パンのみに生きるにあらず   作:改造黄金虫

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お待たせ致しました。切りどころがわからずに分割できませんでした。ちょっと長めなので、お時間がある時にご賞味ください。



まったく、あなたは本当に世話の焼ける子よね。ヴァラキ。


第16話 雲の糸を断つ業

 

「ガリアーノ様。この……隠れ家である店から出た、廃棄物の情報はなんでしょうか?」

 

 出陣前のブリーフィングにて、ギャップの奴が発した質問である。一見すると対した関係の無さそうな情報であるが、どうにもそれが気になったらしい。

 俺も地図を見てみるが、そこにはある時期から店の出すゴミが変になった、という事が書き込まれていた。

 

「フフッ、気になるかい? 目敏い子だねギャップ」

 

 そして、その情報について言及された彼女、ガリアーノ様は面白いものでも見たかのように身を乗り出すと、ペンを手に地図に加筆を行った。

 

「これはゴミ漁りの連中からの証言でね。以前まではこの店の出す廃棄物は、ごく普通の残飯然としたものだったんだけど、最近のはどうにも"奇妙"としか言えない物を出してるらしい」

 

 サラサラと描き連ねられる小さなイラスト。それは口を縛られたゴミ袋から溢れたナニか……。謎の破片と千切れた糸屑が絡み合った、よくわからない物だった。

 

「えっと……、これはいったい……」

「証拠品を元に再現した絵だよ。上手に描けてると思うんだがね」

 

 彼女は誇らしげに笑ってみせるが、依然としてこれが何かはわからなかった。いや、問題は腕ではなくモチーフにあるのだから、しょうがないんだけれども。

 

 ……けれど、薬指が関わってるという一点でもって推察するのなら、簡単にわかる要素もあった。

 

 

「これは、"人間"に由来するものなんですか?」

「ああ、そうだよ。成分を調べた結果、多数の人間をミリ単位で粉砕した混合物であることが判明している」

 

 少なくとも数十名、なかには店を探って消えた密偵のものと一致する生体情報も採取されている。と付け加えられたが、正直言って得体が知れず、気味が悪いとしか言いようがなかった。

 

 ギャップもまた嫌そうな顔をして、ガリアーノ様に詰め寄る。

 

「うわぁ、ひょっとしてこれって人肉料理とかやったりします?」

「ハハハッ! それはないよ」

 

 ちょうど店が飲食店だからか、連想されたその質問に、彼女は腹を抱えて否定する。

 

「その手の連中とは目つきが違う。あれはもっと飢えを剥き出しにしてるからね。それに口元だって独特の照りがある」

 

 ツボにハマったらしく、しばらく口に笑いを含ませる彼女の様子に、そう言えば以前、23区の裏路地(イカれた美食街)出身だと言っていたことを思い出した。

 

「けれどもまぁ、それに遠からずロクでもないことをしてるんだろうね」

「まだなにか情報があるんですか…?」

「あぁ、……この内混ぜになった死体達には、あるものが欠けていた」

 

 彼女はシガーを一吸いし、こちらの不安を膨らませるように、煙を燻らせた。

 

「脊髄、中枢神経、そして脳。義体になっても変わらない、"頭“が定めた人間の本質的な部位。この廃棄物には、それらが一切含まれていないんだよ」

 

 そう告げられた情報は、やはり目的や理由を推察できるものではなかったが、思い浮かべた情景を、より一層陰鬱なものにするものだった。

 

「……この場所は単なる作品の倉庫と予想されていたはずです。なぜこんな物が出てくるのですか」

「決まってるだろう。それが薬指だからだよ」

 

 目を細めて、シガーを指先でくるくると弄びながら彼女は答える。その手の中で転がるシガーは、ピンと伸ばされた薬指まで運ばれて、そのシルエットに煙を立てた。

 

「連中は芸術を何よりも重視している。それを欠かすことは片時だってありはしない。インスピレーションが浮かんだなら、どこであれそれを試さずにはいられないんだよ」

 

 目を細めて、ククっと喉を鳴らした彼女は顔を傾けると、俺にだけ見えるように、凶悪な笑みを剥き出しにした。

 

「見境もなく貪欲に手を伸ばす、抗えない情動。それ故に押し流された状況は、予測もできない牙を剥いてくる。……ヴァラキ、この戦場でどんな物がお披露目されても不思議じゃないんだ。飲み込まれないよう、とくと腹を括るんだね」

 

 そう言い終えると、彼女は再びシガーを口に咥え直して、静かに息を吐いた。この話題はここまでとして、また次の伝達事項に移るのだろう。

 

 残された俺は少しだけ目を閉じて、瞼の裏に広がる闇を見据える。

 闇の中でバラバラに解体された脳の群れが、神経の触手を伸ばして襲いくる光景が浮かんだ。おそらく実際はこんな程度ではなく、もっと悍ましい物が出てくるのだろう。

 

 敵は依然として得体が知れず、厄介な存在が待ち受けている事が確定しただけだが、それでも俺の腹は最初から決まり切っていた。

 

 下された命令と俺自身の思惑は合致している。行手に立ち塞がるものがなんであれ、その全ての敵を打ちのめし、自身の価値を証明してやるんだ。

 

 脳裏に浮かぶ肉の幻想を叩き潰し、姿勢を整え目を開く。俺は相対するであろう不条理を前に、不敵に笑ってみせた。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

「クソッ! なんだよこれはよぉ!」

 

 現在、俺はドーセント・アルバートの展開した作品、その真っ只中にいた。

 何があってもおかしくない、と肝に命じてあったから、動揺こそ最小限に押さえ込んだのだが、それでも悪態をつかずにいられない状況にあったのだ。

 

「硬てぇ……、やっぱ切れねぇなこれ」

 

 眉を顰める俺の周りを、阻むように現れたその糸束。どうにもできないそれを睨みながら、舌打ちをかました。

 

 

 アルバートが弾けた直後に、押し寄せた"それ"は半径約30メートル程のドームを形成し、俺を含む周囲一帯を閉じ込めた。そしてその内部は瞬く間に"それ"で満たされて、今や見渡せど、目に映るのは俺ただ一人だった。

 

 "それ"は白く濁っていた。そしてひどく不安定な輪郭を持ち、帯状に伸びる霧のような姿で、無数にゆらゆらと漂っていた。

 

 その極薄くて、手で触っても感触を感じ取れない程に柔らな質感は、存在しない幻覚の類かと思えたが。しかしまったくの虚空ではなく、それらはなにか、奇妙な脈拍を持っている。俺が持つ知識では見当もつかず、本当に訳のわからない、白い何かだった。

 だがこうも軟いならと、銃剣を振るったのだが。途端にそれは身を寄り集めて、糸のように細く収縮すると、高硬度の金属のように俺の銃剣を弾いてみせた。

 

「燃えたりもしない……、か」

 

 ポケットから取り出した工房製特殊ライターを点火し、激しく噴き出す炎の剣で炙ってみたのだが、それさえも動じない。ただ風に揺れて、また白が押し寄せてくるだけだった。

 

 

 率直に言って、この状況を打開する有効な手は思いつかない。あまりにも意味不明すぎる。文字通りの五里霧中といったところだ。

 けれども当てはあった。これは単なる怪奇現象などではなく、歴とした意図を持って形作られた芸術作品なのだから、招かれた客をただ放置しておくなどあり得ない。そのはずだ。

 

 その考えをもとにジタバタと足掻くのをやめ、周囲の変化に感覚を向けていれば、やがて一つの異変を捉えることに成功した。

 

「なんだ、この音は……」

 

 霧の中に響くのは幾多もの破壊音。建物の壁が砕ける音、ガラスが粉々に散る音、ゴミ箱がへしゃげて吹き飛ぶ音。さらに耳を覚ませて、聞き取ろうと集中して拾ったのは、何かが空を切り裂く、甲高い飛翔音だった。

 

「ガッ……、アァッ!?」

 

 その刹那に、俺は何かに肩を撃ち抜かれた。

 あまりに速すぎて、攻撃に反応する事はできなかったが、それでもその正体は、一瞬目に映ったあの()()()()()で理解できた。

 

「その緑色の、光線。………()()()かよ」

「しかり。よくぞ見逃さなかったな」

 

 不意に頭上から声が掛けられる。釣られてその方角に顔を向ければ、さっきまで立ち込めていた霧が薄れて、露わになったドームの天井部に、アルバート……と推察できる人物がいた。

 

 疑問符がつくのはアルバートの姿があまりにも変質していだからだ。

 その体は全てが白く塗り潰されていて、端々が繊維状に解けて分解されていた。そのせいで骨や内臓がところどころ見えるようなっていて、特に鼻から上、脳みそに至っては完全に剥き出しの状態になっていた。

 そんな有様でありながら、アルバートは平然と笑みを浮かべて、この白いドームの外郭と深く融合していた。

 

「ハハッ……! ハハハッッ……!! 己のこの姿! そしてこの環境! 変貌したあまねく要素に戸惑ってはいるが、闘志の芯は手折られることなく、己に目を注いでおるな。それでこそ披露した甲斐がある」

 

 目も耳もなくし、口だけが残ったその顔。しかし俺のことは変わらず認識しているようで、その口はすっかり饒舌さを増し、どこか隠し切れない光悦が滲み出ていた。

 

 対して、俺はだんだんと腹が立ってきた。

 さっきから訳のわからない事ばかりが続き過ぎるのだ。

 

 ──だからいっそ、こちらから踏み込んで、情報を吐き出させてやることにした。

 

「そのお姿は、あなた自身が望んだもののようですね。ならば早速、この作品の解説をしていただいてもよろしいですか? いかんせん、こちらは美術には疎いのです」

「あぁ、随分と急くのだな。まぁよい。初披露するこの傑作。その第一観覧者なのだ。深く堪能して貰わねば、こちらが廃るというものよ」

 

 案の定というべきか、アルバートは俺の挑発に乗ってきてくれた。薬指はわざわざギャラリーを開いて、作品を見せびらかす輩だ。その招待客がなんの理解も感想も残さずに去るだなんて、許容はしないだろうと踏んだのだ。

 

 

「キュレーションに入るとしよう。まずはこれを感じ取れ」

 

 その言葉と共に、再び白く濁った帯状の霧が押し寄せてくる。といっても今度は俺の腰の高さの辺りまでだった。細かい調整まで可能なのかと、驚きつつそれに手を伸ばせば、霧からはまたあのなんとも言えない、脈拍のような振動が伝わってくる。

 

 いや、これは本当に霧なのか?

 

 周囲に風が吹いている様子はない。にも関わらず霧はアルバートの意のままに動き、時に寄り集まって俺を阻んだ。そしてあの白く染まり切った姿に、ブリーフィングで得た情報。まさか……

 

「この霧全てが"肉体"の一部……!?」

「そうだ!! 己は遂に……、己自身の枷を解体し、弾け、拡張するに至ったのだッ!」

 

 アルバートが喜悦の笑い声をあげると同時に、漂う霧が一層濃縮されて、幾本もの鋭い線の形を生成すると、俺の周辺に張り巡らされた。

 

 この糸は俺という観客を逃さない牢獄か、それとも新たな反応を欲する釣り糸か。

 上等だ。引っ掛けられた疑問への答えという餌に、存分に喰らい付いてやろうじゃないか。そう意気込んで、俺はその凝縮された白い糸に触れる。

 

「網目状に絡まって更に脈が強まっている。もう人の動脈と変わらないぐらいですね。……これがあなたの肉体であるというのなら、漂っている霧の材料は……あなたが寄り集めた、人間の基幹部という訳ですか」

「あぁそうだとも! やはりこちらが選んだ客というものは見る目がある!」

 

 打てば響くというべきか、身を捩らせて笑うアルバート。よく見ればその体に纏わりついているのは霧ではなく、あまりにも膨大な細くて白い糸が、真綿のような密度で接続されていた。

 

入手した美術材料(攫ってきた人間)を丹念にほぐし、その精髄を損なわぬよう、細心の注意を払って露わにするのだ。そうして摘み取った神経路をまた適切に切り分けて、己の精髄と刻み合わせる……」

 

 熱の入った悍ましい加工演説が耳に届くが、必要な情報だけを取捨選択して削除する。この場で重要なのは、霧を操る仕組みと目的だけだ。狂人の戯言など理解不能なノイズでしかない。まともに受け取ってたまるか。

 

「!!」

 

 だがその時、"ドクン"とアルバートを中心に大きく霧が波打った。同時にまたあの風切り音が聞こえてくる。

 

「ヴァラキよ、知っているか? まだ死にきれていない他人の神経に、自身の意思を通わせるとな。なにか……刺激が走るのだ」

 

 周囲を漂う濃い霧の中で、緑色の光が稲妻のように瞬き、その風切り音が徐々に大きく、甲高(かんだか)く鳴り、加速していく。

 

「単なる肉体の拒絶反応か? いいや、あの脳裏に湧く火花の色彩はそんな矮小なものではない。もっと純粋で激しいものだった」

 

 途切れることない閃光の連続は、遂にその臨界点を超え、風切り音すらも置き去りにした。

 

「己は、あの弾ける光を最高傑作(マスターピース)に添えたいと思ったのだ……!!」

 

 直後、俺はその緑色の雷撃に撃ち抜かれ、地面に膝をついた。

 

(クソッ……、腹か……)

 

 被弾した箇所、親指の制服生地をあっさりとブチ抜いて、強化施術ごと貫通された脇腹の穴を手で圧迫し、止血する。傷が深い、少し経てば動き回れるだろうが、今はまだ難しそうだ。

 

 

「美しい、光の発散……、それで天蚕糸を用いたという訳ですか……」

 

 その時間を稼ぐために話を合わせる。ひょっとしたら向こうは元よりそのつもりだったのかもしれない。急所を狙われていれば、それで死んでいた攻撃だ。

 実際はどうあれ、アルバートは追撃してこなかった。俺との会話を続ける気のようだ。

 

「しかり。知っての通り精製されたあの糸は、単体の状態ですら蠢き、生命力に絡みつく性質を持っておる。……今、お前の傷口に沿って縫い合わせているようにな」

 

 そして俺の思惑までしっかりと言い当ててくる。本当に厄介で嫌になる相手だった。

 

「あぁ……、今の己は触覚しか持ち得ぬ故に見えんのだが、親指の管理するその色調はさぞや血に映えるのであろう。骨に合う我らのものとは違う。それでこそ争って奪う価値があるものよ」

「……まさか、本当にそれでこの戦争をふっかけてきたのですか」

 

 この戦争の原因を俺は詳しくは知らない。ただ噂としてあったその与太話を、当事者たる者の口から言われて流石に驚いた。

 

「知らぬとは呆れたな……。事実だ、それをめぐって親指のカポを殺したのでな」

「……呆れるのはこちらのセリフですよ。美の追求のためだけに、ここまで大きな騒動を引き起こしますか……」

「まぁ数ある要因の一つにすぎんが、それに先に侮蔑を行ったのはそちらだぞ親指」

「いったい何を……?」

「近頃、お前たちは残酷なる映像を撮るよう傘下組織に広く命じ、それ故に我らがギャラリーへの盗撮行為が後を経たたん。なんの理解もない物見遊山な視線で作品を擦り減らしおって……ッ!!」

「お、おう……」

 

 ……どこぞの蝶々が、手柄欲しさに後先考えず羽ばたいた結果だろうか? 別にそうと決まった訳じゃないが、腹が妙に痛む話だった。

 

 

「……だが、この争い自体は悪くない。生の本質とは結局、動乱と野心の奔走。故にこそ己は思念の糸を張り巡らせた……!」

 

 その言葉と共に、アルバートの発する圧が変わった。これまでが掌に乗せて眺めるようなものだとしたら、今はその指をゆっくりと閉じて、圧迫する粘ついた殺意が、俺に寄せられる。

 

「違う目的を持つ生命が衝突し、反発し合い生み出させる衝撃と閃光! その光景を物理的に出力する為の機構こそが、この舞台だッ!!」

 

 突如、耳をつんざく高周音が鳴り響いた。

 白く澱んだ静寂のしじまを裂いて、糸が引き攣つられるキリキリという音の連なりが、何十、何百と重ねられる。

 

「集合されし無数の人間は、その本質の下に解体し尽くされ! あらん限りの広がりを見せるが! 全ては己という一点へと収束し、積層される!!」

 

 漂う霧の中を、膨大な数の糸が強く張られていた。

 これ全てが、摘出された人の神経だというのなら。引き攣ったその音は、未だ死にきれない細胞の悲鳴であり、反射して見せる光沢は、涙とも言えるのだろう。

 

 その無機質なまでに生々しい、地獄の中天に居座るアルバートが、俺に向けて吠える。

 

「さぁッ! 我が観客、ヴァラキよ! この作品を見てお前はどう感じた? 口に出してみろッ!! ……あぁ、世辞なぞ混ぜてくれるな。思うがままの胸の丈を聞かせてくれ!」

 

 

「……………」

 

 さて、どうしたものだかな。

 俺は腹の傷口をなぞりながら思案した。こうして待ってくれるのは、相手の余裕か信条か。いずれにせよ、俺はその問いに答えねばならない立場にあった。

 

「……そうですね。ご所望とあらば、自分の率直な意見を述べさせていただきます」

 

 空いている方の手を伸ばして、周囲に漂う霧の一つを指でつまむ。触れたのかもわからないほど薄く、繊細で不定形な輪郭の白織物。しかしそこには有機的な鼓動が静かに宿り、そのすべてを言葉で表すことのできない、独特な感触が伝わってくる。

 

「確かに、この光景は得難いものでしょう。頭で思い描いたとて、それを実現させる為の労力や、妥協を許さなかった緻密な拘りようには、感服せざるおえません」

 

 白い空間が僅かに揺らぐ。喜んでいるのだろうか。だが感想はこれで終わりでは無い。思うがままに言えと命じられたのだから、包み隠す方が無礼だろう。なにより、どう答えたところで、その後の展開は変わらないのだから。

 

「しかし、敵を殺す武器として見るならあまりにも非効率です。製造にコストが嵩みすぎですし、攻撃自体にだって無駄が多い。なにより勝利という目的に対して、使用負荷が釣り合ってるとは思えません。なぜ実戦に持ち込んだのですか……! ここまでして自分の美術を体現する必要があったのですか!?」

 

 目上の相手に向けて、本音を吐露できる稀な機会だからか、俺の口は熱を持って、腹に溜まった余分な疑問にまで掘り進んだ。

 

 

「当然だ。美は己の人生の全てであるからな」

 

 俺の疑問に、アルバートはただ淡々と答えを返してきた。そしてその内容はとても意外なものでもあった。

 

「ヴァラキよ。お前が裏路地出身であるならわかるであろう。あの日々を生き抜くためだけに、泥をも啜る痛みを。何もかも手放して、目の前の生にしがみ付かねばならぬ惨めさを」

 

 理解不能な理屈などではなく、とても馴染み深い

 

「そんな中で唯一奪われず、側にあってくれたものが、"美しい"と感じる心だったのだ。どうしてそれを蔑ろにできよう」

 

 裏路地の地べたを這う、弱者としての願いであった。

 

「……だったら大人しく絵でも描いといて下さいよ。なぜあなた方は毎回、残酷な方法に行き着くのですか」

「決まっておろう。薬指は指の中で最も、己が"欲望"を抉り出し、研鑽せねばならぬ場所だからだ! 与えられた規則に安寧と従属せる他の指共とは違う。芸術感性という己が翼を生やし、誰よりも疾く、鋭角に飛び続けねば失墜する。ならば制作に用いる画材も、より良き物を選択するが道理であろう?」

「それが人間という訳ですか……」

「しかり。都市でそれ以上に有益な素材はおらん」

「ハァ……、そうですか」

 

 とはいえ、性が似ていても、結局はその生きた過程で、悍ましくねじ曲がったらしい。

 俺は全身に付けた血を軽く拭って、銃を手に立ち上がった。もう回復は十分だ。ならば後は、定められた決裂に進むのみ。

 

 

「御高説いだだきましたが、生憎と自分には相容れないようです。どれだけ精巧に作られた物であっても、親指に与しないのであれば、無用の長物です」

 

 懐より取り出した()()()()()。それを愛銃の弾倉へと装填し、宣言する。

 

「親指がソルダートIIII、ヴァラキ。カポの命令に従い、あなたを討ち取らせていただきます!」

 

 するとドクンと空間が大きく弾み、鼓動のような振動が伝わってきた。視界の端で、またあの緑色の光線がチカチカと瞬く。

 

「やはり体で痛感せねばわからぬか。薬指が立体派ドーセント、アルバート。死を持ってお前に美学を刻みつけてやろう!」

 

 かくして、冗長な会話はお開きとなり、お互いに引き金を放つ場面へと転換する。

 

 

 爆発じみた轟音と鋭い風切り音が、ほぼ同時に鳴り響き。

 真っ赤に燃焼する銃火と、飛翔する緑の雷撃がぶつかり合い、発生した激しい閃光が、霧の街を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………った

 

「見切っ……た!! 斬ってやったぞッ!!」

 

 濛々(もうもう)と焼けた黒煙を吐き散らし、抑える腕すら喰い千切らんばかりに暴れ狂う俺の愛銃。

 その常軌を逸した突貫の後方では、切断された糸束たちが焼け焦げて、宙を舞っていた。

 

「づぐッッッ……カ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァッ"ーーー!!」

 

 アルバートの苦悶に満ちた悲鳴がこだまする。この糸は全て奴に結びついた神経で出来ている。膨大な数を一度に斬られ、高温で炙られ続けるとなれば、その痛みも相当なものなのだろう。

 

「防火耐性もあったようだが、それをブチ抜く火力があればこのザマだ! 気分がいい!」

 

 ごちゃごちゃと言っていたが、要するにこの作品は、内部に対象を閉じ込めて、矢に加工した天蚕糸を、加速して射出する電磁砲(レールガン)ということだろう。まさか人間の電気信号で撃ち出すものがあるとは、思いもしなかったがな。

 

「仕組みさえわかれば、対策もかなう!」

 

 一撃目をくらった時、あれはもう見て躱せるものではないと判断した。だから二撃目が来る時には、殺されないだろうと踏んで、観察することだけに注力した。

 光と音の間隔や、レールとなる糸の軋み具合、加速にかかる時間、空気の揺れ。全感覚を動員して、発射の予兆を掴み取ったのだ。

 

 実際にやれるかどうかは一か八か。だが俺は自分の勘と、この弾丸のもたらす力を信じた。

 

「黒狼焼夷煙弾……! 相変わらず無茶苦茶な火力だな!」

 

 これは猛虎標弾のように、推進弾を魔改造して生まれた超特殊弾であり、ソルダートIIIIに昇格した祝いでガリアーノ様よりいただいた、俺の持つ最大の切り札だ。

 その効果は見ての通り、通常の推進弾とは桁違いの出力を誇り、さらに触れたものを延焼させる特殊な高熱を付与する。そして加熱された刀身が空気をも焼いて、黒い煙が立ち込めるのだ。

 

 真っ黒に焼けた痕跡で、白い世界を焼き染めながら一直線にひた走り、この世界の核たる創造主、その喉元へと跳躍する。

 

「一発が馬鹿みてぇな値が張るんだ! 早々にくたばりやがれッ!!」

「ぐぅぅッ……! 地金が割れたなヴァラキ! だがそれでこそ解体しがいがある!」

 

 飛び上がった空中に無数の糸が展開される。縦横斜めと、俺の行手を阻むよう張られた糸の檻。一つ一つが途方もない硬度を持つそれらが、一斉にその張力を解放して、しなる斬撃の鞭として殺到してきた。

 俺は二発目の引き金を放ち、その全てを切り払う。唸りを上げる轟音と灼熱の輝きが、世界の色を塗り替えた。

 

「カ"ア"ア"ウ"ゥ"ゥッッーーー!!」

 

 もはや爆発といっていい推進力に、全身の捻りを加えて、軸を展開する。回転切り。最初にあっさりと止められた攻撃だが、今度は超速で回るノコギリの刃のように、俺の制御すら超えた切斬を成す。

 アルバートが痛みに怯んだ隙をついて、黒煙を排気し強力なエンジンじみた音を立ててぶん回り、宙空を駆け上がって、一気にその玉座へと登り詰める。

 

 

(ここで……、決める……!!)

 

 残弾はあと一発。そしてこれは俺と銃の限界(リミット)でもある。この超特殊弾は強力な分、あまりにも負荷がデカい。既に銃の機関部はガタついて崩壊間近であり、俺自身も関節が幾度となく外れて、全身に内出血を重ねている。故にあと一撃が限度だ。

 

 吊られた糸の防壁を全て切り裂き、その推進力と引き換えに天井へと到達する。遂にアルバートと同じ位置にまで並んだのだ。

 

 

「ッ……!!」

 

 慣性と重力が打ち消し合うゼロ地点。浮遊感に揺られる刹那の間に、アルバートと目が合った。奴に眼球が無かろうと、今強く注視されている。

 

 それが何かを企んでいようと、ここが終着点だ!

 

 俺は愛銃を天を突くように掲げると、両手で振りかぶり、三発目、最後の引き金に指を掛けた。そして撃発しようとしたまさにその瞬間、鋭い糸が張られた。

 

 本数は僅か、だがその距離は俺とほぼ密接する位置に張られている。

 

 なるほど、確かにこれは有効だ。あくまで斬るのは加速された銃剣であり、俺自身が接すれば裁断されて終いだろう。この距離じゃ避けることもできない。

 

 ……ならどうするか? 

 持てるもの全てを搾り出すしかないだろう。

 

 

『ほんの一部。それも付け焼き刃だが、君なら上手く使うだろう』

「出ろよ……、"漆喰"ッ!!」

 

 全身に擦り付けた俺の血、その中に含まれるとある因子に、出陣前にガリアーノ様に植え付けられた"痛み"に呼びかける。

 使ったことなどない未知の技術。それでもこの土壇場で縋れるのは、これを成功させる道だけだ。だから……、出ろッ!!

 

 

 ビキッと小さな音が鳴った。発されたのは俺の体表。糸と接するピンポイントな箇所にだ。

 そこには俺の血と肉と触れた物を喰らい、硬質に固まった小さな結晶が生成されて、部分鎧のように俺の身を守っていた。

 

「ハッ! 賭けに勝ったぞ!!」

 

 引き金を放ち、最後の黒煙を解放する。銃口から噴火のような硝煙を巻き上げて、奴にトドメの一撃を叩き込む。

 

「あばよ芸術家! 親指の名の下に、その首を、晒せーーッ!!「想定以上に楽しめたぞヴァラキよ……」

 

 瞬間、俺の左手が片口から消し飛んだ。

 

 

「えっ……」

 

 完全に、まったくの、予想外の、想像だにしない事態。

 何が合ったのかまるで理解できず、俺にできたのは、ただ傷つけられたその方角に首を傾けるだけだった。

 

「立体派とはあらゆる物事を解体し、その全ての面を集積させる奥深き技法である。たかだか糸を張り放つだけの浅はかな作品と誤評するなぞ、不敬だぞ」

 

 空を散る血飛沫さえも止まって見える遅延された光景。あまりの危機に脳がおかしくなったのだろうか。

 轟音を奏でる銃火を握ってるのに、世界はあまりにも静かに感じられ、アルバートの声がはっきりと、死刑宣告のように冷たく耳に突き刺さる。

 

「見ろヴァラキ、お前に受けた痛みを形にしたものだ。良き出来だろう」

 

 アルバートの側に控えるそれは、巨大で歪な剣の形をしていた。反り返った長大な刀身に、溶解した持ち手。その全てが不均等に噴出する無数の棘に覆われて、その刃には赤い血を垂れ流す、俺の左手が貫かれていた。

 

「がっ……! あっ! ああぁぁぁ……ッ!!」

 

 咄嗟のことで痛みはない。ただ現状を理解した、してしまった嗚咽が口から漏れる。あの剣が、俺を背後から貫いて腕を捥ぎ取っていったのだ。

 

 あぁ、そうだ畜生! 

 完全に油断していた。

 

 これは糸を編んであらゆる形状を紡ぎ出せる、膨大な汎用性を内包した作品だったのか。よく見ればあの剣も、大量の白い糸に、緑の線を編み込んで形作られいる。

 

「お前からの刺激により、天蚕糸の加速もかつてない域を見せた。やはり実践こそ作品を昇華させる最適な場であるな」

 

 嬉しくて仕方ないと、歯を剥き出しにしたその笑顔が近づく。俺が近づいているんだ。弾はもう発射してしまったんだから。

 片っぽだけ残った腕で荒れ狂う銃身にしがみつき、無様に振り回されながら飛翔する。その乱高下する軌道にあわせて、俺の情緒もグチャグチャに絡まっていく。

 

 その行先には、アルバートがあの巨大な剣を設置していた。俺の姿がよく見えるよう、自分の正面に構えてだ。

 

「心から感謝しよう、我が観客ヴァラキよ。その死に顔をもって、この公演の幕を閉じる」

 

 

 剣の刀身が迫る。こんな状態で太刀打ちするなぞ不可能だ。

 

 

 じゃあ銃から手を離してみるか? もう勢いが強すぎるし、下に逃げたところで勝ち目なんかない。

 

 

 なんとかして避けろ! そんな制御できるかッ!

 

 

 あ、ダメだ……。

 

 

 

 終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ヴァラキ)

 

 

 確定した死の未来。自ら生み出した加速度に沿って、そこへ突っ込んでいく末路。

 思考だけが引き伸ばされた手遅れな時の中で、俺はただ訪れる結末を眺めることしかできない。

 

 失意。切迫。恐怖。後悔。怒り。

 寄る辺なき感情の波が全身を打ち砕き、思考が虫食いのように白く飛んでいく。心がどうしようもなく揺らいでいた。

 

(……じゃないって)

 

 ガタガタと歯が震えて、潤んだ視界が崩れ歪む。この上なく無様な顔をしているのだろうか。あぁ、こんなことなら親指の仮面を外すんじゃなかった。心なんて取り戻さなきゃよかったのに……。

 

(そうじゃないって言ってるでしょう!)

 

 

 

 ……何かが、聞こえる。

 ………荒れ狂う心の波の中に、()()()()()()()()

 

 

 遅延する時間も、迫り来る現実も、頭を掻き回す感情も、全てが押し流されて消える海岸線。ただ砕け散る波の音の中に、小さな声が聞こえた気がする。

 

 

(もうヴァラキ、そうじゃないって言ってるでしょう!)

 

 波の飛沫が、ちっぽけで、それなのにずっしりと重い、古い欠片を運んできた。

 

 

(刃物の扱いが下手くそなのよ。力を込めればいいんじゃないって、教えたでしょう)

 

 ずっと……。ずっとずっとずっと、俺の側にいてくれたその旋律。懐かしい音の響きが、耳に聞こえる。

 

 

(やってるじゃん。ちゃんと腕とかの動きに合わせてタイミングよく。だろう?)

(いいえ、違うわよ!)

 

 バチバチと鳴る火花、閃光。それらが瞬いて、君の顔が、その姿が、()()()()()()()()()()

 

 

(自分のことだけじゃダメなの。もっとよく周りに目を向けて、感じなくちゃ)

 

 ほら見なさい。と彼女が一本の糸を取り出す。それを俺の眼前へ突き出して静かに揺らした。

 

(ほら、この糸が風にたなびいて作る曲線と同じ。どんなものにもこう……波があるのよ)

 

 大雑把ながら、彼女はなんとかその感覚を言葉に乗せようと、目を白黒させて口に出す。

 

 

(引いていく波に力を掛けたって正しく届かないでしょ。でも逆に波の天辺さえわかっていればね……)

 

 

 不意に景色が現実に立ち戻り、俺の手には暴走する銃が握られていた。けれどその声は俺を離すことなく、ずっと語りかけてくれる。

 取り落とされないように必死に掴んで、固く力んでいた腕に、温かい感覚が流れ込んだ。

 

(そこに刃をカチ合わせれば、どんなものだって綺麗に切れるのよ)

(う〜ん。さっぱりわからないや)

 

 ピンと極限まで張られた、一筋の糸が見えた。その糸を辿って俺は、腕を大きく振りかぶった。

 

「はぁぁぁぁぁ……ッッッ!!」

 

 息を大きく飲む。

 腹の底から、余分な力を吐き出しながら。銃剣を握る以外の全てを手放して。

 

(やっぱり君は凄いやつだな……)

 

 呼吸を消費して体内で生み出される運動力。手の中で爆ぜる火薬。ひたすら突き進む推進力。切り裂いた風の音。迫る巨剣の振動。その歪み。

 

 空っぽになった体は、全てを鋭敏に捉えて、あるがままに受け入れる。

 数多の選択肢が現れては消えゆく只中で、俺は自分の最も望ましい道を選んだ。

 

(でもいつか、絶対に君に追いついてみせるよ。……"レイナ")

 

 

「いくぞッ……」

 

 東部に端を発するこの技は、同じ名前の下に多くの派生を生み出しており、その型式は担い手によって千差万別。

 

「快刀ッ!」

 

 されど、どれほどその形態が異なろうとも、その本質は常に一つ。

 

 

「乱麻ッ……!!」

 

 全身全霊、全ての力を集約させて、一息に振り切るのだ!!

 

 

 重く、軽く、疾く、鋭く。放たれた一筋の残光が、全てを切り開いた。

 

 

「そんな、バカな……!!」

 

 正面。両断された剣の向こうで、俺はアルバートと顔を突き合わせる。

 

 

「………俺の勝ちだ」

「あ、あぁ! ……クソ、見事だ!!」

 

 その脳天に銃剣の刃が突き立てられた。

 

 パキンと白く濁った天幕に亀裂が走り、奴の世界に終末を告げる響きが雪崩のように押し寄せた。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「…………終わったのか」

 

 顔を上に向けながら呟いた。

 まだ頭がぼんやりとしていて、これが現実であるという実感が湧かない。

 

「ゥ……ア、キ」

 

 全ての糸が繋がっていた原点。それが解けたことで、糸で構成されていたあのドームはバランスを失い、不均等に引っ張られてバラバラに千切れ飛ぶ。

 

「ヴァ……ヴァラキ、よ……」

 

 主柱たるアルバートが砕けたことで、その巣は完膚なきまでに崩れ、止めどなく離散していく。

 

 

「己は……雲になりたかったのだ……」

 

 白く閉ざされた舞台の幕は降り、現れた本物の空には、ちょうど雲の切れ目ができていた。

 

「風を受けて揺蕩い……、何者にも遮られることなく、自由に……形を変えて広がる………あの空の、くもに」

 

 致命的な損傷を受けて、もはや気力だけで言葉を紡ぐアルバート。

 急速に色褪せていくアルバートの手が、静かに空に伸びて、落ちた。

 

 その寂れた様子を暴くように、雲の隙間から薄明光線(エンジェルラダー)が差し込んだ。

 

「……そうか」

 

 薄汚れた瓦礫と共に横たわり、一切の装飾をなくした剥き出しの遺言。

 普段なら死に際の妄言と切って捨てるその言葉に、なにか返事をしたくなった。

 

「その雲の糸は断たれた訳だが、どんな感じだ……」

「……………さ、むい。……くらくて、さむい…ぞ」

「あぁ、だろうな……」

 

 そうしてすぐに、アルバートの息が止まった。閉じてやる瞼すらないから、代わりに上着をその死に顔に被せてやる。

 

 天であれ、地であれ。味わうことになる死の感覚は同じであろうから。

 せめて安らかであれと、敬意を込めて。




【快刀乱麻を断つ】
物事が拗れて、複雑に絡まってしまった様を、鮮やかに解決してみせること。

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