夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─   作:鵜鷺りょく

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「……結局、あたしは何がしたかったんだろう」



本日、筆者の都合により公開時間が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。
次回からは通常通り20:00更新となります。


雨陰のつぼみ Ⅶ 「友達とレース後の日常のお話」

 

【1】

 

 最初はただ、耳鳴りだけがひどかった。

 

 

「っ……ハァ……ハァ……」

 

 全身を使って息をする。膝に手をついたまま、次々に滴り落ちていく汗だけを見つめる。

 それは何だか、とても久しぶりの光景に思えた。

 こんなにも息が苦しかったのは、多分、初めてのダービーであいつと走った時以来だ。

 

 自分がどれだけ無理をして走っていたか、今なら分かる。それでも、何とかゴールラインを越えるまで持ちこたえてくれた右足の感覚が、なかなか元に戻らなかった。

 まるでそこだけ自分の身体じゃないみたいに。どれだけ意識を集中してみても、痛みも熱も、何も返ってこない。

 

「…………なんで」

 

 震えながら、ギュッと握った手の感触さえ。

 嫌だ。そんなのって。

 

 

「うぉぉぉぉっ、ブエナぁぁぁぁぁッ!!」

「最高だったーーっ!! 絶景をありがとうーーーっっ!!」

 

 

 耳鳴りが弱まってきていた。入れ替わりに、遠くからたくさんの声が聞こえてくる。

 下から目を逸らして、何とか振り返る。

 

 その先はウィナーズサークル。

 レースで一着を取ったウマ娘が、応援してくれた人たちと向き合い、一緒に勝利を喜ぶための場所。

 

「…………」

 

 痛いほど分かってる。だって、そこに立つあいつの姿をたくさん見てきたから。

 その真ん中に何があるのか。あたしは、それを知らないけど。

 

 今はそこに、あのブエナビスタさんの姿がある。

 昨年の雪辱を果たし、約束の場所へと辿り着いてみせた彼女。世界の強豪をも相手に成し得た栄光への祝福は、どこまでも惜しみなく。

 一つの物語の終幕に相応しい大団円が、そこに広がっていた。

 

 ……やっぱり、すごいな。

 

 レースの最終局面。事前にあれだけ啖呵を切っておいて、結局彼女に食い下がるどころか、先頭争いに参加することもできずに。

 そんなただの脇役でしかなかったけど。

 

 今は、せめて。

 あんなにも眩しい彼女たちの陽だまりを、汚しちゃいけないと思った。

 

 歩き出す。ゆっくりと。

 まだ思うように動かない脚を引きずるようにしながら。うっかり転んでしまわないように、もう片方の脚を支えに使いながら。

 賑わいに身を潜めるようにして、あたしは静かに、舞台袖へと引き下がっていく。

 

 

 ──────────

 

 

 ひんやりと冷たい壁に手を当てて、地下通路を進む。

 気を抜くと崩れ落ちてしまいそうだった。浮かんでは沈む考え事の連続に、つい足を取られそうにもなる。

 それでも何とか堪えて、一歩一歩を紡いでいく。

 

 まだダメだ。ここで倒れるわけにはいかない。

 他のウマ娘たちもやってくる。なるべく、変な騒ぎは起こしたくない。

 

 それは最後の根性だった。負けた自分に残された、唯一のできることとして。

 

「──シオンっ!」

 

 ……でも、やっぱりどこかで待っていたのかもしれない。

 自分の名前を呼ぶ声。大声になるのも構わずに、必死で近づいてきてくれるその足音を。

 

 ふっと、身体を支えていた力がほどける。

 身体は前のめりに傾いていく。壁から手が離れた後に、それは代わりの支えを得ていた。

 ギュッと受け止められた腕の中。いつかぶりの、安心するその匂い。

 

 今はそれが、どこか後ろめたくて。

 

(……ごめん、なさい。あたし、また──)

 

 目を閉じる間際。最後の言葉は、ちゃんと声になっていたんだろうか。

 

 意識を手放す、最後のその一瞬まで。

 今にも泣き出しそうな誰かの声が、まるで雨みたいに降り続いていた気がする。

 

 

 

【2】

 

 

 

 ジャーーー……

 

 

 

 そうして、今日も朝はやってくる。

 ちゃんと早くに起きて、余裕を持って準備をしなさいとは数え切れないくらい言われてきたけど。結局いくつになっても、この時間はいつもそれなりに慌ただしかった。

 

 耳を澄ませば、薄い壁の向こうから聞こえてくる洗面台の音。

 時おり混ざる、同室の子の声に微笑ましく耳を澄ませながら。これでおしまいと言いたげに、あたしは鞄のジッパーを閉めてしまう。

 

「……これでよし、と」

 

 朝になって思い出した忘れ物もどき。

 先生の都合で急に時間割が変わったとはいえ、うっかり準備を怠っていたら恥ずかしい思いをするところだった。

 

 ホッと、軽く安堵の息を吐く。

 

 入れ替わり、吸い込んだ冬の朝の空気は今日も澄みきっていて、ひんやりと胸の内を満たしてくれる。こうやって、ずっと静かな一日を過ごせたらいいのにって。

 つい、そんなことを思ってしまったくらいには。

 

「……」

 

 膝に載せていた鞄をどけると、自然、非対称な様相をした両足が目に入る。

 スッと伸ばしてみても、あんまり違和感はない。視覚的な話で言うなら、ハイソックスの内側から小さく覗く包帯はそう言えるんだろうけど。

 

 ……もう、何ともないんじゃないかな。

 

「──」

 

 たった数日前までと変わらない感じで、何も考えずに、ベッドの縁から立ち上がってみる。

 最初は本当に大丈夫だと思った。

 だから、とりあえずそこから何歩か歩き出してみようとして。

 

「っ……」

「! シオンさんっ」

 

 ピシッと、鋭い痛みが走った。油断していたあたしは、つい立ったまま態勢を崩しかける。

 驚いた声とともに彼女が駆け寄ってきたのは、その直後だった。

 

「大丈夫ですか!? 脚、やっぱり痛んで……」

「す、すみません……大丈夫、ちょっとよろけただけっすから。ありがとうございます、シュヴァルさん」

 

 支えてくれたシュヴァルさんに礼を言って、そっと離れる。

 強がって笑ってみたけど、実際、彼女がいなかったら盛大に尻餅をついていたかもしれない。軽率な行動だったと、今さら反省する。

 

 立ち方を元に戻す。反対側に重心をおいて、ケガをした脚に負担が掛かりすぎないように。

 

「後ろ、ちゃんと直ったんすね」

「えっ。あぁ、はい……すみません。僕のせいで、すっかりお待たせしてしまって」

「全然っすよ。まだ時間も早いし」

 

 不安げな彼女に向き直る。ちょっと気になって、さっきまで外側にクルッと丸まっていた後ろ髪を覗き込んでみた。

 なかなか厄介な朝の強敵相手には、やっぱり苦戦していたみたいだったけど。

 

「じゃあ、行きましょうか」

「は、はいっ」

 

 ちょっと慌てて申し訳なさそうにしているその姿は、すっかりいつものシュヴァルさんだった。

 

 

 ──────────

 

 

 前回のジャパンカップから数えると、気づけばもう一週間になる。

 日常というのは、意外にあっさり戻ってくるもののようで。こうして普通に朝を迎えて、同室の子と一緒に学校へ通って。授業やクラスメートととの会話に興じて、夕方の家路につく。

 その繰り返しに、身体は緩やかに馴染んでいった。

 

(……これで、このケガがなかったら)

 

 それでも現実として、痛みだけはまだ残り続けている。

 

 ジャパンカップ終盤の直線勝負。そこで無理な加速をしようとして、あたしは失敗した。その代償は小さくなく、結果として、こうして脚を負傷してしまうことにもなった。

 何とかゴールラインを越えた後のことは、正直あんまり覚えていない。

 レース中の不調も合わせてか、あの時はひどく疲れきっていたし。迎えに来てくれたトレーナーさんと一緒に病院へ向かうまでの間は、ずっと意識がふわふわしていた気がする。

 

 ……きっと、不幸中の幸いだったんだと思う。

 

 あたしの脚のケガは、少なくとも今後のレースに復帰ができないほどの重い症状じゃなかった。それでも、回復に一ヶ月ほどの安静が必要だとは言われたけど。

 原因は疲れの蓄積。夏から秋にかけての激しい追込みに加え、その間のレースでは激戦を繰り返してきたから。疑いようもなく、その反動だ。

 だからこそ、ジャパンカップが終わった後は少し休みを挟む予定もあったのに。あたしたちも気をつけていたはずのそれは、思ったよりも早くに芽を出してしまった。

 

 さっきみたいに、時々痛みを感じることはある。

 でも、トレーニングや激しい運動ができないことを除けば、日常生活を送るのにそこまで大きな支障はなかった。

 それはもちろん、シュヴァルさんや周りの子たちの支えがあってこそ、ではあるけれど。

 

「……あ、あのっ」

「?」

「今日は、その……いい天気、ですね」

「え……あぁ、はい。そうっすね」

 

 もう十二月に入った。ここ最近の気温の変化は、冬の始まりにしては比較的穏やかなようで。

 特に今日は、シュヴァルさんの言う通り、晴れているせいもあるんだろう。

 衣替えもあったばかりだし、こうして学園指定のロングコートを羽織ってきてはいるけど。一方で何だか、やっぱりまだ早かったんじゃないかと、そうも思えるくらいだった。

 

「……」

「……」

 

 ──そう言えばよかっただろ。今のは。

 

 つい口を噤んでしまった自分に、心の中でささやかなツッコミを入れる。

 せっかくシュヴァルさんの方から会話を切り出してくれたのに。心の中で勝手に納得して、頷きを返すだけに留まってしまった。

 

(……またやっちゃった)

 

 お互いにそこまで会話が得意な方じゃないし、こうして言葉に詰まってしまうことだって、そりゃ偶にはあったけど。

 最近は特にそれが多くなった。シュヴァルさんもどこかぎこちなさそうで。これじゃまるで、彼女が入学してきたばかりの頃みたいだ。

 

 薄々分かってる。そんなことになっちゃってる原因は……。

 

「やーほんと、丁度いい感じだよねー。冬って感じはあんまりしないけど、いきなり冷え込むよりは、アタシも断然こっちっすわ」

「……!」

 

 そこへ後ろから別の声が加わる。こちらも聞き慣れた響きだった。

 振り返るより先に、その人はあたしの隣に並んでいた。

 

「お、おはようございますっ。ネイチャさん」

「おいっすー。ふふ、同室水入らずのとこごめんね。ご迷惑じゃなかったら、アタシもご一緒さしてもらっていい?」

「迷惑なんて、そんな」

 

 むしろ、ありがたいくらいだというか。

 会話に混ざってきてくれたネイチャさんに、心の中で手を合わせたくなる。あたしたちとは打って変わって、彼女は会話を盛り上げるのが上手な人だから。

 今のあたしと二人でいるよりは、シュヴァルさんもいくらか気が楽だと思う。

 

「……ありがとうございます。ネイチャさん」

「お、なになにー。もしや二人ともアタシを待ってたって感じ? はは、人気者で困っちゃうなー」

「……」

「……」

「……いや、あの、ゴメン。ここは突っ込むとこね?」

 

 本当に申し訳ない気持ちだった。また、ついタイミングを逃してしまって。

 

(けど、こういうのも会話のコツなのかな……?)

 

 あたしに出来るかは、また別の問題として。

 

 ともかく華やかになった会話も交えつつ。学園へと向かう生徒たちの流れに混ざりながら。

 何でもなく短い朝の登校時間は、比較的緩やかに過ぎていく。

 

 

 

【3】

 

 

「だーーーっ、負けたぁーーーっ……!」

 

 

 放課後。くっつけ合った四つの机と、その上に積み重なったカードの山。

 そこへ崩れ落ちるようにしながら、クラスメートのパーマーさんが机上に突っ伏した。

 

 その手に握られたジョーカーが、このゲームの結果を何より雄弁に物語っている。

 

「なっはっはー! パマちんどんまいっ☆」

「えっと……ごめんね。パーマー」

「謝るとこじゃないよミラクル~……」

 

 バシバシ背中を叩きながら励ますヘリオスさんと、相変わらずどこか申し訳なさそうなミラクルさん。

 そんな三人の様子を外側で見守りながら、あたしはようやく状況を理解する。

 

 ……え。あたし、が……?

 

 カードを引いては引かれを繰り返すシンプルな駆け引き。そういえば少しご無沙汰になっていたあたしたちのババ抜き大会は、こうして終わりを告げる。

 こんなにも長く皆のゲームを観戦しているだけだったのは、多分初めてのことだったと思う。

 

「まさか、シオンに負けちゃうなんてね~……」

「それな! 感動してマジやばだった!!☆」

「ふふ、ようやくだね。おめでとう、シオン」

「三人とも、何か微妙に失礼じゃないっすかね……?」

 

 純粋に悔しがっている様子のパーマーさんはさておき。言葉だけを取ると、あとの二人もなかなかじゃないかと思った。

 こうして向き合っていると、悪意なんて全然ないことも分かるんだけど。

 

 ……まあ正直、気持ちは分からなくもなくて。

 

 あたしたちがこうして休み時間や放課後にゲームをするのは、そんなに珍しくないことだった。最近は慌ただしくしていたから、今回はちょっと期間が空いてしまっていたけど。

 中でもトランプ──ババ抜きなんかは、気楽に出来るからよくやっていた。でも、あたしは一回も勝てたことがなかった。友人たちによると、カードを引かれる時に、あたしはどうしてもババを見つめてしまうみたいで。表情もコロコロ変わるし、考えていることが分かりやすいらしい。

 それが今回は一抜け。一番早く上がって、ずっと皆の決着を待つ側だった。

 そんな新鮮な状況に驚いているのは、やっぱりあたしだけじゃなかったんだろう。

 

(でも、急にどうして……)

 

 原因ははっきりとは分からない。単純に運なのかもしれないけど。

 あたしもようやく、無表情(ポーカーフェイス)っていうのができるようになったのかな。

 

「まあでも、勝負は勝負だからね。いつもの罰ゲーム、何でも命令しちゃってよ。……もちろん、出来る範囲でね?」

「え。あ、そういえばそうっすね」

 

 そういうルールもあった。今まで割と被害に遭ってばかりだったはずなのに。すっかり忘れていたのが不思議なくらいだ。

 一番に上がった人が最下位の人に何かを指示できる。こういうパーティーみたいな場では定番のやつだ。恥ずかしい経験を語ってもらったりとか、自信のある物まねを披露してもらったりとか、そういうの。

 いざこちら側に立ってみると、案外上手く思い浮かばないものなんだと気づく。

 

 

 ……今は多分、みんなとこうしていられるだけで。

 

 

「…………甘いもの、食べたいな」

「おっ、いいね。購買で何か買ってこようか?」

「あ、えっと……そうじゃなくて」

 

 無意識のうちに呟いていた。何だか、最近はよくそうしたくなるから。

 学園の購買にカフェテリア。駅前のお店でもいい。でも、できることならそれは。

 

「みんなで一緒に、どこかに食べに行きたいな……って」

「……」

「だから、その。パーマーさんには、オススメのお店とか探してもらえないっすかね?」

 

 罰ゲームを口にするだけでも、何だかつい緊張してしまう。

 もう随分前になるけど。みんなで秋スイーツの食べ放題に行ったことがあった。話しながら、その時のことをちょっと思い出す。

 あの何でもない、普通の学生らしい時間が、ちょっと懐かしくて。

 

「っ……何でこんないい子なん、この子は……」

「え。パーマー、さん?」

「分かるぜパマちん。シオちんの優しさ、マジ尊みよな……」

「楽しみだね。ありがとう、シオン」

「二人まで……」

 

 何かおかしかったかな。確かに、あんまり面白いことを言えたつもりもないけど。

 いつの間にか、変にほのぼのとした空気がその場を満たしていた。

 

 

 ──────────

 

 

 そんなことがあって、次の休日になった。

 約束通り、案内役を頼まれてくれたパーマーさんの後に続いて、あたしたちは目的地へとやってきていた。

 

「……」

 

 目の前のテーブルには、宝石みたいに輝くケーキやしっとり小麦色の焼き菓子が並ぶ。備え付けのケーキトングを手に、あたしはつい呆然と立ち尽くしていた。

 現在地はトレセン学園から少し離れた所に位置するホテルレストラン。学園前の停留所からバスに乗ってきたあたしたちは、やがて一件の高層ビルの前で降りて、そのままこのキラキラしたお店へとやってきていた。

 

(すごいとこ来ちゃったな……)

 

 軽く口にしただけだったのに、と。今さら緊張してくる。

 だってまさか、こんな立派なところでスイーツバイキングなんて。パーマーさんは直前まで何も言ってくれなかったし……全然、想像もしていなかったから。

 

 

「ふふ。たくさんあって迷っちゃうね」

「え。あ、あぁ……そうっすね。あたしも、つい」

 

 すっかり固くなっちゃってただけだけど。

 隣でケーキを見ていたミラクルさんの言葉に、あたしはそれっぽく頷いた。

 

「思い出すな。前、みんなで食べ放題に言った時もそうだったけど。おれ、あんまりたくさん食べられる方じゃないから。気になるスイーツとか、どんどん取ってたらすぐにリタイアしちゃって」

「そうだったっすね。あたしもそんなになんで、ペースには気をつけないと」

 

 その時のことはちゃんと覚えている。ミラクルさんとあたしが早いうちにお腹いっぱいになっちゃって、パーマーさんたちが食べているのを眺めながら、二人でゆっくり話していたんだっけ。

 実際それも楽しかったし。全種類制覇を目指してはしゃぐ二人のテンションも、隣で見ていて面白くはあったけど。

 

「よかったら、色々半分こしませんか。二人で協力して、なるべく色んなものを食べられたらいいかなって」

「うん、そうしてもらえると助かるよ。……ただ、シオン」

「?」

「後ろ、気をつけた方がいいかも──」

 

 ズシッ

 

 ミラクルさんが言い終わる直前。後ろに持っていたお皿が急に重たくなる。

 振り返ると、そこにはシュババッと動き回る別のトングが見えて。

 

「うぇーいっ☆ 楽しんでっかシオちん! これとそれ、あぁあとあれもっ! マジ最高だったから食べてみ! な!」

「え、わ、ちょ、ヘリオスさん!?」

 

 あっという間に、お皿の上にスイーツが盛り上がっていった。犯人は言うまでもなく、いつの間にか後ろに立っていたヘリオスさんで。

 

「おーっ! あっちチョコレートマウンテンだって!! 行こ行こっ!!☆」

 

 言うが早いか、次の標的を見据えたように、彼女は風のように去って行ってしまった。

 

「ゆ、油断したっす……」

「ヘリオスらしいね」

 

 相変わらず勢いがすごい。もちろん悪気はないんだろうし、元気のないあたしを気遣ってくれたのもちゃんと分かるんだけど。

 

「難易度。一気に上がっちゃいましたね」

「そうだね。でも、ヘリオスが見てた辺りはちょうどおれも気になってたから。さっそくシェア、お願いできるかな?」

「もちろんです。……むしろ、こちらこそっすね」

 

 いつもお世話になってばかりだし、ちょっとでも助けになれたらって思ってたのはあるけど。

 カッコがつかないなとは思いつつ、後の楽しみは増えたので、ひとまずよしとする。

 

 ヘリオスさんの様子を見に行ったミラクルさんと別れて、あたしは一旦席まで戻ることにした。

 たくさんのお客さんとすれ違って奥へ辿り着くと、先にパーマーさんが戻ってきていた。

 

「おかえりー。おっ、いきなり飛ばしてくねー」

「はは……色々あって」

 

 山盛りスイーツのお皿を見て、パーマーさんが微笑ましげに笑う。

 隣に座って、こうなった経緯を軽く説明する。「ヘリオスだねぇ」と納得げに頷くと、彼女はまた可笑しそうにしていた。

 

 ミラクルさんたちが戻るのを待つ間。相変わらず食器遣いが上品なパーマーさんをチラ見してから、あたしはもう一度店内を見渡す。

 

 やっぱり、ホテルというだけあって、落ち着いた色合いの照明が醸し出す雰囲気には気品が感じられる。だからって堅苦しすぎもしなくて、スイーツコーナーと席を行き来するお客さんたちもカジュアルに楽しんでいる印象だった。

 こういう過ごしやすい二面性が強みなんだろう。テレビや雑誌で何度も紹介されていたところなのは知っていたけど、それも腑に落ちる。

 

「あらためて、今日は連れてきてくれてありがとうございました。でも、まさかこんな人気店の予約が取れるなんて。ほんと、驚いちゃったっすよ」

「だね~。私もびっくりしたよ」

 

 もう一度お礼を言う。けれど、返ってきたパーマーさんの言葉には、どこか引っかかりがあるような気がした。

 それを察したように、彼女は言葉を続ける。

 

「実は、ちょっとした助っ人さんがいてね。会員優待? とかで予約が取れそうだから、よかったら四人で行っておいでって」

「助っ人さん、っすか?」

「うん。残念ながら名前とかは話せないんだけどね。約束で口止めされてて」

 

 謝るように言いつつ、一方で助っ人さんの謎を強調しているみたいな、そんな口ぶりだった。

 やっぱり気になるけど、約束なら仕方がない。今後顔を合わせるかは分からないけど、その人への感謝もちゃんと心内に刻んでおくことにした。

 

「……こういうの興味なさそうって思ってたけど。やっぱり、元気づけたかったのかな」

「?」

「ん。あぁごめん。こっちの話」

 

 誤魔化すパーマーさん。ふらりと逸らされた視線の先には、戻ってきたミラクルさんたちの姿がある。

 ちょっと、気になることはできたけど。

 それでも賑やかなレストランの時間は、思ったよりもずっと早く流れていってしまう。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 バスで学園に帰ってくる頃には、もう夕方だった。

 やっぱりお約束というか。スイーツバイキングの後は、みんなすっかり動けなくなってしまっていて。休みがてら近くのカラオケに寄ったりもしていたら、気づけばこんな時間だった。

 

「やー、食べたねー。ほら、ヘリオス。学園までもうちょいだからね~」

「うぅ~……」

「結局、最後までずっと飛ばしてましたもんね……ヘリオスさん」

「そうだね。今日はもうゆっくり休んでもらわないと」

 

 まだぐったりしているヘリオスさんと、肩を貸すパーマーさん。傍で様子を見ながら、あたしとミラクルさんも後に続く。

 そんな光景も、実は前とあんまり変わらなかったりして。

 

 たくさん遊び回った気がするのに、脚は全然痛くない。

 今日はほとんどバス移動で、歩くこともなかったから。遠くまで行くことができた充足感と、帰り道の寂しさだけが心地よく胸を満たしている。

 

 ……また、行きたいなって。

 

 心なしか、そんな風に気持ちも前を向けている気がした。

 

「……え」

 

 でも、それは多分、そう思いたかっただけで。

 

「? シオン、どうかした」

「……」

「シオン?」

 

 気が付くと、脚が止まっていた。皆の声は聞こえているのに、反応ができなかった。

 視線が遠くに釘付けになる。そこに見えた誰かの姿に、心臓が高鳴った。

 

 

『──どうして、そんな楽しそうにしてるの?』

 

 

 胸のざわつきが止まらない。乱れた鼓動は冷ややかな震えになって、身体中に伝わっていく。

 ここにはいない誰かの声が、はっきりと聞こえたような気がした。

 

「シオンっ」

「!」

 

 大きな声で名前を呼ばれる。

 ビクリと肩が跳ねて、あたしはようやく我に返った。

 

「大丈夫? 何か顔色悪いけど……」

「あ……えっと……」

 

 みんながこっちを振り返っていた。とても心配そうな顔をして。

 

「すみません。何でも、ないっす。ちょっと、遊び疲れちゃったっすかね……はは」

 

 ありきたりなごまかし方をして、足りなそうな分はつなぎ合わせた笑顔で補う。

 幸い、校門はすぐそこだった。

 みんなに続いて、少しだけ早足で学園に入る。動悸は少しずつ、落ち着いていった。

 

 

 

【4】

 

 夜。自室のベッドで横になりながら、スマホの画面に指を走らせる。

 開いているのはLANEのアプリ。今日一日にあったことと、部屋でやっていた軽い筋力トレーニングの内容を書き連ねて、メッセージの送信ボタンをタップする。

 メッセージに既読がつくのは早かった。

 

『日報、受け取りました。食べ放題、みんなで楽しめたみたいでよかった』

 

『トレーニングも、あんまり無理はしないようにな。今日はもうゆっくり休んで』

 

 すぐに返信も返ってきた。もしかしたら、今は少し時間があるのかもしれない。

 指先が泳ぐ。

 今考えていることを、そのまま正直に打ち込んでしまいたくなる。でも、やっぱり上手く言葉はまとまらなくて。

 

『ありがとうございます』

 

『おやすみなさい。トレーナーさん』

 

 結局、今日もいつもの短いやり取りに留めてしまう。

 

「……」

 

 最近は、こんなことばっかりだ。

 

 長い溜め息を吐いて、姿勢を起こす。ベッドの縁に座って、カーテンを指で摘まむ。

 見上げた窓の外は、当たり前だけど真っ暗で。今日はちょっと星も少なく見える。ちょっと曇っているんだろうか。

 静かな月は、今日も変わらずそこにいてくれるのに。

 

 

 コンコン

 

 

「あ、はーい」

 

 ノックの音がしたので、振り返って返事をする。驚かなかったのは、それが予定通りのことだったからだ。

 

「こんばんは。お邪魔します、シオンさん」

「こんばんはーっ♪」

 

 扉が開く。姿を見せたのは、部屋着姿のヴィルシーナさんとヴィブロスさんだった。

 その後ろには、二人を迎えに行っていたシュヴァルさんの姿もある。

 

「時間掛かっちゃってごめんなさい。ヴィブロスが準備に手間取ってて……」

「全然っすよ。お二人とも、ゆっくりしていってくださいね」

 

 安心した気分で笑いかける。彼女たちの姉妹らしい穏やかな空気感が伝わってきて、緊張もすぐに解けていく。

 今日は、シュヴァルさんたち三姉妹とのお泊まり会の日だった。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

「ねぇシュヴァル。あなたの人生なのだから、私もあまりとやかく言うつもりはないけれど」

 

 何だか空気感の変わった部屋の真ん中。

 キリッとした表情を浮かべて、ヴィルシーナさんがシュヴァルさんに向き直る。

 

「え。うん……?」

「その、今懇意にしているという殿方は、一体どんな方なのかしら」

「いや、あの……」

「ちゃんとあなたのことを考えてくれているの? お仕事は? どこで知り合われた方?」

「……」

 

 ごくりと、思わず息を呑む。

 それくらいに緊迫したやり取りが、今まさに目の前で展開されていた。

 

「お姉ちゃんを置いて、その方のところへ行ってしまうの?」

「……うん」

 

 

「だってここ、そういうマスだから」

 

 

 きっぱり言うと、自動車型をしたシュヴァルさんのコマに乗員が増える。ピンクと青のピンが一つずつ、これで夫婦成立だ。

 結婚お祝いとして、各プレイヤーから指定の金額が支払われることになる。

 

「結構な収入になるっすね。すごい、シュヴァルさん、一気に二位浮上っすよ」

「よかった、です。やっと少し、運が向いてきたのかな……」

「うぅシュヴァル……あなたのことを大切にしないような人なら、お姉ちゃん絶対許しませんからね……」

 

 謙遜するシュヴァルさん。その隣で、ヴィルシーナさんはまだショックを受けている様子だった。

 今はヴィブロスさんが持ってきた人生ゲームで遊んでいる最中。当然、ゲーム内容として結婚や会社の出世といったイベントも発生するので、いずれ誰かがこうなるのは予想ができたことだと思うけど。

 仮想のこととはいえ、愛妹の結婚という言葉の響きは、ヴィルシーナさん的には結構堪えたみたいだ。

 

「シュヴァちやるね~。ふふん♪ でも、この超セレブ~な私には、まだまだだけどね~」

「む……そんなことないよ。ここからならすぐに追いついて……」

 

 現在一位のヴィブロスさんも絶好調な様子だった。彼女は少し前のターンで会社を起業して、経営が軌道に乗ったことでかなりの収入が入るようになっていた。相当優位な立ち位置だ。

 今のシュヴァルさんなら、出目次第で逆転できるかもしれない。三位四位のヴィルシーナさんとあたしは、ちょっと苦しいかもだけど。

 

(でも、盛り上がってきたな……)

 

 発案者のヴィブロスさんはともかく。物静かなシュヴァルさんや大人びているヴィルシーナさんは、正直こういうゲームは苦手なんじゃないかと思っていた。

 けど、今はこんな感じだ。独特なところもあるけど、二人ともそれぞれの形でゲームにのめり込んでいる。

 

 つられて、あたしも楽しくなってきていた。……なのに。

 

「あ……」

「すごーい! シオンさん、また6出たよっ」

「ご、豪運ですわね……」

 

 あたしの番。転がったサイコロの出目に、ヴィブロスさんたちが驚いてくれる。言うまでもなく、サイコロの目の中では最大の数字だ。

 ゲームを始めてからというもの、今のところ四人の中では、あたしが一番大きな出目を出していると思う。そのおかげもあって、資産や収入こそ皆より少ないけど、コマだけは誰よりも先に進めていた。

 

(……こんな時ばっかり)

 

 別に、先に進むのは悪いことばかりじゃない。一番にゴールインすれば、大きなボーナスも得られるわけだし。

 でも、ゲームはそこで終わってしまう。せっかくこんなに盛り上がっているのに。もっとみんなと、他愛のないイベントで騒いでいたいのに。

 

 いつまでも立ち止まるな。前に進めって。

 

 そんな風に、誰かにせき立てられてるみたいだった。

 

「……」

 

 人生ゲームは粛々と進む。みんながそれぞれに色んなイベントを辿って、資産や収入、家族構成──それらを含めた全体の順位も、どんどん変わっていく。

 楽しかった。いつまでも、こんな時間が続いて欲しいって思った。

 何も考えないで。ただ親しい友人たちと笑っていられる。こんな何でもない時間だけが。

 

(……やめてよ)

 

 立ち止まったあたしには、それしか残ってなかったのに。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

「いち、にー、さん──わっ、これでもうゴール行っちゃうんだ」

「お、おめでとうございます。シオンさんすっごく進んでたし、やっぱり──」

 

 予定調和と、そう思えてもしまうようなゴールイン。こうして、人生ゲームは思ったよりも早く幕を閉じた。

 とはいえ、お泊まり会はまだ始まったばかりだ。消灯時間まではまだあるし、いっぱい話したいことだってある。

 まだ、これで終わりじゃないんだ。だから。

 

「……シオンさん?」 

 

 振り返ったシュヴァルさんの表情が、ぴくりと固まっていた。

 それが今のあたしを見たせいだって。そんな風に気づくのは、少しだけ遅れてしまった。

 

「え……」

 

 涙が溢れてきていた。指で頬に触れて、それが気のせいじゃないことを知る。

 自覚したら、あとは崩れていくばかりだった。

 楽しげに笑っていた声も、何でもないように振る舞えていた表情も。全部がまやかしだったみたいに、歪んで、保てなくなる。

 

 形にならない言葉が、嗚咽になって零れ出ていた。

 

「──、────」

 

 ずっと、平気なんかじゃなかった。

 目を逸らしていただけだ。何でもなさそうなふりをして。それに触れずに傍にいてくれた、みんなの優しさに甘えて。

 

 それでも、脚の痛みが走る度に、自分が情けなくなって。

 街中でファンの人たちを見かける度に、胸が締め付けられそうになって。

 あたしは結局、振り返らずにはいられなかった。

 

 

 ジャパンカップは、もう終わったのに。

 

 

 みんなの期待に応えられなかった。ブエナさんとの勝負も、全然上手くできなかった。

 一人で勝手に背負って、焦って。無理をした挙句に、ケガまで負って。そのせいでトレーニングもできなくなって、自業自得もいいところだ。

 

 

 ……結局、あたしは何がしたかったんだろう。

 

 

「……ごめん、なさい……あたし……また……っ」

 

 ようやく口を開いても、零れるのはそんな言葉ばかりで。

 いつまでも前を向けない自分が、今は本当に嫌いになりそうだった。

 

「シオンさん」

 

 ギュッと、誰かに優しく抱きしめられる。声の主は、多分ヴィルシーナさんだった。

 温かく包み込むようにして、そっと宥めるような手が頭に触れる。

 

「大丈夫。今は、私たちが一緒です。だから」

「──」

 

 ……カッコがつかないなんてものじゃない。

 

 甘く慈愛に満ちた、心強い後輩さんの声。

 それに寄りかかるようにしながら。あたしはまだ、しばらく泣き続けていた。

 

 

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