セカイは幻想盤上のように   作:秋塚翔

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昼間の再会

「――ごめん、なさい」

 

 小雨が降りしきる音が煩わしい中、その声音だけが澄んで聞こえた。

 

 

 

「ごめんなさい……ごめんなさいっ……!」

 

 透き通って届くその声は、しかし悔恨と罪悪の言葉をただ繰り返している。

 もったいないな――漠然とそう思う。さっきまで苛んでいた綯い交ぜの苦しみはすっかり取り払われ、倦怠感に揺蕩いながら。そんな中で自分に掛けられる心地のいい声が今に泣いてしまいそうな言葉を紡ぐのは余りにもったいないと思ってしまった。これまでの人生で一度も感じたことのない純粋なもの。

 

 これまでただの一回も抱いた経験のない感情。

 困惑がある。まるで馴染みない気持ち。ゆえに目を背けたくなる違和感。

 

 思い出すこれまでは、ある意味では揺らぎのないこれまでだった。どうしようもなくて、何も変わらなくて。それならば期待せず、行動せず、無為に過ごしていればいいんだと失望して。それでも耐えがたいことの前に逃げ出し、その果てに人ではない『ナニか』になってしまう。そういう人生だと受け入れ、何かに縋ることなどあってはならないと勝手に決めつけていた。

 

 そこに突如として現れた、綺麗なもの。

 雨天の下で諦めかけたところに小さな手を差し伸べてくれた。絶えない苦しみを和らげてくれた。そのことを罪深いと悔いているけれど、そんなことはなくて。それに間違いなく助けられたと自覚する。

 

 臆病な自分が手を出さずまた逃げろと囁きかけてくる。それが正しくて、もはやバケモノに成り果てた自分なんかがそれに手を伸ばすなと。その訴えに理解が追う。

 だけど――手放したくないという矛盾もあるのは確かで。

 

 だから。徐に伸ばした手を、声の源へと添えた。涙が零れかねない頬へと。

 

「――大丈夫」

 

 何を以てそう言ったか、分からないけれど。

 冷え切った手が信用に足らないけれど。

 助けられた身でそんなことを宣うのは憚られるけど。

 

「私が、守るから」

 

 きっと、この時のためなんだ。

 私が生きていたのは。意味の無かった私の人生は。

 この力は――目の前のこの子のために使おうと。

 

「私が守るから」

 

 驚いているその子をそっと引き寄せ。

 私は、もう一度言い切って決意を小さな体と一緒に抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風音、起きて。朝だよ」

 

 布団越しに頭上から透き通った声が降り掛かる。

 薄目を開けて顔を覗かせれば、体を揺さぶってくる少女の姿があった。朝日に輝く長い髪と愛らしい顔立ちはさながら精緻な人形のようだが、今ここではなかなか起きない相手の少女を不満げに起こそうとしてくる。 

 

「んー」

 

 そんな相手の少女――風音はむずがるように布団の中で身じろぐ。

 実際、起きるべき時間だ。窓から差し込む朝日の光は、昼行性の人間に正しい活動をさせようとしてきていた。

 駄々なのか単なる呻きなのか、自分でも分からない声を漏らして布団に潜り続ける風音。攻防は若干分が悪いのであるが、でもだって昨日は夜遅くまで動き回ってたし、と心中で言い訳する。

 もう少し寝ていたい。けれど目覚ましの声も存外辛抱強い。そこで風音は、そっと手を伸ばしてなおも起床を促してくる少女の体を引き寄せ、そのまま布団の中に引きずり込んでしまう。

 

「わっ」

 

 華奢な肢体が抱き込まれる。心地は柔らかで、程よい体温が懐中から伝わってきた。逃がさぬよう、暴れられぬよう両の足でも軽く拘束し、感触を味わいながら引き続き眠りに誘われる。

 

「ちょっと、風音ぇ」

 

 抗議の声が投げ掛けられるものの、抵抗はない。彼女はそういう子だと風音は知っていた。押しは強いが押されると流されがち。ならばこのまま抱き枕となってもらおうか。

 ――さっきの夢で感傷に浸りたくなったし。

 

 と考えた矢先、バサリと掛けていた布団が剥ぎ取られたので、何事かと見上げてみると――ここの大家である彩乃がにっこり笑顔で見下ろしていた。

 

「はいはい、仲睦まじいのはそこまで。朝ご飯冷めちゃうから起きようねー?」

「……分かりました」

 

 降参と軽く片手を上げつつ。風音は抱えるヒメと共に応じるのだった。

 

 

 

 

「風音ちゃんってホント肉の食い付きいいよねえ」

 

 食卓の只中、彩乃は会話の一環でそう投げ掛ける。

 今日はベーコンエッグ。その程よく焼かれたハムを一心不乱に食す風音は、それに変然と返した。

 

「ベジタリアンの気が知れないくらいには好きなんで」

「世界中の菜食主義を敵に回してどうするの」

「という訳で、この生野菜はヒメにあげる」

「あ、もう。ちゃんと食べなくちゃダメだよ?」

 

 さっとレタスを投げ寄越す風音。それをヒメは苦言しつつ仕方なしと受け取る。

 そのやり取りに、彩乃は快活に笑った。

 

「あっはっは。まあ、若い内は好きにやるのが一番だね。風音ちゃんもヒメちゃんも、若い時をもっと楽しみなさいね? 大人になると色々不自由なんだから。風音ちゃんの夜更かしみたいなことも今の内の経験だよ。ね?」

 

 はあ、と適当に答えた風音は、夜更かし云々に少し後ろめたさを覚える。夜更かしではあるが、その実態を彩乃は知る由もない故に。

 と、他愛なく話していた彩乃が立ち上がった。

 

「さてさて、それじゃあ私は先行くね。風音ちゃんは後で。いつも通り手伝いお願いね~」

「はい。いってらっしゃい」

 

 ヒメがわざわざ玄関までついてって送り出す中、彩乃は一足先に出掛けていく。朝から急ぎの仕事がある様子。風音もそこでバイトをしているため、言われたように後で向かうつもりだ。

 

「いつも元気だね、彩乃さん。それに優しいし」

「まあ、ああいう人だからヒメや私なんかを受け入れてくれたんだろうね。ありがたい限りだわ」

 

 ヒメの言葉に軽く返し、風音はさてと朝食を片付けるのであった。

 

 

 

 

 

 あれは夢か、はたまた幻だったのだろうか。

 木立(きだち)エリカは朧げな記憶に思考を巡らせた。

 

 思い返せば、余りに非現実的な出来事だ。いつの間にやら朝を迎えてみると、ますますそう感じてしまう。あれは質の悪い夢で、仕事の疲れが見せた幻で、今日もまた変わらぬ現実が繰り返されるんだろうなと思い直す。

 

「おい木立! さっさと行くぞ!」

「あ、はいっ」

 

 そう結論付けたところで、同行していた男性社員――柿本に呼び掛けられた。そうだ、今は仕事中。外回りの最中だ。気を取り直して、慌てて先を行く男性社員の許に駆け寄っていく。

 

「ったく、ぼーっとしてるなよ。そんなんだから女はトロいってんだよ」

「はあ……スミマセン」

 

 会社の先輩である柿本は、愚痴るように悪態を吐いてきた。

 エリカは彼が苦手だ。こうした時代錯誤的な認識を面と向かって言ってくるから。

 

「俺の時代は先輩にちょっとでも迷惑かけただけで今後が危ういくらい危機感があったんだぞ? お前もそうなりたくないならもっと先輩である俺を立てて世渡りを上手くやってだなあ――」

「……」

 

 ――出た出た、俺の時代はオトコ。別に貴方の時代じゃないし、今はそんな時代じゃないのに自慢みたいに聞いてもないこと語り出すヤツっているよね。

 適当に聞き流しながらエリカは心中で舌を出す。勤めている会社にも不満があるし、近い内に辞める予定ではあるものの、ここで言い返して険悪な関係になれば面倒なことになりそうだ。だからいつも通り、従順に説教を聞く後輩を演じて、自己肯定感を満たしてやればいいだろう。社会での世渡りの一つだ。今さらこの男に世渡り云々と言われたくない。たまに社会的に問題あるいやらしい視線で見てくるし。

 そう、エリカが現実に意識を戻していた時だった。

 

「大体なあ――う?」

「? 柿本さん?」

 

 不意に、柿本が言葉を詰まらせて立ち止まる。何事かとエリカが覗き込んだ瞬間、

 

《アナタは転換が可能です。転換を実行しますか? はい いいえ》

 

「……! こ、この『声』って!?」

「な、なんだ!? なんなんだこりゃあ!?」

 

 まるで脳内から聞こえてくるような『声』が聞こえてくる。エリカと、柿本にだけ。

 エリカはその『声』に覚えがあった。

 それはまさしく昨日の夜に自分が聞いて、人ならざる姿に変えさせられた――

 

《特定の応答がナいタメ、自動的に【はい】を受諾。変換を実行します》

 

「ひ、な、なにが……!?」

 

 そしてあの時のように、今度は柿本がエリカの前で禍々しい魔法陣の光に包まれた。

 魔法陣から駒じみたものが浮かび上がり、それを柿本は自分の意思とは関係なく掴み取らされる。

 そうして、右頬に現れた紋様に、駒の底部にもあるそれを重ね合わせた。

 

《――流入完了(コンプリート)。アナタは【ゴブリン】とナりました》

 

「う、ぐ、あああッギ、ギギギイィィィッ!!」

「なッ……!?」

 

 一際強い光に呑まれた柿本は、それが晴れると異形と化していた。

 頭一つ低い背丈に、醜悪な顔と禿頭。餓鬼のような赤色の体格で手には鉈を握り、真っ青な舌を耳まで裂けた口から垂らして気味悪くなめずる。

『ゴブリン』――そう呼ぶに余りある怪物が姿を現す。

 

「か、柿本さん……!?」

 

 変わり果てた柿本に声を掛けるエリカだが、こちらを振り返って見てくるギラギラした瞳には自我が見受けられなかった。まるで手頃な獲物を見付けたように、怪物――ゴブリンが緩慢ににじり寄ってくる。

 

「! こ、来ないで!」

 

 危機を覚え、必死に後ずさるエリカ。そんな獲物を前に、ギヒギヒ下劣な笑みを浮かべるゴブリンは鉈を振るい上げ、その命を刈り取らんとしてきた。

 もうダメだ――彼女がそう頭を過った時、

 

「はあッ――!」

「グギャ!?」

 

 割り込んできた影が、ゴブリンめがけて強烈なキックを仕掛ける。埒外の反撃を食らったゴブリンは、ものの見事に吹っ飛ばされてしまう。

 そして、守るように立ちはだかった影を見て、エリカは声を上げる。

 

「……あ、貴女は!」

「――ん? ああ、昨日の人か」

 

 黒いパーカーの少女。間違いない。何故か忘れかけていたが、今それが鮮明になる。それはまさに昨夜バケモノと化した自分を救ってくれた少女だった。

 確か、森風音。――風音は背中越しにエリカへと告げる。

 

「下がってた方がいいよ。魔人(バケモノ)同士の争いに巻き込まれたくないならね」

「え、う、うん……」

 

 言われて素直にエリカは物陰へと下がる。

 その直後に、先ほど吹き飛ばされたゴブリンが起き上がってきた。

 

「ギィィィッ!」

「ったく、昼間っから盛ってんじゃないわよ。場所と時間弁えなさい、魔人。こちとらバイト中なのよ」

 

 怒り心頭のゴブリンに皮肉気に言って、風音は魔法陣を展開する。

 ゴブリンのものと違い、まるで清浄な光を思わす。その中で風音は己の駒――草木の内で横顔を向く森の乙女を意匠として刻む幻想の駒『ファンタジアピース』を取り出し、袖を捲った右腕の紋様へと底部を押し当てた。

 

転換開始(コンバージョン)

 

 そうして一際強い光を纏い、晴れた時には風音の姿が変じる。

 黒髪は金糸に染まり、パーカー姿から狩人装束に、耳は長く尖り立ち、手には狩弓が。

 

変換完了(コンプリート)種族(バージョン):エルフ》

 

 真昼の現世に、麗しき幻想が降臨した。

 

「さて。お次は昼間の小鬼退治よ」

 

 毅然と言い放ち、風音――【エルフ】の魔人は【ゴブリン】の魔人と交戦する。

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