「おはようございます!」
「ああ、おはよう」
「会長おはようございます!」
「ああ、おはよう。気をつけて」
日本ウマ娘トレーニングセンター学園。その校門前。
本校の生徒会を預かるシンボリルドルフは今日も変わらず朝の当番に出ていた。
気だるげにしているあのウマ娘も、多少制服を着崩したこのウマ娘も、生徒会長シンボリルドルフの姿を見るやいなやその佇まいを直し、最敬礼で校舎へ入っていく。
そういった《はみ出しがち》なウマ娘らにも、シンボリルドルフは分け隔てなく慈悲の視線を向けあくまで静かに挨拶を交わしていた。
後方でエアグルーヴの金切り声が聴こえてくる。シンボリルドルフはこういった《規律や規範》には比較的柔軟かつ融通の利くタイプで、滅多に注意をかけることは無い。
だが、エアグルーヴにとってはそれらがより浮いて見えるらしい。スカートが規定より7ミリ短いのを目ざとく捕まえたこともあるとかないとか。
また、同じ副会長のナリタブライアンはこのような場に現れた試しがない。
それもエアグルーヴをよりイラつかせる要因のようだ。
「今朝もご苦労だった、エアグルーヴ」
あらかた見送りが終り、シンボリルドルフらも学生の本分たる勉学とトレーニングに戻ることにした。
その頃になりようやく校門に姿を現したナリタブライアン。エアグルーヴの姿を認めると電柱の影に素早く隠れた。それをシンボリルドルフは見逃さなかった。
「ん?会長、どうかなされましたか?」
不意に門を睨む我が君が気になるか、エアグルーヴも倣おうとするも、
「―いや、何もない。さあ、早く行こう」
シンボリルドルフはエアグルーヴを急かし、後ろ手にナリタブライアンへサムズアップをしてみせた。
「助かる、会長…!」
エアグルーヴの注意が逸れた隙に、ナリタブライアンは裏口へ滑り込んだ。
■□■□■
「ルドルフ!ラップがコンマ3速いぞ!」
勉学のあとはトレーニングが彼女たちを待っている。皆一様にして憧れのG1レースへ向けてしのぎを削る。
ここには生徒会長も中等部1年のヒヨコも関係なかった。
互いが互いに闘志を燃やし、己を磨いていく。アスリートのあるべき姿が見事に顕現し、健全な運営と管理によりそれは保たれているのだ。
《時間を正確に速度に合わせる訓練》
を終えたシンボリルドルフは流石に疲労したか、芝に座り込んで水をあおっていた。
「会長さん!ちょっと相手してもらえませんか!」
ひとりのウマ娘が勇敢にもシンボリルドルフのもとへ歩み寄ってきた。
「2000の相手がいなくて…」
そのウマ娘は困ったようにアタマを掻く。相手が居ないとはどういうことか、少しだけ気になったが、シンボリルドルフは即決した。
「いいだろう。不肖シンボリルドルフ、君と一緒に2000メートルを走らせてもらう」
スペシャルウィークと名乗るそのウマ娘は、つい先日転入してきたばかりらしい。トレーナー達へのお披露目すらまだで、走りたくてグラウンドに出てはみたものの、相手を見つけるのに苦労していたそうだ。
急遽行われた並走トレーニング。本格化も終え完成形に近いシンボリルドルフが、実際の着差以上にその能力の差を見せつける結果となった。
しかし、トレーニングで疲弊していたというハンデを考慮しても、2バ身からは離されなかったスペシャルウィークの走りも評価され、並走が終わるや否やトレーナーの間でもみくちゃにされていた。
■□■□■
そうしてすべての日程を終え、寮の自室の扉を開く。
今日に限っては、朝の当番からトレーニングを終えるまで、シンボリルドルフはこの瞬間を何より心待ちにしていたのだ。
柄にもなく尻尾を振りながらキッチンの―、棚を開き、茶色い壺らしきを取り出す。どすん、と重い音をたて、中身が詰まっているらしいことを教えてくれた。
「さて…」
他には絶対に見せられない、ニヤついた表情で壺の蓋を開ける。
おもむろに手を突っ込み、ぐちゃぐちゃと適当にかき回した後、緑色の棒状の物体を取り出した。黄色い何かも付着している。
それをシンボリルドルフは目を輝かせて見つめていた。
「おお…!これが、これが…!」
自分で作るのは初めての、
ぬか漬けであった。
てずからタマモクロスに習い、ぬか床から育ててきて苦節3ヶ月。遂に出来上がったそれを最初に使ったのがこのキュウリだった。
キュウリは比較的短い時間で出来上がる。しかしことシンボリルドルフにとってその2日間は一日千秋。
生まれたての我が子を成人させるに等しいほどの時を過ごしたと錯覚するほどであった。
流水で洗い上げる。この水の冷たさですら、このキュウリの旨味にひと役買っていると思えてしまう。
苦味の残るとされるヘタを落とし、そのままかぶりついた。とてもエアグルーヴには見せられないその姿。
しかしそういう僅かな羞恥は、齧られたキュウリの《ボリン》という音とともに掻き消えてしまった。
「…話はようわかった。このキュウリも、初めてにしては上等や。…しかしオドレ、門限越えて栗東に来おって…!あとでフジキセキに怒られてもウチは知らんで?」
それはもうウキウキで門限を破り(忘れ)、シンボリルドルフは栗東にあるタマモクロスたちの部屋を訪れていた。
「欣喜雀躍(きんきじゃくやく)。私はとても嬉しくてね。一刻も早く君とこのキュウリを共有したかった」
自身も両手にキュウリを握りしめて赴くままに齧り付いている。塩味と酸味、ほんの少しの苦味が、幾らでも食を進めさせた。
「エアグルーヴも居るからな、警戒は必要だ」
タマモクロスと同じ部屋で生活しているオグリキャップも、キュウリを口いっぱいに頬張り、バリンボリンと心地よい音を立てている。
「大丈夫だ。私は生徒会長だからな」
「オドレ…」
■□■□■
翌朝。明らかに、本当にひと目でわかる程にシンボリルドルフの機嫌は良かった。
「会長、おはようございま…ッ?!」
朝の当番に出る前、生徒会室で遭遇したエアグルーヴが狼狽えてしまう程に、今日の彼女は絶好調であった。
「―と、ところで会長。昨日の夜半、栗東に不審者が現れたそうです。犯人や正体は掴めていません」
「そうか。目的によっては再び現れる可能性もあるだろう。寮長―、いや、警備員さんたちへの通達を宜しく頼む」