栗東寮がエアグルーヴの怒声に揺れて10数分。何事かと部屋の扉から顔を覗かせるウマ娘たちは、一様にタマモクロスとオグリキャップの居する方へ向いていた。
「せやから何度も言うとるやろうが!コイツはアイエイチや!見てみい!火ぃなんて出えへんやろうが!アンタのいう《火器の所持および使用の禁止》には触れとらんで!」
もう何度目かわからぬ同じやりとりである。
「だから何度も言っているだろう!《物体を燃やす作用のある機械または器具》は本規に限り《広義に火器と解釈する》とある。タマモクロスさんの持つIHコンロはモノを燃焼させる作用があるとし、本規における火器と解釈できる!よって寮内での所持、使用は認められん!」
「こんな薄っぺらいヒーターにそんな大仰なこと抜かすなや!」
「1400Wの機器のどこが《こんな》だ貴様!今すぐ電源を切れ!」
タマモクロスの反論は少し苦しい。なぜならエアグルーヴの言うことは全て規則に基づいた事実であり、たとえ薄っぺらいヒーターといえど火災のリスクは考えうるものではあった。
まして1400Wの、家庭用にしては少々強めのもの。タマモクロスも《わかって》それを所持し使っていた為、真正面から《正しい》とは言いにくいのだ。
「せやかて…せやかてエアグルーヴ!見てみい!この粉!粉!粉!どうせいっちゅうねん!それがないと処分のしようが無いんや!」
「ええいやかましい!そもそも寮内での調理はレンジで温める、お湯を注ぐなどの簡単なものを除き禁じられている!今のこの現状は明らかに規則に違反している!」
エアグルーヴはタマモクロスらよりひと学年下であるため、一般的な話をすれば彼女はタマモクロスに対しそれなりの態度をとるべきであり、エアグルーヴ自身も平時の際はそうしている。
だがいち度アタマに血が昇ると、誰かに冷水をかけられるか、時間をかけてゆっくりと冷却されない限りは、こうした半ばヒステリックになり敬語も蒸発してしまう。―シンボリルドルフにだけは、ギリギリの理性で敬意とリスペクトを忘れることは無いが。
「なア、副会長サンよ」
野菜を刻みながら成り行きを観察していたシリウスシンボリ。エアグルーヴが更に畳み掛けてキレてきた頃だ。
「もう日も落ちる。寮のウマ娘らはみんな授業やらトレーニングやらで疲れてる。そんなときに、アンタの金切り声を10数分も聴かせてみろ。
―真面目なアンタのことだ。もし自分が今こうして遠くから見てる連中の中に居たら、ブチ切れて現場に突入してるだろうな。そうだろ?
―つまりはそういうことだよ副会長サンよ。私たちみんな、そろそろ限界なんだよ」
ぐ…っ!とエアグルーヴが声を飲み込む。シリウスシンボリの言うことが事実であるという点と、それが本当にエアグルーヴのトサカにキたという事実。
ふたつの事実の間で激しく争うふたりのエアグルーヴ。声を飲み込み、長く激しい争いの末、拳をあげたのは前者であった。
「そ、それは…!すまない。私もアタマに血が昇るとダメなんだ」
耳を畳み謝罪する。一連を苦虫を潰した顔で傍観していたスペシャルウィークやオグリキャップの表情にも、生気が戻ってきた。
「まァええわ。これまでのアンタとの付き合いに免じて忘れたるわ。ほんで―、ホンマは、何しに来たんや?」
《わからせる》筈が《わからせられた》エアグルーヴ。この場でこの調理行為を罰する立場も失ってしまった。
「あ?―あ、ああ、それなんですがタマモクロスさん。ひとつお伺いしたいことがありまして」
ほお、と相槌を打ちながらも生地を焼く手を止めない。じゅうううううううう、と満足気に音を立てるフライパンを恨めしく見つめるが、今は何もできない。
「あの…、タマモクロスさんはあの方、シンボリルドルフさんと個人的な繋がりがあったりするのですか…?」
再び時が止まる。
ぱちくり
4人の不良ウマ娘らは瞬時にアイコンタクトをかわし、差し当たりエアグルーヴを排除するとした。
「個人的っつーか、ただの友人としてツルむ機会はぎょうさんあるなあ」
とぼけて答える。
「それはいつからですか?」
今回のエアグルーヴはやたら踏み込んでくる。
「せやなあ、去年の夏、か、やったかなあ。ルドルフがあんまり美味そうに漬けモンを食うとるから、気になってな」
「そうでしたか。…いえ、実は、あなたの建てた例の海の家。こっちに戻ってきたあとかなり調べましたが、それが許可されるような文献や紙、メールなど一切ありませんでした。書面上では、あの建物に関して生徒会は何一つ関与していないのです。
それを会長は、あの人は《通っている》と言われた。そろそろ私は、会長とタマモクロスさんが裏で繋がっている可能性を考えざるを得なくなっています」
そない物騒に考えんなや、とタマモクロスは笑った。
「別に裏から学園を牛耳ろうとか、ルドルフの立場やチカラを悪用しようとか、そういうんとちゃうんや。こないだの海の家も口約束や。ルドルフが作らん限りは書類にも残らん。ただ友人のツテを利用して《生徒会に依頼した》というカタチがあるだけや」
さっき《ルドルフのチカラを悪用するつもりはない》と言い切ったクチから《友人のツテで生徒会に頼んだ》と言い出した。
その友人が《生徒会長》そのものであり決裁権を持つ人物でなければ、そういう話もあるか、で終わったかもしれない。
しかし、何を訊いてもタマモクロスは核心を言うことは無さそうで、エアグルーヴは諦めることにした。
「わかりました。お話が聴けてよかったです。―今日のところは《ソレ》も目を瞑ります。ただ次見たら…、ありませんからね?」
「そうか。ありがとさん。コレ持って帰りいや」
タマモクロスは完成したお好み焼き風の何かをエアグルーヴに投げて寄越す。何とも種別の断定のつけがたいそれを見てエアグルーヴは困った顔をした。
「なあエアグルーヴ、アンタ、ルドルフに何を見とるんや?」
部屋から出ようとするエアグルーヴ。タマモクロスは彼女を少しだけ刺すことにした。
質問の意味を噛み砕きかねたようで、開きかけた扉を握ったままエアグルーヴは固まった。
「アンタは、ルドルフの《シンボリルドルフ》しか見えとらんのとちゃうか?」
「な、なにを当然のことを。会長が会長でありシンボリルドルフである以外に何があるというのです」
聴いたシリウスシンボリは首をすくめて笑った。
「そうか。副会長サンよ。アンタがそのままでいる限り、私たちと同じ土俵で話はできねえよ」
シンボリルドルフに対する理解が足りない。
まるでそう言われたような気がして、今度こそエアグルーヴは怒髪天を衝いた。
かああっと顔が紅潮し、ショートウルフの髪は感情を持ったかのように膨れる。
そして瞳孔はぎゅっと絞られた。
「貴様っ…!さっきはなんとか抑えたが、今度という今度は!」
怒り狂い掴みかかろうとするエアグルーヴを、オグリキャップとスペシャルウィークがどうにか抑える。両手を抑えられ、膝をつかされてなお暴れるエアグルーヴの眼は、相当に攻撃的な意思をしていた。
「私がどれだけあの方の側にいたと思っているんだ!貴様らのように今年になってツルみだした連中に会長のことをとやかく言う言謂れは無い!」
いいや、シリウスの言う通りや、とタマモクロスは断じた。
「アンタはルドルフの完璧な面しか見えとらん。そしてそれが当然であるとも思うとる。それが変わらん限り、ここで幾ら話合うても平行線を辿るばかりや。
アンタがそこまで踏み込めるかは、どちらかというとルドルフ自身が決めることやけどな。
わかったら今日は帰れ。―同じ寮やからそない遠おはあらへんねど…」
■□■□■
夜。星の見下ろす芝は気持ちよさげに風に流されている。
…故に門限外であるが、エアグルーヴは寮の脇にあるプランタの側に座り込んで動けずにいた。見るにタマモクロスの部屋の電気は点いている。明らかにその部屋の住人ではない誰かの声もするが、エアグルーヴにはそれを詰める気力も無かった。
彼女たちはシンボリルドルフの友人。
私はシンボリルドルフの配下。
どちらが《存在として近くにあるか》は明白だ。
エアグルーヴが、ただのいち度もシンボリルドルフから私的な相談を受けただろうか。
ただのいち度も、なんでもない雑談に花を咲かせ、仕事の手が止まるほど話し込んだことがあっただろうか。
シンボリルドルフの配下としてもっとも近い距離にありながら、友人という立場ではもっとも遠いところにある。
エアグルーヴにとって、シンボリルドルフとは何か。
シンボリルドルフにとって、エアグルーヴとは何か。
エアグルーヴはシンボリルドルフにとってどうなりたいのか。
よくわからなかった。
そうした堂々巡りにほと疲れ、とうとう抱えた膝と腕に顔を埋めて、丸まってしまった。
いくらか経ったろうか。りー、りー、という秋虫の鳴く音が多くなり、幾分か涼しくもなったように感じる。
タマモクロスの部屋からは未だに物音と話し声が聴こえる。そして先に貰ったあれの、香ばしい匂い。反射的にいくばくかの空腹感を覚え、夕食をとっていなかったことを思い出した。
いまから食堂へ戻っても何も無いだろう。そもそも動く気にもなれない。
9月といえど夜も暑い。ウマ娘の体温の高さから考えても凍えることは無い。もういっそこのまま眠ってやろうかと自棄になったとき―、
「もしかして、エアグルーヴか?」
今このときまでずっと考えていた、けれど最も聴きたくない声が自身を呼ぶ。
重い頭を上げると、今最も会いたくない人物が、やけにラフな出で立ちで立ち尽くしていた。