頑張れます。
――ヒーロー公安委員会――
現在の日本において、最も公的なヒーロー管理機関。
何かしらの公式な手続きを取る際、必ずと言っていいほどその名が関与する。
多くの一般市民にとって、公安委員会はあくまで“お役所”的な存在だ。
強い好意も悪感情も抱かれない、無色透明な組織。
だが――
事実を知る一部のヒーローにとって、そこは決して無害な場所ではない。
理由は単純だ。
ヒーロー、ヴィランの区別なく、国益のためなら命を奪う人間を育成している。
そんな噂が、確かな実感を伴って囁かれているからである。
彼らは日常的に命を奪い、
それを当然の営みとして生活しているという。
そして、その歪んだ現状を作ったのは公安委員会ではない。
超人社会そのものだと。
そう言い切り、すべての罪をなすりつけた上で、自分たちは正義だと憚ることなく主張する。
――その言い分が、完全な間違いだとは言い切れない。
だが、ヴィラン捕縛を本分とするヒーローたちが、
それを快く思わないのも無理はないだろう。
「馬鹿馬鹿しいにも程がある」
そう吐き捨てる者もいる。
倫理は失われ、道徳は形骸化する。
本来であれば、そんな主張がまかり通るはずなどない。
……だが。
ランキング上位に名を連ねるヒーローたちは知っている。
綺麗事だけでは、
この世界は守れないということを。
⸻
「ふー、黒野任務完了。
帰還する」
ナイフに付着した血を、いつものように軽く振り払う。
粘つきも重さも、今さら気に留めるほどのものではなかった。
何度も繰り返してきた動作を終え、
呼吸を整えながら、見上げた先の通信端末に向けてそう告げる。
――あれ、今日って何曜日だっけ。
ふと、脈絡もなく浮かんだ疑問。
だが、答えを探そうという気にはならなかった。
昼夜を問わず任務に奔走し、疲れたら眠る。
目が覚めれば、また次の標的へ向かう。
ただそれだけを繰り返す生活の中で、曜日を意識する理由など、とうの昔に失われていた。
何度駆除しても湧き出てくる蛆虫を消し去るためだけに、
俺は十五年間、生きてきたのだから。
⸻
帰宅し、靴を脱ぐのもそこそこに、カップラーメンに湯を注ぐ。
部屋は静まり返っていて、人の生活を感じさせるものはほとんどなかった。
最低限の家具と、必要最低限の道具。
長居するつもりのない空間。
そんな中で、耳に突き刺さるように飛んできた声。
「はぁ? 高校に入れ? 何言ってんだ、お前」
通信端末の向こうにいるのは、俺の上司――
ヒーロー公安委員会会長の木下だった。
「あのな、俺は中学、一回も登校してないんだぞ。
勉強だってろくにしてねぇし、内申なんてボロボロに決まってるだろ」
額に手を当て、静かに息を吐く。
自分で言っていて、今さらどうにもならない事実だとわかっていた。
「察しのつくことを、いちいち口に出させないで。
貴方、いつからそんなに愚かな人になったのかしら」
呆れたような視線を向けたまま、木下は言葉を続ける。
「カリキュラムに学習は組み込まれていたでしょう。
私の部下が愚鈍で愚図だと、困るのよね」
反論しても無駄だ。
そう判断するまでに、ほんの数秒もかからなかった。
諦めたように表情を歪めた俺を確認すると、
通信端末の画面越しに、木下はわずかに口元を緩めた。
距離があるはずなのに、
その視線だけは、妙に近い。
「貴方が行く高校は、国立雄英高校。
そこで――トップヒーローになってきなさい」
その言葉を聞いた瞬間、
口に含んでいたカレーヌードルが喉に引っかかりそうになる。
熱さも味も感じないまま、反射的に飲み込んだ。
「雄英!? おいおい、あそこでトップヒーローって、
オールマイトにでも俺をするつもりかよ」
冗談半分で口にした言葉だった。
そうでもしなければ、その現実感のなさを受け止めきれなかった。
雄英高校。
ヒーローを志す者なら誰もが一度は名を思い浮かべる場所。
そこは、俺の生きてきた世界とはあまりにもかけ離れている。
俺が知っているのは、戦場と、命の重さと、
引き金を引く覚悟だけだ。
青春も、友情も、競い合う同世代も――
そのどれもが、遠い。
通信端末の画面越しに、木下は一瞬たりとも視線を逸らさなかった。
その沈黙自体が、答えだった。
「当たり前でしょ。
貴方を拾って八年、ずっと訓練させてきたわ。
そこらの高校生に負けるようには育てていないもの」
その声音には、一切の迷いがなかった。
最初から決定事項で、俺の意思など考慮に入っていない。
てこでも動かない、とはこのことだ。
俺は溜息をつく。
ここまで頑固な人間は、敵としても味方としても、そうそういない。
「わーったよ。
どこまでうまく行くかは知らんが、行くよ。行きますよ」
スープを一口啜り、
空になりかけた箸で木下を差す。
交渉の場に立つときの癖が、無意識に出ていた。
「でも、入試は受けねぇ。
公安の力でねじ込め。これが条件だ。いいな」
木下は一瞬だけ目を細め、
それから小さく苦笑いを浮かべた。
「わかったわよ。そこはどうにかするから。
頼んだわよ」
通信が切れ、
部屋には再び静寂が戻る。
高校か……。
公安に育てられ、
同世代とまともに関わることもなく生きてきた俺が、今さら。
正直なところ、
当の本人である俺自身にも、この感情が何なのかわからなかった。
No.1ヒーローになってこい、とは言われたが、
意味のないことを俺にやらせるほど、公安の戦力が潤沢だとも思えない。
――きっと、別の目的がある。
雄英に行く必要がある理由が。
だが、あのババアの思惑なんて、
考えたところで誰にもわからない。
それでも。
上手く馴染めるか、不安に思っている自分が確かにいる。
せっかく高校生になるという任務を受けたんだ。
どうせなら――
コミックみたいな青春を送ってみたい、
そう思ったって、罰は当たらないだろう。