夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─   作:鵜鷺りょく

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「……随分つっかかるんだな。あの子に」




欠けた黄昏 Ⅳ 「トレーナーと日常に戻るお話」

 

─────【1】─────

 

 

 気が付くと、五月も真ん中の辺りまでやってきていた。

 

 入学式やファン感謝祭といった慌ただしい時期が過ぎていって、どこか浮ついていたトレセン学園の空気も元通りになりつつある。

 新入生たちもだんだん馴染んできた頃だろう。早い子は、もう次のメイクデビューに向けて動き出しているのかもしれない。

 新しい世代のウマ娘たちを迎えるレースシーズンも、またすぐそこまで近づいてきている。

 

「──失礼します! すみません、当番で遅くなっちゃって──」

 

 そんな中でも、あたしはまたその病室の扉を開いていた。

 すっかり日課みたいになってきたトレーナーさんのお見舞い。ただ今日は、放課後の掃除が長引いたせいで出発が遅れてしまっていた。

 数回のノック。返事が聞こえると、あたしはすぐに部屋の中へ入っていく。

 

「あ」

 

 そして、足と口をピタリと止めた。

 

「いらっしゃい」

「やあ、お邪魔してるよ」

「……」

 

 トレーナーさんの穏やかな声色は想像通り。それだけなら、あたしはすぐにその近くまで歩み寄っていたと思う。

 でも、そうはいかなかった。そこにもう一つ、別の声が続いて聞こえたからだ。

 

「"うわ、またいるよこの人……"みたいな顔だね。もしやお呼びじゃなかったかな?」

「! い、いや……別に、そんなことは」

「はは、そうか。なら一応、彼にもどう見えたか聞いてみるとしよう」

「何言ってるんだお前は」

 

 口調こそ柔らかいけど、そうしてズカズカ踏み込んでくるのは相変わらず。先客の天池さんが変な提案をすると、寝台の上のトレーナーさんは呆れたように言葉を返した。

 ただ、まったくのデタラメかというと、そんなこともなくて。

 表情なんて無意識に出てしまうものだけど。あたし、そんな露骨な顔しちゃってたのかな。

 

「今日も来てたんすね。いや、他意はまったくないんすけど……そろそろ、オルフェさんもいい顔しないんじゃ」

 

 来客用の丸椅子を持ってきて、しれっと寝台を挟んで反対側へ回る。

 仕方がない。だって、今日はもういつもの定位置が取られてしまっていたから。

 

「……別に、変わらずだったよ。僕のところは四六時中一緒にいるってわけでもないからね。トレーニングは滞りなくやれているし、今日だってそのために来てるんだ」

「?」

「少しばかり、意見が欲しくてね」

 

 言われて見てみると、二人の手元は若干散らかっているみたいだった。

 そこにはタブレットと紙の資料が置かれていた。画面も紙面も、そこにはウマ娘向けのトレーニング内容がびっしり詰め込まれている。図解や文字の並びはまだ粗くて、トレーニングメニューの下書きってところなんだろう。

 

「懐かしいなぁ。養成所の頃は、よくこうして机を挟んで議論したものじゃないか」

一方的に話してた(・・・・・・・・)の間違いだろ。お前が"聞いてくれないか"って論文やらを持ってくるときは、大体が完成しかけで意見のしようもなかった。ほとんどただ見せつけられてたようなもんだ」

「ご明察といっておこう。そしてなるほど、だから君はいつも不機嫌そうだったわけか」

「自覚あるならちょっとは改めろよ」

 

 また昔話が展開されていく。流暢に話す天池さんに対して、トレーナーさんの方は鬱陶しい感じを隠そうともしない。

 それでもやっぱりどこか肩の力が抜けていて、いつもより気楽そうに見えた。

 

(……むぅ)

 

 あたしはちょっとだけ視線を逸らす。二人が揃うと大体こんな感じだった。

 

シオン(・・・)は、どう?」

「……え」

「何か、悩んでることとかないか」

 

 呼び掛けられて、振り返る。

 まだ少し不慣れそうな響きはあっても、あたしはほとんど無意識にそうしていた。

 

「……いいんすか?」

「ああ。こっちはほとんど終わってるし、気にしなくていいよ。元々君が来るまでって話だったし」

「……」

「はは、これは喜んでるねー」

「ちょっと黙っててくれます?」

 

 いい加減に言い返す。それをニヤニヤで受け流されたのは感じつつも、あたしはトレーナーさんの方に向き直った。

 話したいこと。……ある、たくさん。

 学園でのことも、トレーニングのことも。こうやって毎日のように顔を合わせていたって、やっぱり話題は尽きなかった。

 

「じゃあ、えっと。トレーニングのことなんすけど」

 

 そうやって改まって話そうとすると、言葉は少しだけ辿々しくなって。

 けれどそれも、目の前のその人が聞き入ってくれる中で、だんだんと自然になっていく。

 

 トレーナーさんはそこにいる。

 まだ、諦めないでいてくれている。

 

 一緒に前へ進めている。それだけで、今のあたしには十分だった。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

「──しかし、明日で君もようやく退院か。一ヶ月にしては、やけに長く感じたね」

 

 そうして、会話の空気も緩やかになってきた頃。

 相変わらず自然とそこにいて、途中で茶々を入れたりもしていた天池さんがふとそう言った。

 

「ああ。……悪かったな。学園への手続きとか、色々」

「まったくだ。理事長やたづなさんに相談しに行くときなんてそれなりに気が滅入ったもんだよ。……ただ、まあ」

「?」

 

 いつもの憎まれ口の途中で、その視線がこっちに向けられる。

 

「彼女がいてくれたのは大きかっただろうね。僕一人じゃ頼りなかったけど、生徒であるウマ娘からの直談判となれば無理も通しやすかった。おかげでそれなりの猶予をもらえたよ」

「そっか。シオンのおかげでもあるんだな」

「いえ、そんな……あたしは、当然のことをしただけっすから」

 

 急に話を振られて、あたしは反射的に首を振っていた。

 

 それはトレーナーさんにここに残ってもらうための手続きのこと。まだ記憶が戻らなくて、すぐに業務に復帰できないような状態でも学園に在籍したままにしてもらえるかどうか。要点はそういう話だった。

 治るまでの見込みがはっきりしているなら、話はもう少しスムーズだったんだろうけど。慎重に考えるなら、やっぱりご家族の元に戻って一度ゆっくり療養するべきじゃないかって意見も出ていた。

 学園側にも、そう簡単には曲げられない事情もあったと思う。

 ただ、理事長たちもなるべく何とかしたいと思ってくれているようだったから。あたしも話し合いの場で精一杯の気持ちを伝えて、最終的には快く許可を出してもらえることになった。

 

「……」

 

 トレーナーさんのためだったのも事実だけど。何よりもまず、それはあたしの望みでもあったから。

 

「……俺も、ちゃんとしないとな」

「?」

「シオン。一つ、お願いがあるんだけど」

 

 顔を上げると、トレーナーさんと目が合った。

 優しい表情と真剣な眼差し。懐かしい感覚に、あたしは少しだけそれに見入っていた。

 

「明日、ちょっとだけ付き合ってくれないか?」

 

 

 

 

─────【2】─────

 

 

 その日、まるで初めて足を踏み入れたような感覚のそこは、やっぱり自分が暮らしていた場所だったらしい。

 日常的に出入りを繰り返していたのだろう正面玄関。階段を上がって、似通ったいくつかの扉からここだと示された前に立つ。握っていた鍵を差し込むと、それはあっさりと開いた。

 

(……こんなに、しっくりこないものなのか)

 

 靴を脱いで、敷居をまたぐ。

 病院から持ち帰ってきた荷物を置き終える間も、地に足が着かない感覚は抜けなかった。

 

 ここで二年以上も過ごしていた、なんて。

 とても信じられないほどに、失った記憶のその先は、未だ固く閉ざされていた。

 

 

 

「──こんにちは。お迎えに来たっすよ」

 

 

 

 午後。放課後のチャイムが鳴ってしばらくの後に、彼女はトレーナー寮へとやってきた。

 待ち合わせ時間の数分前。病室に来るのが少し遅くなっただけでも、すっかり慌てた様子でやってきていた彼女のことだ。時間の感覚もちゃんとした、しっかり者の子なんだなと改めて思う。

 ウインバリアシオン。いつもの学生服でやってきた彼女を、自分たちは寮一階の玄関口で出迎えた。

 

「こんにちは。すまないな、急いで来てもらって」

「全然っすよ。今日は当番とかもなかったんで……何なら、もっと早くてもよかったくらいなんすけど」

「それだと、時間的にこちらが困ってしまうからねぇ」

 

 気にしないでと笑ってくれたウインバリアシオン。

 一方でどうしてか不満の色も感じさせるその視線に、隣に立っていた天池が答えた。

 

「寮のこととか学園の設備とか、この辺りの紹介はどうしたって僕の方が適任だ。早く来させて、君を待たせるのも忍びないと思ってね」

「あたしも一緒でもよかったんすけど?」

「まあそれもそうかもしれないんだけど。ろくに前準備させる間もなく、彼の部屋に君を上げるのもいかがなものかと思ってね」

「……?」

「おい。気遣いはありがたいがそろそろ口閉じろ」

 

 その辺りで反射的に割って入る。幸い、彼女の方はまだぴんと来ていない様子だった。

 別に人を上げられないほど散らかっていたわけではないが、確かに、物の配置も覚束ないようなあの部屋ではやや不安もある。

 本当にそれを気遣ってくれたつもりなら、一応の感謝はしておくべきなのだろうけど。

 

「じゃあ、ここからはあたしの番でいいんすよね?」

「うん。不満も溜まってきた頃合いだろうし、ゆっくりしてくるといいよ」

「……。じゃあ行きましょうか、松早さん」

「あ、ああ」

 

 スンと踵を返して、ウインバリアシオンが入口の向こうへと去って行く。

 自分もすぐに続こうとして、ふと足を止めた。

 

「……随分つっかかるんだな。あの子に」

 

 ずっと引っかかっていたことを一つ。天池に問いかけてみることにした。

 こいつは確かによく喋るやつではある。だからこそ余計な一言も多いのだが、これでもそれなりに控えようとしているつもりはあるのだそうだ。それが今はトレーナーというのだから、立場上は尚更、ウマ娘相手にはそれを心がけているはずだが。

 彼女相手には、そういうのが感じられない。

 最初はそれだけ親しいのかとも思ったが。ここまで来ると、何となくそうではない気もしてきた。

 

「気づかれてたか。……って言っても遅いくらいだけどね。君はそういうの鈍いからな」

「?」

「なに、大した理由はないさ。ただ、あれだけ負けん気の強い子なら、これくらいの方がいい刺激になるんじゃないかと思ってね」

 

 皮肉交じりに、天池は肩をすくめる。

 

「僕とあの子はそう気が合う方でもないらしくてね。……だからこそ、これは君にはできなかったことのはずだ」

「……」

「いくら鈍感な君でも、もう薄々気づいてるんじゃないか?」

 

 淀みなく声色が切り替わる。

 その問いかけは、確かにこちらの痛いところを突いていた。

 

「早く行かないと置いていかれてしまうよ。……少しでも、結果が実ればいいけどね」

 

 

 

 

─────【3】─────

 

 

 

 ──自分がよく行っていた場所を案内してほしい。

 

 

 

 それが、昨日病室でトレーナーさんからお願いされたことだった。心当たりのある場所だけで構わないと、切実な気持ちのこめられたその言葉を聞いて、あたしはすぐに頷いた。

 本人に馴染み深い場所へ行ってみるのは、記憶を取り戻すための手がかりにもなるんだそうで。それがトレーナーさんなりの意思表示だというのは、すぐに伝わってきた。場合によっては負担になってしまうことがあるのも分かっていて、それでもあたしのことを頼りにしてくれたんだと思う。

 トレーナーさんが忘れてしまったのは、この学園で過ごした二年間。

 生まれた時から今までっていうならまだしも。その期間だけなら、あたしは誰よりも長くその隣にいた自信がある。

 

 こういう役目なら適任だ。あの人よりも、絶対に。

 そう張り切って、あたしはトレーナーさんと寮を出てきたわけだけど。

 

(学園の中……は、大体回ったよね。とすると、あとは外……か)

 

 カフェテリアや図書室、トレーニングで使っていたコースやジム。学園の中を回るルートは比較的スムーズだった。

 そして、あとは学園の外。ここからが悩みどころだった。

 

(ど、どこ行こう……?)

 

 賑やかな駅前の空気。この辺りまで来たら、何かしら思い浮かぶかもって思ってたけど。考えが甘かった。

 トレーナーさんとお出かけしたことがなかったわけじゃない。

 でも、普段からよく一緒に行っていた場所というと、結局なかなかルートを絞れなかった。……何か、そろそろ自信がなくなってきそうだ。

 

『成程成程。その程度で、君は案内役を引き受けてくれたわけだ』

 

 ケラケラと、頭の片隅で誰かが笑う。そしてその声は、どこかのお喋りなトレーナーに似ている気がした。

 今回の件で色々お世話になったのは事実だけど。それでも、やっぱりあの人とはあんまり反りが合わないんだろうなと思う。

 

「シオン」

「!? は、はいっ。どうか、したっすか……?」

「いや、ごめん……何だか顔色が悪そうだったから」

 

 あたしが変にびっくりしちゃったせいで、すっかり戸惑わせてしまったみたいだった。

 どうでもいいことまで考えすぎてて、いつの間にか後ろのトレーナーさんにも心配をかけていたんだろう。

 

「あんまり思い詰めなくていいよ。元々俺が無理を言ったんだし。……あ、ほら、そこのレストラン。歩き疲れたし、甘いものでも食べてちょっと休んでいかないか」

「あ…………はい」

 

 重ねて気を遣わせてしまった。入院明けで体力の落ちているトレーナーさんに言われたら、あたしも強く断れない。

 自分の不甲斐なさに肩も落ちる。スタスタと歩き出したトレーナーさんの後に続いて、あたしもレストランの前までやってきた。

 

(……あれ? ここ)

 

 そういえば、看板の方をちゃんと見れていなかった。顔を上げた途端、あたしはつい足を止めてしまう。

 そこは、前にも一度来たことのある洋食レストランだった。

 

 

『そういえば、最近駅前にできた洋食屋さん』

 

『そこのデザートがすごく美味しいんだって。いいリンゴを使ってるって話だよ』

 

『そ、それはすごく気になるっすけど……い、いいんすかね?』

『いいんじゃないか。今日は景気づけなんだし』

 

 

 ……それは、何てことのない一日の後だった。

 トレーナーさんに誘われて、一緒にご飯を食べに行った。まだ秋が始まったばかりの、とても星が綺麗な夜だったことを覚えている。

 あたしはすっかり浮かれていて。思いのまま笑いかけると、トレーナーさんも同じ表情で。

 

「シオン?」

「あ、すみません」

 

 前から呼び掛けられて、ハッとする。開けられたままのドアを潜って、あたしもレストランに入っていった。

 ……偶然、なんだろうけど。

 分かっていても、何だかそう思い込んでしまいたくない自分もいるみたいだった。

 

(……あの時も、あなたは)

 

 一緒に笑い合えていたと思っていた。

 あんなに何でもない時間の中でも、もう気持ちはずれてしまっていたんだろうか。

 

 ──考えるな。

 

 今はまず、その答えを確かめるために。

 まだ、ここで足を止めてしまうわけにはいかないんだから。

 

 





【あとがき】


毎度どうも、鵜鷺りょくと申します。
今週も投稿が遅れてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
(活動報告にもある通り、近頃本業の方が立て込んでおりまして……)

さて、今回は少しだけ日常的なお話だったかと思います。
まだ記憶は欠けていながらも、少しずつ以前の近さを取り戻しつつあるシオンと松早。そしてよく喋る天池。
三者三様に思いを抱えつつ、それでも物語は着々と進んでいきます。

そして、次回はまた重要な回になりそうです。
次の更新はいつも通り土曜に戻ります。また一週間ほどお待たせしてしまうこととなりますが、何とぞよろしくお願いいたします。

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