パンのみに生きるにあらず   作:改造黄金虫

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多忙+体調不良+純粋に内容吟味に時間が掛かったことにより、大変お待たせ致しました。本当に申し訳ない。

「すぐに次話投稿すると言っておきながら、三週間もの遅延を晒すとはな」
「お前は一家の恥だ。ボニャテッリはヴァレンチーナとロジオンから愛を取り上げて、ついでに夜の錐は今夜中に全員粛清する」


第24話 都市の下を流れる星よ 2/2

 

 靴のつま先で床を叩けば、リノリウム特有の少し引っ掛かる摩擦を感じる。

 

 同時に薄く積もった埃がハラハラと舞って、僅かに差し込む光筋の中を彩っていた。ここはその落下音すらも耳に届きそうなほど静まり返っている。まるで空間ごと水底に切り離されたみたいだ。

 

「まぁ、それもほんの僅かな間なんだがな」

 

 この建物の外では今も猟犬たちが蠢いているが、それをこちらから無理に打って出ようとはとはしない。

 いくら数が減ったとて、連中は依然として群れだ。飛び出したところで、さっきの二番煎じ……いや、ワイヤーがない分その劣化だろう。

 

「そんなもの見せたら、次は間違いなく撃ち落とされる」

 

 さっきの攻撃がワイヤーを破壊するだけに止められたのは、彼女からのメッセージ。もっと他の芸を見せてみろという圧力に他ならない。ならば俺もそのご要望にお応えして、より一層奮起してみせるだけだ。

 

 

「そうしなきゃ勝ち目がねぇからな」

 

 リーチの差が勝敗を分けるとは言ったもので、距離とはあらゆる事象を対岸に置き去る最強の盾であり、それを超える手段こそが最強の矛となり得る。だからこそ便利で手軽な銃火器類が、ここまで雁字搦めに規制されているんだ。

 

 こと都市における遠距離武装はどれもマイナー立ち位置を余儀なくされており、その中でも最も強みを封殺されているのが"狙撃銃"であろう。

 

 本来音も姿も見せることなく、彼方より一方的に敵を穿ち、戦場全域に恐怖の根を張る存在であるはずが……。旋孔(ライフリング)や火薬等の規制によってロクな有功射程距離を稼げず。それに特化させた銃に、狙撃専用の高い弾を使っても精々が100〜200メートル程度のもの。オマケに弾道は最後まで安定せず、もはや槍でも投げた方がずっとマシなレベルだ。

 そこに技術自体の習得難度も加わって、遠距離銃手(スナイパー)という兵科は殆どいない。いたとしても仲間のサポートとして、やや退がった位置で後方支援といったところだ。

 

 

 だが何事にも例外は存在する。

 

 彼女、ガリアーノは狙撃の天才であった。

 弾の飛距離が足りないのなら僅かな風を捉えてそれを運び。弾道がブレるのならその道中を完璧に把握した上で、対象を寸分違わずブチ抜く。気温、湿度、風向き、気圧、空間の歪み、etc…。自身と対象を繋ぐ、複雑に絡み合った遍く要素を正確に割り出して、すべて調律して放たれるその一刺しは、まさに神の矢の如し。天性のセンスに裏打ちされた、唯一無二の絶技に他ならないのだ。

 

 それに猟犬が加わった戦法は、ハッキリ言って俺では勝てない。まともにやり合えば、死をも厭わない物量に押されて、その隙を縫って差し込まれる精密狙撃の嵐に削り殺されるだろう。

 

 だからこそ包囲の穴を突く必要があった。

 

 それはまさしく、彼女のモチベーションだ。

 彼女は獲物を追い詰めて狩る事に人生の悦びを見出し、生き甲斐としている節がある。だからこの戦法を退屈で作業的なものだと酷く嫌っていた。また、ある程度の強者には、安全を取れても被害が大きく、成果の割に合わないとも。

 それ故に、認めた獲物には自ら距離を詰めて、より苛烈な攻撃を加えるようになる。それが唯一の俺の勝ち筋だ。

 

「もっと、もっと愉しんでくださいよ」

 

 彼女の仕掛けてくる猛攻を捌き、更に追い詰めることで、彼女を誘き寄せる。俺の牙が届き、その喉笛を噛み千切れる距離にまで。

 要は機を見計らい、適切な対処を行って良い結果を引き出すのが、この戦いの進め方という訳だ。……幻想体の管理方法かよ。

 

「それも的を得た表現だと思うけどな」

 

 彼女の習性なら長年側に仕えた俺が最もよく知っている。そして何より今回の獲物は極上の逸品だ。当てが外れることはないだろう。外れたなら死ぬだけだ。攻撃を捌ききれなくてもそう。何から何まで危うい綱渡りで構成された、穴だらけの杜撰な作戦である。

 

「当然だろう。格上に挑むのだから」

 

 そこにリスクや分の悪い賭けなんていくらでもある。どんなに策を弄したって、不利がなくなるわけではない。目上の強者に噛み付くとはそういうものなのだ。

 

 

 コンコン……。

 

「!!」

 

 控えめだが、その音は静寂のみが満ちたこの場によく響いた。閉じた空間に対する外部からのアクション。廊下の端にある窓ガラスをノックする()()の合図。

 それが続けて二度、三度と繰り返されて、四度目が鳴り終わった瞬間に。──床を蹴り出し、窓を破る騒音が同時にぶつかり合った。

 

 

───ッ、─ッ

「っ、……こいつ!」

 

 窓から押し入って来たのは一体の猟犬、その外見に他との差異は見られない。だがそれは先の奴らと明らかに違っていた。

 奴が床に足を着く前に銃剣を突き出し、不安定な体勢ごと貫こうとしたその一撃を、正確に受け止めた。どころか逆に受けた反動を利用し、折り畳んだ両足を窓枠に密接、一気に伸ばして、不安定な体勢のままに攻撃へと転じて来たのだ。

 

 獰猛な動きで次々と繰り出される鉤爪は、俺の回避を封じるような軌道を描き、先の攻防とは精密さが段違いだ。

 ……とはいえ、地力が違う。俺はその鉤爪をあっさりと弾き返すと、両腕のガードが崩れたところを踏み込んで、銃剣の先でその喉元を掻っ切ってやった。

 

「ガッ……!」

───ヅ

 

 しかしそれは躊躇わない。

 血を噴き出して崩れる命から最後の力を引き出して、ピンと伸ばした前蹴りを、俺の腹にぶち込んできたのだ。

 

 一瞬の狼狽、その隙を狙って後続たちが窓を潜って次々と襲い掛かってくる。俺は咄嗟に銃口を向けるが、大きく振られた鉤爪がそれを弾き、明後日の方向に逸れる。その勢いのまま俺を引き裂こうと近づいて来たのを見越して、空けておいた片手で迎撃。腰ベルトから素早く引き抜いたナイフで、バイザーごと顔面を貫く。

 

───ッ"ッ"

 

 だがやはりそいつも死に際に動くと、なりふり構わず俺の肩に爪を食い込ませ、ガッチリと俺を捕まえた。そこに更なる後続が攻め立てくる。俺は後退を選び、肩肉を抉られながらも食い込む死体を蹴って引き剥がすと、それを前面の相手に押し付けると同時に、背後に飛び退いて距離を取った。

 

「クソッ、木偶人形風情が……」

 

 やり辛いったらしょうがない。

 トドメを刺したら瞬間はやはり気が取られる。無論そこで相手が渾身の反撃をしてくること自体はたまによくあるのだが、そこは気配でなんとなくわかるから対処できていた。しかしこいつらはどこまでもフラットだ。歩くのと同じ要領で死力の一撃を放ってくるからタチが悪い。わかっていても馴れないのだ。

 

──ッ──ッッ

「オマケにこれだよ」

 

 一体一体の動きが違う。さっきまでの一塊でうじゃうじゃと動く、単調なものから打って変わって、全員が一個の敵として立ち塞がり、同時に群れとしての密な連携を行なってくる。駒としての厄介さが一気に跳ね上がった。

 今だって勢いよく迫る二体の猟犬が、お互いの動きを遮らない、かみ合った猛攻を乱れ撃ち。その背後では、また別の一体が虎視眈々と俺が隙を晒すのを待ち構えている。

 

 純粋に向こうの性能がアップグレードされた形で、確実に戦況が傾けられていた。それはつまり……

 

「よしッ! 成功だ!」

 

 計画が万事滞りなく進行している証に他ならない。

 

 詳しい理屈は知らないが、猟犬と彼女の間にはなんらかの繋がりがある。おそらく指揮系統であるそれは、距離を縮めることによって精度を増し、より細かな命令を飛ばせるようになっていて。つまり彼女は間違いなく俺に近づいてきている訳だ。

 

「なら後は、強化されたこいつらをしばき倒せばいい!」

 

 二体の鉤爪が振るわれて、交差するその一点。あえて晒した隙への一撃を銃床で上から叩き落とす。もう様子見は終わりだ。俺は推進弾の引き金を放ち、タタラを踏む二体を同時に斬り払った。更にそこから踏み込んだ片足を軸に、大きく旋回して、三体目が動くより前にその首を刎ね飛ばす。

 油断はない、全ては強烈な加速の中で行われた刹那の出来事。斬って反撃より先に離脱すればいい。

 

「!!」

 

 しかしその時、窓の外から無数の煌めきが殺到する。鈍い光沢を帯びて尖ったそれらは、投擲された銃剣の群れだ。俺は即座に走り出したが、その動きを読んでいたかのように、銃剣は俺の体を掠め、次々と廊下の床に突き立てられる。

 剥き出しの刃が針山のように連なったその光景には、不自然に空けられた一本道があり、明らかに俺が進む先を限定していた。更に視界の端では、早くも第二波の到来が迫っている。

 

「ハッ……、いいでしょう」

 

 背後に掠める銃剣に押されて、俺はその道を駆け抜ける。こういう場合は下手に抵抗するより、途中まで乗って食い破った方がいい。その経験則に従って長い廊下を走っていると。前方の左右均等に並んだドアが一斉に()()()、内から飛び出した猟犬たちがそのドアを盾に構え、道を塞ぐバリケードを構築した。

 

「舐めんな!」

 

 俺は床を駆る脚をさらに疾めて、その突然の挟み撃ちに正面から対抗する。中央に狙いを定めて飛び掛かり、衝突の瞬間、直前で推進弾を放って、その軌道を斜め右に捻じ曲げた。

 

 罠を警戒してのフェイント。しかし彼女はその更に裏をかいたらしく、障壁をぶち破った先には()()()()

 そう、これ見よがしなバリケードの素材はただの扉であり、その強度は見掛け倒しだ。よって突撃の勢いは減衰させずに向こう側へ放り出され、俺はその先にあった窓ガラスを盛大に突き破った。

 

「ッ!」

 

 指先が外気に触れると同時に、俺は反射的に推進弾を撃ち放ち移動する。思考を置き去りにした勘による動きだが、それが間違いでないことを、寸前までいた位置を貫く弾丸が示していた。

 

「まだ遠いか……ッ」

 

 向かいの立体駐車場に、叩きつけられるよう着地しながら俺は呟く。射線が通ってきたその方向からは、それらしい気配がない。代わりにあの無機質な獰猛さが続々と押し寄せている。

 

──ッ、──ッ

 

 その手に剣や槍といった、鉤爪よりも長いリーチを持つ武器を携え。一直線にこちらへ駆けてくる猟犬共。俺は銃を手にその攻撃を捌きながら、周囲へと目を凝らした。

 既に廃墟と化した駐車場に車はなく、真っ平な地形はとても見通しがいい。闇に紛れた猟犬の影が、その動きが見てとれた。あるものはコイツら同様真っ直ぐに駆け出して、またあるものはその場を動かず、そしてまたあるものは他の影の両脚を引っ掴み、やおら回転すると、ハンマー投げの要領でこちらに投げ飛ばして来た。

 

「なぁっ!?」

 

 流石にそれは予想外の動きだ。

 俺は打ち合っていた相手を強引に押し退けると、急ぎ身を屈めてその人間ミサイルの弾道を躱す。勢いよく地面に激突した猟犬は、受け身こそとっていたが、片腕が折れ曲がった血塗れの姿で。その負傷のままに銃剣を腰だめに構えて突撃してきた。

 

ツ"ッ……、─ッ'

「あと何回お前らの道具っぷりにドン引きすりゃいいんだよ」

 

 俺はその血塗れを蹴り飛ばし、背後から剣で斬り掛かってきた奴をノールックで銃床の錆にする。そうしている間にも次々とミサイルが撃ち放たれ、普通に斬り掛かってくる連中も続々と集まってくる。場は一瞬にして大乱戦だ。

 

 俺はジグザグに走り回って剣と鍔迫り合い。差し込まれる槍の穂先を宙返りで躱して、そのドタマを捻り。飛んできたミサイルを銃で撃ち軌道を逸らす。そうすれば今度は円を描く銃剣が投擲されて、着弾した奴らが起き上がり、更には剣を持った奴らが十体がかりで一斉に攻め寄ってくる。

 

 四方すべてが攻撃の嵐であり、その相手も目まぐるしく入れ替わり、対処の目処が立たない。止まらない戦力投下に、息継く間もない猛攻の中で、俺の余力は確実に削り取られていった。

 ──だからすべてを斬り払おうと決断した。

 

 

形態(モード):太刀風」

 

 惜しみなく徹甲弾を放って確保した、僅かな間隙。その時間で俺は愛銃に変型を促す。

 銃身の外殻がせり上がり、銃剣の刃に沿うように合致して。反対に銃口は内側に呑まれて沈み込む。出来上がったのは引き金と排気筒の付いた奇妙な剣だった。

 

 俺はその柄を握ると、周囲に屯する気配へ振りかざし、同時に引き金を放った。

 

狼煙(ろうえん)、撃発ッ!!」

 

 瞬間、腕の中で爆発的な轟音が響き。暴発する勢いそのままに大きく横に一閃。吹き荒ぶ熱風が辺り一面を舐め取って、散らばる死体ごと迫る敵陣を交通事故の如く撥ね飛ばした。

 

 埃が舞い散るような静寂が生み出され、コンクリの地面には立ち昇る硝煙と共に、黒い焼け跡が刻まれている。

 攻撃が止んだその隙を逃すことなく、俺は再度引き金を引いて、排気筒から甲高い火柱を噴き鳴らし、一気に加速する。推進弾を使った今度の爆発は小規模だが、それでも驚異的な速度で空を裂き、ミサイル発射を崩された猟犬どもへ襲い掛かった。

 

──ッッ、─ッ

 

 猟犬は咄嗟に剣で防御姿勢を取り、武器を或いはその身を盾に受け止めようとしたが甘い。

 この形態で撃てるのは推進弾系統の弾だけ。しかし特化している分、その威力は小銃形態と段違いだ。

 

「屠殺!」

 

 振り抜いた一閃はあっさりと猟犬を真っ二つにして、その背後に控えた連中も抵抗なく斬り伏せる。

 

「ハハッ」

 

 剣先から伝わる振動が高揚感を刺激する。死した肉塊が崩れ落ちる音を背に、俺は更なる跳躍を成した。

 

「ハハハハッ!!」

 

 一歩ごとの進む歩幅が広い、熱された銃剣の咆哮に身を乗せれば。独りだけ氷上を駆るかのように、次の標的へ喰らい付けた。

 

─ッ

──ッ…ッッ"

ッ"

 

 滑らかな軌跡に沿って剣筋を描く。ノロマな猟犬どもが何の抵抗を示そうとも、遮るにあたらない。守りを固めれば強引にカチ割り、散らばれば大振りに轢き潰してやるだけだ。

 

 高速で駆け回る烈風に、巻き上げられた塵が硝煙と混ざり色濃く漂う。その内では焦げた血の香が染み込み、激しく迸る剣戟が雷光のように飛び散っていた。

 ここは立ち入るもの全てを焼き切る、砂塵と舞う雲の巣であり、還らずの陥落だ。

 

「誰も逃がさねぇよ!」

 

 残された猟犬達が一斉に引き上げ、この屋上から隣のビルに飛び移ろうと踠くが。俺はその後を追従し片端から粉砕する。そして次の獲物が待つステージへと、熱を噴かして跳躍した。

 

─ッッ

──ッ

 

 それに対抗すべく、向かいのビルで猟犬が数体がかりで何かをぶん投げてきた。大きな長方立体、よく見れば根本から取り外された電光看板だ。

 

「しゃらくせぇ!」

 

 ものの数にも入らん。軽い手の振りで迎撃してやれば、緋く灼けた断面と共に道が開ける。

 ……ふと気になってその隙間を覗いて見れば、案の定猟犬が身を屈めて潜んでいた。油断も隙もないな。

 

 がむしゃらに伸ばしてきた手を躱して、その企みごと蹴り飛ばして次に進めようとした次の瞬間。

 何処からか飛んで来た弾丸が看板を直撃し。打ち鳴らされた衝撃波が諸々を巻き込んで、大きく吹き飛ばした。

 

 

「グッ、ガァッ!」

 

 瓦礫と共に潰されて、向かっていた進路から反転、立体駐車場の下層に叩き落とされる。

 

「クソッ、衝撃弾か……」

 

 瞬間的に振動が拡散する様から、おそらく食らったのはそれだろう。障害物を破壊することは本来の用途だが、こうも巧みに利用してくるか。俺の対応を見越して、きっちりと罠に嵌め込んでくる。

 

「そして追撃の容赦もない」

 

 全身の筋が細かく震えて、落下の受け身を取れなかった。未だに四肢がビリビリと痺れて痛む。

 だというのに、コンクリートの床と天井で挟まれた暗闇に、鋭い光沢を帯びた銃撃が間を置かずに飛び込んで来た。

 

 しっかりとそれを見据えてから、体を横に傾ける。こちらを射抜かんとする弾丸から的を逸らして、通り過ぎる攻撃を見送った。そしてまた次が来ると外を睨んだその直後、後方から奇妙な音が迫ってきた。

 

「っ、危ねェ!」

 

 辛うじて急所は避けたが、足を削ったそれは、さっき通り過ぎたものと()()()()。寸前まで勢いよく飛んでいたそれは、俺に当たった途端に推力を失い、よろけるようにして床に転がった。

 

「今度は跳躍弾か!」

 

 だとすればこの地形は不味い……。

 

 俺は脚からの出血も無視して、この閉所からの脱出を試みるが。それよりも早く、三発の鈍い輝きが闇を裂いて到来した。

 

 てんでバラバラに撃ち込まれ、狙いもなにもない銃撃だったが、それこそが狙い。床に天井や柱と、無差別に当たった端から跳ね返り、乱数軌道のピンボールと化した銃の嵐。その中で俺は致命的な弾道のみを勘で避け、近くを通ったその一つに手をかざした。

 

「ッ、面倒な……」

 

 手の甲の皮膚を薄く裂いて、鮮血と共に勢いを失う弾丸。跳躍弾は名の通り、着弾の衝撃を維持して、跳ね回ることに特化した弾で、その条件は硬度のある物体に限定される。つまり人に当たれば即座に無力化されるが、それでまでは区分なく暴れ続けるのだ。

 

「どこまで手の上なんだか」

 

 こうしている間も新たな銃撃が飛んできて、周囲一帯に出鱈目な火花を散らしている。ここは狙撃ができるほどに開けているのに、天地が閉じて塞がってもいる地形だ。ピーキーな弾を踊らせるには絶好のフロアだろう。その内側で嬲り殺される獲物を眺める舞台としても。

 

「けどこの程度なら」

 

 体の麻痺はあらかた抜けた。俺は銃剣を握ると、その唸りと共に威勢よく叫び、飛来する弾群を迎え撃つ。

 

「フッ」

 

 次々と突き刺さる衝撃。タイミングを合わせて、計四発の弾丸を刀身で受け止めて。

 

「跳べッ!!」

 

 存外に軽いそれらが弾けるよりも速く、腕ごと振り抜いて外へと打ち返す。更に返す刀で引き金を引いて、間髪入れずに俺自身もその後を追おうとして──ピタリと止まった。

 

 これと同じことをさっきもした。

 飛び出した先にまた何か仕掛けられているのでないか?

 

 芽吹いた疑念が深く根を張って、四肢に絡みつく。

 そんな一瞬の硬直を嘲笑うかのように、新たなに飛来した弾丸が脇を素通りして支柱へブチ当たり、強烈な破砕音を立てた。

 

「衝撃弾ッ!? 真の狙いはそこかよ!!」

 

 着弾部より亀裂が一気に広がり、バランスを欠いた屋根と床が大きく震れて傾く。土煙と降り注ぐ礫に乱反射した跳弾弾の群れが、より一層複雑な火花を散らして早鐘と鳴らした。

 だがそんなものすべて無視して、俺は全力で外へと駆け出す。端々に被弾したが関係ない、急がねば崩落で全部ペシャンコだ。

 

ツ───

「ああああああテメェ!!」

 

 その焦りを見計らって、猟犬どもが一斉に雪崩れ込んできた。俺に斬られようとも関係ない、すべてを無視して俺を留める重石として、肉壁として束ねられ、無心に立ち塞がってくる。

 

 その冷たく硬い防塁は、どれだけ引き裂いても微塵も退かず、死んだ先鋒を後方が盾として使い、自分諸共押し出して猛進する。だが退路などない、俺はそこへ必死に喰い込んで、喰い進んで、喰い破って。どうにかその背後へと抜け出した。

 

 しかし既に時遅し。

 進む道はどうしようもなく遠くて。天と地が巨大な顎のように閉ざされてゆく。

 

「狼煙……いや、ダメだ」

 

 あの特殊弾は大規模な破壊を可能とするが、こんな場所で使えばその大害は俺にも及ぶ。この状況を切り抜けるのには向かない。

 ──それなら。

 

「二秒耐えろ」

 

 俺は手袋の内側に意識を巡らせ、異なる次元より武器を引っ掴む。取り出したのは細長い銀の煙管(パイプ)。端を咥えて思い切り息を吹き込めば、ボコボコと空間が白く泡立ち、不透明の濁った柱が出来上がった。

 直後に基盤ごと崩落した天井がそこに突き刺さり、僅かに押し留まる。それを成した柱は、ガラス繊維がひび割れるような不穏な音を立てて、次の瞬間には重量に押し負け粉微塵に砕けた。

 

 刹那にも満たない猶予だったが、それで役目は十分。ギリギリで変型完了だ。

 

形態(モード):多々羅風(たたらかぜ)

 

 持ち手ごとひっくり返して構えた愛銃は、もう剣の形をとっていない。外殻を構成する部品(パーツ)は銃床に集い、鉄槌として組み合わさり。その中核に収められた機関部は、真っ赤に熱を帯びて、忙しなく駆動している。

 

「撃針…発破!!」

 

 鋭い汽笛の音を噴かした蒸気が、急流のように速まり。臨界に達したと同時に、全力で振り抜いた。

 

 巨大な鑼を打ち鳴らしたような轟音と、岩石が圧壊し引き裂かれる異音が混ざり合って炸裂する。全身の骨が折れ砕けそうな反動の中で、俺はひび割れた夜空を見上げた。

 

 

「ブヘッ……、ゲホッ、ゴホッ!」

 

 とはいえ次の瞬間には、降り頻る瓦礫の粉塵に覆われて、感傷に浸る間もなかったのだが。俺は押し込められた窮地を打破して、一時の開放感を身に沁みていた。

 

「ちくしょう、絶対笑ってやがるだろあの人」

 

 俺を弄び、罠に嵌め貶めて、そこから必死に足掻く様を嬉々として眺めているのだろう。口元を大いに歪ませているその顔が、目に浮かぶようだ。どれだけ距離を置いても、絶対にこちら様子を精密に把握しているだろう事は、疑うまでもない。

 

「……んぁ?」

 

 愛銃の形態を汎用的である小銃に戻してから。燃え尽きた灰のような白い残骸の山を駆け上がって、周囲の様子を見渡していると。瓦礫の下からヨタヨタと、死に損なった猟犬が這い出してきた。

 もはやまともに歩けもしないだろうそいつは、緩慢な動きで両手を上げると、ぎこちなくそれを合わせて。

 

「パチ、パチ、パチ。……よく出来ましたってか、舐めやがってッ!!」

 

 喉元にまで込み上げた苛立ちに押されて、反射的に引き金を放ち、そいつのドタマを撃ち抜く。

 しかしそれを合図としていたかのように、瓦礫の下から一斉に血塗れの手が、壊れかけた命が飛び出し、渦を巻く流れのように俺へ襲い掛かった。

 

「しつこい」

 

 血を溢し過ぎて青褪めた、死の床への道連れを、銃剣でもって鎧袖一触に振り払い、その伸ばされた手を踏み躙って大きく跳躍。赤と灰色の混じるガタついた視界を駆け抜けた。

 

 と同時に、薄らと漂う土煙を裂いて、また新たな凶弾が上空より飛来する。その大きな弧を描く軌道は、俺の動きを予測したかのような位置を捉えて落下する。

 

 ……だがそれでも狙いが遠い。また跳躍弾か?

 確かに立体的反射物は転がってるが、同時にこれだけの死体も散乱してるんだ。盾にして防ぐなど容易に──いや、一面の夥しい血の海、的外れな弾丸、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「危ねぇッ!」

 

 直後、脳内に反響する新鮮な失敗の記憶と、背骨を駆ける本能的な火花に押されて、空高く飛び上がれば。寸前までいた場所一帯を、迫り上がる紅蓮の結晶体が鋭く呑み込んでいくところだった。

 

 氷結弾、それによる大量の血肉の一斉凝固。囚われれば二度と出られない氷の牢獄は、貪欲な植物のように赤い水を啜って、その幹を長く伸ばし、蔓を伸ばし続ける。

 その様子は、単なる凝固作用と言うにはどこか不自然で──

 

「ブグァッッ!!」

───ツ!!

 

 よく見ようとしたその隙を穿つようにして、強烈な衝撃が叩きつけられた。

 やったのはあの人間ミサイルだ。自壊前提の威力は身体の芯にまで重く響き。更には生きた砲弾諸共絡みついて吹っ飛ばされる。

 

 

「クソッ、まだか!」

 

 ビルの壁面に着弾し押し、尚押し付けられたのを、そいつの手足を壊して引き剥がす。窓枠に足を掛けて探ってみたが、そこらにあるのは散発的に蠢く猟犬の影ばかり。肝心の轡を握る者の気配は微塵も感じられなかった。

 

─ッッ

「お楽しみいただけたのなら、早く御姿を現してくださいよ!!」

 

 ちょうどビルの屋上から、挑発するように槍を突き出してくる猟犬ども。それを銃剣でいなしながら、その挑発に乗るべきか否か。そして根本的な現状の違算(イサン)さに頭を悩ませる。

 

 ここまで影さえ見せずに、泰然と構えられるとは思わなかったのだ。なにせ意外に思われるかもしれないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 ……だって当然だろう。

 

「貴方に遊び耽る暇なんてないでしょうが!」

 

 俺は"無職"で、彼女は歴とした"組織人"だからだ。

 ただでさえ抱えた膨大な戦後業務に加えて、朝に控えた重要な会議。そこへ俺という部下の失態。もはや彼女のスケジュールは落書き同然だ。

 

 だからこその彼女は今、こうして俺を狩りに来ているのだ。

 俺のやらかしは、ただでは済まないほどデカい。事が明るみに出れば、その案件は彼女の手に収まるはずもない代物だ。つまり俺という獲物を独占できるのは、今夜をおいて他になく。それと同時に早急に決着をつけねば、カポとしての裁量を崩しかねない、綱渡りである筈なのだが。なぜこうも悠長に過ぎる?

 

「ああっ鬱陶しい、死ね!」

 

 ともあれ現状、俺においても余裕はない。槍の穂先を弾くついでに下手人の頭も弾き飛ばし、出来た隙間に推進弾で斬り込む。排煙の尾を引いて射出される勢いのままに屋上に駆け上がって。そこにいた四、五体ばかりの猟犬を一息に仕留める。

 

 その動作を行った身体は、芯からズキズキして損傷を伝え、愛銃を握る手は引き攣って小刻みな震えを示した。想定以上にダメージを蓄積させられている。天蚕糸の回復機能があっても、損耗を補うには限度があり、全てを万全の状態に巻き戻してはくれないのだ。

 

「どうすればいい……」

 

 現状は芳しくない。今回の彼女の狩りには、一切の加減というものがない。猟犬を丸ごと使い潰さんばかりの大盤振る舞いで、どこまでも苛烈に追い込んでくる。俺を狩る事に心血を注ぎ過ぎだろう。

 止まない猛攻の中で、さながら俺は乱暴な子どもに振り回させる玩具のように、一方的な疲弊を強いられていた。

 

「どうすればもっと引き出せる?」

 

 俺の刃が届く距離にはまだ足りない。もっと追い込んで、釣り出さなければいけないんだがしかし、その糸口が掴めないでいた。

 戦局は常に彼女がリードを見せ、少しでもこちらがペースを掴み寄せたと思えば、即座に叩き落としてくる。まるでお前如きなぞに、私の方針を左右させないと言わんばかりの我執っぷりだ。

 この冗長に翻弄され続けるこの状況に、ちょっとした波乱を起こせそうな札はあるが、易々と切れるものではない。下手に披露したところで、彼女はすぐさま対応策を編み出してくるだろう。

 

「どうすればこの差を埋められる?」

 

 だがこのまま手をこまねけば、待つのは念入りに削り殺させる結果だけ。俺の四肢を剥ぎ取って無様に転がったその時に、漸く現れた彼女が、悠々と額に銃口を押し付けてからでは何の意味もないのだ。

 

 根本から深く、俺から彼女へと斬り込む一手が必要だった。

 

 

いちばん大切なことは、目には見えない

 

 

 ゆっくりと真綿が締まるように追い詰められ、向かう先も見えないまま茹った頭に、一つの言葉が思い浮かんだ。それはいつか読んた覚えのある本に記された一文であり。かの時計顔と謎の少年も引用していた、物事を識る本質。

 

 

ただ目に見えるものではなく。じっくりと、心で見つめなければならない

 

 俺に時計顔のように妙な電波や星が見える訳がない。よってこんなものは単なる現実逃避であり、時間の浪費だと切り捨てることが正しい思考だった。しかしどうしてか、妙にこの状況に当てはまるような気がして、放り出せなかった。

 

 ──この状況の本質はなんだ?

 俺と彼女の一騎打ちであり、他に介在の余地はない。

 

 ──この状況に係る問題はなんだ?

 俺の誘いに彼女が連れない。むしろその焦りを堪能しているようだ。

 

 ──ならその問題を解く鍵はどこにある?

 ……それは

 

「……猟犬?」

 

 ふと足元に転がる死体に焦点が重なった。これまで散々殺してきた連中だが、俺はこいつらについて殆ど何も知らない。最初からそう言うものだと当て嵌めて、割り切っていたからだ。

 直前の脈絡などない、奇妙な嗅覚とでも称すべき直感に手を引かれて、その隠された内面、すっぽりと顔を覆うバイザーへ指を掛け、猟犬としての殻を剥がしてみれば。

 

「………ッ」

 

 そこにあったのは、"のっぺらぼう"だった。

 個人の顔という部位に、酸の劇薬でもって煮溶かし、荒爪でごっそりと抉り取ってしまったかのように、なにも残されていない。

 機能としては辛うじてまだ付いているが、もうこれはマネキンの方が人間味がある。そのぐらい自我と共にズタズタに削ぎ落とされ、喰い千切れられた、木偶の人形だった。

 

「いや……、そんな事は知っている」

 

 面なんて取るまでもない、わかりきった事実だ。今俺が知るべきと感じたは、その底をさらに深く潜り込んだ部分。本質だ。

 ひどく埋もれた顔の残骸へ眼を突き合わせて、無意味に思えどその濁った縫い目を、先の言葉に倣い、じっくりと見つめる内に、ふとある疑問が浮かんだ。

 

「俺と猟犬(こいつ)の違いはなんだ?」

 

 俺は長年の間、彼女に仕えてきた。掃き溜めに拾われて、幾つもの恩恵を授かり、そして飼い主に忠実な犬しても扱われてきた。しかし自我を根刮ぎ剥奪するような真似はされていない、むしろその逆だ。

 

 褒め、()じり、恥辱的に罰し、そして在るべき方向へと導いて、その期待に応えてみせろと嘱望される。

 

 彼女は俺の人格に価値を見出し、故に俺を側に置いて。

 俺はその与えられた居場所に、生きる為の価値観を見出した。

 

 では翻って、自我を無用と削ぎ落とされ、無機質的に従う猟犬には、何が指針として残された。何をもって彼女と繋がっている?

 

 俺には無くて、猟犬には有るものとは一体なんだ。

 

 見えない糸を手繰り寄せ、彼女の指先を、そこに繋がる導線を強く想起する。

 

 

 ──その次瞬間に、甲高く硬い音が割れるように響いた。

 

「グッッ、ッそ今度はなんだ……ッ!」

 

 背中に幾つもの衝撃が走り、その内の一つが腹に抜けて、次いでじわじわとした熱痛が臓腑に広がってゆく。鋭いもので刺し貫かれた特有の感覚だ。何事か確認しようと背を振り向けば、そこにはあの血を混ぜ込んだ氷樹が、そこらのビルを上回るほど高く、梢を伸ばしていた。

 更にその樹は、尖らせた赤黒い枝葉を腕のように動かしてもいる。どう見てもまともな氷の結晶などではなかった。

 

 それを証明するかのように、その氷樹はこちらを指差すように太い枝を向けると、そこに連なる無数の氷柱をカタカタと震わせて、嘲るような音を立てた。いや、よく見ればそれの隙間で、激しく揺らめいているものがある。

 

「……跳、弾」

 

 膨大な枝葉でもって鳥籠を形成し、閉じ込められた幾つもの弾丸が、狂ったように乱反射されている。氷樹はその枝を大きく揺らすと、結晶体ではあり得ないほど軟らかに、奇怪な触手のようにうねらせて、勢いよく振り抜いた。

 

「マジでなんだよそれ……!」

 

 飛沫のように枝葉が千切れ飛び、解き放たれた弾丸が赤熱した赫い尾を引いて、夜の暗を高速で巡行する。その軌道は不可思議に曲がりくねり、着弾予測がつかない。それでも俺は地を蹴り飛ばして、推進弾も撃ち、穿たれた臓腑が捩れ出そうになるのも腹を引き絞って、全力でそこから引き離さんとした。弾だけではない、大量に飛散する枝葉の全てが、研ぎ澄まされた刃であり、それらが嵐のように広域へ叩き付けてくる。

 

 壁も空中も区分なく走り抜け、広大な礫の制空圏に背中を掠めさせて、こちらの経路を読み狙い澄ましたような精度で飛来する火の玉をギリギリで回避する。しかし同時に嫌な予感に全身を締め付けられ、敢えて銃口を逆方向に放ち、氷刃の射程に引き返した。

 すると案の定、撹拌された気流の流れに沿って歪曲し弧を描いた弾丸が、俺のいた位置をまさぐるように蛇行した後に、向かいのビルへ着弾。重厚な衝撃波で、その壁面を崩落させたのだった。

 

「下手に受けてたら、終わってたな」

 

 代償に細かな傷を目一杯負うことになったが、その価値はあったろう。俺は辺りを見渡して、コンクリにも易々と刺さった欠片達と、その大元である赤黒い大樹へと目を向けた。

 

「まさかアレは……」

 

 単なる氷の塊が動くわけがない。しかしそのカラクリに心当たりがある。

 あの混雑として濁りきった独特の気配に加えて。触れた物質を取り込んで、浸透して蠢き、彼女の意に応じて形を変えるその性質とは即ち。

 

「"漆喰"かよ……」

 

 溢れる血肉を根茎(ベース)に、迫り出した氷山を(フレーム)に、瓦礫を彩ってあの樹木擬きは、攻城投石器(カタパルト)として機能し出した。

 厄介なことこの上ない。いくら増殖するとはいえ、あれだけの巨体をよくも作り上げたものだ。

 

 

「?」

 

 違和感が頭に過ぎった。

 大きさ云々はいい、だがしかし、最初の源泉は何処から湧いて出た? その種は何処に仕込まれていた?

 

「あっ……」

 

 決まっている。その場所に夥しく積み上がり、満遍なく散らばって埋もれていた、彼女に色濃く由来する存在、──猟犬の死体。

 

「………そうか、そういうことか!」

 

 欠けていたピースが嵌め込まれて、繋がった思考が次々に道筋を立てて、その歯車を急稼働させる。脳内で火花が散りそうなほどの興奮が、俺の全身を駆け巡った。

 

「そう、繋がってやがったのか」

 

 居ても立っても居られなずに走り出す。目当てのものはそこらしこに転がっている死体の群れ、その内の一つへ駆け寄ると。そのドタマに向けて銃床を叩き付け、絶妙な加減でカチ割った。さらにその隙間にナイフを差し込んで、頭蓋を切り開いていく。

 俺の見立て通りであるのなら、きっとそこに。

 

「種が予め仕込まれていたっていうのなら、平時におけるその役目は──」

 

 

 果たして、露わになったその猟犬の脳髄、その前方には。

 ──赤黒く肉を啜り、完全に癒着した棘が突き刺さって、根を張っていた。

 

 勿論これが死因などではない。周りの部位の状態から、既に根付いて長い時間が経過していることがわかるし。よく見れば頭蓋骨にも、塞がった穿孔の跡が見られる。猟犬(こいつ)は元からこの状態だった。

 

「手を加えて道具にした存在とは言っていたが、まさかそのままの意味だったとはな」

 

 『Lobotomy/前頭葉白質切截術(ロボトミー)

 人間の脳に外科的なアプローチを行い、前頭葉への切除による人間性の剥奪をもって"心の治療"と称する。ノーベル賞まで受賞してしまった医療の禁忌。我らがL社の元ネタ。

 彼女はその空っぽとなった器を利用していたのだ。

 

 脳に突き刺さった棘を見やる。表層は赤みがかっているが、その本質は何処までもドス黒く濁り、あらゆるものを呑み込んだ混沌。それは紛れようもなく、"漆喰"を澱り固めたものであり。その内側ではどこか静かな脈の蠢動が透けていた。

 

 こんなものをわざわざ構成材質として使っている以上、対象の自我を否定し、物理的に破壊せしめた毒の針が持つ役割が、それだけに留まらないことは明白だろう。

 

「おそらくこれは一種の受信機だ」

 

 引き抜いて強く手の中に握ると、それが今も確かに脈動していることが、鮮明に伝わってくる。一見すると出鱈目で無意味な拍子だが、しかし決して無視することを許さぬ、力強さを秘めた、支配の波長。

 

 漆喰は彼女の体外に放出された状態でも、遠隔で自在に動かされていた。つまり彼女との接続、或いは受信する機能があり、これこそが猟犬を操る首輪の正体だ。

 

「で、それが判明したのなら、次にやるべきことは」

 

 無論その通信の逆探知、そして内容の解析と傍受だろう。その為の手段も俺の手の中にある。

 

「この棘を俺のドタマに刺せば万事解決! ……なんてな」

 

 そんなことすれば、晴れて俺も連中の仲間入りだろう。いくら苦しかろうが、そんな投棄的な選択を取る気はない。

 しかし同時に、俺が今から試そうとしている行為も、それに匹敵するリスクを色濃く有していた。

 

「わざわざ他人のを使わなくとも、種は俺も持っている」

 

『ほんの一部。それも付け焼き刃だが、君なら上手く使うだろう』

『出ろよ……、"漆喰"ッ!!』

 

 幸いな事に、先の薬指との戦いで、俺は彼女より漆喰を譲り受け、それは俺の体内に定着していた。彼女だってまさかこうなるとは予想だなしていなかっただろう、想定外の一手。

 

「それを今使う」

 

 俺の使えるそれは、とても限定的でロクな機能も持たないが。それでも小さな破片を体から生やす程度ならできる。そしてそれは体内にも精製可能だ。

 

「スゥ……、ハァーーーッ……」

 

 緊張、或いは恐怖を紛らわせるために吐いた温い息。率直に言って今からからやる事は、単なる無謀だ。危険性は未知数で、余りにも勝率の低い賭け。しかし俺はその諸刃の剣に、命を乗せる。

 別に然程特別なことではない。これまでも何度もやってきた部の悪い賭け、ハイリスクを毒で割った空頼みの勝負。格上の強者に噛み付くというのは、常にそういうものなのだから。

 

「檻から出るために、敢えて首枷に嵌るとは、随分と倒錯的だな。それでこそ不意打ちの価値があるんだ」

 

 片手で顔の半分を覆って、強く握り込み。

 

「俺に……喰い込め、漆喰ッ!!」

 

 その最奥に在る器官、俺という生命を成立させる髄へと、見えない爪を立て、不可逆的な変革を指示する。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぁ………っ」

 

 

 

 キリ……と、世が……、鏡面ように、割れた

 

 

 視界から思考まで、隅々まで行き渡ったヒビ割れが連なって繋がり、何処までも俺という存在を逃さず、連鎖的に叩き割ってくる。その執拗さは、まるで巨大な蜘蛛の巣が迫って来るようだった。

 

「カアッ…………ああッ!」

 

 痛い。白く焼けるように輝いた灼熱痛が、無限に押し寄せてくる。脳には痛覚がないんじゃなかったのか。

 

『あ"あ"あ"あ"あ"あ"ア"ア"ア"ァ"ァ"ァ"ッッ!!!!』

 

 焼ける、溶ける、解ける、分解る、伽藍堂になって、消えてゆく。

 音のしない手を叩き、声も出さずに口を開けた阿鼻叫喚が、無我夢中に俺を噛み締めて逃さず、千曳の下にキリキリと巻いて、轢き潰してゆく。

 

 俺という自我の輪郭が破れて、その内容液が止めどなく溢れてしまう。現実感すらも薄れて、もはや立っているかさえも定かではなく、視界は白く焼け焦げるばかり。平衡感覚や重さすら無く、まるであらゆる枷から放たれたように、消えてゆく。

 

 そんな奈落の底に墜落し続けるような喪失の中で、俺は一つの事柄を悟った。

 俺になくて、猟犬にあったものの答え。

 

 それは『諦観』だ。

 

 苦痛に満ちて、不条理に轢き潰される運命に囚われたのなら、その命を含むすべてを投げ出したくなるのも当然だろう。

 その運命は、都市で生きる全ての人間に課されているのだ。何千回踠いても抜け出せない蜘蛛の巣に絶望して諦めるのは、至極普通の当たり前の考えだ。

 

「ハハハッ!」

 

 それなら何故、俺は未だな手放せずにいる。

 幼き日に貰ったちっぽけな温もりを。忘却の中でも囚われていた鮮明な輝きを。散々染みついた流れに逆らってまで、叶えようとしている願いを。

 

「この都市で、夢見ちまったからに、決まってるだろう!!」

 

 不合理で、荒唐無稽な欲の衝動。

 しかし強烈に弾ける胸の高鳴りと共に、俺は確固たる一歩を踏み出す。

 

「ハァハァ………。ハハ、ハハハッ、これが!」

 

 顔の半分を隠すように抑えていた手をどけて、汚れた血の涙と滴る左眼をこじ開ければ。その赤く染まった視界に、奇妙なものが映っていた。昏い街並みに散らばる無数の電光、その狭間の中で、揺蕩って浮かんだ星の輝き。その薄明かりを。

 

「これが……、貴方の灯りですか!」

 

 明滅して揺らぎ、今にも埋もれてしまいそうなほどの、か細い瞬き。

 地上を覆い尽くしてギラギラと人の目を焼き、忙しなく輝いた都市の人工照明に比べると、途方もなくちっぽけで、今にも掻き消されてしまいそうだけれども。

 それでも忘られずに、人の世に残されている、小さな星明かり。

 

 俺はその導を、暗い夜道と数多に浮かぶ光源の中からでも、決して見失うことなく、探し出すことができた。

 

 

「ガリアーノ様……」

 

 幾度となく口にしたその名前を呼ぶ。

 

 俺をゴミ山の中から拾い上げて、生き方を教えてくれた人。

 混迷極まる都市の潮流の中で、溺れ沈まないように手を掴み、鎖のような命綱で切迫に結びつけた人。

 俺から目を離さずに見つめて、その在り方を定義していた人よ。

 

 貴方と過ごした時間は、決して愉快なだけものだけではありませんでした。

 

 恥辱。痛み。罰則。強迫。選別。

 

 それらをもって貶め、煽り、示唆してきた俺の方角。強く在り、生きられるよう(くびき)と課したその"執着"が、根強く俺を虐み。同時に、得体の知れない不安と、それに向き合う時間から遠ざけてくれた。

 

 彼女は俺の首を締め上げ、苦痛を焼き付けて、刻み込んだ。お前に残されているのはその執着だけだ、だからもっと足掻け、より強く拘泥して、この都市で生き抜く糧としろと。

 

 

 そう、あの飼主と犬の関係性とは、彼女の嗜虐心によるものだけではない。

 あれは俺のコンプレックス(地雷)を正確に見抜き、その上で踏み躙ってみせた、一種の啓発であった。

 

 その行いは、傍目から見れば異常者同士の倒錯劇にしか見えなかっただろう。

 実際その通りだ。俺たちは互いに、自らの異常性を確かめるように発露させ合い、その在り方をより強固に規定されたものへと、押し固めていたのだと思う。

 彼女が俺を諌める時に、それは鏡写しのように、彼女自身にも作用していた。自らに課した戒めを、固く引き締める代償行為でもあったのだろう。

 

 きっとそれこそが、俺と彼女に結ばれた、意図(いと)の本質だった。

 

 

「お互いに、随分と色々なことを共有してきましたね……」

 

 お互いに狂わせ合った時間。そうではなくただ穏やかに過ごした時間。

 

 席を並べて飯を食った時間。鉄火場に立ち会い、血塗れで死にかけた時間。

 

 初めて煙草を勧められて、盛大に咽せた時間。なんの意味もなく世間話に興じて、日が暮れていた時間。

 

 昇進を祝い、ささやかに開いた祝賀の時間。

 

 出会って以来、幾度となく交わしてきた日々の記憶。お互い階級が異なり、いつ死ぬとも知れない荒事に身を置く人間であるため、その数は年数に比較して少ないけれど。だからこそより鮮明に思い出すことができた。

 そうやって互いの為に費やしてきたその時間が、七十億人いる都市の人間の中から、お互いを特別な存在に仕立て上げて、見つけ出せるようにするのだろう。

 

 

「それでも……、だからこそ俺は。今日、貴方と決別します」

 

 手を伸ばして、目には見えないその星の光を手繰り寄せる。余人には何の意味もないだろうその明滅に耳を澄ませば、そこに薄らと彼女の声が乗っている気がした。

 

 俺はその静謐なる囁きに対し、銃を真っ直ぐに構える。

 街の灯りに隠されて、それでも何者にも遮られることなく、優雅に広がる微細な波紋へ。

 

「いざ、参ります!」

 

 鋭く鳴らした銃の警笛でもって、盛大なる返事を打ち返したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、………なんだ?」

 

 発砲時特有の激しい光線が飛び交い、現在進行形で幾つもの命が肉塊と化しているであろう現場より、600メートル離れたその地点。突き出した高架の下で、己を逆さに吊るし固定した状態で、その人物は戦場を俯瞰していた。

 

「明らかに動きが変わった。こちらの張った罠を的確に回避しているね」

 

 艶を消し、夜の闇に限界まで溶け込んだその隠蔽状態から、唯一突き出した長い銃身。そこに付随した銃剣をピタリと掲げながら、彼女はスコープを食い入るように見つめていた。

 

「………私の手の内を読まれている?」

 

 たった今、建物内に待機させておいた手駒の一陣が、通り過ぎ様に急転換した"獲物"の強攻撃によって、階層ごと叩き潰された。偶然と処理するには明らかに無理のある動き。更に不意打ち、強襲の類は悉く透かされてもいる。もはや疑う余地もない。

 

「ハハハッ! やるじゃないか! まさか自力で気づくだけに留まらず、試したというのかい?」

 

 ケラケラと、彼女は心底から楽しそうに笑い声をあげて。自らの予想を遥かに超えてきた、部下の成長を祝った。

 

「私の声を盗み取るとは、本当にやってくれるね。ヴァラキ」

 

 戦場に向けて、絶えず構えていた銃の照準を解き、腕の内にそっと抱え込み。"黒夜の猟犬"と呼ばれる者共を束ね、命令を下す指揮棒に手を伸ばす。それは即ち、狙撃銃の先端に取り付けられた、銃剣である。

 

「あぁそうだ。君は伝説の剣など持たされていなくとも、その場に転がる棒と石で相手を殺せる。そうやって生き延びてきた子だからね」

 

 ゆっくりと愛おしげに撫で付けながら、その想いを胸中に響かせる。その適合して馴染んだ持ち主の意思に応じて、握ぎられた銃剣が、可視化されていない瞬きを放ち。水面に落ちた波紋が広がるように、彼方へと光を投げ掛けた。

 

「本当に君は素晴らしく、立派なものだよ」

 

 開いた手をかざして、孤軍奮闘を続けるその光景へうっとりと重ねると。

 

「だのに……、何故なんだい?」

 

 憎々しげに震える声色と共に、それを握り潰した。

 

「何故……、愚かな袋小路へと自分から歩み出すんだ」

 

 食いしばった歯がギリギリと音を立てて軋む。その旋律に同期するかの様にして、彼女を宙空に支える無数の糸が、激しく収縮を繰り返して撓んでゆく。

 よく見ればそれの形状はハッキリと定まったものでなく。酷く粘ついた、ドス黒い液体を澱り固めて出来たものだった。

 

「垂らされた糸を、どれだけ必死に手繰り寄せたところで、天上に至ることはない。業の荒む因果に引き戻され、より強く墜落と打ちつけられるだけだ」

 

 ゴムとバネが組み合わさったかのような収縮の発散を経て、彼女は自身を勢いよく射出させる。役目を終え解けた黒い粘糸たちはその後を追い、彼女の体の内側へと抵抗なく収められていった。

 

「分かりきった答えを、身に馴染んだ習性を、どうして裏切ってしまうんだろうね」

 

 不合理で理解できなかったその狂奔。

 それに対する数多の感情が、理性的に纏まることなく頭の中で戦慄いて。荒れ狂い膨張したそれらは、出口を求めて殺到する。

 

「あぁ本当に、愉快で腹の煮え滾る"狩り"だね」

 

 そうして出力されるのは、やはり彼女にとって最も身に馴染んだ手段として現れるのだった。

 

 地上に並んだ数多の星々が夜を照らす。しかしその流れゆく一条の星は、か細い光の束を、ただ自分を知る者の為だけに輝かせていた。私の声を聴き、遠くからでも繋がって欲しいと。

 

 

 彼と彼女。二人が抱えた意思は、両者決して譲れないものであったが。故にこそ、混ざり合わない平行線ではなく、歪であっても互いに向き合い、交差する寄る()として存在することができた。

 

 そしてそれは今牙となりて、これ以上ないほど激しくぶつかり合い。相手を砕き壊すまで止まらない、不退転の自我として鮮烈に。都市の夜空に、また新しい火花を刻むのだった。

 





【カネスベナチシ】
ガリアーノが適合し、常に携帯している銃剣。それは最低ランクの小さな力しか持たないが、歴とした『遺物』であり、その作用もどこか漠然としたものである。
この剣にできるのは、鋭く敵を斬りたてる事でも、素晴らしい効力を与えてくれるものでもない。ただ持ち主の意に沿って、静かで小さな明かりを灯すだけ。その光の波長は任意で調整できるが、どうやっても文明の造り出した光量には遠く及ばす、あっという間に埋もれてしまう程にか細い。
しかし、この光は建物を透過する性質を秘めており、人工物に覆われた都市であろうとも、感じ取ろうとすれば、遠くからでも星のように眺めることができるのだ。
「私にとってはこれで十分なんだよ。ご大層な能力なんて、道具としてちょっと手に余るからね。声であれ、光であれ、それで意思を伝えられるのなら、私の牙が伸びるのと変わらない」


【跳躍弾】
一定以上の硬度の面に打ち付けられると、反動を吸収し、その推力を保持したまま、別角度に向けて再発射される。ここだけ聞けば屋内戦に優位な弾と思えるが、実際は窓ガラスやクッションのような基準以下の硬度に当たっても効力を失う為、使い所が極めて限定されるピーキーな弾である。
「跳ね返るほどに力を溜め、威力を増していくんだが。一定以上の熱量(エネルギー)になると融解して壊れるんだ。おそらく外壁をブチ抜かせない為の安全装置なんだろうね」


常緑撚糸式復旧施術(living seam of emerald)
ヴァラキも使用している、天蚕糸による治癒型強化施術全般に用いる名称。その内容は使う糸の格質や縫い込む技法に応じてピンキリであり。高額なものになると、粉砕した骨格や千切れた四肢すらも自動で繋ぎ合わせるが。逆に安い粗悪品では、ボロ布の継ぎ当て並みの応急処置となり、却って事後不良を起すのだとか。

また、天蚕糸を生む蟲そのものを人体に移植した施術も考案されているが、蟲の制御が上手くいかず、現状では一つとして実用化には至っていない
「ふむ……蟲が持つ知性、社会的性質は犬にやや劣る程度か……。それだけあれば十分だろう。マイクロチップや薬品による制御が安定しないのなら、直に調教してやればいいんだよ。結局のところ生命を支配する上で一番肝心なのは、自らの意思で選び、従わせる事なんだからね」
 
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