夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─ 作:鵜鷺りょく
舞台袖にも、木漏れ日は差す。
※今回筆者の都合により、投稿が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。
Sunlighted Shade 「シオンとファン感謝祭のお話」
四月に入ってから、もう数日の時が過ぎた。
新たな年度の始まりと、新入生たちを迎える準備などで慌ただしかった学園の空気。そして、まるでその締めくくりとでも言うように、今年もまたそのイベントの当日がやってくる。
「──あっ。おはようございます、トレーナーさん」
「!」
準備を済ませ、トレーナー寮から出てくる。彼女がいることに気づいたのは、その直後のことだった。
春というにはまだ肌寒く、やや頼りない陽気の中。そちらを振り返ると、風に流れる二つ結びの赤い髪。ぱぁっと笑ってあいさつをするその姿は、実にいつも律儀な彼女らしい。
担当ウマ娘のウインバリアシオン。想定より少しだけ早い彼女との対面に、自分はしばし目をぱちくりさせる。
「お、おはよう。……ごめん。もしかして、時間まちがえてた?」
反射的に腕時計を確認していた。
確か、待ち合わせは正門の前だったはず。しかし今彼女がそこにいるということは、もしかするとそういうことではないのかと。
焦る自分に、クスリと小さな笑い声が聞こえてくる。
「ふふ、すみません。何だか、じっとしてらんなくて。早く着いちゃったし、せっかくならトレーナーさんを迎えに行こうかと」
「…………」
「……その。ご迷惑、だったっすかね」
思わず呆気にとられていると、シオンはバツが悪そうに視線を下げる。こちらが怒っていると、そう思ったのだろうか。
「──!」
「ありがとう。……そっか。遅れたとかじゃなくてよかったよ」
軽く頭を撫でつつ、彼女の隣に並ぶ。
ぴくっと伸びた耳に、尻尾もぶんぶんと揺れる。そして、もう一度視線が重なった。
「じゃあ、行こうか」
「……はいっ」
締めの一言を交わして、どちらからともなく歩き出す。
何にせよ、待ち合わせとしては何の問題もない。今日のお祭りのことを思えば、ついはしゃいでしまうのも仕方がないことだろう。
──トレセン学園・春のファン大感謝祭。
それは、この学園における春を代表する行事ごとの一つ。秋の聖蹄祭などと同じく、一般の参加者も入れて盛り上がる交流イベントだ。
出店もそれなりに出るが、ファン感謝祭と称されるだけあり、外部に向けた参加型のアクティビティが比較的多い。パン食い競走や綱引きといったものまで催される辺り、運動会のような側面もあると言える。
他、王道なところではトークショーやサイン会なんかもそうだ。
色々ありすぎて、あるいは散らかっているように見えることもあるけれど。その中核にあるのはやはり、ウマ娘たちから日頃応援してくれるファン達に感謝を伝える機会、ということなのだろう。
「ライブは午後から、か。準備もあるし、早めに向かわないとだな」
「そうっすね。皆さんとお会いするのも久しぶりですし、ちゃんと気持ちを引き締めていかないと」
そう言って、パチパチと両頬を叩く。つい今から気合いを入れてしまっているのは、何とも彼女らしいが。
ファン交流の最たるものといえば、やはり"ライブ"もその一つだ。学園の中央ステージでは今日一日を通してミニライブが開かれていて、時間帯ごとに色んなウマ娘がパフォーマンスを披露することになっている。
シオンの番がくるのは午後になってから。SNSの方でも告知済みで、すでにファンクラブをはじめ、彼女を応援するたくさんの人たちから反応が集まっている。その賑わいは、他のウマ娘たちと比べても遜色ないものになるだろう。
「……」
「大丈夫だよ」
いつしか手が止まっていたことに気づいて、声を掛ける。彼女はこちらを振り向いた。
「本番に向けてしっかり練習もしてきたんだ。気持ちはちゃんと伝わるよ」
「……そう、っすかね」
「ずっと見てきた俺が保証する。絶対、大丈夫だって」
相変わらず、ありきたりな言葉だ。
こんなもの、いくら重ねたって頼りないかもしれないけれど。……それでも。
「今日だって、しっかり見てるから」
本番になれば、一時的とはいえ傍にはいられなくなる。言えることは、今のうちにちゃんと言っておくべきだ。
取るに足らないものでも、少しくらいは支えになると信じて。
「……もしかしたら、難しいかもっすけど」
「?」
「できれば、よく見えるところにはいてほしいです」
「……ああ。もちろん」
伏し目がちなその声に、強く頷く。
瞳は前髪に隠れて見えなかったけれど、気のせいじゃなければ、シオンが少しだけ笑ったような気がした。
「それまでは、しっかり楽しまないとな」
「はい」
それも大事な使命だ。ファン感謝祭の出し物については一通り頭に入れてきたし、最低限の案内役くらいは務まるはず。
もう随分人も入ってきているのだろう。祭りの賑わいもだんだんと近づきつつある。
あらためて気合いを入れ直しながら、一旦の目的地として、まずは本校舎を目指すことにした。
活気づく本校舎の廊下。いつもの見慣れた制服ばかりじゃなく、色んな人たちが行きかってごった返すそんな風景は、まさに特別なお祭りムードって感じだった。
正直、アタシもそういうのは結構好きな方だ。だから、そのせいで浮かれていたのかもしれない。
人混みの中にふと見つけた二つの背中。丁度いい物陰に隠れつつ、バレないようにその後を追いかけていく。
「これが次の暗号か。……う。これ、もしかしてさっきの教室にあったやつじゃ」
「? ちょっと見せてください」
はがきサイズの用紙を手に顔をしかめるトレーナーさん。
その隣にぴったりくっつくようにしながら、シオンさんもその表面を覗き込む。
「あ、これならあたし覚えてるっすよ。確か、ここがこうなってて」
「! なるほど、確かに……すごいな、シオン。これならすぐに解けちゃいそうだ」
「えへへ。これでも暗記系は得意なんすよ」
少し得意げなシオンさんが助け船を出す。それに舌を巻くトレーナーさんの手の中で、思ったよりスムーズに暗号が解かれていっているみたいだった。
チェックポイントを順に巡って、渡されたアイテムの謎を解いていく宝探し。この本校舎にやってきてから、おそらく二人が最初に目をつけた出し物だ。その道中で屋台に寄ったりもしつつ、揃ってなかなか満喫しているように見える。
(ふふ……ごちそーさんです、っと)
微笑ましい光景に内心で合掌しつつ、途中で買った唐揚げ串を一かじり。
特に何も考えず買ったものだけど、丁度いい一口サイズで持ち運びもしやすいし、尾行中の身には結構いい感じだった。
「あ、あの、ネイチャさん」
「?」
「僕たち、こんなことしてていいんでしょうか……何だか、その」
「悪いことしてるみたい?」
「う……は、はい」
後ろで一緒に隠れている後輩の声に耳を傾ける。途中でうっかり巻き込んじゃったにも関わらず、ここまで律儀についてきてくれたわけだけど……うん、ぐうの音も出ないくらいの正論だ。
アタシも正直、何でこんなことしているんだろうとは思う。いつもの落ち着きがあったらこうなってなかったかもしれないけど。
(まあ、色々心配な人たちだし……少しは、ね)
「あはは、ごめんごめん。でも、もうちょっとだけ、ね? ……あ。ほら、さっき途中で買った肉まん。食べる?」
「! 肉まん……」
よし、食いついた。帽子の下から目を輝かせる可愛らしい共犯者に口角を緩ませつつ、ホカホカでフワフワな賄賂を手渡す。
いや、後輩に片棒を担がせるつもりはさらさらないし、いざバレた時は正直に事情を話すつもりだけど。今はこうして道連れが一人いるってだけでも、気分的にはそれなりにありがたかったりもするから。
「……! よし、移動するよ」
課題が解けたのか、視線の先の二人が進み出す。
引き続きバレないように気をつけつつ、アタシたちはその後を追いかけていった。
──────────
宝探しを一通り終えると、二人は校舎の外に出て行く。
そのままグラウンドの方へ向かうと、そこでやっているのはこれまた定番の"障害・借り物競走"。次はこれに参加するみたいだった。
「それじゃあ、行ってくるっすね」
「ああ」
とはいえ、ここは別に二人三脚ってわけでもないみたいで。出場するのはシオンさん、一方でトレーナーさんは観客席へ移動していく。
アタシたちも移動して、トレーナーさんから少し離れたところに潜伏する。スタートの合図が鳴ったのはその直後だった。
タッタッタ……
比較的緩やかなスタート。シオンさんを含めた走者たちがコースへと飛び出していく。
ハードルにネット、平均台──道中をはばむ定番の障害物たちを次々に乗り越えて進む。そんな中、持ち前のバランス感覚と身体捌きを駆使しつつ、シオンさんはどんどんリードを稼いでいった。
一通り障害物を越えれば、あとは最後の"借り物"。一番に辿り着いた彼女は、長机の上の用紙を一枚手に取った。
「────」
……気のせいか、表情が一瞬だけ固まったような。
脚も完全に止まっている。考え事に集中してしまっているような感じだった。一体何を引いてしまったんだろう。
せっかく稼いだリードも長くは保たない。他の走者たちも続々追いついてくる。やがて、シオンさんは覚悟を決めたように顔を上げた。
踵を返す。そうして向かったのは、応援に沸き立つ観客席の一画だった。
「……シオン?」
「……」
そして、シオンさんはトレーナーさんの前に立つ。
何か借りるのかな? アタシを含めみんなが見守る視線の先で、心なしか顔を赤くした彼女はスッと手を伸ばした。
「一緒に、来てくれませんか?」
「……え」
──何ですと?
こっちも一瞬理解が追いつかなかった。ギュッと握られた用紙の中身がいよいよ気になってくる中、戸惑いがちに手を取ったトレーナーさんを、シオンさんが連れ出していく。
息の合った歩幅。みんなより少し遅れてコースに復帰した二人は、そのままスムーズに加速してゴールへ向かう。
結局は二人三脚みたいになって、ゴールイン。出遅れた分のタイムロスは痛く、一番には届かなかったけど。
それでも、二人の表情は柔らかかった。
「楽しそうですね。二人とも」
「だねー。まったく……あとで、何とかお題の内容だけでも聞き出せないかな」
「?」
隣と同じくほっこりしつつも、内心には捨てきれない好奇心が残っていた。
まあ、でもそれは出過ぎた行動ってやつだ。いい加減色々と申し訳なくなってきたところだし、ここいらでそろそろお暇して──。
「あれ、ネイチャさん? それに、シュヴァルさんも」
「……あ」
と思ったものの、時既に遅しだった。
立ち去るお客さんたちに紛れる直前。後ろから呼び止めたその声は間違いなく。
アタシたちの尾行は、殊の外あっさりとバレてしまったのだった。
「……ひょっとして、とっくに気づいてた感じデス?」
「まあ。やけによく見かけるなー、とは思ってたよ」
気まずそうなネイチャの問いに、正直に頷く。まさかつけられていたとは思わなかったけれど。
現在地はグラウンドの一画。障害物競走のエリアを離れて、こちらではストラックアウト用の設備が置かれていた。思わぬ形での合流となったが、今はシオンとシュヴァルがそれに挑戦している。
遠目に二人を見守りながら、残った自分はネイチャから色々と事情を聞いていた。
「心配だったんだろ。シオンのこと」
「良い風に言っちゃえば、ですけどね。……シュヴァルは巻き込んじゃっただけだから、怒るならアタシだけで」
「怒ってないよ」
それでこちらが何か損を被ったわけでもないし。もし多少のそれがあったとしても、自分に堂々と彼女を責めることはできないだろう。
最近はまた立て込んでしまっていたから。これもきっといい機会だ。
「むしろ、あらためてお礼を言わないとって思ってたんだ」
「え?」
「もう何ヶ月も前のことだけど。ほら、君から商店街のイベントモニターをお願いしてくれたことがあっただろ? あの時は、おかげでちゃんとシオンと話すことができた」
「……あー、あれですか。いやまあ、アタシとしても、ちょっと出過ぎたマネしちゃったかなー、とか思ってたんデスが」
気まずそうに視線を逸らしつつ、ネイチャはほの赤い頬をかく。
「実際、アタシがいなくても何とかなってたかもだけどね。……その後、シオンさんとはどんな感じ?」
「……そうだな」
それも話しておくべきだろう。どこから切り出したものか、少しの間思考を巡らせる。
まずは、ネイチャのおかげでシオンと話すきっかけが出来たことだ。一緒に並んで商店街を歩いたあの時間の中で、自分は確かに、彼女と向き合う覚悟を固めることができた。ネイチャはそう言うが、やはりその意味は大きなものだったと思う。
シオンがずっと抱えこんでいた苦悩を打ち明けてもらえた。色々と恰好の付かない形ではあったものの、夢を手放しかけていた彼女を何とか繋ぎ止めることができた。そうしてこの間の日経賞でも好成績を残し、復帰を果たした今は、また次の天皇賞・春に向けて動き出している。
……綱渡りのような日々だったのだと、そう思う。
全ては自分の不甲斐なさが招いたことだけれど。
たった一つの掛け違いでも、シオンの今はまるきり違うものになっていたのかもしれない。
「そう、ですか。シオンさん、また前を向いて進み出してるんですね」
「ああ。ちょっとずつ、だけどな」
ほっと胸をなで下ろすような、ネイチャの声は優しい響きをしていた。ずっと気に掛けてくれていたんだろう。
どうにか再び歩き出せた
あのオルフェーヴルも出てくる以上、次のレースはまた過酷なものになる。シオンの状態を考えれば、今はそちらの準備だけに集中してもらった方がよかっただろう。
そう分かっていて、それでもなお、彼女の方からライブの参加を進言してくれたのだ。もう一度、ちゃんとファンの人たちに向き合いたいと。
「本当にありがとう。みんなの──ネイチャのおかげで、あの子は今もここにいられる」
「大したことしてないですってば」
ほぅ、と息を吐く。ネイチャの息づかいが青空に消えていく。
遠くの方でボールが的に当たった。軽快な衝撃音と、パッパラパーと景気のいい電子音が続いて、辺りによく響いていた。
どうやらシオンが命中させたみたいだ。シュヴァルも駆け寄って、二人で結果を喜び合っている。穏やかな光景だった。
「……ほんと、いい先輩なんですよ。アタシなんかのことも普段からよく見てくれてて、"すごい"なんて褒めてもくれるような」
やや長い沈黙の後、ネイチャが言葉を紡ぎ始める。
それはあるいは独り言だったのかもしれない。自分はしばらく、何も言わずに耳を澄ませていた。
「凄いのはどっちかって話。……ほら、アタシはこういう性格だからさ。そりゃどうしようもない気持ちを抱えちゃうことだってありますけど、別にやり過ごせなくもないんです。その場は何でもないフリして、それをちょっとだけ後回しにすることだってできちゃう。
でも、あの人は多分、そうじゃない。
目標に届かない悔しさも、つい周りと比べちゃう劣等感も、その場で全部向き合っちゃう。そのくせ気遣い屋さんで、自分以外のことも放っておけないもんだからさ。色々背負っちゃったりもして……そういうのって、やっぱりしんどいと思う」
遠くを見つめる目が、ふっと細められる。
「何だか危なっかしくて、目が離せない。でも、そういうのがキラキラしてて、アタシにとってはカッコよくもあって。
ちゃんと報われてほしいって、そう思っちゃうんだ」
そう言って、次にこちらを振り向くと、ネイチャは慣れ親しんだ困り顔を浮かべる。
"聞き流しといてね"と、そう念押しされているようだった。それでも、らしくなく長く紡ぎ上げられたそれは、自分よりもずっと長く彼女のことを見守ってきた一人のファンの想いだったのだと思う。
「ま、アタシはただのしがない後輩だからね。寮も違うし、あの人とずっと一緒にいられるわけでも、特別似たもの同士ってわけでもないけど」
「?」
「また思い立ったら、ついついお節介焼いちゃうかもしれないんで」
「……ああ。それはすごく、心強いな」
きっと、彼女にとっても。
こうやって見ていてくれる誰かの想いが、少しでも早くその心に届けばいいと。今はただ、そう願うばかりだった。
勝負服に身を包むと、すぅっと身体に力がみなぎっていく。
それはとても久しぶりの感覚だった。大きなレースが続いていた頃は何とも思わなかったのに、数ヶ月ぶりにもなると落ち着かなくて、踵もついふわりと浮き上がってしまう。
これからライブなのに。これをまとって走っていた、あのレース場の活気すら思い出してしまいそうで。
「…………」
中央ステージの舞台袖。前の子のパフォーマンスが長くなって、次の開始時刻は予定より少し遅れていた。
めくった暗幕の向こうでは、もう広場いっぱいにお客さんたちが入っている。この時間のためにやってきた人もいれば、ずっと色んな子たちのパフォーマンスを見てきた人もいるんだろう。どちらにしてもこれから、あたしはあそこでみんなと向き合うことになる。
歓声はだんだんと活気づく。いつまでも怯えてなんていられないのに。
『トレーナーさん。あの、次のファン感謝祭のことっすけど──』
ギュッと拳を握れば、少しずつ思い浮かぶその記憶。
それは日経賞よりも前のことだ。トレーナーさんに全部を打ち明けたあの冬の夜から、トレーニングでの調子も戻り始めていった頃。急にそう切り出したあたしに、さすがのトレーナーさんも目を丸くしていたのを覚えている。
もう一度、ちゃんとみんなと向き合いたい。
たとえ、もう失望されていても。
ワガママなのは分かってた。散々泣き崩れて、みんなに心配もかけて。まだ満足に立ち直れてだっていないのに。
それでも、必要なことだって思ったから。
次のレースでは、またあいつと戦うことになる。不完全でも、あたしはちゃんとあたし自身の走り方を見つけていかないといけない。
自分の気持ちと、みんなの期待にどう向き合うのか。それを決めなきゃいけない。
復帰戦の日経賞は勝てなかった。でも、今できる精一杯の走りを見せられたとは思う。
もし、今日のライブも最後までちゃんとできたのなら。その先に何かが見えるかもしれないって、そう信じてきた。……だから。
『──お待たせいたしました』
『これより、ウインバリアシオンさんのパフォーマンスを開始いたします』
アナウンスが流れる。
無理やりに深呼吸をして、胸に燻る不安を押し込める。そうして、あたしは一歩を踏み出した。
辿り着くステージの真ん中。観客席の前で、ヘッドセットのスイッチを入れる。
「こ、こんにちはっ。ウインバリアシオンって言います。その、本日はライブにお越しいただいて、誠に──」
最初の挨拶が喉につかえる。
それも散々イメージしてきたはずなのに、なかなか思い通りにはいってくれない。
(っ~~……あーもうっ、どうして……)
恰好が付かない。そうヤケクソになりたい気持ちも堪えつつ、あたしは必死に言葉を紡ぐ。
「わぁぁぁんっ、シオンちゃーーーん!!」
「──!?」
「肩の力抜いてけーッ!! 俺たちがついてっからなぁー!!」
「がんばれーっ!」
泣き出しそうなしゃがれ声と、豪快で力強い檄。それに続くようにして、声援が次々に立ち上がっていく。
(……あぁ)
そこにみんながいた。まだ、待っていてくれた。
一人一人の表情だってはっきり分かる。いつかの交流会ではりきってジュースを持ってきてくれた女の子の姿も。あたしのレースの話で盛り上がっていた男の人たちも。あそこにいたみんなと、他にもたくさん。
それはレース場の観客席で大きな赤い幟を振り上げてくれていた、あの時の声にも負けないくらいで。
身体を強張らせていた不安が、嘘みたいに吹き飛んでいく。
「──それじゃあ、いきますっ!」
気づいたら、もうごちゃごちゃ考えてもいられなくなっていた。
お腹から声を張り上げる。軽くなった身体を揺らして、地面をタタンっと踏み叩いた。
同時に、最初の音楽が流れ出す。
「~~っ♪」
オープニング曲に相応しいアップテンポ。
荒ぶるステージライトが次々に色を変えていく。
"焼き付けろ 最高速の閃光を"
"劣勢だって 期待されなくたって"
それはあきらめない挑戦者の曲。不格好でも、何者かになりたいと叫び続ける誰かの歌。
今のあたしに合っているかなんて分からない。でも、そんなことがどうでもよくなるくらい、声も身体もリズムに乗りきっていて。
「いいぞーーっ!」
「上げてけーーッ」
陶酔して、ただただ夢中になって。
湧き上がる会場の
(……こんな場所だったんだ)
知っていたはずだ。この世界への最初の一歩を踏み出した時、あたしも確かにそこにいたんだから。
幼心に夢見た舞台とは違う。それはまたこれから目指していくものだ。……だけど、それでも。
「次ッ、どんどんいくっすよ──!」
今はただ、こんな時間がずっと続けばいいのにって。
心の底から、そう思っていた。
──────────
……一時間後。ステージの上を降りてからも、世界はまだ終わらなかった。
駆けつけてくれたファンクラブの人たち。どこか地に足の着かない興奮のまま、あたしはしばらく皆さんとライブの余韻を共有し合っていた。
かっこよかった。
感動した。
ずっと待ってた。
矢継ぎ早に注がれる言葉にてんてこ舞いになりながら。やっぱり、それでも嬉しくて。
ひたすら頭を下げて、「ありがとうございます」を何度も繰り返す必死さをからかわれたりもしながら。あたしはとても暖かい時間を過ごした。
(……よし)
そうして、皆さんと別れた後。残り火のような達成感を噛み締めて、一人で静かに拳を握る。
一つの舞台は終わりを告げた。反省点はあるけど、最後までしっかりやれたって、そう思える。
きっと、ここからならもう一度走り出せる。
この気持ちを、早くあの人にも伝えて──
「──あれ……?」
気づけば、しんと静まり返っていた周囲。遠くでは次のステージの賑わいが響いている。
いつの間に、こんなところまで離れてきていたんだろう。それは、なるべくみんなの邪魔にならないようにって考えたら、自然なことだったのかもしれないけど。
てっきり、ついてきてくれていると思ったのに。
「……!」
夕暮れ時の冷たい風が流れていく。肌を撫でるうっすらとした喪失感に、あたしは思わず駆け出していた。
ステージまでの道を戻りながら、周囲を見回す。たった一つの人影を探しながら、一心不乱な脚を止めることはできない。
ガバッ
途中、その後ろ姿を見つける。すぐに駆け寄って、考えるよりも先にその人の腕を掴んでいた。
「……シオン?」
「はぁ……はぁ……」
驚いた様子で、トレーナーさんがこちらを振り返っていた。
呼び掛けるその声に、すっかり息を切らしていたあたしは何も言えず。ただ、じっとその顔を見つめるしかできない。
「その、ごめんな。ちょっとスタッフさんと話すことがあって。終わったら合流するつもりだったんだけど」
「……」
「……」
震える指先。すぐには解けないほど力がこもって、まるで自分のじゃないみたいだった。
……トレーナーさん、痛くないかな。でも、離しちゃったら、また。
グルグルと思考が回る。高鳴る心臓の音が苦しかった。そのうちに、ありえない想像まで浮かんできて。
「大丈夫。俺はどこにも行かないよ」
「──」
「ライブ、お疲れ様。かっこよかったぞ、シオン」
結局、言葉にはできなかった。そんなあたしの不安を察したように、トレーナーさんは声を掛けてくれる。
俯いた頭に温もりが添えられる。安心させるように優しく撫でられて、あたしはまた、それに寄りかかっていた。
指の緊張がとけていく。あたしが手を離した後も、トレーナーさんはそこにいてくれた。
どうして、そんなことを考えちゃうんだろう。
ちょっとでも目を離したら、この人がどこかに行っちゃうかもしれない、なんて。
(……かっこ悪いな。あたし)
一番近くで支えてくれた人に。ちゃんとした姿を、早く見せたいと思っているのに。
零れ出した弱さに甘えて。あたしはまた、こうして縋ってしまっているんだ。
毎度どうも、鵜鷺りょくと申します。
新章、今回より開幕です。活動報告の方でも告知させていただきましたが、早々から更新が出遅れてしまって申し訳ありませんでした。
ようやく前を向き始めていくシオンと、訪れる春のファン感謝祭のお話。トレーナーとの穏やかな時間、ファン達と向き合うミニライブなど、なかなか盛りだくさんの回です。
また、諸事情で今週はもう一話出させていただきたく、次の更新予定は5/13(水)となります。
少し本筋から逸れるお話かもしれませんが、お手空きの時にでも見ていただければ幸いに思います。