夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─ 作:鵜鷺りょく
「俺はもっと……君と話がしたいから」
【1】
どこか遠くで、消毒液の匂いが鼻をついた。
それだけで、沈みかけていた自分の意識は、その記憶を半月前まで遡っていく。
「……脚。本当に、平気か?」
特別イヤな思い出があるわけじゃない。清掃の行き届いた清潔感と、そういった場所にしては照明も柔らかな色で、決して居心地の悪い場所でもないのに。
病院というのは、いつもこんなにも気持ちを落ち着かなくさせる。
「痛みとかの症状は、君が一番分かってることだから。もし、まだ気になることがあるなら」
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫っすよ。先生も、ここしばらくの疲れが出ただけだって言ってくれましたし」
静寂の中。何とか絞り出した問いかけにも、彼女は困ったような笑みで答えてくれた。
向き合えない視線は斜め下に移る。それが真実だと、そう教えるように。
シュッと細くとも、それでも確かに鍛え抜かれたと分かる彼女の脚。そこに巻かれた真っ白な包帯に、嫌が応にも心臓の鼓動は速まる。
「……もう少しで危なかったって言われた時は、ちょっとだけヒヤッとしましたけどね」
そんな風に心を痛めることさえ、きっと今の自分には許されないのに。
「あの時、トレーナーさんの声が聞こえた気がしたんです」
「俺の?」
「はい。あの時、直線で加速しようとしたタイミングで。"それはダメだ"って。そう叫んでくれたの、トレーナーさんだったんじゃないかなって。
……あの声があったから、あたしはギリギリのところで踏みとどまれたのかもしれません。だから」
その声は優しい響きをしていた。
いつもの明るさを纏わせて、その奥にある震えを隠すように。
違う。それは、俺の……俺が、気付けなかったせいで。
「ありがとうございます。トレーナーさん」
「……」
「それから、すみませんでした」
あの時の自分は、それをどんな顔で聞いていたんだろう。
いつも通りであれただろうか。彼女が何かを話してくれるだけの、一人の大人でいられただろうか。
きっと、誰よりも辛かったはずの彼女の前で。
自分勝手に、泣き出しそうな顔なんてしていなかっただろうか。
──────────
そしてまた、重苦しい夢から覚めていく。
机の上に突っ伏していた顔を上げる。電源が着いたままの四角い液晶画面と、散らかったままの資料がまず目に入った。
遅れて香る甘い匂いは……栄養ドリンクの空瓶か。
本当に、我ながら毎度よくこんなところで寝られたものだと、そう呆れるばかりで。
「……」
今さら驚きもない。こういう時は、大体このトレーナー室だ。
ふらりと手に取った、スマホの画面をオンにする。
時間を確認するだけのつもりだったが、LANEの画面が開いたままになっていたせいで、すぐにそちらへ注意を奪われる。
『脚の具合も、だいぶよくなってきてます』
『トレーニングの再開日のこと、またお話しさせてください』
残っていたのは、昨晩の日報のやり取りだった。
ジャパンカップが終わった後。ケガのことがあり、シオンにはしばらく休みを取ってもらうことになっていた。その間、当然これまでのような激しいトレーニングはできなくなるので、必然的に自分と彼女が顔を合わせる機会も少なくなった。
代わりの意思疎通手段として交わしていたのが、この日報となる。シオンのケガの具合や体調、その日行ったストレッチや軽い自主トレーニングの内容など。彼女から定期的に送られてくるそれに、自分がトレーナーとしての知見やアドバイスを返す。基本はそういうものだ。
そのついでに、彼女の近況について話すこともあった。
自分が気の利かないこともあって、最初は本当に最低限の内容に留まっていたのだが。時が進むに連れ、療養期間中の彼女がどう過ごしているかについても送られてくるようになった。
シュヴァルやネイチャとの朝の投稿時間のこと。パーマーたちクラスメートたちとスイーツバイキングに行ったこと。ヴィルシーナたちとお泊まり会をしたこと。
他にも色々。これまで通りとはいかないが、遠くに居てもそうして彼女の状況を把握できるのは、自分にとってもありがたいことだった。
一人で辛かったはずの時間も、その心の空白を友人たちが埋めてくれる。
きっと今は、それが何よりだと思えたから。
(トレーニングの再開日……か)
定期検査や日報のやり取りからしても、その時は確かに近づいてきている。
順当に行けば、年が明ける頃には再出発だ。そこに向けて、自分も引き続き準備を進めていかなければ。
「……まずは、ちゃんと片付けないとな」
時間的にはもう朝なのに。ほったらかしのカーテンのせいで薄暗い部屋を見ながら、つい溜め息が零れる。
いくらシオンがやってこないからと言って、さすがにこれは酷い。また気を遣わせて、彼女に片付けを手伝わせてしまうことにもなりかねない。
もう二度と、こんな情けない有様を彼女に見せるわけにはいかない。
「!」
せめて換気くらいはしておこうと、窓の方へ向き直ったタイミングだった。
何の前触れもなく、背後から聞こえたノックの音。弾かれるようにして、振り返った自分は入口の方へと駆け寄った。
たとえ躓きそうになっても。脇目も振らず、扉に手を掛ける。
「──あり? もしかして、誰かと勘違いさせちゃいました……?」
「……あ」
けれど、思い描いていた誰かの姿はそこになく。
長く静かだったトレーナー室。久しぶりに現れた来訪者は、ナイスネイチャだった。
【2】
その日の夕方。自分はトレセン学園近くの商店街にやってきていた。
それだと、まるで珍しい出来事のような言い方だが。例えば食事の買い出しとかでここを訪れることも全然あるし、密かに贔屓にさせてもらっている弁当屋の店員さんとは、実は顔見知りになっていたりもする。
買い物袋を下げた親子。ホカホカのコロッケを手に町を行く学生たち。
すっかりくたびれたスーツで惣菜を探し求めている社会人。……こちらはあまり他人事には思えなかったが。
ともかく、夕食時の気配に賑わうこの場所の活気を、自分もまたよく知ってはいる。
……では、何故こんなにも足下が浮つくような気分なのか。
それは多分、ここにやってきたその経緯のせいだろう。
朝。始業前で忙しいはずの時間にやってきたのは、シオンの後輩であるネイチャだった。
日頃のトレーニングを手伝ってもらったり、シオンのことを励ましてもらったりと普段から何かと世話になっている彼女だが、少なくとも、一人でトレーナー室までやってくるのは稀なことだと思った。
『あはは……ほんと、すみませんね。シオンさんじゃなくて』
『いや、こちらこそごめん。さすがに落ち着きがなさすぎた……』
起き抜けで頭が回っていなかったのもあるが。もしかしたらと勝手に早合点をした挙句、違うと分かった瞬間にフリーズとは。来客視点からすれば困惑するしかなかっただろう。
それでも察しのいい彼女は色々気づいていたようで。そんな風に気まずそうにさせてしまったのが、余計に申し訳なかった。
『実は、折り入って、トレーナーさんにご相談があってですね』
そうして改めて会話の空気を整えなおしたところ。彼女が切り出したそれが、来訪の理由だった。
商店街イベントのモニター募集。
時期を考えれば、今は十二月の半ば。季節の行事としては、そろそろクリスマスが近い。商店街組合の方でも例年通りクリスマスイベントを企画中とのことで、その本番前に、実際にイベント内容を体験して意見を出す、所謂モニターをやってほしいというのが話の内容だ。
彼女は友人も多いと聞いている。
どうして自分に、と。最初は戸惑ったが。
その反応を予測していたように、彼女は他にも色々声をかけていると答えてくれた。
ただ、それでも人集めは順調ではないらしく。なるべく引き受けて欲しいと懇願されたので、最終的にそうすることになったのだ。
「……ここ、だよな」
不安げに呟きつつ、細道へ入った先にあった一軒の民家の前に立つ。
馴染みの商店街といっても、さすがに全体像まで正確には把握できていない。普段あまり利用しないお店はおろか、組合の会長さんの自宅前で待ち合わせとなれば、彼女の地図なしでは辿り着けなかった。
「……」
これでも方向音痴ではないつもりだが。前で待っててくれたらいいと、そんなネイチャの言葉の割にはあまりに人が少ない。
……もう五分前、だよな?
まさか、色々声を掛けた結果が自分だけだった、と。そういう結果も考えられるのだろうか。
「────え」
「ん?」
何度も地図と睨み合いを繰り返していると、不意に後ろで足音がした。
もしかすると他のモニターさんかもしれない。少々希望が湧いてきて、頼りを探すようにゆっくりと振り返る。
──やられた、と。瞬時にそう思った。
「シオン……?」
「トレーナー、さん……?」
どうも、驚いたのはお互い様だったようだ。察するに、彼女もまたモニターの話しか聞かされていなかったんだろう。
夕風になびく二束の赤い髪に、すっと見開かれた翠の瞳。
そこにいたのは他でもなく、自分の担当ウマ娘、ウインバリアシオンその人だった。
「……フフ」
そして、その後ろに続いてきていたネイチャ。
彼女のひそかな笑みが見えていたのは、多分、自分だけだったと思う。
──────────
「……」
「? どうかした」
記憶は再び朝に遡る。モニターの用件を伝え終えた後、ネイチャはまだ何か言いたそうな様子でこちらを見ていた。
その視線が、一瞬だけ自分の背後へと移りかける。
何を見ているのか、察してからそれを身体で遮るまでは速かった。
「あぁいやっ、これはその…………ごめん、人に見せられるような状況じゃなくて」
「……なるほどね。やっぱり、そろってそういうタイプか」
慌て気味な自分の一方で、ネイチャは何かを納得したように頷いていた。
「シオンさんだっていつ来るか分からないんだから、ちゃんと片付けとかなきゃダメだよ。あと、窓もカーテン開けて、日の光とか新鮮な空気くらいは入れとかないと身体に悪いしさ」
ついで、まるで母親を思わせるような言葉までいただいてしまう。
そのせいか。何だか以前にも増して、彼女がより頭を上げられないような存在に見えた気がした。
「美味しいスイーツのお店探すより先に、まず身の回りからだと思うよ」
「! 何で、それ……」
「アタシ、これでもそれなりに顔が広いみたいでして。高等部のパーマーさんとかとも、時々話すんですよ。……あ、一応シオンさんには言ってないよ。その辺は武士の情けでね」
「……」
納得する。けれど、まさかそんな経路で話が伝わる可能性があったなんて、全く考えていなかった。世話焼きで弁が立つ彼女の近くには、それだけ多くの友人が集まるのだろう。
それは分かるが、つい驚いてしまって。まるで隠し事がばれた子供のように、自分はすぐには何も言えなくなっていた。
そのうちに、頭上では予鈴のチャイムが鳴り響く。
「っと、やば。もうそんな時間か……じゃ、さっき言ってた件、よろしくお願いしますね」
「あ、ああ……分かった」
唖然としている自分にそう言うと、ネイチャは本校舎に向かって小走りで駆けていく。
かと思いきや、途中で脚を止めてこちらを振り返った。
「裏でコソコソ動くのもいーけど。ちゃんと話さなきゃ、気持ちは伝わんないと思うよ」
最後に添えられたその言葉のことが、しばらく頭から離れなかった。
──────────
……裏でコソコソ、か。
結果的に言えば、それが返ってきた形にはなるんだろう。今まさに、いつしか見えないところで画策されていたらしい彼女の作戦の上で、自分はこうしてまんまと踊らされていることになる。
しゃんとしろと、静かに背を叩かれたみたいだった。それが彼女が本当に言いたいことだったのだと、今さらながら気づく。
巻き込まれたのは多分、シオンの方だ。
「……スタンプ。集まってきたな」
「そう、ですね」
まだ少しぎこちない表情のシオンと並んで、オレンジ色に照らされた商店街の通りを進む。
彼女に見せようと取り出したスタンプシート。けれど、そこにはまだ十個のうちの二個くらいしかスタンプが押されていなかった。……正直、自分もあまり人のことは言えないかもしれない。
結局、モニターの仕事はそのまま引き受けることになった。
シオンと顔を合わせた後、実はたった二人しか呼ばれていなかった助っ人がそろったということで、仕事の説明が始まった。ネイチャは道案内についてきてくれただけのようで、説明役を組合の会長さんに任せてから一足先に学園へ戻っていった。
お膳立てはしたからあとは頑張れ。……多分、そういうことだ。
そうして渡されたのが、子供受けもしそうなポップなデザインのこのスタンプシートだった。
どうも商店街でやるイベントというのはスタンプラリーだったようで。各店のスタンプを集めて回る順路のことや、おまけのゲームの充実さなどについての所感を伝えるのが、今回の自分たちの役割らしい。
時間の制限は特になく、自然なペースでいいと言われた。組合の人たちもすっかりグルなのか、状況だけなら至れり尽くせりと言っていいのだろう。
「……トレーナーさんは、その、最近元気にされてたっすか?」
「……え、俺?」
「はい。こうやって、ゆっくり話すのも久しぶりですし……日報のやり取りでも、あたしのことばっかりだったんで」
やや俯き気味にシオンが言った。まだ不慣れそうながらも、彼女の方からも話を広げようとしてくれているようだ。
確かに、思えば彼女に自分の近況を伝えたことは、あんまりなかったのかもしれない。多分、そもそもそれほど重要なことだとも考えていなかった。
「元気だよ。休養明けのメニューを作ったり、空いた時間は学園の教官さんの手伝いとかもして……あぁでも、休みだってちゃんと適度に取ってるから。健康面の方も、その、ほら」
「……隈、できてますよ。目の下」
「え」
「もう……でも、そうっすか。ある意味いつも通りそうで、ちょっとだけ安心しました」
そう言って、緊張気味だった彼女の頬が少しだけ緩む。
「最近、検査とかの時以外は、トレーナーさんともあんまり会えてないって。ネイチャさんにそう話したことがあったんです。こういう場を用意してくれたのも、多分そのせいかと思うんすけど。……すみません。トレーナーさんに、ご迷惑をお掛けすることになっちゃったっすね」
シオンも察してはいたようだ。少なくとも、ネイチャが裏で色々と仕組んでいた件については。
その上で申し訳なく思ってくれているんだろう。そんな必要はないのに。
「……いや。謝らなきゃいけないのは、俺の方だ」
「え?」
ジャパンカップ、そしてシオンのケガの一件以来。自分はずっと、ちゃんと彼女に向き合えていなかった。
自分が不甲斐なくて、彼女に掛けるべき言葉も、上手く整理できなくて。そうやってまた、傷つけてしまうことが怖かった。
彼女が無理をするに至った経緯を思えば、むしろ逆だったはずなのに。
一体、何を焦っていたんだろう。あの日も、自分が出走前に彼女の状態をしっかり見れていれば、少なくともあんな辛い顔をさせずに済んだ。レースの結果は分からなかったとしても、菊花賞の時のように、彼女は全力を出し切って勝負ができたはずだ。
だからもう、二度と彼女から目を離さないように。
誰かを頼りにするのではなく。傷つくことになっても、自分はもっと、シオンの傍に寄り添っていなければいけなかった。
「……もし、本当に時間がある時でいいんだ。検査の日以外でも、トレーニングをするためじゃなくても。勉強に付き合ってほしい時とか、ちょっと話し相手が欲しい時とかでもいい。
トレーナー室はいつでも開いてる。何なら、それ以外の場所に呼び出してくれたっていい」
「……」
「そしたら、どこにでも飛んでいく。俺はもっと……君と話がしたいから」
それが果たしてどのくらい、彼女の頼りになるのかは分からないけど。それでも、あの日のように一人で背負わせてしまうよりは、ずっとマシなはずだ。
そうやって向き合うことさえ止めずにいれば。いつか、彼女の心の奥底に触れさせてもらえる日だって、きっとやってくる。
「ありがとう、ございます。……はは、そうっすよね。だって、別に、禁止されてたわけでもなかったのに……あたしは」
一気に言い過ぎたのかもしれない。驚いた様子で、シオンは言葉を紡いでいた。
途中からは、まるで彼女自身に語りかけるように。きっと結果的にそうなっていただけで、彼女もまた、意図的にそうしていたわけではなかったんだろう。
「……じゃあ、さっそくなんすけど。明日お邪魔しても、いいっすか? トレーニングの再開日の件もありますし」
「もちろ──あ」
「あ?」
勢いのまま頷きかけて、刹那、思考がスッと冷静になって止まった。
そうやってフラッシュバックしたのは、あのトレーナー室の惨状のことだった。
「……ごめん。やっぱり、明後日からでもいいかな」
「え。はい、いいっすけど……あ、もしかして部屋、また散らかって」
「う」
今さら恰好が付かないにも程がある。しかもあまりに不自然すぎたせいで、見事に隠し事まで暴かれてしまった。
「やっぱり明日、いきます。片付いてない分はあたしも手伝うんで」
「えっ。いや、そんな無理させられないし」
「もうほとんど治ってるっすから。……さっき、いつでもいいって、そう言ってくれましたよね?」
「それは、確かにそうだけど……」
すっかり隙をつかせてしまったようだ。こうなると多分、シオンはもう止まってはくれない。
結局、最終的には頷くことになった。とはいえ、とりあえず出来るだけ今日のうちに何とかしておこうと、そう心に決める。
そんな感情的なやり取りをする間。気づくといつしか、自分たちは限りなくいつも通りだった。
「……ダメっすよ。あんまりだらしなくしたら」
「じゃないとあたし。また一晩中でも、隣でお手伝いしたくなっちゃいますから」
【3】
そうして、十二月最後の休日は瞬く間にやってきた。
世間的にはクリスマス当日。けれど、あたしたちウマ娘をはじめ、レース業界の関係者にとっては別の意味で大きな一日になっていた。
──第五十六回・有マ記念。
例年、その年の最後を締めくくる冬のグランプリ。
そんな最大級の祭典が、今年はこの聖夜の日に執り行われることになった。
「……」
その行く末を、あたしたちはトレーナー室のテレビから見つめていた。
今はちょうど、選手の顔見せとなるパドックの真っ最中。出走メンバーには、あのブエナビスタさんをはじめとして、トーセンジョーダンさんやエイシンフラッシュさんといったジャパンカップで戦ったウマ娘たちの名前が連なる。
(分かってたけど、すごい面子だな……)
どの子も圧倒されるほどの存在感を放つ。重賞での勝利経験を持つ実力者ばかりだから、当たり前と言えばそうだけど。
そして、そこにはあたしたちの同世代からも一人。
今年のクラシック三冠ウマ娘。かの金色の暴君こと、オルフェーヴルの名前もあった。
パドックが終わり、各ウマ娘がゲートインへ移っていく。
スタート前の長い静寂。中山レース場の緊張は、画面を通してこっちまで伝わってくるみたいだった。
『さあスタートしました。各ウマ娘、大きな出遅れなく進んでゆきます──』
合図の音が鳴った。ウマ娘たちが一斉にゲートを飛び出していく。
最初の展開には見覚えがあった。
菊花賞やジャパンカップの時と同じで、全体の隊列はあまり伸びない。そんな中、一番人気のブエナさんは先頭集団、オルフェさんは真ん中から後方寄りへと陣取った。
(やっぱり、後ろからのレース……)
先の二レースと似通った形の序盤。それなら、ここから展開を予想するのはきっとそんなに難しくない。
今、オルフェさんがいるのは後方集団。あたしの時ほどじゃないにしても、後ろからの勝負だ。タイミングを外せば、最後の勝負に臨むことさえ困難になる。
しかも、前にはブエナさんもいる。あの驚異的な瞬発力を持ち合わせる彼女がいる限り、下手に早く動くのも危険だ。
他の出走者だって、あたしたちよりキャリアの長い強豪ばかり。いくらあいつでも、そんな簡単には。
「…………え」
レースは一定のペースで進む。そして、迎えた第三コーナー。
痺れを切らしたように、オルフェさんは進軍を開始する。
(あんな堂々と……確かに、それしかないけど……!)
前に潜む強豪たちを恐れもしない、あいつらしい力強い踏み込み。
その剛胆さは直に見てきた。それに耐え抜くだけの、圧倒的なロングスパートが揃ってこそのあの猛進撃。
菊花賞の時と同じように行くかなんて、分からないはずなのに。
あいつはそのまま、先頭集団を切り裂いていく。
『来ましたオルフェーヴル!! 後方から一気に、一気に大きく伸びていく!!』
当然、他の子もそれを見逃さない。
フラッシュさんが、ジョーダンさんがそれに並ぶ。少し後ろでは、ブエナさんも力を溜めている。
ここから横並びの勝負になるか。きっと誰もが、そう思った。
『ブエナビスタ伸びない!! オルフェーヴル!! 先頭、オルフェーヴルです!!』
思っていた、はずだ。それなのに。
強豪たちが蹴散らされていく。あんなに凄い末脚を誇ったブエナさんでさえ、あいつには届かない。
先頭のウマ娘も躱される。大勢は、もう決まっていた。
『ゴーーールイン!! 有マ記念を制したのはオルフェーヴル、オルフェーヴルです!!』
『圧倒的、三冠ウマ娘の実力!! もはや並ぶものなし!!』
『見事、
「……」
その様子を目の当たりにして、あたしは何も言うことができず。
誰の目にも触れない遠い外側から、自分ができなかったことを成し遂げていくライバルの姿に、ただ圧倒されるばかりだった。