夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─ 作:鵜鷺りょく
「そうじゃなきゃ、あなたがいる意味なんてないでしょう?」
【1】
幼い頃によくやっていた遊びはと聞かれたら、自分はまず何を思い浮かべるだろう。
手堅いところではかけっこにかくれんぼ。道具を使ってもいいならサッカーやドッジボールも入ってくる。またブランコやシーソーといった遊具なんかも、近所の公園に通っていた時はよくやっていたっけ。
……などと。色々挙げてはみたが、ここはあえて
おそらくそれも、子供の遊びとしては王道の一つに数えられるもののはずだ。鬼役が他のプレイヤーを追いかけ、相手にタッチできれば立場が一転。基本はこれを繰り返すだけの単純なルールとなっている。
そのゲーム性は極めてシンプルだ。それも長く親しまれてきただけあって、髙鬼や色鬼といったアレンジ版も数多い。その懐の広さは実はピカイチといえるのではないか。
なら、多少なりそのルールをねじ曲げてトレーニングに応用してしまったりしても、別にばちは当たらないだろう。
「っ──え、えいっ!」
「!!」
ふと視線を上げれば、そこは学園内のグラウンドの一画。激しく砂塵が舞う中を駆け回っているのは、すっかり見慣れた三人のウマ娘たちだった。
そのうちの一人。すばやく背後へ回ったシュヴァルグランがぐいっと手を伸ばす。いい判断だと思うが、惜しくもそれは間一髪で標的に避けられてしまった。
「ほいっ、いただきますよっと」
「あ゛」
しかし状況は常に揺れ動く。あるいは、シュヴァルの立ち回りに気づいた時から備えていたんだろうか。
反対側に回っていたのはナイスネイチャ。下がってきた標的を近くまで招き入れると、どこか余裕すら感じさせる手付きでその背中にタッチする。これでまた一点が加算された。
すかさず後退。無理をすれば更なる加点も望めただろうに、しっかり用心深いものだ。それを見てか、シュヴァルも数歩下がって距離を取る。
「くっ……」
そして中央に孤立。
二人の連携にまんまとやられてしまい、追撃の機会も失った結果、標的のシオンはただその場に留まるしかないようだった。
「す、すみません、シオンさん。……でも」
「ふー……大丈夫。むしろナイスプレーっすよ、シュヴァルさん。それに、ネイチャさんも」
「ふふ、どーも」
そこで一旦息を入れ、申し訳なさそうなシュヴァルの言葉にも堂々と応じてみせる。二人のプレーを冷静に讃えながらも、彼女の視線は次の状況把握に向けて動いていた。
下手に焦って取り返そうとしないのは上々の判断。ここに来て、少しずつ合理的な思考力も身についてきたようだ。
気がつけば、ファン交流会からはや数日。
その間に始まったこの新しいトレーニングこそが、まさしく子供の遊びの代表格たる"鬼ごっこ"を参考にした特訓だった。
二つのチームに分かれ、互いに相手チームのプレイヤーにタッチした回数で得点を競う、ゲーム形式のトレーニング。この場では全員が鬼役であり、タッチによって役割が交換されることもない。いかに相手に多く触れ、逆になるべく触れられないように立ち回ることが重要になるルールだ。
そしてそんな中、シオンは必ず単独のチームに属し、逆に複数人が属する相手チームの攻撃を一人で迎え撃つことになっている。
その理由は言うまでもなく。これが彼女のための特訓だからだ。
神戸新聞杯で見えた課題。レースの終盤、前を行くオルフェーヴルへの備えを意識しすぎていたシオンは、しかし内側を走っていたウマ娘の動きに気付けなかったことで注意が逸れた。結果的にではあるが、その一瞬の隙が命運を分けたと言っていいだろう。
原因はおそらく、周りを見るための視野と咄嗟の状況判断力。そして何より、それらから得た情報を動きに反映するための瞬発力の不足が大きいように見えた。
クラシックの年も後半に差し掛かり、直近の菊花賞に加えて、その先にはシニア級のレースもちらつくこの時期。シオンも数々のレースで経験を積んできたとはいえ、それでもまだ心許ない能力もあるだろう。
特に、この先も継続的に活きてくるであろうそれらについては、課題が浮き彫りになった今にこそ培っておいて損はないもののはずだ。
「シュヴァルもナイス。でも、あんまり遠慮しちゃダメだよ。シオンさんが課題をクリア出来るかは、アタシらの頑張りにもかかってんだから」
「! は、はいっ」
さりげないネイチャからのフォロー。これを受けて、今まではどこか腰の引けていたシュヴァルの表情も引き締まっていく。二人はまたシオンを包囲する形で陣形をとり、彼女からじりじりと点を奪っていく算段のようだ。
数で有利な側にとって基本とはいえ、おそらくは最も安定している戦術だろう。これによって中央に隔離されたシオンは、また常に四方八方からの攻撃に備えなければいけなくなってしまう。まさしく大勢で走るレースにも通ずる、複数人の相手の動きを観察し、状況を読みながら最適な動きをくり出していくしかない状況だ。
必要になる能力は、確かにその中で着々と磨かれていくことだろう。
「……ここが正念場だもんな」
シオンにとっても、自分にとっても。
またあるいは、今も彼女の勝利を願い続けている、他の誰かのためにも。
【2】
「はじめまして。シオンくんの、トレーナーさん?」
礼儀正しく、それでいてどこかひやりとするような、そんな不思議な声の響きだった。
それはファン交流会の最中のこと。仕事の電話で少しの間外に出ていた自分は、店に戻る途中で一人の少女と顔を合わせた。
背丈や服装からしてもおそらく学生。交流会に参加しているファンの中には高校生たちの集まりもあったし、もしかしたら何かの事情で遅れてやってきた子なのかもしれないと、最初はそう思った。
けれど、予想外にも彼女はこちらに向き直る。
店内に入ろうとする素振りも見せずに、まるでもう目的のものを見つけたような顔をして。
そして、二人で話をしませんかと、そう声を掛けてきたのだ。
「不躾に申し訳ありません。改めまして、私は
ウインバリアシオンファンクラブに所属させていただいている、しがない高校生です」
店の正面入口を離れ、その隣の道まで歩いてきたところで、彼女は丁寧に名乗ってくれた。
すっかり予想外な展開が続いていたものの、少なくともファンの一人だろうというこちらの予想については、ちゃんと当たっていたようだった。
「こちらこそ初めまして。自分は──」
「存じ上げておりますよ。シオンくんの担当トレーナーの、
順当にあいさつを返そうとしたところ、先んじて名前を言い当てられてしまった。
少なからず唖然としていた。会話の順番が狂ったせいというのもあったが、何より、彼女がこちらの素性を正確に把握していたことに対して。
いくら選手であるウマ娘のファンだからといっても、裏方である担当トレーナー、それもこんな新人の名前まで知ろうとするような人は少ないと思っていたから。
「ふふ、意外ですか? ですが、私からすると以前にも何度かお話をさせていただいていたので。それほどおかしなことでもないと思っていますが」
「以前……ええと」
「──。といえば、お分かりになりませんか?」
「! それじゃ、あなたが」
告げられたのは、確かに聞き知っていた名前。
所謂ハンドルネームというのだろうそれは、代表的なSNSの一つであるウマッターの、とあるユーザーのものだった。
全く無関係なところにあったはずのその情報が、今目の前にいる彼女のそれと結び合わされていく。
その人──彼女は、日頃から絵師や3Dモデラーとして活躍している、クリエイター系のユーザーの一人だった。趣味で作っているという作品を時々タイムラインに掲載しては、そのクオリティの高さゆえに、毎回多くの他ユーザーからの反応を集めている。
また一方では、シオンのファンであることも公言していて。ファンクラブに属するメンバーとして、彼女の応援イラスト等を作ってくれることもあった。
そんな彼女と自分が知り合ったのは、丁度シオンのファンサイト作成を進めていた頃のことだ。
当初こそサイトの立ち上げに必要な知識を何とか積み上げていた自分だったが、そうして最低限のベースができてきたところでとある課題に当たった。
それはサイトのデザイン面のこと。芸術系の分野に疎い自分にとっては、華やかな色や模様の使い方、ページを飾るアイテムの準備などは、何かとかなりハードルが高いものだった。
その頃には、件のファンクラブの中心メンバーとも時々連絡を取るようになっていた。そこでファンサイトの立ち上げが難航していると話してみたところ、彼女がその手伝いを申し出てくれたのだ。
「その節は大変お世話になりました。何かとご助力いただいたおかげで、ファンサイトはとてもご好評いただいていますよ」
「ご丁寧にありがとうございます。彼女の一ファンとしてお力添えができたことは、私も大変光栄に感じております」
そう言って、釘街さんは自然に微笑む。
そんな落ち着いた所作もそうだが、ネット上でやり取りをしていた時のやり取りだってとても大人びていたし、まさかまだ学生だなんて思いもしなかった。
「…………ん?」
ちょっと待て、と。そこで不意に何かを忘れているような気がして、つい言葉を止めてしまう。
そして思い出した。何てことだ。
ファンサイトができたことを、まだシオン自身に話せていない。
密かに準備を進め出したのは、確かまだ今年に入ったばかりの頃だ。けれど当時は、まだ大したものを作れる自信もなくて。
いずれちゃんと形になってから伝えようなどと考えていたら、夏頃からは色々と立て込んでいったせいもあり、すっかりタイミングを逃してしまっていた。
「? どうかなさいましたか」
「い、いえ……すみません。こちらの話です」
さすがに、後でちゃんと話しておこう。
シオンが何というかは分からないが、最悪、サイトの今後についても彼女とはちゃんと議論する形で。
「……それにしても、担当ウマ娘のためにわざわざファンサイトを自作、ですか。
ウマ娘のトレーナーといえば何かとお忙しいでしょうに、それを今度は、彼女のファンとの交流会まで企画されて」
そう改まって言うと、釘街さんはじっとこちらを見上げた。
「あなたは、本当にシオンくんのことを大切に思われているんですね」
「……どうでしょう。自分はただ、できることをやってきただけですから」
彼女を大切に思っていることを、否定するつもりはないけれど。
それでも、視線は自然と逸らされていた。
それを正面から肯定する資格が自分にあるのだろうかと。そんな問いかけは、今もなお続いて止まない。
「ご立派だと思いますよ。……ええ。本当、まだ新人さんだとは思えないくらい」
「──!」
とん、と。心臓の辺りに誰かの手が触れる。
驚いて振り向いていた。いつしか間にあった数歩を詰めていた釘街さんの眼差しは、今は先ほどよりもずっと近くにあって。
「であれば、今度こそ期待してもよろしいのでしょうか」
「クラシック最後の一冠──
思わず息を呑んでしまいそうになる、その、氷のような瞳の色は。
きっと、それが本題だったのだろう。ファンクラブの一員である釘街さんが交流会のことを知らなかったはずはないだろうし、となれば、自分がシオンと一緒に店を訪れることも容易に想像できたはずだ。
あの時、店の前を一人でほっつき歩いていた自分は、彼女にとってはとても都合のいい姿に映っていたのかもしれない。
「大変失礼いたしました。少し、気が逸ってしまいましたね」
軽く手の平を押して、今は仮面のようにさえ感じられる冷たい笑い顔が、そっと離れていく。
脈打つ鼓動を抑えるようにしながら、自分も改めてそれに向き直る。
「ただの小娘が知ったような口をと、そう思われてしまうかもしれませんね。ですが、これでもレースは幼い頃から大好きでして。それなりに多くのレース、そして大舞台を走るウマ娘さんたちの勇姿を、この目に焼き付けてきました。
だからこそ、彼女──ウインバリアシオンがとても優れた資質を持つウマ娘だということは、相応に理解しているつもりです。
誰よりも頑張り屋さんで、諦めが悪くて……それでも人一倍奥ゆかしい彼女自身は、決してそう思わないかもしれませんが」
「…………」
「あなただって、感じたことはあるでしょう。走る世代さえ違っていれば……かの暴君、オルフェーヴルさえそこにいなかったのなら。
彼女は、あるいはとっくに、頭抜けた存在感を持つ世代の主役になっていたかもしれないと」
言葉はあくまで静かに、しかし止め処なく積み重ねられていく。
肯定も否定も述べることはない。その一言一句を聞き漏らさないようにじっと耳を傾けていることしか、自分にはできなかった。
「すでに二冠目。先の神戸新聞杯での勢いそのままに次の勝利を許せば、世間の注目は一気に彼女へと向けられるでしょう。クラシック三冠とは、それほどに名誉のある偉業です。
それが果たされてしまえば、世代の主役にもたらされるべき栄光はもう二度と取り戻せないかもしれない。……それこそ、わざわざ言葉にするまでもありませんね?」
その歪な表情には、きっと様々な感情がこめられていたのだと思う。
期待と失望。それらがごちゃ混ぜになったような、あるいは自棄にも近い微笑み。けれどその向こう側には、自らが惚れ込んだ主役に対する強い感情が確かに見え隠れする。
彼女もまた、紛れもなくウインバリアシオンのファンなのだ。
「……易々と勝利を譲る気はありません」
ならば、言うべきことは決まっている。外側の努力も内側の葛藤も、常に次へ向かって着々と準備を進めてきた、懸命な担当ウマ娘の姿を知っていればこそ。
こんなところで、気持ちで負けてなんていられない。
「彼女は勝ちます。俺が、必ずそうさせてみせる」
「……。……ええ。そう言っていただけて、安心いたしました」
声色が元の自然さを取り戻していく。そうして再び持ち上がったその眼差しには、いつしかありふれた人間らしい温もりが帰ってきていた。
「菊花賞当日は、私も友人をつれて現地へ赴く予定です。最近レースに興味を持ち始めたばかりの子でして。
だからこそ、初めてその目に焼き付けるのは、やっぱり彼女の勝利がいい。……ふふ、楽しみだなぁ」
年相応に無邪気な息づかいと共に、彼女は踵を返す。店とは反対方向に進んでいって、どうやら今日はそのまま帰るつもりのようだ。
その後ろ姿を、視線は自然と追いかけてしまう。
「心より期待しています、トレーナーさん。──だって」
去りゆく間際、彼女はもう一度だけこちらを振り返った。
「そうじゃなきゃ、あなたがいる意味なんてないでしょう?」
【3】
「よし、もらっ──って、おぉっ?」
「……!」
幾度かの攻防の末、状況に明確な変化が現れる。
背後から迫るネイチャの手。シオンが身を捻ってそれを交わす。軸足を中心にターンしながら、今度は逆にその側面へ。
無防備な背中にタッチ。鮮やかに一点を奪取した。
「っ──今度はこっち!」
「えっ……」
死角を突いて接近するシュヴァル。特にこういったゲームでは、点を取得したばかりのタイミングは最も大きな隙の一つと言っていい。
けれど、そちらにもシオンは一手早く反応する。シュヴァルの手が空を切り、振り返るとともに伸ばしたシオンの手がその肩に触れた。
「ふー……」
鮮やかな連続得点、にも関わらず、シオンはすぐに二人から距離を取る。
これで相手チームからすれば振り出し。二人はもう一度シオンを包囲するところから始めなければならず、態勢を整える時間を稼がれてしまう。
ほんの刹那の一手により、開いた点差を埋めることも困難になったはずだ。
(かなり慣れてきたな……)
鬼ごっこの特訓が軌道に乗り始めてからさらに数日。
並行している他のトレーニングとの兼ね合いに、また助っ人であるネイチャたちの予定もあってブランクができることもあったが、それでもシオンは徐々にコツを掴み始めているようだった。
先ほどからは最低限の動きで広い視野を確保しつつ、反射的な動作にも身体がついてこられている。また単に避けるだけではなく、そこから相手の動きに合わせてカウンターを仕掛けられるだけの余裕も出てきていた。
これが実戦でも活かせれば、レース中の位置取りや仕掛けどころの選択などにも磨きがかかるだろう。
あとはその感覚を身体に覚え込ませていくだけ。結果は上々、と言いたいところだが。
「──そこまでっ」
ホイッスルを鳴らして指示を飛ばす。三人はピタリと動きを止めた。
鬼ごっこ一セット分の制限時間。本来の目的を考えるとおまけのようなものではあるが、一応ここまでの得点差で勝敗が決することになっている。
今回はシオン側の勝利。ほとんど失点を許すことなく、逆に一人だけで大幅な点数を稼いで見せていた。
「三人ともお疲れ様。だいぶ動きが良くなってきたな」
「はい。自分的にも、今のはいい感じだったと思います。思い切り動いてもネイチャさんたちを見失わなくなりましたし、身体も何だか軽くて」
「はぁ、はぁ……た、確かに。こっちからは、全然触れませんでした……」
「いやほんとに。最後のなんて、絶対つかまえてやるつもりだったのにさー……」
自信ありげに頷くシオン。シュヴァルとネイチャの率直な感想も続く。
三人それぞれの様子を見た限りでも、やはり思った通りの成果が出始めているのだろう。
「……ただ、ちょっとだけ気になったんですけど」
絶え絶えだった呼吸も落ち着いてきた頃。ふとネイチャが口を開いた。
「何かあった?」
「いや……余計なこと言ってたらアレなんですけどね。
ほら、アタシたちが三人で練習するようになってから、もうそこそこになるでしょ? シオンさんの動きがよくなったのは分かるんだけど、もしかしてそれって、アタシとシュヴァルの動きに慣れてきたせいもあるんじゃないかって」
「……そう、ですね。確かに、そのおかげもあるかもしれません」
思い当たることがあるのか、シオンもシュヴァルと顔を見合わせる。口ぶりこそ遠慮がちではあったが、確かに、自分もネイチャの意見はなかなか的を射ていると思った。
このトレーニングで本来想定される場面──レースというものは、当然決まった相手とばかり戦うものじゃない。対戦相手の組み合わせが変われば、それこそ無限に展開は変化するだろう。
理想としては、何が来ても柔軟に対応できるようにしておくことが望ましい。
つまり、今のトレーニングの成果が本当に十分かを確かめるには、ネイチャやシュヴァル以外のウマ娘とも対戦を行う必要があるわけだ。
「できれば早めに試したいところっすけど、聖蹄祭も近いし、皆さん準備で忙しいっすよね……ネイチャさんやシュヴァルさんにも、無理言って来てもらってるわけですし」
「えっと……毎日ってわけじゃないですし、僕は、そんなには」
「アタシも。本当は、もうちょい手伝えたらって思ってるくらいなんだけどね……」
シオンの意見も尤もだ。いずれにしても、二人の厚意にばかり甘えているわけにもいかない。
自分も心当たりをあたってはいるが、秋は大きなレースも多い。またさっき話していた通り聖蹄祭の準備などもあって、基本的に皆手いっぱいだ。あまり融通は利かないと思った方がいいだろう。
「……」
だからそちらは追々。けれど、もし今すぐに状況を変化させる手があるとしたら。
「俺も、参加しちゃダメかな」
「…………え?」
不意に思いついたことを口にする。
数秒の沈黙の後、困惑する三人の声が重なった。視線もこちらに集中している。
「ほ、本気で言ってんです? だって」
「分かってる。身体能力じゃどうしたって君たちには敵わない。それでも、何とかくらいついて、二人のサポートに回ることはできるかもしれない」
「でも、あ、危ないんじゃ……」
「接触しないようこっちで距離はちゃんと取る。気にせず全力で動いてくれていいから」
二人の意見に正面から答えを返す。
無茶を言っているのは百も承知だ。けれど、ここで自分も躊躇う様子を見せれば、彼女たちも余計やりづらくなるだろう。
だから、これが思い上がった判断だとしても。今ここにいる自分に、できることがあるなら。
腹を括って、今度はシオンの方に向き直る。
「それに、シオンの動きは俺が一番わかってる」
「!」
「
何も走りながら追いつけと言われたわけでもないし、そもそもが自分が触れる必要だってない。
ネイチャたちの動線を変えつつ、時折フェイントを織り交ぜたりもして、シオンの注意を引きつけるだけでもいい。ともかく自分が混ざることで、今までにはなかった展開のパターンが生まれてくるはずだ。
それさえ柔軟に対処できるようになってこそ、今回のトレーニングは真に意味を成す。試す価値は十分にあると思った。
「……いいんですね。全力でやっちゃっても」
「ああ」
最後に、シオンからそう尋ねられる。
純粋に覚悟を問われているのかと思った。けれど、返事をした後で別の意味があったんじゃないかとも気づく。
……でも、少しだけだ。
もう二度と、彼女の前であんな醜態を晒すつもりはない。そういう覚悟まで込めた上で、自分は頷いた。
「──お願いしますっ!」
そうして、一つの長い深呼吸を終えた後。
勢いよく頭を下げた彼女の声は、多分、今日で一番の強い響きをしていたと思う。
※2026/3/23追記
シリーズ用の質問コーナーを開設してみました。
必要に応じてお使いください。(『活動報告』に飛びます)
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