パンのみに生きるにあらず   作:改造黄金虫

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ようやく親指に戻ってこれました。デートを満喫しすぎですね。



第13話 煙のにおい

 

 空を見る。

 天候は曇り。まだ雨は降らなそうだが、湿度はそれなりにあった。これからの雲行きによっては、一雨来るかもしれない。

 

 そうなった場合の想定をしていると、ふと口元が強張っているのに気がついた。どうやら俺も緊張しているらしい。

 

 その感覚を紛らわそうと懐に手を入れるが、何も掴む事なく空振る。そういえば、あの時に箱ごと落としたっきりだったな。

 

「おい、ギャップ。煙草寄越せよ」

「えぇ〜、僕のは高級品質のやつなんだよ」

 

 あれこれと大勢の部下に指示を飛ばして、ようやく一息ついている太った大男、ギャップにたかりに行けば、案の定嫌な顔をされた。まぁ、こいつがどう反応しようと、俺は気にもならんのだがな。

 

「最後の一本になるかもしれないんだ。奢れよ」

「そう言っていつもしぶとく生き残るじゃん。フラグを知りなよ」

「そんなもんはまやかしだ。へし折ってやれ」

 

 ギャップはやれやれと首を横に振りながら、開封した煙草の箱を差し出してくる。

 

「まぁ、同期間のヴァラキ死亡トトカルチョで、散々儲けさせてもらったんだ。その分くらいは分けてあげるよ」

「お前、そんなことまでやってたのか……」

 

 ちょっとした余興だよと言うが、流石の貪欲さには呆れ返った。

 だから遠慮なく、その箱から一本抜き出して口に咥えると、ギャップもまた自分の分を取り出して、一服する。

 俺が普段使うやつよりもうんと甘い煙が、鼻腔をくすぐった。

 

「同期か……。そういえばもう残りはお前だけか」

「そうだね。ここまで上がってこれたのは、僕らだけだよ」

 

 

 親指という組織は、新しく入ってきた組織員に、規律と礼儀作法を叩き込むための教育体制がある。中でも一度に大量に入ってきて、その多くが裏路地出身のソルダードⅠなどは、加入時期ごとにまとめられ、集団生活を通じて親指としての基礎を学ぶことになる。必然的に横での繋がりが形成される所以でもあった。

 

「せっかく入団できたのに、他の奴らがどいつもこいつも、その辺のゴロツキとさして変わらなくてガッカリした思いだぜ」

「あぁ、そういえばあの中で下顎や舌を抜かれなかったのは、僕とヴァラキだけだったね」

 

 同期間の繋がりというのはかなり強力だ。単純に上からの当たりが強く、気を抜けるのが同格の相手ぐらいしかいないのだから、当然とも言えるが。その中でもギャップは巧みな対人能力で、自分の派閥とも呼べるのもを築いていった。今して思えば、そういった人間関係の構築プロセスも、教育の一環だったのかもしれない。

 

「ヴァラキは全然他と絡まなくて、僕が何度も声かけてあげたのにそれも無視するんだから。寂しい思いさせられたよ」

「ぬかせ。喧嘩売ってきた奴の何割かは、お前のお友達だったろ」

 

 もっとも、当時の俺は今以上に余裕がなく。そうった人間関係を粗雑に扱っていたから、ほとんど絡みはなかったんだがな。そのせいで目をつけられることも多かったが、全員返り討ちにしてやった。

 

「それにどうせ消えてく連中と、わざわざつるむ理由なんかないだろ」

 

 教育過程とはあるが、それは立派に育てるだけのレールではなく。基準値以下を弾く選別工程でもあった。何度も同じ理由で罰せられる奴や、言動が矯正できなかった者は、容赦なく潰されて、悪い教本として教室に飾られていった。

 

「その選別を潜り抜けて階級が上がっても、どんどん減るのは変わらなかったよね」

「あぁ、立場に見合った重積を乗せられるんだから。当たり前なんだろうけどな」

 

 カポに弾を届けに行って帰ってこなかった。格上の敵の足止めを命じられて、十秒時間を稼ぐために死んだ。交渉の場で目上の相手を制せずに失敗した。忍び込んだ研究所で実験台にされて廃人になった。

 

 理由自体は様々だが、根本にあるのはただ一つ。組織が生み出す巨大な流れの中で足をとられ、溺れていったんだ。

 

「それでも、目上の方々の命令で死ねたんだから。みんな幸せだったろうね」

「……そうだな。光栄極まりない死に様だ」

 

 俺は連中が死んでいっても、特に何も感じなかった。今だってそうだ。

 どうでもいい奴だったからというのもあるが、結局のところは親指の規律へと収束する。俺たちの精神を律して、在り方を規定するその掟こそが、ずっと俺を生かしてくれる命綱だったから。それに従って死んでいくのも当然だと思えた。……そう思えていたんだ。

 

 

 遠く、分厚い雲が越しにボヤけた太陽を眺めてながら、煙たい息を吐く。ジリジリと(くすぶ)る音が嫌に耳を掠めた。

 

「…………」

 

 自分の中の揺らぎを自覚していた。

 思考の方向が定まらなくて、どこに向かうべきかという不安が、じっとりと纏わりついてくる。こんな状態になるのは、思い出せないほど久方ぶりで、どう対処したらいいかもわからなかった。

 

 行き場を失い、発散されない感情がぐるぐると蠢いて焦燥感だけを煽り、胸の内を焦がす。それを押し流そうと強く煙を吸い込むが、あっという間に燃え尽きた上に、燻りは変わらないままだった。

 

「クソっ……、やっぱり苦味が足りねぇからだ。そのせいだ」

 

 吸い殻を吐き捨てて、踏み消した。その一連の流れをギャップは黙って見ている。妙な様子だった。いつもならここで軽口や嫌味の類が飛んでくるはずなのに。じっと俺のことを見つめているだけだった。

 

 

「なんだ? 用があるならさっさと言えよ」

「うん。………これはなんの憶測もない、ただの臆病風に吹かれたみたいなものなんだけどさ」

 

 それは常に飄々とした笑みを浮かべて、大きく構えたギャップらしからぬ、歯切れの悪い喋り方だった。

 

「階級が一つ上がるたびに、僕たちの仲間はごっそりといなくなっていったよね」

 

 ギャップは手をパーの形に開くと、その指を一つずつ折り曲げてゆく。

 

「百五十人いたのが、(テルト)になった時には十八人。そこからIIII(クァトロ)になったのは僕ら二人だけだ。……なら多分、カポになれるのは──」

 

 そして残った指二本。その片方がゆっくりと倒れる。

 

「どっちか、一人だけなんじゃかかって。……そんな予感がするんだ」

 

 最後に残った一本の指。それは俺とギャップを交互に()した。

 

 一陣の風が吹いて砂埃が散り、煙草の残り香を上書きする。新たに漂うのは、埃と錆が染み付いて殺伐とした裏路地の臭いだった。

 

 

「ハッ、ならお前は一生ソルダードにしがみついてろ。カポになった俺の靴でも舐めながらな」

「うわぁ、繊細な内情を明かしたのにひどい奴だ。思い遣りの心をどこに置いてきたのさ」

「そんなもん、とうの昔に犬に食わせちまったよ」

 

 場がしらけた。馴染みのある風にまかせて軽口を言えば、急速にナイーブな気配も払拭されて、またいつも通りの雰囲気が帰ってくる。

 更にそこへ駆け寄ってきた伝来役の部下が、俺たちを現実に引き戻した。

 

「報告いたします! 敵拠点に動きが見受けられました。これより本格的な交戦に入る見通しですので、カポより御二方の召集がかけられました」

 

「あぁ。わかった」

「報告ありがとう。すぐに向かうよ」

 

 あぁ、そうだ。俺が突っ立ってるのはいつだって現実だ。グダグダと頭を悩ましてる場合じゃない。

 

「邪魔な奴は殺して、捻り潰す。それが全てだ」

 

 そうある事が俺の生きる道だ。余計なことに気を配って生き残れるほど、都市は甘くない。しっかりしろ。

 

 

◆◆◆◆

 

 マフィアにおける戦争というのは、要人への強襲や暗殺が主になり大規模な破壊行為は起きない。

 

 どれだけ凶暴性を掲げようと、彼らは所詮裏社会の住民。本気で社会秩序を脅かせば、軍や大衆を敵に回してしまい、数で捻り潰される。だからあくまでひっそりと暴れて、用が済めば即座に撤退する。──というのが、一般的な法治国家における戦争なのだが。ここは都市である。

 

 何百何千と人が死のうが、それが巣に悪影響をもたらさない限り、統治の手は降りてこない。むしろK社(ここの奴)なら喜んで推奨までしそうである。だからこそ、こうも大胆で物々しい闘争の気配が、色濃く立ち込めていた。

 

「来たか。ちょうどこっちも打って出るところでね」

 

 呼び出された先は、無数の弾薬がぎっしり詰まった木箱が山のように積み上げられた物資貯蔵庫。仮拠点とはいえ、最も頑強な作りをしたここは周囲の喧騒から切り離されて静かであるが、同時に今にも弾けそうな緊迫した圧を生み出していた。

 

 そしてその中心に立つ彼女が頷くのを待ってから、俺たちは言葉を発する。

 

「打って出るというとこは……迎撃ではなく、攻め込むということでしょうか?」

「そうだよヴァラキ。先手は私たちが取るんだ」

「その装備、ガリアーノ様も前線に出られるのですね」

「もちろんさ。格のある相手なんだから、こっちだって相応のもてなしをしなきゃ、無礼ってものだろう」

 

 ギャップの問いに頷く彼女、ガリアーノ様は普段以上に剣呑な空気を纏っていた。体に巻いたベルトに幾つも予備弾倉を取り付けて、銃剣も鏡のように磨き上げられている。そしてなによりも目を惹くのが、自身の身長を超すほどの、長大な狙撃銃であった。

 それは本気で戦う時のみ使われる、彼女の愛銃である。

 

 

「向こうも強大な相手だが、情報戦は親指の庭だ。よって開幕を告げる鐘の音(オープニングベル)も、私たちの銃声ということになる」

「我々が戦争の準備段階において遅れを取るはずがありませんし、当然ですね」

 

 戦争においては、相手を殺すこと以上に、相手の支配する土地や施設を、掌握ないし破壊することが重要になる。

 当然相手だってそれをわかっているから、守りを固めたり、攻められないよう隠蔽を試みるのだが、今回はそれを見事に暴いて見せたのだ。

 

 親指の抱える膨大な傘下組織。更にそいつらが関わる無数の裏路地の住民たちまで含んだ情報網と情報操作。それこそ指随一の組織力を誇る親指の十八番(おはこ)だった。

 

 

「私たちが攻め込むのはここ。街中に溶け込むよう、密かに作られた秘密基地だ」

 

 広げられた地図の上で示された場所は、ごく普通の住宅街にある一軒の飲食店のようで、一見すると怪しいところはない。少しばかり困惑を抱くが、その内心を読み取ってか、彼女は納得できる判断材料を語り出した。

 

 

「この店ではさまざまな肉料理を提供しているそうなんだが、直近の仕入れの数が多すぎるんだ。運び込まれる搬入品も厳重に梱包されていて、中身がわからない。加えて常連客でも知らないメニューを注文して、店の奥に長時間滞在する謎の客層が最近だと大勢いるらしい」

 

 きな臭いだろうと、獰猛な笑みを浮かべながら、彼女は続ける。

 

「元よりこの地域では、薬指構成員の目撃が相次いだからね。工作員を張らせてみれば、その客たちと見事に一致したわけだ。一般人に扮しても、立ち振る舞いや細かな動作までは、偽装しきれない場合が多いからね」

 

 案外わかりやすいものだよ。と付け加えると、彼女は目線をこちらに投げかけてきた。なにか疑問はあるかという意図の動作だ。

 

「目立たないよう隠匿されてる事から、ここにあるのは薬指のギャラリーではない。……何かの実験場ですか?」

「いいや、それなら人の出入りが少なすぎる。ここはおそらく戦火から作品を逃すための、急拵えの避難場所だろう」

 

 俺の質問に答えながら、彼女は地図に様々な情報を書き足した。人員と物資の補充密度。店内を探った密偵の消失割合。店から出るゴミの中身まで事細かく。

 

「隠し場所であるなら、警護も手薄なのですか?」

「それも否だ。この付近でマエストロが確認されている。そしてこいつが離れたという情報はない」

 

 "アナスタシア"という名前を、店と重ねるよう大きく書き加えると、それを強調するようにグリグリと線で囲み。そこに俺たちの拠点から伸びる矢印を書き加えた。

 

「いざという時の番人として待機しているはずだ。今回我々はこの者の妨害を跳ね除けて、秘蔵した作品を根こそぎ奪うことを目的としている」

 

 矢印の交差する地点にバツ印が引かれる。避けられない交戦のマークだ。

 

「ふむ……、以上を持って君たちに選択肢を与えよう。ここに残るか、私についてくるか? とね」

「…………」

「あぁ、ちなみにどちらか片方は残ってもらうよ。ないとは思うけど、ここの防衛も必要だから」

 

 あっさりと口にするが、命令の絶対尊従が当たり前の親指において、部下に選択肢を与える事は普通あり得ない。

 単に自分の戦力だけで事足りるという自負か。他の指との本格的な闘争という未知の経験への配慮か。いずれかは知らないが、俺の答えは決まっている。

 

「ガリアーノ様。貴方の戦列へどうか自分も共にさせて下さい」

「うん、だろうね。ギャップはそれでいいのかい?」

「はい。適性を鑑みるなら、これが妥当でしょう」

「そうだね。よくわかってるじゃないか」

 

 彼女は満足げに頷くと、懐から葉巻を取り出した。安物ではなく、きちんと身の丈に合った高価なシガーだった。

 

 

「今回の件は二人の試金石でもあるからね。反応を見るちょっとしたテストだったんだよ」

 

 優雅に煙をくゆらせて、角のとれた声色で彼女は微笑む。

 

「ギャップ、君は情報を得て、自分も含めた状況を俯瞰的に判断するのに長けている。これだって最初から気づいてたんだろう」

「まぁ、やたらと情報が伏せられてるな……、とは(いぶか)しんでいました」

「うん。その上で態度に表さなかったんだから、その考え方は正しいよ。……しかし、自ら戦いに出ようとは微塵も思っていなかった。どうせ最初からヴァラキが名乗り出る、なら自分は構わないでいいと判断してたからだ」

 

 彼女はシガーの葉先を俺に差し向けた。

 

「逆にヴァラキは何がなんでも出陣するつもりだったね。ギャップが大人しく引き下がらなければ、強引にでも封殺しただろう」

「……否定はしません」

「その威勢と、親指へ貢献せんとする尊重は素晴らしいものだ。けれどやはり直情すぎる」

 

 そこまで言うと、彼女は深く息を吸い込んで、緩まった雰囲気ごとシガーを強く噛み締めた。

 

 

「カポとは上からの命令に従うだけで務まるものでもないし、奥に引きこもって部下に指示を出すだけでもない。それらを併せ持って当然のものとして動くのが、この階級に課せられた責務だ」

 

「この事を胸に刻んで精進してほしい。二人ともカポを目前にした立ち位置にある。君たちに期待しているんだ」

 

 

 淡々と、しかし力強く。肺の空気を出し切るように一度に言い終えると、彼女はゆっくりと目を閉じる。

 そして数秒後、スイッチを切り替えるように鋭く見開いた。

 

「さて、思ったより話が長引いてしまったが、もういいだろう。各自の仕事を始めるとしよう」

「「はっ。命令を受諾しました」」

「うん。精一杯こなすといい」

 

 その言葉が言い終わると同時に、一礼をしたギャップは足早に共に去っていった。元より部下の統制をしていたところに、更なる重荷が乗ったのだから、のんびりしてる暇などないのだろう。

 翻って俺は少しばかりの余裕ができた。念のため再度装備の点検でもしておこうかと踵を返すが、直後に背後から声を掛けられた。

 

 

「あぁ、ヴァラキ。ちょっと待って」

「はい。どうかされま……がッ」

 

 振り返るや否や、急に伸びてきた腕に襟を掴まれ、力づくで引き寄せらる。その先にあったのは、彼女の唇だった。

 

「…………ッ」

 

 熱く、どろりとした感覚と直に触れ合う。頭と心肺を掻き乱される感覚に眩んで、逃れるように視線を逸らして下げれば、地面に転がる吐き捨てられたシガーが目に入った。

 

「がッ……あ、あァァァ…!」

 

 永遠に思える数秒が過ぎて、それと引き離されると同時に、俺は膝から崩れ落ちた。

 

「何やら腑抜けていたようだからね。気合いを入れておいてやったよ」

 

 別にこれしきの行為で狼狽するほど初心ではない。それとは別に身体が熱く、軋んでいた。嚥下した食道から菌糸が伸びるように、枝分かれした焼き付く痛みが襲ってくる。これはおそらく彼女の──

 

「ほんの一部。それも付け焼き刃だが、君なら上手く使うだろう」

 

 せせら笑うような声と共に、頭上から煙が降りてきた。あの苦々しく澱んだ、安煙草の臭いだった。

 

 僅か一呼吸の間で、地面にうずくまる俺を堪能し尽くすように、長く息を吸って吐き終えると、眼前に噛み潰された吸い殻が落ちてきた。

 

「改めて言うが、今日の活躍を期待しているよヴァラキ。……あぁ、もし遅れたら置いてくから、出発時刻までにはちゃんと立ち直るんだよ」

 

 その言葉を最後に忍び笑いは遠ざかり、この場所には這いつくばる俺一人だけが残された。

 我が物顔で身体に居着こうとする痛みを受け入れるのに、しばらく時間が必要だった。

 




薬指……。考えるほどによくわからん連中過ぎる。
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