夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─   作:鵜鷺りょく

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優しいこと。見守っていてくれること。
知っているのは、たったそれだけ。




第二章
雲間に照らす Ⅰ 「馴れ初めを振り返るお話」


 

【1】

 

 シンと静まり返る夜風の中に、ぽつぽつと白い息が零れる。

 

 それはすっかり冷え込んだ冬の夜のこと。自主トレの一環でランニングに出ていたあたしは、いつものコースに沿ってしばらく走り、やがて坂を登ってあの丘の上までやってきていた。

 

「はぁ……はぁ……ふー」

 

 休憩のために足を止める。

 息を整えて、眼下に広がる街明かりを見た。

 

 普段なら憎たらしい宿敵の顔を浮かべつつ、文句や宣戦布告なんかを思い切り叫んでいるところ。若干不本意ながらあいつのことはいつも頭の片隅にあるから、今こうしている間にも、声に出したい言葉なんて山ほど出てきてしまうけど。

 

「……結構、遅くなっちゃったな」

 

 スマホの画面を見て呟く。さすがにこんな時間だとご近所迷惑でしかない。

 もちろん、夜間の外出届けは出してきている。ただこれ以上はシュヴァルさんも心配するだろう。

 折り返してから到着までの時間を考えて、もう少し休んだら戻ろうと決めた。

 

 ふと、今度は夜空を見上げる。

 

 今日は少しだけ雲が多いなと思った。散りばめられた星が見えなくなるほどじゃないけど、せっかくのキレイな月が少しだけ隠れてしまっている。

 雲間から覗く穏やかな光。それはどこか心許ない暗闇を優しく包み込みながら、一人佇むあたしを見守ってくれているみたいで。

 ……ちょっと感傷的すぎるかな。

 静かで、あんまり表情は変わらないのに、傍にいてくれるだけで安心する。

 あなたみたいですね、なんて言ったら、あの人は笑うだろうか。

 

「もう一年、か」

 

 ようやく本格化を迎えて、トレーナーさんと出会い、念願のデビューを果たした。

 目まぐるしいジュニア級の一年は終わって、あたしはもうすぐクラシック級のレースを戦い抜いていくことになる。

 

 あいつとの勝負も、すぐそこまで迫ってるんだ。

 

「……首を洗って待ってろ、オルフェーヴル」

 

 いつまでも見下させてなんてやらない。何が王だ、民草だ。余裕ぶったその横っ面を、すぐに悔しさでいっぱいにしてやる。

 皐月賞には間に合わない。だけど、その先であんたを打ち破って、必ず。

 

「あたしは、誰よりも輝く主役(プリンシパル)になるんだから」

 

 

【2】

 

「すー……はー……」

 

 深く息を吸う。そうして肺から身体全体に酸素が行き渡るように意識しながら、ゆっくりと吐き出す。

 それから、あたしは目の前の相手に向き直った。

 

「ど、どうぞっす」

「うん」

 

 握りしめたカードは二枚。その上を揺れ動く相手の指先。

 動揺するな、あたし。ポーカーフェイスだぞ、あたし。

 

 頭はなるべく空っぽに──あぁっ、そっちは。

 明鏡止水の心構えで──よし、そのままそのまま。

 

「こっち、かな」

「……!!」

 

 くるっと方向転換する指先、引き抜かれた一枚。こちらの手元にはジョーカーだけが残る。

 かくしてゲームセット。最下位は、あたしだった。

 

 

 ────────────

 

 

 一夜が明けて翌日の昼休み。

 昼食を終えて教室へ戻ってきたあたしは、トランプを手にしたクラスメートたちに誘われて、暇つぶしのババ抜きに参加させてもらっていた。

 

「勝負あり! いやー残念だったね、シオン」

「うぇーい! あつい勝負だったぜぃ、二人ともー!☆」

 

 一位抜けしたメジロパーマーさんが結果を告げる。次に上がったダイタクヘリオスさんもそれに乗っかって騒いでいた。

 

「えっと、ごめんね。シオン」

「いえ……厳正なる、勝負の結果っすから……」

 

 そして一騎打ちの末、見事勝ち残ったケイエスミラクルさんは少し申し訳なさそうにしている。あまり気にしないようにと笑い返すつもりが、やっぱり溢れる悔しさは滲み出てしまっていた。

 

「まさか、一回もババを引いてもらえないなんて……」

 

 そんな言葉もつい零れ出てしまう。

 今回のゲーム、ババは最初からあたしが握っていた。当初の順番ではパーマーさんがあたしから引くことになっていたのだけど、鮮やかな手付きでババは避けられ、それ以外がどんどん取られていった。

 その次のヘリオスさんも、ミラクルさんだってそうだった。……どうして。

 

「だって、ねえ?」

「シオちん、ババのとこばっかり見てんだもんな~☆」

「素直なのはシオンのいいところだと思うよ」

「うぐ……いや、そう言ってもらえるのは嬉しいっすけど……」

 

 我ながら思ってることが隠せなさすぎる。

 やっぱり、そのうちどうにかするべきだなと思った。

 

「さーて、じゃあお待ちかねのアレ、行ってみよっか?」

「!」

 

 何かを企むようなパーマーさんの声。そう、実はこのババ抜き、残念ながら単純に勝負がついて終わりじゃない。

 いわゆる罰ゲーム。一番に上がった人が、最下位の人に何かしらの命令ができるという内容だ。もちろん事前にこの流れは聞かされていたわけだけど、まさか本当に自分が受ける側になってしまうなんて。

 

「うーん、そうだなぁ……………よし」

 

 ゴクリと息を呑む。

 まあ、パーマーさんならそんな変なことは言わないはず……。

 

「じゃあ、トレーナーさんとの馴れ初め(・・・・・・・・・・・・・)について。この場でじっくり語ってもらおっかな~?」

「!?」

 

 絶句する。まったく想像もしていなかったところからきた。

 

「な、馴れ初めって……あたしたち、別にそういう関係じゃ」

「……らびゅ~?」

「違いますって!」

「? トレーナーさんと初めて出会った時のこと、って話じゃなくて?」

「……!」

 

 冷静なミラクルさんの言葉に、ハッと我に返る。

 振り向くと、パーマーさんはすごくニヤニヤしながら頷いていた。

 

「な、なんだ……びっくりしたっすよ」

「あはは、ごめんごめん。この間見かけた時、シオンとトレーナーさんすごく仲が良さそうだったから、ついね」

「っ……」

 

 それはいつのどのタイミングだろう。そう言ってもらえるだけの信頼関係ができているってことなら嬉しいけど、今の話の流れだと、何だかまた顔が熱くなってきてしまう。

 

「で、どうなの?」

「え、えっと……そーっすね」

 

 すぐには頭が回らない。いや、この際話すこと自体は別にいいんだけど。

 もう少し落ち着くまで待ってもらってから、あたしはゆっくりと語り始める。

 

 それは、去年の春のことだった。

 

 当時は本格化を迎えてからそれなりに時間が経っていて、同期の子たちのスカウトも次々に決まっていた時期。

 デビューへの道を歩み始めるみんなの中で、あたしも声を掛けてもらうことはあったものの、その時点では全部断らせてもらっていた。

 スカウトは嬉しかったし、申し訳ないとも思った。でも、"オルフェーヴルとの対決は避ける"、"違う距離やダートへ行こう"といった言葉を、あたしはどうしても受け入れられなくて。

 ……誰も、あたしが勝つなんて思ってないんだ。

 そんな風に俯いて、結果が出せないことに焦って、心はいっぱいいっぱいになっていた。

 

 今のトレーナー──松早さんと出会ったのは、ちょうどそんな頃だ。

 

 ある日のトレーニングコース。

 ささくれた気持ちで早朝から走り込んでいたあたしのところに、その人はやってきた。

 

『君をスカウトさせてほしい』

 

 そんな言葉とともに渡されたのは分厚い資料の束。少し目を通しただけで、気づくと夢中になってページをめくっていた。それがあたしのために用意されたトレーニングメニューだってことは、すぐに分かったから。

 満足のいく結果も出せず、足りないものばかりのあたしをずっと見ていてくれた証。それだけじゃなくその人は、あいつに勝ちたいって、絶対に譲れないあたしの夢を信じてくれた。

 

 それが、心の底から嬉しかった。

 

 涙を浮かべて握った手の感触を、今でもはっきり思い出せる。

 抱きしめていた最初のメニューは、その役割を終えた今でも、ずっと大切な宝物だった。

 

 

 ──────────

 

 

「……ってところで、どうっすかね?」

 

 最初はそんな乗り気じゃなかったはずなのに、いつの間にか語るのに一生懸命になっていた。

 おそるおそる確認すると、聞いていたみんなはしばらく唖然としていて。

 

「うおぉ~~ッ!! マジ尊み!! すっげーいい話じゃね!?☆」

「思ったよりすごいのが来てしまった……何か、こんな軽いノリで話させちゃって申し訳ない」

「そ、そんな。いいっすよ、気にしないでください」

 

 目を輝かせているヘリオスさん。隣で若干涙ぐんでいるらしいパーマーさんは、何だか変に罪悪感を感じているような様子だった。

 

「素敵なトレーナーさんだね」

「! ……えへへ、ありがとうございます」

 

 最後のミラクルさんの言葉に胸が温かくなる。

 よかった。ほとんど成り行きだったけど、自分があの日感じたことをちゃんと伝えることができたみたいだ。

 

「シオン、トレーナーさんがついてから笑うことが増えたよね」

「え。そう、っすかね?」

「そうだね。ちょうどその頃だったと思うけど、シオン、一人で悩んでることが多かったから。おれたちも心配してたんだ」

「……」

 

 みんなの優しい眼差しを感じる。

 あの頃、あたしは本当に自分のことばかりで。そんな風に周りに心配をかけていたことさえ、全然気付けていなかった。

 

「トレーナーさんほどじゃないかもだけどさ。何かあったら私たちも力になるから。ま、愚痴でも何でも言ってみてよ」

「またみんなでパリろ、なっ☆」

「……はいっす。ありがとうございます」

 

 快い友人たちと、頼りになるパートナー。

 あたしは本当に恵まれてるんだなって、何だかそんなことを思った。

 

「……と、そーいえばさ。さっき話してた資料って、まだ残してあるんだよね?」

「? はい、そうっすね」

 

 当時のあたしに合わせたものだったから、何度も改訂を重ねて、さすがに今は使うこともない。けれど大切な思い出の品として、今でもトレーナー室で大切に保管してもらっていた。

 不思議なことに、あたしが時々それを眺めていると、トレーナーさんは決まってくすぐったそうな顔をするのだ。

 

「そうなんだ。話の途中でも思ったんだけど、ふふ、何かそれって」

「? ──……ッ!?」

 

 その後にパーマーさんから告げられた一言に、あたしはまた沸騰しそうなほど熱くなるのだった。

 

 

【3】

 

 ホームルームが終わって、放課後のトレーニングの時間になった。

 余計な考え事はしないように全力疾走。夕日が差しこむグラウンドのコースを一周して、トレーナーさんの元へと戻ってくる。

 

「やったなシオン。タイム、大幅に縮んでるぞ」

「! ほんとっすか!?」

 

 ストップウォッチを片手に微笑むトレーナーさん。それを受けて、あたしは小走りにタイムを覗きに近寄っていく。

 それは大きな進歩。しっかり映し出されたその結果に、ついガッツポーズをしてしまった。

 

「よくがんばったな」

「はい!」

「……と、できれば喜ぶだけで済ませたいんだけど」

「?」

 

 それまでの明るい雰囲気から一転。どこか言いづらそうな話の切り出しに首を傾げる。

 

「シオン。最近、自主トレをやりすぎたりしてない?」

 

 ギクッ。

 少しの間はあっても、そんなことないっすよ、と誤魔化すことはできたかもしれない。ただそう思いつくよりも先に、あたしはすっかり身体を強張らせてしまっていた。

 トレーナーさんはじっと返答を待っている。……ダメだ、もう隠せない。

 

「す、すみません! ……その通りっす。最近は何だかずっと落ち着かなくて。でも、トレーニングしてる間は少しだけマシになるんで、それでつい」

「そうだったのか」

「はい……でも、どうして分かったんすか?」

「ん。えっと、そうだね」

 

 手元の資料に視線を移しながら、トレーナーさんは答える。

 

「きっかけは、ここ最近のシオンの成長が当初の想定より早かったから。もちろんそれは君が真摯に努力してきた結果だし、俺もすごく嬉しい。……けど、何だか君が疲れを溜め込んでいるようにも見えたから」

「……」

 

 最初は、本当にちょっとだけのつもりだった。でも時間が経つにつれて、あいつとのレースが近づいてるんだって思うと、だんだん抑えがきかなくなっていった。

 なるべく気づかれないようにって、そんなことを考えていた自分が恥ずかしくなる。順調なデータだけじゃなくて、トレーナーさんは普段のあたしの些細な変化まで見てくれていたんだろうから。

 それで余計な心配をかけて……何やってるんだろ、あたし。

 

「シオン」

「は、はいっす」

 

 俯いていた頭を上げる。叱られても当然な場面なのに、トレーナーさんの表情は意外なほどに柔らかかった。

 

「大丈夫、君の気持ちは分かってる。クラシック級のレースも近づいてきてるんだし、焦っても来るよな」

「……はい」

「でも、そういう時はなるべく話してほしい。自主トレもそうだけど、普段のトレーニングで気づいたことも。そうしたら、俺もそれに合わせるから」

 

 それは真っ直ぐな気遣い。

 心のどこかで、トレーナーさんならそう言ってくれるんじゃないかと思っていた。……でも、

 

「でも、それって、逆にトレーナーさんの負担が増えちゃうんじゃ」

 

 信じてなかったわけじゃない。ただ、トレーナーさんが普段からどれだけ頑張ってくれているか知っているから。毎日遅くまでトレーナー室に残って、あたしのためにメニューを考えてくれていることだって。

 だから、自主トレや身体のケアくらい、自分だけでもこなせるようになりたかった。それも、結局上手くいかなかったけど。

 

「気にしなくていいよ。そういうのもトレーナーの仕事の範疇だ。……それに」

「?」

「シオンのためになるなら、俺もできることをやりたいから」

 

 

「どんなに些細なことでも、一緒に背負わせてほしい」

 

 

 そっと微笑みかけるその言葉が、胸の中に温かく溶け込む。

 ……本当に、出会った時から変わらないんだな。

 あたしのことをよく見てくれていて、いつも全力で向き合ってくれる。あたしのこれからを信じて、傍に寄り添っていてくれる。ここまでだって、ずっとそうだった。

 あたしは、助けられてばっかりだ。

 

「……分かりました。これからは、ちゃんとトレーナーさんに相談するっす」

「ああ」

 

 だからこそ、少しでもその気持ちに応えたい。これからやってくるあいつとの戦いも、それ以外のレースだって勝ち抜いて。あたしが主役として輝くところを、たくさん見せてあげたい。

 せっかく、こんな素敵な人と出会えたんだから。

 

「…………あ」

 

 そう気持ちを改めたところで、うっかり思い出してしまった。

 放課後になるまでずっと頭の中にあったそれ(・・)。必死に身体を動かすことで、今までは何とか隅っこに追いやっていたのに。

 

 

『何かそれって、トレーナーさんなりのラブレター(・・・・・・・・・・・・・・・)みたいじゃない?』

 

 

 昼休みの締めくくり。トレーナーさんにもらった例の資料のことを指して、パーマーさんが放ったその一言が。

 

「だ、大丈夫か? 何か、顔が真っ赤だけど」

「……!?」

 

 一度そうなったら、ポーカーフェイスもままならないあたしにはもうどうしようもなかった。

 トレーナーさんが心配そうにしている。熱があると思われたのか、その手が額に近づいてきて、

 

「っ~~~すみませんッ!! あたしもうちょっと走ってくるっす!!」

 

 大声で宣言して、脇目も振らずにコースまで戻っていく。

 ……今が冬なんて嘘みたいだ。

 せめてその冷え切った空気の中で、自分の思考回路(あたま)が少しでも落ち着いてくれることを、ただ祈るしかなかった。

 





※2026/3/23追記
シリーズ用の質問コーナーを開設してみました。
必要に応じてお使いください。(『活動報告』に飛びます)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=338048&uid=503660

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