孤独の風俗   作:M氏|夜の市場監査人

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※本作は実体験に基づくフィクションであり、特定の店舗・団体とは一切関係ありません。


第1話:大阪市淀川区十三の『激安ピンクサロン』と『虚無の賢者タイム』

 この日は商談が長引いた。相手は話の通じない古狸のような社長だった。

 

 わざわざドイツから取り寄せた『無骨な万年筆』を持ち込んだというのに、反応は鈍い。「兄ちゃん、今はiPadの時代やで? 重たいペンなんか流行らんわ」と鼻で笑われ、延々とDX(デジタルトランスフォーメーション)の講釈を聞かされる羽目になった。結局商談は失敗。

 

 外に出るとあたりはすっかり夜になっており、俺は阪急十三(じゅうそう)駅の西口へと向かう。

 

 猥雑なネオンが、俺の網膜を焼きに来る。多くの男にとって、この街はただの歓楽街かもしれない。だが、俺にとっては違う。ここは“市場”だ。欲望と金銭が等価交換される、最も純粋な経済活動の最前線だ。

 

 俺は個人輸入商を営んでいるが、夜の顔は別にある。俺は“市場監査人”だ。己の肉体と財布を資本に、この街の“適正価格”を見極めることこそが、俺のライフワークなのだ。

 

(ポン、ポン、ポン……)

 

 立ち止まり、ネクタイを少し緩めた瞬間、身体の奥底で警報が鳴った。

 

「……いかん。腹が減った……のではない。……溜まっている。俺は今、猛烈に……抜きたい」

 

――――――――――――――――――――

 

 スマホで検索など不要だ。その時間が惜しい。この街の空気(匂い)を嗅げば、どこに“餌場”があるかは分かる。そのまま路地裏へと足を向けた。

 

 目の前に現れたのは、蛍光ピンクの看板。『Pinky Cat』。30分4,500円。指名料は別途1,500円。看板の写真は、明らかに過剰な加工が施されている。こんな美人が在籍しているなら、こんな場所にあるはずがない。

 

「……『キャット』か。今の俺は、ライオンのように獰猛に狩りをしたい気分ではない。むしろ、野良猫に餌をやるような、そんな気楽な“遊び”でいい」

 

「……待てよ」

 

 俺は一度、看板の前で足を止める。

 

 『30分4,500円』。大阪の相場としても、破格の安さだ。"安すぎる"ということは、何かが欠落している証拠だ。嬢の質か、サービスの質か、あるいは衛生面か。

 

 ふと隣のビルを見る。『ロイヤル・スパ 貴族の休日』。60分15,000円。入り口には黒服が立ち、高級感を醸し出している。

 

「……違う」

 

 今の俺が求めているのは、そんな“お膳立てされた高級フレンチ”ではない。もっとこう、路地裏の屋台で、油まみれの焼きそばを掻き込むような……そんな“ジャンクな性欲”なんだ。

 

 俺は再び『Pinky Cat』の看板に向き合う。色褪せたピンクの文字。一部の電球が切れて点滅している。その寂れた点滅が、俺にこう語りかけてくる気がした。「ここなら、あんたの期待を裏切らない程度の、適度な失望と快楽があるよ」と。

 

「……いいだろう。買おうじゃないか、その失望を」

 

 俺は重い鉄の扉を開けて、薄汚れたビルへと入って行った。

 

――――――――――――――――――――

 

 店内は暗い。安っぽい芳香剤と、微かなタバコの匂いが混じった、独特の“夜の匂い”がする。やる気のなさそうなボーイは、受付の隙間から無言でこちらを睨みつけるだけ。指名したところで大した女の子がいるはずもない。「フリーで30分」とだけ伝えて、お金を支払う。

 

 ボーイが無線で連絡を入れている間、俺は狭い待合スペースを見渡す。ソファの革は剥げ、誰が読むとも知れない数年前の週刊誌が積まれている。壁には手書きのポスター。

 

 『無断キャンセル罰金3万円!!』

 『キャストへのスカウト行為、即警察!!』

 

 赤マジックで書かれた暴力的な文字が、この店の民度を雄弁に物語っている。

 

 ふっ。殺伐としているな。だが、この殺伐さこそが、ピンサロという料理のスパイスだ。ここで「お客様、ようこそ!」なんて笑顔で迎えられたら、逆に消化不良を起こす。俺はただの客ではない。“処理班”だ。そう割り切らせてくれる空気が、ここにはある。

 

「ご案内しまーす」

 

 ボーイの気だるげな声が、俺の思考を遮った。幸い待ち時間はないようで、すぐに個室へ通される。ベニヤ板で仕切られただけの、独房のような空間。壁には『禁止事項』がビッシリと書かれている。

 

(……狭い。だが、この閉塞感が、かえって俺を“ただの肉塊”にしてくれる)

 

 カーテンが開いた。現れたのは、『ゆあ』と名乗る女。看板の写真とは似ても似つかない、少し疲れた様子の茶髪で釣り目の女だ。どことなく猫のように見えなくもない。ただし“猫カフェの手入れされた猫”ではなくて、“路地裏の薄汚れた野良猫”だが。

 

 スタイルは……中肉中背で、胸もくびれもないが、まあ、こんなものか。小さく「お願いしまーす」とだけ挨拶をして、中に入って来る。

 

 

(……来たか。愛想笑いひとつない。完全に“業務”の顔だ。だが、いい。今の俺には、恋人ごっこの甘い囁きなどノイズでしかない)

 

――――――――――――――――――――

 

 彼女は手際よく準備を整える。そこに情緒はない。工場のライン作業のような、無駄のない動きだ。当たり前のようにキスはなかった。こんなところまで野良猫のようだと、思わず笑いを我慢する。

 

 俺は天井のシミを見つめながら、黙ってその“作業”を受け入れる。

 

 温かいローションが、事務的に、しかし的確に塗布される。彼女の掌には、媚びもなければ迷いもない。ただ一定のストロークで、俺の欲望を削り取っていく。

 

(……ふむ)

 

 ふと、彼女の手元を見る。派手なネイルアートが施された指先。あれで俺を傷つけないよう、絶妙な角度で指を反らせているのが分かる。

 

(……プロだ)

 

 俺は心の中で小さく唸る。愛想はない。やる気もない。だが、この“爪を立てない”という一点においてのみ、彼女はプロフェッショナルとしての仕事を全うしている。その小さな配慮が、今の俺には妙に沁みる。

 

 隣のブースから「うぉっ」という野太い喘ぎ声が聞こえた。壁一枚向こうには、別の男のドラマがある。俺たちは皆、この薄暗い箱の中で、それぞれの孤独な絶頂に向かって走っているのだ。

 

(……悪くない。熱意はないが、技術(リズム)が一定だ。まるで、精巧な機械にメンテナンスされているようだ。俺の中の“澱(おり)”が、掃除機のように吸い出されていく……)

 

 会話はない。ただ、湿った水音と、隣のブースから聞こえるオヤジの咳払いだけがBGMだ。俺は目を閉じ、その無機質な快楽に身を委ねる。

 

(……ああ。こういうのでいいんだよ。こういうので)

 

 結局、最後に申し訳程度に彼女は口を添えただけで、俺の息子はそのまま役目を果たした。

 

――――――――――――――――――――

 

 全てが終わった。彼女は「ありがとうございましたー」と棒読みで言い残し、すぐに次の客の元へ消えていった。時間はコースの半分も過ぎていない。少し早すぎたか。

 

 冷たいお絞りで顔を拭く。現実に引き戻される瞬間だ。

 

 店を出ると、外の風が少し冷たく感じた。4,500円。ランチなら豪遊できる金額だが、俺の心は妙に軽かった。

 

「……ふぅ。虚無だ。だが、この“賢者タイム”という名の空白こそが、明日への活力になる」

 

 俺は駅の方へ歩き出した。4,500円の失望と快楽。だが、これだけは言える。あの店は“地雷”ではなかった。なぜなら、俺は今、こうして空腹を感じているからだ。

 

「さて……。“下”の処理は済んだ。次は“上”だ」

 

 ふと、さっきの女(野良猫)の顔が浮かんだ。彼女は、俺という油揚げ(客)を食い荒らすだけの化け猫だったのかもな。……なら、こっちもデカイ“お揚げ”を食って精をつけるとしよう。

 

「猛烈に、きつねうどんが食いたい」

 

 ネオンが煌めく夜の十三を、俺はスッキリとした気分で歩いて行った。




最後までお付き合いいただき、感謝する。

もし、あんたも"夜の孤独"を知る同業者なら、評価ボタンを押していってくれ。
それが、次の街へ向かう俺のガソリンになる。

▼ 五郎のリアルな『監査ログ』と『生存戦略』は、X(Twitter)で呟いている。
[https://x.com/night_auditor_m]
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