぐ握手して解消してほしいくらいだ。

まあ、握手はしたくないが。

 

だが、そんな俺たちの必死の合意形成を前にしても、ランドルフさんはやっぱりランドルフさんだった。

困ったように眉を下げるでもなく、慌てるでもなく、ただ少しだけ肩をすくめる。

 

 

「と、言われましてもねぇ」

 

 

その声には、ほんのりと申し訳なさそうな色が乗っていた。

だが、それは“断るのが心苦しい”というより“もう手遅れ”と伝える時の色に近かった。

 

嫌な予感が、背骨のあたりをゆっくり這い上がる。

なんだその言い方。

なんだその、すでに話が別の段階へ進んでいるみたいな反応は。

 

 

「何だその歯切れの悪さは! 余は破棄せよと言っておるのだぞ!」

 

 

「私も破棄に賛成です!」

 

 

「貴様は賛成するでない!」

 

 

「理不尽だな!?」

 

 

反射で突っ込んだ。

パックスはますます顔を赤くして俺を睨みつける。

だが、その睨みの向こう側で、廊下のほうから重たい足音が近づいてきた。

 

そして、その足音に負けないくらい遠慮のない声が、そのまま部屋の入口から飛び込んできた。

 

 

「おう、ランドルフ。陛下に話は通しておいたぜ。神子を囲えるなら全然いいってよ!」

 

 

扉口に現れたのは、シャガールだった。

 

その手には、一枚の紙があった。

丸めてもいない。

折ってもいない。

いかにも「今さっきもらってきました」みたいな、出来立てほやほやっぽい紙だ。

 

シャガールはそれを、ランドルフさんへ差し出した。

ランドルフさんは「ありがとうございます」と、先ほどと変わらない気軽さでそれを受け取る。

ぱらりと確認したあと、こちらへ向けて紙を広げた。

 

俺とパックスは、同時にその紙へ顔を寄せた。

別に仲良く見ようとしたわけじゃない。

ただ、内容を一秒でも早く確認したかっただけだ。

 

紙には、きっちりとした文体でこう書かれていた。

 

――カイン・アルネスに対し、今後七日間パックス・シーローンに随伴し勉学を教えることを許可する。

――その期間、城内での通行および滞在に便宜を図る。

――待遇は国の客人に準ずる。

――必要に応じ、離宮または城内施設の利用を認める。

 

みたいなことが、もっと格式ばった文章で、逃げ道なくきっちり書かれていた。

 

要するに。

国公認になっていた。

俺の、アホ王子家庭教師生活が。

 

 

「「は?」」

 

 

また揃った。もう嫌だ。

今日は何回こいつと声を揃えるんだ。

 

こっちは個人契約のつもりだったんだぞ。

めんどくさい私的依頼を、財布事情に負けて一週間だけ受けたつもりだったんだぞ。

それが、いつの間にか国の許可証付きになってるって、話が飛びすぎてるだろ。

 

 

「個人の依頼では、どうしても限界がありますからねえ。いくら契約書があっても、城の中で継続的に会わせる理由としては弱いですし、兵や文官にいちいち説明するのも面倒です。ですので、一応の保険として、王国側にも話を通しておいたんですよ」

 

 

一応の保険。

その響きだけなら穏やかだ。

だが実際にやっていることは、個人依頼を国の後ろ盾つきへ格上げして、逃げ道を国総で塞ぐという、だいぶ力技の保険である。

 

 

「国公認だと!? 余の勉学に、なぜ王竜王国がそこまで首を突っ込むのだ!」

 

 

そこへ、シャガールが鼻で笑いながら肩をすくめた。

 

 

「国が突っ込んでんのはあんたじゃねぇよ。状況はよく分かってねえが、あんたのおかげで神子であるカインが城に通う、もしくは住み着く理由付けができるなら、王国としては十分うまい。とどのつまり、お前はついでってわけだ」

 

 

さらっと言いやがった。

しかも「お前程度」って。

その言い方はひどい。

いや、正直な評価としては……まあ、分からなくもないんだけど。

それを本人の前で、そのテンションで言うなよ。

 

ここでパックスは「ついでとは何だ!」みたいに怒ると俺は思った。

王子だし。

プライド高そうだし。

実際、さっきまでの流れからしても、自分が踏み台扱いされたことに一番反応しそうな雰囲気はあった。

 

だが、パックスが引っかかったのは、そこじゃなかった。

 

 

「……だれが、神子だと?」

 

 

怒鳴るでもなく、むしろ妙に低く、喉の奥でひっかけるように出た声だった。

代わりに浮かんだのは、もっとこう、古傷をいきなり指で押された時みたいな、露骨な拒絶と警戒だった。

 

てっきり、ついで扱いの方に反応すると思ったんだが。

そっちに反応するのか。

 

俺がそう思った瞬間、ランドルフさんとシャガールが、なんとも言えない間でこっちを見た。

その視線の意味に気づくまで少し遅れて、パックスもぎぎっ、と油の切れた人形みたいにゆっくり俺の方を向いた。

 

視線が合った。

 

なんだその目。

驚いてるし、苛立ってるし、あと露骨に「またか」という色が混ざっている。

“神子”という単語で嫌そうな顔になるのには、なにか理由があるんだろう。

 

 

「……貴様、神子なのか」

 

 

「はい」

 

 

パックスはそんな俺の返事を聞いて、嫌そうに顔を歪めた。

それから、天井でも睨むように視線を上へやって、絞り出すみたいに言った。

 

 

「余は……余は、なぜこうも神子にばかり人生をめちゃくちゃにされねばならんのだ……!」

 

 

なんだそれ。

“神子にばかり”ってどういうことだ。

複数形?

神子被害が累積してるのか?

こいつの人生、そんなに神子率高いのか?

 

 

「神子……もしや、ご兄弟のザノバ殿下のことですか」

 

 

ランドルフさんが、さっきと変わらない温度でそんな名前を出した瞬間。

俺の思考がピタリと止まった。

 

 

「え? ザノバって神子なの?」

 

 

思ったことが、そのまま口から出た。

いや、出るだろ普通。

だって俺の中のザノバは、人形好きで、ルーデウスの作ったロキシー人形に目を輝かせてる人だぞ。

 

ランドルフさんは、俺の驚きを見て少しだけ目を丸くしてから、いつもの調子で頷いた。

 

 

「ええ。なんでも、すごく怪力なのだとか」

 

 

「ええ……」

 

 

 

思わず、そんな気の抜けた声が漏れた。

 

怪力。

あの、ひょろっとしてるザノバが?

いや、正確にはひょろっとというより、細身で背が高くて、王族らしい上品さが先に立つ体型ではあった。

少なくとも「怪力」みたいな説得力は全然なかった。

腕だって太い印象はなかったし、立ち振る舞いも、怪力自慢の武人というより、趣味に人生の八割ぐらい持ってかれてる人のそれだった。

そんな人が怪力。

そんなこと一言も言われなかったけど……

いや、まあ自分から言いそうな人でもなかったか。

自分の怪力がどうとか、神子がどうとか、そういうのをわざわざ自慢げに語るような人じゃなかったのは、たしかにそうだ。

 

 

「……ザノバは、今どこにいるんだ?」

 

 

「兄上も余と同じだ。ラノア魔法大学とやらへ“留学”に行った……留学などと綺麗に言っておるが、要は追い出されたのだ」

 

 

「ラノア魔法大学……」

 

 

聞いたことはある。

魔術師の間ではかなり有名な学校だとか何とか。

まあ、俺はそういう学術方面の知り合いが多いわけじゃないし、詳しいわけでもない。

ただ、名前だけは知っているぐらいの認識だ。

 

 

「せっかく兄上から離れられたと思ったところで、また別の神子に会い、余の人生を壊しにくるとはな」

 

 

そこで一度、パックスは唇を噛んだ。

それから、怒りというより、もう少し質の悪い諦めを含んだ声で続ける。

 

 

「余はいつもそうだ。少し良いことがあれば、釣り合いを取るように悪いことが起きる」

 

 

……ちょっと。

いや、だいぶわかる。

 

そう思った瞬間、自分で自分に軽く引いた。

何同調してんだ俺。

 

だが、そこだけ切り取れば分かるのだ。

ようやく一区切りついたと思った瞬間に、別の最悪が降ってくる感じとか。

ひとつの理不尽を越えたと思ったら、その先で次の理不尽が順番待ちしてる感じとか。

そういう、人生の中にある“なんで今なんだよ”というタイミングの悪さには、正直かなり覚えがある。

だから、その部分だけなら共感できてしまう。

 

ただし、だからって全面的にパックスの味方をする気にはならない。

そこは別だ。

共感できる感情と、そいつがやってきたことの是非は、まるで別の勘定である。

そこを間違えちゃいけない。

 

 

「何があったんだよ」

 

 

気づけばそう聞いていた。

どうせ教えてくれはしないだろうがな、とは思った。

それでもまあ、ゼロよりはマシかくらいの気持ちで投げた問いだった。

 

だが。

 

 

「ふん……あれは、まだ余がシーローン王国にいた頃、兄上が“師匠を見つけた”と妙に嬉しそうに言ってきたところから始まった……」

 

 

パックスが、本当に話し始めた時は、思わずまばたきした。

 

……あれ、言うんだ。

 

意外だった。

でもまあ、あれか。

話を聞いてもらいたい願望でもあるんだろう。

面倒くさいし、性格もかなりアレだが、そのぶん誰かに自分の話を受け止めてほしい欲は普通に強そうだし。

“熱心に話を聞いてくれて、絶対に見捨てない”なんて条件を教師に足した所からそれがうかがえる。

 

パックスはそこで一度息を吐いてから、ぽつぽつと話し始めた。

いや、話すというより、吐き出すみたいな感じだった。

 

まずは、なんとザノバがシーローン王国でルーデウスを見つけていたらしい。

 

……あの人、本当に見つけてくれていたのか。

まあ、ルーデウスにもらった誕生日プレゼントを渡したのだ、ちゃんと結果を出してもらわないと困る。

 

というか「妙に嬉しそうに」か……

それは、俺との約束を果たせたからではなく、ロキシー人形の作者を見つけたからなのだろうな。

 

で、話を聞く限り、パックスはその“待望のルーデウス”を餌にして、ロキシーさんをおびき出そうとしていたらしい。

 

なるほど。

ルーデウスに固執してた理由はそれか。

筋としては分かる。

ロキシーさんはシーローン王国で家庭教師をしていた。

その時にパックスに目をつけられたのだろう。

ロキシーさん、さぞかし苦労しただろうな。

だってこいつ、見るからにワガママだし、実際そうだし。

 

つまり、リーリャさんを餌にルーデウスを釣り。

ルーデウスを餌にロキシーさんを釣ろうとしていたわけか。

ひどい話だ。

 

まあ、リーリャさんには俺が引っかかったわけだが。

いや、引っかかったっていうのも変だな。

あの時はあの時で、俺には俺の事情と選択があった。

けど結果として、リーリャさんという餌は、パックスの予定していた形では使えなくなった。

 

だからこそ、ザノバがルーデウスを連れてきたことを、パックスは新しい好機だと捉え、隙を見てルーデウスを罠にはめたのだという。

 

うん。

凄い前向きな奴だな。

いや、前向きと言っても褒め言葉じゃない。

どうしてそこまで自分勝手に物事を考えられるんだ?

 

ただ、その計画もザノバに邪魔された。

いや、聞いた感じめちゃくちゃにされた、と言った方が正しいのかもしれない。

パックスの語り方には当然脚色があるだろうが、それを差し引いても、ザノバがそこで強く関与したのは確かなんだろう。

しかも、それだけじゃ終わらず、ルーデウスの仲間たちによって自分の持っていた兵士まで寝返ってしまったらしい。

 

そのへんまで聞いたところで、だいたいの流れは見えた。

 

ようするに、パックスの計画は頓挫した。

頓挫したどころか、周囲を巻き込みまくったせいで責任問題になった。

そして、その責任を取らされる形で、パックスもザノバもシーローンから追い出され、留学という名目で外へ出された。

 

――というのが、ざっくりした顛末らしい。

 

う~ん。

パックスはザノバのせいだ、みたいな言い方をしていたが、パックスが悪いのだろう。

下手すると大半がこいつのせいだ。

 

リーリャさんから聞いた話だと、兵士の家族を奴隷商の伝手で監禁して脅し、言うことを聞かせていたらしいし。

その時点でアウトだろ。

兵士が寝返った、みたいな言い方をパックスはしたけど、実際にはルーデウスがわざと捕まって時間を稼ぎ、その間に仲間へ兵士たちの家族を助けに行かせた。

みたいな感じだったのかもしれない。

つまり寝返ったんじゃなくて、脅しから解放されたから元に戻ったってだけだ。

それを“裏切り”と言うのは、流石に被害者面が過ぎる。

 

同情の余地なしだな。

 

で、そこでようやく、俺はひと息ついた。

ついたんだが。

 

 

「……あれ?」

 

 

気づくと、さっきまでそこにいたはずのランドルフさんも、シャガールも、いつの間にかいなくなっていた。

そのばには、なんとも言えない気まずさだけが残っている。

 

まあ、国の主要人物たちだしな。

ランドルフさんは王国お抱えの暗殺者兼料理人兼死神とかいう訳の分からない肩書きの人だし、シャガールはシャガールで大将軍だ。

俺みたいに、迷宮潜って、王城に呼ばれて、気づいたら家庭教師やらされてる暇人とはわけが違う。

あの二人からすれば、「あとは当人同士でやってください」と去るのが一番効率的なんだろう。

 

……が。

 

 

「二人きりか……」

 

 

ぽつりと漏らすと、向かいにいたパックスがぴくっと肩を震わせた。

こっちは独り言のつもりだったんだが、静かすぎて普通に聞こえたらしい。

 

 

「き、貴様……何をぶつぶつ言っておる」

 

 

「別に。現実逃避だよ」

 

 

「開き直るでない!」

 

 

すかさず怒鳴ってくるあたり、元気だけはある。

けど、その怒鳴りにも、さっきまでみたいな勢いはなかった。

多分、喋りすぎたんだろう。

 

さて、パックスに教師をするという仕事をどうするか……

契約書はある。

国の許可証まで出た。

一週間、こいつに勉学を教える。

条件だけ見れば、それだけの話だ。

 

けど、ここで「じゃあ最初の授業です、読み書きからやりましょうね」みたいな顔をするのも違う気がした。

違うというか、無理だろ。

 

さっきまで、互いに「アホ王子!」「ニセルーデウス!」って怒鳴り合ってたんだぞ。

そこから急に師弟ムードへ移行できるほど、俺は器用じゃない。

パックスだって同じ気持ちだろう。

 

とはいえ、完全に放り投げるのもなんか違う。

報酬をもらう以上は仕事だし、逃げ道を探すのももう遅い。

 

……まあいい。

どうせ一週間だ。

一生見るわけじゃない。

七日。一週間。

寝て起きてを七回だ。

そう考えれば、案外どうにでもなる

 

 

「よし」

 

 

俺がそう言うと、パックスが露骨に身構えた。

 

 

「何が“よし”なのだ!」

 

 

「授業を始めるぞ」

 

 

「始めぬ! 余はまだ認めておらぬぞ! だいたい貴様などに何を教わることがあるというのだ!」

 

 

「いっぱいあるだろ。まずは性格だ!」

 

 

「なんだとぉ!」

 

 

食いつきがいいなこの王子。

 

俺は部屋の中を見回した。

机はある。

椅子もある。

紙も筆記具も、流石に王族の部屋だけあって最低限どころか十分すぎるくらい揃っていた。

だったら、やることは決まっている。

 

俺は部屋の隅に置かれていた細長い机を、勝手知ったる他人の部屋みたいな顔でぐいと引き寄せた。

磨かれた木の脚が床を擦って、耳障りな音を立てる。

その音に、パックスが露骨に顔をしかめた。

気にするな。

今からもっと嫌な音をたくさん聞くことになるんだから、こんなの前座だ。

 

 

「ほら、座れ」

 

 

「余に命令するな!」

 

 

「じゃあお願いしようか、パックス様どうかお慈悲をもってこの哀れな教師の前にお座りいただけませんでしょうか」

 

 

「おちょくっておるだろう!」

 

 

「じゃあ普通に言う。座れ」

 

 

「どのみち命令ではないか!」

 

 

「国公認の教師だからな」

 

 

俺が紙をひらりと持ち上げて見せると、パックスの喉の奥で「ぐっ」と潰れたような音がした。

やっぱ効くな、これ。

人は権威に弱い。

そして王族は、自分が普段振りかざしているものと同じ種類の権威で殴られると、余計に弱いらしい。

 

俺はそのまま机の上へ許可証をぺたりと置いた。

ちょうどパックスからよく見える位置だ。

嫌でも視界に入る。

逃げようとするたび、「国公認」と主張してくる。

 

パックスは、露骨に顔をしかめながら、その紙を睨んだ。

睨んだところで、文字は消えないがな。

 

 

「……卑怯だぞ」

 

 

「便利な言葉だよな、その言葉を言うとこっちが悪いことしてるみたいになるじゃん」

 

 

「実際、貴様は悪いことをしておる!」

 

 

「してるかもしれないけど、今は授業の方が先だ」

 

 

俺が椅子を引くと、脚が床を擦る小さな音が部屋に響いた。

俺は自分の分の椅子にも座った。

 

 

「ほら、さっさと来い」

 

 

「余は断る」

 

 

「じゃあ俺がそっちに行くぞ」

 

 

「……っ、来るな!」

 

 

「だったら自分で机に来い」

 

 

「き、貴様……!」

 

 

「どっちがいい。俺がそっちに行くか、お前がこっちに来るか」

 

 

「最悪の二択を出すでない!」

 

 

「国・公・認」

 

 

「ぐぬ……!」

 

 

パックスはしばらく本気で嫌そうな顔をしていたが、やがて、ものすごく不本意そうに、椅子ごと机の方へ寄ってきた。

座り方もふてくされきっている。

腕を組み、顎を少し上げ、脚を投げ出し気味にして、いかにも「余は屈してなどおらぬ」と態度で主張している。

でも、座った時点で半分屈してるんだよな。

人間、行動が一番正直だ。

 

 

「さて」

 

 

「さて、ではない」

 

 

「最初に確認する。お前は何を学びたい」

 

 

「……は?」

 

 

パックスが間抜けな声を出した。

出したあと、自分でそれが間抜けだと気づいたらしく、すぐに顔を引き締めたが、遅い。

いま確かに、ぽかんとした。

いちいち授業を止めないで欲しい。

 

 

「何を学びたいかって聞いたんだよ。読み書きか、数字か、政治か、歴史か、礼法か、魔術か、交渉術か、何でもいい。お前が一番欲しいものは何だ」

 

 

そう言った瞬間。

パックスの顔が、分かりやすいくらいに止まった。

 

いや、ほんとに。

ぴたり、と止まった。

怒鳴るでもなく、皮肉を返すでもなく、思考ごと置いていかれたような顔でこちらを見てくる。

 

 

「……なんだ、その聞き方は」

 

 

「聞いた通りだよ。お前が学びたいことは何だって聞いてる」

 

 

「余が、学びたいこと……?」

 

 

「そう」

 

 

「……前の家庭教師は、そのようなことは聞かなかったぞ」

 

 

「……」

 

 

「教師とは、教える内容を決めて押しつけるものだろう。今日はこれをやれ、明日はあれを覚えろ、これは王族に必要だ、あれは身につけねばならぬ、そうやって勝手に決めて、勝手に進めるものではないのか」

 

 

その言い方は、文句ではあった。

文句ではあったが、同時に確認でもあった。

本当にそれで合っているのか。

教師ってのはそういうものじゃないのか。

お前の聞き方の方がおかしいんじゃないのか。

そういう、半ば自分に言い聞かせるような響きがあった。

 

 

「余が何をしたいかなど、誰も聞かん。聞いたところで、どうせ最後は“殿下には不要です”で終わる」

 

 

そうか。

まあ、そうなるよな。

 

王族の教育なんて、本人の興味や適性より、まず役割ありきだ。

王子として恥をかかないために必要な知識。

王族として利用価値を落とさないための作法。

将来、駒として動かす時に扱いやすくするための教養。

そういうものを、順番に、あるいは無理やりに詰め込まれる。

“お前は何をしたい”なんて問いは、そこでは贅沢どころか、邪魔なノイズ扱いされるんだろう。

 

だからとってそれで上手くいくとは限らない。

いや、むしろそれだけじゃ駄目なんだろうな、と目の前のパックスを見ていて思う。

 

 

「お前にも、やりたいことがあるんだろ?」

 

 

俺がそう言うと、パックスの眉がぴくりと動いた。

反発する前に、少しだけ言葉の意味を測っている顔だ。

 

 

「教師ってのは、それを奪うものじゃない。見つけて、鍛えて、いつか自分で掴み取れるところまで連れていくものだ」

 

 

口にしながら、ちょっとだけ照れくさかった。

 

 

「押しつけるだけなら、そりゃあ覚えることは覚えるかもしれない。でも、それで自分の足で立てるようになるかって言われたら、別の話だろ」

 

 

パックスは黙った。

睨んではいる。

睨んではいるんだが、さっきまでの明らかな嫌悪の目ではなかった。

 

やがて、パックスはゆっくりと顎を上げた。

王族ぶった偉そうな仕草だ。

 

 

「……ならば、教えてみろ」

 

 

「だから何を?」

 

 

「全部だ」

 

 

「できんの?」

 

 

「何だと?」

 

 

「いや、見栄張って無理するなよ。人間何事にも限界はある。全部なんて雑な言い方した時点で、だいたい何も決まってないのと同じだぞ」

 

 

「うるさいわ! 貴様は教師なのであろう? ならば、早く教えろ!」

 

 

「雑すぎる注文出したのはお前だろうが」

 

 

「余は王子だぞ!」

 

 

「だから何だよ、王子なら“全部”が一夜で頭に入るのか?」

 

 

「そういう屁理屈を申しておるのではない!」

 

 

「こっちだってそういう無茶振りに付き合ってるんじゃない」

 

 

机を挟んで言い合っているうちに、パックスの頬が少しずつ赤くなる。

怒ってるが、逃げる気配はない。

そこはいい。

嫌なら立ち上がって終わりだ。

でもこいつは座ったまま怒鳴っている。

つまり、授業そのものを完全には捨てていない。

 

 

「優先順位だよ。お前が今、一番欲しいものは何かって聞いてる」

 

 

「……それを、余に言わせるのか」

 

 

「そりゃあな、じゃないと教えようがない」

 

 

「教師なら察しろ」

 

 

「分かった……察した結果、性格矯正から入ることにした。かなり長期戦になるから覚悟しろよ」

 

 

「貴様ァ!」

 

 

机を叩かんばかりの勢いで怒鳴るパックスを見ながら、俺はもう半分くらい呆れていた。

いや、怒るのは分かる。

分かるけど、本当に反応が素直すぎるんだよな。

そういうところは、生徒としてなら助かる。

分かりやすいのはいいことだからな。

まあ、王子としては致命的だと思うが。

 

 

「まあいいや」

 

 

「何が“まあいい”のだ」

 

 

「全部教える」

 

 

「……なに?」

 

 

「お前が“全部欲しい”って言うなら、全部教える方向でやる。読み書きも、数字も、政治も、交渉も、礼法も、必要なら魔術もだ。ついでに性格矯正も、おまけでちょっと入る」

 

 

「おまけの範囲を超えておるわ!」

 

 

「でも、いいのか?」

 

 

そこでわざと区切ってやると、パックスがぴたりと止まった。

今の“いいのか”は、別に脅しじゃない。

ただの確認だ。

こいつが勢いで「全部」なんて言ったのなら、今のうちに引き返させるべきだし、本気で言ったのなら、それ相応に付き合う必要がある。

 

 

「全部ってのは、口で言うのは簡単だけど、やるのは面倒だぞ。分からないことを分からないと認めるとこから始まるし、嫌いなものにも手を突っ込むことになるし、出来ない自分を何回も見る羽目にもなる。それでもやるのかって話だ」

 

 

パックスは黙った。

怒鳴り返してくるかと思ったが、そうはしなかった。

机の上の本を見る。

俺を見る。

また本を見る。

ちゃんと考えてるんだな、と思った。

勢いだけで押し切る人間に見えて、案外そこから先の重さも分かってはいるらしい。

だからこそ、すぐに答えが出ないのだろう。

 

俺は、そんな沈黙を急かさずに、そのまま言葉を継いだ。

 

 

「まあいい。そうやって学んでいくうちに、自分が本当に欲しいものに気づくかもだしな」

 

 

「……欲しいものに、気づく?」

 

 

「そう。最初は“全部”って思ってても、やってるうちに見えてくることがあるだろ。自分が本気で欲しかったのはこれか、とか。逆に、こんなに欲しいと思ってたのに実はそうでもなかったとかな」

 

 

俺だってそうだった。

強くなりたい。

負けたくない。

守りたい。

勝ちたい。

宿儺に認められたい。

理不尽に潰されたくない。

安心したい。

失いたくない。

そういうのがぐちゃぐちゃに混ざっていて、どれが一番で、どれが根っこで、どれが飾りなのか、自分でも分からなくなる時は普通にある。

というか、今がその状態だ。

 

 

「最初から全部をきれいに言葉にできるやつなんて、そうそういない。俺だってそうだ。欲しいものが多すぎて、どれが本命か分からなくなることなんて普通にある。だから、とりあえず手をつけて、やってみて、それで取捨選択するもんだろ」

 

 

やがて、パックスは机の上の紙から目を離して、俺を見た。

その視線には、まだ疑いも警戒も残っている。

けど、それと同じくらい、試すような色もあった。

 

 

「……本当に、全部やるつもりか」

 

 

「一週間の範囲で出来るだけな」

 

 

「逃げぬだろうな?」

 

 

「お前こそな」

 

 

少し遅れて、パックスの口元がほんの少しだけ動いた。

笑った……とまでは言えない。

けど、さっきまでの「見下してやる」という感じでも「怒鳴ってやる」でもない、別の何かだった。

たぶん、今のやり取りは、ようやく喧嘩じゃなく会話になっていたんだと思う。

 

空気がほんの少しだけ緩んだ。

さっきまでみたいな、刺せば刺し返すだけの応酬とは違う。

今のは、ようやく同じ机の上で交わした言葉だった。

それが分かったから、俺もその空気を壊さないように、次の話へ進めた。

 

それから先は、思っていたより、まともな授業になった。

 

もちろん、最初から全部滑らかに進んだわけじゃない。

パックスはパックスで、問題を投げればまず眉をひそめるし、こちらが一つ問いを返すたびに、なんで余がそんなことまで言葉にせねばならんのだという顔を隠しもしない。

考える前にむっとして、考え始めると今度は変に黙り込んで、答えが形になりかけた頃には、さも最初から分かっていたような顔をしようとする。

 

だが、厄介なのは性格であって、頭の方はそうではなかった。

そこは正直に驚いた。

もっとこう、王族特有の変なプライドで中身が空っぽか、あるいは自分に都合のいい理屈しか通らないか、そのどちらか寄りだと思っていたのだ。

ところが実際に問いを置いてみると、こいつは嫌々ながらもちゃんと拾う。

しかも、一度拾ってしまえば、ただ表面をなぞるだけで終わらず、思った以上に奥まで考える。

反発心がでかいせいで、一見素直に進んでいるようには見えないが、頭の中ではきっちり手を動かしているのが分かる。

問いに対して、どう返せば自分が一番有利かをまず考える癖がある分、答えの出し方そのものに工夫があるのだ。

 

それはそれで、教師をやる側からすると面白かった。

分からないことをそのまま受け取る素直さとは別種の伸び方だ。

まず抵抗する。

自分の立場を守ろうとする。

勝手に土俵を変えようとする。

そのうえで、こっちが逃がさずに問いを置き直すと、しぶしぶ本筋へ戻ってくる。

戻ってきた時には、最初に投げた時より少し深いところまで考えている。

だから、やり取りそのものはやたら面倒くさいのに、結果だけ見ればちゃんと前へ進んでいるという、なんとも言えない授業になった。

 

そして、それが分かると、こっちも少しやる気が出る。

手応えがある相手に教えるのは、やっぱり楽しい。

楽しいと言うと語弊があるかもしれないが、少なくとも、ただの苦行ではなくなる。

こちらが投げたものに対して、相手が一度引っかかり、考え込み、うまく言葉にできず苛立ち、それでももう一度頭の中で組み直して、今度は少しだけマシな答えを持ってくる。

 

その流れが目の前で見えると、実感が湧いてくる。

しかも、その変化の一部に自分の手がかかっている感覚まであるとなると、なおさらだ。

自分のおかげで、と言うと少し傲慢かもしれない。

でも実際、今ここでパックスの思考が一歩進んだことに、俺が関わっていないわけではない。

そういう達成感は、素直に悪くなかった。

 

まあ、反抗心がでかいのはやはり難点だが。

 

こっちが「その考え方は悪くない」と認めれば、素直に受け取る代わりに、わざと鼻を鳴らして「当然だ」と格好をつける。

逆に、少しでも穴を指摘すると、椅子の上で身を乗り出して反発してくる。

そして、その反発の勢いのまま頭まで動いてしまうから、結果として前より少し先へ進んでいる。

なんだその厄介な構造は。

 

本当に面倒くさい。

その点アイシャは……っと、危ない危ない。

頭の中でそこまで出かかったところで、俺は自分で軽くブレーキを踏んだ。

それは駄目だ。

生徒と生徒を比べるなんて、教師として一番やっちゃいけないことだ。

比較するのは便利ではある。

だが、一度それを始めると、目の前の相手をちゃんと見なくなる。

アイシャにはアイシャの良さがあるし、パックスにはパックスの良さがある。

同じ“教える”でも、相手が違えば伸び方も、引っかかる場所も、褒め方も、全部変わる。

 

別の人間なんだから。

別々に見なければな。

今ここにいるのは、他の誰でもないパックスだ。

 

意識を切り替えるために俺は、意識してパックスだけを見ることにした。

手始めに、パックスの良いところを考えてみた。

良いところ、そうだな……素直に褒めれば、隠しはしているが満足そうにするところか。

 

これはかなり分かりやすかった。

口では別に何も言わない。

むしろ「褒めるな」とでも言いそうな顔をする。

でも、ちゃんと「悪くない」と顔に出る。

本人は隠しているつもりなんだろうが、隠しきれていない。

その半端さが、子どもっぽくて、悪くないなと思った。

 

それと、話していて一つ、意外な共通点があった。

話のきっかけは、たしか魔術理論をしている時だった。

こいつは、最初こそ「魔術など余はそこまで重視しておらぬ」と気取ったことを言っていたくせに、基礎の組み立て方や詠唱短縮の話へ触れると、妙に語気が強くなった。

つまり、関心がないわけじゃない。

むしろある。

 

そこで少し掘ってみたら、わりとあっさりそれを話した。

まあ、あっさりと言っても、言い方は妙にふてくされていたし。

最初は話を逸らそうとしていたんだが、結局は口に出た。

 

以前、パックスは家庭教師に向かって、頑張って覚えた魔術を披露したことがあるらしい。

その時のこいつは、珍しく本気で期待に応えようとしていたらしい。

手順を頭に叩き込んで、失敗してもやり直して、ようやく形にしてその家庭教師に魔術を見せた。

 

で、その結果返ってきたのが何だったかと言えば、言葉ではなく、ため息だったそうだ。

しかも、本人曰く『やっとこの程度か』と言わんばかりのため息だったらしい。

実際にそう言われたわけではないのだろうが。

その時のパックスが感じたのはそれなのだ。

 

ひどいな。

いや、本当に。

教師としてどうなんだとか、王子相手にそれはどうなんだとか、そういう一般論の前に、単純にやられた側の嫌さが分かってしまった。

期待に応えようとして、ようやく形にして、たぶん少し緊張しながら見せたものに対して、返ってくるのがため息。

 

最悪の気分だったろう。

 

ため息には、相手の失望が見える。

お前じゃ足りなかったというのが、声より先に空気で伝わる。

そして、言葉にされない分だけ余計な想像まで勝手に膨らむ。

俺もあれは嫌いだ。

 

思い出したくもないのに、そこで前世の両親の顔が浮かんだ。

テストの点でも、進路でも、日常の小さなことでもそうだった。

こっちはこっちで、期待に応えようとはしていたのだ。

ちゃんとやろうとしていたし、怒られないように、がっかりされないように、少しでも求められた形へ近づこうとはしていた。

でも、その通りの結果が出せなかった時に返ってきたのは、だいたい静かな失望だった。

大きな声で責められるならまだ分かりやすい。

けど、ため息一つで「強い失望」が伝わると、もうどうしようもなくなる。

今の俺じゃ駄目なんだな、と自分から勝手に決めてしまう。

 

だから、まあ……そこに関してだけは、パックスにちょっと同情した。

 

ちょっとだけだが。

 

同情はするが、こいつがリーリャさんを監禁していたという事実は何も変わらない。

それとこれとは別だ。

嫌な育ち方をしたことと、だから他人を脅していいことにはならない。

そこを混ぜたら駄目だ。

俺はそこの線引きだけは、ちゃんと自分の中に引いておいた。

 

そんなことを考えながらも、授業を進めていると。

気づけば、窓の外の明るさがだいぶ薄れていた。

最初は昼の白っぽい光だったのに、それが途中で柔らかな橙へ変わり、今ではその最後の色もほとんど床の端に沈んでいる。

 

俺はそこで本を置いた。

これ以上続けても、集中の質が落ちる。

今の状態のパックスはやろうと思えばまだやるだろうし、なんなら意地で続けようとするかもしれないが、そこを無理に引っ張るのは違う。

一日目は、一日目として気持ちよく終わらせた方がいい。

 

 

「今日はここまでだ」

 

 

少しだけ間を置いてから、パックスは、いかにも仕方なくという顔で口を開いた。

 

 

「……まあ、悪くなかった。褒めてつかわす」

 

 

悪くなかった。

こいつなりには、だいぶ譲歩した表現なんだろう。

本当はもう少し何か言いたいくせに、それをそのまま出すのが癪だから、一番小さく言える褒め方へ落としている。

分かりやすいなあ。

 

 

「そりゃどーも」

 

 

俺がそう返すと、パックスはふんと鼻を鳴らした。

でも、そのふん、にはさっきまでの棘がない。

ただ体裁を整えるための、パックスらしい最後っ屁みたいなものだった。

 

 

「明日も来るのであろうな」

 

 

「許可証と契約書がある限りはな」

 

 

「そういう無粋な言い方をするでない!」

 

 

「じゃあ何て言えばいいんだよ」

 

 

「……余を途中で見限らぬのであろうな、と、そういうことだ」

 

 

少しだけ、言い直した。

素直じゃない。

でも、今のはちゃんと本音だった。

だから俺も、変に茶化さなかった。

 

 

「一週間は逃げないよ。お前が逃げなきゃな」

 

 

「ふん。ならば、貴様が泣きを入れるまで付き合ってやろう」

 

 

なんだその上から目線。

でも、まあいいか。

今のこいつなりの「また来い」だろう。

 

 

「はいはい」

 

 

俺は軽く手を振って部屋を出た。

 

俺には城の一室が貸し与えられている。

神子を囲うだの何だの、王国側の都合が透けて見える待遇だが、使えるものは使う。

ここで意地を張るほど俺の懐も体力も余裕があるわけじゃない。

 

部屋へ戻り、椅子に腰を下ろしたところで、どっと疲れが来た。

精神的なやつだ。

体より先に、頭の芯が重い。

パックス相手に半日、机を挟んでやり合っていれば、そりゃそうなる。

 

今日はさすがに寝るか。

 

最近は、寝ること自体を避けていた。

理由はもちろん寝ればヒトガミに会うかもしれないからだ。

眠気なんて、アレをすれば最悪飛ばせるし。

アレをやるには、かなりの勇気がいるが、ヒトガミに会わなくて済むのなら安い勇気だ。

 

だが、眠気は無くせても、心と体の疲れまでは無くせない。

そこは別だ。

今日はさすがに疲れた。

パックスのせいで、というと半分正しくて半分違う。

疲れたけど、嫌なだけの疲れじゃなかった。

それが余計に、身体の奥の方へ溜まっていた。

 

俺はベッドへ倒れ込むみたいに横になった。

柔らかい。

城の部屋らしく、寝具の質は妙に良い。

その良さが、今はありがたかった。

目を閉じた瞬間、もう駄目だった。

意識の縁が、あっという間に曖昧になる。

 

泥のように眠った。

 

 

―――

 

 

 

俺は立っていた。

 

ついさっきまで、たしかにベッドへ沈み込んだはずだった。

柔らかい寝具の感触も、背中へじわっと広がった重さも、まだ身体のどこかに残っている気がするのに、目を開けた瞬間にはもう、足の裏に硬い何かの感触があった。

寝起きにしてはあまりにも切り替わりが早すぎて、逆に現実味がない。

いや、現実味がないからこそ、すぐに分かった。

またか、と。

 

どうせいつものようにヒトガミに呼ばれて、どこまで行っても白しかない空間へ放り込まれたんだろうと思った。

境目がなくて、距離感が狂って、前世の嫌な感覚ばかり鮮明になる、あの気味の悪い場所だ。

そう身構えながら周囲を見た――のだが。

 

 

「あ……」

 

 

本来、ヒトガミのいる空間では出ないはずの声が漏れた。

 

そこは、白い空間ではなかった。

 

暗い。

いや、ただ暗いんじゃない。

黒の中に、鈍い赤と、乾きかけた血みたいな茶と、どこか湿った内臓の裏側みたいな色が混じり、空気そのものが生き物の腹の中みたいに重たかった。

 

でかい骨の中に、包まれるようにして俺は立っていた。

 

天井、というより頭上を覆うのは、何本もの巨大な骨だ。

肋骨みたいに弧を描いた白い柱が、何重にも何重にも組み合わさって、檻のようだった。

 

あの白い空間のように、前世の姿ではなかった。

ちゃんと子供の、カイン・アルネスの姿だった。

 

だったら、ここは――

 

そこまで思ったところで、背中側から声が落ちてきた。

 

 

「久しいなあ。小僧」

 

 

その一言だけで、心臓がどくんと大きく跳ねた。

 

圧倒的な圧を孕んだ声だった。

ただ大きいとか、怖いとか、そういう次元じゃない。

空気が重くなる。

オルステッドがあの刀を抜いた時の圧とは、まるで違う。

あれは刃がこちらへ向く予感の圧だった。

生き物として、今この瞬間に殺されうる、そういう切実な危機の圧だ。

 

今背後から聞こえた声は、もっと根本的だった。

上と下。

捕食する側とされる側。

生まれつき決まっている序列を、理屈じゃなく本能で思い出させられるような――そんな圧だった。

 

動悸が早くなった。

自分でも分かるくらい、胸の内側がうるさい。

呼吸を整えようとしても、一拍ごとに喉がひっかかる。

それでも、振り返らないという選択肢は最初からなかった。

 

俺は、ゆっくりと後ろを向いた。

 

積み上げられた骨の山。

いや、山というより、王座だ。

頭蓋骨や脊椎や肋骨の残骸が、まるで最初からそういう形を取るために折られ、削られ、積み上げられてきたみたいに組まれている。

 

その頂点。

圧の主は、やはりそこにいた。

 

骨の玉座に頬杖をつき。

足を組み。

退屈そうに俺を見下ろしていた。

 

 

「ふん……」

 

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