受肉転生 ~宿儺と一緒に本気出す~   作:てとらとりす

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本日二話目の投稿です。


八十一話

 

今日で家庭教師の仕事は終わる。

 

たった一週間。

長かった気もするし、逆にもう終わりかとも思う。

最初は契約書に縛られた面倒ごとでしかなかった。

だが、いざ終わりが見えてくると、教える側としてはやっぱり少しだけ感慨が出るらしい。

いや、相手がパックスだから、感動的という感じでは全然ないんだけど。

 

その日の午前も、いつも通り座学から始まった。

 

パックスは椅子へふんぞり返るでもなく、珍しく机へ肘をつかず、ちゃんと机を向いて座っていた。

それだけで、最初の頃よりはだいぶ変わったんだと思う。

変わったんだが、顔だけ見れば相変わらず偉そうだ。

本当に、見た目の印象だけは一貫してるな。

 

教える内容も、今日で一通りは終わる。

明日からは俺がここへ来なくても、今よりは少しマシに考えられるようになっているはずだ。

 

成長したなと素直に思った。

 

だからなのかもしれない。

授業の区切りがついて、紙を片付けながら、俺はふと気になっていたことを口にした。

 

 

「なあ、パックス」

 

 

「何だ。最後の授業だからといって、余へ感謝の言葉でも述べるつもりか?」

 

 

「なんで生徒側がそんなに上からなんだよ」

 

 

「余は常に上だ」

 

 

「はいはい」

 

 

適当に流してから、少しだけ真面目に声を落とした。

 

 

「お前が勉強する理由ってなんだ?」

 

 

聞いた瞬間、パックスは一度だけ目を瞬いた。

予想外の問いだったらしい。

今さら何を聞くのだこいつは、って顔でもある。

けど、考え込むほどでもなかったんだろう。

次の瞬間には、はっきりと言い切った。

 

 

「王になるためだ」

 

 

迷いがなかった。

 

王。

 

この一週間で、こいつは何度もその言葉を口にしていた。

最初はいつもの見栄かと思った。

王族なんだから、そりゃ口だけなら誰でも言う。

そういう類の虚勢だと、どこかで勝手に決めつけていたのかもしれない。

 

でも、今の返事は違った。

見栄とか、格好つけとか、そういう薄っぺらさがなかった。

いや、そういう部分もあるんだろうけど。

 

 

「……本気で言ってるのか?」

 

 

俺がそう聞くと、パックスは眉をひそめた。

 

 

「当たり前であろう」

 

 

その返しに、迷いはなかった。

 

 

「王になれば、今の現状も全部ひっくり返せる。余を見下しておる連中の顔も変わる。扱いも変わる。何より、ちやほやされるであろう?」

 

 

最後の一言で台無しだな。

らしいとも言うか。

 

というか、ちやほやされるのは王だからというより、王になれるだけの人格とか、器とか、そういうものを持った人間だからじゃないのか。

少なくとも、ただ玉座に座っただけで、自然に人が頭を下げてくるわけじゃない。

肩書きに頭を下げることはあっても、心から従うとは限らない。

 

……なんてことを言っても、今のパックスにはあまり響かない気がした。

いや、むしろ変な方向へ拗れそうだな。

だからそこは飲み込んだ。

 

それよりも、俺は別のことが気になっていた。

 

 

「なんでだ?」

 

 

「何がだ」

 

 

「お前は、なんでそんなに前向きになれるんだ。自分が第七王子だって分かってるだろ。王になれる可能性が高いとは、お世辞にも言えない立場じゃないか」

 

 

「……」

 

 

「離宮に押し込められてる時点で、周りからの扱いも察せる。なのに、お前は平気で“王になる”と口にする。何でそんなふうに言い切れるんだ」

 

そこでパックスは、ほんの一瞬だけ黙った。

 

怒るかと思った。

また「無礼だ」と吠えるかとも思った。

 

でも、そうはならなかった。

 

代わりに、ゆっくりと口の端が吊り上がった。

笑顔というには歪で、不機嫌というには熱っぽい顔だった。

 

 

「……だからだ」

 

 

「ん?」

 

 

「ムカつくからだ」

 

 

あまりにも端的すぎて、一瞬意味が分からなかった。

 

 

「王になれぬと、最初から勝手に決めつけてくる奴らがな。余を見もしないくせに、出来んと評価して、勝手に線を引いて、勝手に“ここまでの男”だと決めてくる。ああいう連中を見ておると――ムカつくのだ」

 

 

そう言うパックスの目は、やけにはっきりしていた。

 

 

「生まれた時からそうだ。あれは駄目だ、あれは劣っている、あれは器が足りぬ。好き勝手に並べ立ておって……」

 

 

その言葉には、子供っぽい熱があった。

だが同時に、その子供っぽさをごまかさない生々しさもあった。

 

俺は少しだけ言葉を失ってから、率直に返した。

 

 

「ムカつくからってだけで、そんなに前向きになれるのか?」

 

 

俺がそう聞くと、パックスは鼻で笑った。

 

 

「なれる」

 

 

「なんで……」

 

 

「なんでだと? ふん……想像してみろ」

 

 

パックスは、もう俺を見ていなかった。

視線は、もっとずっと遠くへ向いていた。

この部屋でもない、どこか別の場所を見ている目だった。

 

 

「王に即位する日」

 

 

声が変わる。

さっきまでの拗ねた王子の声じゃない。

自分の頭の中にある絵を、そのまま言葉へ落とし込んでいる時の声だ。

 

 

「広い大広間に、貴族どもがずらりと並ぶ。赤い絨毯が玉座まで伸び、壁には金の装飾がぎらぎらと光っておる。天井は高く、声が少しでも響けば、何倍にもなって返ってくる」

 

 

語りながら、パックスの目は明るくなっていく。

 

 

「形式通りの儀式だ。息苦しいほど格式ばった空気。誰もが澄ました顔で立ち、儀礼通りの言葉が並び、楽師どもが大仰に音を鳴らす」

 

 

語りながら、パックスの指先が机を叩く。

一つ、一つ、場面を刻むように。

 

 

「だが――誰も歓声を上げるべき瞬間を掴めぬ」

 

 

そこで、パックスはにやりと笑った。

 

 

「何故なら、誰も期待しておらんかったからだ……誰も“パックス・シーローンが王になる”などとは思っていない。誰の期待も背負っておらず、誰の理想像にも当てはまらず、幼い頃から『無理だ』と言われ続け、王になる筋書きの最初から最後まで、どこにも名前のなかった余が――」

 

 

そこで、パックスは自分の胸へ手を当てた。

 

 

「堂々と、玉座に座る」

 

 

その声に引っ張られるように、俺の頭の中にも景色が浮かび始める。

 

重々しい大広間。

磨かれた床。

息を潜めた貴族たち。

決まりきった流れで進む儀式の、決して予定されていなかった結末。

 

その中央を、短い足で、それでも胸を張って歩いていくパックス。

 

馬鹿げている。

現実味があるとは言い難い。

なのに、不思議なくらい光景として浮かんだ。

こいつの今の話しぶりには、そこへ自分を押し込むだけの熱があった。

 

パックスはさらに言葉を続けた。

 

 

「そうなった時の、余を見下してきた連中の顔を想像すると――」

 

 

そこで、パックスはにたりと笑った。

 

 

「よだれが止まらん」

 

 

「よだれって……」

 

 

思わず言いかけて、俺は止まった。

 

 

「うわっ、ほんとに出てるし……!」

 

 

本当に口の端が濡れていた。

 

本気だ。

 

パックスは本気でその光景にうっとりしてる。

いや、うっとりというか、恍惚というか、もっと邪悪寄りの満足感というか。

とにかくすごい顔をしている。

夢に向かう少年の顔みたいな綺麗な感じでは絶対にない。

けれど、その分迫力があった。

 

王になる、か……

 

確かに王になりさえすれば、大抵の問題はひっくり返せるのかもしれない。

今の立場も、周囲の視線も、出来損ないという評価も、全部まとめて踏み潰せる立場ではあるだろう。

 

……だが、王になるまでの労力はどうする。

時間はどうする。

人を動かし、敵を退け、味方を集め、積み重ねていく年月は?

普通に考えたら、あまりにも遠い。

その間に折れる可能性は。

現実的な道筋は。

 

……と、そこまで考えた瞬間。

俺は自分で自分に呆れた。

 

 

「はっ……ははっ……」

 

 

笑いが漏れた。

 

乾いた笑いだった。

別に楽しいわけじゃない。

だが、あまりにも自分の思考がいつも通りすぎて。

あまりにも馬鹿らしすぎて笑うしかなかった。

 

パックスが、露骨に気味悪そうな顔をした。

 

 

「何だ急に。気でも触れたか」

 

 

「いや……違うんだ……」

 

 

笑いながら、俺は額へ手を当てた。

 

バカか俺は。

 

何が労力だ。

何が時間だ。

 

そんなことを真っ先に数えてしまうから、いつまで経っても前に進めないんだろうが。

 

出来るかどうか。

現実的かどうか。

遠いか近いか。

そうやって、最初に損得勘定みたいなものを置くから、結局どこにも踏み出せない。

前世でもそうだった。

リスクだの、恥だの、失敗だの……

そういう“後のこと”ばかり先に考えて、本当に欲しいものへ手を伸ばさずに終わる。

それを繰り返して失敗してきたくせに、何を今さら賢げな顔で“王になるには時間がかかる”と言っているんだ。

 

目の前にいるこの王子は違う。

 

無理だと言われ続けても、可能性が薄くても。

それでも“王になる”を先に置いている。

そこへ必要な苦労の量なんて、たぶん後回しだ。

後からどうにかするつもりなんだろう。

ムカつくから。

見返したいから。

ちやほやされたいから。

理由は俗っぽいし、格好良いとは言い難い。

でも、前へ進むには十分すぎるほどの熱がある。

 

 

「王になればいい、か……」

 

 

気づけば、そう口に出していた。

 

パックスが怪訝そうに首を傾げる。

 

 

「何だ、余の思想へようやく感銘を受けたか」

 

 

「思想っていうか……いや、そうか。そうだな。そうだよな」

 

 

「……何を一人で納得しておるのだ」

 

 

「他人に自分をこうだと決めつけられるのは、ムカつくよな……」

 

 

パックスが警戒半分、嫌悪半分の顔でこっちを見る。

そりゃそうだ。

急に笑い出したと思ったら、今度はぶつぶつ独り言を言い始める。

普通に薄気味悪い。

 

でも今は、そんな視線もあまり気にならなかった。

 

王になればいい。

王になりさえすれば全部解決する。

 

そう口にしているパックスの姿は、滑稽だ。

偉そうで、幼くて、短絡的で、穴だらけだ。

でも、向いている先だけは真っ直ぐだった。

 

“王になれば全部ひっくり返せる”

 

そこに至るまでがどれだけ無茶かとか、どれだけ遠いかとか、そんなものは後回しだ。

まず、そこを目指す。

そこへ座る。

そう決めている。

 

それでいいんじゃないか。

 

いや、むしろ最初はそれしかないんじゃないか。

 

俺も同じだ。

 

ヒトガミがオルステッドを差し向けてくるかもしれない。

それが怖い。

それがあるから、アイシャたちのところへ戻れない。

戻った瞬間、皆を巻き込むかもしれない。

 

だったら――俺がオルステッドより強くなればいい。

 

それでこの現状は全部解決する。

 

ヒトガミは、あからさまにオルステッドを嫌っていた。

なら、俺がオルステッドを倒そうとすること自体は、少なくとも真っ向からは否定はしない。

むしろ、俺かオルステッドのどっちかが死ねばそれでいいくらいには思ってるだろう。

オルステッドが死ねば万々歳。

俺の方が負けて死んでも、それはそれで好都合。

邪魔な駒が一つ減るならいい。

それくらいの雑さで見ているだろう。

 

なら、分かりやすい。

 

俺がオルステッドよりも強くなって、堂々と皆のところへ戻ればいい。

ヒトガミにオルステッドを差し向けられても、オルステッドより強いから勝てばいい。

それで終わり。

全部解決。

 

 

「……簡単なことだったじゃないか」

 

 

気づけばそう口にしていた。

 

もちろん、簡単なことじゃない。

そんなことは分かってる。

オルステッドより強くなるなんて、言葉にするだけなら一瞬でもとんでもなく遠い道のりだ。

たぶん今の俺から見たら、崖どころか空の向こう……天にいる圧倒的な強者。

 

でも。

 

遠いことと、向かう先が定まらないことは、まったくの別だ。

 

今までの俺は、たぶんそこを混同していた。

無理そうだから曖昧にする。

難しそうだから先延ばしにする。

現実的じゃないから、もっと手近なことへ逃がす。

そうやって、答えの輪郭をわざとぼかしていた。

 

けど、そうじゃない。

 

遠くてもいい。

馬鹿みたいでもいい。

まずは、そこだと決めることの方が先なんだ。

 

 

「強くなるには、どうすればいい……」

 

 

その問いを、今度は逃げずに自分へ向ける。

 

宿儺は言っていた。

芯さえあれば限界はない、と。

 

なら芯を作る。

 

オルステッドよりも強くなることを目標に置く。

そこへ至る過程で、俺自身の芯を作る。

 

――そこまで考えた時、今まで自分がどこで空回りしていたのかも少し見えた気がした。

 

たぶん、そのためには術式を鍛える方向じゃ駄目なんだろう。

 

あれは俺の力じゃない。

借り物の力だった。

 

転移してから俺だって、一応ずっと目標を持って動いてきた。

生き延びるとか、アイシャを守るとか、転移者を助けるとか、その時その時でちゃんと理由はあった。

 

けど、芯は出来るどころか、見えもしなかった。

それはなぜか。

 

術式で――借り物の力で、道を進んでいたからなのかもしれない。

 

もちろん、術式そのものが悪いわけじゃない。

そんなことは絶対にない。

宿儺の力がなければ死んでいた場面はいくらでもあるし、それを否定する気は一つもない。

あの力は確かに俺を助けてくれたし、俺の中へ刻まれているものでもある。

 

けど、それだけじゃ駄目なんだ。

 

借り物の力でどう勝つか。

借り物の力でどう切り抜けるか。

借り物の力でどう届くか。

 

それだけで進んでいる限り、俺はきっと“自分の部分”が育たない。

 

必要なのは、俺自身の積み上げだ。

 

自分の身体で。

自分の技で。

自分の意志で。

一歩ずつ積み上げていくもの。

 

借り物を否定するんじゃない。

捨てるわけでもない。

その上へ、ちゃんと“俺の力”を作る。

 

たぶん、そこからなんだ。

 

 

「俺の力か……」

 

 

思わず、視線が自分の手へ落ちる。

 

宿儺からもらった術式じゃない。

宿儺に借りてる呪力の量でもない。

宿儺に教えてもらった呪術の知識でもない。

 

じゃあ、何だ。

 

拳……は違う。

体術も嫌いじゃないが、俺の中で主軸とは言いにくい。

 

魔術も違う。

便利ではあるが、俺の核ではない。

 

じゃあ――

 

 

「……剣、か」

 

 

ぽつりと零れたその言葉は、思ったよりしっくり来た。

 

『剣だ!』

 

そう胸を張って断言できるかと言われると、そこまでじゃない。

正直消去法っぽい部分もある。

術式を除いて、自分の身体と技術で積み上げたものを考えると剣だった。

そういう、あまりにも格好つかない答え方だ。

 

それでも剣は、俺自身の力と言っていいはずだ。

 

師匠に教わって、振って、直して、また振って。

宿儺に言葉を噛み砕かれて、師匠の感覚を何とか身体へ落として。

負けて、悔しくて、また振って。

あれは少なくとも、俺の時間だ。

俺が振ってきた回数があり、俺の身体に残った癖があり、俺が自分で積み上げてきたものだ。

 

だったら、そこから伸ばすべきなのかもしれない。

 

……けど、どうやって?

 

オルステッドより強くなるなんて話になれば、今の延長線をだらだら歩いているだけじゃ絶対に届かない。

もっと先がいる。

だったら、その“もっと先”を知ってる奴のところへ行くべきだ。

 

剣術の仙人みたいな人とかいないだろうか。

この世界なら、普通にいそうではある。

爺さんが、木の棒一本で山を斬るとかそういうの。

 

そんな、いかにも雑な発想が頭をよぎった瞬間だった。

 

大きな音をたて、遠慮なく扉が開いた。

 

 

「おい、坊主! 一週間たったぞ、王竜王国に仕える気になったか!」

 

 

入ってきたのはシャガールだった。

 

この一週間、こいつは何度も何度も俺を勧誘しに来ていた。

神子だの何だのと都合よく持ち上げては「うちに来い」「王竜王国に仕えろ」「どうせやることもねぇだろ」と雑に口説いてくる。

だが、こいつはパックスを雑に扱う。

露骨に見下しているわけじゃないが、“便利なら使うし、駄目なら切る”みたいな視線が端々にある。

それがちょっと気に入らなくて、この一週間まともに相手をしてこなかった。

 

だが、今はちょうどいい。

 

いや、もちろんシャガールに剣を習うつもりはない。

たぶん強いんだろう。

この国で高い位置にいる人だし、ランドルフさんと気安く会話している時点で弱いわけがない。

でも、オルステッドに勝てるほどかと言われると、絶対に違う。

……まあ、世界二位の化け物に勝てるような剣士なんてそうそういるとも思えないけど。

 

それでも“どこへ行けば剣術を学べるか”を聞く相手としては悪くない。

 

俺は椅子から立ち上がって、軽く頭を下げた。

 

 

「今のところは、仕えるつもりはありませんけど、一つ聞いてもいいですか」

 

 

「お?」

 

 

シャガールは、そこで少しだけ目を細めた。

露骨に断られたくせに、機嫌は悪くなさそうだった。

ランドルフさんで断られるのに慣れてるのか、それとも本気で俺がいつか折れると思ってるのか。

 

 

「剣術を習いたいんです」

 

 

「剣術だ?」

 

 

「はい。もっと上を目指したいので、どこかいい場所を知りませんか?」

 

 

「こっちの要望は聞きもしねぇくせに、坊主の質問には答えろってか?」

 

 

「そういう言い方をされると感じ悪いですね」

 

 

「感じ悪く言ってんだよ」

 

 

即答だった。

シャガールはすぐに続きを口にした。

 

 

「剣を習うなら、そりゃあ絶対に剣の聖地だな」

 

 

剣の聖地。

 

いかにもという感じの名前だ。

 

断崖絶壁の上に建てられた道場。

年中強風が吹き荒れてる石の階段。

無駄に神々しい朝日。

 

そういう分かりやすい修行場のイメージが一瞬で浮かぶ。

いや、実際どうかは知らないけど。

 

 

「剣の聖地……そのままですね」

 

 

「そのままだが、名前負けはしてねえと思うぞ。剣を振るう連中の行き着く先みてぇな場所だからな。腕一本で上へ行きたい馬鹿どもがまとめてあそこで剣を振っているらしい」

 

 

言いながら、シャガールは腕を組んだ。

 

 

「剣を本気でやる奴らが最後にたどり着くのがあそこなら、遠回りする意味がねえ」

 

 

「場所はどこに?」

 

 

「ええと、たしか……中央大陸北部の最西端だったな。ランドルフがそう言ってたはずだ」

 

 

「ランドルフさんが?」

 

 

「昔あいつもその辺の話をしてたんだよ。俺は行ったことねぇが、ランドルフづてには聞いた」

 

 

中央大陸北部。

最西端の岬。

 

遠いな。

 

かなり遠い。

いや、かなりどころじゃない。

普通に行くなら、それなりの旅になるはずだ。

国をいくつ跨ぐんだって話になる。

 

まあ、『虎葬』を使えばすぐか。

 

待て、借り物の力で進むのは違うか?

 

……いや、違うな。

そこはもう少し分けて考えよう。

 

駄目なのは、借り物の力で逆境を切り抜けて、それで自分が強くなったつもりになることだ。

借り物の力そのものを使うこと全部が悪いわけじゃない。

そこをいちいち禁じていたら、今の俺は何一つ前へ進めなくなる。

だったら、借り物の力を使って強くなる場所へ行くのは、別にいい……よな?

 

言い訳臭い理屈だなとは自分でも思う。

だが、わざわざ時間をかけることへ意味があるとも限らない。

今必要なのは旅情じゃない。

修行だ。

だったら、そこは割り切っていいだろう。

遠回りが美徳だと言って、肝心の鍛錬開始が遅れるのも本末転倒だ。

大事なのは、辿り着いた先で何を積み上げるかだ。

 

そんなふうに頭の中で理屈を組み直していると、俺の微妙な沈黙をシャガールは「決意の間」みたいなものと受け取ったらしい。

腕を組んだまま、少しだけ顎を引いた。

 

 

「じゃあ坊主は、剣の聖地に行くつもりなのか?」

 

 

「はい」

 

 

俺が頷くとシャガールは一瞬だけ納得した顔になって、次の瞬間には、はっとしたように目を剥いた。

 

 

「……って、おい待て。じゃあ、王竜王国に仕える気は?」

 

 

「ありませんよ」

 

 

「クソッ、ほんっとにねぇのな!」

 

 

ここで妙な期待を持たせても仕方ない。

行くなら行く。

行かないなら行かない。

そこははっきりさせておいた方が、お互い後腐れがない。

行けたら行くが一番よくない返答だ。

 

俺はそこで、今度は別のことを頼んだ。

 

 

「シャガールさん。中庭を使ってもいいですか」

 

 

「別にかまわねえが。なんでだよ?」

 

 

「今から剣の聖地に行くので」

 

 

「今から?」

 

 

シャガールの声が一段上ずった。

その反応の横で、パックスも「は?」という顔をしている。

驚きと呆れとが同時に出た顔だ。

 

思い立ったが吉日とはよく言う。

そして、思い立ったが吉日ならそれ以降は全て凶日だと、有名な美食屋も言っていた。

あれは要するに、行くと決めた時が一番勢いが乗っているということだろう。

だったら、その熱があるうちに動いた方がいい。

思い立った時に動かないと、結局どこかで理由をつけて止まってしまいそうだしな。

 

家庭教師の報酬金の方も数日前にランドルフさんから貰っている。

俺が途中放棄しないと思ってくれたんだろう。

だから残る理由はあまりない。

 

 

「判断が早えな……もしかして剣神流か?」

 

 

「いや、水神流ですけど」

 

 

「ほーん」

 

 

今のはどういう確認だったんだ。

 

流派で性格でも分かったりするんだろうか。

念能力の性格診断みたいなものがこの世界にもあるのか?

 

剣神流はせっかち、水神流は理屈屋、北神流は性格が悪い。

そんな雑なくくりでもあるんだろうか。

……ありそうだな。

 

そんなことを考えながら、俺たちはそのまま中庭へ出た。

 

離宮の中庭は広かった。

いかにも王族の住まいという感じの無駄に優雅な空間だ。

実用性より見栄え優先の造りではあるが、変な障害物が少ないおかげで広さは確保されている。

 

俺は少し歩いて、ざっと視線を巡らせた。

この辺ならいいか。

建物の壁とも離れている。

上も開けている。

 

背後でシャガールがまだ納得していない声音を漏らした。

 

 

「いや、なんで剣の聖地へ行くのに中庭に来る必要があるんだよ」

 

 

一目はつく。

それは間違いない。

けど、まあいい。

 

戻ってくる予定は今のところないし、むしろ少し派手なくらいの方がいい。

噂になれば、オルステッドの耳に入る可能性も上がる。

こっちから探しに行かなくても、向こうが来てくれるならその方が早い。

アイシャや師匠たちがイーストポートに行くらしいし、王竜王国でオルステッドをUターンできれば御の字だ。

今の俺には“いつか再戦する”を曖昧にしておく気はないし丁度いい。

 

その時だった。

シャガールが、ふと思い出したように自分の腰へ手をやった。

 

 

「剣の聖地に行くってんなら、これ返しとくか」

 

 

そう言って取り外したのは、見覚えのある剣だった。

 

俺の剣だ。

 

……こいつ、この一週間ずっと持ってやがったのかよ。

 

いや、まあいいか。

なくしたり雑に保管されたりしてたわけじゃないならまだましだ。

そう思って受け取ろうとしたところで、シャガールはなぜかすぐには渡してこなかった。

剣を片手で持ち上げ、熱のこもった顔で刀身を眺めている。

 

嫌な予感がする。

 

 

「やっぱり、いいよなあ……この剣、いや魔剣」

 

 

そう言いながら、シャガールは片手で軽く振る真似をする。

 

 

「普通、剣ってのは届くものを斬るだろ。間合いがあって、踏み込みがあって、刃が届くから斬れる。そこが剣の面白いところでもある。だが、こいつは違う。振れば振った先のものが斬れる。何だよそれ、意味分からねぇ」

 

 

俺はそこで確信した。

 

こいつ……勝手に振り回してやがった。

 

 

「見た目は癖がねえのに、やってることは滅茶苦茶。こういうのがいいんだよ、魔剣ってのは。分かりやすくヤバくて、使い手の手癖まで悪くなりそうなやつが一番いい」

 

 

「最後の評価って褒めてないですよね」

 

 

「最高の褒め言葉だろ」

 

 

俺が半目で見ていると、シャガールはますます気分が乗ったらしい。

剣を肩の高さまで持ち上げて、今度は真面目な顔で刀身を眺める。

 

 

「軽すぎず重すぎず、手によく馴染む。癖のある見た目でもねえから、余計に中身のイカれ具合が映える。こういう見た目ってところにロマンを感じるぜ……」

 

 

「そ、そうですか……」

 

 

……この一週間預かっていた間に、かなり気に入ってしまったんだろう。

 

まあ、言っていることの半分くらいは分かる。

あの剣に『御廚子』の術式が付いた時は、俺だってテンション上がった。

ただの剣が、一気に“危ない何か”へ化けた感じ。

ロマンがあるという表現は、たしかに間違っていない。

 

 

「売ってくれ。高く買おう」

 

 

あまりにも自然な声音のせいで、一瞬聞き間違いかと思った。

けれど、シャガールの目は本気だった。

冗談めかしてはいるが、あれは本当に欲しい時の目だ。

玩具屋の棚を前にした子供みたいな顔を、いい歳した大人がしているのはどうかと思うが。

たぶん断られる前提ではいるんだろうが、それでも一応言わずにはいられなかった響きがある。

 

 

「いいですよ」

 

 

「そうだよな。ダメだよなあ……え? は? いいのかよ……?」

 

 

間の抜けた声が返ってきた。

さっきまで熱弁していた人とは思えないくらい、見事に固まっている。

 

 

「ええ。剣の聖地に行くので」

 

 

「剣の聖地に行くなら尚更いるだろ……」

 

 

まともな反応だと思う。

 

だが、俺の中ではもう答えはほとんど決まっていた。

あの剣には『御廚子』の術式が付いている。

借り物の力という意味でもそうだし、何より俺はいま俺の力である剣“だけ”を鍛えたいわけだ。

だったら、あまりにも出来すぎた付属品みたいなものは、むしろ邪魔になるだろう。

 

もちろん、あの術式付きの剣が嫌いになったわけじゃない。

むしろ今でも好きだ。

便利だし、危ないし、振れば振った先のものが斬れるなんて、どう考えてもロマンがある。

ただ、だからこそ切り離したい。

 

剣は斬るためだけにあった方がいい。

 

ほかの用途はいらない。

斬るためだけに細く、鋭く、単純であってほしい。

そういうものを、自分の力として積み上げたい。

今の俺に必要なのは『すごい魔剣』じゃなくて『俺が振るすごい剣』の方だ。

 

五歳の誕生日に師匠からもらったというのもある。

見てたら思い出しそうだ。

今の俺は、誰かに寄りかかってはいけないのだ。

 

 

「ただし、条件があります」

 

 

シャガールの目が少しだけ細くなる。

冗談半分だった空気が、ほんの少しだけ引き締まった。

 

 

「何だ」

 

 

「その剣を使っていいのは、ランドルフさんだけでお願いします」

 

 

「……ランドルフだけ?」

 

 

「はい」

 

 

意外そうな顔をされたが、そこは譲る気がなかった。

 

ランドルフさんなら、あの剣の危なさをちゃんと分かった上で扱ってくれそうだからだ。

面白がることはあるかもしれない。

試し斬りもするだろうが、それでも“危ないからこそどこで止めるか”を知っている感じがある。

少なくとも、見栄とか勢いだけで人前へ持ち出して振り回す人じゃない。

 

……いや、絶対にしないとは言い切れないのがあの人の怖いところではあるんだが。

それでも今この場で一番信用できる相手は誰かと考えたらやっぱりあの人だった。

 

 

「分かった。俺が信用してるやつ以外には、指一本触れさせないと誓おう」

 

 

その言葉を聞いて、俺は少しだけ安心した。

雑な人だけど、雑なまま本当に危ないものを雑に扱う人ではないらしい。

いや、勝手に振り回していた時点で十分危ないんだが、それとこれとは別ということにしておこう。

 

 

「もう一つあります」

 

 

「まだあるのか」

 

 

「大事な方です」

 

 

俺がそう言うと、シャガールは肩をすくめた。

けれど、ちゃんと聞く気ではある顔だ。

 

 

「この剣を売ったお金は、ランドルフさんあたりに預けておいてください。そのうち王竜王国のイーストポートに『フィットア領捜索団』というクランが来ますので……」

 

 

そこで、ほんの少しだけ喉が詰まる。

けれど、言葉にはした。

 

 

「その人たちに、匿名で全額寄付してほしいんです」

 

 

……皆に会えない俺ができるのは、これくらいだろう。

 

直接会いに行けない。

顔を見せることもできない。

助けに戻ることもできない。

だったらせめて、お金くらいは回しておきたい。

俺が今渡せるものなんて、それくらいしかない。

 

使えるものは使ってほしい。

旅費でも、物資でも、捜索の足しでも、何に化けてもいい。

役立つ形に変わってくれれば、それで十分だ。

 

シャガールは俺の顔を見た。

何か聞かれるかとも思ったが、口から出たのは別の言葉だった。

 

 

「何で……ってのは、聞かないでおこう」

 

 

ありがたい。

 

そこを掘られると、たぶん俺はうまく答えられない。

嘘を混ぜても嫌だし、本当のことを話せるわけでもない。

だから、その一言で流してくれるのは本当に助かった。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

俺が頭を下げると、シャガールは片手をひらひら振った。

 

 

「別にいいぜ。その条件も呑もう。俺の方でちゃんと話を通しとく」

 

 

「助かります」

 

 

「つーか、いい条件だ。嫌いじゃねえよ、そういうの」

 

 

その言い方は相変わらず雑だったが、受け入れ方は思っていたよりもずっと素直だった。

もっと面倒な値切りとか駆け引きとかを始めるかと思っていたんだが。

 

そこで、ふと今さらな疑問が頭をよぎった。

 

 

「……ちなみに、その剣ってどれくらいの値段になるんですか?」

 

 

全額寄付とか言っておいて何だが、気になるものは気になる。

魔剣扱いされるくらいの代物だ。普通の剣の値段じゃないだろうとは思う。

しかし、具体的にどのくらいかってなると、全く想像つかない。

 

シャガールは、にやりと笑った。

そして、周囲にパックス以外誰もいないかを軽く確認してから近寄ってくる。

そんな大層な話なのか?

そう思ったが、次の瞬間その理由は分かった。

 

 

「――――――……ぐらいだな」

 

 

「お、おお……」

 

 

多すぎて引くくらいだった。

いや、ほんとに。

おお、じゃない。

多い。

多すぎる。

城でも建つんじゃないだろうか……城の値段なんて知らないけど。

知らないからこそ雑な例えしか出てこないが、とにかく“旅費”の次元じゃなかった。

あれ一本でそこまで行くのか。

魔剣って怖いな。

 

そんな俺の反応を見て、シャガールは愉快そうに鼻を鳴らした。

 

 

「この魔剣の能力を考えりゃ、安い方だ」

 

 

「安い方なんですか、これで……」

 

 

「当たり前だろ。振れば振った先が斬れるんだぞ? 戦場に一本放り込むだけで、国が一つ頭を抱える類だ。名声もつけば、もっと跳ねる」

 

 

まあ、たしかにそうだ。

俺にとっては使い慣れた手札の一つでも、外から見れば充分すぎるくらい異常な代物だ。

 

 

「なら、高く売ってくださいね」

 

 

俺がそう言うと、シャガールは一瞬だけきょとんとして笑った。

 

 

「っはは! 欲を出すじゃねえか、坊主!」

 

 

「どうせなら高い方がいいでしょう」

 

 

「違いねえ!」

 

 

そこで話が一段落したと思ったのは、俺とシャガールだけだったんだろう。

 

当然と言えば当然だが、完全に会話から置いていかれていたパックスが、我慢の限界に達したらしい。

今までのパックスを思えばよくもった方だろう。

パックスは顔を真っ赤にして、こっちを指差しながら怒鳴ってくる。

 

 

「おい! さっきから何だその話は! 余を置いて勝手に盛り上がるでない!」

 

 

「お前も一応は聞いてただろ」

 

 

「聞いてはいた! だが意味が繋がっておらん! 剣を売るだの、寄付するだの、急に旅立つだの、余の理解へ配慮がなさすぎる!」

 

 

「理解への配慮って言い回しなんて初めて聞いたな」

 

 

「揚げ足を取るでない!」

 

 

「説明してやろうか?」

 

 

シャガールが面白そうに口を開く。

 

 

「よい! どうせ貴様が話すとろくでもない方向へ盛る!」

 

 

「ひどい言われようだな」

 

 

「自覚ないんですか?」

 

 

「ねぇな」

 

 

「だから信用ならんのだ! もっと自分を客観視せよ!」

 

 

そこで俺は、小さく息を吐いた。

全部を順番に説明してもいいんだが、パックス相手だとどうせ途中で余計なところに噛みついて話が進まない。

それに、もう腹は決まっている。

 

だったら、最後に必要なことだけを伝えればいい。

 

俺はパックスを見た。

 

 

「……王になれたら、呼んでくれ」

 

 

「は?」

 

 

パックスの顔が、見事なくらい間固まった。

 

 

「何を急に言い出すのだ、貴様は」

 

 

「いや、お前……王になるんだろ?」

 

 

「そ、それはそうだが……」

 

 

「ちゃんと王になれたら、その時は呼んでくれよ。暇があれば見に行くからさ」

 

 

パックスは数秒遅れてから、ものすごく微妙な顔になった。

 

 

「何だそれは……」

 

 

「何って、予約だけど」

 

 

「王の戴冠式を何だと思っておる!」

 

 

「何って……見下してきた奴らの顔見てよだれ垂らすイベントだろ?」

 

 

「事実ではあるが……もう少し言い方というものがだな……」

 

 

そう言うパックスの耳が少し赤い。

たぶん、馬鹿にされたと感じる一方で“呼べ”と言われたのが、ちょっとだけ嬉しいんだろう。

 

俺はそこで会話を打ち切るように、足元へ視線を落とした。

 

さっき広さを確かめた通りここなら十分だ。

呼吸を一つ。

意識を沈める。

 

指を組み影絵を作る。

 

 

「『虎葬』」

 

 

声と同時に、影が盛り上がった。

 

影が立体になる。

ただの染みだった影が、厚みを持ち、骨格を持ち、質量を持って這い上がる。

地面を汚していたはずの黒が、生命の輪郭へと変わっていく。

 

次の瞬間そこに現れたのは、赤竜に似ていはいるがそれより一回りほど大きい竜だった。

 

赤黒い鱗。

巨大な顎。

背へ折り畳まれた翼の端が、日差しを浴びて鈍く光る。

喉の奥で低く鳴る唸りだけで、空気が一段重くなった気がした。

 

影から這い出た竜は、俺の前で一度だけ頭を低くした。

 

俺はその首筋へ手をかけ、そのまま一気に飛び乗った。

鱗は熱を持っていたが、火傷するほどではない。

 

そして案の定、中庭の空気は変わった。

 

ざわっ、と人の気配が一斉に揺れる。

遠巻きにしていた従者たちが悲鳴を呑み込み、植え込みの向こうで様子を窺っていた兵士が声を上げ、別方向からも鎧の擦れる音と駆け足が重なってくる。

 

「な、何だあれは!」

「竜……!?」

「中庭だぞ! 中庭に何で竜がいる!?」

 

シャガールは、『虎葬』を見上げたまま、乾いた笑いを一つ漏らした。

 

 

「……ははっ。俺は夢でも見てんのか」

 

 

その顔は、今まで見た中で一番取り繕えていなかった。

 

けれど、シャガールはすぐに頭をがしがし掻いて今度は違う顔になる。

呆れと、悔しさと、少しの面白がりが混ざったような、そんな表情だ。

 

 

「もっと熱入れて勧誘すりゃよかったな……」

 

 

そう呟くシャガールの隣で、パックスは見事なくらい腰を抜かしていた。

 

さっきまであれだけわめいていたのに、今は尻もちをついたまま片手を後ろへついて、ぽかんと口を開けている。

顔色は悪くない。

単純に理解が追いついていない顔だ。

 

 

「お、おお、おい貴様! 何故ここで! 何故こんなものが!? 余は聞いておらぬぞ!」

 

 

「今から剣の聖地へ行くって言っただろ」

 

 

「行き方の話をしておったのか!?」

 

 

「そうだけど」

 

 

「分かるわけがあるか! 普通は馬車だ! せめて徒歩だろう! 誰が“ドラゴンに乗ってそのまま飛ぶ”と思うのだ!」

 

 

そんなやり取りの横から、静かな足音が一つ近づいてきた。

 

ベネティクトだ。

 

騒ぎを聞きつけて来てみれば、そこにパックスがいたからそのまま近づいたんだろう。

ベネティクトは、腰を抜かしたパックスの横にちょこんと腰を下ろした。

 

『虎葬』を見上げてはいる。

けれど、パックスほど驚きはしていなかった。

悲鳴もない。

取り乱しもしない。

少しだけ目を見開いているだけだ。

驚いてはいるんだろうが、驚き方がやたら静かだ。

 

パックスは、そのベネティクトに見られていることへ気づき反射的に立ち上がった。

 

ほんの数秒前まで腰を抜かしていたくせに、今はもう両足で立ち何事もなかったように偉そうな顔を作っている。

いや、作れてない。

膝がちょっと震えてるし。

でも、作ろうとしてるのは分かる。

 

分かりやすい。

あまりにも分かりやすい。

 

……見事なまでの相思相愛ぶりだな。

 

俺は竜の背の上から、半ば呆れ、半ば本気でそう思った。

パックスも分かりやすいが、ベネティクトも大概だ。

騒ぎを聞いて来て、真っ先に見るのが竜じゃなくてパックスなんだからな。

 

口に出すつもりはなかったんだが、変な勢いのまま俺は叫んでいた。

 

 

「パックス! お前はちゃんとベネティクトと結ばれるんだぞ!」

 

 

パックスの顔が、一瞬で真っ赤になった。

 

 

「よ、余計なお世話だ!」

 

 

動揺と照れが綺麗に混ざった声だった。

腕組がゆるみ、耳まで赤い。

分かりやすいにも程がある。

 

 

「何を急に言い出すのだ貴様は! この場で! この状況で! なぜそうなる!」

 

 

「いや、何か言っといた方がいい気がして」

 

 

「気のせいだ! 大いなる気のせいだ!」

 

 

その隣で、ベネティクトはこてんと首を傾げた。

 

 

「パックス様……結ばれるってなに?」

 

 

「聞くな! 今はその時ではない!」

 

 

「そうなんですか?」

 

 

「そうだ!」

 

 

「……ん」

 

 

その間にも兵士たちが中庭へ雪崩れ込んでくる。

 

槍を構え、剣へ手をかけ、竜と俺を囲むように広がっていくが、踏み込むかどうかのところで全員が微妙に足を止めていた。

そこへシャガールが一歩前へ出て、片手を上げる。

 

 

「止まれ。手ぇ出すなよ」

 

 

「しかし……!」

 

 

「動いたら、ランドルフの料理を食わせるぞ」

 

 

その一言で、兵士たちの動きがぴたりと止まった。

 

ランドルフさんの料理ってそういう使い方されてるんだ……

 

いや、たしかにたまに何をどう間違えたらそうなるんだってものを出してくることはある。

だけど、それを兵士を制止する為の脅し文句として使うのはどうなんだ。

料理人としての扱いがひどい。

本人が聞いたら、ニコニコしたまま傷つきそうだ。

 

だが、効果は絶大だった。

 

兵士たちが、まるで時間ごと縫い止められたかのように固まっている。

目だけが忙しなく揺れていて、「それは嫌だ」と顔に書いてある。

どれだけ恐れられてるんだ、あの人の失敗料理。

 

そんな何とも言えない感情になっているうちに、『虎葬』が翼を広げた。

 

重い風圧が一気に吹き荒れる。

兵士の外套がめくれ、植え込みの葉が散り、パックスが反射的に腕で顔を庇う。

 

『虎葬』はさらに羽ばたいた。

 

風が強くなる。

地上から少しずつ、でも確実に離れていく。

城の壁が、屋根が、中庭が、少しずつ縮んでいく。

 

そして、少し高度が上がったところで、俺は変なものを見つけた。

 

 

「えぇ……」

 

 

思わず変な声が出た。

 

なぜか、屋根の上にランドルフさんがいた。

 

何でだよ。

 

いや、本当に何でだよ。

あの人ならいてもおかしくない、という理屈はこの際なしだ。

なぜかいる。

しかもすごく自然に。

まるで最初からそこが定位置でした、みたいな顔で離宮の屋根の上へ立っている。

 

風に揺れる外套もなく、いつもの落ち着いた雰囲気のまま、こちらを見上げていた。

それから、俺と目が合うとほんの少しだけ頭を下げる。

 

軽い会釈だった。

その動作の中には、あの人らしい静かな餞別みたいなものがちゃんとあった。

 

俺は思わず手を振った。

 

ランドルフさんも、それ以上は何も言わない。

ただ、少し不気味に見える……本人の中では穏やか判定なのであろう顔のまま、見送ってくれていた。

 

ほんと、何なんだあの人。

格好いいのか、ずれてるのか判断に困る。

 

高度がぐんぐんと上がる。

 

『虎葬』はさらに高度を上げていく。

王竜王国の離宮が、徐々に小さくなる。

あの中で、さっきまで俺はああでもないこうでもないと喋っていたのかと思うと、なんだか不思議な気分になる。

 

けど、感傷へ浸るにはまだ早い。

 

目指すは、剣の聖地だ。

 

そこで折れない芯を作って、オルステッドよりも強くなって、皆の所へ帰るんだ。

 

それが今の俺の目標だ。

遠い。

馬鹿げてる。

達成出来る保証なんてどこにもない。

そんなことは分かってる。

 

分かってるからこそ、まずはそこをちゃんと認めないといけないんだろう。

 

結局俺はずっと認めたくないことから目を逸らしていたんだと思う。

 

ヒトガミには逆らえない。

オルステッドを差し向けられたらみんな死ぬ。

だからヒトガミの言う通りにして皆から離れるしかない。

 

そこまでは、たしかに間違ってなかった。

少なくとも、あの時の俺に見えていた現実としては、十分ありえる判断だったと思う。

でも、そこで終わらせたのが駄目だった。

 

ヒトガミには逆らえなくても、やれることはちゃんとあったのに。

 

俺は師匠に言ったんだ。

ミリシオンでアイシャを旅に連れていくと決めた時。

家族を守れる覚悟があるかと師匠に聞かれて。

 

誇りもプライドも捨てても守る――って。

 

あの言葉自体に嘘はなかった。

今でも、間違いだったとは思わない。

守るために捨てるものがあるなら、捨てる。

そういう覚悟は必要だ。

綺麗事だけで何とかなるほど、世の中は優しくない。

 

実際ヒトガミを前にした時俺はそうした。

誇りも、プライドも、意地も、そういうものを脇に置いた。

皆から離れて、言うことを聞いて、惨めでも何でもいいからとにかく守ろうとした。

 

……でも、そこで止まってしまった。

止まってはいけなかったのに。

 

誇りもプライドも捨てること自体が目的なんじゃない。

そんなのは、ただの手段だ。

もっと言えば、守るために仕方なく選んだ一番格好のつかない手段でしかない。

 

守ることが目的だったはずだ。

 

だったら、その先へ行かなきゃ意味がない。

守れる力を手に入れるところまで行かなきゃ意味がない。

 

守るために頭を下げたなら、その先で守り切れ。

守るために惨めになったなら、その惨めさをちゃんと結果へ繋げろ。

そこまで行って初めて“捨てた意味”が生まれるんだろう。

 

なのに俺は、捨てただけで終わっていた。

 

苦しんだ。

我慢した。

離れた。

耐えた。

だから、もう十分だろう。

俺はここまで痛い目を見たんだから、もう許されてもいいだろう。

そうやって納得しようとしていた。

 

納得出来るはずもないのに。

そんなので終われるわけがない。

終わっていいわけがない。

 

皆にもう一度会いたい。

 

いや違う。

もう一度じゃ足りない。

 

何度だって会いたい。

 

馬鹿みたいに当たり前のことだ。

一回でも会えたら満足なんて思えるわけがない。

帰って、顔を見て、話して、また一緒にいて、笑って、馬鹿なことを言って、そういう当たり前を、何度だってやりたい。

また次の日も会いたいし、その次も、そのまた次も、何度でも会いたい。

皆にも。

……アイシャにも。

 

そのためには、強くなるしかない。

 

一回だけの奇跡で切り抜けられる力じゃない

理不尽が来るたび今度はどうしようと怯えるんじゃなく、来るなら来いと睨み返せるだけの力を手に入れなければならない。

 

今度こそ、ちゃんと納得できるように。

自分で自分をごまかさないように。

借り物の力へ寄りかかって、偶然うまくいくのを待つんじゃなくて、自分の意志で、自分の足で、そこへ辿り着けるように。

 

剣の聖地へ行く。

剣を鍛える。

芯を作る。

オルステッドより強くなる。

そして、堂々と帰る。

 

空の向こうはまだ遠い。

剣の聖地も、オルステッドも、皆のいる場所も、何もかも遠い。

 

けど、今の俺はたしかに前を向けている。

 

風の音が強くなった。

『虎葬』が高度を上げ、眼下の景色がさらに小さくなっていく。

王竜王国はもう、綺麗に塗られた地図みたいにしか見えない。

 

ああそうだ……剣の聖地に行く前に約束を果たしていこう。

 

約束と呼ぶには、一方的すぎる。

こっちが勝手に言って、勝手に覚えているだけだ。

相手が本気で受け取っていたかどうかも怪しい。

それでも、俺の中では引っかかったまま残っている。

 

だったら、先に済ませるべきだ。

 

行き先が定まって、その先の目標も決まって、ようやく前を見て進めるようになった今だからこそ、中途半端な置き土産は残したくなかった。

 

俺は遠ざかる城を一度だけ振り返って、前を向き直した。

 

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