公安の車は、雄英高校の正門前で静かに止まった。
エンジン音が切れると同時に、外の世界がやけに鮮明に感じられる。
朝の空気は澄んでいて、校門の向こうからは若い声が絶え間なく聞こえてきた。
――高校、か。
車内に残る無機質な匂いと、
外に広がるその光景は、あまりにも対照的だった。
「降りなさい、黒野」
通信端末越しではなく、
今日は木下本人が隣に座っている。
スーツの皺一つない姿。
この人がここにいるだけで、空間の性質が変わる。
「一つ、言っておくことがあるわ」
ドアに手をかけた俺を制し、
木下は淡々と続けた。
「今回、貴方を雄英に入れた理由。
教育や更生が主目的だと思っているなら、それは違う」
予想はしていた。
だが、改めて言われると、
胸の奥が少しだけ冷える。
「雄英は、ヒーロー社会の象徴よ。
世論、メディア、企業、子どもたち……
すべてが注目する舞台」
木下は正門の方へ視線を向ける。
「そこで、公安に育てられた貴方が活躍すればどうなるか。
考えるまでもないでしょう」
俺は答えない。
否定も、肯定も、しなかった。
「公安はね、黒野。
もっと大きな力をより強い影響力が欲しいの」
その言葉だけで、十分だった。
――広告塔。
その言葉が、頭の中で形を持つ。
「貴方は目立ちなさい。
噂になりなさい。
疑問と期待を一身に集めなさい」
冷たいほどに明確な指示。
「それができるように、
八年間、育てたのだから」
それ以上でも、それ以下でもない。
「貴方が英雄になれば、公安は正義になる。
貴方が希望として見られれば、
私たちのやれる事ももっと増えて世間に平和の象徴の組織として受け入れられる」
淡々とした口調。
そこに罪悪感はない。
「安心しなさい。
その過程で貴方が壊れても、責任は取るわ」
壊れても。
俺が壊れる可能性を把握してなお実行させるあたりが、この人らしい。
「……お前な」
思わず、苦笑が漏れる。
「あんだけCMやらメディアやらで俺のこと使っといて、壊れたら責任問題どころじゃ済まねぇだろ」
普通の高校生になる予定の身としては入学前からあそこまで顔と名前が売れるなんて想定外だった。
曰く
--------国家最終兵器
--------超人社会の恐怖
--------公安の奇術師
なんだこの妙な異名は、名前も顔もここまで売れている高校生なんてヘドロ被害のやつと俺くらいなもんじゃないのか
てか、普通に恥ずかしいし。
ふざけんなよマスメディア。
「安心しなさい。
そんな事も想定してない程私は愚かじゃないわ。
さあ、No. 1になってきなさい黒野愛斗」
そして、思い出したように付け加える。
「教室に行く前に、職員室へ寄りなさい。
イレイザーヘッドを尋ねるのよ」
「はいはい」
適当に返事をして車を降りた瞬間、
一斉に視線が集まるのを肌で感じた。
ざわり、と空気が揺れる。
「……あれって?」
「公安の奇術師だよ」
「もしかして、あの……?」
囁き声。
好奇心と警戒が入り混じった、まだ柔らかい視線。
公安が意図的に流した情報は、
すでにここまで届いているらしい。
校舎に向かって歩くだけで、
周囲の会話が微妙に途切れる。
敵意はない。
だが、距離がある。
それが、かえって居心地が悪かった。
渡された資料を見ながら、教室の前に立つ。
扉の向こうからは、はしゃぐ声と笑い声。
さて、木下の指示通り職員室に行きますかね
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危うく除籍になりかけた個性把握テストの翌日。
今日から僕――緑谷出久がヒーローになるため、雄英高校の生活が始まろうとしていた、朝のことだった。
「HRの前に紹介する人物がいる。入ってこい」
相澤先生が単刀直入に切り出した。
「転校生か?」
「入学して二日目で転校してくるわけねーだろ」
「女子か? 女子か? 女子なのかぁぁぁぁ!?」
にわかに色めき立つみんなに相澤先生の鋭い眼光が突き刺さる。
興奮しだしたクラスメートたちは一転して、背筋を伸ばした。
戸を開く音が響く。
穏やかな雰囲気で脚を踏み入れたのは、僕たちと同じ雄英の制服を着た生徒。
「えっと……今日が入学式だって騙された男、
黒野愛斗です。よろしく?」
柔らかい笑顔。
くしゃっとした表情で、軽く手を振る。
短めの髪。
人当たりのよさそうな雰囲気。
体格は華奢に見えるのに、背は明らかに高い。
相澤先生の隣に立って、
なお長身だと分かるほど。
「……でか……」
誰かの呟きが聞こえた。
「あ、公安の奇術師だ!」
「いやいや!国家最終兵器の方がいいって!」
「てかでかくね? 異形型個性じゃないよな」
「B組かと思っていたが.....まさかの初日サボりとは」
「騙されてたんや……意外と苦労人なんかな……」
好奇に満ちた視線が彼――黒野くんに集中する。
クラスのほぼ全員の視線を受けても、黒野くんは笑みを崩さなかった。
「この一年間、共に学ぶ仲間の黒野だ。仲良くする必要はないが、無駄につっかかったりするなよ」
「あ゛ぁ゛?」
そっぽむいていたかっちゃんに釘を刺す一言と共に相澤先生が視線を向ける。
「相澤先生!」
「なんだ飯田。黒野への質問は休み時間にしろ」
「はいッ。しかし入学初日を来ていないことで、昨日の個性把握テストを黒野くんは受けられていません! この対応は如何なさるおつもりでしょうか?」
きっちりかっちりしている飯田くんの一言に相澤先生が答えようとしたのを、黒野くんが手で制した。
というか相澤先生を手で制すなんて……すごい度胸だ。
「みんな、知らない?」
黒野くんは、少し自信ありげな表情で続けた。
「俺、公安に育てられた人間だからさ。
個性把握テストなんて毎年やってて、
そのデータを国に提出してるんだよ」
ざわっ、と再び空気が揺れる。
「雄英もその情報を持ってるから、
俺は受けなくていいってこと」
そして、さらりと――
「あと、プロヒーロー免許も持ってる」
「え?」
クラス全員の声がハモった。
プロヒーロー免許、通常本免と言われるそれは本来ならば一年生いや、二年生すら持っていない免許だ。
そもそも仮免を受け、その後に受ける試験で決して簡単に得れるものではないし、まずもってこの間まで中学生だった黒野君が持っている事があり得ない。
「だから現状、君たち側っていうより
イレイザー側かな」
冗談めかした口調で言って、
「まぁ、生徒としてここにいるのは変わらないから。
仲良くしてね」
「おい、黒野。話しすぎだ」
「すいません。注目を集めろって指令が出てるもので」
黒野くんは気にした様子もなく、用意された席に座った。
雄英高校は自由な校風が売りだというけれど。
この先やっていけるのかという不安が、やっぱり拭えないでいた。