機動戦士ガンダムΩ<オメガ>   作:しぐれちゃん

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第1話

A.C.0091年、夏。

日本上空およそ二千メートル。

雲海の上に静止する空中都市――A-77は、今日も変わらぬ青空を頭上に抱いていた。

都市を貫く重力制御フィールドの低い唸りが、常に背景音として存在している。

それは人々が生きている証であり、同時に、この場所が地上とは異なる“管理された空”であることを思い出させる音でもあった。

紅葉女子高等学校。

北校舎三階、窓際の席。

ミナト・アサヒは、頬杖をついたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

夏の日差しはガラス越しでも容赦なく、校舎の白い壁に反射して、視界をやけに明るくしている。

空は、あまりにも澄み切っていた。

青というより、透明に近い色だ、とミナトは思う。

――落ちたら、どうなるんだろう。

ふと、そんな考えが頭をよぎる。

この高さから、もし重力制御が途切れたら。

都市ごと、あるいは自分一人が、真っ逆さまに。

想像しかけて、ミナトは小さく息を吐いた。

どうでもいい思考だ。

そうやって、意味のない考えで時間を潰すのは、四時間目の授業に限ったことではなかった。

よりによって、近現代文。

教師の声は抑揚に乏しく、教科書をなぞるだけの朗読は、眠気を誘うには十分すぎるほどだった。

黒板に書かれた年号や作家名は、どれも遠い。

戦争、復興、思想、表現。

それらはすべて、ミナトにとって「過去の話」でしかない。

教室を見回せば、ほとんどの生徒が死んだように眠っていた。

机に突っ伏す者、椅子にもたれかかる者、ノートを枕にしている者。

規則正しい寝息と、エアコンの低音が混じり合い、奇妙に穏やかな空間を作り出している。

ミナトのすぐ隣。

クルミ・ニシミヤもまた、その例外ではなかった。

茶色のボブカットが、頬にかかっている。

口元はわずかに緩み、まるで今見ている夢が相当心地いいかのようだ。

授業中だというのに、ここまで無防備に眠れるのは、ある意味才能かもしれない。

(……起きたら、また怒られるんだろうな)

そう思うと、少しだけ口元が緩んだ。

ミナトにとって、クルミは特別だった。

特別だと口に出して言うことはないけれど、気づけばいつも隣にいて、当たり前のように話しかけてくる存在。

自分から人の輪に入るのが苦手なミナトにとって、クルミは“引き上げてくれる側”の人間だった。

窓の外に視線を戻す。

A-77の外周部。

白く整備された外壁、その向こうに広がる雲の海。

さらにその下には、もう見えない地上がある。

地上は、今どうなっているのだろう。

歴史の授業では、地球環境の悪化や人口減少について習う。

だが、どれも数値や言葉で語られるだけで、実感はない。

ミナトは地上を知らない。

生まれた時から、この空中都市で生きてきた。

だからだろうか。

この世界が、どこか“作り物”のように感じられることがある。

完璧に管理された空気。

制御された重力。

落ちることのない都市。

終わったとされる戦争。

(本当に……終わったのかな)

その問いは、胸の奥に沈んだまま、答えを持たない。

教師の声が、一瞬だけ大きくなる。

誰かを指名したらしいが、返事はない。

代わりに、軽い笑いが教室に広がり、またすぐに沈黙が戻る。

ミナトは、頬杖をついたまま、静かに瞬きをした。

この平凡な時間が、ずっと続くのだと思っていた。

続いてほしい、と願っていた。

――その日常が、どれほど脆いものかを、

まだ、この時の彼女は知らなかった。

窓の外、遠くの空で、

ほんの一瞬、光が走ったことにも。

それがただの反射ではなく、

世界が軋み始める前兆であることを、

ミナトも、眠り続けるクルミも、

まだ知る由はなかった。

 

 

 

 

終業を告げるチャイムが鳴ると同時に、

教室に溜まっていた眠気が一斉にほどけたように、ざわめきが広がった。

椅子が引かれる音。机を叩く音。

ため息と伸びをする気配。

その中心で、今まで死体のように眠っていたクルミが、

がばっと勢いよく顔を上げた。

「……はぁ〜〜……」

心底満足そうな息を吐いてから、

クルミは鞄から弁当箱を取り出すと、

ミナトの前の席に腰を下ろし、椅子をくるりと反転させた。

「長かったね〜、さっきの授業」

そう言って、欠伸混じりに笑う。

ミナトは一瞬、ずっと寝てただけじゃん

と喉まで出かかった言葉を飲み込み、代わりに曖昧な苦笑いを浮かべた。

「……そう、だね」

嘘ではない。

確かに“長かった”のは事実だ。

眠気と、考え事と、意味のない時間の積み重ねで。

ミナトも自分の弁当箱を取り出し、蓋を開ける。

中には、冷凍のカニクリームコロッケが二つ。

しんなりした生成野菜のサラダ。

そして、均一な粒の白い生成米。彩りは悪くない。

味も悪くないはずだ。

この世界では、食べ物のほとんどが生成食品だ。

原材料を分解し、再構成された栄養の塊。

安全で、安価で、安定している。

昔は“本物”の食材があったらしい、と聞いたことがある。

土で育った野菜。

生きていた動物の肉。

けれどそんなことを考えるのは昼休みには似合わない。

ミナトは何も考えず、

コロッケを箸で割り、そのまま口に運んだ。衣はサクッとして、

中はとろりとしている。いつも通りの味。

「ん〜、今日の弁当、当たりじゃない?」

クルミが自分の弁当を覗き込みながら言う。

「……そうかも」

ミナトは小さく頷き、黙々と箸を進めた。咀嚼のリズムに合わせて、

思考もまた、ゆっくりとほどけていく。

半分ほど食べたところで、クルミがふと箸を止めた。

「ねえ」

「ん?」

「次の授業、なんだっけ?」

その問いに、ミナトは一瞬、動きを止める。

(……そういえば)

頭の中で時間割を探ろうとして、何も浮かばないことに気づく。

鞄から、くしゃりと折れた時間割表を取り出し、

指でなぞるように確認する。

国語、数学、英語――

そして、次の行。教科名が目に入った瞬間。

「……っ」

思わず、声が漏れた。

「え、なに?」

クルミが不思議そうに覗き込む。

ミナトは、わずかに顔を引きつらせながら、時間割を見せた。

「……体育」

「お、いいじゃん」

「……プール」

一瞬の沈黙。

次の瞬間、

クルミが盛大に吹き出した。

「うわ、最悪じゃん!」

「……言わないで」

ミナトは箸を持つ手を止め、

天を仰ぐように視線を上げた。

 

「まあまあ、暑いし気持ちいいって」

「……クルミはいいよ」

「なにが?」

「……全部」

そう呟くとクルミは一瞬きょとんとして、

すぐに笑った。

「なにそれ。変なの」

 

やがてあっという間に昼食を食べ尽くしてしまったので、

二人は弁当箱を片付け、それぞれの鞄を肩に掛ける。

「早めに行こっか。混むと嫌だし」

クルミがそう言うと、ミナトも小さく頷いた。

時間には、まだ少し余裕がある。

だが、余裕がある時ほど、人はなぜか早く動きたくなるものだ。

ミナトの鞄の中には、セパレートタイプの学校指定水着。

白地に紺のラインが入った、無駄のないデザイン。

それにシリコン製のスイムキャップ、少し曇りやすいゴーグル、吸水性の高いタオル。

プールセット一式。

毎年変わらない、中身も重さも同じはずのそれが、今日はやけに存在感を主張しているように思えた。

廊下に出ると、冷房の効いた空気が肌にまとわりつく。

窓の外には、相変わらずの青空。

雲はゆっくりと流れ、空中都市A-77は微動だにしない。

南校舎へ向かう渡り廊下。ガラス張りの床越しに、遥か下方の雲海が見える。

「こうして見るとさ」

クルミが、足元を覗き込みながら言った。

「ほんと、浮いてるよね。ここ」

「……うん」

ミナトは視線を落とさないように、

前だけを見て歩く。

慣れているはずなのに、この高さはいつまで経っても慣れない。

南校舎一階。使われなくなった空き教室が並ぶ廊下を通り過ぎる。

中は薄暗く、

ブラインドの隙間から差し込む光が、埃を照らしている。

誰もいないはずなのに、人の気配が抜けきらないような、

妙な静けさ。

「この辺、夜通るとちょっと怖くない?」

クルミが、わざとらしく声を潜める。

「……やめてよ」

ミナトは即座に返した。

二人の足音だけが、規則正しく廊下に響く。

更衣室は、突き当たりに並ぶ扉の二つ目。

白いプレートに、簡素な文字で《女子更衣室》と書かれている。

その奥は、プールへと直接つながっている構造だ。

扉の向こうから、かすかに聞こえる水音。循環装置の低い駆動音。

「うわ、もう水の音する」

クルミが少しだけテンションを上げる。

「……ほんとだ」

ミナトは深く息を吸い、吐いた。

今は、何も考えない。午後の授業。体育。ただ、それだけ。平凡で、退屈で、いつも通りの時間。この先に何かが待っているなんて考える必要はない。

二人は並んで扉に手をかけ、更衣室の中へと足を踏み入れた。

ロッカーの金属音。湿気を含んだ空気。プール特有の、微かに鼻を刺す消毒薬の匂い。

二人はロッカーの前に並び、タオルを肩に掛けたまま手早く準備に入った。

ミナトは要領よく荷物を整理し、必要なものだけを取り出すと、

さっさと着替えを済ませる。

振り返ると、

クルミが自分の鞄に顔を突っ込み、

明らかに様子がおかしかった。

「……ない。ない、ない……」

小声だが切迫した響き。

ミナトはため息をつく。

(あー……)

この焦り方。この無言の時間。

経験上、答えは一つしかない。

「……水着?」

クルミは顔を上げ、

ゆっくり、ゆっくりと首を横に振った。

「……ない」

やっぱりか、と

ミナトは思う。

言葉にすると余計に追い込むだけなので、

何も言わず近づこうとした、その時だった。

慌てた拍子に、

クルミの肩に掛かっていたタオルがずれた。

「あっ――!」

反射的に、

ミナトはその端を掴もうと手を伸ばす。だが、勢いが勝った。

バランスを崩した二人は、絡まるようにそのまま床へ――

ごん、という鈍い音。

「いてて……」

床に倒れたクルミの声が更衣室に間抜けに響く。

「うぅ……」

気づくとミナトは露わになったクルミの胸に顔を埋めていた。

「え、あ!ごめん!」

何故かミナトの方が恥ずかしい。クルミは特に気にしていなさそうだけれども。

ミナトにはクルミの柔らかい胸の感触、少し茶色がかった乳首、胸のサイズからするとやや大きい乳輪が目に焼き付いてしまった。

「ご、ごめん! 大丈夫!?」

ミナトは酷く赤面して慌てて起き上がる。幸い、誰かに見られた様子はない。

更衣室には、今のところ二人きりだった。

「……うん。たぶん」

クルミは仰向けのまま天井を見つめて言った。そして、数秒後。

「……どうしよ」

その一言が、

今度は現実味を持って、ミナトの胸に落ちてきた。チャイムまであと数分。

プールはすぐそこ。

ミナトは立ち上がり腕を組んで考える。

(これ……先生に言う?それとも……)

 

 

……

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