午後、グレイラット家の庭では、木剣が風を切る音が響いていた。
「そこだ、カイン! 振り抜きが甘い!」
師匠の声とともに、俺は汗を飛ばしながら木剣を振り続けていた。
肩は重く、手のひらにはじんわりと痛みが走る。
それでも、剣を握る手を緩めることはできなかった。
(ふう……やっぱり、師匠は実践形式の稽古で教えるほうが向いてるな)
師匠の木剣が唸りを上げて迫る。
木剣が触れた瞬間、俺は、手首をわずかに返し、
衝撃を横へ流すように受け流した。
ずしりとした重さが手のひらに伝わるが、
腰を落とし、重心をずらすことで力は地面へと逃げていく。
「おっ……!」
師匠がわずかに目を細めた。木剣の先は師匠の胸元に届きかけたが、
次の瞬間には弾かれていた。
鋭い返しの一撃が俺の木剣を跳ね上げ、そのまま肩に叩き込まれる。
「ぐっ……!」
肩に鈍い痛みが走る。息をつきながら後退した俺に、師匠はにやりと笑いかけた。
「惜しいな。だが、まだ読みが浅い」
「はい!」
水神流の型は身体に染みついてきている。
俺自身の力は、師匠が言うには上級に足を踏み入れているらしいが、
それでも、師匠の前では通用しない。
やはり体格や経験の差がでかいのだろう。
稽古は続く。互いの木剣が何度もぶつかり、乾いた音を響かせる。
受け流し、反撃し、押し込まれ、また立て直す。
その繰り返しの中で、俺の呼吸は次第に荒くなり、全身は汗に濡れていた。
「よし、今日の稽古はこれで終わりだ!」
師匠の合図に従い、俺は大きく息を吐いて木剣を置いた。
荒い息を整えながら顔を上げる。
視線の先では、ルーデウスが手を構え、ロキシーさんと魔術を習っていた。
掌をかざすと、詠唱もなく炎が生まれる、次は氷、さらに風。
どれも一瞬で形を取り、放たれた魔術は目に見える軌跡を描いて見事に的に命中する。
ふとロキシーさんの方に視線を移すと、
ロキシーさんは、じっとルーデウスを見ていた。
いつも通りの少し眠そうな表情。
けれど、その瞳には少しばかり困惑した感情が混じっているように見えた。
そうしていると、ロキシーさんと目が合い、こちらに駆け寄って来た。
「カインくん、少しお話しませんか?」
「いいですけど、どうしたんですか?」
「ルディについてです」
ロキシーさんは視線をルーデウスの方へと向ける。
彼は庭の一角で、何事もなかったかのように今度は岩魔術を操っていた。
詠唱もなく、小さな手から放たれた石の礫が、正確に的を撃ち抜いていく。
「……あの子の成長は、異様なほどに早いのです。普通なら一つの系統を上級まで覚えるためには数年は費やすはずなのですが、ルディは数か月で使えるようになってしまいました。それも、全ての系統をです」
「そのうえ無詠唱ですもんね……やっぱりルーデウスの成長速度は、ロキシーさんから見ても異常な事なんですか?」
俺の問いに、ロキシーさんはコクリと頷いた。
『異常、か……凡夫は理解できぬものを、すぐ異常と呼びたがる』
(……その考えは否定しないけど、成長が早いのは事実なんじゃないか?)
「驚くべきことです。わたしが教えた以上のことを、もう自分で掴み取り始めている……正直に言えば、わたしの教えることは、そう長くは残っていないかもしれません」
そう言うロキシーさんの言葉はどこか自嘲気味に聞こえた。
「でもそれって……師匠としては、いいことなんじゃないですか?」
俺がそう返すと、ロキシーさんは少しだけ目を見開いた。
「……どういう意味ですか?」
「だって、弟子が師匠を超えるってことは、それだけちゃんと教えを伝えられたってことだと思うんです。それに、ルーデウスも言ってましたよ。ロキシーさんがいなければ
「自分はここまで成長できていなかった」って」
「……そう言っていただけるのは、嬉しいですが私の事を師匠と呼ぶのはやめてください」
「師匠と呼ぶのは、だめなんですか?」
気づけばルーデウスが、ロキシーさんの後ろにいた。
どうやら今までの会話を聞いていたらしい。
ロキシーさんはわずかに目を細め、苦笑を浮かべた。
「はい、ダメです。ルディは、きっとすぐに私を追い越してしまいます。そうなれば師匠なんて呼ばれるのはただの生き恥です。師弟関係は、実力が伴ってこそ成り立つものですから」
「そういうものですかね?」
「そういうものです」
ロキシーさんがきっぱりと言い切った。
「でも、教え方がいいのは、事実だと思います。俺の師匠の教え方は少し……というかだいぶ分かりづらいですから」
「それは、僕もそう思います。」
思わず笑いが漏れた。師匠の指導は大雑把で感覚任せだが、
ロキシーさんは理論立てて説明している。
剣を学ぶ身としても、あの分かりやすさは素直に羨ましい。
ロキシーさんは少しきょとんとした顔をして、
けれどすぐに眉を下げて照れ笑いを浮かべた。
「カインくんもルディも勘違いしていますが……わたしの教え方が特別上手なわけではありません。普通なら、覚えるのに数年かかるようなことを、数か月で覚えてしまうルディが特別なんです。魔術の知識を吸収する速度も、制御の感覚も、子供とは思えないほどです」
ロキシーさんは淡々とした声で言葉を続けた。
「わたしが教えた通りにやるだけではなく、すぐに自分なりに応用してしまう。そういう柔軟さまで備えているんです」
ルーデウスはきまり悪そうに肩をすくめる。
「……でも、先生が、魔術を教えてくれなかったら、僕は何もできませんでしたよ」
「ええ、そう言ってもらえるのは嬉しいです。でも、わたしは知っています。あなたは私をすぐに追い越すでしょう。ですので、師匠と呼ばれるのは……どうしても気が引けるんです」
彼女の言葉は自嘲を含みながらも、弟子の未来を確信していた。
俺はそんなロキシーさんを見て、つい口を挟んでしまう。
「でも、ルーデウスがそうやって自分を高めていけるのは、ロキシーさんが基礎を教えてくれたからだと思いますよ。俺から見ても、それは間違いないです」
ロキシーさんは少し目を伏せ、何かを噛みしめるように沈黙した。
ルーデウスは隣で恥ずかしそうに笑いながらも、
しっかりとロキシーさんを見上げている。
やがてロキシーさんは小さくため息をつき、諦め半分のように微笑んだ。
「……そうですね。ではこれからは、師匠ではなく、先生と呼んでください」
「もちろんです!」
ルーデウスは嬉しそうに答え、ぱっと顔を輝かせた。その様子に俺もつられて笑みをこぼす。
(聞いてたか? 宿儺、俺とお前も師弟関係ってやつだよな?)
一瞬、心の中に沈黙が落ちた。
いつもなら鼻で笑って「くだらん」と一蹴すると思ったのだが、
しばらく口を閉ざしている。その沈黙には、嘲りでも退屈でもない、
どこか考えを巡らせているような気配があった。
『……師弟関係か』
低く響いた声は、妙に落ち着いていた。荒々しい嘲笑ではなく、
静かに言葉を吟味するような口調。
『小僧、俺は本来「教える」などという行為に価値を見いださぬ。力とは奪い取り、喰らい、積み重ねていくもの……それが俺の在り方――いや、在り方だった』
その「だった」という過去形が、妙に耳に残る。かつては奪うことでしか力を得られず、それがすべてだった宿儺が、今は別の道を歩んでいることを自覚しているような響きだった。
『だが、この世界に来て、お前という器に宿り……俺は奪うのではなく、与えるようになった。俺の知識や術を伝えること、それが小僧を強くし、その力を通じて俺もまた新しい景色を見られる。皮肉なことに、俺が軽蔑していた「教える」という行為こそが、今の俺の在り方に組み込まれているのだ』
(新しい景色……じゃあ、俺が強くなることは、お前にとっても意味があるってことか?)
『そうだ、退屈させるなよ、小僧』
宿儺が与えてくれるのは呪いでも恐怖でもなく「努力する理由」だ。
誰かに必要とされること。誰かの期待を背負うこと。前世では一度もなかった感覚が、今は確かに俺を突き動かしている。