夜明けのプリンシパル ─ウインバリアシオンと彼女に惚れ込んだトレーナーのお話─   作:鵜鷺りょく

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晴れた空に、雫が光る。
傘はまだ、開いたままで。





【Preparation】晴れ傘 「シオンと大切な友人たちのお話」

 

─────【1】─────

 

 

 聞き慣れたメロディが鳴り始める。タンタンと、床を叩くシューズの音が後に続いた。

 そこは学園内の一画。ダンスレッスンの授業でお馴染みのスタジオだ。放課後は解放されていて、ちゃんと申請すれば、生徒たちが自主練に使用することもできる。

 

「おっし、そこで連続ターン! 前出て~、最後にびしーっと──ウェイウェ~~~~イッ!!」

「こ、こうっすか? う、うぇーい……」

 

 隣で踊るヘリオスさんの真似をして、ぎこちないステップを踏む。彼女の動きはとても思い切りが良くて、ついていくのでやっとだった。

 身体だけを動かして、最後のポーズを作る。……掛け声までは、上手くいかなかった。

 

「……あの、すみません。これ、ちょっとやり過ぎなんじゃ」

「はは。表情硬いよー、シオン」

「思いきったアレンジだね。何だか新鮮だなぁ」

「やっぱり違和感あるんすよね!?」

 

 お腹を抱えて可笑しそうなパーマーさんと、ただ純粋に感想をこぼすミラクルさん。

 離れたところで見ていた二人の反応は、何だかちょっとずれていた。

 

「なっはは、こーいうのは派手なんがいーんだって! もっかいやってくべ、シオちん!」

「そ、そういうもんすか……?」

 

 当のヘリオスさんは、まだまだ元気でノリノリだった。

 疲れの見えないその明るさは不思議なもので。向かい合っていると、もう少し続ければ何かが見えるのかもとか、そういう予感も湧いてきてしまう。

 

「そーそ! じゃあ次はー……あっ、そだ! こういうの入れてみるのもよくね!? マジヤバな気すんだけど!」

「え、ここから……わわっ、ち、ちょっとまってください!」

 

 だけど、その動きは変幻自在。その場のテンションで思い浮かんだらしい新しい動きも、目の前でどんどん取り入れられていく。

 

(こ、これは流石に……)

 

 目まぐるしくて、何だか頭がクラクラしてくる。

 結局ヘリオスさんくらいしかこなせないアレンジなんじゃないか。そう気づいたのは、もうしばらく練習を続けた後のことだった。

 

 

 ──────────

 

 

 

 次のレースが決まって、それに向けた本格的なトレーニングも始まってきた頃。忙しい日常の一方で、あたしは当日のウイニングライブに向けた練習も進めていた。

 そして、今日からは、クラスメートのパーマーさんたちにも手伝ってもらうことになっている。

 さっきまで受けていたヘリオスさんのレクチャーは、ライブをもっと盛り上げるためのパフォーマンス研究の一環だ。観客席を湧かせるようなアレンジはないかなと、そんな相談からの成り行きだったわけだけど。

 

「……あらためて考えると、すごいっすよね」

 

 汗を拭って、水筒を傾けながら会話を続ける。パーマーさんがこっちを振り返った。

 

「ヘリオスさんのライブって、いつもダイナミックで勢い任せにも見えるんすけど。その実、ちゃんとみんなで盛り上がって、最後まで一体になって熱くなれるっていうか」

「だねー。しっかりみんなを巻き込んでくれちゃって、まさしく太陽って感じだよ」

 

 そう頷くパーマーさんも、どこか誇らしげだった。

 

「……ただ」

 

 でも、その視線はすぐに向こうへと向けられる。スタジオの壁際には、ヘリオスさんがもたれ掛かって座っている。

 真っ白に燃え尽きたみたいに、彼女はぐったりとしていた。

 

「何より本人が楽しんじゃうから、ライブが終わった後なんかは、ああなっちゃうことも多いんだけどね」

「何か、申し訳ないっす……せっかく付き合ってもらったのに、あたし上手くできなくて」

「まあ、そこは気にしなくていいんじゃないかな。……ヘリオス、大丈夫だった?」

「うん。張り切りすぎて、いつもみたいに疲れちゃっただけみたい」

 

 戻ってきたミラクルさんに、パーマーさんが問いかける。彼女も、慣れた様子で苦笑いを浮かべていた。

 その後で、今度はあたしの方を見る。

 

「ヘリオスから伝言。"あとは頼んだ。頑張って、シオン"……だって」

「……!」

「頼まれちゃったね」

 

 あんなに疲れても、あたしのことを気にして……。

 少しだけ、身が引き締まる。あたしの変化を感じ取ったのか、パーマーさんが笑って言った。

 

「じゃ、休憩明けたら、私たちも参戦しよっか。メニュー、ちょっと借りていい?」

「はい。どうぞ」

 

 床の上に置いてあった資料を拾って、パーマーさんはパラパラと捲っていく。

 それはトレーナーさんのレイアウトを真似て、あたしが自分で作ってみたレッスン用のメニューだった。

 

「……ふふ」

「? どうかしたっすか」

「やっぱり、センターパートの練習が多めだなと思って」

「うっ……やっぱり、気づいちゃいますよね」

 

 気にしていたところを突かれて、つい驚いてしまった。

 センターと言えば、やっぱりライブの花形。その日のレースで、見事に一着を射止めたウマ娘だけに許されるパートだ。

 レースの結果はいつだって分からない。だからあたしたちは、基本的にそれぞれのパートをバランス良く練習している。時には、センターへの憧れのあまりに、多少そっちに偏ってしまうこともあるだろうけど。

 

「そういう意識だけでも、何か少しは変わってくるのかな……と」

 

 トレーナーさんも復帰して、あたしたち二人にとっての再スタートとなる一戦だ。あいつも出てくると思ったら気合いも入って、自分的にも、思いきったメニューになってしまっていた。

 分かっていたけど、ちょっとだけ気まずい。調子に乗ってるとか、笑われたりしないかな。

 

「やっぱり、元通りのシオンだね」

「そーだね。ちょっと安心しちゃった」

「え」

 

 隣でメニューを見ていたミラクルさんが笑う。それにつられてパーマーさんも。

 

「いつも遠慮しがちだけど、自分がこうだって決めたところだけは、ちゃんと譲らない。……私たちの知ってる、素直で頑張りやのシオンだ」

「! そ、そうっすかね……き、恐縮っす」

「そうやって照れちゃうとこもね」

 

 思わず視線を逸らしていた。パーマーさんがあんまり真っ直ぐなことを言ってくるから。

 そうすると、今度はミラクルさんの視線とぶつかる。彼女も静かに、優しく微笑みかけてくれていた。

 

(……そっか。あたし、また心配かけて)

 

 色々なことがあって、こうやって、元の日常に戻ってきた。大変なのはまだこれからだとしても、あたしはまだ、みんなにちゃんと向き合えていなかったのかもしれない。

 クラスにいても、落ち込んでいるあたしに、みんなが声を掛けようとしてくれていたことは覚えている。……もう大丈夫だって、ちゃんと伝えなきゃいけなかったのに。

 

「遠慮とかしないで、併走とかにも呼んでよね。色々落ち着いたら、またみんなで遊びにもいこーよ」

「……はい。ありがとうございます」

 

 あたしも、何とか笑い返す。ちょっとだけ泣きそうになったのも、ひっそり飲み込んで。

 その間も、視界の隅っこで。見間違いじゃなければ、ヘリオスさんがグッと親指を立ててくれていた気がした。

 

 

 

 

─────【2】─────

 

 

 その日の晩は、久しぶりにお泊まり会があった。

 集合先は寮の自室。あたしは待っているだけだったから、集合なんて言ってしまうのはちょっとだけおかしな気もしたけど。

 

「お待たせしました」

「やっほー! シオンさん、ひっさしぶりー」

 

 程なくして、シュヴァルさんが戻ってくる。ほとんど同時に入ってきたヴィブロスさんは、いたって平常運転だった。

 

「いらっしゃい。お待ちしてました」

 

 あたしも笑顔で出迎える。

 二人の妹たちの後ろには、ちゃんとヴィルシーナさんも続いてきていた。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 そうして、今晩は四人。みんなで囲んだ床の上には、次々にカードの山が積み重なっていく。

 定番のババ抜きだ。前の番のヴィブロスさんに向かって、あたしは自分の手札を寄せる。

 

「うーん、こっちかな……いや、こっち!!」

 

 小さな指が左右に揺れて、しゅっと端に移動する。

 引いたカードをひっくり返すと、ヴィブロスさんはしゅんとした様子で、それを自分の手札に加えた。

 

「もー、揃わなーい。ババは引かなくてよかったけどさー」

「ふふ。残念だったっすね」

「シオンさん、持ってるのかな……意外に表情変わんないから、どっちか分かんないや」

 

 そう言われて、ちょっとだけ得意げになる。

 休み時間や放課後にクラスメートたちと遊んだ時は、すっかり負かされてばっかりだったのに。今のあたしは、ヴィブロスさんすら唸らせるくらいには上達したみたいだ。

 

「そうっすかね? へへ。実は最近、ちょっとだけコツが分かってきたんすよ」

「えぇ、どんなー?」

「大したことはないんすけどね」

 

 何回やっても、負けてばっかりでも。やっぱり、みんなとこうやって遊ぶ時間は楽しいんだと思う。

 だったら、素直にそれを表に出せばいいんだって分かった。駆け引きだとか気にしすぎずに、ずっと笑っていれば、それがある意味でポーカーフェイスになる。

 それは多分、あたしにも合っていると思った。

 

「シオンさん、どうぞ」

「あ、はい。あたしの番っすね」

 

 今度はシュヴァルさんの方に向き直って、カードを選ぶ。

 彼女もあたしと同じで表情には出やすい方だと思うんだけど。調子に乗っていたのか、あたしは深く考えずに、手を伸ばしてしまった。

 

「…………あっ」

 

 手元に来たカードをひっくり返して、一瞬、時間が止まる。

 噂をすれば影、というやつかもしれない。

 たった今ババを掴んでしまったあたしは、つい動揺が声に出てしまっていた。そこで、隣のヴィブロスさんが目を光らせる。

 

「あー、さてはシオンさん……引いちゃったね?」

「い、今のはノーカンっす! いや、引いちゃったのは戻さないっすけど……ちょっと、油断しちゃっただけですから」

 

 慌てちゃって、何だか言い訳みたいになる。ヴィブロスさんはクスクスと笑っていた。

 次の番には何とか引き取ってもらわないと。その時に十分な平静を保つために、あたしはしばらく呼吸を整えていることにした。

 

「お姉ちゃん。お姉ちゃんってば」

「! へ……あ、ええと。何かしら、ヴィブロス」

「次、僕が引く番だよ」

「あ。そうなのね……ごめんなさい、私ったら」

「……」

 

 戸惑いがちに差し出されたヴィルシーナさんの手札。そこに、シュヴァルさんが慎重に指を伸ばす。

 心配そうにしている二人の横顔が、やっぱり印象に残っていた。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 それからも、あたしたちはトランプやボードゲームで時間を潰した。

 そういう時間は、相変わらずすぐに過ぎていって。部屋の中には二つ分、小さな寝息が聞こえるようになっていた。

 

「二人とも、寝ちゃったっすね」

「ええ。そうですね」

 

 反対側のベッドにもたれ掛かって、シュヴァルさんとヴィブロスさんが目を閉じていた。二人で身を寄せ合うようにして、そんな仲睦まじい光景が、微笑ましかった。

 あたしとヴィルシーナさんは、しばらくそれを眺めていた。愛おしそうに妹たちを見守るその横顔は、確かに、いつも通りにも見えるけど。

 

「……シュヴァルは、何か言っていましたか?」

「え?」

「その。例えば、今日のお泊まり会の理由、とか」

「……いえ。あたしは、何も」

 

 何とか答えを返す。でも、それは嘘だった。

 本当は、シュヴァルさんたちからは色々聞いている。あたしにとっても、それは前から気になっていたことだったから。

 ……ここ最近、ヴィルシーナさんは、何だか元気がない。

 

「そうですか。……ごめんなさい。シオンさんもお忙しいでしょうに。この子たちに、どうしてもと言われたのではありませんか」

「そんな。あたしは、全然」

「……私が、もっとしっかりしていれば」

 

 ヴィルシーナさんが目を伏せる。それだけで、綺麗な紺色の髪が目元を覆い隠してしまう。

 泣いてはいないんだろう。でも、そう見える気もした。

 しばらく沈黙が続く。ようやく覚悟を決めて、あたしはそれを声に出すことにした。

 

「オークスのこと、考えてますか」

「……」

 

 ヴィルシーナさんは、すぐに答えなかった。

 五月の後半に開催されたオークス。それはトリプルティアラを目指すウマ娘たちにとっての、重要なレースの一つだ。二つ目のティアラを賭けたその一戦は、今年も熾烈を極めていた。

 一着を射止めたのは、ジェンティルドンナさん。

 ヴィルシーナさんにとって、デビュー前から追いかけてきた因縁の宿敵。今となっては、同じティアラ路線における最大の障壁だ。

 

(……四月の桜花賞に続いて、二連敗)

 

 平気でいられるはずなんて、ない。

 表に出さないようにはできたとしても、その心内はきっと。

 

「勝てる、つもりでした。今度こそ」

「……はい」

「桜花賞もそうだった。デビューしてからずっと、私はその悲願のために、多くを積み上げてきたはずだったのに」

 

 少しずつ、言葉が零れ出ていく。

 あたしは、それに静かに耳を傾けていた。

 

「私は……やっぱり、あの人には」

 

 そして、その先は続かない。

 思いもせずに、言いかけただけだったんだろう。つい気持ちだけが先走って、それでも言葉にならないように、また別の気持ちが抑え込む。

 そういう時の感覚を、あたしも知っている。

 全く同じじゃなくても。ちょうど一年前は、あたしも同じように、俯いていた。

 

「強いっすね。ジェンティルさん」

「ご覧になっていたんですね」

「はい、中継で。……本当は、応援にも駆けつけたかったんすけど」

 

 オークスの時期は、あたしもまだ一杯一杯だった。画面越しに見守って、ひたすら祈っているくらいしかできなかった。

 ヴィルシーナさんは良い走りをしていたと思う。前に見かけた自主練中の時よりも、桜花賞の時よりも、彼女は確実に力をつけていた。

 でも、ジェンティルさんはさらにその上を行った。

 

「……悔しいっすね。心の底から、勝ちたくてたまらない相手なのに。どれだけ頑張っても、その後ろ姿がどんどん遠ざかっていくみたいで」

「……」

「何だか、自分だけが置いていかれてる気がして」

 

 少しだけ姿勢を正す。……こういう時、もうちょっと気の利いたことが言えたらいいのに。

 結局、あたしもそれをどうしたらいいかなんて、分からない。

 まずはオルフェーヴル(あいつ)に勝たなきゃ。納得のいく答えなんて、出せないんだろう。

 今、あたしから返せる言葉は、きっとそんなに大したものじゃない。

 

「すみません。あたし、ずっとヴィルシーナさんに謝りたいことがあったんです」

「え?」

「それが、その。二つくらいあって」

 

 自分でも急な切り出し方だと思った。顔を上げたヴィルシーナさんも、目を丸くしている。

 でも、ようやく面と向き合って、話せるようになっていた。

 

「まず、さっきは嘘を吐きました。あたし、実はシュヴァルさんたちから色々聞いてたんです」

 

 言いながら、そっちはもう気づかれてたんじゃないかなとも思う。

 ババ抜きのごまかし方が上手くなったからって、やっぱり嘘は苦手なままだ。他でもないヴィルシーナさんを騙しきれたとは、ちょっと考えられなかった。

 

「お二人が言ってました。姉さんの元気がないから、少しでも何とかしてあげたいって。お泊まり会なら自然にできるし……自主練の時間を削ったりもしないだろうからって」

「あの子たち、気づいて……」

「無理しすぎじゃないかなって、心配してたっすよ」

 

 あたしも、ここ最近のヴィルシーナさんの帰りが遅いのは知っていた。

 あたしでもそうなんだから。もっと身近にいるシュヴァルさんたちなら、それよりずっと早くに気づいていただろう。

 

「そういうのって、結局隠しきれないんだと思います。家族にも、友達にも……トレーナーさんにだって。一人だけで気持ちを抱えようとしても、傍にいる誰かが、それを放っておかない」

 

 簡単なことのようで。それを実感したのは、あたしもまだ最近のことだったけど。

 

「でも、それでいいんです。そこで一人になったら、悪い方に考えていくだけだから。たまには、どうしようもない気持ちを誰かに伝えて……少しくらい、頼ったっていいんです」

 

 どこかでそう気づいていて、でも、最初は上手くできなかった。そうやって、あたしは大きな間違いをしてしまった。

 ギュッと、拳に力が入る。あたしは無意識に深呼吸をしていた。

 ゆっくりと息を吐いて。まだ気持ちが前を向いているうちに、次の言葉を続ける。

 

「あたし、あなたに酷いことをしたんです」

「私に?」

「はい。もう去年のことっすけど。気持ちに余裕がなくなってた時、何度も負けて、それでも毅然とジェンティルさんに挑み続けるヴィルシーナさんが、眩しく見えた。眩しくて、羨ましくて……置いていかれそうな気がして」

 

「もうがんばらないでくれって……そう、思ってました」

 

 言い訳なんて、できない。

 いつかは、ちゃんと謝らなきゃって思ってたけど。こうやってちゃんと話せるまで、随分と時間が経ってしまっていた。

 

「最低っすよね……ごめんなさい。本当はあたし、こんな偉そうに話せる立場でもないんです」

 

 そういう醜い自分がいる。どん底まで追い詰められた時、それが表に出てきてしまった時の感覚を、はっきり覚えている。

 許されないけど、他にどうすることもできなかったんだ。そんな事実を受け止めるのは、まだ簡単じゃなさそうだけど。

 

「……そうですか。知らない間に、そんなことがあったのですね」

「!」

 

 すとんと、肩の上に何かが乗っかった。

 さらさらとした髪が流れて、それがくすぐったく頬を撫でる。

 

「感情というのは、ままならないものですね」

「ヴィルシーナ、さん……?」

「謝罪の言葉、しっかり聞き届けさせていただきました。……ふふ。シオンさんは、本当に真っ直ぐな方ですね」 

 

 ……そんなわけない、とは思うけど。

 甘い香りがして、少しだけびっくりする。あたしは変に緊張してしまっていたけど、その間も、ヴィルシーナさんは身体を傾けたままだった。

 

「お詫びのついで、と言ってはなんですが。少しだけ、このままにさせていただいても?」

「は、はい……あたしは、別に」

「ありがとうございます」

 

 小さく、お礼の言葉が聞こえた。

 やや間があって、ヴィルシーナさんは、もう少し話し続ける。

 

「すみません。この子たちにも、あの人にも。本当のことを伝えるのは、まだ少し、怖いみたいで」

「ヴィルシーナさん……」

「弱いですね。私は」

「そんなことないっすよ」

 

 きっと、今のあたしの言葉を、受け取ってくれたんだろう。

 だからって、それをすぐに行動に移すのは、簡単なことじゃないと思うから。

 あたしも、ようやく身体の力を抜いていく。

 

「あたしも、まだまだですから」

 

 しばらくして、ゆっくりと目を閉じる。支えあって、二人で眠る。

 まるで、よく似たところのある姉妹みたいに。そう言ってしまうのは、もしかしたら失礼なことだったかもしれないけど。

 お互いの体温が馴染んでいく。そうやって語り合った時間は、まだあたしたちしか知らないことだった。

 

 

 

 

─────【3】─────

 

 

 次の日の放課後には、また厳しいトレーニングが始まった。

 

「ラスト十本! 最後まで気を抜かずにな」

「はい!」

「は、はーいっ」

 

 熱がいっぱいいっぱいになった身体は、もう限界に近かった。そんな中で走り続けながら、精一杯の声をトレーナーさんに返す。

 隣を走るネイチャさんにも目配せをする。闇雲に続けて、ペース配分がおざなりになったら危ない。

 だから、無理はしないでくださいねと。そう言ったつもりだったんだけど。

 

「っ……よっしゃあっ、やってやろうじゃないのーッ!!」

 

 結局、ネイチャさんは最後まで食らい付いていた。

 普段は緩く見える時もあるけど、こういう時は気を抜かない。そういうところが、やっぱりすごいと思った。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

「ハァ……ハァ……ダメだわ。もう一歩も動けん……」

「だ、大丈夫っすか? あ、みずっ、水ありますよ」

「あ、ありがと……」

 

 芝生の上で大の字になったまま、限界で動けそうにないネイチャさんに水筒を手渡す。

 ゴクゴクと、彼女は思い切りよく喉を鳴らしていた。

 

「ぷはーっ……あー、生き返るぅ……」

「ふふ」

 

 あんまり、笑っちゃいけないのかもしれないけど。遠慮のない彼女のそういう仕草に、つい肩の力が抜けてしまっていた。

 

「しっかし、シオンさんのトレーナーさんが、まさかここまでスパルタだったとはねぇ……こっちからお願いしたっていっても、うちの人でもここまでいかないよ」

「……やっぱり、そうっすかね?」

「うん。思う」

 

 つい同意してしまう。あたしは慣れているし、そういうものだと思って大体受け入れているけど。客観的に見ると、ネイチャさんの感じ方が普通なのかもしれないと、ちょっとだけ納得もできる。

 

「……でも、そうだね。厳しいだけじゃないのも、分かる気がするよ」

「はい」

 

 それがここまであたしを連れてきてくれたことには、何の違いもない。

 できると信じているから、しっかりメニューを作り込んでくれているんだって。今の大変さは、あたしにとっては誇りでもあった。

 

「……」

「? ネイチャさん」

「あぁ、ごめん。大したことじゃ、ないんだけどさ」

 

 気づくと、ネイチャさんがじっとこっちを見ていた。気のせいじゃなければ、少し満足そうに。

 聞き返すと、彼女は照れくさいのをごまかすみたいに、笑った。

 

「もう、大丈夫そ?」

「……あ」

「いや、見れば分かるっていうのは、その通りなんだけどね。はは……何言ってんだろ、あたし」

 

 珍しく、不器用な言い方だと思った。

 言葉が上手くまとまらない感じで。でも、何が言いたいのかは、ちゃんと伝わっていたと思う。

 

「あたしは、もう大丈夫っすよ」

「……そっか」

 

 胸を張って。力強く笑顔を浮かべるようにして、そう答える。

 向き合ったネイチャさんの顔色も、少しずつ綻んでいく。

 

(……また、色々お世話になっちゃったもんな)

 

 ジャパンカップでケガをした時も、トレーナーさんが入院して、一人で頑張っていた時も。気が付くと、ネイチャさんが傍にいてくれた。

 ぎこちなくなっていたあたしたちに、話ができる場を用意してくれた。トレーナーさんがいない間、一人で頑張ろうとしていたあたしのことを、慰めてくれた。

 表向きは、堂々として。だからこそ、きっと、ずっと心配をかけてしまっていたんだと思う。

 

「ありがとうございます。本当に。あなたがいなかったら、多分、あたしとトレーナーさんはもっと」

「シオンさんたちが頑張ったんだよ。あたしは大したことしてなくて……ただ、できることをやってただけだから」

 

 約束もあったしね。よく分からないけど、ネイチャさんは最後に小さく呟いていた。

 

「次、宝塚記念だったよね。また、オルフェーヴルさんも出てくるんでしょ?」

「はい。だからこそ、負けてられないっすね」

「ふふ。その意気その意気」

 

 そして、ふわりと目を細める。

 

「がんばってね。トレーナーさんほどとは、いかないかもだけど……あたしもシオンさんのこと、陰でずっと応援してますから」

「ネイチャさん……」

 

 どこか一歩引いたような口ぶりで。それでも、言葉は力強く。

 いつもの彼女らしいと言えば、そうなのかもしれない。嬉しかったけど、何となく、ちょっとだけ寂しい気もした。

 

「……色々落ち着いたら、どこかにお出かけしませんか?」

「え?」

「シュヴァルさんも誘って。ちょっとした、小旅行みたいな」

 

 もらってばかりじゃダメなんだって、そう思った。

 たったそれくらいのことで、何が返せるんだって気もするけど。

 

「一緒に、ゆっくり過ごしたいなって思って」

 

「ずっとあたしを応援してくれてた。ファンだって言ってくれた(・・・・・・・・・・・・)、あなたたちと」

 

 そう言うと、ネイチャさんが驚いたような顔をする。

 それは去年の夏。合宿の間に交わしていた、彼女にとっては、何でもない会話だったのかもしれないけど。

 あたしにとっては、ずっと忘れられないくらい、大切な言葉だった。

 

「っ……ほんと、(かな)わないな。シオンさんのそういうとこは」

「あはは……すみません。何か、締まりがなくて」

「そんなことないけど。まあ……うん。りょーかい」

 

 頬を掻いて、しばらく視線が泳ぐ。でも、最終的にネイチャさんは頷いてくれた。

 

「その代わり、レースはしっかり決めてきてよね」

「はい。もちろんです」

 

 お互いに、小さく握った手を掲げる。似合わないな、なんて思いつつも、あたしも手を伸ばす。

 コツン、と。合わせた拳が、控えめな音を響かせていた。

 

 





【あとがき】


毎度どうも、鵜鷺りょくと申します。
第44話、いかがだったでしょうか。

今回は、第四章ぶりの友人たち集合回でした。様々なことを乗り越え、強くなったシオンがみんなとどう向き合うのか。そういうお話でした。
色んな子たちのやり取りを書くのは大変な反面、やっぱり楽しいものですね。

【Preparation】──最終決戦に向けた準備編も、いよいよ終幕です。
次回より宝塚記念編。ついにオルフェーヴルとの決戦となります。乞うご期待。


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