「えー、では、皆よいかな?」
初夏というには僅かながら早い気のするそんな折、深夜の栗東。例によって場を仕切るシンボリルドルフに、異を唱える者はなかった。
「では、スペシャルウィークくんの日本ダービー勝利を祝して、乾杯!」
うえーい、というなんとも気のないうめき声のようなものをあげ、各々めいめいにグラスをチン、とぶつける。
なお中身は酒ではない。
「んぐ、んぐ、んぐ…、かあーーーーっ!やっぱし炭酸は最高やなあ!」
一気に飲み干したタマモクロスが生き返る。
「にしてもアンタら、とうとう何の違和感もなくウチらの部屋におるようになったな」
春先とは違い、彼女らにも彼女らなりに関係を築いてきた。
故にタマモクロスの言葉も気持ち柔らかくなっている、ような気がする。少なくとも《おどれ》のような怖い言葉が出てくる頻度は下がったように思える。
「そうですね。私なんて部屋が隣ですから。スズカさんが(無断の)ランニングで部屋に居なくてよかったと、ほんとに思ってますよ」
今回の催し、その主賓であるスペシャルウィークも苦笑いしている。
日本ダービー。
およそ多数のウマ娘たちが夢見るクラシックロード。そのひとつであるが、先日スペシャルウィークはそれを獲ってみせた。
先の皐月賞ではセイウンスカイの逃げの前に敗れたが、今回はそれを対策、克服し、前と同じように先頭にいるセイウンスカイを華麗にパスしてのゴール。見るも鮮やかに差し切った。
「はい!私の目標はこのレースでしたから、勝てて本当に良かったと思っています!」
いつものように卓に鎮座している土鍋から大変な量の野菜をよそいつつ、スペシャルウィークは笑う。
「よかったなァ、スペ。《私の》アドバイスが効いたなァ?」
乾杯するなり台所に消えていたシリウスシンボリ。これもまた大変な量の具材を抱えて卓に戻ってきた。煽りつきで。
「待ってくれシリウス。《私の》は無いだろう《私の》は。《私たちの》助力の結晶ということだ、これは」
思わず立ち上がり、公の場では絶対に見せられない表情でシンボリルドルフが反論する。
「あァ?皇帝サマは生徒会の仕事だなんだでグラウンドに降りて来なかったじゃねえか。たまーーーにやって来てはスペと並走して、ひとことふたこと交わすだけだったろ?」
「は、走ることが会話になる場合だってある。それに、私は私で使えるものは存分に使わせて貰ったからな」
シンボリルドルフは忙しい。こうしてシリウスシンボリに論破される程には、スペシャルウィークにかまっている場合ではなかった。
主にナリタブライアンを寄越したりして、間接的ながら彼女の肉体の完成に大きく寄与していた、というのは自他ともに認めるところである。それを差し押して《私の》とはなんとも承服しがたい。
「わかった!よおわかった!アンタらがスペ公が可愛くてしゃあないことはよおわかった!せやから、頼むから!頼むから少し静かにせえへんか!ほれ座れや!はよお!」
小声でタマモクロスがキレる。しかしこの言葉に前ほどのトゲは無いのだ。
「部屋主の言うことは聞くものだぞ、シリウス」
先程までの様子とは打って変わって、規律を盾にシンボリルドルフは持ち直した。
「こうなる原因の大本はオドレなんやけどな?そこんとこ、忘れんといてな?」
タマモクロスの刺してきた棘は効かない、というフリをすることにした。
「私は…」
珍しく食べる手を止めたオグリキャップが、とても申し訳なさそうなカオをしてスペシャルウィークを見つめている。
「私は、クラシックを走ることができなかった。―だから、スペシャルウィークに具体的なアドバイスをしてやることはできなかった。コースの勾配やペース配分や周り方など、私の持っている知識と経験は身体の成熟した後のものしか無い。私は君に対して何も助けてやれなかった…」
本気で凹んでいた。
「そ、そんなことありませんよオグリさん!あの《ゾーン》に入る話なんか、ほんとに、ほんとにとても参考になったんですから!」
勝手に助けに来て勝手に凹んでいる先輩のフォローを、なぜ助けられた本人がしなければならないのか。スペシャルウィークはそこまで考えるほど賢くはなかった。
「走らせてくれって、ちゃあんと訴えとったのになあ?どこぞの誰かさんがなあ?」
重くなりそうな空気を察したのか、タマモクロスは《オグリキャップのクラシックを結果的に潰した人物》へ話の矛先を向けることにした。
「それは―、それはすまないと思っているが!」
シンボリルドルフはグラスのジュースを飲み干し、だん!と卓に叩きつけた。
「金科玉条(きんかぎょくじょう)。守らねばならぬ規則と公平、そして平等に与えられる機会というものがあるのだ」
まるで酔って過去を悔いるような仕草。わざわざ特定の誰かを不幸に陥れるような真似は誰だってしたくない。だからといって定められたルールを踏み越えてしまっては、今度は不特定の誰かたちが不幸になってしまうだろう。
決めるべくして決めたことではあるが、シンボリルドルフにとっては未だに遺恨の残る出来事のようだった。
「でもそれでよォ!」
シリウスシンボリがスペシャルウィークを捕まえて、ヘッドロックの姿勢からそのアタマを乱暴に撫で回し始めた。
「オグリが戦い、皇帝サマが決めたから、今こうしてスペがクラシックを走れてンだろ?―アンタら個人としては悔しい結果に終わったかもしんねえけどよ、
私達ゃもう、今を走る側じゃなくて先を誰かに託す立場に片アシ突っ込んでんだ。転入してきて日の浅いスペがクラシックを走れた。今はそれでいいだろ」
聴いたふたりはきょとんとしたきりしばし固まってしまった。
「し、シリウス。君はそんなことまで考えるようになったのか。私は嬉しいぞシリウス!」
シンボリルドルフは、スペシャルウィークごとシリウスシンボリに抱き着いた。
「おい!やめろ!この!もうガキじゃねえんだ!」
その影でオグリキャップは《私の道は続いていたんだな》とさめざめと涙を流している。
かたやプロレス、かたや号泣といった混沌。まるで卓上の鍋のようだとタマモクロスは呆れた。
■□■□■
「というわけで、今日のシメはタマゴかけご飯や」
先の混沌が鍋を消費しつつ収まった頃、タマモクロスはほっくほくのご飯を5人ぶん、茶碗によそってやって来た。
「タマゴはコレや。アンタらの好きな食い方あるやろうから、好きにしてくれや」
言って、タマゴを3つ配る。
「ん?君とオグリキャップくんの分はどうするんだ?」
タマモクロス自身やオグリキャップのタマゴが無いことに気付いたシンボリルドルフが、いざとなれば自らのそれを返すつもりで訊いた。
「ん?ああ、ウチらはええねん。別のあるから」
そう言いながらタマモクロスは再び台所へ消え、冷蔵庫を開け閉めするらしき音がする。いそいそと帰ってきた彼女の手には透明なケース。
中にはなみなみ溜まった醤油。そして卵黄らしきオレンジ色の物体が浮遊している。
「あン?なんだそれ」
匂いにつられてシリウスシンボリもそれを見る。
「これは卵黄の醤油漬けや。あんたらもタマゴかけご飯いうたら醤油はハズせんやろ。これはそれを合体させたもんや。醤油の塩で卵黄の水分を奪う。そうすると―、なんやかんやあって、極上の黄身になるんや」
いくつかあるから皆取ったらええ、ということなので、普通のタマゴを配られた3人も、その物体を頂戴した。
「醤油は要らんで。もう充分浸かっとるからな」
ほくほくの飯の中央に鎮座する黄金の卵黄。タマゴかけご飯の美味しいとされるところだけを、さらに濃縮して戴く。
これ以上の贅があるだろうか。
「むっ…!」
「こ、これは…!」
「おいひいでふ!」
水分を奪われねっとりとした卵黄はその味をこれでもかと濃厚にし、小さなそれの更に小さなカケラですら飯の進むこと進むこと。
白身や水分のないぶん、掻き込むというにはいささか固形分が割合占めているが、少なくとも彼女らにとって、この食し方はある種完成形だった。
「シメで満腹になっちまった」
あれから30分ほど。彼女らは無言で白米を食い続けた。ケースにそれなりの数浸けてあった卵黄は既に空。
普通のタマゴも使い果たし、ついには卵黄を浸けていた醤油にすら手を出した。
心地よい満腹感と眠気につつまれ、5人はめいめいに床に転がる。
「明日も頑張りましょうね…」
スペシャルウィークの独り言に誰も応えることなく、皆して眠りに就いた。
シンボリルドルフが自室に戻らずに夜を明かしたのは、これが初めてのことである。