夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─   作:鵜鷺りょく

44 / 44

晴れた空に、雫が光る。
傘はまだ、開いたままで。





【Preparation】晴れ傘 「シオンと大切な友人たちのお話」

 

─────【1】─────

 

 

 聞き慣れたメロディが鳴り始める。タンタンと、床を叩くシューズの音が後に続いた。

 そこは学園内の一画。ダンスレッスンの授業でお馴染みのスタジオだ。放課後は解放されていて、ちゃんと申請すれば、生徒たちが自主練に使用することもできる。

 

「おっし、そこで連続ターン! 前出て~、最後にびしーっと──ウェイウェ~~~~イッ!!」

「こ、こうっすか? う、うぇーい……」

 

 隣で踊るヘリオスさんの真似をして、ぎこちないステップを踏む。彼女の動きはとても思い切りが良くて、ついていくのでやっとだった。

 身体だけを動かして、最後のポーズを作る。……掛け声までは、上手くいかなかった。

 

「……あの、すみません。これ、ちょっとやり過ぎなんじゃ」

「はは。表情硬いよー、シオン」

「思いきったアレンジだね。何だか新鮮だなぁ」

「やっぱり違和感あるんすよね!?」

 

 お腹を抱えて可笑しそうなパーマーさんと、ただ純粋に感想をこぼすミラクルさん。

 離れたところで見ていた二人の反応は、何だかちょっとずれていた。

 

「なっはは、こーいうのは派手なんがいーんだって! もっかいやってくべ、シオちん!」

「そ、そういうもんすか……?」

 

 当のヘリオスさんは、まだまだ元気でノリノリだった。

 疲れの見えないその明るさは不思議なもので。向かい合っていると、もう少し続ければ何かが見えるのかもとか、そういう予感も湧いてきてしまう。

 

「そーそ! じゃあ次はー……あっ、そだ! こういうの入れてみるのもよくね!? マジヤバな気すんだけど!」

「え、ここから……わわっ、ち、ちょっとまってください!」

 

 だけど、その動きは変幻自在。その場のテンションで思い浮かんだらしい新しい動きも、目の前でどんどん取り入れられていく。

 

(こ、これは流石に……)

 

 目まぐるしくて、何だか頭がクラクラしてくる。

 結局ヘリオスさんくらいしかこなせないアレンジなんじゃないか。そう気づいたのは、もうしばらく練習を続けた後のことだった。

 

 

 ──────────

 

 

 

 次のレースが決まって、それに向けた本格的なトレーニングも始まってきた頃。忙しい日常の一方で、あたしは当日のウイニングライブに向けた練習も進めていた。

 そして、今日からは、クラスメートのパーマーさんたちにも手伝ってもらうことになっている。

 さっきまで受けていたヘリオスさんのレクチャーは、ライブをもっと盛り上げるためのパフォーマンス研究の一環だ。観客席を湧かせるようなアレンジはないかなと、そんな相談からの成り行きだったわけだけど。

 

「……あらためて考えると、すごいっすよね」

 

 汗を拭って、水筒を傾けながら会話を続ける。パーマーさんがこっちを振り返った。

 

「ヘリオスさんのライブって、いつもダイナミックで勢い任せにも見えるんすけど。その実、ちゃんとみんなで盛り上がって、最後まで一体になって熱くなれるっていうか」

「だねー。しっかりみんなを巻き込んでくれちゃって、まさしく太陽って感じだよ」

 

 そう頷くパーマーさんも、どこか誇らしげだった。

 

「……ただ」

 

 でも、その視線はすぐに向こうへと向けられる。スタジオの壁際には、ヘリオスさんがもたれ掛かって座っている。

 真っ白に燃え尽きたみたいに、彼女はぐったりとしていた。

 

「何より本人が楽しんじゃうから、ライブが終わった後なんかは、ああなっちゃうことも多いんだけどね」

「何か、申し訳ないっす……せっかく付き合ってもらったのに、あたし上手くできなくて」

「まあ、そこは気にしなくていいんじゃないかな。……ヘリオス、大丈夫だった?」

「うん。張り切りすぎて、いつもみたいに疲れちゃっただけみたい」

 

 戻ってきたミラクルさんに、パーマーさんが問いかける。彼女も、慣れた様子で苦笑いを浮かべていた。

 その後で、今度はあたしの方を見る。

 

「ヘリオスから伝言。"あとは頼んだ。頑張って、シオン"……だって」

「……!」

「頼まれちゃったね」

 

 あんなに疲れても、あたしのことを気にして……。

 少しだけ、身が引き締まる。あたしの変化を感じ取ったのか、パーマーさんが笑って言った。

 

「じゃ、休憩明けたら、私たちも参戦しよっか。メニュー、ちょっと借りていい?」

「はい。どうぞ」

 

 床の上に置いてあった資料を拾って、パーマーさんはパラパラと捲っていく。

 それはトレーナーさんのレイアウトを真似て、あたしが自分で作ってみたレッスン用のメニューだった。

 

「……ふふ」

「? どうかしたっすか」

「やっぱり、センターパートの練習が多めだなと思って」

「うっ……やっぱり、気づいちゃいますよね」

 

 気にしていたところを突かれて、つい驚いてしまった。

 センターと言えば、やっぱりライブの花形。その日のレースで、見事に一着を射止めたウマ娘だけに許されるパートだ。

 レースの結果はいつだって分からない。だからあたしたちは、基本的にそれぞれのパートをバランス良く練習している。時には、センターへの憧れのあまりに、多少そっちに偏ってしまうこともあるだろうけど。

 

「そういう意識だけでも、何か少しは変わってくるのかな……と」

 

 トレーナーさんも復帰して、あたしたち二人にとっての再スタートとなる一戦だ。あいつも出てくると思ったら気合いも入って、自分的にも、思いきったメニューになってしまっていた。

 分かっていたけど、ちょっとだけ気まずい。調子に乗ってるとか、笑われたりしないかな。

 

「やっぱり、元通りのシオンだね」

「そーだね。ちょっと安心しちゃった」

「え」

 

 隣でメニューを見ていたミラクルさんが笑う。それにつられてパーマーさんも。

 

「いつも遠慮しがちだけど、自分がこうだって決めたところだけは、ちゃんと譲らない。……私たちの知ってる、素直で頑張りやのシオンだ」

「! そ、そうっすかね……き、恐縮っす」

「そうやって照れちゃうとこもね」

 

 思わず視線を逸らしていた。パーマーさんがあんまり真っ直ぐなことを言ってくるから。

 そうすると、今度はミラクルさんの視線とぶつかる。彼女も静かに、優しく微笑みかけてくれていた。

 

(……そっか。あたし、また心配かけて)

 

 色々なことがあって、こうやって、元の日常に戻ってきた。大変なのはまだこれからだとしても、あたしはまだ、みんなにちゃんと向き合えていなかったのかもしれない。

 クラスにいても、落ち込んでいるあたしに、みんなが声を掛けようとしてくれていたことは覚えている。……もう大丈夫だって、ちゃんと伝えなきゃいけなかったのに。

 

「遠慮とかしないで、併走とかにも呼んでよね。色々落ち着いたら、またみんなで遊びにもいこーよ」

「……はい。ありがとうございます」

 

 あたしも、何とか笑い返す。ちょっとだけ泣きそうになったのも、ひっそり飲み込んで。

 その間も、視界の隅っこで。見間違いじゃなければ、ヘリオスさんがグッと親指を立ててくれていた気がした。

 

 

 

 

─────【2】─────

 

 

 その日の晩は、久しぶりにお泊まり会があった。

 集合先は寮の自室。あたしは待っているだけだったから、集合なんて言ってしまうのはちょっとだけおかしな気もしたけど。

 

「お待たせしました」

「やっほー! シオンさん、ひっさしぶりー」

 

 程なくして、シュヴァルさんが戻ってくる。ほとんど同時に入ってきたヴィブロスさんは、いたって平常運転だった。

 

「いらっしゃい。お待ちしてました」

 

 あたしも笑顔で出迎える。

 二人の妹たちの後ろには、ちゃんとヴィルシーナさんも続いてきていた。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 そうして、今晩は四人。みんなで囲んだ床の上には、次々にカードの山が積み重なっていく。

 定番のババ抜きだ。前の番のヴィブロスさんに向かって、あたしは自分の手札を寄せる。

 

「うーん、こっちかな……いや、こっち!!」

 

 小さな指が左右に揺れて、しゅっと端に移動する。

 引いたカードをひっくり返すと、ヴィブロスさんはしゅんとした様子で、それを自分の手札に加えた。

 

「もー、揃わなーい。ババは引かなくてよかったけどさー」

「ふふ。残念だったっすね」

「シオンさん、持ってるのかな……意外に表情変わんないから、どっちか分かんないや」

 

 そう言われて、ちょっとだけ得意げになる。

 休み時間や放課後にクラスメートたちと遊んだ時は、すっかり負かされてばっかりだったのに。今のあたしは、ヴィブロスさんすら唸らせるくらいには上達したみたいだ。

 

「そうっすかね? へへ。実は最近、ちょっとだけコツが分かってきたんすよ」

「えぇ、どんなー?」

「大したことはないんすけどね」

 

 何回やっても、負けてばっかりでも。やっぱり、みんなとこうやって遊ぶ時間は楽しいんだと思う。

 だったら、素直にそれを表に出せばいいんだって分かった。駆け引きだとか気にしすぎずに、ずっと笑っていれば、それがある意味でポーカーフェイスになる。

 それは多分、あたしにも合っていると思った。

 

「シオンさん、どうぞ」

「あ、はい。あたしの番っすね」

 

 今度はシュヴァルさんの方に向き直って、カードを選ぶ。

 彼女もあたしと同じで表情には出やすい方だと思うんだけど。調子に乗っていたのか、あたしは深く考えずに、手を伸ばしてしまった。

 

「…………あっ」

 

 手元に来たカードをひっくり返して、一瞬、時間が止まる。

 噂をすれば影、というやつかもしれない。

 たった今ババを掴んでしまったあたしは、つい動揺が声に出てしまっていた。そこで、隣のヴィブロスさんが目を光らせる。

 

「あー、さてはシオンさん……引いちゃったね?」

「い、今のはノーカンっす! いや、引いちゃったのは戻さないっすけど……ちょっと、油断しちゃっただけですから」

 

 慌てちゃって、何だか言い訳みたいになる。ヴィブロスさんはクスクスと笑っていた。

 次の番には何とか引き取ってもらわないと。その時に十分な平静を保つために、あたしはしばらく呼吸を整えていることにした。

 

「お姉ちゃん。お姉ちゃんってば」

「! へ……あ、ええと。何かしら、ヴィブロス」

「次、僕が引く番だよ」

「あ。そうなのね……ごめんなさい、私ったら」

「……」

 

 戸惑いがちに差し出されたヴィルシーナさんの手札。そこに、シュヴァルさんが慎重に指を伸ばす。

 心配そうにしている二人の横顔が、やっぱり印象に残っていた。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 それからも、あたしたちはトランプやボードゲームで時間を潰した。

 そういう時間は、相変わらずすぐに過ぎていって。部屋の中には二つ分、小さな寝息が聞こえるようになっていた。

 

「二人とも、寝ちゃったっすね」

「ええ。そうですね」

 

 反対側のベッドにもたれ掛かって、シュヴァルさんとヴィブロスさんが目を閉じていた。二人で身を寄せ合うようにして、そんな仲睦まじい光景が、微笑ましかった。

 あたしとヴィルシーナさんは、しばらくそれを眺めていた。愛おしそうに妹たちを見守るその横顔は、確かに、いつも通りにも見えるけど。

 

「……シュヴァルは、何か言っていましたか?」

「え?」

「その。例えば、今日のお泊まり会の理由、とか」

「……いえ。あたしは、何も」

 

 何とか答えを返す。でも、それは嘘だった。

 本当は、シュヴァルさんたちからは色々聞いている。あたしにとっても、それは前から気になっていたことだったから。

 ……ここ最近、ヴィルシーナさんは、何だか元気がない。

 

「そうですか。……ごめんなさい。シオンさんもお忙しいでしょうに。この子たちに、どうしてもと言われたのではありませんか」

「そんな。あたしは、全然」

「……私が、もっとしっかりしていれば」

 

 ヴィルシーナさんが目を伏せる。それだけで、綺麗な紺色の髪が目元を覆い隠してしまう。

 泣いてはいないんだろう。でも、そう見える気もした。

 しばらく沈黙が続く。ようやく覚悟を決めて、あたしはそれを声に出すことにした。

 

「オークスのこと、考えてますか」

「……」

 

 ヴィルシーナさんは、すぐに答えなかった。

 五月の後半に開催されたオークス。それはトリプルティアラを目指すウマ娘たちにとっての、重要なレースの一つだ。二つ目のティアラを賭けたその一戦は、今年も熾烈を極めていた。

 一着を射止めたのは、ジェンティルドンナさん。

 ヴィルシーナさんにとって、デビュー前から追いかけてきた因縁の宿敵。今となっては、同じティアラ路線における最大の障壁だ。

 

(……四月の桜花賞に続いて、二連敗)

 

 平気でいられるはずなんて、ない。

 表に出さないようにはできたとしても、その心内はきっと。

 

「勝てる、つもりでした。今度こそ」

「……はい」

「桜花賞もそうだった。デビューしてからずっと、私はその悲願のために、多くを積み上げてきたはずだったのに」

 

 少しずつ、言葉が零れ出ていく。

 あたしは、それに静かに耳を傾けていた。

 

「私は……やっぱり、あの人には」

 

 そして、その先は続かない。

 思いもせずに、言いかけただけだったんだろう。つい気持ちだけが先走って、それでも言葉にならないように、また別の気持ちが抑え込む。

 そういう時の感覚を、あたしも知っている。

 全く同じじゃなくても。ちょうど一年前は、あたしも同じように、俯いていた。

 

「強いっすね。ジェンティルさん」

「ご覧になっていたんですね」

「はい、中継で。……本当は、応援にも駆けつけたかったんすけど」

 

 オークスの時期は、あたしもまだ一杯一杯だった。画面越しに見守って、ひたすら祈っているくらいしかできなかった。

 ヴィルシーナさんは良い走りをしていたと思う。前に見かけた自主練中の時よりも、桜花賞の時よりも、彼女は確実に力をつけていた。

 でも、ジェンティルさんはさらにその上を行った。

 

「……悔しいっすね。心の底から、勝ちたくてたまらない相手なのに。どれだけ頑張っても、その後ろ姿がどんどん遠ざかっていくみたいで」

「……」

「何だか、自分だけが置いていかれてる気がして」

 

 少しだけ姿勢を正す。……こういう時、もうちょっと気の利いたことが言えたらいいのに。

 結局、あたしもそれをどうしたらいいかなんて、分からない。

 まずはオルフェーヴル(あいつ)に勝たなきゃ。納得のいく答えなんて、出せないんだろう。

 今、あたしから返せる言葉は、きっとそんなに大したものじゃない。

 

「すみません。あたし、ずっとヴィルシーナさんに謝りたいことがあったんです」

「え?」

「それが、その。二つくらいあって」

 

 自分でも急な切り出し方だと思った。顔を上げたヴィルシーナさんも、目を丸くしている。

 でも、ようやく面と向き合って、話せるようになっていた。

 

「まず、さっきは嘘を吐きました。あたし、実はシュヴァルさんたちから色々聞いてたんです」

 

 言いながら、そっちはもう気づかれてたんじゃないかなとも思う。

 ババ抜きのごまかし方が上手くなったからって、やっぱり嘘は苦手なままだ。他でもないヴィルシーナさんを騙しきれたとは、ちょっと考えられなかった。

 

「お二人が言ってました。姉さんの元気がないから、少しでも何とかしてあげたいって。お泊まり会なら自然にできるし……自主練の時間を削ったりもしないだろうからって」

「あの子たち、気づいて……」

「無理しすぎじゃないかなって、心配してたっすよ」

 

 あたしも、ここ最近のヴィルシーナさんの帰りが遅いのは知っていた。

 あたしでもそうなんだから。もっと身近にいるシュヴァルさんたちなら、それよりずっと早くに気づいていただろう。

 

「そういうのって、結局隠しきれないんだと思います。家族にも、友達にも……トレーナーさんにだって。一人だけで気持ちを抱えようとしても、傍にいる誰かが、それを放っておかない」

 

 簡単なことのようで。それを実感したのは、あたしもまだ最近のことだったけど。

 

「でも、それでいいんです。そこで一人になったら、悪い方に考えていくだけだから。たまには、どうしようもない気持ちを誰かに伝えて……少しくらい、頼ったっていいんです」

 

 どこかでそう気づいていて、でも、最初は上手くできなかった。そうやって、あたしは大きな間違いをしてしまった。

 ギュッと、拳に力が入る。あたしは無意識に深呼吸をしていた。

 ゆっくりと息を吐いて。まだ気持ちが前を向いているうちに、次の言葉を続ける。

 

「あたし、あなたに酷いことをしたんです」

「私に?」

「はい。もう去年のことっすけど。気持ちに余裕がなくなってた時、何度も負けて、それでも毅然とジェンティルさんに挑み続けるヴィルシーナさんが、眩しく見えた。眩しくて、羨ましくて……置いていかれそうな気がして」

 

「もうがんばらないでくれって……そう、思ってました」

 

 言い訳なんて、できない。

 いつかは、ちゃんと謝らなきゃって思ってたけど。こうやってちゃんと話せるまで、随分と時間が経ってしまっていた。

 

「最低っすよね……ごめんなさい。本当はあたし、こんな偉そうに話せる立場でもないんです」

 

 そういう醜い自分がいる。どん底まで追い詰められた時、それが表に出てきてしまった時の感覚を、はっきり覚えている。

 許されないけど、他にどうすることもできなかったんだ。そんな事実を受け止めるのは、まだ簡単じゃなさそうだけど。

 

「……そうですか。知らない間に、そんなことがあったのですね」

「!」

 

 すとんと、肩の上に何かが乗っかった。

 さらさらとした髪が流れて、それがくすぐったく頬を撫でる。

 

「感情というのは、ままならないものですね」

「ヴィルシーナ、さん……?」

「謝罪の言葉、しっかり聞き届けさせていただきました。……ふふ。シオンさんは、本当に真っ直ぐな方ですね」 

 

 ……そんなわけない、とは思うけど。

 甘い香りがして、少しだけびっくりする。あたしは変に緊張してしまっていたけど、その間も、ヴィルシーナさんは身体を傾けたままだった。

 

「お詫びのついで、と言ってはなんですが。少しだけ、このままにさせていただいても?」

「は、はい……あたしは、別に」

「ありがとうございます」

 

 小さく、お礼の言葉が聞こえた。

 やや間があって、ヴィルシーナさんは、もう少し話し続ける。

 

「すみません。この子たちにも、あの人にも。本当のことを伝えるのは、まだ少し、怖いみたいで」

「ヴィルシーナさん……」

「弱いですね。私は」

「そんなことないっすよ」

 

 きっと、今のあたしの言葉を、受け取ってくれたんだろう。

 だからって、それをすぐに行動に移すのは、簡単なことじゃないと思うから。

 あたしも、ようやく身体の力を抜いていく。

 

「あたしも、まだまだですから」

 

 しばらくして、ゆっくりと目を閉じる。支えあって、二人で眠る。

 まるで、よく似たところのある姉妹みたいに。そう言ってしまうのは、もしかしたら失礼なことだったかもしれないけど。

 お互いの体温が馴染んでいく。そうやって語り合った時間は、まだあたしたちしか知らないことだった。

 

 

 

 

─────【3】─────

 

 

 次の日の放課後には、また厳しいトレーニングが始まった。

 

「ラスト十本! 最後まで気を抜かずにな」

「はい!」

「は、はーいっ」

 

 熱がいっぱいいっぱいになった身体は、もう限界に近かった。そんな中で走り続けながら、精一杯の声をトレーナーさんに返す。

 隣を走るネイチャさんにも目配せをする。闇雲に続けて、ペース配分がおざなりになったら危ない。

 だから、無理はしないでくださいねと。そう言ったつもりだったんだけど。

 

「っ……よっしゃあっ、やってやろうじゃないのーッ!!」

 

 結局、ネイチャさんは最後まで食らい付いていた。

 普段は緩く見える時もあるけど、こういう時は気を抜かない。そういうところが、やっぱりすごいと思った。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

「ハァ……ハァ……ダメだわ。もう一歩も動けん……」

「だ、大丈夫っすか? あ、みずっ、水ありますよ」

「あ、ありがと……」

 

 芝生の上で大の字になったまま、限界で動けそうにないネイチャさんに水筒を手渡す。

 ゴクゴクと、彼女は思い切りよく喉を鳴らしていた。

 

「ぷはーっ……あー、生き返るぅ……」

「ふふ」

 

 あんまり、笑っちゃいけないのかもしれないけど。遠慮のない彼女のそういう仕草に、つい肩の力が抜けてしまっていた。

 

「しっかし、シオンさんのトレーナーさんが、まさかここまでスパルタだったとはねぇ……こっちからお願いしたっていっても、うちの人でもここまでいかないよ」

「……やっぱり、そうっすかね?」

「うん。思う」

 

 つい同意してしまう。あたしは慣れているし、そういうものだと思って大体受け入れているけど。客観的に見ると、ネイチャさんの感じ方が普通なのかもしれないと、ちょっとだけ納得もできる。

 

「……でも、そうだね。厳しいだけじゃないのも、分かる気がするよ」

「はい」

 

 それがここまであたしを連れてきてくれたことには、何の違いもない。

 できると信じているから、しっかりメニューを作り込んでくれているんだって。今の大変さは、あたしにとっては誇りでもあった。

 

「……」

「? ネイチャさん」

「あぁ、ごめん。大したことじゃ、ないんだけどさ」

 

 気づくと、ネイチャさんがじっとこっちを見ていた。気のせいじゃなければ、少し満足そうに。

 聞き返すと、彼女は照れくさいのをごまかすみたいに、笑った。

 

「もう、大丈夫そ?」

「……あ」

「いや、見れば分かるっていうのは、その通りなんだけどね。はは……何言ってんだろ、あたし」

 

 珍しく、不器用な言い方だと思った。

 言葉が上手くまとまらない感じで。でも、何が言いたいのかは、ちゃんと伝わっていたと思う。

 

「あたしは、もう大丈夫っすよ」

「……そっか」

 

 胸を張って。力強く笑顔を浮かべるようにして、そう答える。

 向き合ったネイチャさんの顔色も、少しずつ綻んでいく。

 

(……また、色々お世話になっちゃったもんな)

 

 ジャパンカップでケガをした時も、トレーナーさんが入院して、一人で頑張っていた時も。気が付くと、ネイチャさんが傍にいてくれた。

 ぎこちなくなっていたあたしたちに、話ができる場を用意してくれた。トレーナーさんがいない間、一人で頑張ろうとしていたあたしのことを、慰めてくれた。

 表向きは、堂々として。だからこそ、きっと、ずっと心配をかけてしまっていたんだと思う。

 

「ありがとうございます。本当に。あなたがいなかったら、多分、あたしとトレーナーさんはもっと」

「シオンさんたちが頑張ったんだよ。あたしは大したことしてなくて……ただ、できることをやってただけだから」

 

 約束もあったしね。よく分からないけど、ネイチャさんは最後に小さく呟いていた。

 

「次、宝塚記念だったよね。また、オルフェーヴルさんも出てくるんでしょ?」

「はい。だからこそ、負けてられないっすね」

「ふふ。その意気その意気」

 

 そして、ふわりと目を細める。

 

「がんばってね。トレーナーさんほどとは、いかないかもだけど……あたしもシオンさんのこと、陰でずっと応援してますから」

「ネイチャさん……」

 

 どこか一歩引いたような口ぶりで。それでも、言葉は力強く。

 いつもの彼女らしいと言えば、そうなのかもしれない。嬉しかったけど、何となく、ちょっとだけ寂しい気もした。

 

「……色々落ち着いたら、どこかにお出かけしませんか?」

「え?」

「シュヴァルさんも誘って。ちょっとした、小旅行みたいな」

 

 もらってばかりじゃダメなんだって、そう思った。

 たったそれくらいのことで、何が返せるんだって気もするけど。

 

「一緒に、ゆっくり過ごしたいなって思って」

 

「ずっとあたしを応援してくれてた。ファンだって言ってくれた(・・・・・・・・・・・・)、あなたたちと」

 

 そう言うと、ネイチャさんが驚いたような顔をする。

 それは去年の夏。合宿の間に交わしていた、彼女にとっては、何でもない会話だったのかもしれないけど。

 あたしにとっては、ずっと忘れられないくらい、大切な言葉だった。

 

「っ……ほんと、(かな)わないな。シオンさんのそういうとこは」

「あはは……すみません。何か、締まりがなくて」

「そんなことないけど。まあ……うん。りょーかい」

 

 頬を掻いて、しばらく視線が泳ぐ。でも、最終的にネイチャさんは頷いてくれた。

 

「その代わり、レースはしっかり決めてきてよね」

「はい。もちろんです」

 

 お互いに、小さく握った手を掲げる。似合わないな、なんて思いつつも、あたしも手を伸ばす。

 コツン、と。合わせた拳が、控えめな音を響かせていた。

 

 





【あとがき】


毎度どうも、鵜鷺りょくと申します。
第44話、いかがだったでしょうか。

今回は、第四章ぶりの友人たち集合回でした。様々なことを乗り越え、強くなったシオンがみんなとどう向き合うのか。そういうお話でした。
色んな子たちのやり取りを書くのは大変な反面、やっぱり楽しいものですね。

【Preparation】──最終決戦に向けた準備編も、いよいよ終幕です。
次回より宝塚記念編。ついにオルフェーヴルとの決戦となります。乞うご期待。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

とっても天使なウマ娘さん(作者:レース場の散った芝)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

天使は実在するみたいです。▼慈愛に満ちていて、可愛くて、速くて、可愛いらしいです。ウマ娘は皆例外なく可愛いけど。


総合評価:1152/評価:8.96/連載:9話/更新日時:2026年07月13日(月) 06:00 小説情報

その瞳に勝利を(作者:カニ漁船)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

「わたしは勝つわ、トレーナー!」▼「頑張って支えるよ」


総合評価:2927/評価:8.7/完結:74話/更新日時:2026年05月14日(木) 23:00 小説情報

だからウマ娘はエロ禁止だっつってんだろ!!(作者:散髪どっこいしょ野郎)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

(原案)▼転生特典としてトレーナーの才能をあげるね▼マジすか!あざっす!▼あ、ウマ娘ちゃんを性的な目で見たら死刑ね▼(本題)▼ウマ娘に性欲を発したら爆発する体を持って転生させられたオリ主と積極策ガン積みスティルインラブの話


総合評価:2118/評価:8.22/完結:12話/更新日時:2026年05月23日(土) 21:40 小説情報

ジェンティルドンナのにぃに概念(作者:おっき!!!)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

▼某よーつべの反応集を見て感化されました。▼芹にゃんほんと好き…………。MFゴーストで妹成分補給補給……。


総合評価:4776/評価:8.48/連載:10話/更新日時:2026年06月09日(火) 23:06 小説情報

親愛なるシャーロックへ(作者:カニ漁船)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

決まっている運命を覆すために。メジロ復活のために奮闘する。


総合評価:4547/評価:8.65/連載:48話/更新日時:2026年07月25日(土) 23:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>