「えーそれでは。スペ公の菊花賞2着を記念しまして残念会を敢行いたします」
栗東のタマモクロスらの部屋。例によって土鍋を前にし、シリウスシンボリは高らかに宣言した。
微妙な笑みを浮かべているシンボリルドルフ。
ため息を吐いて鍋を搔き回すタマモクロス。
食えれば何でもいいオグリキャップ。
そして主賓のスペシャルウィークもまた、喜んで良いものか悲しんで良いのかわからず、複雑な表情である。
「あ、ありがとうございます…?」
なんとも微妙な愛想笑いであった。
「なに微妙なツラしてんだてめエら。今日はこのシリウスシンボリ手ずから用意してきたキノコ鍋だ。なんと国産マツタケ入りだぞ。有り難く食せ」
「包丁入れて、火ぃ通しとんのはウチやけどな」
タマモクロスの突っ込みというか皮肉を「まあいいじゃねえか」と流し、シリウスシンボリは箸でキノコ類をよそう。それをスペシャルウィークの目の前に置いた。
「食って忘れろ。それが一番だ」
各々微妙なカオで鍋の具材を手元へ寄せる。ただひとりオグリキャップにとってだけは、今か今かと待ちわびたキノコの時間であった。
「これは美味しいな!甘みと旨味が素晴らしい!」
大絶賛である。
残念会というものは励ます会でもある。
しかし無敗のクラシック3冠ウマ娘や大舞台で勝ち続けているタマモクロス、そもそもクラシックを知らぬオグリキャップには、かけてやる言葉も無い。
しばらくの間、カチャカチャと食器のたてる音だけが部屋にむなしく響いていた。
それを見かねたか、生徒会長たる気質か、沈黙を破ったのはシンボリルドルフだった。
「すまないな。まさか翌日にやらなくてもいいとは思うが、シリウスなりに君を励ましたかったんだろう」
スペシャルウィークに耳打ちする素振りだったが、ウマ娘という種族は聴覚に長けている。それ故シリウスシンボリにもそっくりはっきり聴かれていたのだ。
「かァー、6冠のウマ娘は言う事が違いますねエ皇帝様!」
皮肉にシンボリルドルフはむっとした顔で反論する。
「何を言うか。私だって敗けたことくらいあるぞ」
「敗けたことある事が自慢になるウマ娘なんてアンタくらいやで」
「はは、そ、そうですね…」
数多の勝利より敗北を語りたくなる。シンボリルドルフはファンからそう言われることがある。会話の次元がひとつ違う。スペシャルウィークは困惑の笑みで場を流さざるを得なかった。
「なあスペ。アンタ次はどないするん?」
「ジャパンカップに出ます。東京の芝左2400は獲ってますし。私も得意に思えるんです」
いい心がけだ、とオグリキャップは食うのを止めてスペシャルウィークに向き直った。
「次のレースに焦点を合わせると、今の敗北を引き摺っている暇なんて無くなってしまうからな。私の好きなやり方だ」
「脳筋すぎるでそれは」と冷静に突っ込まれる。《どちらがより速いか》により序列が決まるに等しい種族。やはり語る言葉はフィジカルに寄る。
「ジャパンカップか。確かエアグルーヴも走ると言っていたな」
エアグルーヴ。今年は何かと(主に彼女たちのせいで)散々な目に遭うことが多いが、レースにはキッチリ調整を間に合わせている。今のスペシャルウィークにとって―、成長期のウマ娘にとって1年の差はあまりにも大きいだろう。
「ええ。胸を借りるつもりで。私も、同級生のエルコンドルパサーも。…もちろん、やるからには勝つ気持ちはわすれませんけど」
淡々と語るスペシャルウィークの目には確かな闘志が宿っている。
セイウンスカイに3バ身差の2着。時計にしてコンマ数秒の違いでしかないが、時間あたりの距離を考えると結構な差が見えてくる。
クラシック戦線は走る者全てが同期。それにそれほどまで突き放されればショックも大きいだろう。
だがシンボリルドルフから見た彼女は、ジャパンカップの意気を口にし、立ち直っているように思えた。
■□■□■
土鍋をつつく音に、少しずつ本体に箸が当たる音が混じりだした。出汁のかさは減り、具材は細々しいものを除いてあらかた彼女たちの腹の中である。
「なあシリウス。君の言うにはマツタケ入りだったそうだが。今のところひとつも見当たらないぞ」
取り箸で鍋を搔き回すオグリキャップ。心なしか眉間にシワを認めることができる。
「そう何本も使えるか。高級食材ってのはな、ここぞ、というときに使うもんだ」
シリウスシンボリが台所へ消える。冷蔵庫を開け閉めする音がして、何かを抱えてやってきた。
「それが今だ」
米、米、コメ。いちど炊かれた後に冷やされた、そういうものたちだ。
「ソレ炊いたんも、冷やしたんも、ぜーんぶ、ウチやけどな」
タマモクロスの侮蔑も何処吹く風。ついでシリウスシンボリは葉に包まれた何かを大仰に捧げてみせた。
「これが!国産松茸である!なんと500グラムだ!」
終始微妙な面持ちで鍋を突いていたスペシャルウィークも、松茸様を前にしては目を輝かせずには居られない。
まして500グラム。500グラムだ。彼女は生まれてこの方、そんなものを目にした事がなかった。
「ではタマモクロス。後を頼む」
「結局ウチかい!」
延々と悪態をつきながらタマモクロスは松茸を預り台所へ姿をくらます。入れ替わったシリウスシンボリは土鍋の汁に水を足した。
「ちょっと汁が少ねエか。まあ―、なんとかなるだろ」
トントントン、と小気味よい包丁の音。それでも悪態の方が強い。まるで呪詛か何かのようにブツブツブツブツ、聞き取れるようで聞き取れない絶妙な声量でタマモクロスは何某を呟いていた。
時間を持て余す3人のウマ娘。芝の上で生きてきた彼女たちの話すことと言えば走りに関するものが殆ど。そして今回も例外なく、次走の話になる。
スペシャルウィークではなく、シンボリルドルフたちの。
「10月も終わる…。もう2か月を切ったな」
「ああ、そうだな」
「私たちの―、有マ記念だ」
「スペ公は走らねエのか?」
はい、とスペシャルウィークは肯定した。
「スケジュールが過密になりますから。トレーナーさんと話し合って、来年以降に持ち越すことにしました」
そうか、とシンボリルドルフは淡々と聴き入れる。実質これが彼女たちが全員同じターフに立てる最後の可能性ではあった。僅かな寂しさが、彼女の耳をほんの少し垂れさせてしまう。
「私も。皇帝サマも、オグリキャップも。そしてタマモクロスも、同じレースを走る。これが最後だ。走り終えた後は―、卒業だな」
何処から持ってきたか、タマゴを数個割って掻き回しながらシリウスシンボリはごちた。
「私たちがこうしてンのも、あと少しってわけだ」
しんみり、皆下を向いてしまったところに、香ばしい秋の香りが彼女らの隙間を吹き抜けていく。
何事かと顔を上げるオグリキャップ。タマモクロスが薄皿を持って仁王立ちしていた。
「量が多すぎるわ。これでも食って、もうちょい待っとき」
松茸のスライス。それをただ炙っただけ。
なのにどうして、こんなにも食欲を誘う香りがするのだろうか。まるで本能に優しく語りかけてくるような、そんな柔らかい香りが部屋を包む。
ひと口かじるだけで、秋の空と太陽の香り、そして落ち葉の擦れる音までもが聴こえてくる。まさに《秋》が口の中に繰り広げられた。
「ダシも多分取れるやろ。残りは時間かかるさかい、余ったら鍋に入れとき」
絶妙に焦げの入った松茸。さぞ旨いダシが取れることだろう。シリウスシンボリは数枚のスライスを鍋で煮える汁の中に投入した。
「お米は入れないんですか?」
「まだだ。松茸の味を吸わせたいから、米は最後だ。…だから頼むぜタマモクロス」
うっさいのお、と言いながらもタマモクロスの手は止まらない。
「あ、あの、手伝いましょうか」
立ち上がるスペシャルウィークを素早く制した。
「アンタは主賓や。黙って座っとき。その言葉はシリウスから聞きたかったわ。のおシリウス!」
言われたシリウスシンボリは舌打ちをして重い腰をあげた。
「ちっ…、わあったよ。包丁とまな板貸せ」
戦力2倍、スピードも勿論2倍である。
調理班がふたりになり、松茸たちはみるみるうちにその姿を小さくされてしまった。
大小様々にカットされた松茸を、鍋に投入。500グラムもあるそれらは軽く山を作った。
「たかが雑炊に手間かけすぎやでホンマに」
「高エ食材には敬意を示さねえとな。そうだろ皇帝サマ」
「私の作ったぬか漬けにも敬意を示して欲しいがね」
「るせえ」
スペシャルウィークとオグリキャップがまるで夢の国に入る直前の子供のように目を輝かせている。充分に煮詰められ、柔らかくなった松茸たちと、部屋中に充満する秋の香り。
何をしても旨い。根拠のない確信が4人を支配した。
機を見たシリウスシンボリは満を持して米を投入。鍋のスレスレまで増した雑炊をひたすら掻き回し、米にダシを吸わせ始めた。
「敗け続けてきた私が言えたことじゃねえがスペ公。敗けることに慣れちゃあいけねえ。いつだって、1本1本、今を勝ち切る気持ちを忘れんなよ。諦めるってことはな、アンタを応援してくれてる奴らや、トレーナー、そしてなによりアンタ自身に対する裏切りだからな。プレッシャーかけるようだけどよ、アンタの背負ってるモン、もっかい考えてみな」
少しの間、その言葉を噛み砕いていたスペシャルウィーク。おもむろに、先ほどまでシリウスシンボリが掻き混ぜていたタマゴの入った器をわっしと掴むと、中身を鍋へ流し入れてしまった。
呆気にとられて手が止まるシリウスシンボリ。
「みなさんの期待を背負うなんて。とんでもないプレッシャーですよね」
スペシャルウィークの目は勝負師の輝きを取り戻していた。
「せや。ウチらの期待は他のナンボのウマ娘よりよほど重いで!覚悟しいや!」
いい感じにタマゴへ火が入ったところで、タマモクロスによるトドメの緑が撒かれる。これを以て《松茸雑炊》は炊き上がった。
焼き松茸が鮮烈な秋の鮮やかなコントラストとするならば、この雑炊は温かな落ち葉の中にいるような、じんわりとした安心感。その一方で濃厚なキノコたちの風味が、沈むにつれその色を濃くしていく夕陽のように、食したものの印象に強く刻まれる。
この味を忘れることはそうそう無いだろう。そしてこれを忘れぬ限りは、彼女たちの絆は続いていく。鍋をカラにし、多幸感に包まれて床に倒れ伏す一同。
「…明日も頑張ろ」
そうスペシャルウィークが言ったらしい言葉から先の記憶は、翌朝目覚めるまで途切れていた。