シンボリルドルフとメシのありかた   作:橋本みちか

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カニ鍋の宣戦布告

11月の末に行われたジャパンカップ。スペシャルウィークやエアグルーヴの出走するレースであったが、蓋を開けてみればエルコンドルパサーの圧勝。2着のエアグルーヴですら2バ身に置き去りにする強さ。

芝2400左ということで一番人気となっていたスペシャルウィーク。3着という結果に甘んじ、苦汁を舐める結果となった。

 

エルコンドルパサーはこれを以て海外、具体的には凱旋門賞を目指し日本を離れることを表明。特にスペシャルウィークら同世代の強者たちにとっては名誉を挽回するチャンスを失うカタチになってしまった。

 

それから3週間。

 

シンボリルドルフを始め有マ記念に焦点を合わせているウマ娘たちはいよいよ追い込みに入っている。スペシャルウィークの陣営も次走を既に定め、トレーナーと連携を密に身体を磨いている。

各々がすべきことを全うし、《同じ芝を踏む者》という気まずさもあり、なんとなく自然に、土鍋を囲む機会は遠ざかっていた。

 

「スペちゃん、最近はずっと部屋に居るのね」

 

トレーニング後の夜。スペシャルウィークと部屋を共にしているサイレンススズカは、早い段階でこの異変を察していた。

こうして言葉にするのは3週間が経って初めてのことである。

 

「はい。有マまで時間がありませんから。それに、同じレースを走るヒトたちばかりでしたし。気まずいんじゃないですかね」

 

そうね、とサイレンススズカは微笑んだ。

 

「最近は食事も食堂で摂るようになったでしょう?健康的でいいと思うわよ」

 

「私はあの濃っゆい塩味が恋しくてたまらないんです」

 

もう寝ようかと伸びをするスペシャルウィーク。ジャージに着替えてランニングシューズを持ち出すサイレンススズカとは対照的だ。

 

「程々にしてくださいね。私まで怒られたくありませんから」

 

門限を破り、あまつさえ無断で外出しようとするルームメイトにスペシャルウィークは苦笑した。

 

「あら。スペちゃんが隣の部屋で何をしているか。なりふり構わず言いふらしたっていいのよ?」

 

「いってらっしゃいませ…」

 

音もなく戸を閉めて去っていくサイレンススズカ。耳を戸にぴったり添わせ、その足音が無くなったのを確認すると、スペシャルウィークは大きくため息を吐いた。

 

「とんでもない弱みを握られたなあ…」

 

なんとも言えない表情でベッドに飛び込む。今日はもう寝るだけ。…にしては少しだけ早い。眠くなるまではスマートフォンで動画を漁るなどすることにした。

 

アプリを開いてまず飛び込んできたのはエルコンドルパサーの顔だった。本人の動画チャンネルを視聴登録しているのと、ジャパンカップを勝ち海外へ渡る旨の動画内容とがマッチして、既に400万ほどの再生が回っている。

 

これを見るとあのときを思い出す。数万の祝福のコメント。その数だけ敗北を刻みつけられる。スペシャルウィークは複雑な心境でそれをスワイプし除外した。

 

意識してウマ娘とは関係のない、ヒトたちの作るお笑いの動画を選り好んで見ていると、トークアプリから通知が届いた。

 

彼女は賢くはないが生き方は巧い。この通知にメッセージの内容が表示されるように設定をいじり、相手に既読を悟られないようにするという狡さを、処世術として使っている。

 

いつもは気の向いたタイミングで既読サインを付するから、ここではただ通知を消去するだけ。だが今回のそれは例のグループから送られてきたものであり、さしもの彼女も既読を付さざるを得なかった。

 

《明日夜、いつもの部屋で》

 

 

 

■□■□■

 

 

 

12月24日。世間様はクリスマスのイルミネーションに浮かれ、何某を確かめ合う日としてもはや恒例である。

ことウマ娘の世界においてもそれは変わらず、トレーナーにアプローチをかける生徒も非常に多い。

 

そんな浮かれきった俗世と同じ線の上に居ながら、有マ記念を3日後に控えた連中は、トナカイの駆ける星空の下で最後の調整に全霊を懸けていた。

 

「…………」

 

そしてその世界とすら更に隔絶された栗東寮202号室。タマモクロスとオグリキャップが寝食を共にする部屋である。

 

スペシャルウィークにとっては隣の部屋。場合によっては生活音すら壁越しに聴こえてくることもある。知らない仲ではない。扉を叩けばすぐにでも出迎えてくれそうな気はするのだが、ここ数週の雰囲気を見るにそれは憚られた。

 

約束の時間まであと僅かだ。部屋越しに聴いた、扉の開く数からしてもう全員揃っている。

 

修羅の中にたった一騎で突っ込んでいく、そんな気分だ。名のある武将ですらそんな愚行はしないだろう。

スペシャルウィークは大―きく深呼吸をして、その扉を開いた。

 

「お、来たか」

 

扉に近い台所に居たタマモクロスがまずそれに気づいた。

やはりシンボリルドルフとシリウスシンボリも同席している。

 

「やっと食べれるな」

 

オグリキャップは相変わらずであった。

 

なんだ、心配して損した。

 

スペシャルウィークは思った。

 

目の前の4人は、3日後の有マ記念をラストランとしている。皆高等部の第3学年。春には学園を去ることが確定しているのだ。

故にピリピリした雰囲気に包まれているものと思っていたが―、杞憂だったのかもしれない。

 

卓上の土鍋は既にふつふつと煮立っている。ほのかに海鮮の香りがした。

 

「今日はスペの母ちゃんがくれたタラバや!この集まりも今年は終いや、たんと食えや」

 

一体いつの間に仲良くなったのか。少なくともスペシャルウィーク本人にはそのような話はなかった。

 

「く、クリスマスですよ、ケーキとか、そういうのは考えなかったんですか…?」

 

「私たちは3日後にはレースだからな。余計な糖分は極力避けたいんだ」

 

シンボリルドルフによる至極真っ当な答えに、スペシャルウィークは現実に引き戻され、このヒトたちが引退を控えた先達であることを再び認識した。

 

「いつまで突っ立ってんだスペ公。アンタが座らねえと誰も箸取れねえだろ」

 

いよいよ待ちかねたであろうシリウスシンボリの手招き。吸い寄せられるように、スペシャルウィークはその隣に収められた。

 

「えーそれでは」

 

万事万端を確認したシンボリルドルフの音頭により、今年最後の土鍋の会が始まった。

 

 

 

■□■□■

 

 

 

鍋のカニは大層美味かった。

 

会話も弾んだ。

 

大いに笑った。

 

楽しかった。楽しい。

 

だのに、―だのに、鍋の中身が減れば減るほど、この胸に沸き上がる深い悲しみと喪失感。スペシャルウィークはその感情に名前をつけることができない。

 

タマモクロスは《今年に関してはこれで終わり》と言ったが、来年彼女らは居ないのだ。この鍋を囲うことは、もう永劫無いことだってあり得るのだ。

 

他の4人も同じく、鍋を突けば突く程に、口数は減っていった。

 

無言でカニを咀嚼する。

ひと切れ、またひと切れとその身は各々の胃に収まり、そのかさを減らしていった。

 

ついに最後のひと切れを残し、出汁も野菜も全てなくなってしまった。

 

「…私たちは充分食ったよ」

 

「そうだな」

 

「そらスペ。それ食うて片付けでもしようや」

 

「君の母親から送られてきたものだからな」

 

皆がスペシャルウィークにそのひと切れを進める。

 

だが彼女はそれをどうしても拾い上げることができなかった。

 

「私…!私は…っ!」

 

震える声を必死に抑えて思いの丈を述べたいスペシャルウィーク。だが感情が昂りすぎて言葉にならない。

最後のカニに箸を伸ばしたまま固まってしまった彼女を見て、シンボリルドルフは笑った。

 

「この1年、本当に楽しかった」

 

箸を持つスペシャルウィークの手にそっと掌を重ね、シンボリルドルフは静かに語りかけた。

 

「タマモクロスにぬか漬けを教わったことがすべての始まりだ。…だが、そのときは私と彼女だけの関係だと思っていた」

 

「いつか君が腹を空かせて私の部屋を訪ねて来たな。あのとき私は、実はぬか漬けを渡して帰そうと思っていたんだ。…それがこうして栗東に出向くことになり、道中でシリウスに遭遇し―、今がある」

 

「悩みもした。皇帝や生徒会長という仮面を外し、ただのシンボリルドルフであることを晒すことへの葛藤も確かにあった。だが君たちはそんなくだらないものなど一切気にせず、私というひとりのウマ娘と語り、笑ってくれた」

 

「君たちとの時間は生涯忘れ難い程の幸福に満ち溢れ、私は私で居られた。そのきっかけを作ってくれた君には本当に感謝している」

 

「だから泣くな、スペシャルウィーク」

 

努めて笑顔でいるスペシャルウィーク。しかしその身体は小刻みに震え、紫色の瞳からは大粒の涙が後から後から溢れてくる。

 

「仕方の無え奴だな」

 

今にも決壊しそうなスペシャルウィークの肩を、シリウスシンボリは優しく抱いた。

 

「悪くなかった。それは確かだ。…だからよ、笑っててくれねえかな、なあ、スペ公」

 

なんやビビってんのか、とタマモクロスもやって来た。

 

「ウチらはもう覚悟決めとる。あとはアンタの心の整理の問題や。…まあ、はよ食うてくれんと洗われへんのは困るけどな」

 

オグリキャップも確かに彼女の気持ちを理解していた。

 

「私が往けなかった道を、今の君は進んでいる。君には、私に見れなかった景色を見て欲しい」

 

示し合わせるでもなく、誰からともなく。しかし必然的に、箸を持つスペシャルウィークの手に、全員のそれが重なった。

 

「君は私たちの絆の集合点だ。君が輝いている限り、私たちは君の道標になるだろう。私たちはひと足先に―、その輝きを全うする」

 

だからスペシャルウィーク。私たちを終わらせてくれ。

 

 

 

■□■□■

 

 

空になり、洗われた土鍋は、これ以上ない程に綺麗な面持ちで卓上に置かれていた。5人はそれを無機質に見つめている。

 

「―私は、シンボリルドルフだ」

 

こういうとき、最初に口を開くのは大体シンボリルドルフであり、今回もその例に漏れない。

 

「君はシリウスシンボリで、君はオグリキャップ。そして君はタマモクロスだ」

 

スペシャルウィークは、だんだんと空気が物理的に重みを持ち始めることに気づいたが、それがシンボリルドルフから放たれる《圧》であることには至らなかった。

 

「今日まで私は《シンボリルドルフ》でいられた。だが、今日の…いや、この場の終わりと共に、私は皇帝へ、シリウスは天狼星、オグリキャップは怪物、そしてタマモクロスは雷神を身に宿す」

 

「私たちはこれを以て修羅と化す。だからこれは―、私からの、君たちへの、宣戦布告だ」

 

おもむろにシンボリルドルフは土鍋を抱える。それを上に恭しく掲げると、力任せに床に叩きつけ破壊してしまった。

 

まさかここまで大立ち回りをするとは誰も思わなかった。タマモクロスに至っては目を剥いて仰天する程であった。

明らかに悲壮に溢れた顔のスペシャルウィークに心が僅か痛むが、シンボリルドルフは《皇帝》の仮面を脱ぐことはしなかった。

 

「魂(いのち)から解かれたら、この部屋でまた会おう」

 

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