████まであと、3年
逢魔が時、という言葉がある。
昼と夜の境目の時刻を指す言葉。遠い昔、この時間帯には魔物が出没すると考えられていたらしい。
そして、大きな災いが起こりやすい時刻であるとも考えられていたそうだ。
ようやく目の前に現れた男を見ながら、
その男が身に纏うはワイシャツにベスト、そして首元には質の良いアスコットタイという上品な出で立ち。
ああそうだ。こいつはいつもクラシカルな衣装を好むんだった。こういう所は全然変わらないなと思った。
「……よう、お前マジで来たんだ」
「そりゃ、ボクから誘ったんだし」
時刻は16時頃に差しかかろうとしている。昼の日差しが和らぎ、空はオレンジ色の光で覆われている。待ち合わせをしていたカフェにも、その光は差し込んできている。
事前に注文しておいた紅茶とコーヒーも到着し、本題を探ろうかと思案した。
「言われてみればそうか。それにしてもよ、お前がそんな兄思いだとは知らなかったよ」
「やだな。もう兄弟どころか……家族でもないでしょ」
「いやだってよ?3日前くらいだろ、サシで会ったの。そんなにオレが恋しかったか」
「別にそんなんじゃないんだけど」
「アハ!照れなくていいんだぜ〜?」
目の前に座る、弟だった男――名取 翼《なとり たすく》は、肺の中の空気全てを吐き出す様な、深いため息をつく。そして紅茶をごくり、と緩慢な動きで一口飲んだ。
自分と同じ色の瞳は鈍く光り、こちらを捉えながら揺れている。
それは、まるで生物として格下を見ているようだった。
「そうだ、最近気になるニュースがあったんだけどさ」
「へぇ、なんかあったけ。米の高騰……あ、野菜の高騰?いや、それとも日用品の高騰か?」
翼は目を細め、再びわざとらしくため息をつく。彼の肺はきっと新鮮な空気でいっぱいだろう。
「相変わらずだねエダ兄さんは。ニュース見てないの?もっともっと注目するべきものがあったでしょ。ほんっとに変化に鈍感すぎる……。それじゃどの世界でも生き残れないよね」
翼はそうやってマシンガンのようにオレを貶してくる。
負けず嫌いなのか、自分と違う考えの人間が許せないのか。よく分からないが、昔から何も変わっていないなと思った。
「うるせぇなぁ。オレはもう名取家の人間じゃねえって言ってんだろ。変化変化うるせーよ。てか物価高騰だって大きな変化だろうが」
思わず目を逸らしながらそう言い放つ。
オレは、翼が好む話が嫌いだ。
だって翼が良しとしているものは、倫理的な大問題がいつも隠れている。翼の言うような良い変化だけでは決してない。寧ろ、デメリットが目立つ様なものが多いとさえ思っている。
特に、最近注目されているアレなんかは。
美容と最新鋭の科学の力を組み合わせて老いを防ぐ――最新型のアンチエイジングのようなものは。
正直なところ、あのアンチエイジングは生物としての尊厳を踏みにじるようなものではないだろうか。
そもそも、そのいい例が翼だ。弟だったはずの目の前の男は、会う度に"おかしな姿"になっている。
おかしな姿、というのは……メイクや服装の雰囲気では説明がつかないような、若さだ。
確か彼はもう40を超えるはずの男だが、20代後半の様な瑞々しい肌とがっしりとした肉体をしている。十分に鍛えているにしても、いくらかたるみが出るはずなのに、彼にはそれが見当たらないのだ。
老いに逆らうこと。それは、生物としての当たり前の現象を否定しているに等しい。
「まあ、お前の興味を引きそうなニュースっていうと……やっぱり最新鋭のアンチエイジングか?」
「ふふ、その通り!」
翼はパチン!と右手で指パッチンをしてそう言う。
彼は嬉しそうというより、やっとこの日がきた、と言わんばかりの高揚感に満ちた顔をしている。
「素晴らしい技術だよね。日本の一部の医療技術はあのアメリカにだって勝ってみせてる。そしてそれを活かし、更なる躍進を重ねている……崇高で誇らしいよ」
「そりゃあ、よかったな」
「うん。ホントに。その技術を独占したかったくらいだ」
その言葉を聞いた瞬間、心臓を掴まれた感覚に陥る。
翼が、何故自分の元にわざわざやってきたのか。その答え合わせが今、この場で行われた気がする。
「おいおい、そりゃあ穏やかじゃねぇな」
右手をヒラヒラと左右に振り、へらりと笑う。だがその陽気な振る舞いとは裏腹に、手のひらはじっとりと湿っていた。
「なんでさ?本当にそんなことが出来るわけじゃないんだし」
「アッハッハッ。そりゃそうだけどさ。お前は本当に出来ちまいそうだからなぁ」
ケラケラと笑いながら、コーヒーを飲む。
この話は逸らしたい。昔の話でもしようか。いや、らしくないと不審がられてしまうだろうか――
「うん、出来てたはず
その瞬間、翼と目が合った。
動く事が出来なかった。
蛇に睨まれた蛙のように。
それから、今すぐ走り去りたい衝動に駆られる。
ライオンと目が合ってしまったシマウマのように。
でも、走っても逃げることはできないのではないかと本能的に思った。
自分があれこれ考えたところで、何も変わらなかったんだとジワジワと理解する。
オレはこの呼び掛けに応じてしまった時点で、命運が決まっていたんだ。
「兄さんがいなかったら、出来てたはずなんだ」
もう、周りのザワザワとした音は耳に入ってこなかった。
世界には今、自分と翼しかいないみたいだった。
「これから起きることは、全部エダ兄さんのせいだ」
この店内に、すでに自分と翼以外の人間がいないことを知ったのは、誰かに背中を刺された後だった。