夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─   作:鵜鷺りょく

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「いつもありがとうございます。トレーナーさん」




天狼星は彼方より Ⅴ 「裏で頑張るトレーナーのお話」

 

【1】

 

「……あれ、雨?」

 

 ふとシュヴァルさんが呟いた。その直後、天から降り注ぐ水滴の音がフェードインしてくる。

 慌てて動き出す四つの足音。元いた木陰まで戻ってきて振り返ると、雨はすでに身を滑り込ませる隙間もないほどに強まっていた。

 

「……朝の予報じゃ降るなんて言ってなかったけど」

「ねー。せっかく元気になったとこなのに、これじゃ出発できないね」

「そうだね」

 

 枝葉の間から空を除きつつ、シュヴァルさんとヴィブロスさんが残念そうに話している。

 山の天気は変わりやすいって言うよな……なんて思って少しだけ空を見上げるけれど、不機嫌そうな曇天は遠くの空まで続いているようにも見える。単に天気予報が外れただけっぽい。 

 それだけ確認すると、あたしはまた耐えきれなくなって背を曲げた。

 

「はぁ、はぁ……」

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

「……まあ、今度はお姉ちゃんたちがこの状態だし、どっちみち厳しそうだけど」

 

 冷静なヴィブロスさんの言葉。互いに肩で息をするようにしながら、あたしとヴィルシーナさんはそれを聞いていた。

 

「……二人とも、何で今全力疾走なんか」

 

 今度はシュヴァルさんから。至極当然と言っていい疑問が投げかけられる。

 

 ……うん。あたしにも分からない。

 

 ちょっとまだ会話は難しいけど、ここまでの経緯を整理してみよう。きっかけは……そう、確か姉の座がどうかという話だった。

 最初はシンプルに誤解だったはずなんだけど、それでも珍しく無気になったヴィルシーナさんの勢いが止むことはなく。そのうちに、どちらがその称号を持つに相応しいか決めようという勝負事にまで発展した。

 そしてあたしたちの勝負事と言えば、まず大体は競走という流れになるわけで。

 

「こればっかりは、手、抜けないっすから……」

「ええ……もちろん、ですわ」

 

 やっとそれなりに息が整ってくる。数秒ごしにシュヴァルさんの問いに答えると、ヴィルシーナさんもそれに続いた。

 一旦来た道を戻って、一定の距離まで行ってから折り返してくるだけの短いコース。そんな中で、多分ヴィルシーナさんは終始本気だったのだと思う。少なくともただの成り行きだと思ってかかっていたら、絶対に追い抜けないほどの気迫があった。

 それに経緯はどうあれ、あたしもやっぱり勝負だけは譲りたくなかった。負けたくないと、そう心から思える相手の一人だからこそ。

 

「今回は先着を許しましたが……いずれ、また」

「! ……はい、望む所っす」

 

 こちらに向けられるその視線が、ヴィルシーナさんもきっと同じ気持ちだったんだと、そう思わせてくれた。

 

「……あと、結果は結果、ですので。シオンさんがどうしてもと言われるなら、その、姉の座は──」

「それはほんとに誤解ですからね!?」

 

 それでも、例の話題に対する執念の方は消えていなかったみたいで。

 ……今後、彼女の前で不用意にその話に触れるのは止めておこうと心に誓う。

 

「二人とも負けず嫌いだよね」

「それは確かに……というか、これ元を辿ればヴィブロスのせいじゃなかったっけ」

「うっ……それはごめんってばぁ」

 

 シュヴァルさんの指摘に一瞬ハッとなる。そういえばその通りだった。

 ただ、ヴィブロスさんも反省しているようだったし。あたしももうそれ以上は口を挟まないことにした。

 

 

 ──────────

 

 

「──そういえば、シオンさんって普段どんなトレーニングしてるの?」

「え?」

 

 それなりに回復してきて、クールダウンにと軽くストレッチをしていたところ。そう尋ねてきたのはヴィブロスさんだった。

 

「さっきの見てたら何か気になっちゃった。気のせいかもだけど、合宿所とかではそこまで会わなかったよね?」

「そういえば確かに……」

「ランニングに出られていることが多かった、とか?」

「……あー、それはっすね」

 

 結構、そういうの気づかれてるもんなんだな。

 何となく意外に思いつつ、特に隠すようなことでもないので普通に答える。

 

「確かに、ランニングに出ていたこともあったっすけど。今年はちょっと変わったトレーニングメニューも多かったんで、そのせいっすかね」

「変わったメニュー……?」

「はい。クライミングにパルクール。吊り橋渡りに、渓流下りとパラグライダー……バンジージャンプとかもあったかな」

 

 合宿中の記憶を紐解きながら一つずつ言い並べていく。

 ……ちゃんと伝わってるかな、これ。

 

「……それ、トレーニングなの?」

「……」

 

 もっともな疑問だった。かくいうあたしも、トレーナーさんから初めて聞かされた時には、さすがにポカンとしてしまっていたから。

 この辺りは自然が豊かで、地形に高低差のある場所も多い。だからなのか、元々そういうレジャーを体験できる機会にも恵まれているらしかった。

 レジャーを運営している団体の人たちとはトレーナーさんが事前に話をつけてくれていた。そういうわけで、夏合宿が本格化して以降はいつもの基礎練はもちろん、そういった特殊なメニューもこなすようになっていったのだ。

 

「パラグライダーに、バンジーですか……~~っ、何だか、怖そうですね」

「……実際、結構なもんだったっすよ」

 

 身震いするシュヴァルさんに、何とか端的な感想だけ伝える。

 確かに新鮮ではあったけど。じゃあ今後もやりたいかと言われれば、それはやっぱりちょっと。

 

「足腰の踏ん張りの強化……それから、不安定な場所での身体の使い方……?」

「ヴィルシーナさん?」

 

 首を傾げるヴィブロスさんと、青ざめているシュヴァルさん。そんな二人の隣では、ただ一人ヴィルシーナさんだけが真剣な面持ちで何かを呟いていた。

 

「……何でもありません。ただ──」

 

 ぴこん ぴこん

 

「?」

 

 そんな時だった。ほとんど同時に、別の場所で二つの電子音が鳴る。

 一方はあたしのポーチから。スマホを取り出してみると、LANEの通知が届いていた。

 メッセージはトレーナーさんからだ。

 

『雨、大丈夫か?』

『あまり強くなりそうなら、今日は中断にしよう。

 場所を教えてくれれば、車を借りて近くまで行くよ』

 

「……」

 

 噂をすれば、というところだろうか。

 ……雨が降り出してから、まだ十分も経ってないのに。

 

『ありがとうございます。

 まだ山道に入る前なんで、状況を見て連絡します』

『今は友達も一緒ですから、心配しないでください』

 

『分かった。ただし、絶対に無理はしないように』

『判断は慎重に。君たちの安全が最優先だよ』

 

「……了解っす」

 

 最後に同じ旨のスタンプを送る。そこにトレーナーさんからのリアクションがついたのを見て、やり取りは一旦幕引きとなった。

 

「トレーナーさんからですか?」

「はい。……ヴィルシーナさんも?」

「ええ」

 

 もう一つの電子音の正体。ヴィルシーナさんが見せてくれたスマホの画面には、さっきのあたしたちとよく似たLANEのやり取りが映し出されていた。

 

「……ふふ」

 

 顔を見合わせて、どちらからともなく笑いが零れだす。

 胸に滲んだ温もりは、きっと同じだった。

 

「むぅ……いいな~、二人ともトレーナーさんに心配してもらって」

「あら、ヴィブロスたちのことも書いてあるみたいよ?」

「え? わ、ほんとだ~っ」

 

 若干むくれていたヴィブロスさんの表情も、端末を覗き込んでパッと明るくなる。

 

「……いつかあなたたちにもトレーナーさんがついたら、きっと同じようにしてくれるわよ」

「え~、そうかな~?」

「ええ。……というか、もし二人のことをぞんざいに扱うような人なら、お姉ちゃんが絶対に許しませんから」

「ね、姉さん……」

 

 シュヴァルさんが困惑している。こういう時のヴィルシーナさんはやっぱり迫力が凄い。

 だからってわけじゃないけど。いつか二人にもいいパートナーが見つかればいいなと、あたしもそう思った。

 

 ……雲の流れは、案外速い。

 

 見上げた空の行く先は、それほど悪いわけでもなさそうだった。一瞬強くなった雨脚もこれ以上荒れる様子はなく、ここから少しずつ落ち着いていくと思う。

 ふと、隣に誰かが並ぶ気配がした。

 

「……不思議なんす。この合宿が始まってから、まだあいつには一度も勝ててない。今までのあたしだったら、また俯いて立ち止まってたかもしれないのに。

 今は何だか、明日のトレーニングが待ち遠しくて仕方ないんすよ」

 

 最近、心のどこかで感じていたそれを打ち明けていた。

 何となく、その正体には気付き始めながらも。

 

「……きっとそれは、私たちが一人ではないからなのでしょうね」

 

 傍で聞いていたヴィルシーナさんが、そっと口を開く。

 

「ありのままの自分を見て、一番近くで信じてくれている人がいる。

 それだけでも、気持ちは随分と違うものですから」

「……そうっすね」

 

 答え合わせのように、あたしたちは微笑みを交わす。

 

 ……そこでふと思い出した。

 

 それはあの夏祭りの約束のこと。トレーナーさんへのご褒美だと、あの時のあたしは、話の流れでついそう言ってしまっていたけど。

 本当に、それでいいのかな。

 あたしにとっては間違いなくそうだ。だけど、あの人にとってはどうなんだろう。

 何か、他にできることはないのかな。

 

「……」

 

 少し時間が経って、やがて雨が止んだ。

 木葉の切れ目に見えていた空が、みるみる晴れ渡っていく。

 

 みんなで地形アプリを開いて、改めてコースを確認する。結局心配していたほどの雨ではなかったけど、念のため危なそうな道は避けようという話になった。

 そうして再作成された道に沿って、あたしたちはまた走り始める。……その前に。

 

『雨、大丈夫そうなので、このままランニングを続けます』

『みんなと話して少しコースを変えたので、確認しておいてください』

 

 最後の一言だけは、少しだけ指先の泳ぐ時間があった。

 

『いつもありがとうございます。トレーナーさん』

 

 

【2】

 

 静かな夜に、囁きかけるような波の音。

 常日頃の忙しなさの中では物珍しい。自分のことを風流な人間と思ったことは今までにないけれど、やっぱり良いものだとは感じる。

 何よりアルコールの回った頭には優しく、居心地がいい。

 あぁ、この丁度いいふわふわとした感じ……あの子と会えない寂しさも、こうしているうちに夜闇の静寂に消えていくんだろうか。

 

「……」

 

 って、そんなわけあるかぁぁッ!!

 

 一瞬で思考が切り替わる。溜め込んできた不平不満が止め処なく溢れ出してきた。

 秋からは出張続きで何かと立て込むことになる。それこそ生きがいたるレースの実地観戦すらままならなくなるくらいだ。当然あの子──ウインバリアシオンちゃんに会いに行く時間も取れなくなってしまう。

 だからこそ、何か丁度よさげな仕事を請け負ってまでこの合宿所までやってきたというのに。いざ来てみれば思っていたよりやることは多いし、肝心のバリちゃんはいつもトレーニングが忙しそうで、できることと言えば遠くから後方古参ヅラ腕組みして見守るくらいしかなかったし。

 結局、会いに行けたのは最初の一回だけ、か。

 

 ……いや違うな。

 

 あれも差し入れを何とか渡せただけ。話をしたのは、あの生意気小僧のトレーナーだけだった。

 

「あんにゃろ、相っ変わらず大口ばっかたたきやがってぇ……バリちゃんに無茶させて怪我でもさせたら承知せんぞマジ…………ん?」

 

 ピタリと足を止める。それから遠くに目を凝らした。

 延々と続くような長い砂浜。この先は一部が岩場のようになっていて、千鳥足で進んできた私はいつしかその近くまでやってきていたようだったが。

 もう数歩前進。向こうの岩陰の様子が見えてくる。

 

「!」

 

 次の瞬間、私は一瞬で頭を覚醒させた。

 岩陰の隙間に転がっていたのは、人だった。

 

「ちょ、ウソでしょ……っ!?」

 

 慌てて駆け寄る。近づくほど、それは倒木や打ち上げられた魚なんかじゃないことが明らかになっていった。

 

「だ、大丈夫ですか!? 私の声、聞こえますか!!」

 

 まずは意識の有無を確認。うつ伏せの身体を起こして外傷がないかを見る。

 そうして初めて、私はその人の顔を見た。

 

 ……松早(あいつ)だった。

 

「んん……あ、れ。あなた、は……」

 

 返事は無事返ってきた。よかった、とりあえず意識はあったらしい。

 ひとまず、胸をなで下ろす。

 一応は緊急事態だ。先ほど思い浮かべていたばかりのその小憎たらしい顔つきを前にしても、今は素直に心配できそうで。

 

「……ひどい走馬灯だ」

「おいこらどういう意味だクソガキ」

 

 前言撤回。経緯は全く知れないけれど、とりあえずいつもの減らず口をたたける余裕はあるらしいし。

 このまま朝まで放っておくか。日干しにでもなってろ。

 

 

 ──────────

 

 

 一瞬、本当に置いていってやろうかとも考えたものの、やっぱりさすがにそういうわけにもいかなかった。一応はURAの職員として、ウマ娘達の夏合宿で犠牲者などを出すのは避けたい。

 しかし汗だくの男に肩を貸して運ぶとかどんな罰ゲームだ──内心そうやさぐれつつ、遠くの屋明かりを目指してひたすら道を引き返す。

 

「──ウマ娘用のトレーニングを試してたぁ!?」

 

 その道すがら、ようやく合宿所も近づいてきた頃。

 当の松早(まつばや)から事情を聞いた私は、思わずそう声を上げていた。

 

「っ…………」

 

 意識はあるらしいが、やはり弱っているのかまだ声の響きが頼りない。このままでは会話もしづらいと思っていた矢先、先ほどから彼が大事に抱えているバインダーの存在に気づいた。

 さっと取り上げて中をあらためる。

 それは確かにウマ娘のトレーニングメニュー、おそらくはその下書きといったところか。

 

「……マジじゃない」

 

 紙面の隅々にまで敷き詰められたメモ書きの数々。私もこの業界に身を置いて長いわけで、認めるのは癪だが、それがどれだけ練り込まれた内容であるかもすぐに分かってしまう。

 所々に見慣れないメニューもあるけど……そういった箇所には決まって、その横にマルやバツといった記号が記されていた。

 

「……実例の少ない手段をとるなら、裏取りは必要だ」

「!」

「そこに額面通りの効果が期待できるのか、またどういったリスクが考えられるのか……それくらいなら、自分の身体でも確かめられる」

 

 徐ろに口を開いた松早は、そのまま最後まで言葉を紡ぐ。

 

「何の確信もないまま、あの子に押しつけるわけにはいかないでしょう」

 

 そこでまた一度声が途切れた。

 

「…………」

 

 妙な感覚だった。私は昔から思ったことをはっきり口に出す方で、何とあまり言葉に詰まったことがない。歩く騒音機会とか何とか散々言われたことはあるが、まあそれはいいだろう。

 何か言ってやりたいとは思ったのだ。すぐ隣のこのバカに。……それでも、上手く声に表すことができなかった。

 

 とはいえ、そうこうしているうちにも合宿所は迫る。

 ひとまず最低限やることはやった。やるせなく溜め息を吐きながらも、入口を潜る。

 

「──あれ、笹田さん?」

「!!」

 

 そこでまた事件が起こる。正面から声を掛けられたのだ。

 耳がピンと震える。その声が誰のものかくらい、私に分からないわけがない。

 顔を上げると、そこには確かに彼女──ウインバリアシオンちゃんの姿がある。

 

「ば、バリちゃん!? どうしたの、こんな時間に……!」

「あ、すみません……ちょっとお手洗いに。これからまた部屋に戻るところで」

 

 もう夜も遅い。特にウマ娘たちはもうすっかり寝静まった頃だろうと油断していて、私も動揺を隠せずにいた。

 それがお叱りだと思ったのだろうか。バリちゃんもどこか気まずそうだが。

 

 ……待てよ?

 

 もう一度、改めて正面の立ち姿に焦点を合わせる。

 どうしてそんな大事な情報を見逃してしまっていたのか。だってあれ、今から部屋に戻るところだと彼女は言っていたじゃないか。

 つまりそれは、もう寝る支度を済ませた後だということで。

 

(か、髪下ろしてるバリちゃん……っ!? レアショットじゃないッ!! うっっっわ超可愛ぇッ!!)

 

 私の中に流れるファンの血が躍動する。

 この瞬間を見られただけでも合宿に潜り込んだ甲斐があった……あぁ、今まで溜まっていた不平不満が今度こそ浄化されていくのを感じる。

 おのれ、余計な背負いものさえなければ即スマホを出して写真に収めていたものを。

 

 って、あれ? 何か肩軽くなってない?

 

「ちゃんと布団を被って、しっかり休むんだぞ」

「もう……小さな子供じゃないんすよ、トレーナーさん」

 

 ……は?

 

 何の屈託もなく、ただ自然に微笑むバリちゃんの視線の先。つまり私のすぐ隣。

 視線を向けると、そこには何でもない様子で立っている松早の姿があった。先ほどまで満身創痍だったとはとても思えない、余裕げな表情を湛えて。

 今にして思う。私が人一人を担いで屋内へと入ったあの一瞬。それと対面したバリちゃんの様子は、その時からあまりにも普通すぎた。とても一般的で素直な感性の持ち主であるあの子が、だ。

 ……こいつ、いつからそうしてた?

 

「……ところで、その。お二人は、こんな時間に出かけられてたんすか?」

「! あっ、いやそれは」

 

 まずい。色々衝撃が重なって失念していたがこの状況。

 ラフな恰好の男女が二人、こんな夜遅くにどこかからそろりと帰ってきた。下手をすれば変な誤解も与えかねないような場面だった。

 それは心底勘弁願いたい。バリちゃん(この子)の前で、よりにもよって松早(コイツ)などと。

 

「たまに、夜な夜な脱走を図る子がいるらしくてさ。当番制で見回りに出てるんだよ」

「あ、そ、そうなんすね……変な聞き方してすみません。お二人とも、お疲れ様です」

 

 ……何か手慣れてんなこいつ。

 息を吐くような松早の方便。バリちゃんは特に疑う様子もなく頭を下げた。

 

「あ。そうだ、笹田さん」

「?」

「お礼、すっかり遅くなったっすけど。いつぞやは差し入れありがとうございました。焼きそば、とっても美味しかったっす」

「!! そ、そんな、いいのよ気にしなくても。……私もなかなか会いにいけなくてごめんなさいね。でも、影ながらいつも応援してるから。残りの合宿も頑張ってね」

「はいっ」

 

 天使のような笑顔と、とても自信に溢れた返事。

 もうここで倒れてもいい……と。思わず昇天しそうになった。

 

「それじゃ、おやすみなさい」

「ええ」

「ああ。また明日もよろしくな」

 

 遠ざかるバリちゃんの後ろ姿。それが階上へと消えていくまで、ただ静かに見送る。

 その直後、松早がふらりと動き出した。

 

「……それでは、俺も一旦部屋に戻ります。今日はお手間をおかけしてすみませんでした。このお詫びはまた近いうちに」

「え、あぁそう? まあ、お疲れさんねあんたも──」

 

 と言いかけて、すぐに離れつつあった首根っこを掴み上げる。

 

「じゃねぇでしょ。しれっと流そうとすんな」

「……ダメですか」

「あれで話が終わったと思ってんのかあんたは」

 

 どこまでも舐めたやつだ。……まあ、これでもいつもよりはだいぶ塩らしいようにも思えるのだけど。

 単に弱っているせいか。はたまた、私に借りを作ったことを気にしているのか。

 

「バリちゃんには、隠してるのね」

「……当然です。今日は少ししくじりましたが、あの子に余計な心配はかけられない」

「……」

「合宿が終わるまでの間だけです。なるべく、内密の方向で」

 

 そう答えながら、また一歩を踏み出す。

 少し力を緩めていた私の手はあっさりふり解かれ、松早はもうこちらを振り返ることもしない。

 

「やるんなら、最後までやり通しなさいよ」

「……」

「それはもうあんただけの問題じゃない。あんたが崩れれば、優しいあの子は間違いなく傷つく。タイミングによっては致命的な事態にもなるでしょう。……その時は、しくじったじゃ済まされないのよ」

 

 背中が遠ざかる。私はなおも冷徹な声音で続けた。

 

「覚悟しときなさい。あんたにとって、それがただの格好つけじゃないってんなら」

 





※2026/3/23追記
シリーズ用の質問コーナーを開設してみました。
必要に応じてお使いください。(『活動報告』に飛びます)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=338048&uid=503660

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