夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─ 作:鵜鷺りょく
「君の夢は、何?」
【1】
あの日、煌々と揺らめく光を見た。
喝采を享受する黄金の王。力なく俯くウマ娘たち。
彼女だけが、最後まで王の背中を睨み続けていた。スタートからゴールまで、ただの一度も視線を逸らさずに。
溢れんばかりの灼熱。底なしの執念を燃やす業火の中で。
輝かしい憧れか、あるいは呪いにも似た憎悪か。そこに込められたものの正体は分からない。
決して純粋とは言い難く、きっとそこには多くの感情が絡み合っていたと思う。余人がそれをどう評するかは分からないけれど。
空っぽな自分には、そんな彼女の姿がとても眩しく見えた。
──────────
振り向いた窓の外はまだ薄暗い。
ならば今は夜だろうか。一瞬そう思ったが、甘い、時計を見ればもう日が昇ってくる頃だった。
……やってしまった。
作業の後、トレーナー室でそのまま眠ってしまったらしい。ここ最近は随分と根を詰めていたし、いつかはこうなりかねないとは思っていたが。
まあ一度や二度なら問題ないはず。そう言い訳しながら、プリンターのトレイを振り返る。
最後に印刷ボタンを押した記憶。それだけは夢の中の出来事ではなかったらしい。トレイには印刷済みの用紙が揃ってはき出されていた。
「完成……したんだな」
ぐいっと腕を伸ばす。安堵や達成感はあるが、大変なのはまだこれからだとすぐに思い直す。
用紙をホチキスでまとめる。バラバラと散らばりかねなかった束はちゃんと一つになり、今はしかとこの手に握られていた。
こんなものが、彼女の役に立つのか?
ここにきて、改めてそんなことを思う。
ずっと声も掛けないまま、こっそり彼女の練習を見に通っては少しずつ作り上げてきた資料。トレーナー業務の範疇という大義名分を含めたとしても、我ながら随分性根の暗いことをやってきたものだ。
こんなものをいきなり手渡されて、彼女はどう思うだろう。
……いいさ。もし突き返されても。
もしかしたらもう、誰かのスカウトを受けているかも知れない。ちゃんとしたトレーニングメニューがあって、こんなものは邪魔になるだけかもしれない。
届かないなら、それでも構わない。
この想いを伝えられるのなら、きっと俺はそれだけで。
「……暗いな」
もう一度窓の外を見る。曇っているせいだろうか。もう太陽が顔を出してもいい頃だろうに、外はまだ薄闇の最中で。
何だか風に当たりたい気分だった。手に取った資料もそのままに、トレーナー室をあとにする。
ふらつく足は、それでも迷わずグラウンドへ向かっていた。
【2】
何となく、予感があった。
その場所へ足を運べば、あるいは、思い描いた誰かに出会えるような。
「……」
薄明かりの滲むコースの一画。そこに一人のウマ娘の姿があった。
二つ結びの赤い髪。伏せられた翠の瞳は、まるで鋭く地面を睨み付けるように。
ウインバリアシオンは、たった一人でコースに立っていた。
「……!」
近づくと、ハッとしたように顔を上げる。
急いで拭った目元が、少しだけ腫れていた。
「お、おはようございます! えっと、学園のトレーナーさん……ですよね?」
「あ、ああ。ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど」
遠目に見えたその姿が、あまりにも辛そうだったから。こうして駆けつけてはみたものの、そういえば何と声をかけるか考えていなかったことに気づく。
「こんな時間に、一人でトレーニングを?」
「あ、そ、そうなんすよ。何だか早く目が覚めちゃって……あはは」
「……」
そうぎこちなく誤魔化す彼女は、やはり随分疲れているように思えた。
寮には門限もあるし、さすがに一晩中走っていたなんてことはないのだろうが。
「トレーナーさんの方こそ、朝早いっすね? お仕事の帰り……とかですか?」
「俺は……」
そんなところだと、そう誤魔化すこともできたかもしれない。
けれど、手に握ったその紙切れの感触が、それを思いとどまらせた。
「会いに来たんだ。君に」
「え?」
当然、彼女は首を傾げる。そんな姿にまた言葉が詰まりそうになるが。
結局、どこまでいっても自分は口下手なのだ。
だから、こんなものまで用意しなければいけなかった。
「──ウインバリアシオン」
深く息を吸い込んで、しっかりとした声音でその名前を呼ぶ。
そうして、手元の資料を彼女に差し出した。
「君を、スカウトさせてほしい」
──────────
静かなコースに、パラパラと紙を捲る音が響く。
「これ、あたしの……すごい、フォームの改善点とかも、こんなに詳しく……」
「……」
率直に言って、心臓が飛び出しそうなほど緊張していた。
養成所の頃、授業で出された課題を教官に見てもらう時もきっとこんな気持ちだった。ふわふわと浮つきながらも、胸中は戦々恐々としていたのを覚えている。
幸い、ウインバリアシオンはまず資料に目を通してくれた。
そのまま、こうして興味深そうに内容を読み込んでくれている。どん引きするような目で投げ返されることすら覚悟していたので、正直この時点でもかなり嬉しかった。
「君専用の、トレーニングメニューなんだ」
「!」
言った。もう後戻りなんてしようもない。
ウインバリアシオン専用のトレーニングメニュー案。彼女の適性や得意距離、そして今現在の課題など、ひたすら分析を繰り返しながらまとめあげた、彼女のためだけの資料。
それこそが、ここしばらくに渡って作り上げてきたものの正体だった。
驚いている様子の彼女に、今までのことを話した。
ある模擬レースで彼女の走りを知ったこと。必死でオルフェーヴルに追いすがり、最後まで諦めない姿に惹かれたこと。その時からスカウトを考えていて、度々彼女のトレーニングを見に行っていたこと。
洗いざらいを告白する。拙い部分もあったが、彼女はそれを黙って聞いてくれていた。
「俺、口下手だから。こんなものでもないと、上手く伝えられないと思って。けどこんなこと、いきなり言われても困るよな」
「……」
「無理に受け取らなくてもいい。俺みたいな新人の作ったものだから、納得のいかない部分も多いと思う。……それに、君ならもっと、他にも」
次第に、言うつもりのなかったことまで話してしまう。
こういう時、もっと堂々とできればいいのに。思いだけでも伝えられればいいと、そんな覚悟でここへ来ておいて。
いざ向き合うと、こんなにも感情の整理が追いつかない。
「本当に、あたしでいいんすか」
「?」
「あたしはオルフェーヴルじゃない。剛毅な貴婦人でも、破天荒な不沈艦でもない。みんなと違って足りないことばかりで……それでも、自分の道は変えられない」
堰を切ったように、彼女の声は続いた。
「あいつに勝ちたい。たとえ何度負けても、どれだけ苦しくても……あたしは、あたしの夢を諦めない。だって──」
そこで一度口をつぐむ。何かを思い出したのだろうか。嗚咽をこらえるようなその声はとても苦しそうで。
けれど、その先は不思議と分かるような気がした。
「君の目指す場所は、あの背中を越えた先にしかない」
「……!」
「だから、それだけは譲れない」
いつか誰かが言った。かの暴君さえいなければ、あるいは他の世代ならと。
彼女自身、何度も思ったかもしれない。追いかける遠い背中を疎み、憎んだことだってあったかもしれない。
「分かってる。だから、俺でよければ、その手助けをさせてほしい」
だから何だ。たとえ彼女を突き動かしてきたものが、純粋な思いだけじゃないとしても。
あの日、この目に焼き付けた光は、彼女の見せた執念に他ならないのだから。
「君の夢は、何?」
「あた、しは……」
今度こそ、覚悟を決めて問いかける。他ならぬ彼女の言葉で、その行く先を指し示して欲しかった。
「……誰よりも、輝く存在になりたい。あいつを負かして、浴びせられる喝采ぜんぶ奪い取って。いつか、最高の
零れる涙を拭って、ウインバリアシオンは宣言する。
プリンシパル。それは確かバレエの用語だったはずだ。誰よりも輝く存在と、今まさに彼女が言い放った夢の名に、それはうってつけだと思った。
「君ならなれる。俺が絶対、その場所までつれていくよ」
「…………はいっ」
差し出した自分の手を、彼女が掴む。
伝わる温もりに、自分の思いが届いたことを実感できた。
「よろしくお願いします。トレーナーさん」
吹き込む風の中に、彼女の抱いた資料が微かに揺れる。
辺りは徐々に明るくなる。遥か頭上では雲が割れ、ようやく朝日が顔を出していた。
晴れ渡る空はまだ遠く。けれど確かに、そこにある。
こんばんは。鵜鷺りょくと申します。
まずはここまで当シリーズを読んでいただいてありがとうございました。ごちゃごちゃしていたかもしれませんが、シオンの長い物語の始まりとして楽しんでいただけたなら幸いです。
ここまでが第1章となります。現在pixivで公開している第2章、第3章も順次こちらに掲載予定ですので、少々お待ちください(早ければ明日中には)。
以降の章も気ままに連載していくので、何とぞごゆるりとお付き合いいただきたく思います。
※2026/3/23追記
シリーズ用の質問コーナーを開設してみました。
必要に応じてお使いください。(『活動報告』に飛びます)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=338048&uid=503660