夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─ 作:鵜鷺りょく
「敬愛する先達からのお言葉として、胸に刻ませていただきますね?」
【1】
早朝。朝食の時間も終わり、合宿所がまたいつもの賑やかさを取り戻し始める時間帯。
入口の前で軽い準備運動をしながら、自分たちは軽くミーティングをしていた。
「夏祭り?」
「はい」
ランニングコースや帰宅予定時間の確認。必要事項を一通り確認し終えたところで、シオンがふとそんな話題を切り出す。
「友達から聞いたんです。今月の後半、ちょうど合宿の最終日に、近くでお祭りがあるらしくて」
「そういえば、そんな話も……」
確か同僚が話していたような気がする。地元のささやかな行事ごとと聞いているが、それなりにたくさんの屋台も出て賑わうのだとか。
……最終日、か。
確かにいいタイミングではある。合宿の締めくくりたるその日は施設も整備に入り、また学生たちも翌日の帰り支度に向けて動き出すからだ。
大半はその日を休養日にするか、あるいは早めに練習を切り上げる程度にとどめることだろう。
「そこはうちも休みだし、問題ないな」
「! じゃあ」
「ああ。合宿のご褒美だと思って、友達と楽しんでおいで」
「はいっ──え」
「……え?」
自然、そういう話だと思ったのだ。至って普通なはずの自分の返答に対し、シオンが何か驚いた様子を見せるまでは。
な、何かまずったか……?
その場の微妙な空気を察することはできても、具体的な原因にまでは思い至れないでいた。
「いや、えっと、そういうわけじゃ……あぁでも、今の話し方だとそうなっちゃうか……」
シオンも何だか動揺していた。原因はまず間違いなくこちらにあるのだろうし、せめてその言葉がまとまるまではしばらく待つことにする。
「つ、つまりっすね? トレーナーさんさえよかったらなんすけど……一緒に行きませんか、夏祭り」
「…………ん? 俺と?」
聞き間違いかと思った。あるいは言い違えたのかとそう確認してみるが、シオンははっきりと頷いた。
「お祭りがご褒美だっていうなら、それはトレーナーさんにも必要だと思うんす。……だったらもう、二人で行っちゃえばいいんじゃないかなって」
照れくさそうに言うと、そのままシオンはしばらく下を向いてしまう。
一呼吸おいて、自分は不意に聞き返していた。
「本当にいいのか。俺なんかと一緒で」
「……。トレーナーさんとがいいんすよ」
嫌な顔一つ見せず、真っ直ぐな言葉が返る。
そこまで来れば、自分の返事はもう他になかっただろう。
「分かった。じゃあ、一緒に行こうか」
「……! はいっ」
眩しいくらいに満面の笑みと共に、また一つの約束が交わされる。
それもまた、少しは彼女の活力になるのだろうか。
「……そ、それじゃあ、ランニング行ってくるっす」
「ああ。気をつけてな」
そんなやり取りを最後に、自分たちは一度別れた。
日差しを手のひらで遮りながら、遠ざかる後ろ姿を最後まで見送る。
「……浮かれてる場合か」
パチッと、自らの頬を軽く叩く。
過酷な夏はまだ続く。その終わり、せめてシオンが心からお祭りを楽しめるように。
今はまだ、気は抜かないままで。
【2】
じりじりと蝉の鳴く。どこか揺らめいて見えるような夏空を目指すように、舗装されたアスファルトの上を進む。
顔が熱を持っているように思うのは、何も夏の暑さだけのせいではないんだろう。
『……一緒に行きませんか、夏祭り』
『トレーナーさんとがいいんすよ』
自分なりに勇気を出して、トレーナーさんを夏祭りに誘った。ついでに何だかちょっと思い切ったことまで口走っちゃった気がするけど。
そんな風に、合宿所を離れてしばらく経った今でも、トレーナーさんとの一連のやり取りが頭から離れないでいた。
「?」
黙々と一人で走っていると、そのうち後ろから他の足音が聞こえてくる。
振り返ると、さっき通り過ぎた曲がり角の向こうからちょうどその人が姿を現した。
風にたなびくキレイな青髪は、あたしにとっても馴染み深い。
「ヴィルシーナさん!」
「お久しぶりです、シオンさん」
呼び掛けると、後方から駆けてきたウマ娘──ヴィルシーナさんもまた穏やかな笑顔を返してくれる。
こちらが少しスピードを落とそうとすると、それより一歩早く加速。まるでそれは不要と言うように、徐々に距離を詰めるヴィルシーナさんがやがて隣に並んだ。
「ふぅ……やっと追いつきました。突然すみません。遠目に、こちらの山道へと入っていく姿をお見かけしたものですから」
「いえ。あたしも、まさかこんなところでお会いできるなんて」
そう答えるあたしの声は、自分でも意外に思えるくらいに弾んでいた。
互いに強大なライバルの背を追う者同士。日頃から相談に乗ってもらったり、またある時はトレーニングを共にしてもらったりと、ヴィルシーナさんには日頃からお世話になっている。
学年こそ違うけれど、どんな時も凜々しく前へ進み続ける彼女は、心から尊敬する友人の一人なのだ。
「遅くなりましたけど、デビューおめでとうございます。合宿にはもう合流されてたんすね」
「ふふ、ありがとうございます。こちらにはほんの数日前に到着しまして……私としてはもう少し早くてもよかったんですが、トレーナーがあまり無理はしないようにと聞かないものですから」
「そ、そうなんすね……」
やれやれと言いたげな口調で語るヴィルシーナさん。でも、言葉とは裏腹に声の響きはどこか柔らかくて、良い意味で遠慮の要らないような関係性を感じられた気がした。
彼女が担当契約を果たしたのは今年の春。そのメイクデビューとなるレースはつい先月に行われたところだった。
現地まで応援に行けなかったのは残念だったけど。それでも、妹のシュヴァルさんを通してその鮮やかな勝利について聞いた時には、何だかとても胸が熱くなったのを覚えている。
「私もシュヴァルから色々と伺っていますよ。シオンさんも合宿でとても頑張られていると。聞けば、今年はあのオルフェさんとの合同トレーニングを組まれているとか」
「あはは……ご存じだったんすね。ていっても、まだ大した成果は出せてないんすけど」
「ご立派だと思いますわ。いずれ打倒すべき宿敵との鍛錬……少しばかり、羨ましくも思えてしまうくらいです」
闘志を秘めることもせず、ヴィルシーナさんはそう言ってのける。
「もしご迷惑でなければ、色々とお話をお聞かせいただけませんか?」
「あたしなんかでよければ。……あ、でもヴィルシーナさんのランニングコースって」
「多分、シオンさんと一緒ですよ」
お見通しというようにそう言うと、道の先に視線を向けながら彼女はすらすらと言葉を続ける。
ここから数キロほどアスファルトを進み、山道へと入って頂上を目指す。そこで折り返して、また元の道を辿って合宿所まで帰り着くルートなのだと。
それはこの辺りでも特に足腰に負担の掛かるコースの一つ。ヴィルシーナさんが言った通り、あたしがこれから進んでいく道程でもあった。
「さすがっすね。まだデビューを終えたばかりなのに、もうこのコースなんて」
「当然です。大事を取って出遅れた分、少しくらいは無理も通させてもらいませんと」
……相当不満だったんだろうな。
想像には難くない。トレーナーさんに色々と苦言を呈されながらも動じることなく、それを真正面から説き伏せるヴィルシーナさんの姿は。
それもまた、仲が良いことの裏返しでもあるんだろうけど。
「それに、今日はあの子たちも一緒ですから」
そう言いながら後ろを見る。ちょうど同じタイミングで、後方から複数の息づかいが近づいてきていた。
「はぁ、はぁ……姉さん、もうあんな遠くまで」
「待って~」
ヴィルシーナさんの優しい声遣いから、何となく察しはついていた。
眼下から懸命にこちらへ駆けてくるのは彼女の妹たち。シュヴァルさんとヴィブロスさんだ。
「申し訳ありませんが、少し今のペースでお待ちいただけますか?」
「もちろんっす」
あたしの答えに一つ微笑むと、ヴィルシーナさんは徐々に減速して後ろへ下がっていった。
「さあ、二人とも一列になって。ちゃんと私の後ろについてきてね」
「う、うん……」
「りょ~か~い……」
そうして後方の二人と合流。慣れた様子で列車のように連なると、また少しずつ加速しながら登ってくる。
まるで向かい風の中からするりと引っ張り上げられるように。姉の後ろにしっかりと続きながら、やがて二人は近くまで追いついてきた。
「ふひ~、やっと追いついた~……って、あれ? シオンさんだ」
「え……ほ、ほんとだ」
「こんにちは。二人とも、お疲れ様っす」
汗の光る前髪を揺らしながら、シュヴァルさんたちがこちらに気づく。
「……あ、そうか。だから姉さん、さっき急に加速して」
「そういうこと。それでね? コースも同じみたいだし、ここからはシオンさんにもご一緒してもらおうと思うの。二人とも構わないかしら」
さっきの提案について共有するヴィルシーナさん。二人の返事は早かった。
「もっちろん! みんな一緒の方が楽しいもんね~」
「ぼ、僕もっ……その、ぜひっ」
「ありがとうございます」
何となく、姉妹水入らずのところを邪魔してしまうんじゃないかって思ったけど。そう答えてくれる表情からは、それぞれに歓迎してくれているのが伝わってきた。
隣で頷くヴィルシーナさんにも笑みを返す。
かくして、あたしは彼女たち三姉妹と行動を共にすることになったのだった。
【3】
道なりにしばらく走ると、広く静かな田園地帯にたたずむ古民家が目にとまった。
その向かいには山の斜面。林立する木々の間に道が続いているのを確認すると、お互いに視線を合わせてから、あたしたちはアスファルトの上を離れていく。
苦しげな息づかいもあと少し。木漏れ日を頼りに薄暗い小道を登る。やがて開けた場所まで出ると、皆だんだんと速度を落とし始めた。
「っ、はぁ……さすがに、この辺りで一休みっすかね」
「ええ……そうですね」
振り返ると、さしものヴィルシーナさんにも疲労の色が見える。後ろのシュヴァルさんたちも膝に手を突いていて、しばらく満足に話せそうにはない様子だった。
舗装された道とはいえ、ずっと炎天下の熱気の中を駆け抜けてきたんだから、無理もない。
近くにちょうどいい木陰を見つけて、一旦そちらへと移動する。
「ほら、シュヴァルさん。ゆっくりでいいっすからね」
「あ、ありがとうございます」
丸石に腰を下ろしたままぐったりしているシュヴァルさん。了承をもらって代わりに荷物を開けると、あたしは取り出した水筒をそっと手渡す。
こちらの声はちゃんと聞こえていたようで、彼女は少しずつドリンクに口をつけ始めた。
「シオンさん」
「あ、ヴィルシーナさん。ヴィブロスさんの方は大丈夫っすか?」
「ええ。ただ、やっぱりもうしばらくは休ませた方がよさそうで……」
申し訳なさそうに言うヴィルシーナさんに、あたしもその心境を察する。
「気にしないでください。あたしも無理はしないように言われてるんで。
ヴィルシーナさんも休んでくださいね。何か手伝えることがあったら言ってほしいっす」
「……はい。ありがとうございます」
そう答えると、ほっと胸を撫で下ろすようにその表情が緩む。
実際それも嘘じゃない。何より変に自分の体力を過信してしまうことのリスクについては、あたしたちもこの合宿が始まった頃に身に染みたばかりだから。
当然、トレーナーさんからも事前に口酸っぱく注意を受けている。
「流石ですね、シオンさん」
「え?」
「同じ道を走ってきたのに、もう息が整っている。まだデビューしたばかりの私では比べられるはずもありませんが──やっぱり、合宿前にお見かけした時よりも力をつけられたように思いますわ」
「……。……ッ!?」
まさか、そんな風に言われるなんて想像もしていなかった。
一瞬遅れて状況を理解する。その頃にはもうかーっと熱くなっていて、ついそれを隠そうと躍起になってしまっていた。
「そ、そんなっ……そこまで言ってもらえるほどじゃ」
「ふふ。ねえ、シュヴァルもそう思わない?」
「……!」
そんなあたしを微笑ましく見た後、ヴィルシーナさんは後ろのシュヴァルさんにも話を振る。
「……僕も、そう思います」
「ちょ、シュヴァルさんまで」
気づけば挟み撃ち。意を決したように、シュヴァルさんも言葉を続ける。
「だって、ずっと思ってたんです。シオンさん、合宿中にどんどん速くなってるなって。僕なんて今日はついていくのがやっとで……今だって、足引っ張っちゃってるし」
「そんなことないっすよ! シュヴァルさんはまだデビュー前だし、ヴィルシーナさんだってまだまだこれからで……って、すみません! 何か生意気な言い方になっちゃってますね!?」
フォローしたつもりがいつの間にかすごく上から目線なことを言ってしまっている気がして、頭はすっかりてんてこ舞いになる。自分でも落ち着けと言いたくなってしまうほどだった。
「敬愛する先達からのお言葉として、胸に刻ませていただきますね?」
「ヴィルシーナさん……」
悪戯っぽく返すヴィルシーナさん。さすがにこれはからかわれてると分かったけど。
……やっぱりまだ、こうやって褒められるのは慣れないな。
「むー……おねえちゃん」
「あら、ヴィブロス?」
そんなやり取りの最中、ヴィルシーナさんの後ろからヴィブロスさんが顔を覗かせる。
その背中に寄りかかりながら、肩越しに見えるその表情はどこか不満げで。
「みんなだけで仲良くしててずるーい……私もーっ」
「……」
「……」
何て答えていいか分からずに、ヴィルシーナさんと顔を見合わせる。
その真意を尋ねてくれたのはシュヴァルさんだった。
「ずるいって、何がだよ……」
「だってー。お姉ちゃんもシュヴァちも、さっきからシオンさんとたくさんお話しててさ~」
「……えっ。あたしっすか?」
その答えは全くの予想外。すっかり話し込んでしまっていたのは事実だから、お姉さんたちを取られたような気がした、とかならまだ分かるけど。
「シュヴァちは部屋おんなじだから分かるけど、お姉ちゃんもいつの間にかすっかり打ち解けてるし。私ももっと仲良くなりたーい」
「仲良く、ですか。それはもちろん嬉しいっすけど」
「また変なこと言って……やめなよ、シオンさん困ってるし」
「ぶー、シュヴァちがヤキモチ焼いていじわるしてくるー」
「なっ……ヴィブロスっ!」
「きゃーっ」
からかわれたシュヴァルさんが立ち上がると、ヴィブロスさんはちょっと楽しそうな様子で逃げ出した。
そのまま流れるように、すすっとあたしの背後に移動してくる。
「それに前から思ってたけど、何だかシオンさんって他人の気がしないんだよね~」
「そ、そうっすか……?」
「シュヴァちと雰囲気似てるからかな? ねっ、お姉ちゃん」
「…………言われてみれば、確かに」
ヴィルシーナさんまで……それも何だか真剣に頷かれてしまったし。
確かに、どちらかというとシュヴァルさんとはよく気が合う方だと思っている。少なくとも、あたしの方は。
隣ですっかり顔を赤くしてしまっているシュヴァルさんがどう思っているかは分からないけど、いつも直向きで気配り上手な彼女と似ているって言われるのは、何だか嬉しくもあった。
「いっそ、シオンさんもうちの子になっちゃう?」
「いっそって……」
「えっと……い、いいんすかね……?」
今度はシュヴァルさんと顔を合わせる。十中八九冗談ではあるんだろうけど、ヴィブロスさんの掴み所のないテンションが、ありえないと分かっていても妙な説得力を生み出しているようにも思えた。
「うんうん。……あっ、でもそれだと」
「?」
「一番年上だから、シオンさんが長女になっちゃうのかな?」
「!!」
ぴくっ
それは何かまずい。あたしがそう思うのと同時に、目端に移る彼女の耳がピンと伸びるのが分かった。
それまでは至って穏やかに話を聞いてくれていたはずなのに……そちらを見ると、笑顔は変わらないままに、すごく形容のしがたい気迫を纏っているヴィルシーナさんがいた。
「シオンさん?」
「は、はい……?」
「もし、あなたが姉を名乗りたいと言われるなら……申し訳ありませんが、私も黙っているわけにはいきませんね?」
「い、いや、あたしは別に」
何かよくないものを踏んでしまったんだと、そう確信する。
いつも冷静沈着なヴィルシーナさんの様子が明らかにおかしかった。
……あたし、何も言ってないんだけどなぁ!?
「あれ、お姉ちゃん何かおこ……もが」
「ヴィブロスはちょっと黙ってて」
そして、山道に入るまでの休憩時間は緩やかに流れていくのだ。
※2026/3/23追記
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