パンのみに生きるにあらず   作:改造黄金虫

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踏み躙って、曇りガラスの様に見えなくなった記憶。


第11話 I love you 1/2

 

 灰色に澱んだ空が見える。

 

 景色としては良くないのかもしれないが、あまりに澄み切っていても過ごし易いものじゃない。雨や雪を呼んでこないのなら、曇り空は程々に良いものだった。

 

 

「ハァ…ハァ……!!」

 

 ポタリと、ポタリと、噴き出した汗が伝って、俺の通った道に落ちる。

 既に酷使しているギシギシと手足が痛み、しきりに休ませてくれと訴えるが、それを許可する権利を、俺は持たない。

 

 まだ背の低い子どもの体にとっては、果てしなく長い坂道を登っていた。自分の体重よりうんと重たい台車を携えながら。

 

 手足が痙攣し出して久しいが、僅かに残った気力を搾り出す様にして台車を押し続けた。途中で脱力したら、転がり落ちてくる台車に押し潰されて死ぬという噂を、冗談に思えなかったから。

 

 

「フッ、くうぅぅ…ッ。ハァハァ……」

 

 そうして視界が白んで、チカチカと点滅する程の疲労を味わいながら、ようやく頂上に辿り着くことができた。

 

「あぁ、ちくしょう。……腹減った」

 

 身体を苛む痛みと疲労と同じぐらい、空腹感が気力を削ってくる。普段からロクに食べてないのもそうだが、今は運んでいる物のせいで、尚更胃腸が締め付けらていた。

 

「旨そうな匂い垂れ流しやがって、クソッ! 忌々しい!」

 

 何段にも渡る台車の棚からは、暖かな湯気と共に芳醇な匂いが、ずっと漂っていた。

 緻密な手間を重ね、極上の素材を使ったのだろう。その一皿一皿が、芸術品の様に艶やかで、今にでも口に入れたくなるほど芳しい。前世でも口にする機会すらなかった高級料理の数々。

 それこそが、空きっ腹の俺が必死こいて運んでいる積荷であった。

 

 疲労と空腹。そしてそれを逆撫でするこの品々。すでに最低な気分にさせられている仕事だが。それすらも、この後に控えることに比べれば、ずっと耐えられるものだった。

 

 

 

「はぁ……、お待たせ致しました」

 

 このご馳走で満ちた台車の最終到着地点。

 そこには金の刺繍が施された、色鮮やかな真紅のテーブルクロスが、地平線の様に広がる、とても大きなパーティーテーブルが鎮座していた。

 

 こんな豪勢な料理を配膳するなら、俺のように薄汚いガキじゃなくて、きちんと礼服を着こなした、プロのウェイターの役割であるべきだろう。そうでなきゃお客さんに失礼というものだ。マナーに疎い俺でもわかる。

 

 でもこの仕事では、なんの問題ないらしい。

 

 無造作に、淡々とテーブルに皿を配置する。その料理の品名すら説明しない。だって()()には言葉を介する知性すら無いのだから、やる必要がないのだ。

 

「$☆4:■■・$2#÷*=……」 

 

 並べ終わるや否や、クチャクチャと奇妙なうめきを上げながら、匂いにつられて、そいつらは這い寄ってきた。

 

「譁ー魄ョ縺ェ蛻?↑縺?─諠?r縺溘∋縺ヲ」

「44:■$^^■■■■÷n*2#〆」

「縺ゅ≠鬢後□縲ゅh縺?d縺乗擂縺溘°」

 

 意味のない音の羅列。それとも理解できないだけで、彼らなりの言語かもしれないが。どちらにせよ俺に関わるものではなかった。

 

「都市は訳のわからない事ばかりだと知ってるけど、……こんな仕事をするとは思いもしなかったな」

 

 

 テーブルの上をにじり寄って来るのは、巨大なイモムシ達だった。

 体長は大人の腕と同じぐらいで、緑色の身体には赤黒くて太い、血管の様なものが、びっしりと浮き出ている。

 その蟲たちが数え切れないぐらい密集して、テーブルの上に積み上がっ空皿の隙間に、巣を作っていた。

 

 群がってきた蟲たちは、ぐちゃりと、大きく裂けるように口を開けて、料理を食い漁る。

 ひどく無造作で乱暴なその仕草からは、料理が持つ味も、厳格に整えられた見栄えの美しさも、何一つ理解しているように見えず。ただそこらの葉っぱを食らうのと同じぐらい、無頓着な捕食だった。

 

 なぜ蟲にここまで手の込んだ料理を、餌として与えているのか。そもそもなぜ人間用の食事に、蟲がここまで貪欲に喰らいつくのか。疑問を挙げればキリがないが、俺の仕事の範囲では知りようがなかった

 

 

「くそっ……、意図してやってるなら趣味が悪すぎるだろ」

 

 後の仕事は、彼らの食事が終えるのを待って、残った皿を回収して帰る事。だから、それまでの間だけが唯一の休憩時間と呼べた。

 

 つまり俺が飯を食えるまとまった時間だった。

 

 汚れた背嚢から取り出したのは、安くて硬いパンと、拾ったペットボトルの水筒。

 パンは硬すぎてそのままじゃ噛めもしないから、水筒に汲んだ鉄臭い水をかけて解す。……無味無臭な塊に不快な香りがトッピングされた。

 

 

 クチャクチャ。パキパキ。ゴリゴリ。グチャリ。

 

 背を向けたテーブルからは、水気の滴る咀嚼音の合唱がBGMに掻き鳴らされている。気に障ったので振り向いて見れば、ちょうど一匹の蟲がステーキを踏み潰しながら、オムライスの中に頭から突っ込んで食い散らかしていた。

 

「…………ッ」

 

 正直こんな所で食いたくもないが、今食わねば本当に身体がもたなくなる。意を決してパンを口に詰め込んだ。

 

 ……不味い。

 藻の浮かぶ泥水を一塊にしたような、混然とした苦さとエグみが舌の上で痺れる。早く飲み込んでしまいたいが、まだ硬すぎるので、よく噛み締めて、砕かないといけない。その時間がただただ苦痛だった。

 

「+9€■■&5」

「78☆#>■$…g*■3」

 

 背後では相変わらず、温かな香りと湯気が柔からく流れてきていて。それを粗雑に食い散らかす雑音もまた響いていた。どちらからも逃れたくて小さく背を丸めて、固く自分を閉ざす。逃げ道はただ、目の前にある食事に没頭する事しかない。

 

「クソッ、クソッ、クソッ……」

 

 今、自分が何をしているのかもわからない。

 ただ一つ、ハッキリしているのは、この先何があったとしても、この低く押しやられるような感覚だけは、生涯忘れられないだろうという実感だけが、重くのしかかっていた。

 

 

 

 

 

 ちょうど俺が食い終わるのと同じ頃に、彼らの食事も終わったらしい。静まり返ったテーブルから皿を回収する。

 食べ残しなんてものは当然なくて、皿は全て舐めとったように白く照っていて、粘ついていた。

 

 回収の最中にふと、一匹の蟲が空皿に口を寄せて、糸を吐いた。10センチ程度の短いそれは、綺麗な緑の色をしていた。

 

「これが天蚕糸……か」

 

 初めて間近に見るそれは、この曇天の下でも綺羅星の様に瞬いて、柔らかく手に触れた。

 

 繊維の宝石と揶揄されるこの生糸が、こうして生み出されていると、糸を持て囃す人々は知っているのだろうか? 知りたくもないだろう。

 

 

「過程はどうあれ、よい結果があればそれでいい。本当に都市らしいな」

 

 自重気味に呟いて、足早にテーブルを後にした。まだまだやらねばならない仕事があるからだ。遅れたら指示する大人に、容赦なくぶん殴られてしまう。

 

「あぁ、でもこのお土産は喜んでくれるかな」

 

 背嚢に仕舞い込んだ、小さな糸屑。それを彼女に贈る瞬間を想像してみれば、重くなった足取りも、軽やかに弾ませる事ができた。

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

「えっ! こんなもの、どこの生産工程から盗んできたの!?」

 

 仕事を終えた帰り道で、手渡したそれについての反応は、予想通り驚いてはくれたが、そこに喜びが混じるのではなく、怒りが滲んでいた。このままでは彼女にぶん殴られかねないので、慌てて誤解を解きにかかる。

 

「違う、違うって! 素材や製品を盗んだわけじゃないよ。ほらこんなに短いの、布切れの端にもならないだろう」

「……でも黙って持って帰ってるじゃない」

「本来ならあの工程で出ないエラー品だよ。バレないって。皿に引っ付いたゴミなんだから……あっ」

 

 言って気づいたが、それを今し方、プレゼントとして渡したのだった。

 

「と、言っても。俺たちにとっては宝物だから……」

「はぁ……。フォローになってないけど、それも事実よね」

 

 なんとか納得してくれたのか、握っていた拳を解いて、一息つく彼女。

 

「心配かけてゴメンよ。でも君に喜んで欲しかったんだ──"レイナ"」

「うん。それはわかってるわよ」

 

 淡い金髪を揺らしながら隣を歩く、幼馴染であるレイナ。

 彼女は何かにつけて、俺の行動を咎めたがっていた。

 

「ヴァラキ。あなたが私の為を思って、いつも無茶ばかりするのはわかるけど──」

「あ、いや半分くらいは、俺の好奇心なんだけど……」

「私の為を思っているのはわかるんだけど!」

 

 頬を力強く掴まれて、強引に顔を突き合わされる。

 

「まず何よりも、あなたが無事であることが一番嬉しいの! 危ない真似をしないで欲しいの!」

 

 合わさった彼女の瞳が、真っ直ぐに俺を映して、揺れる。

 

「無茶はやめて。あなたは私の……大切な家族で、弟分なんだから」

 

 最後の方は、とても小さな声になっていたけれど、その一つ一つに、切実な想いが込められていて、俺の胸に強くのしかかった。

 

 慕われて、大切に思われているという実感による高揚と、彼女にそんな事を言わせてしまう現状への苛立ち。そしてちょっとした反抗心が、俺の喉もとをくすぐる。

 

「弟分……か。まだそんな扱いするんだね」

「むっ、何? ……文句でもあるの!」

「まぁね〜。同い年で世話も焼かれてないのに、ずっとそれなのは納得しかねるよ」

 

 彼女の凄みにだって、素知らぬ顔で受け流してみせる。いつまでもガキ大将と子分のような関係ではないのだ。

 

「はぁ、生意気な。……ちょっと前までは大人しくって。何をするにも私の後をついてきたくせにさ」

「あっ! その話をするなら、昔の君だって──」

「……待って! あれ見て!」

 

 不意に、彼女が手をかざして前を遮ると。もう片方の手で、道の脇にある、建物同士の隙間に開いた狭い小道を指差した。

 

 既に夕暮れも終わりかけて、濃度を上げる暗闇の中で、それはただのボロ布に見えた。しかしよく目を凝らして見れば、それに小さな手足が突き出しているのがわかった。

 

 

「私、この子を知ってるわ」

「あぁ。たしか同じ宿の……フランクだっけ?」

 

 彼女に連れられ駆け寄るが、触って確認したその体からは、とうに熱が失われていて、硬くなっていた。乾いた涙の痕が残るその顔は、何度か言葉を交わした事のある、知人のなれ果てであった。

 

「非道い……。全身アザだらけで、骨が何本も折れてる」

「ようやく腕が認められて、ミニッツメン入れたって喜んでたけど、本番でしくじっちまったみたいだな」

 

 裏路地で親や家族がいない子どもたちは、当然だが自分の家だってない。だから多くの場合、同じような境遇の子ども同士で集まって、金を出し合い、何処かの部屋や倉庫を借りて夜を過ごす。そうしなきゃ生死に直結する死活問題だから、誰に言われるでもなしに皆そうしていた。

 

 そうして見ず知らずの他人同士であっても、毎晩寄り集まって雑魚寝してれば、嫌でも顔を覚えるし、言葉も交わすようになる。死んだ彼もそうやって知り合った一人だし、もっと言えば俺とレイナだって同じような出会い方だった。

 

「弔ってあげるべきかしら……」

「いや、そんな時間はないよ」

 

 この辺りは自警団も維持できないぐらい貧しく、治安も相応に悪い。そして日が暮れてしまえば、更に危なくなるのだ。

 

 そしてそんな事は彼女だってわかっている。その上でここを離れられずにいた。

 

(クソッ、殺すんならもっと目立たずにやってくれよ……)

 

 自分でも最低な事だとわかるが、そう思わずにいられなかった。

 指が何本もおかしな曲がり方をした冷たい手を、そっと握る彼女の瞳が、また曇って、濃い影を落とす。その有り様は、もう見ていられなかった。

 

「結局、私たちはどこまでも軽んじられるのね」

「レイナ、もう行こう。これ以上ここに留まるべきじゃない」

 

 彼女の手を死体から引き離して、強引に立ち上がらせる。まだ反応の鈍い彼女を牽引して、その場を立ち去ろうとしたその時。何人もの足音が近づいて来るのを感じた。

 

 

「おい、そいつは俺たちの物だぜ」

 

 第一声にそう発しながら、詰め寄ってくるその連中は、皆俺と同じような年頃の、子ども達だった。

 お互いに薄汚れた格好で、一目で同じ裏路地の孤児とわかる姿だが。唯一、俺たちと彼らを分ける特徴が、示したように腕に巻かれた布切れの有無として存在した。

 

「ミニッツメンの連中か……」

「そうだ。なんか文句あるか?」

 

 一分以内で犯行を終わらせる盗賊団(ミニッツメン)。器用な手先と綿密な連携で、幾つもの盗みを成功させる彼らは、身近にある分、孤児たちの羨望の的である集団だった。

 

「いや無いよ。君たちが用があるのは彼だろう」

「おおそうだ。話が早いのは嫌いじゃ無い」

 

 大仰にケタケタと笑いながら、彼らは死体に群がると、それを検分し始めた。

 

「言っとくが、こいつから何か漁っちゃいねぇだろうな?」

「盗る物なんてないだろ。あったら殺った時に盗られてるだろうし」

「ははっ、違いねぇ。ビビって逃げ遅れた奴はなんざ、価値のあるもんもねぇよな」

「ねぇ! その子をどうする気なの!」

 

 適当に交わされる軽口の応酬に、突如としてレイナが切り込んできた。

 その鋭い口調に、両者に一瞬の緊張が走り、俺の頬を冷や汗が伝った。

 

「こいつは、俺たちの身内だぞ。部外者が何を──」

「この後、弔う気はあるの!?」

 

 ぴたりと、死体の隅々まで引っ剥がしていた彼らの手が止まる。まるでそんな言葉自体を初めて聞いたかのように、奇妙な沈黙が場に満ちた。

 

「アハハハーッ! なんだよそりゃあよう!」

 

 直後にリーダーらしき人物が膝を抱えて爆笑する。他の奴らも釣られて下品な笑いを響かせた。

 

「そんな一眼にもならない事に、手間と時間を掛けてなんになるってんだ! あー笑える!」

「じゃぁ、どうして運ぼうとしてるのよ!」

 

 あらかた暴かれたその死体には、幾つもの縄が結ばれて、持ち手の輪っかまで付けられていた。

 

「売るんだよ! 汚ねぇ孤児でも買い取ってくれる所があるから、そこに持って行くんだ」

「──ッ、仲間じゃないの!?」

「仲間だよ。でもこのままほっといても掃除屋に消されるだけだろ。それなら俺たちの飯の種になるのが優先だろうが?」

 

 なぁ? と同意を求めるように、俺の方に視線を投げかけてくる。俺はそれになにか反応を返すこともなく、ただレイナの肩を掴んだ。

 

「それでもッ──」

「レイナ、確かに死んだ彼は俺たちの知り合いだったけど、繋がりで言えば彼らの方がずっと深いんだ。その彼らがこう決めてるんだから、俺たちに言える事はないよ」

「あなたまで……」

「それにひょっとしたら、自分が死んだ時にそうするって、約束を交わしてたのかも知らないじゃないか」

 

 そう言って、相手に視線を投げ返せば、ヘラヘラとした頷きが返ってくる。

 

「あぁ、そうなんだぜ。こいつ…名前なんだけっけな? まぁ仲間の遺志は継いだやらねぇとな」

 

 言い終えるやいなや、彼らは全員で死体を持ち上げると、息を揃えて走り出した。死体を運ぶその手つきは淀みがなく、完全に物を扱うそれであった。

 

「じゃあな! 甘ったるい馬鹿ども! せいぜい道端で慰め合ってろよ!」

 

 ゲラゲラと不快な嗤い声をあげて、あっという間に消えて行く様は、まさに悪童盗賊団(ミニッツメン)の面目躍如だろう。完全にその姿が見えなくなるのを待って、俺はレイナの肩から手を下ろした。

 

 

「…………」

「レイナ。こればっかりは君が気にする事じゃ無いよ」

「……わかってるわよ、そんなの」

 

 俯いて、静かに肩を震わせる背中を、そっと抱きしめる。その今にも崩れてしまいそうな小さな体を、少しでも支えたかったから。

 

「でも、本当に何も残らずに。誰にも思い出されずに消えて行くなんて、……悲しすぎるじゃない」

 

 頬を伝って流れる一筋の雫。硬い地面に落ちて、散ってしまうのが惜しくて。なんとなしに手のひらで受け止める。

 

「大丈夫。大丈夫だよ」

 

 とても温かくて、染み入るような感触がした。

 




9章が楽し過ぎて、執筆が遅れに遅れた、懸命なる投稿者。ワン・ダーウェイと申します。(謝意)
一万字オーバーしたので半分に分割です。ほぼ完成してるので続きは明日投稿します。
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