スマートフォンに指を滑らせるタマモクロス。その表情はおおむね真剣そのものであるが、コロコロと趣が代わり見ていて飽くことはない。
五分ほど経過して指はつつつ、と止まり、タマモクロスは画面を凝視した。
「―、コレやな」
言うやいなや、タマモクロスは財布を引っ掴んで寮を飛び出していった。
なお、終業式のホームルームが終わった瞬間から夏期休暇扱いなので門限は遅くなっている。
そしてその後数分。入れ替わりでシンボリルドルフが入ってきた。
「あ、ルドルフさん!こんば…、うわ、どうしたんですかその顔!」
やって来たシンボリルドルフの表情は死んでおり、普段の凛とした雰囲気は微塵も無い。焦点の合わない虚ろな目、おぼつかない足取り。
しかし肌艶は良く、ジャージはワンサイズほど小さくしたのかと思うほど張り詰めていた。
「よオ、なんだそれは!パッツパツじゃねえか!なァ皇帝サマ…よぉ…、おう…」
およそ生まれて初めて見る仇敵の失態。すかさずシリウスシンボリが煽りにかかったが、それでもシンボリルドルフの表情は変わらず―、シリウスシンボリを意識することすら無い。
彼女の煽りは尻すぼみに虚空へ消えていった。
「あぁ…、タマモクロス…。タマモクロス…」
そしてうわ言のように、先ほど出ていったタマモクロスを求める。手はまるでそこに無いものを掴みたいがためにフラフラと動き、光の無い目はタマモクロスを捉えようと動いている。
いよいよ見ていられなくなったオグリキャップが立ち上がり彼女を抱きとめた。
「大変だったな、ルドルフ。タマは今外出中だ。―よかったら、何があったか話をしてくれないか」
シンボリルドルフは卓に正座し、ぽつぽつと語りだした。
「生徒会室で君たちと色々あった後…、私はトレーナーのもとへ向かったんだ。どうにも…どうにもこの事実の確認がしたくてな」
「ああ」
もはや結論などわかりきっている。それでもオグリキャップは、まるで初めて聴く話かのようにシンボリルドルフに先を促す。
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やや重い―心情的にも物理的にも―足取りでやってきたチームルーム。チームとはいうものの、シンボリルドルフとそのトレーナーの契約関係は専属、そして単独担当のウマ娘である。
「トレーナーくん、入るぞ」
2度ノックをし、礼儀正しく部屋へ入る。どんなに焦りを覚えていても、身体が覚えている所作というものは消えてはしまわないものだ。
彼女のトレーナーは自分の仕事に集中していた。
ダークグレーのスーツに、担当の勝負服を思わずグリーンのネクタイ。そして金色に赤をあしらうネクタイピン。
全体的に細身の印象だが、「シンボリルドルフのトレーナー」であることに対し誰よりこだわり、そして他人すべてを納得させてきた優秀かつ熱のある人物だ。
「ルドルフか。お前、終業式の途中で逃げたんだって?生徒会長がやんちゃすんなよ」
特に責めるでもなく、トレーナーは言った。
「ああ。…それで、その事なんだが」
珍しく言い淀むシンボリルドルフに違和感を覚え、トレーナーは作業を中断し彼女に向き合った。
「どうした?何かあったか?」
その…
「わ、私はその、ふ、太って、しまったの…だ、ろうか…」
空気が凍る。時間が止まる。
ヒトにくくれば女性的な身体的特徴を備えているウマ娘。当然その心も女性寄りで、ヒトの誰かに恋をするならば男性にそれを抱くことが普遍的ではある。
それはヒトの男性側も大いに理解がある。理解がある故に、いくら競技生活を共にする担当のウマ娘であったとしても、このようなデリケートな質問は毎回答え辛さを覚えるのだ。
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「それで?トレーナーは何と言ったんだルドルフ」
以降さめざめと涙を流し始めたシンボリルドルフ。彼女から直接結末を聴かぬ限りは何も出来ない。オグリキャップは静かに彼女を抱き寄せて落ち着くのを待ち、スペシャルウィークも色々察したか、台所の掃除に入っていた。
「トレーナーは…、彼は…、うう」
「なんだ」
「大体今年になってからか。課しているトレーニングは、全盛の頃と比べて遥かに緩い。従って燃焼効率は悪くなる。
摂取する量が変わらなければ、そうなることも理解できる。
お前の本番、ラストランまでは時間がある。そのときに頑張ればいいさ―――、そんなことを言った」
そしてシンボリルドルフは卓に突っ伏した。
「こんなこと、もう言われたも同然じゃないか…!」
見たこともないほど狼狽える幼馴染。立ち尽くすシリウスシンボリを含めて、この場をどうにかする明確な回答は、誰も持ち合わせてはいなかった。
「その…、よう、ルドルフ。お前さんは、太ったことがそんなに悲しいのか?トレーナーだって《自然なこと》だって言ってンだろ?それにウマ娘の減量はヒトほど難しくもない。アンタもわかってるはずだ。…そんなに、この世の終わりみたいに悲しむことは、無えんじゃねえか?」
違うんだ…とシンボリルドルフは涙声で続ける。
「私は…、私が自己の管理を怠り、自らの体型が変わりつつあることを判っていた。いながらに、それを見過ごしてきた。まあ大丈夫だろうと、まあわかりやしないだろうと思っていた。
それが、それがどうだ?壇上に立つなり陰口をささやかれ、エアグルーヴには庇われ、トレーナーくんには濁され…!
私は、私は自らの不徳が明るみになったのが恥ずかしくて堪らないのだ…!」
「なに言うとるんやアンタは」
シンボリルドルフの独白終わったタイミングでタマモクロスが部屋に戻ってきた。
乱暴に開けられた扉。《業務用》と書かれたビニル袋をいくつか抱えたタマモクロス。どす、どす、と卓にそれを置いていく。中身は…、大豆や粉ものが7割くらいを占め、あとは減塩タイプのドレッシングや健康志向のオイルなどだった。
「途中からやったけど、話は外で聴いとったで。―ルドルフ、アンタ、思ったより自意識過剰なんやな」
は…?とシンボリルドルフは無機質にタマモクロスを見る。その幼児のような拍子の抜けた表情に、タマモクロスは少しだけ呆れた後話を続けることにした。
「アンタの言うほど、周りは―、少なくとも学園のウマ娘共はアンタ自身のことを気にしとるわけとちゃうで。アンタもウチらも同じウマ娘や。太りもするしズボラだってする。イチイチ気にしとったら身が持たへんで」
ガサガサと袋の中身を手際よく冷蔵庫へ。自然とシリウスシンボリや台所に居たスペシャルウィークもそれに加わる。
「では…!では何故、君たちは、私と同じように食べてきたというのに体型を維持しているのだ?」
そりゃあ、と台所からスペシャルウィークがアタマだけ出して答えた。
「そりゃあ、私たちはその分走ってますから。ダービーの打ち上げの日は本当に大変だったんですからね」
「そういうこっちゃ。アンタは立場上ウチらより走れる時間が限られとる。今年の有マを最後に、と考えとるんはアンタだけとちゃうが、にしてもアンタは仕事のしすぎや。
こないだシリウスも言うとったように、ウチらはもう前線におる段階とちゃう。生徒会の仕事も、そろそろエアグルーヴたちに任せてええんとちゃうか?」
いつの間にか卓は綺麗になり、冷蔵庫には詰まるべきものが収まっていた。
「ほな、やるか」
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「なんですかそれ」
業務用スーパーから買ってきたブツをまな板に出した途端、スペシャルウィークが食いついてきた。
「これか?これは大豆ミートっちゅうやつや。肉の代わりみたいなもんやな」
カップラーメンとかに入っている謎の肉などに使われている原料である。
「こいつは乾燥ミンチタイプや。これを水に戻しとく。その間に―」
取り出したるはニンジンと豆腐。
「なあスペ公。ニンジンを細かく、そらもう細かく刻んどいてくれや。ウチはミートを見とるから」
わかりました!とスペシャルウィークは包丁を取ってニンジンを刻みだした。ざくり、ざくり、という大きな音の後に、とんとんとん、という心地よいリズムで包丁が進んでいく。
「ミートを…、見とる…ミート…なるほど…」
料理の始まり、いくらかそちらに興味を移したシンボリルドルフ。要らんことを考える余裕はできたようだ。
「なあシリウス。アンタ、いつかフランスに行っとったよな。うまいソースのレシピとか知らんか?」
突如話を振られたシリウスシンボリは激しく動揺した。成り行きでこの会に同席してはいるものの、彼女は自炊の術をよく知らない。今までいちどだって、主にタマモクロスの作る食事に関わることはしなかった―できなかった。
「いつの話してんだそれ。覚えてるわけねえし、調べるしかねえだろ、そんなの」
憎まれ口を叩きつつもスマートフォンは美味しいソースの作り方をいくらか表示していた。
「終わりました!」
スペシャルウィークがニンジンを刻み終えた。タマモクロスの要求ピッタリの、ほとんどペースト状になった中にコロコロとした小さなカケラ。
「よしゃ、完璧や!あとは、水に戻った大豆と混ぜて、ツナギにこれや!」
ふたたび冷蔵庫から取り出したりは、豆腐である。それをみたシリウスシンボリは全てを察した。
「ハンバーグか」
「せや!ウマ娘大好き、特大ニンジンハンバーグ、タマモクロススペシャルや!―スペ公、豆腐と今作ったニンジンと大豆を混ぜといてくれ。それはもう念入りにな」
そうして、台所のメインポジションをスペシャルウィークと交代する。ふんふんと鼻を鳴らしながらスペシャルウィークは材料を混ぜ合わせ始めた。
「緩かったらちょっとだけ塩とか振ってもええんとちゃうかな!…さて」
工程的にはもう終わりに近いらしく、タマモクロスは洗面所に手を洗いに行った。
「ルドルフ。ちょいと付き合えや」
部屋の扉を開き、シンボリルドルフを外へ誘った。
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日の沈んでからまだ時間は浅く、西の空はいまだに燃えている。そこから東へ向かうにつれ、青へ、紫へ、そして夜に移ろう。
夏の夜の風は存外涼しくて、タマモクロスはこの短い時間が好きなのだ。
寮と学園の敷地は別れている。といっても道1本を挟んだだけ。部屋を出て10数秒も歩けば学園の正門すら見える位置だ。
「風が気持ちいいな、ルドルフ」
流れる後ろ髪を軽く押さえながらタマモクロスは風を味わっている。
「なあ、ウチらもだいぶ仲ようなった。そうは思わんか?」
タマモクロスの問いに、シンボリルドルフは黙って頷いた。
「ほうか。…でもウチらは―、すくなくともウチはな、まだアンタは薄い壁を張っとるんとちゃうかって、そう思うてんねん」
壁?とシンボリルドルフは首を傾げる。
「ウチがアンタにぬか漬けを教えた春から、アンタは他のヤツらには見せんカオをぎょうさんするようになった。
理由はどうあれスペ公やらシリウスやらを巻き込んで楽しそうにするアンタを見ててな、ウチは、やっと生徒会長シンボリルドルフがその仮面を外せる場所ができたと思うたんや」
ウチは100%被害者やけどな、とニカッと笑う。
「どうや?今になってなお―、こんなくだらん相談をウチらにするほど心許しても、ウチらはアンタの素顔を見ることは叶わんのか?」
それはごめん被るな、という声がシンボリルドルフの背後から聴こえた。姿は見えぬが馴染みのある声でもあった。
「シリウス…」
よ、と軽く手を挙げるシリウスシンボリ。
「スペはオグリキャップが見てるから大丈夫だろ」
ポケットに手を突っ込んでふたりの間に割って入ってきた。
「コイツの素顔を知ってんのは私だけだ。アンタのいう薄い壁は、コイツがオトナになって弁えるようになったってだけ。そうじゃなきゃ部屋の壁には両手じゃとても足りねえくらいの穴が空いてる。
エアグルーヴやナリタブライアンが着いてくるわけもねえ。それが今こうなってんのは、コイツが望んでそう成長したからだ」
「きっとコイツはコイツなりに、アンタやスペ、オグリキャップに気を許してんだよ。…そうだろ、皇帝サマ」
シンボリルドルフは黙ったままだが、そのカオには僅かながら笑顔が見えた。
「私が太っただの太らないだのという話のはずだったのに、スケールが大きくなりすぎではないか?」
はん、とタマモクロスが鼻を鳴らす。
「そんなくだらんことを大仰に言うてくるから、ここまで話が大きゅうなるんや。よう覚えとき。こういうときは《太っちゃったあーーー!タマちゃんどうしよおーーー!!!》とでも言うときゃええねん」
それは恥ずかしいな、とシンボリルドルフは苦笑した。
「君たちには本当に感謝している。シリウスの言うように、私が私であることを選び取ってから長い。もう幼名の《ルナ》へ戻ることはできない。
だが、ここでは、ここだけは、私は皇帝でもなく生徒会長でもなく、ただのシンボリルドルフとして居られると、そう思っている」
ほうか、とタマモクロスは空を見上げた。この数分で随分と暗くなったものだ。黄昏はより色を濃くし、これから始まる夜の世界を美しく予兆している。
「ほな、戻ってみんなでメシ食おや。それこそ《友達》とな、ルドルフ」
スペシャルウィークが焦がしたせいでやや苦味のあるハンバーグ風豆腐ペーストニンジン入り。監督していたオグリキャップが本当に申し訳なさそうなカオをしていたが、いざ食べ始めるとすぐにいつもの調子にもどった。
(そうか、私は、ここでは私でいられるのか)
タマモ「クロス」ということで、ニンジンが2本突き刺さったそれを見て、シンボリルドルフは久しぶりに声を上げて笑った。