パンのみに生きるにあらず   作:改造黄金虫

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ある日の事でございます。その方は地獄の血の池に波紋を揺らし、独りぶらぶらと御歩きになっていました。
するとその水面の底に、一人の男が他の罪人と一緒に蠢いている姿が、御眼に止まりました。


第23話 都市の下を流れる星よ 1/2

 

 今日もまた雨が降っている。

 

 都市の中でここは雨の多い地域だと聞いたことがあったけれど、この天気はあまり好きになれない。

 

 幾度なく地上を打ち鳴らし、染み入ってくる独特の香りは、気を抜けば思考を勝手に深い散策へと導き、かつての懐かしい空白の日々へ手を──

 

「グッ……、クソ忌々しい!!」

 

 強烈に痛む頭の奥を抱えて、俺は心底から吐き気を催した。

 だが吐くわけにはいかない、裏路地の孤児にとって、食糧は貴重なんだ。喉奥の焼け付く感覚を無理やり飲み下して、俺は浮かび上がった何かの断片を隅に追いやる。

 

「邪魔だ……、捨て去った無価値なものが、俺の邪魔をするな……!!」

「お、おい……なんなんだよお前、変なクスリでもやってるのか!?」

「……あぁ?」

 

 俺の足元、幾つも転がっているその内の一つが、図々しくも声をかけてきた。苛立っていたこともあって、俺はその土手っ腹に蹴りを叩き込んだ。俺の動きに応じて、脚に巻き付いた細い金型が収縮してその威力を倍増させる。工房で買った強化外骨格は、安値の割にいい効果を発揮して、ムカつくゴミを遠くに蹴飛ばした。

 

「気安く話しかけるな。俺はお前ら風情とは違う」

「がっ……、あぁ……。なに、が違うんだよ。お前もこのチームのメンバーだったろうが……」

 

 そういってしぶとく声をあげるそいつは……、たしかリーダーだったか? まぁどうでもいいか。たが確かにそいつが言っている通り、俺はそいつらと同様に薄汚い格好をした孤児であり、更に同じ所属を示すように、腕には同じ色の布切れが巻かれていた。

 俺はもう用済みとなったそれを引き千切ると、忌々しげに踏み躙り、嗤った。

 

「お前たちと連まなきゃならねぇ時間は、ひどく苦痛だった。何が悲しくて、人間未満のゴミクズ共と仲良くしなきゃならねぇんだ」

「だから……、お前だって行き場のない孤児じゃ」

「黙れ」

 

 俺はその無駄によく回る口に、そいつの顔面諸共靴の下に踏み敷いて、強く圧迫する。二度と俺に不快な思いをさせないよう、不出来な脳に叩き込んでやるために。

 

「俺は、このゴミ山を踏み躙り、何としてでも這い上がって、立派な人間に至るんだ! 汚らしい底辺で、右往左往するだけのクズ共が俺を同一視するなんぞ……、許すものか!!」

「フフッ、とても威勢が良くて健気な宣言だね」

 

 突如として背後から聞こえた声に、俺は咄嗟にその方を向いたが、その姿を認めると同時に視線を下に逸らした。何もかもが寂れ、色褪せたこの裏路地において、その色は余りにも鮮烈なものだったから。

 

「結構、最低限の礼儀は弁えているんだね。なら私からご褒美に、一つアドバイスしてあげよう」

 

 上品な靴の音を鳴らして歩き、シックな黒スーツの上から、金の縁取りがなされた暗赤色の外套を纏ったその姿は、暗い路地の中でも確かな存在感を放っている。だが何よりも、その身に纏う格好に負けないどころか、押し勝っているかのような印象を、その人物は宿していた。

 

「こういう口さがない奴はね、顎を砕いてやればいいんだ」

 

 突然横から足を蹴り出して、ピンポイントにそいつの下顎を捉えて破壊するその人物は、腰まで伸びた黒髪に一陣の不吉な赤い線を走らせて、出し難いほどに澱んだ目をしていた。

 

「おや、あまり驚かないんだね。これを初めて見た奴は大抵腰を抜かすんだが」

「…………」

「あぁ、もう喋ってもいいよ。その姿の割に物知りなんだな君は」

「はい、ありがとうございます」

 

 果たして声を上げなかったのは、その人物が所属する組織を考慮してか、それとも単にその人自体に気を取られていたからなのか。俺自身にも判別がつかなかった。

 

「ふむ、それでこの地面に倒れ伏している連中が、近頃天蚕糸の工場で盗みを働いていた、ミニッツメン……とやらでいいのかな?」

「はい、相違ございません」

「ぐ……ぐかっ」

 

 縄に身を縛られて、芋虫のように這いつくばっているこの連中。それこそがこの人物がここに寄った原因であり、俺が潜入してまで拘束した、厄介な盗賊団だった。

 

「子供の群れでありながら入念な下調べを欠かさず、その身軽さと器用さで確実な盗みを遂行して、その犯行は僅か一分にも満たない。この工場も随分と手こずらさせたと聞いたけれど、君はどうやって捕まえたんだい?」

「簡単です。最初から裏切る予定で内部に忍び込み、食い破ってやったのです」

「ハハハハッ! いっそ清々しいやり口だな」

 

 その人物は、一見穏やかな雰囲気を纏ってはいたけれど。今の腹を抱えて笑うその姿は、まさに口の裂けた獣そのものなように見えた。先の容易い暴力の行使といい、これがこの人物の本性なのだろうか。

 

「……でも君、そんな信用ならない人間だと、自分で喧伝してしまっていいのかい? 裏切りという行為は、とても重たい十字架だよ」

 

 不意にその人物が膝を合わせて、俺の眼の中を覗き込んでくる。必然的に俺もまたその人物の眼を直視するのだが、そこに見えるのは、なにもない、底なし穴のような真っ黒い瞳だけ。

 

 ……いや、これは穴ではない。

 どうしようもなく澱んで、詰まりきっている黒い泥の海だ。そのひどく濁ったさざ波に、ゆっくりと蠢動するその潮目に、俺は意識が引き摺り込まれそうになる程の引力を感じていた。

 

「……知ったことではありません」

 

 俺は敢えて、その危険を感じる境界に切り出した。

 なぜかその人が放つ強烈な毒気に、もっと近づいてみたくなったから。

 

 それは俺がこの先生きていく上で、とても有毒(有益)なものを秘めていると、圧迫された生存本能が、どうしようもなく彷徨っていた理性が囁くのだ。

 

「この都市では、不用意に脇腹を晒した奴が悪い。そうではないのですか?」

 

 憂も恐怖もない、ただ純然たる事実を並べただけの口調で、真っ直ぐに暗闇を見つめ返す。切に身を投げた俺に対して、その人は朗らかな笑みを返してきた。

 

「君、いい目をしているね」

 

 貪欲で荒みきった眼が近づいてくる。その黒い水面の中には、俺自身の眼が克明に映り込んでいた。

 

「粘ついたコールタールを煮詰め、腐らせたようなどん詰まり。地の底で踠き続ける飢えた獣。度し難い呪いで自らを雁字搦めにした、()()()()()

 

 その人は、悦びなのか飢えなのかも区別のない、熱くねったりとした吐息を耳に被せ、歯を剥き出しに問い掛けた。

 

「君は、何があってそうなった」

 

 まるで喰い千切られる餌のようなその構図に、俺はただ乾いた笑顔を浮かべる。答えられるものなど、一つしかないのだから。

 

「なにもありません。全て砕いてしまいましたから」

 

 俺の答えに、その人は小さく目を見開らいて、ますます食い入るようにして、俺の瞳を覗き込んできた。

 

「………そうか、残念だな」

 

 その人は一応の返事として声を発したが、やはりどこか上の空で。その執着が向けらるのはただ一点。もはや俺の声が耳に届いているのかも怪しくなるほど、強く俺の瞳に重なり続けて、そこに垣間見える何かを探り続けていた。

 

 そうして幾ばくかの沈黙がお互いの間に過ぎ去った後に、その人は口元を、うんと歪めたのだった。喜悦の形に沿って。

 

「あぁ……でも君、ずっと沈んだまんまだ」

 

 その人が何を見て語っているのか、比喩的で迂遠なその言い方に、合理的に探ろうとしてもまるで追いつけない。しかしそんなものより、感覚としてこれ以上なくしっくりとくる、通じ合ったものがあった。

 

「砕き、忘れた。けどその程度で抜け出せなかったみたいだね」

 

 それは絶えず背筋に張り付いて、俺を締め付けてくる奇妙な感覚。冷たくて、ひび割れるように切なく痛み、不愉快であるのはずなのに、どうしても手放せない。

 

 まるで影のようにぴったりと寄り添い、目を眩ませる彷徨の瞬き。繋ぎ止められた足枷。

 

 ■■■■(思い出せない)の影。

 

「もし君がそこから這い上がりたいと望むのなら」

 

 そんな俺の地獄を見下ろしながら、その人はまるでお釈迦様のように手を差し伸べて。

 

「私が道を手引きしてやろう」

 

 自らを薪に焚べて、業の火に炙られる悪魔のように微笑んだ。

 

「私の名はガリアーノ。親指の奔流に乗るしがないソルダートにして。君に寄り添い、隣人となれるものだ」

 

 そう掛けられた誘いの声は、紛れもなく俺の現状を破壊して、何処かへと導く蜘蛛の糸であり、二度と訪れることはないだろう一回性のチケットであった。

 

 

 俺は……。

 

 その掃き溜めに棲む"俺"を真っ直ぐに見つめてくれたその瞳に。地獄の底へ躊躇なく伸ばされた手に。

 

 自らの手を重ね、道を委ねた。

 

 あてどなく彷徨っていた糸が、静かに狂々と絡まっていくような感覚がした。

 

「よろしく。……あぁそうだ。まずは君の名前を聞きたいな」

 

 果たして、掴んだのは俺がその人か。

 どちらかもわからなくなるほど強く、痛いほどにを握り返してくるその手を取って俺を引き寄せると。まるで舞踏会のダンスへ誘うように、汚れた路地を軽く跳ねて、俺を正面から捉えた。

 

 その視線は穏やかだったが内に険が宿り、踏み出したのなら後戻りを禁ずると、言外に示すものだった。

 

「ヴァラキ。俺の名はヴァラキといいます」

 

 だから俺もそれに応えた。

 元より裏路地の底辺を這う者に選択の余地などない。迷う余裕なんて、恵まれた者の贅沢品なのだ。

 

 そして何よりも……

 

「そうか……。ならヴァラキ」

 

 その人からは匂いがした。

 濃い血の中で燻った強烈な苦味。混沌の中で明瞭に存在を顕し、嘔吐(えず)くような毒の香は、近づいた俺に染み入って、どうしようもない空虚さを覆い隠してくれた。

 

「君は人間にならないといけないよ。他でもない君自身が、そう自分を呪ったんだから」

 

 その言葉だけを頼りに、俺は目を閉じて、欠けた隙間を塗り潰す。

 この狂気に酔いしれてしまえば、きっとこの都市の中でも足を取られることなく。誰かの刻む旋律に沿って、踊り狂えるのだろうから。

 

 

 薄暗い路地の片隅で結ばれた、儚き影たちの小さな一幕を、降り頻る雨の囁きだけが変わらず彩っていた。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 なんとなしだが空を見上げた。

 

 今日もまた雨が降っていたが。その勢いはか細く微弱で、薄く張られた雲の向こうに月光が霞んで見えた。

 

 空の景色はただ闇の中に湿った空気が漂い、風に揺られるだけだった。

 

 上を向いた視線を水平に戻す。

 途端に見える世界は騒々しくがなり立てる。様々なビルが一斉に電光を放つそれは、夜の帷を切り裂いて己が領域を主張する、人間の浮かべた星であり、遠くからでもありありとその威光が見てとれた。

 その光の中では、或いはこぼれ落ちたその足元でも、大勢の人間が今も蠢いているのだろう。

 

 そう眺めていた景色を一旦閉じると、俺は再びギラついた夜の闇を一巡させる。柄にもなく感慨に耽っていたが、気を抜いているわけではない。むしろ逆だ。

 

 

 緊迫はずっと最高潮に張り詰めてる。僅かでもほぐさないと、キリキリと痛む心臓が、今すぐにで弾け飛んでしまいそうなんだ。

 

 

「はぁ……」

 

 眩しい景色から翻って、俺が今立っているのは廃れたビルの屋上部だった。この打ち捨てられた棟には当然電気など通っておらず、周りに建ち並ぶビルの群れも同様の寂れ具合だ。

 

 ここはあの廃墟群の外れに位置する街並み。工場爆破事故の煤を浴びて、悪評から多数の所有者からも手放された一時の空白地帯だ。

 

「まるで朽ち果てた巨大な墓標みたいだな」

 

 俺以外の全てが、死んでしまったかのような静かさだった。

 それもそのはず、ここに僅かに棲みついていたゴロツキや浮浪者も、前もって全員ご退去いただいているので、今この場所には本当に無人の静かさが漂っていた。

 

 その暗い影の中を雨音だけが響かせる様は、距離があるはずの地上の星灯りがうんと近くに感じられる程だ。

 相反する二つの世界が織り成す情景のコントラストは、星空を映した夜の海岸を想起させる。

 

 そんな神秘的な風景を目に収めながらも、俺は遮ることなく風雨に身を晒して、ただひたすらにその瞬間を待ち侘びていた。

 

「……まだか」

 

 ここはもう隠れた絶景の地などではない。

 交差して数奇に絡み合った道の終着点。どちらかが死滅するまで抜けられない泥沼の袋小路。血に染まりきった者達がその身を削る修羅の庭だ。

 

「来るはずだ、必ず……」

 

 なんの確証もありはしないが、それでも俺は確信していた。

 場所も日時も知らせていなければ、果たし状じみたものなんて当然出していない。

 だが仮に、どんなに巧妙に偽装して行方を絡ませたとて、彼女は必ず俺を嗅ぎつけて、狩り出させるのだと。

 

「だから今日、ここで迎え撃つのが最適解」

 

 俺が彼女を深く理解しているように、彼女もまた俺を深く識っている。

 

 だからこそ、俺は極限まで神経を張り詰させて、絶えず周りを警戒し続けて──

 

「ッ!!」

 

 黒く塗り潰された夜の世界で、人工の灯りとそれを反射する僅かな雨粒の線が描く光の中に、小さな瞬きが現れた。

 

 本当にちっぽけで、誰も目を止めないであろうその光の点を、俺は決して見逃さない。

 

「来たな! ()()()()()!!」

 

 足を屈め、身を大きく逸らしたその直後。

 雨粒を弾き、夜を切り裂いて飛来した銀の銃弾が、寸前まで俺が立っていた場所、その心臓のあった位置を通過していった。

 

 弾丸の進行はそのまま止まらず、この屋上の片隅に位置する給水タンクにブチ当たり、その輪郭を大きく歪ませて……

 

「ヤバいッ!!」

 

 一目散に床を蹴り飛ばし、柵を越え空中に身を投げる。

 

 背後では着弾点を中心にタンクが大きく螺旋状に捩れて、砕けることも許さず折り縮められてゆく。外殻の金属が異音と共にへしゃげるが、その内に溜まった水は圧力に耐えられず。臨界点を超えて、盛大に弾けた。

 

 火薬を伴わない水の爆発。硝煙もないもないがその威力は甚大で、単なる飛沫がコンクリートを抉り取り、さっきまでいた屋上をズタズタに引き裂いていた。

 

「克極螺旋弾……!」

 

 彼女が稀に用いる特殊な弾丸。

 その作用は見ての通り。着弾した対象諸共、鋳熔かして絡め取り、ぐちゃぐちゃに変貌させてしまう恐ろしい弾だ。

 同時に、その値段もまた恐ろしいものになっており、彼女がこれを使う時は、決め弾としてのみであったはずだ。

 

 そんなものを開幕一番に使ってくる理由など、一つしかない。

 

「ハハッ。わかっちゃいたが、随分と愛されてたいたみたいだな!」

 

 "私は、それだけ本気である"。

 

 そう伝える為だけに、こうまでしてくるんだから。

 

 隣のビルの側面に足を掛けて、射線の向こう、その闇の最中に目を凝らす。真っ黒に覆われたビルの隙間を軽々と、獣じみた動きで跳ね回る影が、幾つも感じ取れた。

 

「全力で獲る気満々だな。上等!!」

 

 呼応して俺もまた外壁を駆け上がり、ビルの木立へと身を踊らせる。

 

「来いよ犬っコロ共、畜生らしく棒で叩き殺してやらァ!!」

 

 高揚と共に風の中を駆け抜け、その浮遊感の中で薄らと光を感じた。見れば僅かに途切れた雲の隙間から月明かりが差し込んで、その静謐な輝きでこの地上を眺めていた。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 影を置き去り、頬に吹き付ける風を次々と追い越してゆく、圧倒的な跳躍感に揺られる。

 

「抜錨、巻取り……、よし慣れてきた、次ッ!」

 

 回収したアンカーを再度射出して、伸ばされた丈夫なワイヤーを起点に重力へ抗い。ビルの側面を滑走路に用いて、更なる加速を得る。もはやその勢いだけで、建物の森を跳ね回れるほどだ。

 

───ッ

 

 その遥か後方では彼女の放った忠実なる僕、黒夜の猟犬(コル・カロリ)たちがビルの谷を跳ね、必死に俺を追い縋っていた。連中の持つどんな場所でも踏破し、獲物に食らいつく自慢の脚力だが、生憎と今の俺には到底追いつけていない。なにせ使える手が違うんだから。

 

「ハハハッ! 愉快だなこれは」

 

 工房仕様の特殊ワイヤーフック。

 小型の錨を打ち出して、船を一時停泊させる。元はU社で使われていた物を、そのコンセプトを無視して魔改造した代物。言ってしまえばかなり出力の強い立体機動装置みたいな物だ。並の人間ならその反動だけで気を失う。

 

「けど俺なら自由に飛べる!」

 

 洗濯機に頭を突っ込んだかのような激しい揺さぶりと、風にぶつかるほどの強烈な慣性。その中で周囲を把握し続けて、瞬時に舵を切りらねばならない癖ものだが。そんな無茶苦茶な軌道、俺にとっては手慣れた道だ。自在に泳ぎきってみせるなど、造作もない。

 

「もっとも、つい最近まで倉庫の肥やしと化していたんだがな」

 

 何故かって?

 普通に嵩張るからだよ。

 

 フック発射機構だけで片腕が塞がり、巻取りリールなんて駆動部がゴテゴテと体にくっついてくる。飛び回る間ならともかく、ガチの戦闘する時は本当に邪魔だ。投げ捨てる自信があるぞ。

 

 そんな理由で、愉快な玩具となっていたこれを、この大一番で使うのは無論、実戦の目処が立ったからに他ならない。

 まぁ、使い潰しても構わないからというのも、大いにあるのだが……。

 

 

「っと、やはり先回りか」

 

 胡乱な思考を取りやめて、前方へと意識を戻す。

 鉤爪を用いてビル壁にしがみついた影が、見えるだけで六体。どこであれ俺を捕えられるよう分散した位置で、しかと待ち構えていた。

 

 下手に避けたところで、どうせ伏兵が潜んでいるだろう。それに俺の目的は逃げることではない。

 なら取るべき道は一つ。正面突破だ。

 

「うぉぉラァッ!!」

 

 烈風を纏い空を貫き、その先端に足を突き出して、飛び掛かってきた一体の猟犬を撃つ抜く。全力でガードしたようだが、これだけ加速が乗った蹴りならひとたまりも無い。猟犬は骨格ごと砕けてバラバラに墜落した。

 

 個としては犬死、しかし連中にとっては痒くもないのだろう。僅かにスピードの鈍ったところを、周囲の屋上から、潜んでいた猟犬たちが一斉に投下してくる。

 

 この数、完全に俺の対応を読んでいた配置だな。

 

「けど、ただの的だ! 穿て射手風(いてかぜ)!!」

 

 俺は脳内で戦闘のギアを一段と引き上げ、空中での操作糸たるワイヤーを巧みに操って姿勢を制御する。同時にもう片方の手で愛銃を引き抜くと、その狙いを上方に絞り、迫り来る影たちを片端から撃発した。

 

 新調した俺の愛銃。その基礎たる小銃(ライフル)形態で放たれる徹甲(通常)弾は、銃身が若干大型化した為か、威力と精密さが以前の物と比べ遥かに向上しており、下からの射撃で威力が減衰しているにもかかわらず、被弾した奴らに盛大な飛沫を散らせていた。

 

「急くなよ、お前らの事も忘れてねぇ」

 

 そうして降り頻る雨粒を朱に染め上げていると、先に待ち構えていた五体が、俺の進行方向を塞ぐように陣取っていた。

 更には降下部隊とは別に、眼下から猟犬たちが集まってきている。どうやら上と下どちらに対応しても、その隙を突く構えらだったらしい。そいつらは鉤爪を食い込ませ、四足獣のような動きで壁面を駆け巡っており、この高所をものともしない機動力だ。

 

「上等」

 

 俺はワイヤーを巻き取って急接近。装置を()()して身軽になると、爪を鳴らして張られたその網へ、正面から飛び込んだ。

 

 すかさず獰猛な所作で飛び掛かってきた五体の獣。まずはその先頭にいた奴の頭へ銃床を叩き込み、覆われた無機質なバイザーごと頭部を爆散させる。

 

 大量の血肉が俺と猟犬たちに飛散するが、そんなことお互い気にも留めない。ただ鉤爪と銃剣を交差させて、火花を散らすのみだ。

 

──ッ

「せぇッ!!」

 

 当然競り勝つのは俺の方だ。ここまで十分に稼いだ加速がある。その慣性を剣筋に乗せて豪快に斬り払い、その勢いを余すことなく回転して、続く連中もズタズタにしてやる。

 

─ッ、──ッ

 

 しかしそいつらは、致命的に切り裂かれ、或いは上半身だけになったにもかかわらず俺にしがみつき、"重し"としてぶら下がってきた。おかげで速度は大幅に鈍り、ゆっくりと降下させられる。下に待ち受ける獣の群れの中へ。

 

「クッ……相変わらず訳のわからん連中だな」

 

 群れの為。狩りの成功の為に。

 こいつらは最初から捨て駒だった。そしてそのことに微塵の躊躇いも抱いていない。今だって俺に張り付いて、死して尚忠実に役割をこなしている。虫の生態のような薄気味悪さだ。

 

 にも関わらず"猟犬"と名付けら、獣であるかのように振る舞うのは、ひとえにその領主の手癖によるものだ。

 彼らの本質は狩猟の道具。そこに自我は介さず、手繰られる糸に合わせて、有機的な活動を行うだけ。自分がどうなろうと、下された目的さえ達成できればそれでいい。

 

──ッ

────ッ

 

「すべては彼女の為に……」

 

 一帯から群れをなして飛び掛かり、その鋭い爪を立たせようとする連中をぐるりと見渡しながら、俺は静かに呟いた。

 

 この戦いは一対多数ではない。

 どこまでいこうと、俺と彼女、二人による対決であり、その譲れない欲望のせめぎ合いだ。

 

 ずっと続いていくと思われたその関係に、決着をつける日だ。

 

「だからこれは、その祝砲だ!」

 

 俺は絡まる死体の中から腕を突き出すと、そこに握った愛銃を群れの最も濃い位置に向け、その引き金に指をかけた。

 

 

 発砲。

 空を穿ち、硝煙と火花を散らして突き進むのは俺自身、お馴染み推進弾による軌跡だ。

 

 瞬間的な加速に屍は振り落とされ、速力に応じた攻勢は重なった相手を次々と貫く。その弾道が終わる前に照準を傾けると、再度発砲。今度は下から上へと一直線に跳ね上がり、烈風のように敵陣を切り拓く。

 

「フッ!」

 

 硝煙を背に駆け上がった頂点の浮遊感、その一瞬の狭間に、切り替えた弾を激射した。

 

──ッ

 

 しかし幾らかの影がよろめくだけで、大きな動きはない。散らばった敵を牽制して纏める目的があったが、やはり撹乱は無意味なのだろう。豪速球で迫っても、相打ち狙いで爪を刻んでくる始末だ。

 陣に空けた穴も淡々とした連携ですぐに塞がれ、その抵抗をせせら嗤うようにこちらを囲い込んでくる。

 

 俺はワイヤー装置を再び取り出すと、なるべく遠くへと打ち込んで巻き取りを開始する。同時にビルの壁を蹴って速度を加え、この絡みつく泥沼から宙に飛び立った。下からの脅威だけじゃない、もうじき屋上からの降下班も合流してくる。傷を負わせたとて連中は死ぬまで動く、挟み撃ちの形になるのはゴメンだ。

 

「まるで手の中で転がされてるみたいだ……」

 

 垂らされた糸を必死に手繰り、どれだけ登り詰めようとも、獰猛なる獣の群れは諦めることなく、俺の墜落を望んで追ってくる。次第に数を増してゆくそれらは、個としての境界をなくした亡者であり。溶け合って氾濫する様は、まさに黒い津波のような行進だった。

 それに対抗して威勢よく喉を張り上げ、何度切り裂いても、気にも介されない。粘りついた糸のような執拗さで、着実な包囲を編み出し続けるのだ。冷たい血を流して追い縋る猟犬からは、彼女の本意が透けて見えた。

 

 もっと足掻きを見せてくれ。この私を愉しませろ

 

「クソッ」

 

 得も言えぬ不安感と、湧き上がる恐怖の情。

 改めて彼女に敵対したのだという現実を思い知ると、体の芯がサァと熱を失い。底なし沼に身投げしたかのような閉塞を覚える。親指に反を翻した時でさえ、こんな狼狽えなかったのに……。

 

 その戸惑いが息継ぎに伝染して鼓動を吊り上げ、背後に迫った集団の圧が一気に膨れ上がるように重く感じる。その幻影は巨大な手の形となって、俺を掴み取ろうとしていた。

 

 

「あっ……」

 

 とその時に、見える景色が一変した。

 

 ちょうど飛び出した場所は開けた交差点、その中央に聳え立つ小洒落たビルの前へと差し掛る。壁一面がガラス張りの窓で出来たそれは、巨大なスクリーンのように遠くの光景を映して。真っ黒に絡みいてくる闇の中で、俺はその輝きに目を奪われた。

 

 都市を彩る無数の明かりと、空に浮かぶ痩せっぽちな三日月の姿。

 

 人々が生きる糧として、或いは身を削ってでも何かを得ようとして、それともただ寂しさを埋めるために灯した火。数多の欲望と切実な想いを宿した、燃え盛るような地上の星々と。

 天井に座し、その完璧とは程遠い欠けた身でもって、闇夜を照らし続ける、美しく歪んだ曲線。その冷たい光。

 

 二つが織りなす極彩色の世界。自らを燃やすようにして、どうしようもなく輝いている、文明化された地獄の風景。

 けど今度は、反射して映し出されたその鏡絵の中に、俺の姿も並んで見えた。

 

 血を浴びて尚郝躍と輝く銃剣を携え、星の海を悠々と飛翔するその様は、……不恰好だけど、まるで流星にでもなったようで。

 

「……綺麗だな」

 

 思わず言葉を溢してしまった。

 直近に差し迫った危機も、思考に巻き付いた枷も忘れて、食い入るようにそれを見つめる。ずっと遠くから眺めるしかなかった都市の煌めきに、気づけば自分もまた、当たり前のように存在しているという事実が、妙に誇らしかった。

 

「やめだ……、阿呆らしい」

 

 だから、そんな自分の悩みがちっぽけなものに思えて、笑い飛ばしてやれた。

 

 恐れだの、合理性だのと、こんな馬鹿げたことをしている時点で気にすることじゃないだろう。広がった視野に伴う不安、そして自らの意思で進む重みに囚われすぎだ。

 正解の見えない道を歩むのは、ひどく胸を締め付けられるものだが。すべては俺が望んだことなんだ、もっと気楽に進めてやろう。

 

 親指という指針がなくなっても、俺という性質が消え失せた訳じゃない。

 俺の最も得意とすることは、目の前の敵を叩き潰すことだ。その為ならもっと踏み込んで、

 

「派手に行こう……!」

 

 ()()()()()!!

 

 

 

 俺は身を翻して銃身を構えると同時に、繋いだワイヤーを引き抜き自由にする。余りにも危険で併用する気などなかったその二つを、躊躇いなく猟犬の群れに撃ち放った。

 

───ッ、──ッ

 

 突如反転した俺への対策としてか、数えるのも億劫なほどに集結した猟犬たちは、その身を持って広く分厚い肉壁を形成していた。更にその表面には盾のようなプレートを構えており、不埒な暴投をしようものなら、厳重に受け止める様相だ。

 

「ブチ抜けッ!!」

 

 しかし俺は迷うことなく、敢えてその中央へ突撃をかまして、侵略を開始する。

 硬い衝激と全身に襲いくる激しい抵抗。先に見せた推進弾の威力では封殺されていたかもしれない。だが俺は一心不乱に銃剣を突き立てて、最後まで食い破ってやった。

 

──ッ

 

 されど所詮は小さな穴一つ。痛みに無頓着な集団にかかれば、破れたところですぐに塞がれ、乱れもしない。

 ところが俺の手にはその群れを切り裂く刃がある。長く伸ばされて、今はただ風に揺られるその金属糸を。

 

「ウオォラ"ァ"ッ"ッ!!」

 

 加速を込めた体の捻りで強引に振り絞り、しなやかに弾む長大な剣して利用する。下から上にかけて刻む一筋の斬光は、ワイヤー越しにでも堅い手応えを返してくるのだが、その強靭な黒鉄の糸は見事負荷に耐え抜き、群れを両断した。

 

「まだまだッ!!」

 

 ならばこそより苛烈に攻め立てる。俺は銃を無茶苦茶に乱射すると、フルスロットルで臨界への火を噴かし、原始的な衝動のままに宙を飛び交った。

 目まぐるしく入れ替わる天地に揺られ、全身を打ちつける風を切って腕を振るう。それに合わせてしなり狂うワイヤーの軌道はもはや制御不能の域で。敵味方を問わず襲い掛かり、その身に触れる全てのものを両断するミキサーと化していた。

 当然俺も例外ではなく、起点を握る分跳ね返ってきたそれに幾度も身を掠めれる。

 

「だからこそより素早く!」

 

 線の嵐を掻い潜り、その脈動をより複雑に高速化していく。

 危険を顧みて勝てる相手か。常軌を逸して限界を超克しなければ、その刃が届くことない。

 遠方より伸ばされた手を払い除けるように、俺はその致死性のリズムの中で、ひたすらに踊り続けた。

 

 

「!!」

 

 突如、異様な音が耳をつんざくように響いた。

 すでに猟犬の群れはまばらになり、明らかにその数を目減りさせてはいるが、まだまだ群れとして維持できるタイミングでだ。

 

 その悲鳴のような音の出所は、あのガラス張りのビル。よく見れば端々の箇所に小さな穴が空いており、それらを繋ぐように大きな亀裂が縦断していた。

 次の瞬間それは一斉にひび割れと広がって、壁面全体を叩き割った。

 

 無数のガラス片がそれぞれ色を放ちながら鮮やかに舞い散る。側から見れば美しい光景だろうが、我が身に降り掛かるなら災害だ。こんな中で飛べば間違いなく重傷を負わされる。

 

 そう理性と本能が同時にブレーキを踏み、ワイヤーを壁に打ち固定した瞬間、衝撃が身を揺さぶった。張られたワイヤーが、根本から撃ち抜かれ切除されたのだ。

 この乱反射の中で、僅か1センチに満たないそれをピンポイントで狙撃する。どれだけ非現実的な曲芸だそれは。

 

「意趣返しのつもりで?」

 

 ともあれ俺は即座に推進弾を放ち、近くの建物に飛び込み避難した。直後外では、ガラスの豪雨が打ち鳴らす、鋭い滝音が轟く。その連続した響きは、芸を讃える拍手のようでもあった。

 

「でも俺の踊りはさぞや貴方の手を焼いたでしょう?」

 

 窓の外へ広がる夜闇に、俺は牙を剥いて笑いかける。

 狙撃手が潜んでいるというのに、無防備に姿を晒すなど論外だが、ここではなんの問題もない。あの攻撃は間違いなく俺のドタマをブチ撃ち抜けたはずだ。それをしなかった理由などただ一つ。

 

「やはり、徹底的に味わい尽くすつもりのようですね」

 

 推論ではなく、確定的な真実として俺はそう述べる。

 

 今日ここを嗅ぎつけられたことも。組織の力を使う間も惜しみ、自らの手勢しか率いずにやってきたことも。全てはそうなるという前提でこの戦いを組み上げていた。

 

「わかりますよそのぐらい」

 

 彼女は絶好の獲物を前に待ち切れず、そして仕留めるのなら自らの手でなければならない。

 

 その壮絶なる生き様を、身をもって知っている。

 だかこそ俺はこの戦いの進め方を、言外に明示したのだ。

 

「時間がないのはそちらでしょう。俺と満足のいくままに踊りたいのなら、もっと近づいてこい……ッ!」

 

 "犬ごときに任せるのなら、その指先ぜんぶ喰い千切るぞ!"

 

 窓の外に広がる、黒く見通せない闇の最奥。あの澱んだ瞳のような彼方へと、高らかに宣言してやった。

 

 

 

 

 

 

「……とでも言ってるのだろうね」

 

 とあるビルの一室。そのベランダから長い銃口を突き出して、真っ直ぐに構える影が一つ。

 

「けどつれないことを言うんじゃないよ。楽しみは、時間を忘れて没頭するから良いんだ」

 

 スコープ越しに現場を眺めるその眼差し。どこまでも暗く沈み込んだ瞳には、都市の輝きすらも呑み込む鋭さを宿していた。

 

「まぁ、なんにせよ腑抜けたカカシになってはいないようだね。そこは本当に安心したよ」

 

 しばし人の手が入らずに、薄く積もった埃の層に靴跡だけを刻むと。彼女は安全柵を飛び越え、夜の空へと身を投じた。

 

 乏しい月明かりの中で風に舞うその姿。重力は直ぐに彼女を捕らえて、墜落という結末を求めるが。音もなく蹴り出された衝撃はそれを否定し、逆に悠々と彼女を跳ね上げる。

 建物の森を軽やかに駆けるその疾行は、恐ろしいほどの静寂性をもって行われ。洗練されたその所作は、ある種の優美さをも醸していた。

 

 しかしそれを見て幻想的などと宣う生物はいないだろう。

 

「ちゃんと噛みごたえがありそうじゃないか。もしなんの渇望もなく彷徨い出ただけなら、ブチ殺していたからね」

 

 極限まで引き絞られた殺意。その煮え滾る激情が、歯を軋らせて歪む口元に滲み出ていたから。

 

「一時の情動に流されて我を失い。挙句都市を生き抜く為の骨子としていた、親指の規律さえも軽率に手放して。それで君にいったい何が残された……」

 

 

 彼と彼女はお互いに、相手のことをよく知り尽くしている。

 

 しかし忘れてはならない。

 人間というものは、絶えず迷い続ける生き物だということを。

 

「ぜひ教えて欲しいな。君をそうまでして堕落させた源流を」

 

 学び、失い、忘れて、振り返る。

 

 どんなに規定されたところで、人は常に変貌する可能性を秘めており、きっかけ一つでそれはたちどころに芽を出してしまうのだ。

 

「たとえ私の全てを賭けることになったとしても」

 

 彼と彼女はお互いに、相手のことをよく知り尽くしていた。

 しかし今やその歯車は、静かに、連鎖的に狂い出していた。

 




ちょっと生活がゴタついているので、遅くなりました。すいません。
後半はなんとか今週中には投稿したいと考えております。

小型船舶用投錨装置(改)(ウィンド・アンカー)
U社の漁港から流れてきた中古品を、専門外の職人が遊び心で魔改造した代物。本来人を引っ張る物ではない。試しに使ってみた職人はそのまま壁にぶつかって死んだ。

使い熟せた者にとっては、地の底でひしめく人の群れから、仮初の飛翔を成す"蜘蛛の糸"であったのだが。登りゆく最中で地獄の風景に見惚れた愚者は、そのまま追い縋る亡者達と大縄跳びに興じたのであった。
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