夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─   作:鵜鷺りょく

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「あなたに打ち明ける用意があれば、あとはきっと、一番近くにいる人が何とかしてくれる」




雲間に照らす Ⅱ 「ガチファンURA職員のお話」

 

【1】

 

 徐々に忙しなくなる日々の中、季節は春へと巡った。

 

 最初はまだ少し肌寒さが残っていたものの、やがて暖かい日が安定して続くようになってきた頃。何となく足を伸ばした街の広場で、あたしは不意に立ち止まる。

 

『それではオルフェーヴルさん。次の一戦、日本ダービーに向けて一言お願いいたします』

 

 見上げた建物の壁面。大きく映し出されたあいつの姿に、思わず視線は釘付けになっていた。

 

『……いかな賊が相手とて、我が覇道は決して揺るがぬ。次の冠もまた、つつがなく我が手へと還るであろう』

 

 つまらないことを聞くなと、そんな言葉まで聞こえてくるみたいだった。

 またあいつは、あたしたちのことなんて歯牙にも掛けない様子で。

 

『民どもは、大人しくただ我が凱旋を待っておればよい』

 

 呆気なく、そう言いきってみせるんだ。

 

「……」

 

 一年前とは違う。あいつに勝つために地道な努力を積み重ねてきた。

 あれが自分の宿敵だと、絶対倒したいやつなんだと、胸を張ってそう言えるだけの力を身につけてきた。

 

 ……なのに、この震えは。

 

 あいつを前にして、まだ言葉に詰まってしまう。

 浮かび上がる敗北の記憶に、足を取られてしまいそうになる。

 対決の日まで、もう一ヶ月もないのに。

 

 今更こんなことで、本当に、あたし──。

 

「あれ、バリちゃん?」

「……え?」

 

 名前を呼ばれて振り返る。

 それは、本当に偶然の出会いだった。

 

 

 ──────────

 

 

「急にごめんなさいね。本当に大丈夫だった?」

 

 立ち入った喫茶店。出迎えてくれた店員さんに注文を伝えると、その人は改めて申し訳なさそうに言った。

 あたしはそっとかぶりを振る。

 

「いえ、気にしないでください。今日はお休みで、何となく散歩に出てただけっすから」

「そっか。まあ、ちょうどレースがあったばかりですものね」

 

 柔らかい笑みが返る。そういう事情も察してくれているのは、何だかちょっとだけ嬉しくもあった。

 この人は笹田(ささだ)さんと言って、普段から何かとお世話になっているURAの職員さんだった。キリッとした四角いメガネと一本に束ねられた茶髪が印象的で、今はお仕事先からの帰りなのか、学園で会う時と同じでスーツを身にまとっている。

 

「改めて、青葉賞はお疲れ様。前のレースよりまた速くなってたわね」

「! はい、ありがとうございます」

 

 面と向かって祝ってもらうのは、まだちょっと慣れない。

 初めての重賞制覇。あっさり気持ちが高鳴ってしまうのは、それだけ嬉しかったことの証でもあるんだろう。

 

「もうほんっと見違えちゃったわよ。あぁこの子はこれからどれだけ速くなるんだろうって。さっすが私の心を射止めたウマ娘だわ」

「いや、そんな……」

「何よりあの走り方がいいのよね、後ろからグングン伸びて一人ずつ抜き去っていくあの感じ。目標に向かって一歩ずつ頑張るバリちゃんの姿勢が浮かんでくるというかもう何回見ても惚れ惚れしちゃってうふふ──!」

「さ、笹田さん……あの」

 

 

「──失礼いたします。ご注文の品をお持ちいたしました」

 

 

「…………」

「あ、ありがとうございます」

 

 白熱する話の最中、丁寧な所作で並べられる二つのティーカップ。

 ぴしっと硬直してしまっている笹田さんに代わって応対する。店員さんは、去り際まであくまで笑顔だった。

 

「……ごめんなさい、取り乱したわね」

「い、いえ。そう言っていただけるのは、あたしも嬉しいんで……」

 

 それは本心だ。本心、だけど……ちょっと気まずくなって目を逸らしてしまった。

 何となく、初めて出会った時のことを思い出す。

 あれは去年、あたしがデビュー戦を終えた後のこと。その時も、レース場から帰る時に直接会いに来てくれて、今みたいに熱い口調で感想を伝えてくれたんだっけ。

 こうして話すようになってからもしばらくが経つけど、変わらずに熱い気持ちを向けてくれているのは、きっと本当に得がたいことなんだと思う。

 

「んん……と、ともかく、今日はそのお祝いを伝えたかったの。それから、この先の話を少しだけ」

「?」

「日本ダービー。バリちゃんも出るんでしょう?」

 

 一瞬だけ、言葉に詰まる。急に身が固くなったような感じがした。

 日本ダービー。出走すること自体はもう発表しているし、ましてURA勤務の笹田さんが知っているのは何もおかしいことじゃないのに。

 

「……はい。もう来月っすからね。明日からまた、つつがなくトレーニングを再開していく予定っすよ」

 

 元々そのつもりで予定を組んできた。トレーナーさんはメニューを仕上げてくれているし、あたしももうすっかり回復した。

 何も問題なんてない。だから、笑ってそう答えた。

 

「……」

「笹田さん?」

「ううん、何でもないわ。……そっか。それは確かにそうよね」

「?」

 

 そう言いながら少しの間考え込んで、やがて笹田さんはバッグからスケジュール帳を取り出した。

 

「実は近々学園へ出向く用事があるの。この日なんだけど……お邪魔じゃなければ、ちょっとだけトレーナー室に寄らせてもらってもいいかしら?」

 

 広げられたカレンダーのページ。指差された日程は、ほんの数日後のことだった。

 

「……は、はい。トレーナーさんにも確認してみないとっすけど、この日なら多分」

「よかった。じゃあ、連絡はこっちから入れておくわね」

 

 頷く。

 でも、どうして急に。というか、

 

「あの、それで話っていうのは?」

 

 確かこの先の話とかって、さっき言っていたはずだけど。

 

「それは次に会った時にしましょう。きっと二人一緒の時に聞いてもらった方がいいと思うの」

「き、気になるっす……」

「ごめんねバリちゃん。それに、あちらとは最近ご無沙汰だったから」

「?」

 

 ティーカップを持ち上げながら、笹田さんが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「まあ、色々試しておきたいってのもあるのよね」

 

 

【2】

 

 そして数日後。

 

「──というわけで、来てやったわよ!!」

 

 トレーナーさんと二人、待ち時間の間に軽いミーティングをしていたところ。突然トレーナー室の扉が勢いよく開く。

 飛び込んできた威勢のいい声の主は、笹田さんだった。

 

「こんにちは。笹田さん」

「……どうも」

「やっほ、先日ぶりねバリちゃん。……あぁ、あと松早くんも」

 

 挨拶をすると、いつも通りに明るく手を振り返してくれる。

 その一方、トレーナーさんの方に向き直るとすぐ、別人みたいに表情が静かになった。

 

「相変わらずねぇ? 担当ウマ娘のファンが遊びにきたっていうのに、随分な態度じゃない?」

「すいません。一応公的な立場で来てる人のノリとは思えなかったので、つい」

 

 笹田さんの指摘に謝りつつ、トレーナーさんも何だか……言葉を選ばなければ、とても面倒くさそうな顔をしていた。

 

 あ、相変わらずっすね……。

 

 こうして笹田さんがトレーナー室にやってくるのは今日が初めてじゃない。元々仕事で学園までやってくることが多い人だから、そのついでにと、あたしに会いに来てくれることは何度かあった。

 とはいえ、前みたいにプライベートで顔を合わせるならまだしも、URAの職員さんとして仕事で来ている都合では色々とあるんだろう。トレーナーさんから聞いた話だと、そういう時は大体"社内広報のための取材"という名目にして来てもらっているらしい。

 それでさっきみたいに、いつもまるで友達の家にお邪魔するくらいの調子でやってくるから、トレーナーさんも色々言いたくなってしまうんだと思う。

 

「まあ細かいことはいいじゃないの。あ、あとこれ差し入れね」

「ありがとうございます。いつも変なところで律儀ですね」

「一言多いっつの」

 

 ……まあ、それを抜きにしても、あんまり仲は良くないのかも知れないけど。

 

「いいからさっさとお茶を淹れてきなさい。いつものあれ(・・)、やるわよ」

「……またですか。別にいいですけど」

 

 渋々といった様子で、持ち手のついた四角い箱を抱えて、トレーナーさんは一旦給湯室へと引っ込んでいく。

 それをやれやれと言いたげに見送ってから、笹田さんはまたこちらを向いてニッと親指を立てた。

 

 やっぱり、あれ……やるんすね。

 

 気のせいかトレーナーさんも満更でもなかったように見えた。

 ゴクリと息を呑んだのは、きっとあたしだったと思う。

 

 

 ──────────

 

 

 わぁ、キレイだなぁ、このケーキ。

 

 机に置かれたキレイなお皿の上。笹田さんの持ってきてくれた差し入れのケーキを前にして、あたしは目を輝かせていた。

 

「身長は?」

「159センチ」

「靴のサイズは?」

「両足ともに23.5」

 

 色のグラデーションがいいのかな。純白のクリームに薄いブラウンのチョコレート。黒に近いブラウンのところはちょっと苦そうだけど、むしろ味のアクセントに丁度いいのかもしれない。

 

「特技は?」

「スイカ割りと柔軟体操。あと、慣れた場所なら目を瞑ったまま歩けること」

「どうしても許せないことは?」

「しじみの身を残されること」

 

 ……あ、あんまりキレイだし。崩すのも、勿体ないなぁ。

 

「ちなみに尻尾を触られるのは?」

「!?」

「…………知りませんよ。そんなの」

「まあそうよね」

 

 ダメだ。やっぱりもう我慢の限界だ。

 ここまで数分。だけどそれよりずっと長く感じるこの時間を、何とか意識を逸らしながら誤魔化してきたけど。

 

「……じゃあスリーs」

「ふ、二人とも、今日はもうその辺りで!!」

 

 笹田さんの口から出かけた言葉を遮って、ついにあたしも声を上げる。

 こうして、毎回恒例の"ウインバリアシオンクイズ勝負"は幕を閉じたのだった。

 

 

 ──────────

 

 

「んー、まあ合格ってとこね。曲がりなりにもバリちゃんのトレーナーだもの。当然っちゃ当然だけど」

「毎度飽きないですね。……あと、ごめんシオン。俺もすっかり熱くなってて」

「……いいっすけど、別に」

 

 パタパタと手の平で顔を仰ぎつつ、答え方はちょっと拗ねた感じになってしまった。

 "ウインバリアシオンクイズ勝負"。まあ、さっきまでのあのやり取りのことだけど。要するに名前そのままで、笹田さんがあたしに関する質問を続けて出題し、トレーナーさんがそれに答えるという流れの勝負ごとだった。

 考案した笹田さん曰く、トレーナーとして担当ウマ娘のことをちゃんと見ているか試すためのものなんだそうだ。

 

 ……そりゃ、初めてじゃない、けど。

 

 やっぱり、いつまで経っても涼しい表情で聞いていられる気がしない。

 いつもしかけてくるのが笹田さんとはいえ、二人が揃うといつもこの熱狂ぶりだった。

 

「ちなみに最後の質問。下手な答え方してたらさいあく上に報告案件だったわよ。……ほんとに知らないんでしょうね?」

「そんなことだろうと思いました。知りませんし、というか止めてくれませんか、さらっと変な罠を張るの」

「……」

 

 特にその質問だけは気が気じゃなかった。あたしと違って、トレーナーさんがあんまり顔に出る人じゃなくてよかったと思う。

 実は昔、トレーニング中に尻尾に虫が引っかかっちゃったことがあって。自分では触れず、それをトレーナーさんに取ってもらったことがあった。

 当然トレーナーさんも別の躊躇いがあるみたいだったけど、とにかく急いで欲しかったあたしはつい、そのことを伝えてしまった。

 

 あれ? 笹田さんには、話したことあったっけ。

 

「じゃあいつものも終わったところで、ひとまずティータイムにしましょうか。私一押しの洋菓子店で買ってきたやつだから味は保証するわよ。ほんとは期間限定のアップルパイがあったんだけど……バリちゃん、確かリンゴは」

「! 限定の、アップルパイ」

 

 ぴくりと耳が動く。笹田さんがさらっと発したその一言に、つい食いついてしまった。

 

「えっ、どうかしたの」

「彼女、リンゴは大好物ですからね」

「!? うそっ、だって」

「好きすぎるあまり気軽に食べようとしないだけです。……知らなかったんですか?」

「っ……この男……」

「と、トレーナーさん……」

 

 珍しく煽るような口ぶりのトレーナーさんを諫める。

 そういえば、笹田さんの前でリンゴと対面したことはあんまりなかった気がする。友人たちにも時々勘違いされていたくらいだし、仕方がないのかもしれない。

 

 名残惜しいけど、とりあえず逢瀬の叶わなかったアップルパイのことは一旦忘れることにして。

 それでも口に含んだケーキの味は、笹田さんの言う通り絶品だった。

 

 

【3】

 

「……それで、今日は何しに来られたんですか?」

 

 そうして、しばらくティータイムの談笑が続いた後のこと。

 頃合いを見計らって、トレーナーさんが笹田さんにそう問いかけた。

 

「シオンから聞いてますよ。何か話がしたかったんだとか。わざわざここに来たって事は、俺にですか?」

「あんたたち二人によ。……次のレース、日本ダービーの件で」

「……」

 

 場の雰囲気が塗り変わる。トレーナーさんも姿勢を正していて、あたしもきっと、緊張した顔になっていたと思う。

 それを察したのか、笹田さんはふっと笑みを零した。

 

「別にお叱りとかじゃないわよ。一種の念押しってとこで……まずは、バリちゃん」

「! は、はい」

「多分もう再開してる頃だろうけど、改めて。トレーニングは順調? あなたのトレーナーさんは、ちゃんと頼りになってる?」

 

 こちらを真っ直ぐに見つめながら、笹田さんは優しい口調で尋ねる。あたしの答えにも迷いはなかった。

 

「順調っすよ。トレーナーさんが作ってくれたメニューもちゃんと動いてますし。トレーニングで(・・・・・・・)気になることがあったら、その都度相談も欠かしてないっすから」

「……そうなんだ」

 

 笹田さんが満足げに頷く。

 まだ時々、気持ちが先走って自主練をやり過ぎてしまったりもするけど。そういう時はすぐにトレーナーさんと話して、細かく負荷を調整してもらうようにしている。

 メニューについてだってそうだ。あたしの言葉一つ一つに、トレーナーさんはしっかり耳を傾けてくれる。だからあたしも安心して、日々のトレーニングに集中することができていた。

 

 ……だから、大丈夫。

 このままいけばきっと、こんな小さな不安くらい。

 

「じゃあ、トレーニング以外ではどうかしら」

「…………え」

 

 続いた笹田さんの質問に、一瞬言葉につかえる。何を聞かれているのか、一瞬分からなかったから。

 あたしのそんな反応は折り込み済みだったのかもしれない。笹田さんはそのまま言葉を続けた。

 

「あなたのトレーナーさんの手腕を疑ってるわけじゃない。私の見立て通りなら、新人にしてはなかなかやる奴だと思ってるし。トレーニング面でも問題がないなら、努力家なバリちゃんは彼の元でもっと強くなるでしょう」

「……はい」

「でも、それ以外のことが足を引っ張らないとは限らない。どんなに順調な成長を続けていても、心に抱えた不安一つがきっかけで、簡単に壊れてしまったりもするの。あなたみたいな子は特に、それを些細なものだと誤魔化して、一人で抱え込んでしまいがちだから」

 

 それはたとえ話。

 けれど、きっと笹田さんは気づいているんだ。

 

「これからあなたはレースの第一線に踏み出していく。だからこそ、どれだけ小さな感情も一人で抱え込まないようにしてほしい。この先どんなに強くなっても、自分の不安をちっぽけだなんて思わないでほしい。

 あなたに打ち明ける用意があれば、あとはきっと、一番近くにいる人が何とかしてくれる」

「……!」

「そうでしょう。ウインバリアシオンちゃんのトレーナーさん?」

 

 その視線は隣へ。

 つられて振り向くと、その人は頷いて答えてくれた。

 一瞬の迷いさえなく。

 

「もちろんです。何があっても、俺はシオンのトレーナーですから」

「トレーナーさん……」

 

 力強い言葉。温かくなる胸の中に、いつか贈ってもらった言葉を思い出す。

 どんなに些細なことでも一緒に背負わせてほしい、と。

 あの日、そう言って笑いかけてくれたトレーナーさんも、きっと今の笹田さんと同じ気持ちだったんだと思う。

 

「…………」

「と、トレーナーさん?」

 

 と思っていたら、何故かその横顔がちょっと不機嫌そうになった。首を傾げていると、笹田さんのいたずらっ子みたいな笑い声が聞こえてくる。

 

「"それは自分が言いたかったのに"って顔ね。ふふ、してやったりだわ」

「……あなたのことも心強い味方だとは思ってますよ。まあお忙しいだろうし、たまに(・・・)頼りにさせてもらえれば」

「へぇ……言うじゃないの?」

「何か?」

 

 そんなやり取りと共に、また火花が散る。

 きっと止めた方がいいんだろうけど、その様子を見守りながら、何となくあたしは思った。

 二人はきっと、そんなに仲が悪いわけじゃない。

 

 だって、同じ気持ちを持って、あたしのことを想ってくれている人たちだから。

 





※2026/3/23追記
シリーズ用の質問コーナーを開設してみました。
必要に応じてお使いください。(『活動報告』に飛びます)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=338048&uid=503660

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